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2013年3月の12件の記事

2013/03/30

【温泉】これは温泉の「あらばしり」や!福地温泉元湯孫九郎(★★★★)

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 今回ぽん太とにゃん子が訪れたのは、奥飛騨にある福地温泉の元湯孫九郎さんです。ここは『本物の温泉』に力を入れている宿ですが、うわさに違わず素晴らしいお湯を堪能することができました。公式サイトはこちらです。
 釜トンネルの冬季通行止めが解除されるのはようやくゴールデンウィーク前。松本から安房トンネルに向かう道はまだ交通量も少なく、夏場は多くの観光客が訪れる沢渡も、まだひっそりとした佇まいでした。安房トンネルを抜けた所にあるのが、奥飛騨温泉郷の入り口として賑わう平湯温泉。福地温泉はそこから目と鼻の先ですが、国道から脇道に入ったところにあるせいか、飛騨の山里らしい静かで落ち着いた雰囲気があります。
Img_4936 こちらが宿の建物です。築180年の養蚕農家が使われているそうです。
Img_4895 重厚で格式が感じられる玄関です。
Img_4907 なかに入ると、高い天井に太い梁。いい雰囲気です。
Img_4909 大きな振り子時計。漆塗りの建具。帳場は旅籠の味わいが感じられます。
Img_4910 この本館にも客室があるようですが、今回ぽん太たちが泊まったのは、新しい天領館。広々とした快適な和室ですが、本館のような風情はありません。
Img_4930 いよいよ風呂に出陣。まずは露天風呂から。宿の建物を裏手に出て、小さな路地を挟んだ反対側にあります。
 さて、この宿の売りは「本物の温泉」です。そう聞いても皆さんは、「いまどき源泉掛け流しの宿なんていっぱいあるよ」と思うかもしれませんが、この宿の源泉へのこだわりは、さらに一段上を行っております。自家源泉を4本(帝の湯2,4,5,6号泉)も持っております。露天風呂は、泉温67度の2号泉と、36度の5号泉を混合して使っています。それぞれは無色透明な単純温泉なのですが、両者を混ぜると、写真のような緑褐色の濁り湯に変身するそうです。福地温泉にある13軒の宿のなかで、にごり湯が楽しめるのはここだけです。なめると強い鉄の味と、炭酸味がします。浴槽の岩には茶褐色の結晶が析出しております。また、湧出した温泉をいったん温泉タンクに溜めたりせず、そのまま掛け流しているそうで、大地からのめぐみをそのまま頂けます。湯量も非常に豊富で、毎分180リットルの掛け流しと書いてありました。
Img_4904 こちらが内湯です。帝の湯4号線泉を引いていますが、泉温が82度と高温。普通なら加水して温度を調整するところですが、そうすると温泉の成分が薄まってしまうので、熱交換器を使って温泉の温度を下げ、代わりに加熱されたお湯を給湯や床暖房に使っているそうです。こちらのお湯は透明で、茶褐色の湯の花が浮遊しております。味は炭酸のシュワシュワ感が強く、朝食のお粥に使われております。泉質はナトリウム炭酸水素塩泉とのこと。泉温は、露天も内湯もやや低めに設定されており、ゆっくりとお湯につかることができます。
Img_4897 その他に、無料で使える貸し切り風呂が二つあります。ひとつは内湯で、こちらは狭いです。写真は露天の方で、貸し切りとしてはけっこう広々としてて、気持ちがいいです。
Img_4928 夕食は、こちらの本館お食事処でいただきました。
Img_4913 定番の飛騨牛は温泉水を使ったしゃぶしゃぶで頂きます。刺身やホタルイカはお隣の富山湾から。囲炉裏風のテーブルにになっておりますが、残念ながら炭火ではなく、遠赤ガスでした。でも岩魚の塩焼きは、炭火の場合のような水気を飛ばす焼き方ではなく、表面パリッと中はふっくらという感じに、とっても美味しく焼き上がりました。
Img_4914 こちらはアツアツで出てきた「よせ長いもの桜むし」。桜の葉と花びらが、季節を感じさせる一品です。
Img_4917 五平餅は、くるみの味付けがしてあって美味しかったです。ぽん太がいたずらをして、海老の頭を焼いてます。
 このあとはコシのある飛騨そばに、ご飯とみそ汁にデザートがつきます。あゝ、美味しい。
Img_4922 地下1階にある『音泉( おんせん)リビング パラゴン』。JBLスピーカーの名品Paragonパラゴンを真空管アンプで鳴らしています。お値段は……ググってみて下さい。
Img_4924 福地温泉内の舎湯(やどりゆ:足湯&休憩どころ)で「あつ鍋」という催しをしているというので、行ってきました。冬季のあいだ十日に一度、夜の7時半から9時半まで、福地温泉の若者が交替で、お鍋とお酒を振る舞ってくれるというものです。昔、3の数字がつくときだけアホになるという「世界のナベアツ」という芸人がいましたが、それにあやかって、3のつく日だけ「アツナベ」を振る舞うという企画を考えたんだそうです。ちなみに今年は3ではなく7のつく日で、数字は毎年変わるそうです。
Img_4927 こちらが朝食です。右上に定番の朴葉味噌。右下は温泉粥です。お味噌汁はてっきり赤だしかと思ったら、普通のお味噌でした。ごちそうさまです。
 なんといっても、源泉へのこだわりがすばらしい。大地から涌いてきたばかりの豊富なお湯を、源泉掛け流しで楽しめるのが最高です。日本酒に例えれば、今年一番の新酒が袋から滴り落ちてきたところを頂く「あらばしり」のごとし。福地温泉唯一のにごり湯も温泉力が高く、古民家の本館の建物も素敵で、ここまでは5点満点。しかし客室が普通なのと、お食事が炭火でないあたりがちと残念で、ぽん太の総合評価は4点!

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2013/03/26

【ジャズ】東急ヒカリエでウェイン・ショーター・カルテット

 ジャズはよくわからないぽん太ですが、ジャズ好きのにゃん子のお誘いで、ウェイン・ショーター・カルテットを聴きに行ってきました。公式サイトはこちら
 会場は渋谷ヒカリエにある東急シアターオーブ。折しも3月16日から東急東横線渋谷駅が地下に移動したばかり。ダンジオン化した渋谷駅を、渋谷ヒカリエに向かいます。あの〜すいません、渋谷駅の人、駅構内のヒカリエに行く道の案内がわかりにくいんですけど。よろしくお願いします。
 エレベーターで11階へ。扉が開くと、目の前にはゴージャスなローソンが。一面ガラス窓の吹き抜けからの渋谷の夜景が美しく、みな携帯で写真を撮ってました
 ぽん太の席は2階でしたが、舞台がけっこう近くて、前の人の頭も気にならず、座席の座り心地もよく、なかなかいいホールだと思いました。音響に関しては、ジャズコンサートだと、ぽん太には判断できません。ググってみると残響は1.6〜7秒に設定されているそうで、もともとミュージカル用のホールですから、やや短めに設定されているようです。バレエの公演にも使ってほしい気がします。勘三郎が生きてたら、きっと歌舞伎もやっただろうな。
 ぽん太もモダンジャズぐらいまでなら聞き慣れているのですが、今回の演奏はどこをどう聴いたらいいのかよくわかりません。とりあえずコード進行に注意を向けてみますが、よくわからず。そこで旋律を聴いてみようと試みますが、これまたなんだかわかりません。ジャズのドラムのリズム感というのは、いつもすごいな〜と思いつつ、ショーターのサックスの音色に聞き惚れたり。ピアノの弦を手で押さえながら弾いたり、はては飲料用のペットボトルで叩いたりするのは、クラシックでいえばジョン・ケージのプリペイド・ピアノを思わせますね。ま、現代音楽の人たちは大真面目でしかめつらしくやってたけど、今回はいかにも遊びという感じで楽しそうにしてました。笑ったり、口笛吹いたり、譜面をくしゃくしゃしたり。いったいどこまで打ち合わせてあって、どこまでアドリブなのか、ぽん太にはちっともわかりません。そのうちなんかだんだんと余計なことを考えなくなって、最後は音のシャワーを浴びてる感じになって、とっても気持ちよかったです。
 こんな感想ですみません。


JAZZ WEEK TOKYO 2013
Wayne Shorter Quartet
featuring John Patitucci, Danilo Perez and Jonathan Pinson
2013年3月24日 東急シアターオーブ

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2013/03/24

【フロイト「不気味なもの」を読む(5)】『砂男』の不気味さの源泉は去勢不安である(p22〜26)

 ホフマンの『砂男』の要約を終えたフロイトは、「不気味なものの感情が直接結びついているのは、砂男の姿に、すなわち眼球を奪われるという表象にであって、イェンチュの言う知的不確かさはこの効果とは何の関係もない」ということが「いかなる疑問の余地も残るまい」と述べます(21〜22ページ)。こんなことをいきなり言われても困るのであって、フロイトはそのように確信しているかもしれませんが、ぽん太は同意できません。自動人形オリンピアは確かに特に不気味でないし、目玉をくりぬかれるというのはちょっと不気味ですが、それはこの小説の様々な不気味さ(奇妙な反復、人物の交錯と圧縮、些細な出来事の突然の乱入、主体性のゆらぎ、何かの予兆など……)のうちの一つに過ぎないと思います。
 「なにしろこの物語の結末は、眼鏡商コッポラが実は弁護しコッペリウスであり、つまりは、砂男でもあることを明らかにしているのだから」(22ページ)というのもホントかな?とぽん太は思います。確かに最後にコッペリウスが現れますが、ホフマンはそれがコッポラであるとは書いていません。またコッペリウスが現れたということも、この部分の叙述が完全に客観的なものなのか、それともなんらかの主観によって歪められている可能性があるのか、はっきりしません。だからフロイトが、「小説の最後に正解が書かれている」みたいに捉えているのは違っている気がします。
 フロイトは、「精神分析の経験によれば」と銘打って、「眼球を失う」というのが子供が抱く不安であり、それは大人になっても残り、それは「去勢不安」の代替物だと言います(23ページ)。精神分析の信者でないぽん太にはまったく理解も納得もできませんが、フロイト先生に「精神分析の経験から言えるのじゃ!」と言われたら、ひとまずハイハイと有り難く御説を敬聴するしかありません。
 さらにフロイトは、『砂男』において眼球不安が父親の死に密接に関係づけられていることを、眼球不安が去勢不安と関連していることの根拠として挙げます(24ページ)。確かにこの物語では、砂男は常に愛を邪魔するものではありますけど、この段落に付けられた長い脚注も含め、ぽん太には「それで……?」という感じです。
 眼球不安を子供のころの不安に帰着させた(と信じる)フロイトは、ついでに「生きているかもしれない人形」というイェンチュが挙げた不安を、子供の不安に帰着できるか考察します。しかしイェンチュも指摘しているように、子供は人形が動くのを怖がらず、さらに望んでいたりします。悔し紛れに(?)フロイトは、「不気味な感情の源泉は、ここでは子供の不安ではなく、子供の欲望であり、あるいは単に子供の確信にすぎないのだろう」と書いていますが、ぽん太にはよく理解できません。

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2013/03/22

【お料理少なめの温泉】お風呂が全部貸し切りです。村杉温泉角屋旅館(★★★★)

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 ぽん太もにゃん子も胃の調子が悪く、温泉には行きたや、お料理は食べきれず。残すのももったいないし。そこでふと思いついて、お料理が少なめの宿がないかと試しにググってみたところ、そういう旅館がいくつかあることがわかりました。そのなかから今回は、新潟の村杉温泉角屋旅館にお世話になることにしました。公式サイトはこちらです。
 新潟市のやや東に、五頭温泉郷と呼ばれる温泉郷があります(公式サイト)。この温泉郷は、出湯温泉、今板温泉、村杉温泉という三つの温泉からなっていますが、ぽん太は以前に出湯温泉清廣館に泊まったことがあります(そのときの記事)。
Img_4884 建物は新しくてきれいな和風旅館です。今年は雪が多く、湯沢・塩沢あたりの雪はすごかったですが、この辺りはほとんど雪は目立ちませんでした。
Img_4867 内装は古民家風で、新しく綺麗です。写真はロビーです。吹き抜けの高い天井、黒い梁、広い窓から見える庭などが、心地よいです。
Img_4881 別に囲炉裏のある休憩スペースもあります。
Img_4866 ところどころに、古めかしい時計や箪笥などの調度品が置かれています。
Img_4863 こちらが客室です。広くて綺麗で落ち着きます。
Img_4854 お風呂は4つありますが、全部貸し切りです。客室が全部で10室という小さな宿だからこそ、できることだと思います。左の写真は、村杉石の湯。露天風呂ですね。お湯は無色透明、無味無臭で、ちょっと美肌すべすべ効果があります。ややぬるめですが、ゆっくりお湯につかると、身体がとても暖まります。
 記事の冒頭の写真は竹ばやしの湯(露天)で、こちらも開放感があって気持ちいいです。
Img_4860 こちらが源泉です。泉質はいわゆるラジウム温泉(単純放射能温泉)。pH8.6と弱アルカリ性なのが、お肌すべすべ効果の理由でしょうか。泉温は25.2度と低いので一部循環加熱しておりますが、加水なしの源泉掛け流しのようです。
Img_4869 さて夕食です。冒頭に述べたように、胃の調子が優れないぽん太とにゃん子は、「ひかえめコース」をお願いしました。通常の半分くらいのお料理なんだそうです。まずは先付け。おっきな白バイ貝が柔らかくて美味しいです。
Img_4870 料理は減らしても酒は減らしません。新潟県は酒どころ。利き酒セットをいただきました。
Img_4872 お造りとグラタンです。
Img_4875 煮物と、ズワイガニのメスです。新潟では「セイコ」とは呼ばないみたいですね。内子と外子がついていてました。
Img_4876 ご飯はもちろん新潟産のコシヒカリ。美味しいに決まってます。お味噌汁はエビの頭入り。からだは他のお客さんのところに行ったと思われます。
Img_4878_2 最後にデザートとお茶です。「ひかえめコース」でしたが、十分満腹になり、新潟の自然のめぐみを堪能できました。旅館のお料理って、美味しいけどちょっと量が多いと、ぽん太は常々思っておりました。こういったお料理少なめを選択できる宿が、もっといっぱいあると良いのですが。
Img_4879 こちらが朝食です。ヘルシーですがとっても品数が多いです。
 きれいな和風旅館で、日頃ぽん太が利用している宿に比べると、ワンランク高級感があります。従業員の応対もとても丁寧できめ細やかで心がこもっています。料理も美味しく、貸し切り温泉もとってもリラックスできます。ぽん太の評価は大満足の4点です。

Img_4886 帰りに近くの、白鳥の餌付けで有名な瓢湖を訪れました。案内は角屋のサイトが詳しいです(こちら)。残念ながら白鳥の数はかなり減っていて、カモがいっぱいいました。

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2013/03/20

【温泉】伝統ある木造旅館を格安で。ケイズハウス伊東温泉(★★★★)

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 閉館していた伊東の老舗温泉が、リニューアルされて素泊まりの宿として甦ったと聞き、2月末に泊まって来ました。その名もケイズハウス伊東温泉。公式サイトはこちらです。
Img_4797 駐車場はないので、近くの伊東なぎさ駐車場に車を停めました。料金は時間制ですが、翌日の11時過ぎまで停めて750円とお得でした。
Img_4801 こちらが玄関です。老舗旅館のいい雰囲気です。ガラスに書いてあるのは昔の旅館名でしょうか。
Img_4802 ロビーには古めかしい時計が掛けれています。
Img_4833 こちらがこんかい泊まった客室です。松川に面した1階の和室で、縁側もついてます。丸い雪見障子、障子の菖蒲と鯉の彫刻など、意匠が凝っています。これで料金は5千円以下。これはたまりません。ただし部屋にはテレビはなく、布団も自分で敷きます。寝具はとても清潔です。
 部屋に置いてあった宿の案内に、建物の歴史が書いてあって、それによればこの旅館はもともと「いな葉」という宿だったそうです……ええっ!いな葉?いな葉なら泊まったことあるじゃん。
P3310035 写真を探してみたらありました。2005年3月に泊まっておりました。左の写真はそのとき撮影したものです。この頃はまだブログを始めてなかったので、ブログの記事はありません。そうだったのか〜。良く見たら、上の写真の入り口の戸や時計に、「いな葉」って書いてあるやん。いな葉は平成19年に閉館し、平成22年にケイズハウス伊東温泉として新たに営業を再開したんだそうです。
Img_4806 さて、現在に戻って、こちらが浴室です。ぶんぶく茶釜からお湯が注がれておりますが、これは昔と変わっていません。ホントは浴槽が木製だといいんですが。
Img_4807 貸し切り風呂が二つあります。浴槽は小さくて一人で満員です。浴槽は以前と同じですが、周りは新しく作り替えたようですね。
Img_4808 タイル張りのレトロな流しです。
Img_4827 翌朝、最上階の展望台からの眺めです。
Img_4828 こちらは大広間です。
P2280084 バックパッカー用の相部屋でしょうか?
Img_4830 こちらは一階にある共用スペース。お茶を飲んだり、談笑したり、テレビを見たり、自由に使えます。
Img_4829 こちらは共用キッチン。お湯をわかしたり、簡単な調理もできます。使い終わった食器は、自分で洗って元のところに戻します。
 素泊まりですが、この値段で伊東のこれだけの建物に泊まれるということは、とってもお得。きっと海水浴シーズンは満員でしょうね。ぽん太の評価は4点です。

P2270049 夕食はついてませんが、伊東駅方面に歩いていくと、いろいろなお店があるのでお好みで。もちろんぽん太とにゃん子は、地元のお魚と地酒がお目当てです。二人が選んだのは「旬の味たなか」(ぐるなび)。ちょっと洒落た感じの日本料理屋さんで、地元の魚の刺身はとっても新鮮で、竹筒で出てくる日本酒も美味しかったです。
P2270053 一軒ではもったいないのでもう一軒はしごです。お次ぎは国八です(食べログ)。無国籍系創作料理といったところでしょうか。写真の生春巻きもとっても美味しいですが、カニはカマボコなので、お値段は安いです。ケーズハウスから海側のすぐ近くにありますから、バックパッカーのかたにはお勧めかも。
Img_4815 朝食は、近頃ぽん太とにゃん子にマイブームな、喫茶店のモーニングです。こんかい選んだのは「江戸家」さん(ホームページはこちら)。老舗らしく、落ち着いた雰囲気です。
Img_4814 パン屋さんに併設された喫茶店なので、パンがとっても美味しかったです。食器に描かれている絵は串田孫一さんの筆だそうです。
Img_4820 洒落た建物ですが、コーヒー豆を売っている「備屋珈琲自家焙煎工房」(公式サイト)です。
Img_4819 選んだ豆をその場で好みの度合いに焙煎してくれます(15分くらいかかります)。
Img_4844 帰りは河津を回りました。河津さくらは、まだ二部咲きといったところでしたが、平日にも関わらずたいへんな人出でした。さらに沼津港で魚を買って、帰途につきました。

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2013/03/17

【オペラ】METなみの大スペクタクルだけど儚さに欠ける「アイーダ」新国立劇場

 ぽん太が前回観た「アイーダ」は、コンヴィチュニー演出のキワモノだったので、新国立の正統派の演出を楽しみにしておりました。公式サイトはこちらです。
 新国立の「アイーダ」は初めてでしたが、フランコ・ゼッフィレッリの演出による舞台は、うわさに違わず重厚で豪華絢爛でした。神像などは巨大すぎて、4階客席からは下半身しか見えないくらい。特に凱旋シーンでは、背景にエジプト風の円柱が少し斜めに配され、高さと奥行きが感じられました。そして、いったい何人いるんだろうと思うほど次々と通り過ぎる人々に加え、本物の馬まで登場(さすがにゾウは出ませんでしたが)。こんな舞台に出て驚かないなんて、よっぽどベテランの馬なんでしょうね。装飾類も黄金色に輝き、衣装もリアルに細かく作り込まれていました。まるでMETの舞台のようでした。トランペット部隊は舞台上での演奏でしたが、客席に配されているパターンも、会場全体が凱旋シーンに立ち会っているみたいな感じがして、ぽん太は好きです。
 ラダメス役のカルロ・ヴェントレは、以前にトスカで素晴らしい美声を聞かせてくれたので楽しみにしておりました。だけど最初の「清きアイーダ」がアレレという感じ。低音は声が割れたみたいだし、高音も伸びがなく、音程も不正確。調子が悪いのかと心配になるやら残念におもうやらでした。しかしだんだんと調子を上げてきたようで、ちょっと甘い感じの明るい美声を十分に堪能することができました。
 アイーダのラトニア・ムーアは、二の腕の太さが半端じゃないがっしりした体型の黒人女性。とにかく声量がすごかったです。第一幕は一人だけ突出して聞こえましたが、二幕以降は他の歌手と音量が合っていたように思います。ただ、はかなさや哀れさといった繊細な情感には欠けるところがあり、「おおわが故郷 」などもあんまり感動できませんでした。ラストシーンも、お墓と聞いただけで卒倒してしまいそうな乙女が、愛する人のために自ら墓に入る、という感じがいいんですが、ムーアのアイーダは、墓の中でもかなりのあいだ生き延びそうな生命力がありました。
 アムネリスのリアンネ・コルネッティも、ちょと太めで膝がつらそうでしたが、安定した歌唱としっかりした演技でした。堀内康雄のアモナズロが、声も演技もすばらしく、こんかいのアイーダの父親役としてまったく不足がありませんでした。ぽん太は以前に東フィルの「第九」で聴いたことがありますが、オペラでは多分初めて聴かせていただきました。妻屋秀和の魅惑の低音、若き戦国大名のごとき風貌の平野和にも満足。新国立合唱団も大迫力で、ぜひ最後に拍手を送りたかったのですが、カーテンコールに登場せずに残念でした。
 バレエは今回は東京シティ・バレエ団。華やかで迫力がありました。指揮のミヒャエル・ギュットラーはなかなかのイケメン。年齢も若そうですが、東京交響楽団を指揮して、舞台に負けない華麗な音楽を聴かせてくれました。
 舞台の前面に最初から最後までずっと紗幕が降りていたのがちと気になったのですが、必要だったのでしょうか。
 終演が午後6時だったので、幕間に予約して、初めてイタリアレストラン「マエストロ」に行ってみました。内装がちょっと殺風景な気がしましたが、お料理はとてもおいしかったです。「アイーダ」にちなんでエジプト豆のスープが入ってました。


新国立劇場開場15周年記念公演
「アイーダ」
Giuseppe Verdi : Aida
ジュゼッペ・ヴェルディ
2013年3月14日

【指揮】ミヒャエル・ギュットラー
【演出・美術・衣裳】フランコ・ゼッフィレッリ
【照明】奥畑康夫
【振付】石井清子

【アイーダ】ラトニア・ムーア
【ラダメス】カルロ・ヴェントレ
【アムネリス】マリアンネ・コルネッティ
【アモナズロ】堀内康雄
【ランフィス】妻屋秀和
【エジプト国王】平野 和
【伝令】樋口達哉
【巫女】半田美和子

【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京交響楽団
【バレエ】東京シティ・バレエ団、ティアラこうとう・ジュニアバレエ団

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2013/03/16

【歌舞伎】松緑一直線/2013年3月新橋演舞場昼の部

 3月の新橋演舞場花形歌舞伎は、ぽん太は昼の部だけの観劇。演目は「三笠山御殿」と「暗闇の丑松」で。どちらも松緑が主役です。公式サイトはこちらです。
 松緑というと、「時代物は立派だけど世話物は下手」という印象をぽん太は持っていたので、「三笠山」はいいけど「丑松」はダメだろうと予想してました。しかし実際は「丑松」の方がよくって、「三笠山」はちょっと期待はずれでした。

 「妹背山婦女庭訓」の「三笠山御殿」は、2月に文楽で観たばかりの演目。松緑が演じる役は、無骨で荒々しい漁師だが、実は藤原鎌足の重臣の大武将という役柄。いかにも松緑に似合いそう。
 ところが松緑の鱶七は、ガラッパチでやんちゃな感じはしますが、田舎の漁師らしい荒々しさや無骨さ、槍を枕に寝てしまうような剛毅さが感じられず、体も小さく見えました。ぽん太ごときにはその理由は定かではありませんが、時代物らしい様式的な動きやセリフ回しに欠けていた気がします。なんか文楽の人形の演技の方が面白かった気がして、あらためて文楽の素晴らしさを痛感しました。「おれを質に取らしゃると、着る物や道具と違うて代物が飯喰ふぞや飯を」というセリフも、文楽のときはすごくおかしかったけど、なんかあっさり。刀を置くと槍が出てくるあたりも、すんなりと芝居が流れていってしまい、タメがありませんでした。
 菊之助のお三輪は素晴らしかったです。結婚してますます充実か?かわいらしい奥さんがロビーにおりました。テレビではちっちゃく見えましたが、実際は以外と背が高かったです。隣りに写っていた菊之助が長身だったんでしょうか。
 その菊之助がしっかりと「背を盗んで」田舎のウブな娘役を好演。形かたちの決まり、セリフの節回し、セリフや動作のリズム感、いずれもお見事で、観ていると気持ちよくなってきます。これぞ歌舞伎!馬子唄のシーンは、文楽ではお三輪がたどたどしく歌いながら踊るという設定でしたが、歌舞伎では、歌は義太夫さんが見事な喉を聞かせ、踊りは役者が美しいかたちを見せるという具合になっていて、文楽を歌舞伎に移植するときの工夫が見えて面白かったです。最後の嫉妬と怒りに表情が変わっていく様は、文楽では決してできない表現でした。
 亀三郎の烏帽子折求女と右近の橘姫は、まだ匂い立つような色気がありません。團蔵のおむら、彦三郎の蘇我入鹿が、流石の演技で舞台をしめておりました。

 松緑の丑松は、単純で不器用で一直線という設定で、まさに松緑その人という感じだったせいか、以外と面白く、芝居にのめり込むことができました。とはいえ、力んで大声を出せばいいというわけではありません。もうちょっと緩急自在のきめ細かな演技をして欲しいです。
 梅枝のお米も体当たりの演技で悪くありませんでした。板橋宿での丑松とのやりとりも迫力ありましたが、なんか左手が宙ぶらりんで行き場を失って遊んでいる感じがしました。絶望した後の、凄みさえ感じられる哀れさの表現は、まだ不十分でした。
 松緑の一直線の芝居運びに、歌舞伎らしい味わいや彩りを加えていたのがベテラン勢。高麗蔵、萬次郎、團蔵に咲十郎の湯屋番は言うに及ばず。橘太郎の妓夫三吉が秀逸で、最後の「だんな花魁のレコなんでしょ?」(な〜んだ全部わかってたの?)みたいなセリフも、間が最高でした。

 最後に松竹さんに注文。「暗闇の丑松」でどっぷり暗くなったところで帰途につくのはどうも。最後に華やかな所作事でも入れて欲しいです。昔はそんなプログラム構成じゃなかったでしたっけ。それに昼の部は休憩を入れて3時間8分ですが、夜の部はたったの2時間47分。やけに短くて、昼の部と比べても不公平な感じがするのですが……。松竹さん、よろしく。
20130313_1522 帰りがけに歌舞伎座に寄ってみました。あれれ、なんか前と全く同じじゃないの?う〜ん、前の建物はぽん太も嫌いじゃなかったけど、完全保存するほどの名建築ではないような……。中身が心配。


新橋演舞場
三月花形歌舞伎
平成25年3月10日 昼の部

一、妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)
  三笠山御殿
                  お三輪  菊之助
         漁師鱶七実は金輪五郎今国  松 緑
         烏帽子折求女実は藤原淡海  亀三郎
                荒巻弥藤次  歌 昇
                 宮越玄蕃  萬太郎
                入鹿妹橘姫  右 近
               豆腐買おむら  團 蔵
                 蘇我入鹿  彦三郎

二、暗闇の丑松(くらやみのうしまつ)
                暗闇の丑松  松 緑
               丑松女房お米  梅 枝
                岡っ引常松  亀三郎
                料理人祐次  亀 寿
                   熊吉  歌 昇
                  八五郎  萬太郎
                料理人作公  廣太郎
                料理人伝公  廣 松
             四郎兵衛女房お今  高麗蔵
                潮止当四郎  権十郎
                   お熊  萬次郎
                 四郎兵衛  團 蔵

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2013/03/14

【歴史散歩】伊東近辺の曽我兄弟ゆかりの地を訪ねる

Img_4775 2月末、ぽん太とにゃん子は、伊豆の伊東の周辺にある曽我兄弟ゆかりの地を訪ねて来ました。
 曽我兄弟と聞いても知らない人がほとんどじゃないかと思いますが、歌舞伎が好きな人なら誰でも知っています。曽我兄弟の仇討ちを題材にした演目は、「曽我対面」をはじめ「助六」や「外郎売」など多数あり、「曽我物」と呼ばれています。江戸時代には「曽我物」は人気を集め、享保年間(1716年〜1736年)以降の江戸歌舞伎では、正月公演では必ず曽我物を上演するという風習ができました。明治以降、いつまでこの風習が続いたのかは、ちょっと調べてみたのですがわかりませんでした。また、いつ頃から「曽我物語」が誰も知らない話しになったのかも、わかりませんでした。
 江戸時代に有名だった三大仇討ちというのがあり、曽我兄弟の仇討ち、荒木又右衛門の仇討ち、赤穂浪士の仇討ちでした。赤穂浪士の仇討ちは現在でも皆知ってますが、曽我兄弟は歌舞伎の中だけ、荒木又右衛門に至っては歌舞伎でも取り上げられることがないですね。何でこのような差がついたのか、ぽん太の狸脳ではまったくわかりません。
 曽我兄弟の系図に関しては、例えばこちらの富士宮市のサイトが見やすいです。曽我兄弟は、やんちゃな方が五郎で弟、温厚な方が十郎で兄ですね。芥川龍之介が小学校に上がったばかりの頃、大人たちがどちらが兄かわからないなかで、「十郎が兄さんですよ」と答えたという話しが『素描三題』に載っています(青空文庫でテキスト化されてます)。
 で、曽我兄弟のお父さんが河津三郎。相撲の名人で「河津掛け」という相撲や柔道の技の創始者とされております。この河津三郎が、工藤祐経(くどうすけつね)の策略によって、鷹狩りの帰りに矢で射抜かれて殺されてしまったわけです。
 で、曽我兄弟のおじいさん、河津三郎のお父さんが、伊東祐親(いとうすけちか)です。大河ドラマの「平清盛」で峰竜太が演じていた人です。伊豆に流された源頼朝の監視役をしておりましたが、娘の八重姫が頼朝とできてしまって作った子供(千鶴丸)を、祐親が殺してしまう場面が衝撃的でした。
 で、何で工藤祐経が、河津三郎を恨んだかについては、こちらの「伊東家の歴史館」というサイトが詳しいです。左のメニューの「伊豆国の伊東氏」に入り、そのなかの「伊豆国と伊東氏」に入り、ページの真ん中あたりの「<曽我事件の原因>伊東荘をめぐる伊東一家の家督紛争」に書かれています。詳しくは読んでいただくことにして、ここでは概略を書くに留めておきます。系図を見ながらお読み下さい。
 家次(=伊東祐隆=狩野祐隆)の所領のうち、伊東、宇佐見、河津はいまだ相続が決まっておりませんでした。正室とのあいだの長男である祐家が相続すべきでしたが、祐家はそれをまたずに死んでしまいます。その息子祐親はまだ幼かったため、領地は祐継に与えられ、祐親は河津に住まわせられました。やがて家次は亡くなり、祐継も死んでしまいます。残されたのはまだ幼い工藤祐経。すでに成人していた祐親が後見人となりますが、チャ〜ンス到来とばかりに、祐経が15歳になると祐親は、自分の娘万劫を祐経に嫁がせたうえで、祐経を京都に連れて行って平重盛に使えさせます。そうして留守になったところで領地を横領してしまいます。それを知った工藤祐経は、訴訟を起こして領地を取り戻そうとしますが、うまくいきません。最終的には「伊東祐親・工藤祐経両人の所有」みたいな裁定が降りたそうですが、実質は祐親が支配し続けたのかもしれません。
 それを恨みに思った工藤祐経は、安元2年(1176年)に伊東祐親・河津三郎親子の殺害を企てますが、けっきょく河津三郎の命しか奪うことはできませんでした。先ほど述べた、伊東祐親が千鶴丸を殺したのが安元元年(1175年)ですから、その事件のすぐ後に、祐親は息子を殺されたことになりますね。
 こうして見ると、曽我兄弟の仇討ちでは工藤祐経は敵役ですが、伊東祐親も工藤祐経にさんざんひどいことをしていたことがわかります。
 ちなみに工藤祐経は音曲にもすぐれておりました。静御前が捉えられて鎌倉に送られ、頼朝の前で舞を踊らされたとき、伴奏の鼓を叩いていたのが工藤祐経と言われております。


より大きな地図で 伊東周辺の曽我兄弟ゆかりの地 を表示
Img_4770 さて、以上を踏まえた上で、まずは「河津三郎祐泰の血塚」です。地図の青印になります。車で東伊豆道路を下って来た場合、伊豆急行線の陸橋の手前を右に入ります。しばらく進んでから左折して住宅街に入り、さらに右折するのですが、ここらは小さな看板が出ています。左の写真の風景が見えたら、邪魔にならないように車を停め、石畳の道を歩いていきます。1分も歩かずに目的地に到着します。
Img_4771 こちらが「河津三郎祐泰の血塚」。安元2年(1176年)、流罪になっていた源頼朝を慰めるために行われた巻狩りの帰り、工藤祐経の指図で河津三郎祐泰が矢で射殺された現場です。
Img_4772 当時は近くに三本の椎の木があり、そこに隠れていた大見小藤太と八幡三郎が矢を放ったそうです。その椎の木は、残念ながら今はありません。現在ある供養のための宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、南北朝ごろのものと推測されているそうです。
Img_4774 血塚があるのは、このような道沿いですが
Img_4773 案内板によれば、かつて江戸時代には、伊豆の東海岸を通る下田街道がここを通っていたそうで、それを一部復元したものだそうです。下田街道というと、先日ぽん太が訪れた旧天城峠も下田街道でしたが、どちらも下田街道と呼ばれていたそうです。この案内板には、「吉田松陰は下田を目指してここを駆け抜け」たと書かれています。先日訪れた旧天城峠には、捕まった吉田松陰が籠に入れられたこの道を通ったと書いてありました。してみると吉田松陰は、行きは東海岸の下田街道を下り、帰りは旧天城峠を通る下田街道を上ったのか。このあたりの道草はやめておきましょう。
Img_4778 ついで伊東祐親の墓。地図の赤印で、伊東にあります。
Img_4781 こちらが墓石(?)です。
Img_4780 案内板には、「五輪塔の水輪にみられる納骨孔は希少な例証であり」と書いてありますが、何のことなのかぽん太にはわかりませんでした。
Img_4782 次は東林寺。地図の緑印です。
Img_4783 こちらの案内板に書いてあるように、息子河津三郎を亡くした伊東祐親は仏門に入り、このお寺の名を東林寺と改めました。祐親の自刃後、このお寺は伊東家の菩提寺となりました。
Img_4784 本堂の隣りの小山の上です。一番奥が河津三郎の墓、真ん中が曽我十郎の首塚、右手前が曽我五郎の首塚です。また本堂のなかには、伊東祐親や河津三郎の位牌、伊東祐親と千鶴丸の木造などがあるそうですが、日が落ちかかって暗くてよく見えませんでした。
Img_4790 東林寺の境内のタヌキの置物(?)。か、か〜わゆいで〜すね〜(;;;´Д`)。
Img_4791 東林寺の近くにある葛見神社。地図の黄色印です。こちらは伊東家の守護神だそうです。
Img_4793 境内にある巨大な楠は、国の天然記念物に指定されております。
Img_4837 こちらは河津にある河津八幡神社。地図の紫色です。この辺りに河津三郎の屋敷があったと言われています。
Img_4838 境内には河津三郎の像があります。手前には、河津三郎が身体を鍛えるために使ったという力石もあります。
Img_4839 こちらは曽我兄弟の像です。


関連する記事です。
【富士宮】白糸の滝・曽我物語史跡・富士山本宮浅間大社・さの食堂の焼きそば
【雑学】『曽我物語』をみちくさする(河津掛け、「寿曽我対面」)

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2013/03/13

【歌舞伎】勘九郎やるっきゃない/2013年3月赤坂ACTシアター

 ぽん太が「怪談乳房榎」を観るのは3回目。初回は2009年8月の歌舞伎座で勘三郎。2回目は2011年8月の新橋演舞場で、主役が勘太郎(当時)、七之助のお関、獅童の浪江と、メインキャストが今回と同じでした。
 しかし、2回目の記憶がぽん太の頭からすっかり抜け落ちていました。今回の公演を見終わって家に帰り、自分のブログの記事を読み直して、ようやく以前に観たことを思い出しました。
 う〜ん、ぽん太の記憶力低下のせいか、それともぽん太の体調が悪かったのか、はてまた印象に残らないような舞台だったのか……よくわかりません。当時の自分の記事を読み返して見ると、「真面目な勘太郎が一生懸命頑張ってるけど、なんかいっぱいいっぱい」という感じだったのかもしれません。
 でも今回は、とっても楽しめました。
 まずは三役をこなした勘九郎。ACTシアターの客は歌舞伎をあまり観たことがない人が多いのか、早変わりでは「なんで〜」と驚きの声があがってました。うわばみ三次のようなハリのある役はもとより上手な勘九郎ですが、菱川重信は風格があり、そしてなによりも正助は、さすがに勘三郎の至芸にはかないませんが、素直に笑うことができました。まさに伸長著しいという感じ。父親が亡くなって、責任感と、良い意味の居直りが出てきたのかもしれません。
 七之助が重信の妻お関。円朝の原作では、情交を重ねるうちに自ら浪江を求めるようになっていく悪女として描かれていますが、歌舞伎ではあくまでも浪江にだまされた貞淑な妻。そのお関を、七之助はきっちりと演じておりました。でもそうなると、最後にお関の乳房が腫れる理由がわかりにくくなります。この辺は、こんかい乳房榎の場を加えた演出の問題ですね。
 磯貝浪江は中村獅童。前回は、ちんぴらみたいで色気もなければ巨悪っぽさもありませんでしたが、今回はなかなか良かったです。拍手拍手。
 上にもちと書きましたが、十二社の滝の後は、前回は円朝が出て来ましたが、今回は円朝のかわりに松井三郎という人物が加わり、そして乳房榎の場がありました。それによって「怪談乳房榎」というタイトルの意味は理解できましたが、最後の仇討ちシーンは菱川重信の霊の力が加わらないと、辻褄があわない気がしました。またお関が悪女じゃないと、乳房が腫れたのが腑に落ちないのは先ほど述べた通り。
 原作の落語の「乳房榎」ゆかりの場所については、こちらのサイトが詳しいですが、それによると、乳房榎があったのは板橋区赤塚の松月院(たとえばこちら)だそうですが、乳房榎は残っていないようです。『次郎物語』で有名な下村湖人の墓もあるようですね。
 最初の場面は、茶店に「長命寺」と書いてありましたから、墨田区向島の長命寺ですね。例えばこちらをご覧下さい。地図を見るとわかるように、隅田川の向こう側が猿楽町です。今回の舞台の背景には、芝居小屋と、神社のある小山が描かれてました。芝居小屋には、中村屋の角切銀杏(すみきりいちょう)の紋(こちらをどうぞ)がありました。江戸時代の中村座でしょうか?みなさん、気がつきました?その右にあった境内のある小山は、待乳山聖天かもしれません。
Img_0206 ぽん太は乳房榎というのは見たことがありませんが、乳房イチョウは見たことがあります。場所は奇しくも、歌舞伎の創始者出雲の阿国の生まれ故郷で、出雲大社の西、於國塔の登り口にあります。写真のように、まるで乳房のような枝(?)が垂れ下がっています。


中村勘九郎襲名記念
赤坂大歌舞伎
平成25年3月10日

三遊亭円朝 口演
怪談乳房榎(かいだんちぶさのえのき)

  中村勘九郎三役早替りにて相勤め申し候

          菱川重信/下男正助/うわばみ三次  中村勘九郎
                     重信妻お関  中村七之助
                      松井三郎  片岡亀 蔵
                      磯貝浪江  中村獅 童

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2013/03/12

【フロイト「不気味なもの」を読む(4)】ホフマンの『砂男』のフロイトによる要約(p16〜22)

 さて、前回の記事に書いたように、フロイトは本論文の記述を、1:unheimlichという単語そのものを調べる、2:不気味なものの感情を呼び起こす事例を集め、共通する性質を推し量る、という順序で行うと述べましたが、いよいよ「2」の部分に入ります。
 フロイトは再びイェンチュから出発します。イェンチュは、不気味な効果を生み出す特別効果的な例として、生きているように見えるものが本当は生命がない場合や、生きていないはずのものが本当は生きているかもしれないと疑われる場合をあげていました。そして文学においてそれが、登場人物が人間なのか自動人形なのかはっきりしない、という技巧としてよく使われ、その第一人者としてホフマンの名前を挙げました。
 イェンチュはホフマンの具体的な作品名は挙げていませんが、フロイトは『砂男』を取り上げます。
 以下ぽん太は『砂男』に関しては、『ホフマン短編集』(池内紀編訳、岩波書店、1984年)を参照することにし、ページを付記した場合はこの本のページとします。またこの作品は手に入りやすいので、あらすじ等は省略いたします。
 『砂男』のドイツ語原文は、下記のサイトで読むことができます。
http://www.zeno.org/Literatur/M/Hoffmann
 フロイトは、『砂男』には確かに自動人形オリンピアが登場しますが、不気味なのはオリンピアよりも、砂男という登場人物だろうと言います。
 このあとフロイトは、18ページから21ページまで、『砂男』の内容を要約します。この要約に関して、いくつか気付くことを指摘しておきましょう。
 まずフロイトの要約では、ナタニエルとクララ(そしてロタール)とのやり取り、そしてナタニエルがオリンピアに対して恋に落ちる下りは、ばっさりと省略されています。これはフロイトが論考において、「砂男のモチーフ」を中心に据えているためだと思われます。
 仕事部屋に隠れていたナタニエルがコッペリウスに見つかったとき、コッペリウスは「炎のなかから灼熱した粒を取ってきて子供の目の中にまき散らそうとする」(19ページ10行目)と書かれていますが、池内訳では「炎の中からまっ赤に燃える火の玉を二つ取り出すと、ぼくの目に押しこもうとする」となっております。これは、原文に当たってみるとフロイトの方が正しいようです。そもそも砂男は、子供の目の中に砂を入れて目玉を奪っていくのですから、池内訳では筋が通りません。
 コッポラがナタニエルの目の前に眼鏡を並べ出したとき、「学生はぎょっとするが、差し出された目がどうということもない眼鏡にすぎないことが判明して、恐怖心はやわらぐ」(20ページ3〜4行目)とフロイトは書いてありますが、池内訳では、コッポラが今度は望遠鏡を取り出して並べ、眼鏡をしまい込んだので気持ちが落ち着いたことになっております。こちらは原文をチェックすると池内の勝ち。
 次に、コッポラがスパランツァーニからオリンピアを奪っていった場面。「機械技師スパランツァーニは、オリンピアの床にころがった血まみれの両目をナタニエルの胸に投げつけながら、それはコッポラがナタニエルから盗んだものだと言う」(20ページ9〜10行目)。池内訳では「ーー畜生、目玉を盗まれたーー追っかけろ、取りもどしてくれ、オリンピアを取りもどすんだーーおっ、そこに目玉があるぞ、ほら、そこだ!」(202〜203ページ)。池内訳の「目玉を盗まれた」という部分は、ドイツ語にあたってみるとdie Augen dir gestohlenですから、「お前(ナタニエル)から盗んだ目だ」が正解でしょう。しかしナタニエルの目玉を盗んだのがコッポラということは、原文には書かれていません。ただ、ちょっと前のコッポラがスパランツァーニが争っている場面でコッポラは、目玉を作ったのは俺だと言ってますから、コッポラが盗んだのかもしれません。では、いつコッポラがナタニエルの目玉を盗んだのかというと、それははっきりとは書かれていません。怪しいのは、コッポラがナタニエルに眼鏡を売りつけようとして、机の上いっぱいに眼鏡を並べ、それを再びしまったときです。このとき「やがて燃えるような眼差しが入り乱れて交錯し、ついにはまっ赤な光の束となってナタニエルの胸を射すくめた」(185ページ)と書いてありますが、これはかつてナタニエルが書いた詩の「するとその(クララの)目が血のように赤い火花となってナタナエルの胸に落ちてくる」(170ページ)を思い出させ、「目が落ちる」ということを連想させます。眼鏡ではなく望遠鏡をナタニエルに売りつけたコッポラが、大笑いをしながら階段を降りていくところも(168ページ)、ナタニエルは言い値で望遠鏡を買ったからだと解釈しておりますが、まんまと目玉を盗むのに成功したからかもしれません。ただこの辺りはホフマンがわざと曖昧に書いていると思うので、あれこれ詮索するのは、すでにホフマンの術中にはまっているのかもしれません。
 次いで、正気に戻った(と見える)ナタニエルがクララと塔の上に登る最後の場面。フロイトの要約では、「路上を近づいてくる何やら怪しげなものの姿がクララの注意を引きつける。ナタニエルは、コッポラの望遠鏡がポケットに入っているのに気づいて、この物体を観察する」(21ページ1〜2行目)とし、「彼(コッペリウス)が近づいてくるのを目撃したことこそが、ナタニエルに狂気の発作を引き起こしたと考えてよいだろう」(21ページ6〜7行目)と、フロイトの解釈を付け加えております。しかし池内訳では「小さな暗い薮かしら。変ね、なんだかこちらに近づいてくるみたい」(207ページ)というクララの台詞があるだけで、「路上を」という部分はありません(ドイツ語原文も同じ)。また「ナタニエルはコッポラの望遠鏡に気がついた。取りだして目にそえるとーーレンズのすぐ前にクララがいた!」(同ページ)となっており、ナタニエルは望遠鏡でクララを見つめているうちに発狂したのであり、コッペリウスは見てもいないはずです。ナタニエルがかつて、自分の部屋からまったく同じ望遠鏡で、オリンピアを凝視していたことが思い出されます。またクララが、例えば「冷淡でおもしろみのない女だという人も少なくない」(175ページ)というように、オリンピアと交差するようにホフマンが描いていることはいうまでもないでしょう。ここは、この小説の不気味さがオリンピアではなく砂男(コッペリウス、コッポラ)にあると主張したかったフロイトの、「フロイト的言い間違い」なのかもしれません。

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2013/03/06

【バレエ】ベジャールの熱狂とジル・ロマンの繊細さ/モーリス・ベジャール・バレエ団<Aプロ>

 モーリス・ベジャール・バレエ団の2013年日本公演、こんかいは日程の関係でAプロのみの鑑賞でした。公式サイトはこちら。ダンサーたちの迫力、ベジャールのダイナミックな振付け、そしてジル・ロマンの繊細な美意識が楽しめました。あゝ、よきかな、よきかな。
 まずは「ディオニソス組曲」。ぽん太は初めて観る演目でした。公式サイトの解説によれば、ニーチェの思索を舞台に再現した大作「ディオニソス」から一部を抽出して作られたものだそうです。
 ギリシャを題材にしたベジャールの作品というと「ギリシャの踊り」が思い出されますが、そちらが地中海をはじめとするギリシャの自然を描いているとすれば、「ディオニソス組曲」はギリシャの人間を表現しているように思われます。
 ディオニソスはギリシャ神話の神様ですが、バッカスという別名の方が有名かもしれません。ディオニソスはローマ神話ではバックスという名前で、その英語読みがバッカスです。お酒の神様ですね。
 ということでベジャールの振付けも、「ギリシャの踊り」とは全く異なり、エネルギッシュで熱狂的で艶やかで、ときには猥雑な印象さえ受けるものでした。赤いコスチュームも情熱的でした。背景には横尾忠則の絵が使われていました。「ディオニソス組曲」の元の「ディオニソス」の初演は1984年とのこと。横尾忠則のいわゆる「画家宣言」が1982年ですから、その直後ですね。なんだか懐かしいです。
 ダンサーたちのパフォーマンスは迫力満点。とっても素晴らしかったです。バックで踊っていた日本人は大貫真幹でしょうか、キレのある踊りで要所ようしょのポーズが美しかったです。
 次はジル・ロマン振付けの「シンコペ」。フランス語の題名は「SYNCOPE」で、発音はカタカナで書けば「サンコープ」という感じでしょうか、音楽のシンコペーションという意味と、医学の失神・心停止という意味があります。題名の通り、シンコペーションを多用した音楽が使われたり、ときどきダンサーが卒倒したりしてました(最後は突然息を吹き返すというコミカルな演出でした)。コスチュームも含め、繊細でオシャレでちょっとユーモラスな作品でした。電灯女、ソファのなかに飲み込まれてくぐり抜ける、籠のなかの鳥、突然広がる羽など、幻想的イメージがたくさんちりばめられていて素敵でしたが、なんか前回の「アリア」もそうでしたが、ちょっと小道具に頼りすぎる気もしないでもありません。踊りも繊細でしたが、やはり手足の細かい動きが多いようで、次はもっとダイナミックな踊りも見てみたいです。
 最後は「ボレロ」。メロディはエリザベット・ロスでした。身体パフォーマンスとしては、例のジャンプの連続で脚の引きつけが不十分だったりしましたが、独特の雰囲気と魅力がありました。妖艶というわけではなく、ギエムのようなエネルギッシュさでもないのですが、男をはべらせる存在感とカリスマ性が感じられました。またぽん太は今回はじめて、リズムの踊りの美しさに目が行きました。
 今回の公演は録音テープが使われておりましたが、音質がなかなかよかったです。公演によっては、運動会の拡声器みたいな音質の時がありますが、NBSさん、今後もこの音響システムでお願いします。

モーリス・ベジャール・バレエ団 2013年日本公演
<Aプロ>
2013年3月3日(日)東京文化会館


「ディオニソス組曲」
振付:モーリス・ベジャール  音楽:マノス・ハジダキス

ディオニソス:オスカー・シャコン
ギリシャ人:マルコ・メレンダ
ゼウス:ジュリアン・ファヴロー
セメレー:カテリーナ・シャルキナ
マヌーラ・ムウ*:リザ・カノ(*ギリシャ語で"私のお母さん"の意)

タベルナ(居酒屋)の人々
ギリシャの女:リザ・カノ
上流社会の婦人:マーシャ・ロドリゲス
アナーキスト:フロレンス・ルルー=コルノ
娘:ジャスミン・カマロタ
二人の水夫:那須野圭右、ヴィタリ・サフロンキーネ
労働者:フェリペ・ロシャ
ジゴロ:ローレンス・リグ
学生:ウィンテン・ギリアムス、エクトール・ナヴァロ
船長:アンジェロ・ムルドッコ
ならず者:ファブリス・ガララーギュ
ギリシャの農民:ホアン・ヒメネス
若者:大貫真幹
他、モーリス・ベジャール・バレエ団


「シンコペ」
振付:ジル・ロマン  音楽:シティ・パーカッション

序曲:ガブリエル・アレナス・ルイーズ-エリザベット・ロス
水滴の踊り:
カテリーナ・シャルキナ-オスカー・シャコン
キャサリーン・ティエルヘルム-ホアン・ヒメネス
ジャスミン・カマロターネ-マルコ・メレンダ
キアラ・パペリーニ- エクトール・ナヴァロ
フロレンス・ルルー=コルノ-ウィンテン・ギリアムス
ソロ:ガブリエル・アレナス・ルイーズ
トリオ:カテリーナ・シャルキナ-オスカー・シャコン-ホアン・ヒメネス
パ・ド・ドゥ:アランナ・アーキバルド-ガブリエル・アレナス・ルイーズ
パ・ド・ドゥ:カテリーナ・シャルキナ-オスカー・シャコン
白衣の踊り:
キャサリーン・ティエルヘルム、シモナ・タルタグリョーネ、フロレンス・ルルー=コルノ、
キアラ・パペリーニ、リザ・カノ、エクトール・ナヴァロ、マルコ・メレンダ、
ウィンテン・ギリアムス、ホアン・ヒメネス
パ・ド・ドゥ:コジマ・ムノス-アンジェロ・ムルドッコ
若者の踊り:
ガブリエル・アレナス・ルイーズ、オスカー・シャコン、エクトール・ナヴァロ、
マルコ・メレンダ、ウィンテン・ギリアムス
ソロ:エリザベット・ロス
フィナーレ:全員


「ボレロ」
振付:モーリス・ベジャール  音楽:モーリス・ラヴェル

メロディ:エリザベット・ロス
リズム:那須野圭右、マルコ・メレンダ、アンジェロ・ムルドッコ、イェー・ルッセル
他、モーリス・ベジャール・バレエ団

協力:東京バレエ団、東京バレエ学校

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2013/03/04

【フロイト「不気味なもの」を読む(3)】イェンチュ批判/unheimlichの語義(p4〜16)

 イェンチュの論文を踏まえたうえで、フロイトのテキストに戻りましょう。
 フロイトは、不気味なものの感受性が人によって異なるというイェンチュの指摘を認めています(4ページ:岩波書店版の「フロイト全集17」、以下同様)。
 しかしすぐさま、不気味なものは「旧知のもの、とうの昔から馴染みのものに起因するのだ」(5ページ)と書いて、新規なもの・なじみのないものが不気味さを生み出すというイェンチュの考えを乗り越えてみせます。
 ここでフロイトは、不気味なものの二つの研究方法を提示します。すなわち、
  1:unheimlichという単語そのものを調べる。
  2:不気味なものの感情を呼び起こす事例を集め、共通する性質を推し量る。
 フロイトの研究の過程は、「2→1」という道筋を辿りましたが、本論文の叙述は「1→2」という順序で行うことを宣言します。

 ということで、まず1のunheimlichという単語の分析です。
 イェンチュもそれが、heimlich(わが家の)の反対語(un)であることを指摘し、不気味なものとは新しいもの、なじみのないものと結論し、その本質は知的不確かさであると主張しておりました。Heimが家や家庭を現すというのは、セキスイハイムのハイムさんで有名ですね。しかしフロイトは、イェンチュの説明では十分でないと考えます。
 まずフロイトはドイツ語以外で不気味なものを意味する単語を一瞥しますが、思うような成果は得られなかったようです。ちなみに日本語の「不気味」も「感じが悪い」という意味ですから、unheimlichのニュアンスはありませんね。
 フロイトはドイツ語に話しを戻し、まずダニエル・ザンダースのドイツ語辞典の「heimlich」の記述を長々と引用します。おっと〜ここで誤訳発見!翻訳では「「不気味な」という単語」(7ページ5行目)と訳していますが、ここは「「heimlich」という単語」にしないと意味がつうじません。ドイツ語の原文でもそうなっております(ドイツ語原文へのリンクは、この記事のシリーズの(1)にあります)。っていうか、この翻訳では、ゴシック体の部分のどれがheimlichでどれがunheimlichだかがわからないですネ。あゝ、12ページの終わりから2行目以降の「不気味」と訳しているのがunheimlichなのか……。
 ということでフロイトは、unheimlihではなくheimlichの項を引用します。
 引用の中身は省略しますが、結論を述べると、「heimlichという単語自体が、1:馴染みのもの、居心地がいいもの、2:隠されたもの、秘密にされているもの、という二重の意味を持つ。そしてunheimlichは1の反意語として使われるが、2の反意語として使われることはない」ということになりましょう。
 引用の中でフロイトは、シェリングの『神話の哲学』の「秘密に、隠されたままに……とどまっているべきなのに現れ出てしまったものをすべて、われわれは不気味(unheimlich)と呼ぶ」に注意を促しております。これは……原典に当たらなくてもいいですよね。
 さて、heimlichが二重の意味をもつことはわかりましたが、その前後関係、どちらからどちらの意味が出て来たのかはわかりません。ここで登場するのが、語義の変遷に詳しいグリム兄弟の『ドイツ語辞典』です。グリム兄弟は『グリム童話』で有名ですが、辞書も編纂してたんですね。コトバンクを見ると、全16巻32冊の膨大な辞典で、立案から120年後の1960年に一応の完成を見たんだそうです。
 で、この辞典によって明らかになるのは、heimlichが「家庭の」という意味から「他人の目を逃れた、隠された、秘密の」という意味を持つようになり、ここからunheimlich(不気味な)の意味をも取り込むようになった、ということです。フロイトは自分の「両価性」という用語をあてて、この事実を強調しています。

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