【観光】レトロな街・桐生を散策
10月末の話ですが、秋の味覚と言えばキノコ。どこかおいしいキノコが食べられるところがないかとネットで検索し、群馬県は桐生市の「きのこ茶屋」に行って来ました。公式サイトはこちらです。
桐生市周辺のビジネスホテルからなら、2名から送迎していただけるので便利です。しかし、運転手さんとの会話で気がついたのですが、ここでいただけるキノコは山で自生するものではなく、栽培したものだとのこと。桐生には「森産業」という有名なキノコ栽培の会社があり、「きのこ茶屋」はその敷地内にあって(経営は別)、森産業で栽培したキノコを食べさせてくれるところらしいです。
キノコの製造販売というと、コマーシャルでよく目にする「ホクト」などが有名ですが、実は森産業はキノコの人工栽培の草分け的存在なんだそうです。創業者の森喜作は、椎茸栽培で、くさび状の種駒を原木に打ち込む方法を始めて開発したんだそうです。ちなみに、関越道の沼田IC付近に昔「Dr.モリ」という看板がありましたが(Yahoo!画像検索)、あれが森喜作さんなんだそうです。ちなみに森産業の公式サイトはこちらです。
もともとここには森産業が造った「国際きのこ会館」というホテルがありました。昭和49年第9回国際食用きのこ会議を日本で開催するために建てられたものだそうです。このホテルはその後、「ホテルきのこの森」、「きのこの森 桐生国際ホテル」と名称や経営者を変更しつつ営業しておりましたが、2007年8月末に閉館。その跡地に建てられたのが「きのこ茶屋」だそうです(参考サイト)。「ホテルきのこの森」のかなりキッチュな様子はこちらで見ることができます。こういったものに興味を引かれるぽん太には、現在はなくなってしまったのが残念です。 ということで、「きのこ茶屋」に話を戻すと、出て来るキノコは、椎茸やエリンギ、ヒラタケといったも、スーパーで買えるものばかりで、ちょと思惑が外れました。でも、そこは産地直売!みずみずしくてジューシーでとても美味しかったです。
ぽん太とにゃん子が頼んだのは鳴神山コース。店員さんが一つひとつ炭火で焼いてくれるので、焼き加減も絶妙です。とっても美味しかったですが、地物のきのこを食べたいというぽん太の当初のコンセプトとは違ってしまいました。
翌日は桐生市内を観光いたしました。観光ガイドやマップは、「桐生WALKER」というサイトでダウンロードできる、るるぶ特別編集 桐生市、出没!アド街ック天国桐生市ベスト30マップ、そしてアド街のサイトが参考になります。 まずは「ベーカリーカフェ レンガ」でモーニングをいただきました(ホームページはこちら)。「西の西陣、東の桐生」という言葉が示すとおり桐生市は、高級絹織物の産地として名を馳せてきました。しかし化学繊維の普及や和装の減少によって産業は衰退し、街も過疎化がすすみました。最近は歴史的建造物を利用しての観光に力を入れているようです。
この「ベーカリーカフェ レンガ」も、大正時代に建てられ、国の登録有形文化財に指定されたレンガ造りの織物工場を改装したものです。内部の明るさを確保するため、天井がノコギリ状になっているのが特徴です。
コーヒーはコーヒーメーカーで入れてて普通でしたが、出来立てのパンはなかなか美味しかったです。
上のレンガ造りの建物に続く部分。やや新しい建物のようで、和洋折衷な感じですが、なかなかいい味を出してます。
続いて桐生天満宮です。公式サイトはこちらです。
社殿は群馬県指定の重要文化財ですが、寛政五年(一七九三年)に開帳した本殿の彫刻は見事で、強迫的とも言えるほど執拗に壁を埋め尽くしています。
お次ぎは群馬大学工学部同窓記念会館(旧桐生高等染色学校本館・講堂)です。旧正門、守衛所とともに、国指定登録有形文化財です。どことなくゴシック教会風で、正面のドアの上には十字架らしきものまであります。
内部も教会風のところが面白いです。
こちらは銭湯「一の湯」。
板に手書きされた「いやしいっぱい 一の湯」のキャッチコピーがいい感じです。
ノスタルジックな古い街並です。
郵便局でしょうか。なかなかいい味です。
花屋さんです。
この建物の向かって右には、「坂口安吾 千日往還の碑」というものがありました。安吾が晩年桐生に住んでいたことは知っておりましたが、詳しいことは知らないので、帰宅してから調べてみました。Wikipediaによれば、安吾は1952年2月(45歳)のときに桐生の書上家の離れに移住。知人の小説家・南川潤の紹介で、桐生は南川の妻の郷里でした。ところが1953年、ブロバリンの大量服用で錯乱した安吾が南川の妻を暴行したために絶交。1955年2月17日朝に倒れ、脳出血により死去とのこと(享年48歳)。やれやれ、無頼派の異名を取っておりますが、壮絶な最後ですね(参考:Wikipediaの坂口安吾、南川潤)。
こちらのサイト(蜜蜂的写真日記)によると、碑の裏側には、次のような碑文が書かれているそうです。
「坂口安吾 千日往還の碑
『堕落論』『白痴』で戦後文学の旗手となった坂口安吾は、1952年2月ウルウ日、旧友南川潤の世話でここ書上邸に居を構えた。『夜長姫と耳男』を生み、人の子の親となり、『新日本風土記』を執筆の最中、取材旅行から戻った直後に急逝、55年2月17日早朝、48歳4ヵ月だった。通夜には小林秀雄、尾崎士郎、石川淳、檀一雄らも駈けつけた。」
この花屋さんが、旧書上家のようです。
それでも「千日往還」という意味はわからないのですが、安吾が桐生に住んでいたのが約3年間ですから、約千日にわたって安吾が行き交ったということなのかもしれません。 続いて「有鄰館」(ゆうりんかん)。味噌醤油の醸造所の赤レンガの倉庫群が残っています。
一角で喫茶店なども入った矢野本店が営業しております。看板が渋いです。
現在は展示場やホールとして使われている倉庫内部。居合わせたおじさんに、いろいろと桐生のお話をお伺いすることができました。関ヶ原の合戦のとき徳川家康方の軍旗を提供したことで、家康は桐生を重視し、都市計画のもとに町づくりが行われました。その後、絹織物の産地として栄えましたが、時代の流れに従って衰退したのは良く知られた通り。しかし「ものづくり」を誇りとしていた桐生人の気質にとって、「観光」に乗り出すことは困難でした。最近になってようやく古い街並を利用した観光開発が行われるようになりましたが、ここ十年ほどでも多くの貴重な建物が失われてしまっており、もう少し早く保存事業が行われていたら、だいぶ違っていたのではないかとのことでした。
何の蔵だか忘れましたが、おそらく一番古い時代に属する倉庫。
こちらはやや新しめ。屋根を支える柱の構造が見事です。
桐生三越です。先ほどのおじさんの話では、「建て替えて新しくなってしまった」そうです
。創業はなんと享保7年(1722年)。昨日今日にできたものではありません。当時の「越後屋」が、絹の買い付けのために開いたものだそうです。
こちらは旧曽我織物工場。大正11年(1922)に建築された大谷石造りの建物。いわゆるノコギリ屋根の外観がよくわかります。
こちらは大正5年(1916年)建てられた旧北川織物工場で、現在は「無鄰館」と呼ばれており、国登録有形文化財です。だ、誰だ〜、文化財に落書きしたやつは!
落書きをよく見ると、世界の偉人がいっぱい書かれています。「自然に帰れ」と言ってるのはジャン・ジャック・ルソーですな。住人が書いたもののようです
。現在はアーチストの工房として用いられているそうです。
桐生の有名店「芭蕉」です。カレーやランチのお店ですが、コーヒーだけでもオーケー。古民家風・民芸調の外観です。
内部は立体迷路のようで、民具などが置かれております。
お目当てはこちら!棟方志功の壁画です。初代の店主が頼んで描いてもらいながら、出来上がってみたらやっぱり雰囲気に合わないと、完成の翌日に漆喰で塗りつぶしてしまったんだそうです。その後55年間封印されておりましたが、2008年に再公開されたそうです。
床の石やレンガの配置もこだわりが感じられます。
「ミルクコーヒー」とケーキセットをいただきました。
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