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2013年5月の10件の記事

2013/05/30

【バレエ】ありがとう、そしてさようなら!<マラーホフの贈り物 ファイナル!>Bプロ

 5月26日の日曜日にBプロを観に行って来ました。今回でファイナルという「マラーホフの贈り物」の楽日ということで、最後は何度もカーテンコールが繰り返され、観客全員がスタンディング・オベーションという盛り上がりでした。ううう、感動。公式サイトはこちらです。

 まずは「シンデレラ」って、前回見たやん。なんか今回のプログラムは、AプロとBプロの重複が多くて、ぽん太はちょっとご不満です。
 アイシュヴァルトとラドメーカーの「椿姫」第1幕のパ・ド・ドゥは、観客の反応もよかったですが、ぽん太も感動しました。ラドメーカーの美形の純朴な若者の一途な愛に、手練手管を知り尽くしているはずの高級娼婦のアイシュヴァルトが、次第に娘のように胸をときめかせていく様子に、ぽん太もドキドキしました。
 スミルノワとチュージンの「ジュエルズ」より“ダイヤモンド”。きれいで悪くはないけど、今回のボリショイ・ペアは、これと「白鳥」だけ。もっと違った踊りも見てみたいです。
 タマズラカルの「レ・ブルジョワ」はAプロと重複ですが、何度みても楽しく愛らしいです。
 「ライト・レイン」は初めて観る演目。ラカッラとディノのコンテンポラリーは、Aプロの「トゥー・タイムス・トゥー」は暗くてよく見えませんでしたが、今回はよく見えました。ラカッラが非常に柔軟なこともわかったし、ディノも細マッチョで、Aプロの「椿姫」第3幕パ・ド・ドゥの愛の情熱の表現はいまいちでしたが、コンテでは雰囲気がありました。
 「バレエ・インペリアル」は水香ちゃんの予定でしたが、リハーサル中に足を骨折したとのことで、サレンコが踊りました。Bプロはサレンコが3演目。ご苦労様です。踊りとしてはぽん太はちと退屈でした。
 すばらしい「椿姫」を踊ったアイシュヴァルトとラドメーカーの「ロミジュリ」のバルコニーシーン。悪くはないんだけど、ぽん太はいまひとつ物足りなかったです。っていうか、クランコ版の振り付けがあまり好きではありません。マクミラン(やヌレエフ)の方が好きです。
 サレンコとタマズラカルの陽気なナポリの舞踏「タランテラ」。明るくて楽しかったです。
 ラカッラ/ディノの「椿姫」第2幕のパ・ド・ドゥ。ディノは、Aプロの第3幕パ・ド・ドゥでは恋の情熱の表現がちょっと物足りなかったですが、第2幕では純朴な青年という役柄だったので、悪くなかったです。ラカッラは、ちょっとアルゼンチンを思わせる面立ちですね。ぐぐってみたら、スペイン人とのことでした。
 スミルノワ/チュージンの「黒鳥」はAプロと同じ。
 ラストのラストは、マラーホフの「ヴォヤージュ」。ぽん太は初めて観る演目で、モーツァルトのピアノ・コンチェルトに振り付けたコンテンポラリー作品です。衣装は、白いざっくりしたスラックスと、上半身は裸の上に同じ素材の上着という出で立ちですが、またしても柔道着を着たチャック・ウィルソンが頭に浮かんできました。でも、踊りはすばらしかったです。


<マラーホフの贈り物 ファイナル!> Bプロ
2013年5月26日  東京文化会館

「シンデレラ」
振付:ウラジーミル・マラーホフ 音楽:セルゲイ・プロコフィエフ
ヤーナ・サレンコ、ウラジーミル・マラーホフ

「椿姫」より第1幕のパ・ド・ドゥ
振付:ジョン・ノイマイヤー 音楽:フレデリック・ショパン
マリア・アイシュヴァルト、マライン・ラドメーカー

「ジュエルズ」より"ダイヤモンド"
振付:ジョージ・バランシン 音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
オリガ・スミルノワ、セミョーン・チュージン

「レ・ブルジョワ」
振付:ヴェン・ファン・コーウェンベルク 音楽:ジャック・ブレル
ディヌ・タマズラカル

「ライト・レイン」
振付:ジェラルド・アルピノ 音楽:ダグ・アダムズ
ルシア・ラカッラ、マーロン・ディノ

「バレエ・インペリアル」
振付:ジョージ・バランシン 音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
ヤーナ・サレンコ、ウラジーミル・マラーホフ
東京バレエ団

「ロミオとジュリエット」より第1幕のパ・ド・ドゥ
振付:ジョン・クランコ 音楽:セルゲイ・プロコフィエフ
マリア・アイシュヴァルト、マライン・ラドメーカー

「タランテラ」
振付:ジョージ・バランシン 音楽:ルイス・モロー・ゴットシャルク
ヤーナ・サレンコ、ディヌ・タマズラカル

「椿姫」より第2幕のパ・ド・ドゥ
振付:ジョン・ノイマイヤー 音楽:フレデリック・ショパン
ルシア・ラカッラ、マーロン・ディノ

「白鳥の湖」より"黒鳥のパ・ド・ドゥ"
振付:マリウス・プティパ 音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
オリガ・スミルノワ、セミョーン・チュージン

「ヴォヤージュ」
振付::レナート・ツァネラ 音楽:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
ウラジーミル・マラーホフ

ピアノ:青柳 晋(「椿姫」より第2幕のパ・ド・ドゥ)

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2013/05/29

【歌舞伎】玉三郎と菊之助の競演「京鹿子娘二人道成寺」2013年5月歌舞伎座第2部、第3部

 5月の歌舞伎は第2部と第3部を観劇しました。公式サイトはこちらです。
 「伽羅先代萩」は、藤十郎の政岡、秀太郎の静御前、梅玉の八汐、床下に変わってからは幸四郎の仁木弾正に吉右衛門の荒獅子男之助という豪華メンバー。さすがに堂々たる舞台でしたが、「飯炊き」もない縮小版だったのが残念。
 仁左衛門・玉三郎の「吉田屋」は、2009年4月の歌舞伎座さよなら公演で観ましたが、杮葺落公演での再演となりました。「吉田屋」に関しては、藤十郎だとなんだかだだっ子みたいになってしまうので、可愛らしくて色っぽい仁左衛門の方がぽん太は好きです。玉三郎の夕霧も、格調ある色気でした。
 第三部に入って、吉右衛門の「梶原平三誉石切」。吉右衛門の梶原景時は、笑みを浮かべて声を張り上げたときなどの大きさや明るさがすばらしかったです。菊五郎の大庭景親も、敵役ながら憎々しげでないのがよかったです。でも、なぜかこの演目、ぽん太はあまり好きじゃありません。
 そして最後に玉三郎と菊之助の「京鹿子娘二人道成寺」。美しさといい、芸のレベルといい、格調といい、最高の舞台でした。この二人の「娘二人道成寺」を見るのはたしか3回目で、最初に見たのはいつだったでしょうか、ブログを書き始める前だったのでよくわかりません。そのときは、玉三郎がリードして、菊之助が一生懸命ついていくという感じでした。しかし今回は互角というか、ところによっては菊之助が玉三郎を上回っているところも感じられ、最高レベルの芸のぶつかり合いを堪能することができました。菊之助、だいぶ身体を絞ったのでしょうか、顎のラインがシャープでした。
 「京鹿子娘二人道成寺」は普通の道成寺に比べて、二人の鏡像的な関係が怪しく感じられ、また色気の表現が艶かしいです。いったいいつ頃作られたんでしょうか。さいきん筋書きを買わないので、前回見た時の筋書き(平成21年2月)を見てみました。それによれば、「娘道成寺」を二人で踊るという趣向は天保時代からありましたが、このバージョンは平成16年1月の歌舞伎座が初演だそうです。そして演者は常に玉三郎と菊之助。ということは、玉三郎の振付けかしらん。どうりで現代風だと思いました。


歌舞伎座新開場
杮葺落五月大歌舞伎
平成25年5月23日 歌舞伎座

第二部

一、伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)
御殿
床下  
   〈御殿〉          
    乳人政岡  藤十郎
     沖の井  時 蔵
      松島  扇 雀
     栄御前  秀太郎
      八汐  梅 玉
   
   〈床下〉          
    仁木弾正  幸四郎
  荒獅子男之助  吉右衛門

二、夕霧 伊左衛門 廓文章(くるわぶんしょう)
吉田屋   
  藤屋伊左衛門  仁左衛門
吉田屋女房おきさ  秀太郎
   阿波の大尽  秀 調
   太鼓持豊作  千之助
    番頭清七  桂 三
 吉田屋喜左衛門  彌十郎
    扇屋夕霧  玉三郎

第三部

一、梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)
  鶴ヶ岡八幡社頭の場
   
  梶原平三景時  吉右衛門
       梢  芝 雀
  俣野五郎景久  又五郎
     奴萬平  錦之助
    山口十郎  歌 昇
    川島八平  種之助
    岡崎将監  米 吉
    森村兵衛  隼 人
    剣菱呑助  彌十郎
    六郎太夫  歌 六
  大庭三郎景親  菊五郎

二、京鹿子娘二人道成寺(きょうかのこむすめににんどうじょうじ)
  道行より鐘入りまで
   
   白拍子花子  玉三郎
   白拍子花子  菊之助
      所化  團 蔵
       同  権十郎
       同  宗之助
       同  萬太郎
       同  巳之助
       同  尾上右近
       同  米 吉
       同  廣 松
       同  隼 人
       同  虎之介

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2013/05/28

【バレエ】ふ……太った?<マラーホフの贈り物 ファイナル!>Aプロ

 1996年に始まった「マラーホフの贈り物」も、今年が最後とのこと。う、う、う、哀しいです。どうしてなんでしょう。ってことで、まずはAプロから。アイシュヴァルトとラドメーカーの来日が遅れたり、マラーホフ自身も左足のふくらはぎに違和感を感じたりと、いくつか演目の変更があったようです。公式サイトはこちらです。
 まずは「白鳥の湖」の第2幕から。東京バレエ団のコールドで四羽の白鳥なども付いて、グラン・アダージョから第2幕の終幕の「情景」の前まで。三羽の白鳥は省略だったかな……ううう、忘れた。ボリショイ・バレエの新鋭オリガ・スミルノワはぽん太は初めて見ました。確かに美人でプロポーションもよく、派手さはありませんが内面的な深みを感じさせ、本格派の予感がしました。
 次いで「トゥー・タイムス・トゥー」。振り付けのラッセル・マリファントは、ギエムと踊るのを何回か見ました。潜水艦のソナーのような音から始まり、次第に激しくなっていく音楽。天井らか照らされた四角しスポットライトのなかで踊るコンテンポラリー・ダンスです。視覚的に面白く、最後の方でスポットライトがロの字型(真ん中はライトが当たっていない)となり、振り回した手足の先だけが光るのも印象的でした。ルシア・ラカッラとマーロン・ディノのミュンヘン・コンビもぽん太は初めて見ましたが、ダンスの良し悪しは、舞台が暗くてよくわかりませんでした。
 「ギルティー」は、ショパンのノクターンにのせて、シュツットガルトのラドメーカーが、現代人の孤独と詩情を踊り上げました。
 次は吉岡美佳とマラーホフの「ラ・ペリ」。いつもはクールなマラーホフがにかっと笑って白い歯を見せてますが、なんか顔もむくんでるみたいで、昔のチャック・ウィルソンを思い出しました。ひょっとして太った?なんだか腹回りもだぶついていた気がします。マラーホフ自身の振り付けだそうですが、ゆっくりした動きの古典的なバレエで、あんまり面白くありませんでした。
 前半の〆はサレンコ、タマズラカルのベルリン国立バレエ組で、「海賊」より奴隷のパ・ド・ドゥ。「海賊」というからいつものやつかと思ったら、違ってました。非常に溌剌としたメリハリのある踊りで、表情も豊かで、リフトも高く美しくかったです。タマズラカルのジャンプもなかなかでした。
 後半に入って、まずサレンコとマラーホフの「シンデレラ」。これもなんだか動きがゆっくり。マラーホフって、振り付けは苦手なのかしらん。
 「フランク・ブリッジの主題による変奏曲」は、アイシュバルト、ラドメーカーのコンテンポラリーでしたが、なんだか覚えてない。よっとして寝てたか。
 「レ・ブルジョワ」は、タマズラカルが、シャンソンにのせて酔っぱらいのおじさんをコミカルに踊ります。「ベルリン」というよりは「パリ」のようなエスプリを感じさせる踊りです。タマズラカルって何人なんだろう?ベルリン国立バレエの公式サイトのプロフィール(こちら)を翻訳ソフトにかけて読んでみると、モルドバ生まれとのこと。ルーマニアとウクライナのあいだにある東欧の国ですね。どんな国なのかちっともわかりません。
 ラッカラ/ディノのミュンヘン・ペアの「椿姫」第3幕のパ・ド・ドゥは、ラッカラの方ははかなげで良かったけれど、ディノは若すぎて、燃えるような愛の情熱を表現するのはちょと無理。ルグリの印象が強烈なせいかもしれないけど。先走って書くと、Bプロの「椿姫」第2幕のパ・ド・ドゥでは、「純朴な青年」という感じがディノに合ってて悪くありませんでした。
 前半で「白鳥」を踊ったスミルノワが、今度は同じくボリショイのチュージンと「黒鳥」。チュージンは岩田さんが道化をやったときのボリショイの来日公演で王子を見ましたが、今回も大きくのびやかな踊りでした。グラン・フェッテは高速ではありましたが、すべてシングルなのがガラだとちと物足りないです。
 最後はマラーホフの「瀕死の白鳥」。ついに「マラーホフ・パンツ」で登場しましたが、お腹のたるみが気になりました。2010年に見た演目ですが、太ってもマラーホフ。造形的な美しさと精神性がすばらしかったです。


<マラーホフの贈り物 ファイナル!>Aプロ
2013年5月22日 東京文化会館

「白鳥の湖」第2幕より
振付:レフ・イワーノフ 音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
オリガ・スミルノワ、ウラジーミル・マラーホフ
東京バレエ団

「トゥー・タイムス・トゥー」
振付:ラッセル・マリファント 音楽:アンディ・カウトン
ルシア・ラカッラ、マーロン・ディノ

「ギルティー」
振付:エドワード・クルグ 音楽:フレデリック・ショパン
マライン・ラドメーカー

「ラ・ペリ」
振付:ウラジーミル・マラーホフ 音楽:ヨハン・ブルグミュラー
吉岡美佳、ウラジーミル・マラーホフ

「海賊」より奴隷のパ・ド・ドゥ
振付:マリウス・プティパ 音楽:コンスタンティン・フリードリヒ・ペーター
ヤーナ・サレンコ、ディヌ・タマズラカル

「シンデレラ」
振付:ウラジーミル・マラーホフ 音楽:セルゲイ・プロコフィエフ
ヤーナ・サレンコ、ウラジーミル・マラーホフ

「フランク・ブリッジの主題による変奏曲」
振付:ハンス・ファン・マーネン 音楽:ベンジャミン・ブリテン
マリア・アイシュヴァルト、マライン・ラドメーカー

「レ・ブルジョワ」
振付:ヴェン・ファン・コーウェンベルク 音楽:ジャック・ブレル
ディヌ・タマズラカル

「椿姫」より第3幕のパ・ド・ドゥ
振付:ジョン・ノイマイヤー 音楽:フレデリック・ショパン
ルシア・ラカッラ、マーロン・ディノ

「白鳥の湖」より"黒鳥のパ・ド・ドゥ"
振付:マリウス・プティパ 音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
オリガ・スミルノワ、セミョーン・チュージン

「瀕死の白鳥」
振付:マウロ・デ・キャンディア 音楽:カミーユ・サン=サーンス
ウラジーミル・マラーホフ

ピアノ:菊池洋子 (「ギルティー」、「椿姫」)

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2013/05/25

【オペラ】斬新な演出と高水準の歌唱「ナブッコ」新国立オペラ

 なぶっこ……。変な題名です。ヴェルディの作曲とのことですが、ぽん太は聞いたこともありません。なんでもヴェルディが28歳の頃に作曲したもので、オペラとして3作目、彼の出世作なんだそうです。ストーリーはバビロン捕囚を題材にしているそうです。紀元前6世紀、新バビロニアのネブカドネザル王(この人がナブッコですね)がエルサレムに侵攻し、多くのユダヤ人を連れ去ってバビロニア(今のイラクあたり)に移住させた事件です。ネブカドネザル王は単なる侵略者ではなく、首都バビロニアの再建といった文化事業も手がけたそうで、「空中庭園」や「イシュタル門」を持つ王宮は、ギリシャ人たちも目を見張ったそうです。「イシュタル門」はベルリンのペルガモン博物館に復元展示されているそうです……って、ぽん太はこれ見たやん。
Img_0736 左の写真が、ぽん太が2010年のゴールデンウィークにペルガモン博物館を訪れた時に撮った「イシュタル門」です。青いレンガで造られた門の上に、想像上の動物が浮き彫りで描かれています。エジプトだかバビロニアだか区別がつかなかったけど、あのとき見た門がネブカドネザル王が造ったものだったのか!
Img_0734 そしてこちらが、イシュタル門に続く「行列通り」。ライオンが描かれています。これでも規模を縮小して再現したものだそうです。
 こんかいの舞台は、歌手たちがすばらしく、またショッピングセンターを舞台にした演出も面白く、かなり高水準の公演だったと思います。新国立劇場の特設サイトはこちら、公式サイトはこちらです。
 開演前、客席に座って舞台を見ると既に幕が開いています。3階建てくらいのショッピングセンターになっていて、人々が三々五々買い物を楽しんでおります。様々なテナントが入っていて、パソコンショップには、洋梨をひとかじりしたようなマークが。アッ●ルかよ!エスカレーターまでありますが、さすがに動いてはおらず、階段になってます。ユダヤ人が物欲に取り憑かれた人々で、バビロニア軍は、ショッピングセンターを急襲するテロリスト(?)という設定でした。
 演出家グラハム・ヴィックは斬新な演出で定評があるそうで、プログラムに収録されたインタビューによれば、西洋人にとっては常識である唯一神という観念が、日本人にはわかりにくいということから、このような演出を考えたそうです。ただ、消費社会に踊らされていた人々が最後に自然に目覚めるというのは、メッセージとしてはちと古めかしい気もしました。
 歌手では、アビガイッレ役のマリアンネ・コルネッティが、豊かな声量を活かして迫力ある歌声を披露しました。先日の『アイーダ』でアムネリスを聴いたばかり。あいかわらずの巨体ですが、膝は前よりよくなったみたいでした。以前に『ドン・ジョヴァンニ』のタイトルロールを観たルチオ・ガッロのナブッコも、前半のユダヤ人を侵略する王の威厳と風格、後半の王位を奪われて気がふれる苦渋を見事に表現しておりました。ザッカリーア役のコンスタンティン・ゴルニーも、予言者らしい迫力あるバス。イズマエーレの樋口達哉が、明るくのびやかなテノールを聴かせ、声量でも負けておりませんでした。アンナ役の安藤赴美子、途中まで遠目に外人さんかと思ってました。妻屋秀和が祭司長。いつもながら新国立劇場合唱団がすばらしく、特に「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」には盛大な拍手が送られました。この曲、イタリアでは第二の国家と呼ばれるほど有名なんですってね。
 音楽は、やはりヴェルディにしては古風で、ナンバー曲が次々と歌われる感じ。しかも曲がカンツォーネ風で、激しい歌も哀しい歌も、どれも明るい曲調です。指揮とオケの良し悪しは、いつもながらぽん太にはわかりません。


『ナブッコ』
[新制作]
Giuseppe Verdi : Nabucco
ジュゼッペ・ヴェルディ/全4幕
2013年5月19日 新国立劇場オペラ劇場

【指揮】パオロ・カリニャーニ
【演出】グラハム・ヴィック
【美術・衣裳】ポール・ブラウン
【照明】ヴォルフガング・ゲッペル

【ナブッコ】ルチオ・ガッロ
【アビガイッレ】マリアンネ・コルネッティ
【ザッカリーア】コンスタンティン・ゴルニー
【イズマエーレ】樋口達哉
【フェネーナ】谷口睦美
【アンナ】安藤赴美子
【アブダッロ】内山信吾
【ベルの祭司長】妻屋秀和

【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団


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2013/05/18

【鉄道模型】飛び出したパンタやSGの煙突が魅力の古豪EF57(珊瑚模型店製キット、HO・16番)

Img_5105
 15年ほど前に買って組み立てたまま放置してあった珊瑚模型店のEF57を、時間があったので塗装してみました。数十年振りに鉄道模型に復帰して作った第一作なので、いろいろとアラが目立ちますが、いまさら修正するのは面倒なので、そのまま塗装しました。大昔に買ったと思われる天賞堂製のEF56用の運転台パーツがあったので、ヤスって整形して取り付け、KATOの機関士を座らせました。窓を開けた状態にしてあるのがご愛嬌です。EF56の車体前面はカーブが大きいので、EF57だとちょっと隙間ができてしまいますが、窓ガラス越しにはそんなに目立たないと考えて良しとしました。
Img_5108 昭和12年(1937年)、電気機関車として初めて列車暖房用のボイラー(SG)を搭載したEF56が登場。昭和15年(1940年)に、東海道本線の輸送力増強のため、MT38型主電動機を搭載して誕生したのがEF57です。最初の1輛はEF56と同じ外観でしたが、翌年から昭和18年(1943年)まで量産された14量は全面的に設計が変更され、パンタグラフが車体の両端に設置されました。当初はボイラーの調子が良くなく、わざわざ折り返し地点で向きを変えてボイラーが常に前に出るようにして機関助士がボイラーの面倒を見れるようにしたり、暖房車を連結して運転されることもあったそうです。
 昭和24年(1949年)に東海道本線の電化区間が浜松まで延長されたことで、静岡市内の架線の低い跨線橋を通過するため、パンタグラフを低くする必要が生じました。そのため取り付け位置がさらに前に出され、EF57独特の風貌が生まれました。特急「つばめ」や「はと」を牽引し、EF57の全盛期でした。
 しかし昭和31年(1956年)に東海道本線が全線電化されると、EF57ではボイラーの容量が不足するようになったため、EF58とコンバートされて、EF57は上越線に移りました。雪対策として可動式スノープロウが新設され、正面窓につらら切り(日よけ)、汽笛に雪よけカバーがつけられました。この頃は客車に乗り切れなかったスキー客がデッキにも乗車し、スキーがパンタグラフに当たって感電する事故もあったと聞いております。
  昭和35年(1960年)、長岡−新潟間の電化にともなって再びボイラー容量不足が懸念され、全機宇都宮に移動。スノープロウや汽笛カバーが撤去されました。
 昭和40年(1965年)、列車暖房装置が電気式(EG)に改造され、助手席窓側に表示灯、デッキ両端にジャンパ栓が新設され、屋根上の煙突と水タンクハッチが撤去されました(以上「とれいん」平成4年11月号参照)。
 この珊瑚模型店のキットを見てみると、暖房用蒸気発生装置(SG)を搭載し、つらら切りとスノープロウ取り付け座がありますが、スノープロウや汽笛の雪よけカバーはありません。ということは、宇都宮(東北線)に移った数年後と考えられます。塗装に関しては、ブドウ色2号が正式に採用されたのは昭和34年(1959年)ですが、EF57が直ちに塗り替えられたわけではなく、修理や改造のおりに徐々に塗り替えられたと考えられます。電気機関車でありながらボイラーの煙突を備え、屋根上にベンチレーターを並べた古風な出で立ちの車両なので、ぽん太はブドウ色1号で塗ってみました。
Img_5106 ディティールは特に付け加えませんでした。屋根上の高圧引き込み線は目立つアイテムですが、こちらのムサシノモデルのページにあるように時期によっていろいろ変わっているようで、細かい構造もよくわからないので、今回は省略しました。台車の第1エンドにある手動ブレーキぐらいは付ければよかったです。

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2013/05/10

【フロイト「不気味なもの」を読む(8)】同じ事態の反復、フロイトとマーク・トウェイン(P30〜31)

 フロイトの「不気味なもの」を読むシリーズの8回目です。あきっぽいぽん太にしては、よく続いております。テキストは岩波書店版の『フロイト全集17』(2006年)に収録されているもので、書かれているページはすべて本書のページです。
 不気味と感じられるものを次々と検討しており、前回はドッペルゲンガーでしたが、今回は「同じ事態の反復」です。
 フロイトは、同じ事態の反復が、あらゆる人に常に不気味な感じを与えるものとは言えないが、一定の条件のもとでは不気味な感情を引き起こすと言います。フロイトはこれが、夢で示される寄る辺なさを思わせると書いています。寄る辺なさ(Hilflosigkeit)はフロイトの重要な概念のひとつですが、ここではみちくさはしないでおきます。
 ここでフロイトは、自分自身の体験を述べます。イタリアで道に迷い、娼館地域から逃れようと歩き回ったが、三回同じところに戻ってしまったという話しです。ホントは興味があったんでしょうかhappy01。その他の例として、森の中で迷って何度も同じ地点に戻ってしまう場合や、暗い部屋のなかで何度も同じ家具にぶつかる場合を挙げています。
 この最後の場合に関してフロイトは、「もっともこうした状況も、マーク・トウェインの手にかかると、グロテスクに誇張され抗いがたく滑稽なものに変容してしまうのだが」(31ページ)と書いてます。ぽん太はマーク・トウェインといったら「トム・ソーヤー」ぐらいしか知らず、しかも読んだことがありません。訳注を見ると、マーク・トウェインの『国外放浪』という本が挙げられていますが、アマゾンで探してもそんな本はありません。Wikipediaを見てみると、1880年に「A Tramp Abroad」という作品がありますので、このことでしょう。日本では『ヨーロッパ放浪記』と訳されているようです。
 これなら邦訳もあるようで、例えば右のリンクがそれです。読んでみると、第十三章の「闇の中での悪戦苦闘」というのがそれのようです。夜中に目が覚めてしまったトウェインは、イライラしながら部屋から外に出ようとしますが、真っ暗な部屋の中で位置がわからなくなり、たくさんの椅子やソファーに次々とぶつかります。物音に驚いた宿の人々が明かりをもって駆けつけると、自分は狭い部屋のなかの自分のベッドの近くにいて、椅子もソファもそれぞれたった一つしかなかった、という話しです。ぜんぜん不気味な感じはなく、筒井康隆を思わせるドタバタで滑稽なショート・ショートで、みなさんにもぜひご一読をお勧めします。
 しかし何でフロイトが、ちっとも不気味でないマーク・トウェインのエッセイをわざわざ引用したのかが、ぽん太には気になります。二人の間には何か関係があるんでしょうか。
 ググってみても何もみつからなかったのですが、試しに英語でググってみると、トウェインとフロイトについて書いた本も何冊かあるようです。でも、ぽん太はそこまで買ってみる気にはなりません。ありがたいことに、googleブックスで一部を読めるものがありました(→こちら)。Dan Vogel, Mark Twain's Jews, Ktav Pub Inc, 2006/5/15 という本で、日本のアマゾン(→こちら)で買うと50万以上するようですが、海外のアマゾン(→こちら)では約448ドルですから4万円程度なので、送料を払ったとしてもお得です。でもそれでも高い本ですね。著者のDan Vogelという人はぽん太は全く知りませんが、アマゾンのカスタマーレビューには、イェシーバー大学の英語の教授と書いてあります。Wikipediaによると、ニューヨークにあるユダヤ教関連の大学のようです。
 どうやらマーク・トウェインがユダヤ人に対してどのようなスタンスをとっていたか、というのがひとつのトピックスのようです……が、狸のぽん太には難しすぎてわかりません。
 で、グーグルブックスで58ページと59ページが読めるのですがが、それによれば、マーク・トウェインはフロイトに言及してないけれど、フロイトはトウェインについて何回か書いているそうです。カール・ドルメッチ(Carl Dolmetsch)の『われわれの有名な客ーーウィーンのマーク・トウェイン』("Our Famous Guest": Mark Twain in Vienna, Univ of Georgia Pr, 1992。邦訳はなさそうです。ご購入はこちら)という本によれば、フロイトとトウェインが一緒にトランプをしたり、特別な行事(?)や演劇に同席していた記録があるそうです。また、トウェインの娘ジーン(『足ながおじさん』の著者ですね)がてんかんだったため、診察を受けにトウェインがフロイトを訪れた可能性が高いけれど、その記録は見つかっていないそうです。
 フロイトがマーク・トウェインを引用した例としては、「同情の節約」という概念を例証するために、"Roughing It"、"A Burlesqu Biography"、"Innocents Abroad"が引用されているようです。また、トウェインが後にウィーンに滞在した時(1989年2月9日)、フロイトは有名な心理学者の講義をさぼり、旧友のマーク・トウェインの話しを聞きにいったと、「フリースへの手紙」に書いているそうです。講演のタイトルは「スイカの盗み方」で、その講演のことはトウェインの手紙にも書かれているそうです。また1938年、癌に犯されイギリスに逃げていたフロイトは、反ユダヤ主義に関する論文集に寄稿しました。この小論の大部分は、ユダヤ人を誉め讃える文章の引用からなっていますが、フロイト自身、今となっては誰の何という文章なのか思い出せないと書いています。出典は長く謎でしたが、1980年、Marion A. Richmondが、出典がマーク・トウェインの"Concerning the Jews"であることを突き止めたそうです。
 さて、以上に関して子細に検討してみましょう。同情の節約云々というのは、どうやらフロイトの「機知ーーその無意識との関係」(1905年)のようです。マーク・トウェインが引用されているのは「VII節 機知および諸種の滑稽なもの」で、岩波の全集8巻では277ページからです。フロイトは三つの例を挙げていて、最初は、トウェインの兄が道路建設現場で働いていたときに爆発で吹き飛ばされ、一命は取り留めたものの、職場離脱という理由で賃金をカットされたという話し。二番目は、自分の祖先がコロンブスの随行者だったが、手荷物が下着だけだったという話し。最後は、兄がむかし地下に穴を掘って暮らしていたが、まいにち穴から牛が落ちて来て、46日目に兄が「ちょっと飽きてきた」と言ったという話しです。フロイトは出典を明記しておらず、訳注も特にありません。
 まず最初の爆発で吹き飛ばされる話しですが、"Roughing It"に似たような話しが書かれています。1872年に出版されたこの旅行記には邦訳があります(『西部放浪記 下 マーク・トウェインコレクション (11B)』彩流社、1988年)。第77章、邦訳では下巻の257ページで、ある男がカリフォルニアの鉱山のひどさを説明するために語ったホラ話しです。それによれば、ある作業員が、発破のための火薬を詰めた地面を鉄梃(かなてこ)で打ち固めていたところ火花が引火し、爆風で作業員は高く高く飛ばされてしまった。地面に落ちて来るまで16分かかったが、会社は16分間分の給料を差し引いたんだそうです。
 なんかフロイトの引用とは、人物も状況もちょっと異なるような気がします。ひょっとしたら他のトウェインの著作に、フロイトが引用したようなヴァージョンの話しが書かれているのかもしれませんが、だとしたらDan Vogel氏が気付いていそうなもの。フロイトの引用は、あんがいいい加減なのかもしれません。
 次の祖先がコロンブスの随行者だったという話しは、"A Burlesqu Biography"に書かれていることですが、おそらく"Mark Twain's Burlesque Autobiography"(1871年)のことでしょうか。邦訳はないようですが、原文をこちらで読むことができます。ほとんど冒頭の、首つりの挿絵の三つ下の段落に書かれています。
 最後の、地下に住んでいる話しの出典は、"The Innocents Abroad",(1869年)で、邦訳はは『イノセント・アブロード〈上〉―聖地初巡礼の旅』(文化書房博文社、2004年)でしょうか。邦訳では上巻の第27章に出ています。但し主人公は兄ではなくてオリバー判事。ラバが2回落ちたので、家の場所を変えたところ、今度は牛が落ちて来たという話しで、フロイトのいうように毎日続けて46日間も落ちたわけではありません。この笑い話は、トウェインらがフンボルト山脈の銀鉱山に行った時のこととなっておりますが、おそらくそれは『西部放浪記』に書かれていた兄との旅のことでしょうから、フロイトが混同したのかもしれません。あるいはまた、これはぽん太の推測ですが、こういった笑い話はトウェインの持ちネタで、フロイトが直にトウェインからそんな話しを聞いたのかもしれません。
 さて次に「フリースへの手紙」ですが、『フロイト フリースへの手紙 1887-1904』(誠信書房、2001年)というタイトルで邦訳されています。1989年2月9日の手紙を見ると、確かにトウェインの名前があります。該当箇所は短いの引用すると、「こちらでのおしゃべりサーカスにおけるシュヴェニンガーの態度はひどい恥さらしでした。僕はもちろん出席しませんでした。その代わりに僕は、僕たちの古い友人マーク・トウェーンその人の声を聞くという楽しみを自分に与えました」(邦訳315ページ)となってます。シュヴェニンガー Ernst Schweninger (1850–1924)はビスマルクの主治医として有名で、またエスの概念の「発見者」であるグロデックは、ベルリン大学医学部時代に彼の講義を受けております。
 『フリースへの手紙』の注によると、このトウェインの講演会については「文化への不満」(1930年)でも触れられているそうで、確かにVII節の注で、フロイトはトウェインが『わたくしが盗んだ最初のメロン』という短編を朗読するのを聞いたことがあると書いています。
 さて、最後の反ユダヤ主義に関するフロイトの論文ですが、これは「反ユダヤ主義にひとこと」(1938年)(岩波版フロイト全集22巻に収録)のことでしょう。フロイトは、非ユダヤ人がユダヤ人を擁護した論説を引用したあと、この論説が誰のもので、いつ読んだのか、もはや覚えていないと告白しております。訳者の渡辺哲夫の解題でも、「フロイトが引用した文章は、じつはフロイト自身によるものと考えられている」と書いております。ということは、もしそれがマーク・トウェインの文章だったら、新発見か?
 トウェインの"Concerning the Jews"(1899年)は、こちらで原文を読むことができ、またなんと邦訳が『全集・現代世界文学の発見〈第4〉亡命とユダヤ人 』(學藝書林、1970年)の中に収録されております。読んでみると、たしかに非ユダヤ人であるトウェインが、ユダヤ人は決して劣った民族ではないということを書いております。しかしフロイトが特に引用の前半で書いているような、教皇も抵抗の声を上げたこととか、「ユダヤ人は劣っているけれど、彼らを愛さなければならないという論法はおかしい」といったことは、トウェインは書いておりません。やはりフロイトの引用元をトウェインの"Concerning the Jews"と考えるのは、ちょっと無理があるようにぽん太は思います。
 (以下2013年6月2日追記)アーネスト・ジョーンズのフロイトの伝記に、1890年代のフロイトの個人生活に触れたところがありますが、「また彼は時折講演会に出席した。そういう機会に彼は昔から大好きであったマーク・トウェインの講演をきいて大いによろこんだことがあった」と書かれています(アーネスト・ジョーンズ『フロイトの生涯』竹友安彦他訳、紀伊国屋書店、1969年、223ページ)。時期的にいって、上に書いた、1989年2月9日の講演会の可能性が高いと思われます。
 また、「アンケート『読書と良書について』への回答」(岩波書店『フロイト全集9』に所収)を読むと、1906年に書店から10冊の良書を挙げよと依頼されたフロイトは、10冊のなかにマーク・トウェインの『「ジム・スマイリーとその跳ね蛙」他短篇集』を含めております。

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2013/05/08

【京都】御霊神社、相国寺、花の御所跡、清明神社、伊藤仁斎宅跡、二条城、神泉苑

 昨年の12月、京都の南座に歌舞伎を観に行ったついでに、少し京都の街を歩いてきました。古い「サライ」で紹介されていたコースです(河内将芳「『平安・中世・江戸』3つの時代を歩く」サライ、2011年11月号)。観光客でごった返す有名な社寺と違って、静かな京都の風情が楽しめました。もちろんぽん太のことですから、プラスアルファのみちくさつき。
Img_3811 まずは上京区にある御霊神社です。京都神社庁のサイトはこちらです。
Img_3813 ここは、応仁の乱が始まったところとして知られています。応仁元年(1467年)、畠山政長がここに陣をしいて畠山義就と戦ったのが、応仁の乱の発端なんだそうです。
 また境内には松尾芭蕉の句碑があり、「半日は神を友にや年忘」と書かれています。芭蕉は元禄3年(1690年)の師走、御霊神社の神官に招かれて忘年歌仙を開きましたが、そのときの句だそうです。
Img_3814 御霊神社から少し南に行くと、相国寺があります。足利義満によって明徳3年(1392年)に造られ、夢窓疎石が開山となりました。その後何度も焼失と再建を繰り返しました。応仁の乱のときにも細川方の陣地であったため、焼失を免れませんでした。
Img_3825 浴室を公開しておりました。これは温泉ファンのぽん太としては外せません。
Img_3818 建物のなかに小さな小屋がしつらえてあります。
Img_3815 なかはこのようになっております。真ん中の部分にお湯が溜められ、蒸し風呂状に蒸気を浴びつつ、柄杓でお湯をすくって身体にかけたようです。
Img_3817 裏側はこのようになっております。釜でお湯をわかし、そのお湯を柄杓で樋に注ぎ込んだようです。
Img_3826 烏丸今出川の北西の一角が、足利将軍家の「花の御所」があった場所です。これもまた、応仁の乱の戦火で焼失しました。
 それよりも、途中で通った同志社大学、すごいですね〜。大河ドラマ「八重の桜」の八重さんが再婚する新島襄が設立した大学ですね。建物が広くて立派で、スポーツジムもあるみたいです。ぽん太が通っていた大学とは大違いです。また警備員が配置されて通学する学生を交通整理していました……過保護じゃない?
Img_3829 サライの記事ではここから二条城に向かいますが、ぽん太はちょっと寄り道。清明神社です。陰陽師として有名な安倍晴明の屋敷があったところで、彼の死後、彼を御祭神とする神社になりました。修学旅行生が大勢来ていて、グッズを購入してました。
Img_3832 戻橋です。源頼光の四天王のひとりの渡辺綱(わたなべのつな)が、この橋の上で、女に化けた鬼の腕を切り落としました。
Img_3835 伊藤仁斎宅(古義堂)跡です。伊藤仁斎は、江戸時代前期の儒学者・思想家で、寛永4年(1626年)にこの地で生まれ、自宅で私塾(古義堂)を開きました。宝永2年(1705年)に死去。この家の表札は「伊藤」ですが、子孫の方が住んでるのかしら。
Img_3836 夕日に輝く二条城です。大河ドラマ「八重の桜」では、これからここ二条城で、徳川慶喜が将軍拝命の宣旨を受け、大政奉還を行うわけですね。
Img_3839 サライの記事は二条城までですが、ぽん太とにゃん子は二条城の南にある神泉苑まで足を伸ばしました。というのもここは、初めて天皇の主催による御霊会が行われたところと聞いていたからです。平安時代、怨霊を静めるための御霊会を開くという習慣が、民衆のあいだに広がりました。それが逆に国家行事として行われるようになり、貞観5年(863年)に初めて天皇主催の御霊会が開かれたのが、ここ神泉苑だったのです。
 もともと神泉苑は、平安遷都と同時期に造られた広大な庭園でした。
Img_3842 ここの池には、竜神が住むと言われているそうです。天長元年(824年)の干ばつのおり、空海がここで祈雨の法を行って霊験があったそうです。写真は、その龍神を祀った、善女竜王社です。
Img_3840 現在は東寺真言宗の寺院で、聖観音・不動明王・弘法大師がご本尊だそうです。また一説によると、源義経と静御前がであったのがここだそうです。
Img_3841 神泉苑の境内にある歳徳神(としとくじん)です。看板によると「日本で唯一の恵方社」だそうで、毎年恵方の方角に向きを変えるんだそうです。

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2013/05/06

【京都】西本願寺、本願寺伝道院、小倉山二尊院

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 昨年秋(11月8日)、永楽歌舞伎を観に行った帰りに、京都に立ち寄りました。
Img_3669 まず訪れたのは西本願寺。言わずと知れた、浄土真宗本願寺派の大本山です。公式サイトはこちらです。さすがに広々としていてスケールが違います。
Img_3670 国宝の唐門です。元和3年(1617年)には本願寺にあったことが確認されているそうですが、詳しい来歴はよくわからず、聚楽第あるいは伏見城の遺構とも言われているそうです。
Img_3672 実は今回のお目当ては「飛雲閣」。奇矯ともいえる不思議な外観で、聚楽第の遺構という説もあるそうです。ところが言ってみると、塀で囲まれていて入れません。聞いてみたところ、普段は非公開で、特別な場合だけ公開されるそうです。
Img_3675 西本願寺の正門から少し東に行った所に、ちょっと気になる建物がありました。案内板によると「本願寺伝道院」とのこと。明治45年(1912年)に伊東忠太の設計、竹中工務店の施行によって、真宗信徒生命保険株式会社の社屋として建てられたそうです。西洋化でも和洋折衷でもなく、日本古来の木造建築の伝統を進化させることを求めたそうです。
Img_3676 変な狛犬(?)。伊東忠太という建築家はぽん太は初耳ですが、ぐぐってみると、築地本願寺や湯島聖堂、米沢の上杉神社などを造った人とのこと。全部みたことあるがね。

Img_3680 そのあと紅葉を見に、紅葉の名所小倉山二尊院を訪ねましたが、ちょっと早すぎたようです。
Img_3686 いろんな人のお墓があるようですが、時間がないので省略いたしました。

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2013/05/04

【旅行】但馬の小京都、出石(いずし)

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 以前に(昨年の11月7日)永楽歌舞伎を観に行った感想を書いた時、永楽館がある出石という街に関してはのちほど書くと言っておきながら、そのままほったらかしになってました。こんかい、その約束をはたすことにしましょう。出石観光協会の公式サイトはこちらです。
 出石(いずし)は、兵庫県豊岡市、いわゆる但馬(たじま)にある城下町で、古い建物が残っていることから、但馬の小京都と呼ばれております。また国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されています。
 室町時代に此隅山城が築かれて城下町の基礎が作られましたが、江戸時代になって出石城が築かれてから発展しました。
 上の写真は、大手前通りにある辰鼓楼です。明治4年(1871年)に建設され、明治14年からは時計台として作られるようになりました。現在の時計は三代目だそうです。
Img_3634 古い建物が並ぶ、趣きある街並です。
Img_3635 窓に干し柿が下げられています。
Img_3637 この空き地を見ると、敷地の間口が狭く、奥行きがとっても長い短冊状であることがよくわかります。
Img_3638 この記念碑は「桂小五郎潜居跡」です。元治元年(1864年)の蛤御門の変に破れて京を追われた桂小五郎は、ここにあった廣江屋という金物屋に匿われていたそうです。
Img_3641 出石酒造の酒蔵です。江戸時代中期に造られたものだそうで、風化した土壁が、まるでスペインあたりの風景を思わせます。
Img_3647 出石城主の菩提寺である宗鏡寺(すきょうじ)の庭園です。元和2年(1616年)に沢庵和尚によって再興されたため、沢庵寺とも呼ばれているそうです。
Img_3649 沢庵和尚の墓です。ん?沢庵和尚ってここで死んだの?Wikipediaを見ると、なんと沢庵和尚は出石の生まれではないか!ちっとも知らんかった……。亡くなったのは江戸だそうで、ここ宗鏡寺以外に、東京都品川区の萬松山東海寺にもお墓があるそうです。
Img_3651 出石明治館です。郡役場として明治20年に造られたそうです。ちっちゃい建物のくせに、入り口がギリシャ風になっていて、かわいいです。
Img_3655 稲荷神社の鳥居です。この神社の裏手に出石城がありました。
Img_3657 明治34年に開館した芝居小屋、永楽館については、以前に書きました。
Img_3665 出石といえば皿そば。一人前5皿が基本です。宝永3年(1706年)に信州上田城主の仙石氏が出石城主となった際、そば職人を連れて来たんだそうです。出石にはたくさんの蕎麦屋がありますが、たまたま皿そば祭りをやっていたので、そちらでいただきました。おいしゅうございました。

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2013/05/02

【歴史散歩】芝居の街猿若町とその周辺


より大きな地図で 猿若町周辺 を表示

 隅田川沿いの仮設小屋で一昨年から昨年にかけて行われた平成中村座の公演には、ぽん太も何度も足を運びました。そこからちょっと西に行った所、浅草寺とのあいだにある一角が、江戸時代に猿若町と呼ばれ、芝居小屋が立ち並んだ場所でした。
 20120115_153106 地図の青印のところに、台東区による案内板があります。老中水野忠邦は、天保12年(1841年)、天保の改革に着手します。これは幕府の財政再建を目指したもので、その一環として庶民にも贅沢の禁止、娯楽の制限が加えられました。
 おりしもその年の10月、堺町(現在の人形町付近)にあった中村座が失火で全焼。類焼によって近くの葺屋町の市村座や、さらに浄瑠璃の薩摩座、人形劇の結城座も燃えました。この機を捉えた水野忠邦は、その場所での再建を許さず、丹波国園部藩の下屋敷を公収し、天保13年(1842年)2月、その跡地への移転を命じました。同年4月、江戸の芝居の草分けである猿若勘三郎の名前をとって、猿若町と名付けられました。また天保14年(1843年)には木挽町(現在の銀座6丁目)にあった河原崎座も猿若町に移転させられました。
 この措置は、人気の娯楽であった芝居小屋を、辺鄙なところにひとまとめにしてしまおうというものでした。しかし一カ所に集中したことでかえって芝居が充実し、浅草詣でを兼ねて芝居を観るということで、反対に賑わいを見せたそうです(参考:Wikipedia)。
20120115_153242 地図の赤印のところにある「中村座跡」の案内板です。
20120115_153340 地図の緑印。「浅草猿若町碑」です。
20120115_153511 地図の水色印。「市村座跡」です。石碑と案内板があります。
20120115_153730 黄色印が「守田座跡」です。石碑があります。
20120115_153823 地図の紫印が、白岩稲荷です。御由緒はぽん太にはまったくわかりません。
20120115_154230 さて、猿若町を離れて少し隅田川の方に行くと、待乳山聖天(まつちやましょうでん)があります。公式サイトはこちらです。
 聖天は歓喜天(かんぎてん)ともいい、仏教の天部に属する守護神です(Wikipedia)。元々はヒンズー教のガネーシャに由来します。ガネーシャは、片方の牙が折れた象の頭を持ち、四本の手を持つ姿で現されます。障害を除き、財産をもたらすとして、商業・学問の神とされているようです(Wikipedia)。聖天の像は秘仏とされていることが多いようですが、その理由は、像が人には見せられない恥ずかしい形をしているからかもしれません。象の頭をした二人の人が抱き合っている形が多いようですが、男女が向かい合って抱き合ってる形も多いようです。
 待乳山聖天の正式名称は本龍院。宗派は聖観音宗(しょうかんのんしゅう)だそうです。聖観音宗〜?知らね〜な〜、と思って調べてみたら、なんと浅草寺が総本山じゃないの。しかも浅草寺は、もともと天台宗のお寺でしたが、昭和25年(1950年)に聖観音宗になったんだそうです。う〜ん、何かありそうですが、浅草寺に関するみちくさはまたの機会に。
 ちと調べてみると、聖天を祀るもう一つの有名なお寺である奈良県生駒市の宝山寺は真言律宗、ぽん太も行ったことがある埼玉県は妻沼の歓喜院(妻沼聖天)は真言宗とのこと。天部の神を祀るということは、もともとは密教系なのかもしれません。待乳山聖天は、浅草寺に関わりが深いということで、聖観音宗になったのでしょうか?
 待乳山聖天では、「浴油祈祷」といって、上質のごま油で聖天様を洗い浄める(詳細不明)という供養が行われているようです。胡麻油をかけるというと、ぽん太は、インド伝統医学のアーユルヴェーダを思い浮かべますが、ガネーシャということでインドつながりがあるのかどうか、ぽん太にはわかりません。
20120115_154429 境内にはなぜか大根のお供えが(写真はピンぼけです)。公式サイトによれば、大根は体内の毒素を中和して消化を助ける働きがあることから、聖天様の「おはたらき」をあらわすものとして尊ばれているんだそうです。
20120115_154158 門前には「池波正太郎生誕の地」の碑がありました。待乳山聖天の南側が生家だそうです。
20120315_153021 待乳山聖天の北側には、山谷堀公園があります。現在は埋め立てられてしまいましたが、昔は堀になっていて、船が行き交いました。また、堀の両側の土手道を、日本堤(二本堤)と呼びました。これらは、吉原に行くための交通手段として使われました。地図をみると、山谷堀公園を左上に辿って行くと、吉原大門に到ることがわかります。ここからS字状の道を通って南西のところが、吉原の跡です。
20120315_153351 山谷堀から少し北に行った所に、今戸神社があります(地図の緑ピン)。公式サイトはこちらです。御由緒を見ると、もともとは京都の石清水八幡宮を勧請して作られたそうで、八幡様ですね。従って御祭神は応神天皇です。
20120315_153400 「沖田総司終焉の地」という看板がありました。和泉橋(秋葉原駅の南東)にあった松本旅順の医学所で治療を受けていましたが、薩長軍の江戸入りに伴って今戸八幡(=今戸神社)に収容され、そこで死去したとのことです。しかしググってみると、沖田総司終焉の地としては、もうひとつ千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅という説もあるようで、どっちが正しいのかぽん太にはわかりません。
20120315_153706 拝殿にはニャンが居ります。ここは招き猫発祥の地とされているそうで、16世紀から今戸焼きとして作られていたそうです。招き猫発祥の地というと、ぽん太は世田谷の豪徳寺を思い浮かべますが、Wikipediaによれば、17世紀に井伊直孝が猫の招きで雷雨を避けることができたことから、招き猫が作られるようになったそうです。井伊直弼の墓も豪徳寺にあり、井伊家ゆかりの彦根城のゆるキャラひこにゃんは、この直孝を招いた猫なんだそうです(Wikipedia)(へ〜え、へ〜え)。

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