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2013/11/15

【拾い読み】混浴のみならず、温泉や銭湯の歴史がわかります。下川耿史『混浴と日本史』

 ふと目にとまって、下川耿史(しもかわこうし)の『混浴と日本史』(筑摩書房、2013年)を読んでみました。混浴の歴史を真面目に研究している人たちがいるということも驚きでしたが、その内容も知らないことばかりで、目から鱗の体験でした。普段なにげなく入っている温泉ですが、こんな歴史があったんですね。
 以下、いつものように、ぽん太が面白かったところの抜き書きです。
 日本における混浴の記録は、養老5年(721年)の『常陸風土記』が最初とされていて、混浴の記述が二カ所あるそうです。また、天平5年(733年)の『出雲風土記』にも、二カ所に混浴に関する記述があり、一つ目は現代の玉造温泉、もうひとつが湯村温泉と考えられるそうです。ぽん太が以前に湯村温泉を訪れた時の記事はこちらです。
 歌垣(うたがき)、あるいは東日本では嬥歌(かがい)という風習があり、特定の日に若い男女が集まって飲食をし、歌を交わしながら、気に入った相手と性的な関係を持つというものだそうです。著者ははっきりした証拠は挙げておりませんが、しばしば歌垣の場となった「川あみ」(川で水浴すること)と同様、温泉も歌垣の場となったのではないかと言います。
 『古事記』や『日本書紀』では、黄泉の国から逃げ帰ったイザナギの命が、穢れを清めるために禊(みそぎ)を行ったところ、次々と神を生んだとされています。そのことはぽん太も知ってましたが、著者は、水辺で次々と女性と交わったと解釈し、禊と歌垣とを結びつけています。これが定説なのか、著者の思いつきなのか、ぽん太は判断できません。
 お湯ではなく海水ですが、大阪の住吉大社では、明治時代の終わりまで、夏祭りの神輿渡御が長峡の浦(ながおのうら)で、数百人の男女が丸裸で押し合いへし合い海水を浴びるという行事が行われていたそうです。現在の住吉祭りの神輿洗神事の前身でしょうか。
 諏訪温泉、草津温泉、道後温泉は、縄文時代から湧き出ていて、当時の住民が活用していたことが確認されているそうです。別府温泉に関しては、『豊後国風土記』や『万葉集』に、血の池地獄に当たる「赤湯の泉」や、鉄輪温泉にあたる「玖倍理湯の井」(くべりゆのい)といった記述があるそうです。蔵王温泉、万座温泉、伊香保温泉、和歌山県湯の峯温泉、佐賀県古湯温泉などは、弥生時代から古墳時代に始まったとされているそうです。
 奈良時代になった頃、歌垣は性的意味合いが消失し、農作祈願の行事となり、踏歌節会(とうかのせちえ)という宮中行事になったそうです。
 湯(ユ)という言葉が、斎(ユ)から来ているという説があり、折口信夫もその一人ですが、それが正しいかどうかは疑問があるとのこと。
 東大寺には750年頃に大湯屋と称する浴室が設けられ、修行としての入浴と同時に、衆生救済としての入浴が行われました。これが日本人が温泉以外のところで入浴することになった始まりだそうです。
 経典の「大比丘三千威儀経」(だいびくさんぜんいぎきょう)や「仏説温室洗浴衆僧経」(ぶっせつうんしつせんよくしゅうそうぎょう」には、入浴の効用が書かれているそうです。また「教誡律儀輯解」には、入浴のマナーが書かれているそうです。
 大寺院が庶民に風呂を提供する活動は、「功徳湯」と呼ばれたそうです。風呂は蒸し風呂と洗い場からなっていたそうです。ぽん太は以前に、京都の相国寺の浴室を見学したことがありますが(そのときの記事はこちら)、それと似たようなものだったのかもしれません。
 奈良時代、奈良は多くの僧と尼僧にあふれ、風紀の乱れがあったそうです。延暦16年(797年)、奈良に派遣された検非違使・藤原園人は、男女の混浴を禁止したそうです。当時風呂と言えるものは大寺院の風呂しかありませんでしたから、禁止令以前は僧と尼僧の混浴が行われていたと考えられるそうです。
 平安京には、最初から天皇が入浴するための「御湯殿」が設けられていたそうです。また後醍醐天皇(在位1318〜1339年)の撰といわれる『日中行事』には、天皇が入浴する際の手順が書かれているそうです。
 天皇ではなく、貴族の屋敷に湯殿が設置されたのは、平安時代後期と考えられており、藤原実資の『小右記』の長元元年(1028年)の条に「湯屋の近くに井戸を掘った」という記載があり、これが個人の家に湯屋があることの最古の記録だそうです。
 その後、女性が湯殿で主人の世話をするというやり方が広まり、湯殿で性的関係を持つことがポピュラーになったそうです。
 「銭湯」(町湯)がいつ頃できたかは、はっきりしていないそうです。『公衆浴場史』では、公家日記などを根拠に、平安時代としているそうです。
 一方「銭湯」という言葉の初出は、『祇園執行日記』の正平7年(1352年)1月の条だそうです。
 銭湯が混浴だったかどうかに関しては、『公衆浴場史』によれば、鎌倉時代から室町時代に、温泉の混浴の風習が浸透して来て、銭湯も混浴になったんだそうです。
 『竹取物語』のなかに、かぐや姫に難題を与えられた倉持の皇子が朝廷に、「筑紫の国に湯あみに行ってくる」という口実で休暇届を出す場面があるそうです。この温泉は吹田温泉を指すとされているそうです。温泉に湯治に出かけるために休暇を取ることは、湯治はしばしば行われていたそうです。
 平安時代には、西国三十三所の霊場めぐりという風習が始まりましたが、『西国三十三所名所図会』などを見ると、それは温泉巡りとセットになったレジャーだったそうです。また、大阪の「堺の塩湯」や、京都の「八瀬の窯風呂」が有名だったそうです。
 建久2年(1191年)、有馬温泉に「湯女」(ゆな)と呼ばれる女性がサービスするという、風呂史上の画期的な出来事が起きたそうです。彼女らは、ときに遊女のようなことも行ったそうです。とはいえ、湯女は各宿坊に二人と決められており、また湯治有馬温泉は多くの湯治客で賑わっていたため、性的サービスがメインという状況ではなかったと考えられるそうです。
 鎌倉時代になると、それまでは寺院が行うものであった施湯を、豪族から村人までの個人が行うようになったそうです。それは時に、慈善活動の色彩も帯びました。
 慶長19年(1614年)に出版された『慶長見聞集』には、江戸の最初の銭湯は1529年に開業したことが書かれているそうです。その後二十数年後には、各町内に銭湯ができるほどになったそうです。当時の風呂には、戸棚風呂という狭い蒸し風呂に戸を開け閉めして入る方式と、ざくろ口を持った形式とがあったそうです。
 湯女風呂が最初にできたのは、天正18年(1590年)の大阪。しかし当初は性的な色彩はなかった。湯女が遊女に変わってきてのは、寛永中頃(1630年頃)と考えられる。その後急速に拡大し、1950年代の江戸には200軒以上の湯女風呂があったそうです。なかでも神田四軒街から雉子町にかけては美麗を尽くした湯女風呂が並んでおり、堀丹後守の前に位置することから、「丹前風呂」と呼ばれた。勝山という湯女が特に人気で、どてらを粋に着こなしていたことから、どてらを丹前と言うようになったんだそうな。
 1638年頃から幕府は、湯女風呂を規制する布告を何度も出すようになりました。そして明暦2年(1656年)、吉原が日本橋から浅草の北に移転したのをきっかけに、湯女風呂はすべて取り壊され、残った湯女は吉原に送り込まれたそうです。
 このあと、男性ばかりの風呂に女性が入り込むようになり、この混浴の形態を「入り込み湯」と呼びました。江戸に女湯ができたのは、ようやく1733年ごろになってからと考えられます。寛政の改革で、1791年に徳川幕府初の混浴禁止令が出されましたが、その後も混浴がなくなることはなかったようです。
 明治時代になって、日本蔑視の理由になりかねない混浴は徹底的に規制されました。しかし地方や温泉場では、混浴が許されていたようです。
 1913年、伊東温泉の北里柴三郎の別荘内に、温泉を使った温水ブールが作られたそうで、「北里万人風呂」と呼ばれたそうです。ぐぐってみると、万人風呂ではなくて「千人風呂」のようで、例えばこちらの北里大学のサイトに写真が載っております。伊東温泉の松川歩道の「湯壷より鮎つる見えて日てり雨」という木下杢太郎詩碑の前あたりにあったようですが、正確な場所がわかりません。こんど伊東に行ったときに探してみます。
 この後、伊東でやまだ屋という温泉旅館を経営していた井原兄弟が、温泉プール2号を造り、これが「千人風呂」と呼ばれたといいます。実は井原兄弟は、このプールを混浴風呂として利用しました。また、ロンドンオリンピックに向けての水泳選手の強化合宿のため、この温泉プールが使われたんだそうです。

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