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2013/06/06

【フロイト「不気味なもの」を読む(9)】同じ事態の反復(続き)、フロイト自身の死に対する思い込み(p31〜P32)

 フロイトは、不気味なものの例として「同じ事態の反復」を挙げ、その説明を続けています。
 同じ事態が反復することによって、宿命的なもの、逃れがたいものといった印象が生じる場合があるといいます。例えば62という数字に何度も遭遇したばあい、単なる偶然とは思えずに、不気味に感じられて来ます。そして、その背後にある隠れた意味を認めたい、例えば自分の寿命の示唆を認めたいという気になるだろうといいます。
 編注によれば、フロイト自身が、この論文が書かれた前年の1918年2月に死ぬという考えに取り憑かれていたそうです。もっともフロイトは1856年5月6日生まれですから、1918年2月は62歳ではなく、まだ61歳です。わざと1歳ずらして書いたんでしょうか。
 編者は出典として、アーネスト・ジョーンズのフロイト伝をあげています。邦訳を参照してみると、1917年(?)にフロイトがアブラハムに書いた手紙には、「激しい仕事をして、疲れきってしまい、世界をうんざりするほどいやなものに感じはじめています。私の一生が1918年2月に終わる予定になっているという迷信じみた考えは、私には、しばしば、全く思いやりのあるものに思われます。」(アーネスト・ジョーンズ『フロイトの生涯』竹友安彦他訳、紀伊国屋書店、1969年、349ページ)と書かれているそうです。また、同書の362ページによれば、フロイトは当初はフリースの「周期説」に基づく計算に従って51歳で死ぬと考えていました。この年齢を無事に過ぎると、今度は1918年2月に死ぬと考えるようになりました。この月も無事に過ぎたところでフロイトは、「これをもって超自然的なるものがいかに頼みにならないかがわかる」と述べたそうです。
 ピーター・ゲイのフロイト伝にも、似たような記述があります。1910年にフロイトは友人のフェレンツィ宛の手紙に、「しばらく前から、自分は1916年か17年に死ぬだろうと確信している」と書いたそうです(ピーター・ゲイ『フロイト2』鈴木晶訳、みすず書房、1997年、182ページ)。
 フロイトの「不気味なもの」に戻ってもう一つ二つ。32ページ4行目の「偉大な生理学者H・ヘーリング」についてですが、編注には、おそらくはエーヴァルト・ヘーリングのことであろう、と書かれています。ぽん太は初めて聞いた名前ですが、Wikipediaに出てますね(こちら)。ああ、ヘリング錯視は知ってます。ん?でも、エヴァルト・ヘリング(Karl Ewald Konstantin Hering)じゃ、「H・ヘーリング」のHがないじゃん。やっぱりフロイトって、細かいところがいいかげんですね。
 それから、原註のP・カメラー『連続発生の法則』というのは、まったくわかりませんでした。
 同じ事態の反復が、なぜ不気味に感じられるのかについては、「反復強迫を思い起こさせうるものはすべて不気味なものと感じ取られる」と述べ、詳細は別の論述に譲るとしています。この「別の論述」は、翌年の1920年に出版された「快感原則の彼岸」ですね。
 しかし、この時点でフロイトは、その「根拠」はまったく述べておりません。続く段落でフロイト自身も、「何のかのと言っても判断の難しいこの事情からは目を転じ」と書いており、現時点では根拠が乏しいことを自覚しているようです。

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