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2014年9月の10件の記事

2014/09/30

【臨床】抗うつ剤の副作用のプロファイル比較

自分の覚え書きのための記事です。

抗コ胃腸鎮静眠焦性機低血体重CYP阻害Pgp阻害
フルボキサミン++++++強(1AC,2C19)
パロキセチン+++-++++-+強(2D6)
セルトラリン-++-++++--弱中(2D6)
エスシタロプラム-++-++++--
ミルナシプラン-++-++++--
デュロキセチン-++-+++--中(2D6)
ミルタザピン--++--+++
トラゾドン-+++-++++
ミアンセリン+-++--++
アミトリプチリン+++-+++-+++++++強(2C19)

抗コ:抗コリン作用、胃腸:胃腸症状、鎮静:過鎮静、眠焦:不眠焦燥、性機:性機能障害、低血:低血圧、体重:体重増加
(吉田、渡邊:ミルタザピンのすべて:先端医学社:54-59, 2012)

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2014/09/29

【クラシック】ガッキーより笑える現代音楽。グスターボ・ドゥダメル指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(2014.9.24)

 ウィーンフィルがわざわざ日本に来てくれたので、聴きに行ってまいりました。公式サイトはこちらです。さるやんごとなきお方も聴きに来てました。
 指揮はグスターボ・ドゥダメル。Wikipediaのお告げによれば、ベネズエラ出身で1981年生まれとのこと。ぽん太はベネズエラと聞いても、カーロス・リベラぐらいしか思い浮かびませんが(わかるかな?)、クラシックの指揮者も生み出してるんですね。無知なるぽん太には初耳の名前です……って良く見たら、昨年のミラノ・スカラ座オペラの来日公演で「リゴレット」を振ってた人やん。ほんとにぽん太はお馬鹿さん。何にも記憶に残らないのね。
 「ベネズエラ出身」という先入観のせいかもしれませんが、まことに溌剌としてドラマチックな音楽で、かつ「ツァラトゥストラ」などを聞くと、リズム感もとてもいいようです。無駄のない抑制的な指揮振りですが、ニュアンスを的確に伝えているように思いました。演奏終了後、楽団員を順々に立たせて誉め讃え、また自分は決して指揮台に登らず、舞台の上で団員と一緒に拍手を受けていたのが印象的でした。
 ウィーンフィルの素晴らしさは言うまでもありませんが、楽団員全員にしみついている微妙なテンポのゆらぎが、ぽん太には心地よいです。歌舞伎で菊五郎のセリフ回しを聞いてるだけで気持ちよくなってくる感じと言いましょうか。バレエで動きをなぞっているだけと、その動きに微妙な表情が感じられるのとの違いと申しましょうか。ドヴォルザークの交響曲第8番の冒頭の序奏を聴いただけで、数え切れないほどの「美しさ」が感じられてぼーっとしてしまいます。
 最初の曲はモーツァルトの「協奏交響曲 変ホ長調 K364」。ぽん太は聞き覚えのない曲です。パリ滞在から帰って1779年にザルツブルクで作曲した曲ですが、母を失うなど悪いことだらけだったパリ滞在を引きずってか、モーツァルトらしい天真爛漫さや諧謔味に欠ける音楽です。しかし哀愁に満ちた第二楽章はすばらしく、ぽん太はマイケル・ナイマンの「数に溺れて」を連想しました。独奏はウィーンフィルの団員でしたが、ヴァイオリンのライナー・キュッヒルは軽くてきらびやかな音色でした。一方ヴィオラのハインリヒ・コルはちょっとタメのある演奏で、その微妙なテンポのずれがまた良かったです。

 次の「タイム・リサイクリング」は現代音楽。なんか佐村河内事件のおかげで、現代音楽に対する違和感がちょっと薄れた気がするぽん太です。作曲者のルネ・シュタールはウィーンフィルの第2ヴァイオリン奏者。現代音楽ということで、神妙な心持ちで聴いていたのですが、第4楽章に入って、パーカッションが怪しげなリズムを刻み始めたと思ったら、突然サンバ調のメロディーが。ヴァイオリン奏者が歌い始めたり、コントラバスが楽器をくるくる回したり、小太鼓を手のひらで叩いたり、金管楽器のマウスピースだけを吹いたり、立ち上がって演奏したりと、そりゃもう大騒ぎ。それをまた天下のウィーンフィルが「真剣に」演奏しているのがおかしく、笑いながら聴いてました。これまでしかつめらしく聴いてたのがバカみたい。ベルリンフィルだったらこんな曲は絶対に演奏しないでしょうね。アンコールのシュトラウス一家の曲を真剣に熱演している姿を見るにつけても、ウィーン人にはこうした諧謔さが備わっているのかもしれません。
 最後はドヴォルザークの交響曲第8番。ボヘミア風の美しい旋律が次から次へと出て来て、ぽん太が好きな曲の一つ。すばらしい演奏ではありましたが、なんかちょっと物足りない気も。ウィーンフィルだと演奏が整いすぎているというか、上手に演奏すればするほど、メロディーはいいけど構成力が乏しいところが感じられてしまいました。もっとすすり泣く弦、輝く金管!みたいな方がぽん太には好みなのかも。
 アンコールはヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・シュネル『憂いもなく』。ノリノリの演奏でした。


グスターボ・ドゥダメル指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
2014年9月24日
サントリーホール

モーツァルト:協奏交響曲 変ホ長調 K364
  ヴァイオリン : ライナー・キュッヒル <第1コンサートマスター>
  ヴィオラ : ハインリヒ・コル <首席ヴィオラ奏者>

ルネ・シュタール:タイム・リサイクリング(日本初演)

ドヴォルザーク:交響曲第8番 ト長調 B163 op.88

(アンコール)
ヨーゼフ・シュトラウス:ポルカ・シュネル『憂いもなく』 op.271

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2014/09/28

【拾い読み】御嶽山信仰の入門に最適。青木保『御岳巡礼』

 (昨日、御嶽山が噴火し、多くの登山者が被害を受けたとのニュースが飛び込んできました。心からお見舞い申し上げます。)
 先日、美ヶ原に登ったぽん太は、御岳信仰を持つ人々が、美ヶ原で御嶽山を望みながら宗教行事を行っていたことを知りました(その時の記事は文字列)。そこで今回、『御岳巡礼―現代の神と人 』(青木保著、講談社、1994年、講談社学術文庫)を読んでみました。御岳信仰の基本的な知識を得ることができ、前回の記事の誤り(御嶽教と木曽御嶽本教の混同)にも気がつきました。また著者は、タイの仏教を研究するにあたって自分自身が僧になって修行をしたそうで、御嶽山でも御神火祭に加わって火を見つめているうちに、いつしか我を忘れて身を震わせ、同行の研究者や学生に気味悪がられたというエピソードが書かれております。というわけで、外部からの客観的な解説に留まらず、内部に飛び込まなければ分からないことも書かれており、1985年とちょっと古い本ではありますが、とても興味深く読めました。
 さて、いつものように、あとはぽん太自身が興味を持ったところの抜き書きです。

 恐山で亡くなった人の口寄せをする「イタコ」は有名ですが、御嶽山でも行者に霊や神様が憑依して言葉を話すという儀式が伝統的にあり、「御座立て」(おざたて)と呼ばれるそうです。
 堀一郎は、山岳信仰を、①火山系(噴火するヤマハ畏怖の気持ちを抱かせる)、②水分系(農耕のための水の源である山に対する感謝の念)、③葬所系(月山などの様に死者の霊が帰って行くところ)に分類したそうですが、御嶽山はこのどれにもあてはまる。また池上広正は、①仏教の山、②神社神道の山。③修験の山、④教派神道の山、⑤民間信仰の山、に分けましたが、これまた御嶽山はどの要素も持っている。このような多様性が御岳信仰のひとつの特徴だそうです。
 御嶽信仰の歴史は、大きく4つの時期に分けられるそうです。①修験者が修行をしていた時期(鎌倉時代を頂点とする)、②山麓の集落に住む道者たちが特別な精進潔斎を行って集団登拝していた時期。③江戸時代中期、覚明・普寛という二人の行者が登拝を一般の人々に解放し、講活動の端緒を作った時期、④明治以後、教派神道教団が成立して全国に普及して行く時期。
 ①の修験道による山の支配が早めに終わったのが御嶽山の珍しいんだそうです。そのおかげで御嶽山は、特定の宗教集団によって支配されず、多くの信者に開かれた山となったそうです。
 筆者は修験道が早期に廃れた理由は書いておりませんが、御嶽山を初めあちこちの山に登ったぽん太が思うには、この山修験道に向いてなかったんだと思います。修行をするには、断崖絶壁や、急な山道、住むための水辺、高山植物の咲き乱れるお花畑など、多様な自然が必要です。ところが御嶽山は、基本円錐形で、しかもある高さから上はオンタデしか生えない火山礫の山なので、修験道をするにはアイテムが足りなかったのではないでしょうか。
 修験者たちが去ったあとは、山麓の村に住み着いた道者と呼ばれる人たちが、集団で登拝登山を行うようになりました。しかし手順は厳格で、75日から100日間の精進潔斎を経なくてはならず、とても一般人が参加できるものではありませんでした。
 江戸時代になって、覚明と普寛という二人の行者が、御嶽登拝を一般に開放しました。覚明は、現在の黒沢口ルートを開き、27日程度の軽精進だけでの登拝登山を開始しました(天明5年、1785年)。また遅れて普寛は、王滝口からの登山道を開き、一般登拝に開放しました(寛政4年、1792年)。
 背景には諸々の社会情勢の変化があったようですが、ぽん太にはよくわかりません。
 普寛(享保16年(1731年)〜享和元年(1801年))は武州秩父で生まれ、三峰山で修行をした人です。御嶽山開山ののち、越後の八海山や上州の武尊山も開山したんだそうです。
 覚明さんは天明6年(1786年)に御嶽山の二の池近くで亡くなったそうですが、普寛が日本の各地を回って、御嶽信仰を広め、講組織の基礎を築きました。
 黒沢・普寛と、王滝・覚明のあいだには、微妙なライバル関係があったそうで、講社も普寛講と覚明講の二つの系列に別れてたりしました。対立を避けるため「講名の自由」を提唱したところ、全国各地に様々な名前を持つ御嶽信仰の講社ができるようになっていったそうです。
 時は下って明治時代となり、神仏分離を初めとする宗教政策により、神を祀る信仰集団は「教派神道」を設立する必要に迫られました。各地で自由に発展し、統一的な組織を持たなかった御嶽信仰の教派設立は困難を極めましたが、下山応助の尽力により、明治15年(1882年)に神道十三派の一つの御嶽教として独立を果たしたそうです。
 その後の時代の流れの中で、御嶽教にも紆余曲折があったようですが、こんかいは省略。御嶽教中興の祖と言われる8代目管長渡辺銀治郎は、「副業」の才能もあったようで、あちこちに映画館や芝居小屋を作り、その経営手腕を見込んだ松竹の支援を受けて、横浜劇場を作ったとのことですが、ググってもよくわかりません。
 さて、戦後になって信教の自由の時代となりました。この頃に黒沢口の御嶽神社(→こちら)を中心にして独立したのが御嶽本教だそうです。以前の記事では、御嶽教と御嶽本教をごっちゃにしてました。ごめんなさい。
 御嶽教の方は、昭和23年(1948年)に木曽福島に神殿を設立(例えば これ?)。ちなみに現在の御嶽山木曽本宮は、2012年に移転新築したもののようです(これかしら)。
 御嶽教の9代目管長渡辺照吉は、昭和24年から57年まで管長を務めましたが、以前は松竹に務めていた人で、帝劇の副支配人、浅草国際劇場の支配人、新橋演舞場の支配人なども務めたと書かれております。ただ、「渡辺照吉 松竹」でググっても何もヒットしないのが不思議。
 昭和39年には奈良に大和本宮と呼ばれる神殿が完成し、御嶽教の本部は奈良に置かれることになりました。現在の大和本宮(こちら)は、昭和57年に建て替えられたものだそうです。

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2014/09/27

【文楽】「双蝶々曲輪日記」の歌舞伎で観たことない段が面白い。2014年9月国立劇場第一部

 「双蝶々曲輪日記」といえば、ぽん太は歌舞伎ではよく観る演目ですが、文楽 文楽は初めてでした。ふだん観れない「段」が観れたのがよかったですし、また「引窓」は、歌舞伎とは違った味わいで、とっても感動いたしました。
 全段のあらすじは、以前の記事で書いたのでご参照いただければと思いますが、こんかいは「相撲場」に始まり、昨年歌舞伎で観た「井筒屋」などの廓での出来事は省略、歌舞伎では観たことがない「大宝寺町米屋の段」があって、昨年歌舞伎で観た「難波裏」、観たことない「橋本の段」ときて、最後はおなじみの「引窓」でした。
 元々全体の構成力に欠けると言われている「双蝶々曲輪日記」の、さらにダイジェスト版なので、大きなドラマとして盛り上がらなかったり、所々つじつまがあわなかったりするのは仕方ありません。
 「相撲場」は、与五郎の下りは省かれて、濡髪長五郎と放駒長吉のドラマに限定されてました。
 「大宝寺町米屋の段」は、酒やけんかに明け暮れる放駒を改心させようと、姉が近所の衆と仕組んで一芝居を打つという話しで、前半はちょっと緊迫感がありますが、最後はホンワカとなって、ちょっと楽しい雰囲気も。濡髪と放駒が義兄弟の契りを結場面もあり、長五郎と長吉で、二つ長長、「双蝶々」という題名の由来がはっきりしました。人間国宝の三味線の鶴澤寛治が残念ながら病気休演。代役の寛太郎はなんか若くて心配でしたが、見事に伴奏を務めました。あとで調べたら寛治さんのお孫さんで、27歳だそうです。
 「難波裏」は、歌舞伎では濡髪が4人を斬り殺すのが唐突に感じられましたが、文楽では不自然さはありませんでした。
 「橋本の段」は、吾妻と駆け落ちした与五郎が、本妻の実家に落ち延びるも、本妻の父ちゃんや、自分の父ちゃん、吾妻の父ちゃんまでも加わって修羅場になるという話し。与五郎の奴、本妻がいたんか〜。し、知らんかった。しかも駆け落ちで本妻の実家に助けを求めるとは。悪いやっちゃな〜。原作では与五郎が発狂するという天罰が下るようですが、こんかいは省略されてました。嶋大夫の語りは音楽的でいいですね〜。娘吾妻に切々と理を説く駕籠かき甚兵衛(勘十郎)も良かったです。
 最後は「引窓」。呂勢大夫・咲大夫の名調子にを聞きながら、紋壽さんが遣う長五郎母が泣かせました。

平成26年9月文楽公演
国立劇場小劇場
2014年9月11日

<第一部>
双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)

堀江相撲場の段     
 長五郎 松香大夫
 長吉  睦大夫
     團吾

大宝寺町米屋の段    
 靖大夫
 清丈

 津駒大夫
 寛太郎    

難波裏喧嘩の段
 長五郎    津國大夫
 郷左衛門  始大夫
 有右衛門  文字栄大夫
 吾妻     南都大夫
 与五郎   咲寿大夫
 長吉    小住大夫
       喜一朗

橋本の段
 嶋大夫
 錦糸

八幡里引窓の段
 呂勢大夫
 清友

 咲大夫
 燕三

濡髪長五郎  玉也
茶屋亭主   玉彦
放駒長吉   幸助
姉お関    勘彌
下駄の市   亀次
野手の三   簑紫郎
同行六兵衛  勘次郎
尼妙林    文昇
平岡郷左衛門 文哉
三原有右衛門 玉誉
山崎与五郎  文司
藤屋吾妻   清十郎
嫁お照    一輔
下女およし  紋臣
駕籠かき甚兵衛 勘十郎
駕籠かき太助 玉勢
橋本治部右衛門 玉女
山崎与次兵衛 勘壽
女房おはや  蓑助
長五郎母   紋壽
南方十次兵衛 和生
平岡丹平   蓑一郎
三原伝蔵   勘市

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2014/09/26

【歌舞伎】千之助の「連獅子」のキレと迫力。2014年9月歌舞伎座夜の部

 9月の歌舞伎座は、体調不良にて昼の部をパス。夜の部だけの観劇でしたが、こちらも体調万全とはいきませんでした。公式サイトはこちらです。

 まずは「絵本太閤記」。義太夫狂言の名作とのことですが、なんかドラマがなくて渋い演目です。吉右衛門の、時代がかった様式的な表現と、ちょっと世話物っぽい自然な動作との間を自由に行き来する演技には、さすがの味わいがありました。染五郎の武智十次郎も、若武者の色気と、討ち死にを覚悟しての悲哀が感じられました。米吉の初菊、遠くから観てるせいなのかもしれませんが、なんか表情が悲しそうに見えません。
 夜の部で一番面白かったのが、仁左衛門と千之助の「連獅子」。千之助はひょろりとした子供だと思ってたのですが、仔獅子の精となってからの動きのキレと迫力には驚かされました。仁左衛門の円熟した動きとの取り合わせが、とても面白かったです。
 最後は「曽我綉俠御所染」。染五郎がどんな御所五郎蔵を演じるのか楽しみにしてたのですが、ちょっと期待はずれでした。どうしても染五郎の線の細さが見えてしまって、大勢の子分を従えた侠客の貫禄や気っ風が感じられません。また、傾城皐月の嘘の愛想尽かしに逆上したあげく、間違えて傾城逢州を殺してしまうという、破滅へと一直線に突き進んで行く迫力がありませんでした。芸の力でもっと大きさを出すのか、それともいっそ惚れ惚れするような色男でいくのか、どうしたらいいのかぽん太にはわかりませんが、何とかして欲しいものです。
 星影土右衛門の松緑は、あいかわらずセリフが一本調子。黙阿弥の真骨頂ともいえる、冒頭の御所五郎蔵との七五調の掛け合いも、「聞いているだけでなんだか気持ちよくなってくる」というふうにはいきませんでした。
 芝雀の傾城皐月はさすがに上手。秀太郎の甲屋女房お松、ふわふわしたのが秀太郎のカラーだから仕方ないかもしれませんが、あの場面はもっときっぱりと演じて欲しいところでした。

歌舞伎座
秀山祭九月大歌舞伎
平成26年9月7日 夜の部

一、絵本太功記(えほんたいこうき)
  尼ヶ崎閑居の場
   
 武智光秀 吉右衛門
 武智十次郎 染五郎
 佐藤正清 又五郎
 初菊 米 吉
 真柴郎党 歌 昇
 同 種之助
 同 隼 人
 真柴久吉 歌 六
 皐月 東 蔵
 操 魁 春

二、連獅子(れんじし)
   
 狂言師右近後に親獅子の精 仁左衛門
 狂言師左近後に仔獅子の精 千之助
 浄土僧専念 錦之助
 法華僧日門 又五郎

三、曽我綉俠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)
  御所五郎蔵
   
 御所五郎蔵 染五郎
 星影土右衛門 松 緑
 子分 梶原平平 松 江
 同  新貝荒蔵 亀 寿
 同  秩父重介 亀 鶴
 同 二宮太郎次 廣太郎
 同 畠山次郎三 児太郎
 番頭新造千代菊 歌 江
 花形屋吾助 錦 吾
 傾城逢州 高麗蔵
 傾城皐月 芝 雀
 甲屋女房お松 秀太郎

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2014/09/07

【蕎麦】お酒でいえば吟醸酒というより山廃純米/新次そば三井

Img_0487
 三十年前から一度行ってみたいと思っていた「新次そば三井」に行ってきました。八ヶ岳の東にある乙事(おっこと)は蕎麦の産地。「おっこと亭」は何度も行ってますが、新次そば三井の方は「要予約」の三文字が目について、これまで行く機会がありませんでしたが、こんかい思い切って電話をして行って来ました。電話に出たのは若い男性だったので、三十年前とは代が替わっているのかしら。食べログはこちら
Img_0486 建物は普通の農家という感じ。目の前は田んぼです。カーナビで行きましたが、蕎麦屋のノボリが立ってなかったら、見落として通り過ぎてしまいそうです。
Img_0477 内部も普通の民家の居間といった感じで、テーブルも公民館にあるようなやつです。
 メニューは盛りそばしかないようで、どこにも何とも書いてありません。にゃん子と二人で二人前を注文。
Img_0478 注文をすると、めんつゆに薬味、お漬け物が出て来ます。ウリがしゃきしゃきして、夏らしい味でした。薬味にワサビはなく、唐辛子でいただくスタイル。
Img_0483 客がぽん太たちだけだったせいか、間もなくお蕎麦が登場。「きりだめ」と呼ばれる木の箱(底の部分も木です)に入って出て来るのは、おっこと亭と同じ。いかにも手打ちおいう感じで、太さや長さにばらつきがあります。
 お味は田舎風というのでしょうか、香りが立ち上ってくるようなやつではなく、噛み締めると口の中に味が広がってきます。お酒でいえば、「吟醸酒」じゃなくて、「山廃純米」といった感じですかね。
 いわゆるコシは強くなくいのですが、弾力というか、不思議な歯ごたえがあります。めんつゆは鰹だしでした。けっこう量も多く、お腹いっぱいになりました。
Img_0484 そば湯は、使い込まれたアルミのヤカンで登場。適度な濁りぐあいでした。
 三十年振りに念願がかなった!というほどではありませんでしたが、個性的なお蕎麦屋さんでした。お値段がちょっと高いのが残念。

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2014/09/06

【温泉】福地温泉で気張らずに泊まれます・民宿「内山」(★★★)

Img_0456
 8月末、槍ヶ岳から新穂高に下山したぽん太とにゃん子は、奥飛騨温泉郷・福地温泉の「民宿内山」に宿泊いたしました。奥飛騨温泉郷のなかでも、高級旅館が多い福地温泉にあって、民宿内山は全4室のこじんまりした宿。お料理がおいしくて、貸し切りの露天風呂もあり、とってもくつろげる宿で、登山で疲れた体を癒すことができました。公式サイトはこちらです。

★楽天トラベルからの予約は、右のリンクからお入り下さい★

Img_0473 建物は落ち着いた和風建築。左側の部分は美容室になっているようです。全4室の小さな宿で、お部屋も和室でくつろげます。部屋にトイレはありませんが、浴衣やタオルなどのアメニティはそろってます。
Img_0447 こちらは男女別の内湯です。76.1度の源泉が掛け流されており、水でうめて入りました。無色透明のお湯です。
Img_0448 こちらが貸し切り露天風呂。これがあるのとないのとはでは、だいぶ印象が異なります。空いていれば、無料で自由に入ることができます。岩風呂風で、緑に囲まれ、開放感があります。あ〜ありがたや、ありがたや。
Img_0451 温泉分析表です。泉質は単純温泉。特徴的な成分はありませんが、76.1度のお湯が掛け流されているのが魅力でしょう。
Img_0457 夕食はお食事処で囲炉裏テーブルを囲んでいただきます。冒頭の写真を御覧下さい。ぽん太とにゃん子の大好きな山菜があります。鉄板焼きのお肉はもちろん飛騨牛です。イワナの塩焼きも、ちゃんと水分を飛ばして焼き上げられておりました。ガス火だと水っぽくなってしまいます。
Img_0459 山菜の天ぷらも付きます。う〜ん、これは春の山菜の時期にも来てみたいな〜。
Img_0461Img_0465 蒸し物がついて、最後はご飯とお味噌汁。味噌汁は当然赤だしかと思ったのですが、白みそでした。甘めの濃い味でした。
 とっても美味しかったので、も少しお料理の説明などして頂けるとよかったのですが……てゆ〜か、ぽん太が聞けばよかったのか。
Img_0466 廊下に、福地温泉の昔の写真が貼ってありました。「約半世紀前ほど前の福地温泉です。殆ど自給自足の生活でした。現金収入は主に土木工事」と書かれています。
 福地温泉そのものの歴史は古く、平安時代に村上天皇が湯治に訪れたという伝説もあるようです。しかし、いつの頃からかはぽん太も知りませんが、近年は「温泉地」としては廃れてしまい、殆ど自給自足で生活する集落になっていたのは上の写真の通りです。
 福地温泉が再び「温泉地」になったのは、昭和43年(1968年)に、奥飛騨温泉郷の一部として国民保養温泉地に指定されてからです。温泉街を歩くと見かける歴史を感じさせる建物も、他から移築されたものです。例えば福地温泉を代表する旅館の一つの「湯元長座」は、創業40年程度で、建物は新潟の古民家を移築・再構成したものです(たとえば湯元長座 NEWS・最新情報|らくだ倶楽部)。また「元湯孫九郎」も昭和43年創業で、本館は養蚕農家を移築したものです(源泉100%の温泉元湯 | 孫九郎)。
 ということで、現在の福地温泉の歴史は50年程度ということなのですが、そのあたりの事情は、福地温泉の公式サイトや、Wikipediaなどでも、触れておりません。まあ、隠しているわけではないけど積極的に言いたくはない、という感じなのかもしれませんが、ぽん太としては、そうだからといって福地温泉の価値が下がるとはちっとも思わないし、事実は事実としてはっきり明言して欲しい気がします。
宿・ホテル予約ならじゃらんnet
Img_0469 さて、朝食です。
Img_0468 飛騨といえば定番の朴葉焼きも、もちろん付いてます。
Img_0471 昨夜の夕食でも思いましたが、お醤油が薄いんですね。もちろん普通の醤油も使うけれど、このあたりではこういう薄い醤油がよく使われるそうです。
 高級旅館の並ぶ福地温泉で、リーゾナブルなお値段で泊まれる宿。お料理もとっても美味しいです。ぽん太の絶対評価は3点ですが、コスパを考えると断然おススメです。

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2014/09/05

【登山】車を回送して表銀座から槍ヶ岳へ

Img_0311
 これまで槍ヶ岳に3回登りました。最初が上高地から入って槍穂高縦走。2回目が新穂高から西鎌尾根を登って新穂高へ下山。3回目は上高地から入って新穂高に抜けました。
 ということで今回は、歴史的にもっともメインでありながら、ぽん太とにゃん子が一度も登ったことがない、表銀座から東鎌尾根を行くコースを歩いてみました。
 ただこのコースは縦走となるため、車をどうするかが悩みどころ。下山後に回収に行くと時間がかかるし、回送サービスはお値段が張ります。そういうこともあってこれまで表銀座コースは敬遠していたのですが、今回は思い切って回送サービスを利用しました。とっても便利で、料金に見合う価値はあったと思います。

【山名】槍ヶ岳(3180m)
【山域】槍・穂高・乗鞍
【日程】2014年8月27日〜29日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】(8/27)有明荘6:36…(合戦尾根)…燕山荘11:19…大天井ヒュッテ14:45(泊)
(8/28)大天井ヒュッテ5:49…(表銀座)…槍ヶ岳13:42…槍ヶ岳山荘14:10(泊)
(8/29)槍ヶ岳山荘6:49…槍平小屋10:08…新穂高温泉登山者駐車場14:50

(※3D地図や当日の天気図などは「山行記録のページへ」をクリック)
【マイカー登山情報】有明荘から新穂高まで車の回送サービスを利用しました。いくつか業者があるようですが、今回はアルペンキャリーサービスさんにお願いしました(公式サイト)。
【参考URL】
http://www.alpencary.com
 車の回送をお願いしたアルペンキャリーサービス。お値段も安めで、車の受け渡しもスムーズ。
http://www.enzanso.co.jp/ariakeso/
 前夜泊した有明荘のサイト。早出のための弁当など、登山者に優しいです。
http://www.yarigatake.co.jp/otenjo/
 大天井ヒュッテのサイト。
http://www.yarigatake.co.jp/yarigatake/
 槍ヶ岳山荘のサイト。

Img_0246 前夜泊の有明荘で、早出のためお弁当にしてもらった朝食を食べ、6時半過ぎに登山開始。前日の土砂降りは上がって、どんよりした曇りのお天気ですが、前線やら高気圧やら低気圧やらが入り乱れており、大雨はなさそうですが、どうなるかわからない感じです。
 天気のわりには登山客は多く、おまけに中房温泉のところに中学生が2校分たむろしており、トイレの前に数十人の大行列を作っておりました。どうやら燕山荘に宿泊するらしく、こんかいは燕山荘を避けたプランにして幸いでした。登山者渋滞に巻き込まれぬよう、中学生に先立って登山開始です。
Img_0278 合戦尾根は北アルプス3大急登のひとつ。何度も歩いた道でが、なかなかの急登です。後から山小屋でほかの登山者から聞いた話しでは、昨日の大雨のときは、登山道を水が流れて川のようになっていたそうです。本日は大天井ヒュッテまで行く予定なので、体力温存のためにゆっくりと登りました。ガスがかかって展望はありませんでしたが、稜線に出ると、西側は晴れ間が見えていて、燕岳に続く稜線を望むことができました。体力温存と時間の節約のため、燕岳山頂は省略です。
Img_0284 残念ながら、槍ヶ岳の途中から上は雲の中です。大天井岳に近づいた頃から雨が降り出したので、カッパを着込みました。燕〜常念の縦走路から外れる、喜作レリーフの分岐から先は、初めて歩く道です。
Img_0288 雨の中大天井ヒュッテに到着(左の写真は翌朝撮ったものです)。こじんまりとした可愛らしい山小屋です。1階が蚕棚、2階が個室となっておりますが、2階の個室を無料で使わせてもらえました(個室の無料開放は時期が決まっているので、ホームページをよくご確認下さい)。ぽん太とにゃん子二人で、三畳間に泊まりましたが、やっぱり大部屋より落ち着きます。泊まっていたのは十数人ぐらいで、静かでとっても落ち着きました。この小屋、太い梁でがっちり作ってあります。階段の柱など、黒光りしておりました。
Img_0287 夕食はトンカツ。揚げたでで、ボリュームもあり、とっても美味しかったです。肉が苦手な人は、チェックイン時に申し出るとあじフライに変更してもらえます。山小屋では初めて見た気遣いで、肉が苦手なにゃん子は嬉しそうでした。とっても感じのいい山小屋でした。
 雨のため、夕日は拝めませんでした。
Img_0290 夜中まで降り続けた雨もなんとか上がりましたが、曇りで朝焼けは見れませんでした。今日の行程に備え、ご飯を食べれるだけお腹に詰め込みます。
Img_0296 宿から少し行った所にある稜線には、「ビックリ平」という標識がありました。確かに槍ヶ岳とその周辺の山々が一望できる場所のようですが、あいにく槍ヶ岳は雲の中。裏銀座の稜線にある野口五郎岳が顔を出してました。
Img_0298 西岳へと続く稜線を歩くうち、だんだんと槍ヶ岳が見えるようになってきました。こちら側から見る槍は初めてです。向かって左が東鎌尾根、右が恐怖の北鎌尾根ですね。
Img_0302 天井沢から1,500メートルそそり立つ槍ヶ岳。
Img_0306 左が西だけに続く稜線、前方がこれから登っていく東鎌尾根です。
Img_0311 東鎌尾根がだんだん大きく見えて来ます。
Img_0318 西岳山頂へのピストンは、体力温存と時間の節約のために省略!西岳小屋を過ぎて、いよいよ憧れの東鎌尾根です。まずハシゴがかかった急坂を下り、登り返して行きます。
Img_0320 左下を見ると、槍沢と、それに沿う登山道が眺められます。
Img_0322 時々青空が見えるようになってきました。新潟側の方が天気がいいようです。
Img_0326 遥か彼方に見えた槍ヶ岳ですが、一つひとつコブを乗り越えるたびに、ひとまわり大きく見えて来ます。
P8280076 オコジョが出現。好奇心がおう盛なのか、出たり入ったり。動きが素早いので撮影は困難ですが、にゃん子が見事に捉えました。かわいいですね。
Img_0333 大天井ヒュッテのお弁当です。エネルギー・チャージ完了!
Img_0334 だいぶ近づいて来て、細かいとこまで見えるようになってきました。
Img_0342 ヒュッテ大槍付近。左に殺生ヒュッテの赤い屋根が見えます。
Img_0347 もう一息……と思ってからが長い。左の稜線上には槍ヶ岳山荘。
Img_0351 槍の穂先の東側の荒々しい絶壁。ところで、槍の穂先って、なんか緑っぽい色が、ブナの樹皮の色と似ていて綺麗ですよね。
Img_0354 殺生ヒュッテ横の雪渓で、スキーを楽しむ酔狂な人がおりました。
Img_0355 槍ヶ岳山荘に到着!槍の穂先を見ると、うわ〜っ、いっぱい登ってます。空いた頃を見はからって登頂しました。
Img_0365 4回目の登頂。う〜ん、何度来てもいいなァ。
Img_0359 穂高へと続く稜線。
Img_0373 すっかり秋の空気です。
Img_0377 槍ヶ岳山荘はけっこう混んでおり、ぎっしりというほどではありませんが、蚕棚の上段にも人が入るくらいでした。夕食は3回転。
 韓国人の団体が大勢いました。韓国人の登山者が急増しているという話しは聞いてましたが、目の当たりにするのは初めてでした。
 ん〜しかし、この山小屋は便利な位置にありますが、大天井ヒュッテなどの小さな山小屋と比べると、なんかムードがないというか、ざわついているというか……。大声で騒いでる人はいるし、寒いのでストーブに当たってたら、いきなり靴下を乗っけて乾かし始めるじいさんはいるし、到着して入り口で倒れたまま横たわっている人がいたり、大騒ぎでした。
 ヒュッテ大槍から軽装でピストンしている人も何人かいましたが、そういう選択もいいかもしれません。
Img_0382 夕食のあとは夕暮れ鑑賞です。ヒュッテ大槍にスポットライトがあたります。
Img_0386 夕灯りに頬を染める槍ヶ岳。
Img_0389 雲が多くて、夕日は大したことがない……と思われましたが。
Img_0393 日が沈んだあと、西の空が驚くような色に燃え上がりました。この光景には、みな感動してました。

Img_0408 ご来光です。
Img_0412 槍ヶ岳山荘に朝日が当たります。
Img_0413 南岳も赤く染まり、テント場では朝の準備が進んでいます。
Img_0415 影鳥海ならぬ、影槍です。
Img_0420 朝食で〜す。
Img_0425 今日は新穂高に降りるだけなので、ゆっくりと出発。東を見ると、常念の向こうを覆う雲海に太陽の光が降り注いでました。
Img_0428 笠ケ岳の奥に見える白山。これもおなじみの光景。
Img_0432 飛騨乗越から槍ヶ岳を振り返る。槍のメインルートもだいたい歩いたので、今後もう一回来ることがあるかどうか……。ひょっとすると、槍に登るのもこれが人生で最後かもしれません。心の中で何度も別れを告げました。
Img_0439 長くて退屈な下りですが、北穂から西穂へと続く稜線が、目を楽しませてくれます。
Img_0443 滝谷は、北穂の西側の水を集める沢です。二週間前、三人が流されて命を落とした現場です。
Img_0442 普段はこの程度の流れで、渡渉に問題はありませんが、雨が降ると急激に水かさが増すそうです。ご冥福をお祈りいたします。
Img_0445 槍ヶ岳山荘のお弁当はおこわです。色々なものが混ざっていて美味しく、コンパクトでゴミも出ないので、ありがたいです。

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2014/09/04

【温泉】登山者にうれしいロッジ風の宿「有明荘」@安曇野(★★★★)

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Img_0245 今年の夏の登山は表銀座縦走に決定!諸々の関係から、合戦尾根の登山口で前夜泊することになりましたが、中房温泉は先日泊まったばかりなので、今回は有明荘にお世話になりました。木製の外壁、窓辺に飾られた赤いゼラニュームが、まるで外国のロッジのような雰囲気を漂わせます。
 有明荘のホームページはこちらですが、見てみると、燕山荘の系列の経営のようです。
Img_0249 お部屋は落ち着いた和室です。緑の樹々を背景に、窓辺の花がきれいです。テレビはありますが、BSしか写りません。
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Img_0251 お風呂は、それぞれ露天がついた男女別の内湯があります。内湯は、広い木の浴槽で、壁にも木がふんだんに使われております。お湯は無色透明で、少量の湯の花が舞い、微かに硫黄の匂いがします。
Img_0262 温泉分析表です。泉質は単純硫黄温泉。pH8.79のアルカリ性です。
Img_0263 源泉温度が71.6度と高温なので加水はしているようですが、循環や消毒剤は使用しておらず、温泉力十分の源泉掛け流しです。
Img_0255 露天風呂は岩風呂で、こちらも広々しております。開放感はありませんが、樹々に囲まれて気持ちがいいです。暑い源泉を冷ますための木の樋もいい感じです。
Img_0267 こちらは家族風呂。空いてれば無料で入れます。
Img_0265 食堂でいただく夕食は、豪華ではありませんが美味しいです。
Img_0266 鍋物は、一見お蕎麦のように見えますが、玄米を使ったうどんだそうです。
Img_0269 朝食は7時からとなっており、食べてから出発では遅くなってしまうので、朝食はお弁当にしてもらいました。お稲荷さんとのり巻きです。ちゃんと早出の登山者が朝食を食べるためのスペースがあり、給湯器やインスタントみそ汁、お茶が用意されているのが嬉しいです。
 山岳ロッジ風の建物が可愛らしく、お風呂も広々していて温泉力もあります。食事もそこそこ美味しく、登山者のために柔軟な対応もしてくれます。従業員もきびきびしていて、国民宿舎ということでコスパもよく、登山の前後に泊まるにはうってつけ。おススメいたします。

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2014/09/03

【バレエ】長年の活動に拍手!東京バレエ団 創立50周年〈祝祭ガラ〉

 東京バレエ団が今年でなんと創立50周年を迎えたんだそうな。おめでとーございます。継続は力なり。長年バレエ団を運営してきた努力に、心から賛辞をお贈りしたいと思います。
 ということで、創立50周年をお祝いするガラ。会場はなんとバカでかいNHKホールです。大きく出ました。3階の後ろの方はわかりませんでしたが、見える範囲は満席になってました。
 東京バレエ団とNBSゆかりのダンサー、マラーホフ、ルグリ、ギエムがお祝いに駆けつけ、ギエムは封印していた「ボレロ」を踊り、ルグリはお得意の「オネーギン」と、かなりベタなプログラムです。

 一ヶ月ほど前、2005年での引退を発表したギエム。もちろんこれから引退公演はあるんでしょうけど、「ボレロ」を観るのもひょっとしたら最後かも。前回に2011年の東日本大震災チャリティ・ガラの時は、打ちひしがれた我々を鼓舞するかのような力強い「ボレロ」でしたが、今回は引退を前にして、「ボレロ」という踊りを慈しみ、一つひとつの動作を丁寧に確認しているかのように見えました。

 ルグリの「オネーギン」も良かったですが、吉岡美佳さんを踊らせてあげてた、という感じでした。吉岡さんも実力のあるダンサーですが、ルグリと踊るとなるとちょっと見劣りしました。戸惑い、昔の恋心の甦り、理性と感情の戦い、一瞬燃え上がる心、そして毅然とした態度で撥ね付けるといった、その時その時の心の動き、感情表現がいま一つでした。

 マラーホフは「ペトルーシュカ」。いつぞやはぷっくりと太っていて驚いたマラーホフですが、今回はまた細くなっていたように見えました。でも顔は白塗りだったし、体の線が見えない衣裳だったし、席も遠かったので、ホントのところはよくわかりません。
 マラーホフの「ペトルーシュカ」は以前にも観ましたが、いつぞや観たイレールのような悲哀感が感じられないのが不満です。マラーホフの出身地のウクライナは、いまや欧米とロシアの狭間で国が引き裂かれ、内戦状態になっておりますが、そうした苦悩が伝わってくような踊りを見たかったです。「ペトルーシュカ」はおとぎ話ではなくて、社会に打ちひしがれる苦悩を表現した芸術だとぽん太は思ってます。
 というか、フォーキンの振付けは、なんかあんまり面白くない気がします。主役のペトルーシュカをはじめ、ダンサーたちの踊りらしい踊りがありません。雑踏シーンなども退屈で、ストラヴィンスキーの音楽はとても豊かで創意に満ちているのに、舞台の上では大したことが起こらず、肝心の舞台より伴奏の方が豊かに感じられます。
 また、東京バレエ団の美術も、ちと不満でした。幕に描かれた虫歯菌が空中を飛んでいるような絵柄も変です。さっき書いたように、「ペトルーシュカ」は怪談話ではありません。また統一性が感じられず、セットは童話風なのに、背景にはリアルなロシアの宮殿が描かれていたりします。
 なんかフォーキン以外に、もっと面白い振付けはないんでしょうか。ベジャールの「ペトルーシュカ」はまったく別のストーリーになってしまってますが。

 東京バレエ団は、コンテンポラリーの「スブリング・アンド・フォール」と、「ラ・バヤデール」より"影の王国"。「スプリング…」の方は、若手中心だったせいもあるのか、一生懸命体は動かしてましたが、バレエとしての面白さがなく、感情の動きが伝わってきませんでした。
 ということで、「ラ・バヤデール」の方が楽しめました。最初のバヤデールたちが出て来るところは、舞台転換の関係か斜めの部分が一段だけだったのが残念。久々に観た上野水香がとても良く、日本人が苦手な感情表現が豊かで、動きの緩急もあり、一つひとつの動作が美しく、とてもキュートでした。柄本弾も、動きによって得手不得手のばらつきはありましたが、得意のジャンプは高く大きくて、観客から盛大な拍手が沸き起こりました。
チケットぴあ

東京バレエ団 創立50周年 〈祝祭ガラ〉
2014年8月31日
NHKホール

◆主な配役◆
「ペトルーシュカ」
振付:ミハイル・フォーキン   音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー
ペトルーシュカ: ウラジーミル・マラーホフ
バレリーナ: 川島麻実子
ムーア人: 森川茉央
シャルラタン: 高岸直樹   ほか

「スプリング・アンド・フォール」
振付:ジョン・ノイマイヤー  音楽:アントニン・ドヴォルザーク
沖香菜子 - 梅澤紘貴
村上美香、吉川留衣、岸本夏未、矢島まい、河合眞里、三雲友里加
岡崎隼也、森川茉央、安田俊介、杉山優一、永田雄大、吉田蓮、原田祥博、岸本秀雄、入戸野伊織

「オネーギン」より第3幕のパ・ド・ドゥ
振付:ジョン・クランコ 音楽:P.I. チャイコフスキー
オネーギン: マニュエル・ルグリ
タチヤーナ: 吉岡美佳

「ラ・バヤデール」より"影の王国"
振付:ナタリア・マカロワ(マリウス・プティパ版による) 音楽:レオン・ミンクス 編曲:ジョン・ランチベリー
ニキヤ: 上野水香
ソロル: 柄本弾
第1ヴァリエーション: 岸本夏未
第2ヴァリエーション: 奈良春夏
第3ヴァリエーション: 高木綾   ほか

「ボレロ」
振付:モーリス・ベジャール  音楽:モーリス・ラヴェル
シルヴィ・ギエム
森川茉央、杉山優一、永田雄大、岸本秀雄   ほか

指揮:ワレリー・オブジャニコフ
演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
ピアノ:菊池裕介(「ペトルーシュカ」)
協力:東京バレエ学校(「ペトルーシュカ」)

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