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2013年11月の18件の記事

2013/11/29

【バレエ】ギエムの「カルメン」で東京バレエ団を見直す

 ギエム姐さんが来日したというので、観てきました。公式サイトはこちら
 ギエムの「カルメン」と聞いて、力強く情熱的なダンスを想像しておりましたが、けっこうコミカル。ダンサーが叫び声をあげたりします。これがエスプリってやつかしら。最初はちょっと戸惑いましたが、だんだんと世界に入っていくことができました。キレのある迫力ある踊りはいつもながらで、まっ赤な衣装で葉巻をふかして男たちを手玉に取り、妖艶さや官能性とは別の、自由奔放なカルメンでした。ムッルも良かったです。
 東京バレエ団も、「こんなにうまかったかしら」と思うくらい(ごめんなさい)いい動きをしておりました。柄本弾の闘牛士はギエムに負けてなかったし、紫色の衣装の高木綾は動きが面白く表現力もありました。ひげの男・木村和夫も、キレのある動きで謎めいた雰囲気を出してました。全体に「エチュード」より全然良かったです。やっぱり東京バレエ団はコンテンポラリーの方がいいのでしょうか。
 帰宅後に調べたところ、振付けはマッツ・エックとのこと。以前にギエムがベートーヴェンのピアノソナタに合わせて踊った「アジュー」でいたく感動したことがあります。また音楽のロディオン・シチェドリンは、以前にマリインスキー・バレエで観た「イワンと仔馬」を作曲した人ですね。

 「カルメン」の前に「エチュード」。テクニックは頑張ってましたが、なんか「カルメン」との取り合わせが良くなかった気がします。正反対の組み合わせを狙ったのかもしれませんが、コンテンポラリーでまとめて欲しかったです。高岸直樹の故障のため、後半部分は梅澤紘貴が踊るという変則的な配役。エトワールの一人がとても大きくノーブルな踊りをして目をひきましたが、松野乃知だったのか梅澤紘貴だったのか、時間がたったらわかんなくなってしまいました。

〈シルヴィ・ギエム・オン・ステージ2013〉
「カルメン」「エチュード」
2013年11月14日/東京文化会館

「エチュード」
エトワール:上野水香、高岸直樹、梅澤紘貴、松野乃知
白の舞踊手(ソリスト):吉川留衣、岸本夏未
ほか、東京バレエ団

「カルメン」
カルメン:シルヴィ・ギエム
ホセ:マッシモ・ムッル
エスカミリオ:柄本弾
M:高木綾
オフィサー:木村和夫
ジプシー:岡崎隼也
女性たち:奈良春夏、
矢島まい、川島麻実子、河谷まりあ、伝田陽美、三雲友里加
兵士たち:氷室友、松野乃知、岸本秀雄、入戸野伊織、岩村暁斗

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2013/11/28

【クラシック】ブッフビンダーとウィーンフィルが呼吸を合わせての名演/ベートーヴェン協奏曲第1番・第5番「皇帝」

 いや〜素晴らしいというか、すごいというか、久々に感動する演奏でした。
 え?ウィーンフィルなら良くて当たり前だろうって?いえいえ、そんなレベルではありません。公式サイトはこちらです。
 こんかいの席はステージの上手で、ピアニストの顔がだいたい正面から見える所。開演前、舞台をぼーっと眺めていて、「あれ〜?指揮台がないな〜」とぼんやり思いました。指揮台なしで指揮するなんてずいぶん控え目な指揮者だな〜などと考えていたら、舞台に一人しか出て来なかったので、ようやく弾き振りだと納得しました。
 なんの予習もしてなくてごめんなさい。ルドルフ・ブッフビンダーというピアニストも、ぽん太は初めてでした。
 第1番は、ややゆっくり目の速度でスタート。オーケストラによる主題提示につづいてピアノが加わりますが、柔らかく、暖かみがあって、とても深い音色でした。テンポも自然な揺れ動きがあり、最近の理屈っぽい演奏とは異なり、まさに「音楽」、音を楽しんでいるという感じでした。なにげないパッセージに宿る美しさや「味」は、歌舞伎の名優のちょっとした仕草や、優れたバレエダンサーの動作に見られる美しさと似てました。
 ブッフビンダーのピアノはちょっとヴィルトーゾ的で、フォルテではホロヴィッツみたいなバシャバシャという音をたてたり、また速いパッセージを軽い音で並べたりしました。また、フレーズの頭をワンテンポ置いてからゆっくり始めるなど、テンポの揺れ動きも多かったです。しかし、かといって大時代的で技巧をひけらかすような演奏ではなく、あくまでも優雅で、演奏を楽しんでいるという感じでした。
 確かにこうした音楽をやるには、独奏者とオケの間にワンクッション指揮者が入るのがもどかしいかもしれません。ピアニストとオケが直接的に息を合わせることで、初めて可能になる演奏なのでしょう。もちろんそれにはオケが優秀であるというのが大前提で、こんな離れ技をなんなくやってのけるウィーンフィルにも、うなるしかありませんでした。
 公式サイトのプロフィールを見ると、ブッフビンダーは室内楽の経験が豊富なようで、今回の演奏も「室内楽的」なのかもしれませんが、ぽん太にはさらに「ジャズ的」にさえ聴こえました。ブッフビンダーの弾き振りは「ピアノを弾きながら指揮もします」というものではなく、弾き振りでしかできない音楽を聴かせてくれたと思いました。
 第5番「皇帝」は、こんどこそ指揮者が入るのかと思っていたら、こちらも弾き振り。さすがにちょっとテンポの乱れもありましたが、やはり素晴らしい演奏でした。最終楽章の末尾、ティンパニと互いにアイコンタクトを取り合いながらのリタルダンドなどは、すごい緊張感と迫力でした。
 熱狂的な拍手に応えて、ピアノ独奏のアンコールを二曲演奏。最初は『悲愴』の最終楽章。二曲目は聞いたことがないヴィルトーゾ的な曲で、シュトラウスのメドレーみたいでしたが、他の人のサイトによれば、アルフレッド・グリュンフェルトの「ウィーンの夜会~ヨハン・シュトラウス『こうもり』等のワルツの主題による演奏会用パラフレーズ作品56」だそうです。


ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン 2013
ベートーヴェン ピアノ協奏曲チクルス
2013年11月13日
サントリーホール

曲目 ベートーヴェン: ピアノ協奏曲第1番 ハ長調 op.15
          : ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調 op.73「皇帝」

ピアノ&指揮:ルドルフ・ブッフビンダー
出演:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

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2013/11/18

【歩かないと行けない温泉(10)】秘密の呪文でたどり着けます。ガラメキ温泉(歩行時間片道1時間)(★★★★)

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 榛名富士に登ったぽん太が行きたかったところ……それは、ガ・ラ・メ・キ・温・泉です!いきなりガラメキ温泉に行くと言ったらにゃん子が反対するに決まってるので、とりあえず榛名富士に登って、ついでにガラメキ温泉に行くことにしたのだ、はははっはは。

 ぽん太とガラメキ温泉の出会いは、田山花袋の『温泉めぐり』です。田山花袋といえば、教科書的には『田舎教師』や『蒲団』が有名ですが、温泉好きとしても知られています。その『温泉巡り』の「榛名へ」という章に、「その他、相馬ヶ嶽の東南麓にガラメキという小さな温泉がある。旅舎は一軒か二軒しかないけれども、また世離れたところがあって行って見て面白い。」と書いてあったのです。そんな温泉聞いたことがないぞ〜と思ってググったところ、旅館はなくなってしまっているけど源泉が残っており、物好きな人温泉ファンが時おり訪れているということを知りました。ぽん太もかねがね一度行ってみたいと思っておりました。
Img_6942 榛名湖から松之沢峠を越えて、群馬県立農林大学校へと南東に下って行く道の途中に林道の分かれ道があります。ゲートの前に車を停めることができます。分かれ道の数メートル上にも、車を停められるスペースがあります。
Img_6963 林道は、ダイナミックな岩山の鷹ノ巣山を回り込むように進んで行きます(2013年12月31日付記:この岩山は「黒岩」と呼ばれる岩で、鷹ノ巣山ではありませんでした。また同時にルート図の間違いを修正しました)。途中、道が雨水でえぐられたり、崖が崩落したりしているので、十分な注意が必要です。
Img_6944 途中に二カ所ほど渡渉がありますが、足を濡らさずに渡ることができました。
Img_6945 大正時代に旱魃のため雨乞いをした史跡がありました。時間がないので見学はしませんでした。
Img_6946 ガラメキ温泉にたどり着くための秘密の呪文は、「分かれ道は右へ右へ、最後の三叉路を左へ」です。途中、ところどころに有志による案内板があります。
Img_6949 と、登山道に沢ガニが!
Img_6961 ちょっとした広場に出ると、石垣があります。これが昔の旅館の跡か?
Img_6952 ふと傍らを見ると、洒落た看板が設置されています。この温泉が、物好きな人温泉ファンにどれほど愛されているかが分かります。
Img_6953 その先に行くと、沢の中にあるブルーシートが見えます。これだ、これだ!ブルーシートを外すと、鉄製のふたがあります。そのふたをはずすと、ガラメキ温泉の源泉です。ところが、泥が流れ込んで、どろどろに濁ってしまいました。そこでお弁当を食べながら、お湯が済むのを待つことにしました。
Img_6954 しばらくして見に行くと、だいぶお湯が澄んでいました。お湯と言っても30度くらいでしょうか、水よりは暖かいというぐらいです。場所が沢のなかになっていて、沢水が流れ込んでいます。表面よりも、下の方が暖かいようです。入り込む沢水の量に比べ、流れ出るお湯の量が多いようなので、けっこう底から湧いているようです。時おり泡が出てきます。泉質は不明です。
Img_6959 グロ注意!体力が衰えつつあるぽん太は、入るかどうか迷いましたが、物好き温泉ファンとしてはここまで来て入らないわけにはいきません。根性で入りました。10月末だけど暖かい日で良かったです。けっこう深いのでご注意を。ちなみににゃん子は入りませんでした。
 Img_6955 傍らに、有志が作ったと思われる管がありました。ここからちょっと暖かい(33度くらいか?)お湯が出ています。この管の付け根から漏れているお湯も、暖かかったです(35度くらいか?)。このお湯に入りやすくするには、浴槽(?)の周りをコンクリートで固めて、沢水が流れ込まないようにする必要がありそうです。どなたかお願いします。
 物好き一部の温泉ファンに愛されているガラメキ温泉。「ガラメキ」という名前の響きがエキゾチックです。冷たくて入り心地はまったくよくありませんし、わざわざ1時間歩いてこの温泉?という徒労感がいいです。廃墟感がかなりの加点となり、ぽん太の評価は4点です。
 それにしても、昔のガラメキ温泉って、どんなところだったんでしょう。ググってみたけど宿の写真などは見つかりません。どなたか写真をご存知でしたら教えて下され。

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2013/11/17

【登山】ちょうど紅葉が美しかった・榛名富士(榛名山)

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 たんけ温泉美郷館で摂取したカロリーを消費すべく、榛名山に登って来ました。榛名山の最高峰は掃部ヶ岳(かもんがたけ、1449m)ですが、標高は低いものの榛名のシンボル的存在の榛名富士に登ることにしました。榛名山に来たのには理由があって、もう一カ所行きたいところがあるのですが、それは次回のブログにて。

【山名】榛名富士(榛名山)(1390.3m)
【山域】赤城・榛名・荒船
【日程】2013年10月30日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】晴れ
【ルート】10:42レークサイドゆうすげ…(北側登山道)…11:22榛名富士…ロープウェイ榛名富士山頂駅…(南側登山道)…(榛名湖沿いの道)…12:25レークサイドゆうすげ

(※大きい地図や3D地図、当日の天気図などはヤマレコの記録へ)
【マイカー登山情報】レークサイドゆうすげやその付近に多数駐車場あり。

Img_6924 平日でしたが天気に恵まれたせいか、榛名湖周辺は人出が多かったです。全山紅葉とはいきませんでしたが、ところどころ樹々がとてもきれいに色づいていました。
 登山口はちとわかりずらいですが、レークサイドゆうすげを正面に見て、左手の方から裏側に回り込んでいったあたりにあります。
 ロープウェイで簡単に登れるちっちゃな山ですが、自然保護のために登山道が整備されていないとのことで、けっこう自然が残されており、登山の気分になれます。沢筋がいくつもあって登山道が分かりにくいですが、木につけられたテープを頼りに登りましょう。ぽん太とにゃん子は、さいしょ道でないところを直登してしまい、大変な思いをしました。
Img_6928 あっという間に神社の横に出ます。ロープウェイで上って来た観光客が大勢おりました。
Img_6925 この神社は「富士山神社」という名前で、富士山の浅間神社と同じく木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀っているようです。
 頂上からは、榛名の峰々が見えて景色が良かったです。
Img_6932 下山は、南側に降りて行く登山道にしました。駅に向かって右手の方に道があります。
 ジグザグのつづら折りの道ですが、道の傾斜が緩すぎて、無駄に左右に移動している気がしました。
Img_6933 車道をたどり、一部は湖沿いの小径を歩いてレークサイドゆうすげに戻りました。途中紅葉がきれいでした。

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2013/11/16

【温泉】素晴らしい旅館だけどもうひとつ売りが欲しい。たんげ温泉美郷館(★★★★)

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 群馬県の中之条から、四万温泉に向かう国道363号を北上します。しばらくして左折し、沢渡温泉を経て暮坂峠に向かう道に入ります。その道を沢渡温泉の手前でさらに右折して北上していくという山の中に、たんげ温泉美郷館があります。こんなところに温泉があったかいな?と思ったら、1991年にオープンとのこと。地域の過疎化がすすんだため、なんとか村おこしをという思いから、地元で林業を営む会社社長が、自社の敷地内の建てたものだそうです。そのためか、木がふんだんに使われています。公式サイトはこちら。ぽん太が宿泊したのは10月末ですが、紅葉にはちょっと早かったです。
Img_6917 建物は立派な和風建築。まだ新しいですが、ちゃんとした素材を使った木造建築ですから、十年、二十年と時を重ねるにつれ、風格が増してくることでしょう。
Img_6916 玄関を入ると、総檜作りの広々としたロビー。天井も高くて、木造建築とは思えない大きな空間に圧倒されます。
Img_6913 ぽん太は狭くて安い部屋を選択しましたが、それでもこの通り。新しくきれいで、建付けのいいきっちり造られた和室です。山奥の一軒宿ですがけっこう広く、部屋数も多いようです。
Pa300054 お風呂は、内湯の瀬音の湯と露天風呂の月見の湯(毎日男女交替)と、こちらも毎日男女交替の二つの内湯・滝見の湯、さらに予約なしで無料で入れる二つの貸し切り露天風呂があります。
 写真は瀬音の湯です。法師温泉に似た感じで、木造ながら洋風のアーチ窓があります。アーチ窓にはステンドグラスがはまっていて、朝に入るときらきらと光り輝きます。木製の浴槽の縁には、亀や貝などのちっちゃな置物が設置され、興を添えています。
Pa300068 こちらが貸し切り風呂。美しい清流を眺めながら入ることができます。宿のすぐ横を流れる清流はとっても水がきれいで、客室からも見え、滝見の湯からは風雅な滝を眺めることができます。温泉から見える景色はかなり高得点です。これで紅葉真っ盛りになったらさぞすばらしいことでしょう。
Img_6909 お湯は無色透明で、なめると苦甘いです。泉質はカルシウムー硫酸塩温泉とのこと。
Img_6911 この宿は「源泉湯宿を守る会」に所属しており、もちろん源泉掛け流しです。ただ泉温が36.5度ということで、循環加熱はしているようです。丁寧に源泉を扱っていますが、惜しむらくは元々の温泉力がちょっと弱いところ。
Img_6891 夕食は、別室の個室でいただきました。彩りも鮮やかで品数も多い立派な会席料理です。この時期土瓶蒸しは松茸を期待しましたが、舞茸だったのがちと残念。お刺身も美味しかったですが、群馬の山奥で食べなくても…。
Img_6893 なんと意外にもビーフシチューのパイ包みが出て来ました。お肉がやわらかくて美味しかったです。
Img_6895 川魚(なんだか忘れました)の塩焼きや天ぷらといった定番の料理も、温かい状態で一つひとつ運ばれて来ます。
Img_6903 朝食も品数が多くて美味しかったです。
 木をふんだんに使ったゆったりと広い建物、源泉掛け流しの温泉、一つひとつ凝った浴室、品数豊富な懐石料理。サービスも悪くありません。しかし、お値段もそこそこいいので、ぽん太の評価では、「普通の高級旅館」に分類されてしまいます。近郷の人がちょっとした記念日などに利用するにはいいと思うのですが、わざわざ東京から出かけていってこの宿に泊まるには、もう一つ目玉が欲しいところ。地元の食材を使ったお料理、とか。とはいっても、普通にとってもいい宿であることは間違いありません。

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2013/11/15

【拾い読み】混浴のみならず、温泉や銭湯の歴史がわかります。下川耿史『混浴と日本史』

 ふと目にとまって、下川耿史(しもかわこうし)の『混浴と日本史』(筑摩書房、2013年)を読んでみました。混浴の歴史を真面目に研究している人たちがいるということも驚きでしたが、その内容も知らないことばかりで、目から鱗の体験でした。普段なにげなく入っている温泉ですが、こんな歴史があったんですね。
 以下、いつものように、ぽん太が面白かったところの抜き書きです。
 日本における混浴の記録は、養老5年(721年)の『常陸風土記』が最初とされていて、混浴の記述が二カ所あるそうです。また、天平5年(733年)の『出雲風土記』にも、二カ所に混浴に関する記述があり、一つ目は現代の玉造温泉、もうひとつが湯村温泉と考えられるそうです。ぽん太が以前に湯村温泉を訪れた時の記事はこちらです。
 歌垣(うたがき)、あるいは東日本では嬥歌(かがい)という風習があり、特定の日に若い男女が集まって飲食をし、歌を交わしながら、気に入った相手と性的な関係を持つというものだそうです。著者ははっきりした証拠は挙げておりませんが、しばしば歌垣の場となった「川あみ」(川で水浴すること)と同様、温泉も歌垣の場となったのではないかと言います。
 『古事記』や『日本書紀』では、黄泉の国から逃げ帰ったイザナギの命が、穢れを清めるために禊(みそぎ)を行ったところ、次々と神を生んだとされています。そのことはぽん太も知ってましたが、著者は、水辺で次々と女性と交わったと解釈し、禊と歌垣とを結びつけています。これが定説なのか、著者の思いつきなのか、ぽん太は判断できません。
 お湯ではなく海水ですが、大阪の住吉大社では、明治時代の終わりまで、夏祭りの神輿渡御が長峡の浦(ながおのうら)で、数百人の男女が丸裸で押し合いへし合い海水を浴びるという行事が行われていたそうです。現在の住吉祭りの神輿洗神事の前身でしょうか。
 諏訪温泉、草津温泉、道後温泉は、縄文時代から湧き出ていて、当時の住民が活用していたことが確認されているそうです。別府温泉に関しては、『豊後国風土記』や『万葉集』に、血の池地獄に当たる「赤湯の泉」や、鉄輪温泉にあたる「玖倍理湯の井」(くべりゆのい)といった記述があるそうです。蔵王温泉、万座温泉、伊香保温泉、和歌山県湯の峯温泉、佐賀県古湯温泉などは、弥生時代から古墳時代に始まったとされているそうです。
 奈良時代になった頃、歌垣は性的意味合いが消失し、農作祈願の行事となり、踏歌節会(とうかのせちえ)という宮中行事になったそうです。
 湯(ユ)という言葉が、斎(ユ)から来ているという説があり、折口信夫もその一人ですが、それが正しいかどうかは疑問があるとのこと。
 東大寺には750年頃に大湯屋と称する浴室が設けられ、修行としての入浴と同時に、衆生救済としての入浴が行われました。これが日本人が温泉以外のところで入浴することになった始まりだそうです。
 経典の「大比丘三千威儀経」(だいびくさんぜんいぎきょう)や「仏説温室洗浴衆僧経」(ぶっせつうんしつせんよくしゅうそうぎょう」には、入浴の効用が書かれているそうです。また「教誡律儀輯解」には、入浴のマナーが書かれているそうです。
 大寺院が庶民に風呂を提供する活動は、「功徳湯」と呼ばれたそうです。風呂は蒸し風呂と洗い場からなっていたそうです。ぽん太は以前に、京都の相国寺の浴室を見学したことがありますが(そのときの記事はこちら)、それと似たようなものだったのかもしれません。
 奈良時代、奈良は多くの僧と尼僧にあふれ、風紀の乱れがあったそうです。延暦16年(797年)、奈良に派遣された検非違使・藤原園人は、男女の混浴を禁止したそうです。当時風呂と言えるものは大寺院の風呂しかありませんでしたから、禁止令以前は僧と尼僧の混浴が行われていたと考えられるそうです。
 平安京には、最初から天皇が入浴するための「御湯殿」が設けられていたそうです。また後醍醐天皇(在位1318〜1339年)の撰といわれる『日中行事』には、天皇が入浴する際の手順が書かれているそうです。
 天皇ではなく、貴族の屋敷に湯殿が設置されたのは、平安時代後期と考えられており、藤原実資の『小右記』の長元元年(1028年)の条に「湯屋の近くに井戸を掘った」という記載があり、これが個人の家に湯屋があることの最古の記録だそうです。
 その後、女性が湯殿で主人の世話をするというやり方が広まり、湯殿で性的関係を持つことがポピュラーになったそうです。
 「銭湯」(町湯)がいつ頃できたかは、はっきりしていないそうです。『公衆浴場史』では、公家日記などを根拠に、平安時代としているそうです。
 一方「銭湯」という言葉の初出は、『祇園執行日記』の正平7年(1352年)1月の条だそうです。
 銭湯が混浴だったかどうかに関しては、『公衆浴場史』によれば、鎌倉時代から室町時代に、温泉の混浴の風習が浸透して来て、銭湯も混浴になったんだそうです。
 『竹取物語』のなかに、かぐや姫に難題を与えられた倉持の皇子が朝廷に、「筑紫の国に湯あみに行ってくる」という口実で休暇届を出す場面があるそうです。この温泉は吹田温泉を指すとされているそうです。温泉に湯治に出かけるために休暇を取ることは、湯治はしばしば行われていたそうです。
 平安時代には、西国三十三所の霊場めぐりという風習が始まりましたが、『西国三十三所名所図会』などを見ると、それは温泉巡りとセットになったレジャーだったそうです。また、大阪の「堺の塩湯」や、京都の「八瀬の窯風呂」が有名だったそうです。
 建久2年(1191年)、有馬温泉に「湯女」(ゆな)と呼ばれる女性がサービスするという、風呂史上の画期的な出来事が起きたそうです。彼女らは、ときに遊女のようなことも行ったそうです。とはいえ、湯女は各宿坊に二人と決められており、また湯治有馬温泉は多くの湯治客で賑わっていたため、性的サービスがメインという状況ではなかったと考えられるそうです。
 鎌倉時代になると、それまでは寺院が行うものであった施湯を、豪族から村人までの個人が行うようになったそうです。それは時に、慈善活動の色彩も帯びました。
 慶長19年(1614年)に出版された『慶長見聞集』には、江戸の最初の銭湯は1529年に開業したことが書かれているそうです。その後二十数年後には、各町内に銭湯ができるほどになったそうです。当時の風呂には、戸棚風呂という狭い蒸し風呂に戸を開け閉めして入る方式と、ざくろ口を持った形式とがあったそうです。
 湯女風呂が最初にできたのは、天正18年(1590年)の大阪。しかし当初は性的な色彩はなかった。湯女が遊女に変わってきてのは、寛永中頃(1630年頃)と考えられる。その後急速に拡大し、1950年代の江戸には200軒以上の湯女風呂があったそうです。なかでも神田四軒街から雉子町にかけては美麗を尽くした湯女風呂が並んでおり、堀丹後守の前に位置することから、「丹前風呂」と呼ばれた。勝山という湯女が特に人気で、どてらを粋に着こなしていたことから、どてらを丹前と言うようになったんだそうな。
 1638年頃から幕府は、湯女風呂を規制する布告を何度も出すようになりました。そして明暦2年(1656年)、吉原が日本橋から浅草の北に移転したのをきっかけに、湯女風呂はすべて取り壊され、残った湯女は吉原に送り込まれたそうです。
 このあと、男性ばかりの風呂に女性が入り込むようになり、この混浴の形態を「入り込み湯」と呼びました。江戸に女湯ができたのは、ようやく1733年ごろになってからと考えられます。寛政の改革で、1791年に徳川幕府初の混浴禁止令が出されましたが、その後も混浴がなくなることはなかったようです。
 明治時代になって、日本蔑視の理由になりかねない混浴は徹底的に規制されました。しかし地方や温泉場では、混浴が許されていたようです。
 1913年、伊東温泉の北里柴三郎の別荘内に、温泉を使った温水ブールが作られたそうで、「北里万人風呂」と呼ばれたそうです。ぐぐってみると、万人風呂ではなくて「千人風呂」のようで、例えばこちらの北里大学のサイトに写真が載っております。伊東温泉の松川歩道の「湯壷より鮎つる見えて日てり雨」という木下杢太郎詩碑の前あたりにあったようですが、正確な場所がわかりません。こんど伊東に行ったときに探してみます。
 この後、伊東でやまだ屋という温泉旅館を経営していた井原兄弟が、温泉プール2号を造り、これが「千人風呂」と呼ばれたといいます。実は井原兄弟は、このプールを混浴風呂として利用しました。また、ロンドンオリンピックに向けての水泳選手の強化合宿のため、この温泉プールが使われたんだそうです。

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2013/11/14

【観光】群馬サファリパークでホワイトタイガーの赤ちゃんと記念撮影、「八重の桜」ゆかりの安中市

037copy 群馬サファリパークで行われているホワイトタイガーの赤ちゃんと記念撮影ができるというイベントが、11月4日で終了すると聞き、10月末に行ってきました。群馬サファリパークの公式サイトはこちらです。
 会場は、遊園地エリアにあるイベントホールで、動物ゾーンに入場する必要はありませんでした。撮影は一回15組限定で、一日5回。さいわい枠が空いてました。まわりが子供たちばっかりだったらどうしようかと思いましたが、けっこう大人も多かったので安心しました。
 イベント終了が近づいていることからも分かるとおり、かなり成長していて、ちょっとした犬くらいの大きさでした。それなのに動きはまるっきり赤ちゃんなのが、かえって可愛かったです。始まる前はすやすや寝てて、撮影が始まってからもとってもおとなしく、自分の手をくわえたりしてました。
 けっこう毛は剛毛で、手足はとてもぶっとかったです。たちまち成長して、ぽん太の方がエサになってしまうことでしょう。
 一回の撮影が30分以上で、一日5回だと、赤ちゃんにとってはけっこう重労働ですね。写真を撮っておいて言うのもなんですが、ちょっと可哀想かも。ご苦労まさでした。

Img_6878 せっかく群馬まで来たので、「八重の桜」ゆかりの安中に寄ることにしました。途中、富岡の「酪農家手作りアイス工房じぇら21」でアイスをいただきました。ホームページはこちら
Img_6877 ぽん太が食べたのはこちら!枝豆とイチジクの和風(?)の取り合わせです。地元の素材を使った美味しいイタリアン・ジェラートでした。

Img_6881 さて、「八重の桜」ゆかりの安中市に移動です。新島襄は、安中藩の出身です。とはいえ生まれたのは江戸の安中藩上屋敷で、現在の神田の学士会館のあるところだそうです(Googleマップ)。
 安中の新島襄ゆかりの地を訪ねたい方は、こちらのページからリンクしてある「襄・城ヒストリート」のパンフレット(地図もあり)を印刷して持って行くといいでしょう。
 さて、左の写真は「新島襄旧宅」。新島襄の両親が住んでいた家を移築保存したもので、アメリカから帰国した新島は明治7年(1874年)にこの家で両親や姉妹に再会し、日本での活動の第一歩を踏み出したんだそうです。
Img_6886 こちらは日本キリスト教団安中教会です。ホームページはこちら。「安中教会」は、明治11年(1878年)に「有田屋・便覧舎」で新島襄が信者に洗礼をしたのが始まりで、しばらくは便覧舎に置かれました(「襄・城ヒストリート」のパンフに場所が書かれています)。明治16年(1883年)に碓氷会堂が建てられたそうですが、ググってみてもこの場所がわかりません。今の安中教会の場所でいいのでしょうか?写真の建物は、大正8年(1919年)に新島襄昇天30年を記念して建てられたもので、新島襄はこの建物を見たことはありません。幼稚園がある関係などから、観光客が敷地内に入ることは出来ず、見学にはあらかじめ申込をする必要があるようです。
 ほかにもいろいろと面白そうなスポットがあるのですが、時間がないので行けませんでした。こんどゆっくりみちくさしてみたいと思います。

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2013/11/13

【登山】滝は見えれど富士見えず・滝子山(ずみ沢往復)

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 10月15日から16日にかけて、「ここ10~20年で最強クラス」と言われた台風26号が通過。17日は台風一過の晴天になると踏んで、富士山が見える山に行くことにしました。滝子山は、中央道で大月を過ぎて、初狩から笹子のあたりで右手(北側)にある山で、大月市の秀麗富嶽十二景にも選定されている、絶好の富士山スポットです。

【山名】滝子山(1620m)
【山域】奥秩父
【日程】2013年10月17日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】曇り
【ルート】(ズミ沢往復)10:28道証地蔵登山口…12:45滝子山山頂13:30…14:52道証地蔵登山口

(※大きい地図や3D地図、当日の天気図などはヤマレコの記録へ)
【マイカー登山情報】道証地蔵のやや手前右側に、車5〜6台ほどの駐車スペースがあります。普通車で入れますが、途中の道はけっこうダンプが通ってたのでご注意を。

Img_6851  登山ルートはいくつかありますが、歩行時間が一番短いスミ沢コースを選択しました。沢に沿って登っていく道で、昭文社の地図には「平ツ沢」と書かれていますが、「ズミ沢」という名前の方が一般的なようです。
 「道証地蔵」(みちあかしじぞう)という名前は初めて聞きました。ぐぐってみても、このお地蔵様以外はヒットしないようです。コトバンクには、奈良〜平安期に「道証」という僧がいたと書かれています。また広島県の福山市には道証寺というお寺があるようです(Yahoo!ロコ)。また、禅の教えを表現した唐時代に作られた長詩で「証道歌」というものもあるようです(Weblio辞書)。いずれにせよ、悟りへの道を示すという意味と、道しるべの意味が重ねられているのでしょう。
 紅葉は一部だけでした。あるいは紅葉しかかった葉が、台風で散ってしまったのかもしれません。
Img_6854 「滝子山」という名前のとおり、途中でいくつかの滝を眺めることができます。沢の水はとてもきれいです。ちょっと暑い時期に登ると、清涼感があっていい登山道かもしれません。
Img_6856 道が途中で二手に分かれており、一方が「難路」、もう一方が「迂回ルート」と書かれています。ぽん太は「難路」を選択しました。ちょっとザレているところがありますが、子供ずれや登山の超初心者はいざ知らず、普通に山を歩いている人にとっては危険はありません。沢沿いの登っていくルートで、滝も見えます。一方で「迂回ルート」の方は、林のなかのつづら折りの単調な道なので、登りは「難路」を選択することをお勧めします。
 写真は見事なナメ滝です。台風あけで水量が多いせいで、このようなダイナミックな光景を見れたのかもしれません。
Img_6862 上流にさかのぼると、川底は花崗岩が砕けたような白砂になります。この沢の水がきれいなのは、このせいかもしれません。
Img_6866 やがて、冒頭の写真のような広々とした樹林帯に出ます。さらに登っていくと、登山道脇に小さな祠があります。案内板には、薄くなって読み取りにくいですが、「白縫神社」と書かれています。大月市の民話というサイトにあるように、保元の乱に破れた源為朝の妻・白縫姫は、乳飲み子を連れて甲斐まで逃げ延びてきて、この場所に小屋を作って隠れ住んだという伝説があるそうです。
Img_6872 こちらが、その時に飲み水を得たという鎮西池です。
Img_6868 山頂です。あいにく雲がかかっていて、富士山は見えませんでした。滝子山には1,590メートルの三角点峰もあるそうですが、ぽん太は行くのを忘れてしまいました。

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2013/11/12

【登山】霧のなかの霧ヶ峰(八島ヶ原湿原、車山、旧御射山)

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 おいしい松茸を堪能したあとは、カロリーを消費したいところでしたが、天気は小雨まじりの曇り。湿原歩きなら小雨でもいいだろうと、霧ヶ峰に行くことにしました。登り始めはお昼前。天気と時間を見ながら臨機応変でコースを変更するつもりでしたが、けっきょく雨には降られず、車山まで行くことができました。

【山名】車山(1925.0m)
【山域】八ヶ岳・蓼科
【日程】2013年10月3日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】曇り
【ルート】一11:25八島ビジターセンター…12:16物見山…12:41蝶々深山…13:18車山…車山肩…15:16八島ビジターセンター

(※大きい地図や3D地図、当日の天気図などはヤマレコの記録へ)
【マイカー登山情報】八島ビジターセンターに広い駐車場があります。

Img_6806 八島ヶ原湿原はすっかり秋の姿でした。残念ながら茶色系で、草紅葉とはいきませんでした。天気が悪いせいか、観光客もまばらでした。霧ヶ峰という名の通り、霧が周辺の山々を覆っています。
Img_6815 写真では色が出ていませんが、赤い木のみが色鮮やかでした。
Img_6826 霧が高くなって来たので、物見石から蝶々深山への道を辿ることにしました。ツツジの紅葉が綺麗でした。
Img_6832 風に揺られるススキの穂が、寂寥感を誘います。
Img_6837 車山の山頂にある車山神社です。諏訪地方では、「7年目」ごとに有名な御柱祭が行われますが、それが終わると各地区に祭りの舞台が移っていくのだそうです。ここ車山神社で行われる車山御柱小宮祭では、御柱を山頂に向かって引き上げるという、諏訪地方でも唯一の方法で行われるそうです。車山御柱小宮祭の公式サイトはこちらです。
Img_6845 何の変哲もない原っぱに見えますが、御射山(みさやま)遺跡だそうです。八島ヶ原湿原の南、ヒュッテ御射山の東側です。中央奥に見える石碑に書かれた文字は、たぶん「史跡雚御射山競技場」だと思いますが、ぽん太には意味が分かりません。
Img_6843 案内板によると、ここは、平安時代から元禄年間まで、下社の御射山祭が行われた場所です。江戸初期に移転した後は、旧御射山(もとみさやま)と呼ばれるようになったそうです。毎年七月の下旬に行われ、豊作を祈願したそうです。
Img_6844 同時に騎射の技比べなどが行われ、競技場のまわりには観戦用に築かれた土塁が残っているそうです。近くには御射山神社もあるようですが、土塁とともに、今回はぽん太は見逃してしまいました。そのうち、草の少ない時期に行って確認してみようと思います。
 「御射山」でググっているうちに、京都に「御射山町」という町名があることがわかりました。こちらのページにあるように、以前に御射山神社があったため、このような町名になったんだそうです。

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2013/11/11

【松茸・温泉】●●●●(★★★★★)

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 今年は国産松茸の当たり年とのこと。食べたや、食べたや。食べたいけど高いし。どこかリーズナブルなお値段で松茸を食べるところがないかと探し、今年はここにしてみました。とってもよかったので来年も行きたいので、混まないように名前は秘密です。行ったのは10月あたまです。
Img_6780 門構えは、ちょっと古い普通の旅館。入り口の松茸のハリボテが素朴な味わいです。
 受付で、「今日はこんなに採れました」と松茸を見せてくれたのが上の写真。思わず「国産ですか?」と聞いたら、ここらでは国産は当たり前で、国産のなかで●●村産か、××村産か、という話をするんだそうです。いいですね〜。ぽん太は外国産は当たり前で、外国産のなかで韓国産か、カナダ産か、という会話です。
Img_6783 客室は、普通にきれいな和室です。
Img_6802 松茸がいただける上に、ちゃんと温泉であるところがうれしいです。無色透明のお湯で、泉質は単純硫黄冷鉱泉(弱アルカリ性低張性冷鉱泉)だそうです。露天風呂もあり、大きな御影石一枚をくり抜いて作った浴槽です。
 また、歩いて2分のところにある新館のお風呂も利用できます。こちらのお湯は、お肌がすべすべになる美人の湯です。
Img_6785_2 泉質はナトリウムー炭酸水素塩泉(弱アルカリ性低張性低温泉)です。なめると炭酸味があります。炭酸水素イオン(HC03-)2776mg/kgは、かなりの含有量です。pH7.46は、そんなに強いアルカリ性ではありませんから、スベスベするのは成分が関係しているんだと思います。
Img_6786 さて、いよいよ夕食です。お食事どころでいただきます。スタンバイ完了!空いてるところに何が運ばれて来るのかな?
Img_6787 松茸鍋です。MATUTAKE ON BEEF!!
 定番、松茸土瓶蒸し。ふつう松茸土瓶蒸しというと、銀杏を入れたりエビを入れたりしてしまいますが、ここは松茸と出汁のみ。でも、とっても美味しいです。後ろにはニジマスの唐揚げも。
Img_6792 二人で松茸姿焼き「一本」を追加注文。さすが採りたて、みずみずしくてとっても美味しかったです。
Img_6794 松茸茶碗蒸しです。
Img_6800 松茸ホイル包み焼きです。
Img_6796 ふ〜。満腹で松茸ご飯が食べられません。サランラップをもらって、お土産にしました。
Img_6801 デザートは松茸アイスクリーム。さすがにこれは無理ではないかと思ったのですが、松茸の香りとミルクとはとても合います。考えてみれば、マッシュルームとかはクリームソースと合いますもんね。
 このほかに、お造りや煮物などが付きます。
Img_6803_2 こちらは朝食です。
 建物は普通ですが、別館の温泉の美人の湯は高得点。そしてなんといっても美味しい採れたての国産松茸をおいしくいただけるというのがF難度で、ぽん太の評価は5点満点。来年も行こうっと。

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2013/11/10

【ジャズ】会場の雰囲気が…「ハービー・ハンコック 2013」

 ジャズには疎いぽん太ですが、ジャズ好きのにゃん子に誘われて渋谷に行ってきました。ネットで下調べをすると、ハンコックは某宗教の熱心な信者とのこと。確かに会場のオーチャードホールには、普段のジャズ・コンサートの客層と違う奥様方、おじまさ達が大勢来てらっしゃいました。プレイヤーの呼びかけに応じて観客が歌うところや、コンサート終了後の一斉の大拍手が、なんかジャズのけだるさとは異質で、「集会」っぽい感じがしました。
 曲も、特にハンコックのソロの曲とかが、東洋っぽいというか仏教ぽいっというか、唱名にもちょっと近いような音色に聞こえました。
 ハンコックは、ピアノだけでなく、シンセサイザー(手持ちのシンセサイザー?も)を操り、しかも電気的な処理や効果を多用して、多彩な音色や、一人で弾いているとは思えない複雑な音楽を演奏しておりました。ハンコックの歌がキーボードの音として流れたり、リズムボックスを使ったり、弾いた音を記憶させて反復したりしてた気がします。手持ちシンセでは、まるでエレキ・ギターのような音も出してました。
 ギターのリオネール・エルケの超絶技巧にも驚きました。特にソロ演奏では、ギターを叩いて音を出したりし、またボイス・パーカッションを入れながら歌ったりしてた気がします(違うかも)。ヴィニー・カリウタも力強いドラムでした。
 一曲いっきょくがけっこう長く、大きいホールに負けない迫力がありました。

ハービー・ハンコック 2013
2013年11月6日
Bunkamuraオーチャードホール

ピアノ・キーボード/ハービー・ハンコック、ドラムス/ヴィニー・カリウタ、ベース/ジェームス・ジナス、ギター/リオーネル・ルエケ

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2013/11/09

【映画】(ネタバレあり)泣くことは泣いたけど「そして父になる」

 ちかごろ話題の「そして父になる」を観てきました。面白かった『誰も知らない』の是枝裕和監督がメガホンをとり、カンヌ国際映画祭で審査員賞を取ったということで楽しみにしていたのですが、ちょっと期待はずれでした。公式サイトはこちら、Movie Walkerのページはこちらです。
 「裕福な家族と貧しい家庭が子供を取り違える」という設定は陳腐ですし、「人の気持ちがわからないエリートが、家族への愛に目覚める」というテーマも陳腐で、その二つを組みあせてみたわけですが、特に新たなものを生み出すことはなかったようです。
 もちろんぽん太も泣きましたよ。泣きましたけど、それは芸術劇な感興ではありませんでした。
 よかったところを挙げますと、まずリリー・フランキーさんの演技。ぽん太は初めて観たのですが、粗野ながら暖かみがある家庭を見事に描き出していました。つぎに、是枝監督のストーリーの省略の仕方。最終的に子供が交換されることになるあたりがバッサリ省略されていたり、野々宮良多が息子が作ってくれたバラの花を亡くすシーンがなかったり……というあたりがよかったです。
 一つひとつの場面を取ると、妻のみどりが夫の「やっぱりそうだったのか」とかいう言葉をなじるところなど、魅力的なシーンも多かったです。また慶多がカメラのプレゼントを断った理由が後でわかるとか、野々宮良多が母親に何を謝ろうとしたかが後でわかるとか、細かいところは悪くないです。
 子供の取り違えの原因が、病院のミスではなく、野々宮の幸せな家庭を妬んだ看護師の犯行だったというのにはびっくりしましたが、その話はその後あまり展開しませんでした。
 ラストシーンもぽん太は、育ての子と和解しつつ実の子と暮らして行くという結末だと思ってましたが、にゃん子に聞いたら、育ての子と暮らすことを決意したんだという。そういわれてみれば、そういう気もしてくるけど、でも、相手方の親の考えもあるじゃん。ん〜、なんか曖昧になってるのね。題名が「そして父になる」だから、血を取るのか、それとも家族として暮らした時間を取るのか、という二者択一に結論を出すのが結末じゃなくて、血のつながった子供と、6年間育てた子供の、両方の「父になる」というのが結末なのかもしれません。
 ん?なんか、色々思い出して考えているうちに、面白い映画に思えてきたな〜。もう一回見てみようかしら…。
 演技に関しては、上に挙げたリリー・フランキーだけでなく、出演者全員が良い仕事してました。子役も素晴らしかったですが、これは監督のお手柄ですね。

「そして父になる」
製作年 2013年
製作国 日本

【スタッフ】
監督 是枝裕和
脚本 是枝裕和
エグゼクティブプロデューサー 小川泰 、 原田知明 、 小竹里美
製作 亀山千広 、 畠中達郎 、 依田巽
プロデューサー 田口聖 、 松崎薫
撮影 瀧本幹也
美術 三ツ松けいこ
録音 弦巻裕
照明 藤井稔恭
編集 是枝裕和
衣装 黒澤和子
アソシエイトプロデューサー 大澤恵
ラインプロデューサー 新野安行
助監督 熊谷悠

【キャスト】
野々宮良多 福山雅治
野々宮みどり 尾野真千子
斎木ゆかり 真木よう子
斎木雄大 リリー・フランキー
野々宮慶多 二宮慶多
斎木琉晴 ファン ショウゲン
織間忠治 大河内浩
野々宮のぶ子 風吹ジュン
上山一至 國村隼
石関里子 樹木希林
野々宮良輔 夏八木勲

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2013/11/08

【温泉】栗駒山の雄大な自然に囲まれた大露天風呂。須川高原温泉(★★★★)(付:厳美渓)

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 9月中旬、ぽん太とにゃん子は、須川高原温泉に泊まってきました。岩手県、秋田県、宮城県にまたがる栗駒山の、北麓に位置する秘湯です。公式サイトはこちらです。
Img_6720 建物は大きく立派で、秘湯らしさはありません。須川温泉は栗駒山の登山口にもなっており、シーズンは登山客で賑わうようです。標高1129メートルにあり、栗駒山の大自然に囲まれ、広々とした風景が見事です。
Img_6756 宿の傍らには巨大な大日岩があります。
Img_6766 西の方向には、うっすらと鳥海山が見えます。
Img_6721 内部はちと古い普通のホテルという感じで、部屋も普通の和室です。
Img_6722 温泉は、男女別の内湯と、男女別の露天風呂(大日湯)があります。露天風呂はいったん玄関を出て、左側にあります。写真の緑の壁の向こう側が露天風呂で、とっても広く、大日岩を間近に眺めながら入浴することができます。日帰り入浴の利用者も多いようです。
Img_6723 お湯は白濁しており、硫黄の匂いがします。なめるととても酸っぱく、強酸性です(pH 2.2)。泉質は強酸性含硫化泉とのこと。泉温は50.5度で、湯量が非常に豊富なため、プールのように広い浴槽を源泉掛け流しにしても、温度が下がらず保たれています。
 内湯は、木が豊富に使われて、広くて清潔です。
Img_6762 源泉の横が登山道になっております。
Img_6725 夕焼けのの大日岩です。
Img_6728 食堂でいただく夕食は、豪華ではありませんが、地元の新鮮な食材が使われており、満足いくものです。
Img_6730 お造りと天ぷらです。朴葉の中にはいっているのは…。
Img_6731 白身魚に味噌をつけ、銀杏やなすが加わってます。
Img_6752 こちらが朝食です。
 ということでお料理は悪くないのですが、テーブルが横長に配置されてあって、他の客と距離が近いのがちょっと落ち着きませんでした。だいぶ酔っぱらって大声で話しているのがうるさくて、自分たちの会話ができませんでした。空いていたんだし、もうちょっと距離を開けてくれればいいのに。
Img_6750 ロビーに、「全国高山温泉標高順位」という表がありました。ふふふん。だいたい行ってるな。行ってないのは三つだけ。富山県の立山温泉は、標高が1390メートルと書いてあるから、今の立山山麓温泉ではなく、立山カルデラのなかにある立山温泉で、これは立ち入り禁止なので行けません。神奈川県の湯の花沢温泉は、箱根にある温泉で、現在は西武系の箱根湯の花温泉ホテルしかないらしいので、行かなくていいかな。日帰り入浴だけでも1650円だし。鹿児島の硫黄谷温泉は、坂本龍馬が新婚旅行で訪れたところとして有名ですが、現在は霧島ホテルに送湯しているだけとのこと。霧島ホテルはちょっと雰囲気がぽん太の好みでないのでパスです。
 栗駒山麓の雄大な自然、豊富な硫黄泉、大日岩を見ながらの広々した露天風呂の開放感。ぽん太の評価は4点です。食事の席は離してね。

Img_6771 翌朝は快晴。栗駒山に登りたいところですが、時間の関係で泣く泣くパス。帰りがけに、国の名勝・天然記念物に指定されている厳美渓に立ち寄りました。見事な渓谷美ですが、家が建ち並んだ街のなかにあるのでびっくり。
Img_6776 有名な「空飛ぶだんご」。対岸の店からロープを伝わって、団子とお茶が飛んで来ます。

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2013/11/07

【旅行】石巻市(FUTABA INN、石巻ハリストス正教会、六文銭、さかな処三吉、銀玉水)、陸前高田市(奇跡の一本松)

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 9月中旬、宮城県は田代島の猫に癒されたぽん太とにゃん子は、石巻市に宿をとりました。
Img_6709 お世話になったのはFTABA INN(フタバイン)。公式サイトはこちらです。ビジネス・ホテル並みのお値段ながら、ドミトリー風の洒落た建物です。古くからの旅館でしたが、一級建築士の現オーナーが跡を継いで、建て替えたんだそうです。細かいところまで気配りが行き届いており、オーナーのセンスが感じられます。カップルや、女性同士の旅にもいいんじゃないでしょうか。
Img_6707 夕食は付いていませんが、近所のお食事どころの地図(オリジナルのクーポン付き)をくれます。朝食は付けることができます。写真のしゃれた食堂でいただく、バイキング形式です。

Img_6693 もらった地図を頼りに夕食に出かけたところ、偶然、石巻ハリストス正教会の前を通りました。この教会の歴史に関しては、こちらの日本正教会のサイトが詳しいです。
 石巻ハリストス正教会は、「石巻聖使徒イオアン教会」という名称で1879年(明治12年)に創立されました。その後約20年間で、周辺に10カ所もの教会が作られましたが、次第に併合されてしまったそうです。ところがこの建物は、1978年(昭和53年)の宮城県沖地震の被害を受けたため、現在の建物が新築されました。旧教会堂は、日本最古の木造教会建築という文化的価値があるものだったため、石巻市中瀬公園に復元移転されましたが、先日の東北大震災で津波の被害を受けたことは、以前の記事に書きました。

Img_6699 さて、まず入ったお店は「六文銭」です。公式サイトはこちらです。ここも津波の被害を受けましたが、再建にこぎ着けたそうです。
Img_6696 小上がりのテーブル二つに、カウンターというこじんまりとしたお店。石巻で採れた新鮮な海の幸を始め、さまざまな料理が楽しめます。
Img_6698 クジラです。木を使った内装は雰囲気があり、本格的な居酒屋という感じです。けっこう混んでいるので、予約をしておいた方が確実かもしれません。

Img_6701 せっかく石巻市内に泊まって一カ所ではもったいないので、いつものようにハシゴすることにしました。次は「さかな処三吉」です。公式サイトはなさそうなので、食べログにリンクしておきます。
Img_6700 こちらは大衆的な居酒屋という感じで、地元の人たちで賑わっていました。安くて美味しいお店でしたが、ちょっと大きめの店なので、店の人との触れ合いはできませんでした。地元の人との触れ合いを求め、3軒目にハシゴです。

Img_6702 3軒目は「銀玉水」。こちらもホームページがなさそうなので、食べログにリンクしておきます。立派な門構えで「ふぐ」などと書いてあって高そうですが、実は安くてきさくなお店です。もうお腹いっぱいだったので、晩酌セット(生ビール2杯と料理3品)をお願いし、生ビールを日高見にチェンジしてもらいました。
Img_6703 お造りです。普通は黒い点々がついているホタテのひもが真っ白なのがわかりますか?ある方法で洗うと点々がとれることを、お店のご主人が発見したそうです。
Img_6705 ひと組いた客も間もなく帰ってしまい、お客はぽん太とにゃん子だけに。気さくなご主人と奥さんから、地元のこと、魚のこと、震災のことなど、いろいろな話を聞くことができました。「復興するのには30年くらいかかるんじゃないかな」というご主人の言葉には考えさせられました。話に熱中して、ついつい飲み過ぎてしまいました。

Img_6712 翌日は、金華山にでも行こうかと思ったのですが、定期船は日曜・祝日のみで、平日はモーターボートによる不定期便しかないとのこと。人数が集まらないと、高額のチャーター料がかかるとのことで、今回は見送ることにしました。かわりに三陸海岸を北上することにしました。
 南三陸町、気仙沼、陸前高田と一つひとつ湾をすぎるにつれ、全てを持ち去ってしまった津波の恐ろしさと、復興がちっともすすんでいない現状を思い知らされました。

Img_6715 陸前高田では、奇跡の一本松を見学しました。これについては、1億円もかける必要があるのか、ほとんど人工物じゃないか、10年くらいしかもたないらしいと、様々な批判がありました。ぽん太も、そんなにお金があるのなら復興にまわした方がいいんじゃないかと思っていました。
 しかし、実際に現地を訪れたとき、この松にかける地元の人たちの思いがよくわかりました。
 というのも陸前高田は、この松を除いて、何にもないのです。「高さ」があるものは全くなく、ただただ野原が広がるばかりです。人々の命も、家屋も、財産も、思い出も、歴史も、すべてが失われてしまったのです。こうした状況で、ただ一本残った松は、津波に打ち勝った唯一のものであり、陸前高田の失われた過去のすべてを担っているのです。「復興のシンボル」という言葉は、東京に住んでいる人には空疎な言葉に響くかもしれませんが、非常に重く深く、祈りにも似たものだということがぽん太には分かりました。
 枯れてしまったものを、人工的に復元・保存することに意味がるのか、という意見もあります。しかし、それが無意味だとしたら、失われてしまった街を復興することも無意味になってしまうことでしょう。死んでしまった人の平穏を祈ることも無意味になってしまうでしょう。
 実際に根元まで近づいてみると、この松はとっても高いです。色々な思いを抱きながら、目の前に無言で立っていました。もはや命の灯がともっていないとはいえ、非常に崇高なものであると、ぽん太は感じました。

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2013/11/06

【旅行】田代島(猫島)でねこに囲まれて幸せになる

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 9月中旬、ぽん太とにゃん子は、猫島として有名な宮城県の田代島に行ってきました。
 昔から行きたいと思っていたのですが、震災のため延びのびになっておりました。今回ようやく行く機会に恵まれました。
 Img_6558 田代島に行くには、石巻市の旧北上川河口近くにある発着所からフェリーにのります。車の駐車場もあります。利用するのは「網地島ライン」で、ホームページはこちら。1日7便ほど運行しておりますが、よほどのマニアでなければ、田代島に2時間ぐらい滞在する感じのプランニングでいいかと思います。
Img_6560 こちらがフェリー船です。切符は船内で買います。田代島には大泊(おおどまり)と仁斗田(にとだ)という二つの港がありますが、仁斗田の方が猫が多いので、仁斗田で下船するのがいいと思います。ぽん太とにゃん子はぶらぶらと大泊まで歩き、帰りは大泊から乗船しました。
Img_6564 秋の空。気持ちいいにゃ〜。大雨の影響で、海面は茶色く濁ってます。
Img_6566 田代島が見えて参りました。ひょっこりひょうたん島のモデルとも言われているそうです。もっとも、そういわれている島は他にいくつもあって、瓢箪島(ひょうたんじま)は瀬戸内海に浮かぶ無人島である。愛媛県今治市と広島県尾道市の県境にある生口島、東京都八丈支庁八丈町の八丈島、岩手県釜石市の三貫島と大槌町の蓬莱島、青森県八戸市の蕪島などがそういわれているそうです(Wikipedia)。
Img_6573 船に乗ること約1時間、仁斗田港に到着です。港には特に観光施設はないので、あらかじめ地図をプリントして持って行った方がいいでしょう(地図1地図2)。それから店もほとんどありませんので、お弁当などもご持参を。
 さあ、出発です。猫はいるかな〜。
Img_6575 第一猫発見。なんか、狭い所に入ってます。
Img_6581 第二猫です。
Img_6585 その後も続々とにゃんこちゃんが……。ちなみにいわゆる「猫島」は、田代島以外にもあちこちにあるようです。こちらのTuiTuiのページには、神奈川県江ノ島、岡山県真鍋島、滋賀県沖島、香川県佐柳島、愛媛県睦月島、山口県祝島、福岡県藍島、佐賀県加唐島、沖縄県竹富島が挙げられています。
Img_6587 フーッ!!けんか中です。猫の形のゴミ箱(?)が可愛いです。
Img_6590 村の風景。のんびりしてます。
Img_6596 眠り猫。左甚五郎作か?
Img_6622 阿部商店です。こちらが最大の猫ポイント。
Img_6615 表のベンチに座って弁当を食べていたら、ご覧の通り猫が群がってきました。エサはあげないようにしましょう。猫ちゃんたち、ごめんね。
Img_6625 ね、ねむ…。
Img_6631 美人さんですね〜。ほっぺのホクロがチャーミングです。
Img_6645 バイクと猫。
Img_6651 猫神社です。
Img_6650 猫神社の由来です。
Img_6654 大泊港の猫。
Img_6674 あくび猫。
Img_6679 猫と猫車。
Img_6686 弘法様の井戸。案内板によると、1613年に支倉常長率いる慶長遣欧施設を載せた船が牡鹿半島の月ノ浦から出航する際、この井戸から水を汲んだという言い伝えがあるそうです。
Img_6690 再びフェリーに乗って石巻に到着。空き地一面に生えた猫じゃらしが夕日に輝いてきれいでした。

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2013/11/05

【温泉】いつ泊まるの?今でしょ!横向温泉下の湯滝川屋(★★★★★)

Img_6491_2 福島県の吾妻スカイラインを抜けて猪苗代方面に進んですぐのところに、数件の旅館があります。これが横向温泉で、これまではスルーしていたのですが、一日一組の古めかしい宿があると知り、こんかい泊まってきました。
 ホームページはありません。料金は一人18,650円、電話番号は0242-64-3211です。
Img_6488 門を入って行くと、広々とした敷地で、正面に古めかしい木造建築が見えます。い・い・か・ん・じ、です。
Img_6486 敷地内には水車小屋もあります。
Img_6489 看板もいい味わいが出ております。「婦人の名湯」と書いてありますが、ここの温泉は底からぽこぽこ自然湧出するかたちになっており、そういうお湯は婦人病や痔疾にいいとされることが多いように思います。
Img_6494 二階部分に張り巡らされた濡れ縁(?)が、リズムと繊細さを付け加えています。
Img_6493 玄関部分は、やや新しい建物になっております。
Img_6495 玄関を入ると正面に立派な階段がありますが、右に目を向けると、なんと巨大な自然石が鎮座しております。もともとこの位置に石があり、それを取り込んで建物を造ったんだそうです。
Img_6496 階段まわりや、上がった所の廊下や柱、窓など、なかなか変化がつけてあります。
Img_6497 こちらが客室です。宿の向かって左手奥にある、プレハブっぽい白い建物ですが、内部は歴史を感じさせる和室になっております。布団は最初から敷いてあるパターンです。
 お値段はけっこうお高い宿ですが、ご主人と女将の二人で切り盛りしているので、基本、人手不足です。以前は大女将のおばあちゃんが、調理担当の息子さんを二人で運営しておりましたが、数年前に息子さんが死去。旅館とは無関係な仕事をしていた(たぶん)弟さん夫婦が引き継いたんだと思います。
Img_6498 お・も・て・な・し、のトウモロコシです。
Img_6552 部屋の名前は地酒の銘柄になっていて、表札には貧乏徳利が使われています。ちなみに貧乏徳利とは江戸時代に酒の販売に使われていた貸し徳利で、当時は酒屋の持ち物の徳利に酒を入れて販売していたのです。それで徳利に酒屋の名前や酒の銘柄が書かれているのです。
Img_6501 さて、お風呂へとでかけましょう。風情のある螺旋状の階段を下って行きます。
Img_6507 途中、民具などが置かれた小スペースがあります。
Img_6529 こちらにも自然石が露出。
Img_6506 混浴と女湯がありますが、一日一組なのでどちらも入り放題です。まずは女湯から。かなりぬるいです。透明なお湯に、ちょっとジェリーっぽい感じの薄茶の湯の花が舞います。なめると少し甘く感じます。湯船の底は木になってますが、板の隙間からお湯が沸いてきます。加水加温循環なしの、完全なる源泉掛け流しです。
Img_6503 こちらが混浴です。二つの浴槽があり、奥の方がやや暖かいです。ここも底からお湯がぽこぽこ湧いております。奥からはやや暖かいお湯が注がれていますが、加温されているのかどうかは不明です。流れ出して行くお湯の量と注ぎ込まれるお湯の量を勘案すると、底からけっこうな量のお湯が湧いていると思われます。無色透明のお湯で、こちらはなめると炭酸味がします。床板には温泉の結晶が付着して、すべすべになっています。
Img_6522 隅っこにもう一つ小さな湯船(人は入れません)があって、眼に良いお湯だと書いてありました。
Img_6524 水面の波紋は、底から湧き出した泡が作ったものです。
Img_6526 温泉分析書。どっちがどっちかわからなくなっちゃったんですけど、たぶん混浴の方だと思います。泉質は単純温泉。
Img_6530 こちらがたぶん女湯だと思います。
Img_6510 夕食は、地元の山菜や新鮮な夏野菜を使った素朴なお料理。
Img_6511 こちらはミズノミだそうです。
Img_6513 左が魚とタケノコの煮物。右は「八重の桜」でおなじみになった「こづゆ」です。
Img_6516 左がカラマツタケと大根おろし、右の小鉢のなかの赤いのがマスタケだそうです。
Img_6517 冷たいおうどんは梅の香りがして、まさに夏向きの一品でした。
Img_6547 こちらが朝食。ヤキナスが香ばしくて美味しかったです。
Img_6548 ご飯は美味しい栗がゴロゴロ入った栗ごはんでした。
Img_6519 古い登山案内図。右上の方に「沼尻」という地名が見えますが、鉄道ファンには有名な軽便鉄道「沼尻鉄道」がこの近くを走っていたとは、ぽん太は初めて知りました。磐越西線の猪苗代駅の東の川桁駅と、横向温泉から猪苗代湖方面に少し下ったところにある沼尻駅(沼尻スキー場のあたり)を結んでいたそうです。
Img_6533 一番古い建物の廊下です。
Img_6535 こちらがそのお部屋。いい雰囲気です。こっちにも泊まってみたいです。
Img_6536 以前は湯治用に使われていたそうで、炊事施設がついてます。
Img_6539 玄関正面の階段を登った2階部分の意匠です。
Img_6543 玄関の建物の二階部分の客室です。
 以前は湯治場としてさかえた、広い敷地を持つ大きな宿ですが、現在は一日一組限定の宿となっております。値段はちょっとお高いですが、このような素晴らしい建物を貸し切りし、思う存分温泉を堪能できることを考えると、安すぎるくらいです。建物の補修費は出るのかしら。食事も素朴ですが美味しくて、心がこもってます。ご夫婦で切り盛りされておりますが、いつまでこの形で宿として運営が続くのかわからない面もあり、「泊まるの今でしょ!」の宿かもしれません。ぽん太の評価は最高級の5点。

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2013/11/04

【歌舞伎】満開に花ひらいた「義経千本桜」2013年10月歌舞伎座昼の部

 10月の「義経千本桜」、昼の部は「鳥居前」、「碇知盛」、「吉野山」です。公式サイトはこちら
 「鳥居前」は若手中心の配役。菊之助の義経はりりしく、梅枝の静御前は可愛らしく、亀三郎の弁慶はひょうきんで、松緑の狐忠信は迫力がありました。歌昇、種之助、米吉、隼人も美しい若武者ぶり。新たな世代が育ってきているようで、頼もしく感じました。ただ全体として、ちょっと時代物らしい様式美には欠けたような気がします。
 「碇知盛」は、吉右衛門の知盛に、梅玉の義経という鉄壁の配役。吉右衛門は、最初に花道に出て来た瞬間に、頼もしさと安心感が広がってきて、場の雰囲気ががらっと変わりました。身体が大きいので白装束に着替えてからも迫力がありました。最後の入水は壮絶でありながらも悲しみを感じさせ、ぽん太は思わず涙が出ました。お柳・典侍の局の芝雀、こうした時代がかった役はすばらしく、様式性を保ったまことに品格がある演技でした。
 「道行初音旅」は、菊五郎の狐忠信と藤十郎の静御前という、これまたごちそうの顔ぶれで。絶品というほかなく、この柔らかさ、色気、華やかさは、若手には出せません。傘寿を過ぎた藤十郎、体はちとしんどそうなのに、可愛らしくウブな娘に見えます。菊五郎の忠信が花道を去って行くとき、思わず狐手になっているのに気付いて「こりゃいけない」と身を正すしぐさなど、松緑にはない軽妙さ、動きの美しさ・面白さがあります。
 ということで、「義経千本桜」で、吉右衛門が出て、菊五郎が出て、藤十郎が出て、とてもすばらしかったのですが、なんかちょっと「見飽きた」感がするのはなぜでしょう。たま〜に歌舞伎を見に来た人は大喜びかもしれませんが、毎月来ているぽん太からすると、普段やらない幕でも一つくらい入れてくれないかな、と思います。それは国立劇場の役目かしら。柿葺落公演だからこれでいいのかな。それともぽん太が、「前回の演技より今回はここがすばらしいかた〜」というところまで分かるようにならないといけないのかしら……。このあとは二ヶ月続けて「忠臣蔵」だし。


歌舞伎座新開場柿葺落
芸術祭十月大歌舞伎
2013年10月24日、歌舞伎座
昼の部

通し狂言 義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)

序 幕 鳥居前  
 佐藤忠信実は源九郎狐 松 緑
 武蔵坊弁慶 亀三郎
 静御前 梅 枝
 亀井六郎 歌 昇
 片岡八郎 種之助
 伊勢三郎 米 吉
 駿河次郎 隼 人
 笹目忠太 亀 寿
 源義経 菊之助

二幕目 渡海屋
    大物浦   
 渡海屋銀平実は新中納言知盛 吉右衛門
 女房お柳実は典侍の局 芝 雀
 相模五郎 又五郎
 入江丹蔵 錦之助
 亀井六郎 歌 昇
 片岡八郎 種之助
 伊勢三郎 米 吉
 駿河次郎 隼 人
 武蔵坊弁慶 歌 六
 源義経 梅 玉

三幕目 道行初音旅   
 佐藤忠信実は源九郎狐 菊五郎
 逸見藤太 團 蔵
 静御前 藤十郎

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2013/11/03

【バレエ】長身ダンサーたちの群舞が大迫力!ニューヨーク・シティ・バレエ2013、Bプログラム

 ニューヨーク・シティ・バレエ、ぽん太は初めて見て来ました。群舞がとっても迫力があり、なかなか良かったです。公式サイトはこちらです。
 ニューヨーク・シティ・バレエ団(New York City Ballet)といえば、バランシンにゆかりがあることでおなじみ。1933年にアメリカに渡ったバランシンが、アメリカン・バレエ学校(School of American Ballet)を創設。1935年に、卒業生と生徒によって、アメリカン・バレエ (The American Ballet)という名称で最初の公演が行われました。紆余曲折ののち、1946年にバレエ協会 (Ballet Society) という名称で復活。1948年にニューヨーク・シティ・センターの専属バレエ団となり、現在のニューヨーク・シティ・バレエ団(New York City Ballet)を名乗るようになりました。1964年に現在の本拠地であるニューヨーク州立劇場(現D・H・コーク劇場 )に移りました。詳しくはWikipediaをご覧下さい。
 ちなみにバランシンは1983年に亡くなりましたが、死因はクロイツフェルト・ヤコブ病だったそうです。
 ということでBプロは、バランシン振付けの作品を3つ並べたプログラム。まずは「白鳥の湖」。日本初演だそうです。
 驚くのはオデット以外の白鳥が全員黒い衣装であること。な、なんでしょう。普通の「白鳥の湖」でも、4幕で群舞に黒鳥が混じることがありますが、これは確か「子供の白鳥」だったはず。バランシンの設定では、群舞はぜんぶ子供の白鳥なのか?それともロットバルトの手先?よくわかりません。単なる視覚的効果でしょうか。バランシンといえば白と黒だし。
 ちなみに上記の公式サイトによれば、白鳥の衣装が黒に変わったのは1986年で、バランシンの死去(1983年)の後ですが、このアイディアはバランシンが生前に考えていたものなんだそうです。
 音楽は二幕と四幕の曲が使われていたように思いますが、場面としては普通の「白鳥」の第二幕を描いた一幕もののバレエ。ただ、よくわからないのは、王子がロットバルトをやっつけようとすると、オデットが「やめて」というそぶりを見せるところ。プログラムを買えばよかったかな。
 グラン・アダージョで王子とオデットのパ・ド・ドゥの後ろで、王子の友だちたちが両手に花ならぬ両手に黒鳥で、ちゃっかり踊っているのも面白かったです。
 とにかく群舞の白鳥(黒鳥)たちがでかくで、迫力がありました。太ももなんかぶっとくてプリプリしていて、まるでタラの腹みたいです(変なたとえでごめんなさい)。バランシンらしく細かい動きが多く、次々とフォーメーションを変えて踊る群舞がすばらしかったです。ただ、全体にばたばたした感じになり、繊細な叙情には欠けました。ロットバルトは全身着ぐるみであまり踊らず、フクロウというよりも、顔はコウモリみたいでした。
 次の「フォー・テンパラメンツ」は、憂鬱・快活・無気力・いらだちという四つの気質を描いたコンテンポラリーの作品。コンテンポラリーといっても、今となっては古典的な動きに感じられました。白と黒のレオタードというすっきりした衣装も、バランシンらしい。「白鳥の湖」よりもこちらの方がすんなりと入り込めました。
 圧巻は「シンフォニー・イン・C」。とてもダイナミックでした。特に群舞で全員が一斉に前後左右に動くときなど、とても動きが大きかったです。「ウェストサイド物語」を思わせるような迫力で、バランシンの振付けの意図が初めてわかりました。日本人だと、ちまちまとした可愛らしいバレエに見えてしまいますよね。
 個々のダンサーに関しては、初めて観るぽん太はみな同じに見えて、誰が誰やらよくわからなかったので、感想なし。


ニューヨーク・シティ・バレエ 2013
[プログラムB]
2013年10月23日 Bunkamuraオーチャードホール

指揮/ダニエル・キャプス
管弦楽/新日本フィルハーモニー交響楽団

「白鳥の湖~バランシン版〈1幕バージョン〉」
(振付:ジョージ・バランシン/音楽:ピョートル・チャイコフスキー)

 テレサ・レイクレン:オデット
 タイラー・アングル:ジークフリード王子
Swans
 サラ・アダムス、ダニエラ・アルドリッヒ、マリカ・アンダーソン
 オリヴィア・ボイゾン、リコラー二・ブラウン
 ステファニー・クロズニアク、アリーナ・ドゥロノヴァ、
 ミーガン・ダットンニオハラ、エミリー・ゲリッティ、アシュリー・ホッド、
 アシュリー・アイザックス、ダナ・ジェイコブソン、ミーガン・ジョンソン、
 エミリー・キクタ、クレール・クレチュマー、イザベラ・ラフレニーレ、
 オリヴィア・マッキンノン、ミーガン・マン、ジェネル・マンジ、
 アレクサ・マックスウェル、ジョーダン・ミラー、ユニティ・フェラン、
 クリステン・セギン、メリー・エリザベス・セル、ララ・トン
 サラ・ヴィルォック、リディア・ウェリントン、インディアナ・ウッドワード
Pasde Neuf
 ミーガン・ルクローン
 マリカ・アンダーソン、ステファニー・クロズニアク、アシュリー・ホッド、
 ダナ・ジェイコブソン、エミリー・キクタ、クレーヲレ・クレチュマー、
 ジェネル・マンジ、ララ・トン
Valse Bluette
 サヴァンナ・ロウェリー
 ダニエラ~アルドリッヒ、オリヴィア・ボイゾン、
 ミーガン・ダットン=オハラ、エミリー、ゲリッティ、ミーガン・ジョンソン
 オリヴィア・マッキノン、アレクサ・マックスウェル、ジョーダン・ミラー、
 クリステン・セギン、サラ・ヴォルウォック、インディアナ・ウッドワード
Variation
 テレサ・レイクレン
Valse
 タイラー・アングル
Hunters
 オースティン・バックマン、ハリソン・ボール、ハリソン・コル、
 サイラス・ファーレイ、ジョセフ・ゴードン、スパルタク・オクサ
 ガレブ・カヤリ、アーロン・サンズ、
 セバスチャン・ヴィラリー二=ヴェレス、ピーター・ウォーカー
ロットバルト Von Rotbart、ASorcerer
 キャメロン・ディーク

「フォー・テンパラメンツ」
(振付:ジョージ・バランシン/音楽:パウル・ヒンデミット)

テーマ Theme
 1.フェイ・アーサーズ、ザハリー・カタザ一ロ
 2.ローレン・キング、アレン・ピーファー
 3.アシュリー・ララシー、ジャスティン・ペック
FirstVariation:憂鬱
 ショーン・スオッツィ
 ミーガン・マンジョルジーナ・バズコギン
 オリヴィア・ボイゾン、ミーガン・ダットン=オハラ
 エミリー・ゲッティ、ユニティ・フェラン
Second Variation:快活
 アビ・スタフォードジャード・アングル
 オリヴィア・マッキンノン、アレクサ・マックスウェル
 サラ・ヴィルウォック、インディアナ・ウッドワード
Third Variation:無気力
 アスク・ラ・クール
 アシュリー・ホッド、ダナ・ジェイコブソン
 ミーガン・ジョンソン、エミリー・キクタ
Fourth Variation:いらだち
 アシュリー・ボーダー&アンサンブル
[ピアノ]スーザン・ウォルターズ

「シンフォニー・イン・C」
(振付:ジョージ・バランシン/音楽:ジョルジュ・ビゼー)

第一楽章 Allegrovivo
 ミーガン・フェアチャイルドアンドリュー・ヴェイエット
 グウィネス・ミュラー、キャメロン・ディーク
 ブリトニー・ポラック、ザハリー・カタザーロ
 サラ・アダムズ、マリカ・アンダーソン、リコラー二・ブラウン
 ミーガン・ダットン=オハラ、ミーガン・ジョンソン、
 クレール・クレチュマ、ミーガン・マン、リディア・ウェリントン
第二楽章 Adagio
 サラ・マーンズジャード・アングル
 フェイ・アーサーズ、オースティン・ローレント
 ジェネル・マンジ、デヴィン・アノレベルダ
 エミリー・ゲリッティ、アシュリー・アイザック、アレクサ・マックウェル、
 クリステン・セギン、サラ・ヴィルウォック、インディアナ・ウッドワード
第三楽章 Allegro Vivace
 エリカ・ペレイラアントニオ・カルメナ
 メリー・エリザベス・セル、アンドリュー・スコダート
 グレッチェン・スミス、ダニエル・アップルバウム
 オリヴィア・ボイゾン、ステファニー・クロズニニアック
 ダナ・ジェイコブソン、エミリー・キクタ、ユニティ・フェラン、ララ・トン
第四楽章 Allegro Vivace
 タイラー・ペックアンソニー・ハクスリー
 アリーナ・ドロノヴァ、ラルフ・イッポリート
 ローレン・ラヴェット、トロイ・シューマッハー
 ダニエル・アルドリッヒ、アシュリー・ホッド、イザベラ・ラフレニーレ、
 オリヴィア・マッキンノン、アレクサ・マックスウェル
 ジョー一ダン・ミラ一、サラ・ヴィルヴォック、インディアナ・ウッドワード

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