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2015年4月の16件の記事

2015/04/28

【展覧会】江戸時代の人も動物を見ると……「動物絵画の250年」府中市美術館

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 ぽん太の生息地多摩の府中市美術館でやってる江戸時代の動物絵画展に行ってきました。前期と後期で展示品が総入れ替えになるようですが、都合が付いたのは後期だけでした。日本の絵画には疎いぽん太ですが、定番の作品から、「なんじゃこりゃ〜」というようなぶっ飛んだ作品や、現代アートと言っても通用しそうなものもあり、とっても面白かったです。公式サイトはこちらです。
 江戸時代の動物を描いた絵画・版画を集めたもので、ど素人のぽん太の目は、ついつい伊藤若冲、歌川国芳、谷文晁、丸山応挙、司馬江漢といった有名どころに行きがち。こうした人たちの作品はさすがですね。
 そのほか気になったのを挙げると、まず伊年印の「虎図」(画像は例えばこちら)。まーるい顔で、ドラえもんですな、これは。その隣りにあった風外本高の「猛虎図」は、脱力系の漫画みたい(画像はみあたらず)。こんなん見たことあるような気がするが、思い出せません。なんか鯉だの鶏だのよく見かける動物はそれなりに写実的に描かれているのに、見たことない虎になると突然自由闊達というか、やりたい放題になっているのが素敵です。
 伊年印とは変わった名前だと思ったら、「伊年」という印が押してあるということだそうで、伊年はもともとは俵屋宗達の号のひとつですが、宗達の弟子たちもこの印を使ったそうです。また風外本高(ふうがいほんこう、安永8年(1779年) - 弘化4年(1847年))は曹洞宗の僧侶で、池大雅に師事したそうです。紅葉で有名な愛知県の足助の香積寺にいたこともあるようです。
 そして黒田稲皐(くろだ とうこう)の「群鯉図」(画像はたとえばこちら)。群がる鯉の配置、目の覚めるような花の青色、現代のデザインとしても遜色がありません。黒田稲皐(天明7年(1787年) - 弘化3年(1846年))は鳥取藩士。鯉の絵を得意としたそうです。
 次いで池大雅の「富貴国香図」が良かったとメモにあるけど、どんな絵か思い出せません。池大雅は有名だけど、ぽん太はあまり絵を見たことない気がします。
 若冲の「蘆雁図」。画像は見つかりません。うなぎみたいな首を下へたっぴな雁だな〜と思って作者を観たら、若冲でした。あ〜ら、よくみたらとってもお上手。
 三浦樗良「双鹿図」。画像はこちら。う〜ん、これはヘタウマ系か。田辺誠一画伯に勝るとも劣らない名作です。三浦樗良(みうら ちょら、享保14年(1729年) - 安永9年(1780年)は江戸時代中期の俳諧師。蕪村とも交流があったそうです。
 宮本武蔵の「布袋見闘鶏図」。武人として超有名ですが、絵画作品を見るのはぽん太は初めてか?画像はちっちゃいけど例えばこちらのサイト。
 仙崖の「群蛙図」は、蛙がお寺で座禅をしているような絵に、「座禅して人ハ仏になると云 我れハかへるの子ハかへる也」の賛が添えております。いかにも仙崖といった絵。
 島田元旦の「菊に仔犬」。画像は例えばこのページの写真の一番右側。花も犬も妙に鮮やかな色彩で、一見毒々しくていやなんだけど、なんか引きつけられました。島田元旦(しまだ げんたん、安永7年(1778年) - 天保11年(1840年))は、鳥取藩士で谷文晁の実弟とのこと。円山応挙にも師事したようです。
 

「動物絵画の250年」
府中市美術館
2015年3月7日から5月6日
  前期 3月7日から4月5日
  後期 4月7日から5月6日
  注記:全作品の展示替えあり
  ちなみにぽん太が行ったのは4月23日

出品リストはこちら(PDF, 614K)。

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2015/04/27

【福一原発事故】日常の非日常を見る(常磐富岡IC~浪江IC間を常磐道と国道6号で往復)

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 常磐自動車道が平成27年3月1日に全面開通したと聞いて、4月中旬に行ってきました。え?放射線が怖くないかって?中高年のぽん太とにゃん子は、もうあまり細胞分裂してないので、大丈夫なのだ。それに少し放射線を浴びた方が、血行が良くなったり、癌が治ったりするかもしれないのだ。わはははは。
15042301 常磐自動車道は、海沿いに東京と仙台を結ぶルートとして整備が進められてきましたが、東日本大震災と福島第一原発事故の影響で大幅に計画が遅延。放射線量が高く帰還困難区域の中を通る常磐富岡IC~浪江IC間が最後まで残っていましたが、3月1日に開通したのです。
Img_3500 広野ICを過ぎたあたりか、道路の処々に放射線量がリアルタイムで表示されます。まるでSF映画の中のような光景です。線量は0.2μSv/h。まだまだ余裕です。
Img_3501 除染された土の保管所でしょうか。
Img_3502 常磐富岡ICを通過。ここからが今回開通した部分で、まもなく帰還困難区域を通る区間に入ってゆきます。思わず自動車のエアコンを内気循環に切り替えます。
Img_3505_2 キタキタキタ〜〜〜!! 5.2μSv/hだァ〜〜〜。なんか身体がポカポカほてって、気分がハイになってきやがったぜコンチクショ〜〜〜〜〜(個人の感想です)。
 ところで、この5.2μSv/hという放射線量はどの程度のものなのでしょう。後からぐぐってみたのですが、政府の公式基準というものが見つかりません。
 ということで、まずICRP(国際放射線防護委員会)の2007年の勧告を見てみると、1年間あたりの放射線量の平常時の限度は1mSv未満、緊急時は20~100mSv、緊急事故後の復旧時は1〜20mSvと定めているそうです(Wikipedia)。平常時の限度1mSv=1000μSvですから、1000(μSv)/5.2(μSv/h)=192(h)となり、年間192時間以上この区間に留まらなければ、平常時の限度は超えないことになります。
 また、日本政府による2012年4月1日からの福島原発事故に伴う避難区域において、「帰還困難区域」の基準は、「5年を経過してもなお、年間積算放射線量が20 mSvを下回らないおそれのある、現時点で年間積算放射線量が50mSvを超える区域」となっております。恒常的に5.2μSv/hの放射線量があるとすれば、年間で5.2(μSv/h)×24×365=45,552μSv=46mSvになりますから、高速道路周辺を重点的に除染したとはいえ、帰還困難区域の基準をわずかに下回っている程度であるということがわかります。
Img_3507 高速道路の両側は帰還困難区域ですから、家々はほとんど東日本大震災直後の状態のまま放置されております。
 ちなみに「帰還困難区域」というのは、「福一事故後に避難した住民がこの地区に戻って住むのは困難だ」という意味です。ナントにゃん子は「ひとたびこの区域に足を踏み入れたが最後、二度と戻って来ることができない」恐ろしいところだと思って、びびっていたようです。
Img_3510 浪江ICで高速を降り、ここから国道114号線を東に向かい、国道6号線を南下します。このルートは特に検問もなく、どの車でも通ることができます。ただしバイク(自動二輪や原付)、歩行者は通行禁止です。
Img_3514 国道6号線を南下。道路から左右には入れないようにバリケードが張り巡らされています。信号は全部黄色点滅になってます。両側の家は、もちろん誰も住んでいない廃墟です。
Img_3516 国道6号線から左右に入る道は、すべてこのようのバリケードで封鎖されています。
Img_3515 双葉町へと入って行きます。なんとこのとき、車のカーナビに異変が!実際と90度ずれた方向に進んでいるかのように表示されるようになりました。カーナビ君、ほどなく正気を取り戻しましたが、単なる偶然か、それとも放射能の影響なのか。
Img_3518 この草むらは、昔は田んぼだったと思われます。
Img_3522 福島第一原発への入り口です。原発から約3kmの地点です。原発では確か数日前、1号機の原子炉格納容器に入ったロボットが身動きできなくなったとのニュースが流れてました。
Img_3524 放置されたまま廃墟となっているお店。ラーメン屋さんでしょうか。改修はもとより、取り壊しも行われておりません。
Img_3526 主(あるじ)なしとて春な忘れそ。桜があちこちで美しく咲いておりました。
Img_3528 富岡町に入ります。しばらくして6号線を右に折れ、常磐富岡ICへ向かいました。
Img_3532 スクリーニング場です。放射性物質などが付着していないか、チェックするところのようです。
Img_3534 道の左手の田んぼは、除染作業が急ピッチで行われておりました。
Img_3535 大量の汚染物質が袋に入れて積み上げられております。これ、どうするんだろ。
Img_3536 ようやく常磐富岡ICの入り口に到着。白い防護服を着た人がいました。
 あ〜どっと疲れた。なんか緊張しました。しかしこの異常事態が、福島の「日常」なんですね。

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2015/04/26

【温泉・美術館】高峰温泉(★★★★★)、軽井沢千住博美術館

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 4月の頭、ぽん太とにゃん子は、ふくろう義父さんと義妹のひつじちゃんをつれて、高峰温泉に行ってきました。公式サイトはこちらです。
 高峰温泉は、浅間山の西、標高2,000メートルにある一軒宿。ぽん太はかなり以前に2、3回訪れたことがあるのですが、自然に囲まれ、自然を愛する素晴らしい宿で、従業員もとても暖かくて気持ちよく泊まれました。それからだいぶ時間も立ち、露天風呂を作ったなどという話しも耳にし、ひょっとしたら変わっちゃってんじゃないかな〜と少し心配していたのですが、さにあらず、昔と変わらず素晴らしい宿でした。ぽん太の評価は5点満点!
Img_3387 アサマ2000スキー場の駐車場に車を停め、待つこと暫く、雪上車のお迎えがやってきました。高峰温泉に行く林道は、冬季は雪で閉鎖となるので、雪上車に乗り換えて宿まで行きます。
Img_3485 建物は新しくきれいでロッジ風です。
Img_3388 客室は和室の8畳間。手入れが行き届いており、シンプルでこざっぱりしております。窓の外は雪景色ですが、二重窓にスチーム暖房も効いていて、とても暖かいです。
Img_3392 まだ1mはある雪の間に掘られた道を、浴衣で進んで行きます。
Img_3433 そこにあったのは正に絶景の露天風呂。写真では小さくてわかりませんが、遠くに中央アルプスや御嶽山が見えます。よく見ると御嶽山に噴煙があがっているのもわかります。
Img_3402 こちらは内湯の高峰の湯。浴槽が二つに分かれてますが、向かって左の狭い方が温度の低い源泉、右側は加熱された暖かいお湯です。お湯は白いうす濁りで、微かに硫黄の匂いがします。
Img_3405 温泉分析表です。泉温は35.6度、pHは7.0の中性です。泉質は、含硫黄ーカルシウム・ナトリウムー硫酸塩温泉(硫化水素型)です。
 高峰温泉にはこのほかにもうひとつ、ランプの湯があります(写真はありません)。
Img_3410 さて、夕食です。先付けはとろろにうるいが乗ってます。セロリのきんぴら。右側はタモギ茸というキノコだそうです。刺身蒟蒻は群馬が近いからか。
Img_3409 夕食のメニューです。これがあるとわかりやすくて有り難いですね。
Img_3412 こちらが黄金軍鶏の塩鍋の素材だ〜!四人分です。
Img_3417 具を食べ終わったら、お蕎麦を入れていただきます。
Img_3421 ご飯は胚芽米です。野沢菜は、地元で食べるとシャキシャキと歯切れがよくって、繊維が残りませんね。
 宿泊客が自然を楽しめるように、いろいろとアシストしてくれるのが、この宿の特徴。スノーシューやクロスカントリー・スキーも宿泊者には無料でレンタルしてくれます。夕食後は星の観察会が行われますが、泥酔状態のぽん太一行はパス。
Img_3442_2 翌朝食事前は、えさ場に集まる動物や鳥たちを観察。動物に詳しい従業員さんが、いろいろと解説してくれました。しっぽが透けて見えるのがわかりますか?まだ周囲は雪に覆われていますが、夏の毛に生え変わっているそうです。
Img_3463 朝食はシンプルですが、新鮮な食材を丁寧に調理してあって、とっても美味しかったです。
Img_3484 帰りは人数が多かったためか、猫バス風の雪上車。やっぱりこっちの方が雰囲気が出ますね。
 ただひとつ気になったのは、「創生水」を使っていること。地元上田市の企業が作っている水ですが、界面活性作用があるとのことで、風呂場で石けんやシャンプーの使用が禁じられておりました。メーカーが詠っている創生水の効能や原理が本当かどうかはぽん太はわかりませんが、自然派指向はひとつ間違うと宗教や偽科学に向かいやすいもの。くれぐれも慎重に。
Img_3487 車坂峠付近からの風景。佐久平の背後の山並み(甲武信岳あたりか?)の向こうに富士山が見えました。

Img_3491 帰りに軽井沢千住博美術館によりました。公式サイトはこちらです。千住博(1958年 - )は日本画家。ヴァイオリニストの千住真理子のお兄さんですね。ぽん太は、千住博の絵を初めて見たのですが、なかなか良かったです。「ウォーターフォール」という滝を描いたシリーズがメインのようで、黒い紙の上に白い絵の具を実際に滝のようにしたたらせたものに、さらに描き加えることで、静謐で神々しい滝が表現されておりました。「クリフ」シリーズの崖の表現も、登山で崖を見慣れてるぽん太から見てもなかなかのものでしたが、和紙を揉んでシワを作り、それを利用して絵の具を塗るという技法を用いているそうです。季節柄か「桜」のシリーズも展示されておりましたが、白とピンクの二色の絵の具を使って、花びらの様々な色調を描き出しておりました。鹿が大都会に迷い込んだりする、「星のふる夜に」も、詩情あふれる童話のようでした。
Img_3498 建物の設計は西沢立衛(にしざわ りゅうえ、1966年 - )。建築家・妹島和世とのユニットSANAAで、建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を受賞したことで有名ですね。竣工は2011年。床がゆるやかにうねり、角がめくれ上がるように上がっていたりし、ガラス張りの壁もカーブを描いてます。あちこりにガラス張りの吹き抜けがあり、明るく広々した内部空間です。なんか、SANAA設計のローザンヌ連邦工科大学ラーニングセンター(2010年竣工)に似てる気がするけど、気のせいかしら……。
 美術館の一角にザ・フォール・ルームというのがあるのですが、千住博が1995年のベネチア・ビエンナーレで、東洋人初の名誉賞を受賞した「The Fall」を展示するために特化した部屋で、暗くて広い空間の床には水がたたえられ、その向こうに滝が一面に広がっているという趣向です。

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2015/04/25

【奈良観光】「義経千本桜」の舞台つるべすし弥助、村野藤吾設計の橿原神宮前駅、石舞台古墳、鞍作鳥の飛鳥大仏がある飛鳥寺

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 3月中旬のぽん太とにゃん子の京都・奈良の旅、ようやく今回でご報告が終了です。
Img_3355 洞川温泉花屋徳兵衛を発ったぽん太とにゃん子、まず訪れたのが、吉野にある「つるべすし弥助」です。朝早いのでまた開店していません。でも、とりあえず見るだけでいいのです。というのもこの鮨屋は創業800年、知る人ぞ知る歌舞伎ファンの聖地。「義経千本桜」の三段目「すし屋」の舞台として有名です。
つるべすし弥助
つるべすし弥助
ジャンル:天然鮎料理、鮎鮨の老舗
アクセス:近鉄吉野線下市口駅 徒歩15分
近鉄吉野線下市口駅 車5分
住所:〒638-0041 奈良県吉野郡下市町下市533(地図
周辺のお店:ぐるなびぐるなび 吉野・奈良南部×懐石料理
情報掲載日:2015年4月22日

 「義経千本桜」のオリジナルの義太夫の詞章は、次のように始まります。こちら(pdf)で読むことができます。その150ページの上段左端から。

春は来ねども花咲かす。娘が漬けた鮓ならば。なれがようかろと。買ひにくる。風味も吉野。下市に売弘めたる釣瓶鮓御鮓所の弥左衛門。留守の内にも商売に抜け目も内儀が早漬に。娘のお里が片襷。裾に。前垂ほやほやと愛に愛持つ鮎の鮓。押へてしめてなれさする。味(うま)い盛りの振袖が。釣瓶鮓とは。物らしい……
 確かに吉野の下市にある釣瓶鮓となっておりますね。ちなみにこの芝居の重要なアイテムである寿司桶は、井戸で水を使う釣瓶の形をしてますが、これを使って仕込んだなれ鮓が有名になったんだそうです。
 ちなみに「義経千本桜」では、鮓屋に匿われた平維盛は「弥助」と名乗っていますが、つるべすし弥助の当主は代々「弥助」を名乗るんだそうです(こちら)。

Img_3363 次に訪れたのは橿原神宮前駅。この駅舎は建築家・村野藤吾(1891年 - 1984年)の設計です。代表作は日生劇場(1963年)(中がうねうねガウディみたいなやつですね)、志摩観光ホテル(1951年)、広島の世界平和記念聖堂(1954)などなど。東京在住の人には今はビックカメラになったショートケーキみたいな有楽町の読売会館(1957年
)がおなじみかしら。
 時間がないので、こんかいは車窓からの見学に留めました。

Img_3270 続いて「石舞台古墳」。蘇我馬子の墓と言われてます。高校の修学旅行以来だぜい。なんか昔は畑の中にぽつりとあった気がするけど、ずいぶん周りが整備されましたね。ちなみにJAFの会員証で入場料が50円割引となります。ぽん太は50円のために、わざわざ駐車場までJAF会員証を取りにもどったぜい。ワイルドだろ〜?

Img_3268 最後は飛鳥寺です。石舞台古墳に埋葬された蘇我馬子の発願で、596年(推古天皇4年)に創建された日本最初のお寺です。
Img_3253 こちらがご本尊の飛鳥大仏(釈迦如来像:重要文化財)。なんと写真撮影オーケーです。法隆寺金堂の本尊釈迦三尊像(623年作)で有名な鞍作鳥(くらつくりのとり)の作品です。
Img_3263_2 災害にあって補修されておりますが、顔の当たりにオリジナル部分が残っていると言われております。説明してくれたお坊さんが言ってたことですが、ぽん太がいる場所にむかし聖徳太子が座ってこの像を眺めていたかもしれないと想像すると、感慨深い物があります。
Img_3266 お寺の裏手に、「蘇我入鹿の首塚」がありました。

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2015/04/24

【温泉】洞川温泉 花屋徳兵衛(★★★★★)@奈良県

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 奈良の南にある洞川温泉(どろがわおんせん)といえば、女人禁制の修行の山・大峯山のおひざもとにある、知る人ぞ知る秘境です。良さそうな宿がいっぱいありますが、今回は「花屋徳兵衛」さんにお世話になりました。修験者の宿泊所の雰囲気が残る古い建物で、料理も民宿みたいなものかと思っていたらさにあらず、とても美味しく、おもてなしも心地よいです。ぽん太の評価は満点!公式サイトはこちらです。

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Img_3350 一階の縁側部分には、講などの様々な団体名が描かれた提灯が。常連の団体が宿泊する時、表に掲げるのでしょうか?
Img_3290 いいふぜいですね〜。
Img_3282 きれいな新館もありますが、ぽん太とにゃん子はもちろん昔ながらの本館を選択。障子の外側に縁側を持つ昔ながらの造りです。
Img_3284 縁側の手すりの意匠です。
Img_3312 日がくれて、通りの提灯に火がともりました。
Img_3331 温泉は、男女別の浴室と、貸し切り露天風呂があります。写真は後鬼の湯。半露天になっております。
Img_3334 温泉分析表です。泉温は30.7度、pHは書いてありませんが、弱アルカリ性のようです。泉質は単純温泉。外は雪ですが、とっても暖まります。
Img_3343_2 こちらがもう一つのお風呂。タイルがレトロっぽくていいですね。
Img_3301 そしてこちらが「是空の湯」。有料の貸し切り露天風呂です。洞川温泉街の屋根の上を見はらしている感じ。強風に激しく舞う雪を見ながらの入浴です。
Img_3305 泉質も異なるようです。アルカリ性単純温泉で、泉温は26度です。
Img_3314 夕食はこちら。美味しそうですね。
Img_3326 早速冷酒を注文。命の水・大峰山です。
Img_3316 川魚の塩焼きですね。
Img_3323 天ぷらにはフキノトウが入ってました。
Img_3310 宿のご主人の趣味の部屋と思われるオーディオルームです。ジャズが流れてました。
Img_3347 朝食です。美味しゅうございました。

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2015/04/23

【堺市観光】国宝桜井神社、仁徳天皇陵、穴子寿司@深清鮓、茶寮つぼ市製茶本舗

Img_3217 3月中旬の関西の旅、あまみ温泉南天苑を後にしたぽん太とにゃん子は、大阪府堺市にある唯一の国宝がある桜井神社を訪れました。
Img_3215 住宅地のなかにある小さな神社です。寺院風の門の奥に見える拝殿が国宝に指定されております。上の写真がそれですが、シンプルでなんとなく古風な感じがしますね。鎌倉時代の建築だそうですが、神社の拝殿はあまり古い物が残っておらず、貴重なんだそうです。公式サイトは見当たりませんが、こちらのサイトが詳しいです。
Img_3218 おやくそく、狛犬君(向かって左)です。
Img_3219 続いて向かって右の狛犬君。
Img_3222 建物の真ん中を道が貫通しているのが特徴で、割拝殿(わりはいでん)と呼ばれるそうで、全国的に珍しいそうです。石上神宮にある摂社・出雲建雄神社拝殿(国宝)も割拝殿なんだそうですが、ん?なんかそれ、昔見たぞ。
Img_2438 探したらありました。これが出雲建雄神社拝殿ですね。確かに割れてます。う〜ん、まったく意識してなかった。ぽん太のおばかさん。
Img_3228 まんなかの通路は当初からあったものではなく、後から改築されて作られたものと考えられているそうです。
Img_3229 側面は、二重虹梁蟇股(にじゅうこうりょうかえるまた)と呼ばれる構造が珍しいそうです。横向きのぶっとい柱(虹梁)があって、その上に富士山みたいな格好をした部材(蟇股)が二つあります。その上にもう一本やや短めの横向きの柱(虹梁)があり、まんなかにもひとつ蟇股が乗っております。これを人呼んで二重虹梁蟇股といい、古い建築形式なんだそうです。
Img_3232 正面の戸は桟唐戸(さんからと)と呼ばれ、材木で桟を作り、板をはめ込んでいます。鎌倉時代に中国から伝わった、当時の最先端のデザインなんだそうです。
Img_3230 内拝殿と、それに続く幣殿、本殿。
Img_3225Img_3226 内拝殿の前の狛犬君です。

Img_3234 他に観光する所がないかガイドブックを見ると、なんと「仁徳天皇陵」が!そういえば仁徳天皇陵って、小学生の頃から教科書で見てたけど、一度も行ったことがなかった、というか、こんなところにあるとは思ってなかった。早速行ってみよう!
 と、駐車場に車を停めたものの、掘りに囲まれた広大な敷地があるだけで、どこをどうみたらいいのか全く分からん。正面のところに行ってみると、ボランティア・ガイドさんがいて、詳しく説明してくれました。
 一般客は手前の柵のところまでしか入れません。その先に小さな濠があって、鳥居がありますが、さらにその向こうに大きな濠があって、向こうに緑の山が見えます。そこが例の鍵穴の格好をした古墳の部分ですね。内部は宮内庁管轄のため、滅多なことでは入れません。天皇陛下が訪れたときでさえ、鳥居のところまでだったそうです。ちなみに正式には、百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)と呼ばれるそうです。ホントに仁徳天皇の墓なのか?という問題もありますが、内部の発掘調査ができない以上、何とも言えないそうです。
Img_3237 仁徳天皇陵は、クフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵とともに、世界三大墳墓と言われております。高さではピラミッドが、容積では始皇帝陵が、そして面積では仁徳天皇陵が世界一なんだそうです。
Img_3233 その後、向かいにある堺市博物館で無料の解説ビデオを見ました。写真は、堺市博物館のマスコットキャラ、サカイタケル君。こ、これって「せんとくん」じゃん。あゝ、同じ奈良県だからいいのか……って、堺市って奈良じゃなくて大阪じゃん。まさかこれってパ・ク・リ?
 ぐぐってみると、サカイタケル君もせんとくんも、同じ彫刻家・籔内佐斗司さんのデザインなんだそうな。それならパクリではないけど、「使い回し」なんじゃないの?ちなみに籔内さんは、堺市出身なんだそうです。
 で、無料の解説ビデオですが、できたばかりの仁徳天皇陵をCGで見せてくれたのですが、段丘状の斜面は石で整然と覆われ、埴輪で飾られて、とても美しく壮大でした。海から堺を訪れると、仁徳天皇陵を初めとする古墳群が目に飛び込んできて、それはそれは見事で雄大な景観だったようです。

Img_3239 お腹がすいたので、堺市内の深清鮓(ふかせずし)で穴子寿司をテイクアウトしました。
Img_3252 箱寿司もありましたが、ここはやはりにぎりを選択。柔らかくて美味しゅうございました。
深清鮓
ジャンル:寿司屋
アクセス:阪堺電気軌道阪堺線御陵前駅 徒歩5分
住所:〒590-0834 大阪府堺市堺区出島町1-1-22(地図
周辺のお店:ぐるなびぐるなび 堺×寿司
情報掲載日:2015年4月22日

Img_3245 小腹が空いたので、堺市内の茶寮つぼ市製茶本舗でスイーツをいただきました。公式サイトはこちら
Img_3242 抹茶ともなかのセットだったかな?もなかは、自分でアンコと白玉を入れて頂きます。
Img_3234_2 にゃん子は、抹茶のお菓子の盛り合わせみたいなのを注文しました。
 観光も面白かったけど、堺の住人との話しも興味深かったです。堺は「東洋のベニス」などとも言われますが、それは景観だけでなく、自由都市として繁栄してきた堺市民の気構えも含んでいるそうです。フィギュアスケートの高橋大輔や町田樹が育った大阪府立臨海スポーツセンターが財政難から閉鎖されそうになったとき、匿名で1億3千万円をポンと寄付した人がいたそうですが、そういう気風が堺には昔からあるんだそうです。ぽん太は、織田信長の楽市楽座で堺が繁栄したとか習った気がしたので(実はデタラメであるが)、信長の名前を出したら突如興奮し、「信長は堺に大金を出させようとした。はむかったけど脅されて、仕方なく払った。その後も堺を支配しようとするさまざま政治家と戦ってきた。そして今は橋○さんだ。堺を大阪の一部にするなんてもってのほかや。ほならいっそ、大阪都じゃなくて堺都にせい、てなもんや」とのたまわってました。

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2015/04/22

【温泉】東京駅の辰野金吾設計の名旅館・あまみ温泉南天苑@大阪府(★★★★★)

Img_3214 3月上旬の京都・奈良の旅のご報告が続いているわけですが、今回は温泉のご紹介。大阪に温泉!?って思うかもしれませんが、とっても素晴らしい宿で、ぽん太の評価は南天ならぬ満点です。ホームページはこちら

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Img_3160 大阪府の南、高野山にも近いあたり。国道371号線から天見(あまみ)の集落へと細い道を入って行き、お店が一軒あるだけの天見駅前を通り過ぎたところに宿があります。広々とした庭園の向こうに、美しい瓦屋根が見えてきます。
 あいにく小雪が舞う天気。いまだつぼみの梅の枝に薄雪が積もっております。
Img_3156 実はこちらの旅館の建物、近頃有名な東京駅や、日本銀行本店で有名な建築家・辰野金吾(1854年〈嘉永7年〉- 1919年) の設計です。
 この旅館は、もともとは堺市大浜公園にあった辰野金吾設計の「潮湯」の建物を移築したものだと伝えられておりましたが、証拠があるでもなし、あまりおおっぴらには言えないハナシとされておりました。ところが2002年、柴田正巳らの明治建築研究会の調査・検討によって、言い伝えが事実であることが裏付けられ、晴れて登録有形文化財に登録されるにいたりました。
Img_3161 宿の公式サイトのこちらのページに、歴史的な経緯や貴重な写真が掲載されております。1913年(大正2年)に阪堺電気軌道(のちに南海鉄道に合併される)が娯楽施設「潮湯」を開業。その別館の「家族湯」が、現在の南天苑本館です。この娯楽施設が1934年の室戸台風で破損したのをきっかけに、南海電鉄は翌1935年(昭和10年)に「家族湯」を天見温泉へ移築。同年、大阪の松虫花壇の別館として営業を開始しました。戦争に伴って贅沢を控える風潮から閉館しましたが、1949年に南天苑として創業されたんだそうです。
 また知らないことが出てきた。「松虫花壇」ってなに?ぐぐってみてもほとんど情報がみつかりません(たとえばこちら)。大正から昭和の初めにかけて大阪の阿倍野にあった、巨大な料亭旅館のようです。
Img_3211 数寄屋風建築とのことで、確かに屋根の軒先や庇を銅板一文字葺きにしたりしてますが、むしろどっしりとして重厚な印象です。
Img_3208 玄関の天井部分。筵天井(むしろてんじょう)になってます。
Img_3195 階段の手すりも竹や自然木が使われてます。
Img_3164 客室は、明るい角部屋。内部はきれいに改装されております。
Img_3165 欄間も自然木があしらわれております。
Img_3167 窓からは広い庭園をのぞむことができます。ちょっと雪が積もってます。
Img_3187 浴室は新しく改装されており、そんなに広くありません。
Img_3190 温泉分析表です。無色透明でほとんど無味無臭。泉温は15.3度と低く、pH6.88と中性です。泉質は単純弱放射能泉とのことで、ラドンが110×10^(-10)Ci/kg(30.2マッヘ/kg)です。
Img_3174_2 夕食も素晴らしかったです。先付けですが、空豆やホタルイカといった春の食材で、梅の花が添えられ、箸置きも梅です。
Img_3179 田楽と焼き魚です。
Img_3180 なが〜い入れ物の天ぷらも美味しゅうございました。
Img_3212 庭園の片隅にあった祠です。狐の置物があるのでお稲荷さんだと思うのですが、たくさんぶら下げられた提灯には、白菊大神・白玉大神・白龍大神・白塔大神と、やたらと「白」が入った名前が書かれております。ぐぐってみると、白菊大神や白玉大神は京都の伏見稲荷で、また白龍大神はあちこちで祀られているようですが、白塔大神というのがわかりません。白塔はチベット式の仏舎利塔のことだそうですが。この祠の意味はなぞです。
Img_3199 朝食です。卵焼きはもちろん甘くないやつ。関西に来るとこの味が楽しみですね。

 大阪からほど近くにあるのに、別世界のような山里の風景、広い庭園に由緒ある建物、お風呂はちょっと小さいけど、料理もおいしく暖かく細やかなおもてなし。ただ、お値段もそこそこいいのですが、今回は半額の特別プランで泊まれたので、ぽん太の評価は5点満点!

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2015/04/21

【歌舞伎】勘三郎のエンターテイナー遺伝子が始動・2015年4月平成中村座夜の部

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 平成中村座の夜の部を観に行ってきました。勘三郎がいない中村座なんてな〜、勘九郎と七之助に普通に歌舞伎やられても〜などと高をくくっていたのですが、あにはからんや、小さな劇場ならではの、舞台と客席が一帯となった素晴らしい公演でした。う〜ん、血は争えん。勘三郎のエンターテイナーのDNAが勘九郎と七之助のなかで息づいているようです。歌舞伎美人のサイトはこちら、平成中村座公式サイトはこちらです。

 席はもちろん桜席。一般の客席から見て幕の向こう側、舞台の両袖にある二階席です。こんなところから歌舞伎を見れる機会は滅多にありません。ぜひオススメします。びっくりすることで一杯です。
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 こんなところになんで客席があるのかと思うかもしれませんが、上の浮世絵を御覧下さい。三代目歌川豊国による『踊形容江戸繪榮』(おどり けいよう えどえの さかえ)です(Wikipedia掲載の著作権フリーの写真です)。安政年間(1854–59年)の猿若町移転後の市村座を描いたものです。演目は『暫』ですね。平成中村座の構造と何となく似てますね。これを見ると、能舞台と同じように、舞台の左右にも観客がいるのがわかります。ただ、幕は客席の向こう側にあるようです。ということは、幕が閉まった状態でも、舞台の手前は見えたままということですかね。さらに舞台の向かって左奥に、舞台を後ろ側から見るような(P席?)客席がありますが、これは完全に幕の向こう側です。この一階部分は、手前の客席から見るとまるで羅漢像のようなので(例えばこちら)、羅漢台と呼ばれました。確か海老蔵が昔「壽三升景清」で舞台上に観客席を作ったことがありましたが、恐らく羅漢台が頭にあったんだろうと思います。そして羅漢台の二階を「吉野」と読んだそうですが、その名前の由来はぽん太にはわかりません。平成中村座の「桜」席の由来は「吉野」だから?というのは穿ち過ぎでしょうか?
 で、この桜席、幕が閉まった状態での役者や鳴物の立ち振る舞いや、大道具さんの手際よい舞台転換を見ることができます。幕が開くと、通常の客席に座っているお客さんに、「をゝ、こんなところに客席があるぞ」とばかりにじろじろ見られるのが、ちと恥ずかしいです。しかしその後は反対に、あそこにかわいい娘がいるぞとか、お客さんをじっくり観察することができます。真剣な顔の人、にこにこ笑っている人、寝てる人などなど、一目瞭然です。舞台で演じている役者さんから、客席がこんなふうに見えるんだ。よく歌舞伎は、役者とお客さんが一緒になって作るものだなどと言いますが、その意味が少しわかりました。
 また、演技を横から見るのもとても新鮮で、例えば「三笠山御殿」で刀で刺されて倒れている七之助が、これまでの娘の化粧を、血の気を失ったように治しているのもわかりました。特にこんかい下手の席だったので、幕が閉まってから掃けて行くときに、役者さんたちが笑顔を向けてくれました。もちろんみんな、盛大な拍手でお見送り。こんな素晴らしい席が一番安いなんて、ぽん太信じらんな〜い。

 うぉっほん、舞台の感想に戻ります。「三笠山御殿」は、橘姫が御殿に戻って来る所からスタート。鱶七の獅童が豪快に槍を枕に寝る所も見たかったですが、そこは平成中村座、七之助の見せ場中心で文句はありません。その七之助のお三輪は素晴らしかったです。素晴らしかったです。大切なことなので二度繰り返しました。
 最初の可愛らしい田舎娘、官女にいじめられる「責め場」の哀れさ(昨今のいじめ事件を思い出して、身につまされました)、嫉妬と怒りによってまるで悪霊と化したがごとき凄まじさ、そして愛する人のために死ぬことを喜ぶ聖女の姿……。最高です。
 刀で刺された七之助が、二重で獅童が真相を明かすのを見ている場面、正面の客席からは七之助の背中しか見えませんが、獅童を見ながらずっと苦しそうな顔で、ときにつばを飲み込んだりしていて、その横顔に感動いたしました。こういうもんなんですね〜。
 七緒八クンの豆腐買娘お柳、カワユス。

 「高坏」は勘九郎のゲタップダンス。お客さんを楽しませる愛嬌が、板についてきました。舞台奥手を向いて踊っているとき、鼓の田中傳左衛門がつられて笑っているのが見えました。最高のエンターテイナーです。最後に幕が閉まった直後、人差し指を立てて左右の桜席に「ちょっと見ててね」と合図をすると、おもむろに扇子を放り投げ、くるりと回って落ちるところ、扇面を上からぱっとつかんでみせてくれました(技の名前不明)。サービス満点の演技に、桜席の観客は大声援に大拍手。幕の向こう側のお客さんは、何の歓声だろうと不思議に思ったことでしょう。

 最後は橋之助の「幡随長兵衛」。明るくて豪快な橋之助にとっても合った役で、悪い所はなかったのですが、なんかもう一つ引きつけるものが欲しいです。それが何なのか素人のぽん太にはわかりませんが……。観ていてぐっと引きつけられて思わず息を飲む、といったところが欲しいです。
 劇中劇の「公平法問諍」では、舞台上に観客役の俳優を置かず、中村座のお客さんが「公平法問諍」を観ているという設定。幡随長兵衛が客席から現れたり、水野十郎左衛門が正面の二階席に登場したりして、臨場感がありました。
 「公平法問諍」の坂田公平役の中村いてうが、劇中劇のなかで名代昇進のご披露。
 今回の中村座、「十八世中村勘三郎を偲んで」と銘打ってますが、もちろん4月6日に94歳で他界された中村小山三さんも偲んでいることでしょう。「小山三ひとり語り」、読ませていただきました。「現役最高齢の歌舞伎役者」ということしか知りませんでしたが、すばらしい役者さんで、ホントにいろいろな経験をされてたんですね。ご冥福をお祈りします。


平成中村座 陽春大歌舞伎
十八世中村勘三郎を偲んで
平成27年4月19日

夜の部
 
一、妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)
  三笠山御殿
    杉酒屋娘お三輪 中村 七之助
    漁師鱶七実は金輪五郎今国 中村 獅 童
    橘姫 中村 児太郎
    豆腐買娘お柳 波野 七緒八
    豆腐買おむら 中村 勘九郎
    烏帽子折求女実は藤原淡海 中村 橋之助

二、高坏(たかつき)
    次郎冠者 中村 勘九郎
    高足売 中村 国 生
    太郎冠者 中村 鶴 松
    大名某 片岡 亀 蔵

三、極付 幡随長兵衛(ばんずいちょうべえ)
  「公平法問諍」
    幡随院長兵衛 中村 橋之助
    女房お時 中村 七之助
    出尻清兵衛 中村 勘九郎
    伊予守源頼義 坂東 新 悟
    御台柏の前 中村 児太郎
    子分極楽十三 中村 国 生
    同 雷重五郎 中村 宗 生
    同 閻魔大助 中村 宜 生
    同 笠森団六 中村 鶴 松
    近藤登之助 片岡 亀 蔵
    唐犬権兵衛 中村 獅 童
    水野十郎左衛門 坂東 彌十郎

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2015/04/20

【展覧会】ルネサンスの栄枯盛衰「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」Bunkamuraザミュージアム

 海老蔵の「源氏物語」のお口直しに、ボッティチェリ展に寄りました。公式サイトはこちら、Bunkamuraザミュージアムのサイトはこちらです。
 ボッティチェリと聞いても、ぽん太は《春》と《ヴィーナスの誕生》ぐらいしか知りませんが、今回は残念ながらどちらも出品されていませんでした。ただ《ヴィーナスの誕生》のヴィーナスだけが描かれた、ボッティチェリ工房の作品が展示されておりました。ルネサンスやメディチ家が関係しているらしいが、狸のぽん太はルネサンスと聞いても髭男爵ぐらいしか思い出さないのが悲しいところ。せっかくなのでWikipedia先生に教わってみました。

 ルネサンスは、14世紀にイタリアで始まり、その後西欧各国に広まって、16世紀まで続いた文化運動。毛織物業と銀行業で栄えたフィレンツェが、まず中心となりました。フィレンツェ出身の詩人ダンテ(1265 - 1321年)が「神曲」を完成。ペトラルカ(1304年 - 1374年)が中世を暗黒時代と呼んで否定し、古典主義時代を礼賛しました。1453年のコンスタンティノープルの陥落(東ローマ帝国滅亡)に伴い、東ローマから多くのギリシア知識人がイタリアへ亡命し、さらにルネッサンスを活発化させました。このフィレンツェの隆盛を経済的に支えたのがメディチ家(後述)。しかし15世紀末にはドミニコ修道会士サヴォナローラ ( 1452年 - 1498年)がフィレンツェの腐敗とメディチ家の独裁を徹底的に批判して神権政治を行うようになり、フィレンツェの文化は衰退。ルネサンスの中心は教皇も推進役となったローマに移り、ラファエロ(1483年 - 1520年)やミケランジェロ(1475年 - 1564年)が携わったサン・ピエトロ大聖堂が建設されました。しかし隆盛を極めたイタリアも、神聖ローマ帝国とフランスがイタリアを巡って争ったイタリア戦争(1494年 - 1559年)や、地理上の発見による地中海貿易の衰えなどによって国力が低下。16世紀前半にイタリア・ルネサンスは終焉を迎えました。
 イタリア・ルネサンスの代表的人物としては、上記以外に、「デカメロン」を記したボッカチオ(1313年 - 1375年)や「君主論」のマキャヴェリ(1469年 - 1527年)、レオナルド・ダ・ヴィンチ (1452年 - 1519年)、音楽のモンテヴェルディ(1567年 - 1643年)などがいます。
 その後ルネサンスはヨーロッパ各地に波及しました。ネーデルランドではブリューゲル(1525年? - 1569年)、「愚神礼賛」を記したエラスムス(1466年 - 1536年)、フランスではラブレー(1483年 - 1553年)やモンテーニュ(1533年 - 1592年)、ドイツのデューラー(1471年 - 1528年)、イングランドのチョーサー(1340年 - 1400年)、シェイクスピア(1564年 - 1616年)、トマス・モア(1478年 - 1535年)、スペインのエル・グレコ(1541年 - 1614年)、セルバンテス(1547年 - 1616年)などが挙げられます。
 メディチ家は、フィレンツェのルネサンスをパトロンとして支えた一族。ジョヴァンニ・ディ・ビッチ(1360年 - 1429年)の代に銀行業で大成功を納めました。その息子コジモ(1389年 - 1464年)は、政治的な実権をにぎり、事実上のフィレンツェ共和国の支配者となりました。その息子ピエロ(1416年 - 1469年)は、芸術家のパトロンとしての才能を発揮しました。ロレンツォ(1449年 - 1492年)は、優れた政治・外交能力を持つとともに、ボッティチェリやミケランジェロなどパトロンとしても知られ、フィレンツェは最盛期を迎えましたが、その裏でメディチ銀行は破綻寸前の状態となっていいました。しかしロレンツォは43歳で若死に。後を継いだ長男のピエロは(おっと、上に同じ名前があるな、注意、注意)、1494年のフランス軍の侵攻(イタリア戦争)への対処を誤ってフィレンツェを追放され、メディチ銀行も破綻しました。その後メディチ家は復権し、トスカーナ大公国の君主にもなったものの、1737年で断絶。このあたりは今回は省略いたします。

 Wikipedia先生、ありがとう。なんとなくわかったよ。でもぽん太の頭はすでに限界さ。
 っつ〜ことは、ボッティチェリ(Sandro Botticelli)は1445年に生まれて1510年に死死んでますから、フィレンツェのルネサンスの全盛期から、サヴォナローラ時代のルネサンス衰退期までを生きたことになりますな。メディチ家で言えば、ピエロ(コジモの息子の方)、ロレンツォ、その息子ピエロの時代かしら。

 で、展覧会の感想ですが、ボッティチェリの絵は、まさに春のように明るくて、生命力があり、人々の生を肯定している感じがします。ラファエルやミケランジェロ、ダ・ビンチなどに比べると、ちょっとデフォルメされているのですが、それがまた心地よいです。顔の表情なども、ちょっと線画っぽいんですが、とてもチャーミングです。
 フレスコ画の大作《受胎告知》(1482年、フィレンツェ、ウフィツィ美術館)も、遠景に自然が描かれて明るく開放感があります。また装飾された柱が綿密に描き込まれていたり、ベッドのある部屋が池の上に突き出ているみたいで遠近法が無視されてたりするあたりがいいです。
 《聖母子と洗礼者ヨハネ》(1477-1480年頃 テンペラ・板 ピアチェンツァ市立博物館)は門外不出だそうで、何で門外不出なのかぽん太にはわかりませんが、地面の草が文様のように描かれていたり、不思議で神秘的な遠景が描かれていたりします。
 サヴォナローラの時代を経て1500年頃に描かれたボッティチェリ「工房」の作品は、線が固くデフォルメが強調されており、描かれた人物の表情もこわばっており、中世の絵画に戻ったかのようです。時代の要請なのか、老いを迎えたボッティチェリの心境なのか、「工房」ゆえなの拙さなのかぽん太にはわかりませんが、「無惨」としか言いようのない絵で、見ていて栄枯盛衰を思い悲しくなりました。
 ディディ=ユベルマンも論じているフラ・アンジェリコの絵が2点見られたのもよかったです(読んでないけどね)。


「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」展
Bunkamura ザミュージアム
平成27年4月9日

作品リスト(page1page2page3page4

主な出品作

サンドロ・ボッティチェリの作品
《ケルビムを伴う聖母子》1470年頃 テンペラ・板 フィレンツェ、ウフィツィ美術館
《受胎告知》1500-1505年頃 油彩・板 個人蔵
《開廊の聖母》1466-1467年頃 油彩・板 フィレンツェ、ウフィツィ美術館
《聖母子と二人の天使、洗礼者聖ヨハネ》1468年頃 テンペラ・板 フィレンツェ、アカデミア美術館
《聖母子と二人の天使》1468-1469年頃 テンペラ、油彩・板 ストラスブール美術館
《《東方三博士の礼拝》のための習作》1475年頃、鉄鉛筆、鉛白のハイライト・下塗りした紙 リール美術館
《キリストの降誕》1473-75年頃 フレスコ(キャンヴァスに移行) サウスカロライナ州、コロンビア美術館
《聖母子と洗礼者ヨハネ》1477-1480年頃 テンペラ・板 ピアチェンツァ市立博物館
《受胎告知》1481年 フレスコ フィレンツェ、ウフィツィ美術館
《ロレンツォ・デ・ロレンツィの肖像》1496-1502年頃 油彩・板 フィラデルフィア美術館

フラ・アンジェリコ《聖母マリアの埋葬》1432-1435年頃 テンペラ・板 フィレンツェ、サン・マルコ博物館
フラ・アンジェリコ《聖母マリアの結婚》1432-1435年頃 テンペラ・板 フィレンツェ、サン・マルコ博物館

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2015/04/14

【舞台】これはいけません/市川海老蔵特別公演「源氏物語」@オーチャードホール

 当たり外れが激しいけど、なんか気になる市川えびぞ〜。し、しかし、今回のはいけません。筋がない。盛り上がりがない。荒事がない。一言でいうと面白くない。公式サイトはこちら
 ま、恐らく本人は、能、カウンターテナー、日本舞踊などの異なるジャンルの芸術のコラボを目指したんだと思いますが、コラボというからには1足す1が3じゃなくちゃなりません。でも今回のは1足す1がせいぜい2。それぞれが並列されてるだけで、有機的な絡み合いがありません。
 例えばカウンターテナーが歌っているあいだ、舞台では何も起きないので、我々はぼーっと歌を聴いているわけです。しかも、外国語の歌詞の意味もわかりません。で、次にぼたんの踊りが始まるので、今度はそれを見るという感じ。光源氏の物語は単なる狂言回しになっているだけ。ドラマチックな展開もなく。光源氏が藤壷とできて子供を作ったという説明で前半45分が終了してハーフタイムに入ったときは、「なんじゃこりゃ」と思わずにゃん子と顔を見合わせました。これじゃ別に強いて「源氏物語」にしないで、それぞれのアーチストが、順番に自分たちの芸を披露する公演にしても同じじゃん。
 海老蔵の光源氏はやけに「美形」のメークで、演技らしい演技もなく、なよなよとしてるだけ。後半は後ジテで物の怪にでも変わってくれのかと、あらぬ期待をいたしました。客席のなかを歩き回るお楽しみも、勘三郎だったら周りからも見えるように照明を明るくして、もっと客をいじったりしてくれたのにな〜。
 皆は光るの君ともてはやしているが、光源氏自身は自分が周りの人に不幸をもたらすことを人知れず悩んでいる、というあたりがテーマのようなのですが、「自分に関わる人を不幸に巻き込んでしまう」などと憂うのは、菅丞相が言うなら許しますが、海老蔵だと、六本木の事件で回りに迷惑をかけたことと?、それとも京都でガラスをけっぽって怪我して仁左さんに代役を頼んだこと?などと思ってしまいます。
 客層が60代・70代といった感じのご婦人が多かったのもびっくり。う〜ん、海老蔵、こんな客層も掴んでるんですね。
 勘三郎が亡くなった後、「新しい歌舞伎」をやろうとしているのが海老蔵しかいない気がして、これまで見守ってきたのですが、結果は…… 
    ×「疾風如白狗怒涛之花咲翁物語。」〜はなさかじいさん〜@ABKAI(H25年8月)
    △「壽三升景清」(H26年1月)
    ×「石川五右衛門」(H27年1月)
    ◎「地球投五郎宇宙荒事」(H27年2月)
    ××「源氏物語」←今回
……ということで、今後は、宮藤官九郎演出の場合を除いて、しばらく追っかけるのを休もうかと思います。

市川海老蔵特別公演
「源氏物語」
オーチャードホール
2015年4月9日

市川海老蔵
片山九郎右衛門
梅若紀彰
観世喜正
亀井広忠
彌勒忠史
市川ぼたん

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2015/04/11

【展覧会】フェルメール《天文学者》に再会「ルーブル美術館展 日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」国立新美術館

Img_2863 フェルメールの《天文学者》が来たというので見に行ってきました。公式サイトはこちら
 こんかい初来日とのことですが、ぽん太は実はこの絵は、2011年にフランス旅行をした時に見たことがあります。普通の団体ツアーでしたが、ルーヴル美術館を訪れた際、ガイドさんに「フェルメールは見れますかね〜?」と聞いたら、連れてってくれました。何でも言ってみるもんですね〜。ルーヴル美術館ではなんと写真撮影OK。その時撮ったのが上の写真です。ちなみにルーヴルには、もう一つ《レースを編む女》というフェルメールの絵もあります。そのときの記事はこちら。何度見ても素晴らしいですね。
 フェルメールといえば、今年の3月から国立西洋美術館でなんと「常設」展示されているという《聖プラクセディス》も、機会があったら早く見たいです。
 今回の美術展は「風俗画」がテーマでしたが、風俗画を味わえるほどの絵画の素養はぽん太にはなし。ついつい有名どころのドラクロワ(《鍛冶屋》)、ミレー(《箕をふるう男》)、ルーベンス(《満月、鳥刺しのいる夜の風景》)、コロー(《水汲み場のブルターニュの女たち》、《身づくろいをする若い娘》、《コローのアトリエ》)などに目が行ってしまいます。コローの《身づくろいをする若い娘》は、少女の表情にも魅かれますが、シャツの部分の白い絵の具の固まりが妙に印象的でした。
 ブリューゲルの《物乞いたち》(1568年)は、見たのは初めてだと思いますが、さすがに素晴らしい。写真だとわかりませんが、地面の緑や塀の茶色が透き通るように塗られています。人物の顔などはマンガチックで北斎みたいですが、視線や(左上に何かあるのでしょうか)、身体の動きの絡みあいなどが面白く、寓意性が味わいを深めています。

ルーヴル美術館展
日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄
国立新美術館
2015年2月21日~6月1日

主な出品作
ヨハネス・フェルメール《天文学者》1668年
ティツィアーノ《鏡の前の女》1515年頃
クエンティン・マセイス《両替商とその妻》1514年
バルトロメ・エステバン・ムリーリョ《物乞いの少年(蚤をとる少年)》1647-48年頃
レンブラント《聖家族》、または《指物師の家族》1640 年
ジャン=アントワーヌ・ヴァトー《二人の従姉妹》1716 年頃
ジャン=オノレ・フラゴナール《嵐》、または《ぬかるみにはまった荷車》1759 年頃
フランソワ・ブーシェ《オダリスク》1745年(?)
ユベール・ロベール《ルーヴル宮グランド・ギャラリーの改修計画、1798年頃》1798年頃

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2015/04/09

【歌舞伎】藤十郎の夕霧を見れて感激。2015年4月歌舞伎座昼の部

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 4月の歌舞伎座は四代目鴈治郎の東京での襲名披露。公式サイトはこちらです。
 ちょっと空席が目立ったのが残念。全体に拍手もやや少なめでした。大阪松竹座だったら藤十郎が出てきただけで客席ドッカンと大拍手ですが、やはり大阪と東京の温度差があるのかもしれません。ぽん太は努めて大きな音で拍手してみました。

 「碁盤太平記」はぽん太は初めて見ましたが、なんかイマイチな印象でした。いわゆる「忠臣蔵」物ですが、作はなんと近松門左衛門。宝永3年(1706年)に初演されたそうです。最近ではあまり上演されませんが、初代鴈治郎の当たり役を集めた「玩辞楼十二曲」の一つなんだそうです。
 扇雀の大石内蔵助が、前半の遊びほうけてるところの艶やかさや、後半での全てを包み込むような大きさが、まだまだ足りませんでした。やっぱり扇雀は女形の方がいいな〜とか思ったりもしてしまうのですが、そんなこと言わず、どんどん新しい役に挑戦して欲しいです。

 「六歌仙容彩」は、「喜撰」や「文屋」を単独で観たことはありますが、全部通しては初めて。とにかく長いです。全部で1時間半。幹部級が勢揃いで鴈治郎の襲名を祝っている感じでした。しかし踊りの面白さが今ひとつわからないぽん太、ちょっと疲れました。仁左衛門の文屋や、菊五郎の喜撰など、愉快な踊りが比較的楽しめました。踊りの動きもあるけど、やっぱり詞章がわからないと、日本舞踊は楽しめないですね。今後はなるべく予習するようにしたいと思います。

 そうして最後は新鴈治郎の伊左衛門で「吉田屋」。ぽん太の好きな演目ですが、う〜ん、う〜ん、これもイマイチでした。鴈治郎はしっかりなぞってはいるけれど、やはりにじみ出て来るような柔らかさや可愛さが板についておらず、ところどころに翫雀持ち前の力強さが現れてしまいます。火鉢を例にあげれば、ホントに冷えきった手を暖めているときの動かし方に見えません。また火鉢のふちを時々ぐっとわしづかみにしたりするのもいただけませんし、そんなに手を火鉢に突っ込んだら熱いんじゃないかと思ってしまいます。仁左衛門なんかは手の動かし方そのものがとっても繊細で、それだけで伊左衛門という「人」を感じさせてくれるのですが……。
 おさきがなかなか伊左衛門に夕霧の話しを切り出してくれなくてやきもきするところとか、伊左衛門が怒って帰るそぶりをしつつ、おさきに止めてもらおうとするところなど、ちょっと省略されてる気がしたんですけど、藤十郎系ではこんな感じなんでしたっけ?
 しかし、なんといっても藤十郎の夕霧が見れたことに感動。伊左衛門は何回か見ましたが、夕霧はたぶん初めてだと思います。さすがの芸でした。ぽん太の記憶に残る舞台になると思います。


歌舞伎座

中村翫雀改め
四代目中村鴈治郎襲名披露
四月大歌舞伎
平成27年4月8日

昼の部

一、玩辞楼十二曲の内 碁盤太平記(ごばんたいへいき)
  山科閑居の場

 大石内蔵助     扇 雀
 岡平実は高村逸平太     染五郎
 大石主税     壱太郎
 医者玄伯     寿治郎
 空念実は武林唯七     亀 鶴
 妻およし     孝太郎
 母千寿     東 蔵
 
二、六歌仙容彩(ろっかせんすがたのいろどり)
  僧正遍照
  文屋康秀
  在原業平
  小野小町
  喜撰法師
  大伴黒主
〈遍照〉   僧正遍照     左團次
       小野小町     魁 春
〈文屋〉   文屋康秀     仁左衛門
〈業平小町〉 在原業平     梅 玉
       小野小町     魁 春
〈喜撰〉   喜撰法師     菊五郎
       祇園のお梶     芝 雀
       所化     團 蔵
       同     萬次郎
       同     権十郎
       同     松 江
       同     歌 昇
       同     竹 松
       同     廣太郎
〈黒主〉   大伴黒主     吉右衛門
       小野小町     魁 春

三、玩辞楼十二曲の内 廓文章(くるわぶんしょう)
  吉田屋
  劇中にて襲名口上申し上げ候

 藤屋伊左衛門 翫雀改め鴈治郎
 吉田屋喜左衛門     幸四郎
 若い者松吉     又五郎
 藤屋番頭藤助     歌 六
 おきさ     秀太郎
 扇屋夕霧     藤十郎

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【オペラ】キリスト教が絡んでくるとわかりにくいな〜「運命の力」新国立劇場

 新国立劇場のヴェルディ「運命の力」。公式サイトはこちらです。またこちらの「オペラ対訳プロジェクト」のサイトに対訳があります。
 ぽん太はこのオペラを観るのは初めてでしたが、いまいち感情移入できないというか、引き込まれないというか、所々で眠くなりました。
 「運命の力」と銘打つくらいですから、抗い得ない運命の力によって、登場人物たちが悲劇的な結末へと押し流されて行くドラマを期待したのですが、あんまり大したことはありませんでした。確かに3人の主人公が全員死ぬという結末は悲惨ですが、そこに至る過程が「悲劇」を感じさせません。
 むしろ、罪や不幸と、神との関係がテーマであるように感じました。レオノーラやアルヴァーロは修道院に救いを求めますし、最後はアルヴァーロは神に許され、レオノーラは天に召されます。しかしこのあたりは、キリスト教徒でないぽん太にはちとわかりにくい。
 「善にして万能である神が、なぜこの世に不幸をもたらすのか」というのは、『ヨブ記』でも扱われたキリスト教では古来から有名な問いですが、こんかいの舞台を観た限り、そういった神に対して疑問を抱いているように感じました。レオノーラの死を「神のもとに召されるのだ」というグルディアーノ神父のセリフはなんか説得力がありません。また第4幕第1場では、食べ物を乞う貧民をののしるメトリーネに対し、グルディアーノ神父が「慈善を行うのです」と説くところでも、神父の言葉が戯画化して扱われている感じがしました。これが今回の演出に限ったものなのか、それともぽん太の取り方が間違っているのか、よくわかりません。
 Wikipediaによれば、オペラ初演時の結末は、アルヴァーロが「自分は地獄からの使者だ、人類は皆滅びるがよい」という冒涜的な言葉を吐くというものでしたが(比較的検閲が緩いロシアで初演されたという事情があったようです)、のちに現在のように改訂されたんだそうです。やっぱり元々は、神に反発するオペラだったんですね。ちなみに初版のDVDは、下のリンクの一番右側です。
 歌手陣はなかなか良かった気がします。以前に「トスカ」を聴いたレオノーラのイアーノ・タマーはあいかわらず表現力・演技力があり、高音のフォルテもキンキンしません。アルヴァーロのゾラン・トドロヴィッチは、以前の新国立「蝶々夫人」のピンカートン訳では、ピンカートンにしてはいい人すぎる気がしましたが、今回は役柄があってました。対してドン・カルロのマルコ・ディ・フェリーチェは剛毅な感じで、トドロビッチとの対比が心地よかったです。プレツィオジッラのケモクリーゼは、今回もズベタ系で、スカートひらひらさせてました。メリトーネのマルコ・カマストラは、コミカルな役をきっちり演じてました。グァルディアーノ神父の松位浩、あいかわらず男前で品位があり、歌も外人に負けてませんね〜。
 赤いタタミイワシを多用した美術はシンプルで現代的で洗練されてました。
 ホセ・ルイス・ゴメス指揮の東フィルはキレはいいけどちょと軽めで、いまいち迫力や、どろどろした情念などがなかった気がしました。新国立劇場合唱団はいつもながら好演。最近カテコに出て来ないのが残念です。

オペラ「運命の力」/ジュゼッペ・ヴェルディ
La Forza del Destino/Giuseppe Verdi
2015年4月5日
新国立劇場オペラパレス

指揮:ホセ・ルイス・ゴメス
演出:エミリオ・サージ
美術・衣裳:ローレンス・コルベッラ
照明:磯野 睦

レオノーラ:イアーノ・タマー
ドン・アルヴァーロ:ゾラン・トドロヴィッチ
ドン・カルロ:マルコ・ディ・フェリーチェ
プレツィオジッラ:ケテワン・ケモクリーゼ
グァルディアーノ神父:松位 浩
フラ・メリトーネ:マルコ・カマストラ
カラトラーヴァ侯爵:久保田真澄
マストロ・トラブーコ:松浦 健
合 唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

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2015/04/08

【国宝】運慶作・大日如来坐像@円成寺&木造仏頭@興福寺、中西与三郎の茶房「六坊庵」のぜんざい@奈良町

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 3月中旬の京都・奈良の旅、ぽん太とにゃん子は奈良の東にある円成寺(えんじょうじ)にやってきました。折しも、先ほどから降っていた雨がみぞれまじりの雪に変わり、寒いことさむいこと。円成寺の公式サイトはこちらです。
 円成寺と聞いても知らない人も多いかもしれませんが、運慶の最初の作品と言われている国宝の大日如来坐像があることで有名です。浄土式庭園の向こうに重要文化財の楼門が見えますが、楼門は通行止めになっていて、通用門から入ります。
Img_3149 こちらが多宝塔ですが、この中に大日如来さまが安置されております。下層の扉が開いて見える所に、実はガラスがはまっていて、ガラス越しに拝むという趣向です。
 多宝塔自体は新しいもので、平成2年(1990年)に再建されたものだそうです。以前の多宝塔は大正9年(1920年)に老朽化のため撤去され、その部材が鎌倉の長寿寺の観音堂に使われているそうです。ここもそのうちみちくさしてみたいですね。ただ公開は季節限定週末限定のようです(鎌倉ガイド)。
463pxdainichi_nyorai_unkei_enjoji_2 こちらが大日如来坐像です(写真はWikipediaからの著作権フリーのものです)。大正10年(1921年)に台座蓮肉天板裏面に運慶自著と思われる墨書銘が発見され、運慶の真作であることが明らかになりました。安元2年(1176)年、通常の制作期間よりはるかにながい11ヶ月を要して造られた、運慶渾身の作です。運慶はまだ20代だったと推定され、運慶の最初期の作です。さらに仏像に制作者の署名が書かれた現存最古の仏像でもあります。この頃から「作者」という意識が高まってきたんですね。
 大きさはほぼ等身大。肉体の奥行きはまだ控えめですが、両手で結んだ智拳印が通常より高く、かつ身体から離れた位置にあるため、胸の前に複雑な空間が生まれています。また条帛(じょうはく:左肩から斜めにかけたタスキみたいなもの)が別材から作られております。
 なんでこんなへんぴな所にある小さなお寺に運慶があるのかという気がしますが、廃仏毀釈以前はかなり栄えていたんだそうです。それにいまでこそ運慶は超有名ですが、当時はまだ若造扱いだったのかもしれません。
Img_3144 円成寺のもう一つの国宝がこちらの春日堂・白山堂です。向かって左が春日堂、右が白山堂ですね。とっても小さなお社で、日本最小の国宝建造物だそうです。安貞2年(1228年)の再建で、春日造社殿の現存最古のものなんだそうです。春日造と言われてもぽん太にはチンプンカンプンですが、Wikipediaには「切妻造・妻入であるが、屋根が曲線を描いて反り、正面に片流れの庇(向拝)を付したもの。庇と大屋根は一体となっている」と書いてあり、まさにその通りの形をしております。
Img_3148 本堂(重要文化財)は、文明4年(1472年)の建立。屋根の妻側の方向に入り口があるのが珍しいそうです。内部には本尊阿弥陀如来坐像と四天王立像(どちらも重要文化財)が安置されています。

 次に訪れたのは興福寺。お目当ては国宝館にある運慶作と言われる「木造仏頭」です。
 国宝館にはもうひとつ「銅造仏頭」があり、こちらは昨年東京藝術大学大学美術館で行われた「国宝興福寺仏頭展」でお会いしました。そのときの記事はこちらです。
 「木造仏頭」の方は、内部に「西金堂釈迦」と墨書されているため、いわゆる南都焼討のあと文治2年(1186年)頃に再興された西金堂の本尊釈迦如来と考えられます。しかし江戸時代の享保2年(1717年)に焼失。頭部と手だけが救い出されました。長く作者不明とされておりましたが、平成19年(2007年)に『類聚世要抄』(るいじゅせようしょう)に運慶が西金堂の釈迦像を建立したと書かれていることから運慶の作とされましたが、それがこの仏頭かどうかについては異論もあるそうです。螺髪などもだいぶ抜け落ち、痛々しいお姿です。額の白毫がないのが特徴で、「この像の眉間からは自然に光が発せられているようだったので、白毫は付けなかった」という古記があるそうです。他に仏手、光背化仏、飛天も残ってます。
 このほか、さすが国宝館、国宝の目白押しです。「板彫十二神将立像」は、前述の「国宝興福寺仏頭展」以来のご対面。国宝館が建つ場所にかつてあった食堂のご本尊、丈六の木造千手観音立像(鎌倉時代)はすごい迫力です。乾漆八部衆立像の阿修羅像も久々のご対面。細い鉛管のような腕など、運慶などとはまったく違った造形ですが、深みのある表情など、多くの人たちから愛されることがうなづけます。「木造天燈鬼・龍燈鬼立像」は、運慶の三男・康弁の作。滑稽味のある作品で、特に龍燈鬼の方は、ぱっちりお目めのまつげや、龍の背びれが金属でできてたりして、ラブリーでした。
 その後、東金堂で、重要文化財の銅造薬師如来坐像、銅造日光・月光菩薩立像や、国宝の木造文殊菩薩坐像・木造維摩居士坐像、木造四天王立像、木造十二神将立像などにご対面いたしました。

Img_3153 時おり小雪が舞う天気ですっかり冷えきってしまったので、奈良町の「中西与三郎」でぜんざいを頂きました。冷えた身体が温まりました。
Img_3154 入り口は和菓子屋さんですが、奥が町家を改装した喫茶になっています。ホームページはこちらです。

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2015/04/07

【寺院】極楽浄土って以外と簡素なんだね/平等院鳳凰堂

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 ぽん太とにゃん子、3月上旬の旅、次に訪れたのは宇治の平等院。これまたぽん太は修学旅行以来だぁ〜。公式サイトはこちらです。
 平等院というと「極楽浄土を模した」という触れ込みなので、なんか金ぴかで絢爛豪華なものを予想していたのですが、以外と簡素でこじんまりとしてました。う〜ん、いつのまにか金閣寺とイメージがダブってたかも。
 装飾もあまりなく、左右に張り出した翼の部分は、壁がなくて柱が立ち並ぶだけで、建物というより回廊といった感じ。宮島の厳島神社が頭に浮かんだりして、お寺というより神社のような印象も受けます。平安時代の浄土のイメージっていうのはこんな感じだったのかな〜。
 平成24年から26年にかけて修復が行われていたそうで、柱の朱の色も鮮やか。きれいすぎて、よけいにちゃっちく感じてしまったのかもしれません。
 正面入り口ではなく南門から入ろうとしたら、いきなり近代的な建物が建っていて、「ここって平等院の入り口ですよね」とチケット売りのお姉さんに聞いてしまいました。なんでも鳳翔館という博物館で、国宝などを収蔵しておりました。いわゆる宝物館の現代版ですね。
 注意すべきことは、阿弥陀如来坐像のある鳳凰堂内部を見学するには、中であらためて時間指定の内部見学ツアーのチケットを買わないといけません。混んでると30分待ち、1時間待ちになりますので、まず最初にこのチケットを買って、それから鳳凰堂の外部や鳳翔館を見学して時間をつぶすといいでしょう。
Img_3139 私のデジカメで正面から取ると、どうしても両翼が欠けてしまいます。
 皆様には釈迦に説法でしょうが、自分の勉強のために平等院の由来を、公式サイトとWikipediaから。
 9世紀末頃、光源氏のモデルともいわれる源融の別荘が、巡りめぐって長徳4年(998年)、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」となりました。道長の息子の藤原頼通は、永承7年(1052年)に宇治殿を寺院とし、翌年の天喜元年(1053年)に、阿弥陀堂(鳳凰堂)が建立されました。度重なる災禍で他の建物は失われてしまいましたが、鳳凰堂のみが存続し、平安時代の貴族が建立した寺院が今に伝わっているそうです。もちろん国宝ですね。
640pxbyodoin_amitaabha_buddha_2 鳳凰堂に安置されている、木造阿弥陀如来坐像です。写真はWikipediaからいただいた著作権フリーのものです。超有名な仏師・定朝(じょうちょう)の作であるとの確証がある、現存唯一の仏像です。これももちろん国宝です。
 定朝(生年不明 - 天喜5年(1057年))は、超有名な平安時代の仏師。それまでは外国人によって、あるいは外国人の指導のもとに、仏像が造られておりました。しかし当時、まさに平等院が創建された永承7年(1052年)から、仏陀の教えがもはや伝わらない末法の世の中に入るという末法思想が広く信じられたため、来世で極楽浄土に生まれることを願った多くの人たちが寺院を建立し、仏像を造りました。仏像の需要が高まったわけですね。ここに現れたのが定朝で、これまで仏像というと乾漆造や一木彫が普通だったのを、木造のブロックを組み合わせるという寄木造の技法を完成させました。これによって一種の分業制が可能になったわけで、スピーディーに仏像を生産できるようになりました。また一木造では不可能だった大きな仏像を造れるようになりました。しかしそれだけではなく、柔和かつ優美で、瞑想しているような、日本人の手になる仏像の様式を作り上げたのです。正に、仏像と聞いた時に現代の日本人が思い浮かべるイメージですね。それに変わる仏像が出現するには、運慶に代表される鎌倉時代を待たなくてはなりませんでした。
Img_3131 ところで、平等院の阿弥陀如来坐像が定朝の真作であるという根拠は何なんでしょう。ちょっとググってみましたがなかなか出てきません。定朝に関する本も2〜3冊読んだのですが、書いてありませんでした。こちらの「京都寺社案内*平等院,Byodo-in Temple,Kyotofukoh」というサイトに、「仏像は、1053年、京都の仏所から10時間をかけて平等院まで運ばれたという。(「定家朝臣記」)」と書かれており、またこちらの「せきどよしおの仏像探訪期」というサイトには「藤原頼通の時代に活躍した平定家(桓武平氏流で、代々宮廷の動きを記録したことから「にき(日記)の家」と呼ばれた)の日記『定家朝臣(さだいえあそん)記』に、京都で造られた鳳凰堂本尊が平等院へと運ばれた日の様子が書かれていて、その記述から仏師が定朝であるとわかる」と書かれており、どうやら「定家朝臣記」という本が関係しているようですが、ちょっとそこまでみちくさする記にはならないので、とりあえずここで引き返すことにします。
 こうして見てみると、確かに優美でお優しいお姿で、死ぬ時にこんな仏様が迎えにきてくれたら、安心してあの世に行けるかなと思えてきます。
 阿弥陀如来の周りの壁を飾っている52躯の木造雲中供養菩薩像も国宝ですが、半数はレプリカで、本物は鳳翔館に展示されており、間近で拝むことができます。ただ、どれが本物でどれがレプリカかよくわからないのが残念。
 阿弥陀如来の木造天蓋も国宝で、垂れ下がった部分は、薄い板を両面から見れる形で透かし彫りにしております。また壁や扉の壁画(鳳凰堂中堂壁扉画)も国宝に指定されております。
 博物館の鳳翔館には、先ほど述べた木造雲中供養菩薩像のうち26躯のほか、鳳凰堂創建当時から屋根の上にあった鳳凰(国宝)と、細かい装飾がほどこされた梵鐘(国宝)があります。
Img_3135 塔頭の最勝院には、源頼政のお墓がありました。
Img_3134 源頼政は平安時代末期の武将。源氏でありながら、保元・平治の乱で勝者の側につき、平清盛に重用されました。大河ドラマ「平清盛」で宇梶剛士が演じてた人ですな。いわゆる以仁王の挙兵(治承4年(1180年))を企てましたが計画が露見し、宇治平等院の戦いに敗れ自刃しました。
 宇治川を挟んで平等院の反対側に、国宝の社殿を持つ宇治上神社がありますが、今回は時間がなかったのでパスしました。そのうちみちくさしてみたいと思います。

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2015/04/01

【グルメ】スカイレストラン634@東京スカイツリー

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 お彼岸の墓参りのあと、東京スカイツリーのスカイレストラン634でお食事をしてきました。スカイツリーは、工事中のときに一度足元まで行ったことがありますが、完成してからは初めてでした。
 スカイレストラン634のホームページはこちらで、ページの右上にあるリンクから予約ページに進めます。予約は電話だと1ヶ月前からですが、ネット経由だと「ご利用日の31日前の深夜0時」から予約できますので、こちらがお勧めです。エレベーターのチケットの手配はレストランにもお願いできるようですが、自分で手配する場合は、こちらで2ヶ月前から予約することができます。「ぴあ」のシステムを使ってますが、「ぴあ」のID・パスワードではログインできず、新規利用登録が必要なので注意!ちなみにぽん太が行った日、春休み中ということもあり、当日券のエレベーター待ち時間は2時間!!でした。予約をしていったぽん太一行は切符を買うのに2分、エレベーターに乗るのに3分ほど待っただけでした。当日券に並んだと思われるカップルが、「前売り券買っとけばよかったわね〜、なんか横からすーっと入ってきたわよ」と言ってました。
Img_3367 当日は、ぽん太の普段の行いが良かったおかげで、雲一つない快晴。ちょっと遠くが霞んでますが、この時期としては最高の天気でした。天望デッキは高さ350メートルとのことですが、高いですね〜。東京タワーがちっちゃく見えます。写真は真南の方向です。すばらしい景色でした。
 高さ450メートルの天望回廊は、だいぶ待たされそうだったので残念ながら省略。こちらはチケットの予約はありません。
 ここで苦情を一つ。ぽん太一行のなかに足が悪くて杖歩行の人がまざってました。できたばかりのスカイーツリーは当然バリアフリーだろうと思ってたのですが、行ってみると確かに「車椅子でもオーケー」という意味ではバリアフリーでしたが、ツリーに登る客に買い物をさせる作戦なのか、商店街の人ごみをかなり長い距離歩かないとツリーの入り口にたどり着けません。障害者専用でもいいですから、車で乗り付けて、下車した所からエレベーターに乗れば、スカイツリーのチケット売場に行けるようなルートを確保して欲しかったと思います。
Img_3369 前菜の1品目です。こんかい戴いたのは、ランチのいっちゃん安いやつ(一金四阡八佰六拾円也)です。下が白菜を摺り下ろしたみたいなので、上が豆腐のムースです。
Img_3374 前菜2品目。一番右のマグロのスモークがぽん太は初めて。その左はフォアグラだったかな?それからSTAP細胞を思わせるシャーレ状の容器に入った野菜のジュレ、一番左はレンコン団子の揚げたヤツだったと思います。すみません、ぽん太が書くとちっとも美味しそうに感じないかもしれませんが、とっても美味しかったです。
Img_3379 メインは肉、魚、野菜(ただし限定20食)から選択できます。ぽん太は仔羊ちゃんを選択。これも脂は多かったですが臭みはなくて、素晴らしいお味でした。味付けは全体に濃いめだった気がします。
Img_3380 デザートはチョコレートケーキを選択。濃厚で美味しかったです。
 ホームページにはランチは90分間と書いてありましたが、あとの予約が入ってなかったせいか、たっぷり2時間以上、お食事と景色と会話を楽しみました。
 さて、明日からまたダイエット……。

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