« 【舞台】これはいけません/市川海老蔵特別公演「源氏物語」@オーチャードホール | トップページ | 【歌舞伎】勘三郎のエンターテイナー遺伝子が始動・2015年4月平成中村座夜の部 »

2015/04/20

【展覧会】ルネサンスの栄枯盛衰「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」Bunkamuraザミュージアム

 海老蔵の「源氏物語」のお口直しに、ボッティチェリ展に寄りました。公式サイトはこちら、Bunkamuraザミュージアムのサイトはこちらです。
 ボッティチェリと聞いても、ぽん太は《春》と《ヴィーナスの誕生》ぐらいしか知りませんが、今回は残念ながらどちらも出品されていませんでした。ただ《ヴィーナスの誕生》のヴィーナスだけが描かれた、ボッティチェリ工房の作品が展示されておりました。ルネサンスやメディチ家が関係しているらしいが、狸のぽん太はルネサンスと聞いても髭男爵ぐらいしか思い出さないのが悲しいところ。せっかくなのでWikipedia先生に教わってみました。

 ルネサンスは、14世紀にイタリアで始まり、その後西欧各国に広まって、16世紀まで続いた文化運動。毛織物業と銀行業で栄えたフィレンツェが、まず中心となりました。フィレンツェ出身の詩人ダンテ(1265 - 1321年)が「神曲」を完成。ペトラルカ(1304年 - 1374年)が中世を暗黒時代と呼んで否定し、古典主義時代を礼賛しました。1453年のコンスタンティノープルの陥落(東ローマ帝国滅亡)に伴い、東ローマから多くのギリシア知識人がイタリアへ亡命し、さらにルネッサンスを活発化させました。このフィレンツェの隆盛を経済的に支えたのがメディチ家(後述)。しかし15世紀末にはドミニコ修道会士サヴォナローラ ( 1452年 - 1498年)がフィレンツェの腐敗とメディチ家の独裁を徹底的に批判して神権政治を行うようになり、フィレンツェの文化は衰退。ルネサンスの中心は教皇も推進役となったローマに移り、ラファエロ(1483年 - 1520年)やミケランジェロ(1475年 - 1564年)が携わったサン・ピエトロ大聖堂が建設されました。しかし隆盛を極めたイタリアも、神聖ローマ帝国とフランスがイタリアを巡って争ったイタリア戦争(1494年 - 1559年)や、地理上の発見による地中海貿易の衰えなどによって国力が低下。16世紀前半にイタリア・ルネサンスは終焉を迎えました。
 イタリア・ルネサンスの代表的人物としては、上記以外に、「デカメロン」を記したボッカチオ(1313年 - 1375年)や「君主論」のマキャヴェリ(1469年 - 1527年)、レオナルド・ダ・ヴィンチ (1452年 - 1519年)、音楽のモンテヴェルディ(1567年 - 1643年)などがいます。
 その後ルネサンスはヨーロッパ各地に波及しました。ネーデルランドではブリューゲル(1525年? - 1569年)、「愚神礼賛」を記したエラスムス(1466年 - 1536年)、フランスではラブレー(1483年 - 1553年)やモンテーニュ(1533年 - 1592年)、ドイツのデューラー(1471年 - 1528年)、イングランドのチョーサー(1340年 - 1400年)、シェイクスピア(1564年 - 1616年)、トマス・モア(1478年 - 1535年)、スペインのエル・グレコ(1541年 - 1614年)、セルバンテス(1547年 - 1616年)などが挙げられます。
 メディチ家は、フィレンツェのルネサンスをパトロンとして支えた一族。ジョヴァンニ・ディ・ビッチ(1360年 - 1429年)の代に銀行業で大成功を納めました。その息子コジモ(1389年 - 1464年)は、政治的な実権をにぎり、事実上のフィレンツェ共和国の支配者となりました。その息子ピエロ(1416年 - 1469年)は、芸術家のパトロンとしての才能を発揮しました。ロレンツォ(1449年 - 1492年)は、優れた政治・外交能力を持つとともに、ボッティチェリやミケランジェロなどパトロンとしても知られ、フィレンツェは最盛期を迎えましたが、その裏でメディチ銀行は破綻寸前の状態となっていいました。しかしロレンツォは43歳で若死に。後を継いだ長男のピエロは(おっと、上に同じ名前があるな、注意、注意)、1494年のフランス軍の侵攻(イタリア戦争)への対処を誤ってフィレンツェを追放され、メディチ銀行も破綻しました。その後メディチ家は復権し、トスカーナ大公国の君主にもなったものの、1737年で断絶。このあたりは今回は省略いたします。

 Wikipedia先生、ありがとう。なんとなくわかったよ。でもぽん太の頭はすでに限界さ。
 っつ〜ことは、ボッティチェリ(Sandro Botticelli)は1445年に生まれて1510年に死死んでますから、フィレンツェのルネサンスの全盛期から、サヴォナローラ時代のルネサンス衰退期までを生きたことになりますな。メディチ家で言えば、ピエロ(コジモの息子の方)、ロレンツォ、その息子ピエロの時代かしら。

 で、展覧会の感想ですが、ボッティチェリの絵は、まさに春のように明るくて、生命力があり、人々の生を肯定している感じがします。ラファエルやミケランジェロ、ダ・ビンチなどに比べると、ちょっとデフォルメされているのですが、それがまた心地よいです。顔の表情なども、ちょっと線画っぽいんですが、とてもチャーミングです。
 フレスコ画の大作《受胎告知》(1482年、フィレンツェ、ウフィツィ美術館)も、遠景に自然が描かれて明るく開放感があります。また装飾された柱が綿密に描き込まれていたり、ベッドのある部屋が池の上に突き出ているみたいで遠近法が無視されてたりするあたりがいいです。
 《聖母子と洗礼者ヨハネ》(1477-1480年頃 テンペラ・板 ピアチェンツァ市立博物館)は門外不出だそうで、何で門外不出なのかぽん太にはわかりませんが、地面の草が文様のように描かれていたり、不思議で神秘的な遠景が描かれていたりします。
 サヴォナローラの時代を経て1500年頃に描かれたボッティチェリ「工房」の作品は、線が固くデフォルメが強調されており、描かれた人物の表情もこわばっており、中世の絵画に戻ったかのようです。時代の要請なのか、老いを迎えたボッティチェリの心境なのか、「工房」ゆえなの拙さなのかぽん太にはわかりませんが、「無惨」としか言いようのない絵で、見ていて栄枯盛衰を思い悲しくなりました。
 ディディ=ユベルマンも論じているフラ・アンジェリコの絵が2点見られたのもよかったです(読んでないけどね)。


「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」展
Bunkamura ザミュージアム
平成27年4月9日

作品リスト(page1page2page3page4

主な出品作

サンドロ・ボッティチェリの作品
《ケルビムを伴う聖母子》1470年頃 テンペラ・板 フィレンツェ、ウフィツィ美術館
《受胎告知》1500-1505年頃 油彩・板 個人蔵
《開廊の聖母》1466-1467年頃 油彩・板 フィレンツェ、ウフィツィ美術館
《聖母子と二人の天使、洗礼者聖ヨハネ》1468年頃 テンペラ・板 フィレンツェ、アカデミア美術館
《聖母子と二人の天使》1468-1469年頃 テンペラ、油彩・板 ストラスブール美術館
《《東方三博士の礼拝》のための習作》1475年頃、鉄鉛筆、鉛白のハイライト・下塗りした紙 リール美術館
《キリストの降誕》1473-75年頃 フレスコ(キャンヴァスに移行) サウスカロライナ州、コロンビア美術館
《聖母子と洗礼者ヨハネ》1477-1480年頃 テンペラ・板 ピアチェンツァ市立博物館
《受胎告知》1481年 フレスコ フィレンツェ、ウフィツィ美術館
《ロレンツォ・デ・ロレンツィの肖像》1496-1502年頃 油彩・板 フィラデルフィア美術館

フラ・アンジェリコ《聖母マリアの埋葬》1432-1435年頃 テンペラ・板 フィレンツェ、サン・マルコ博物館
フラ・アンジェリコ《聖母マリアの結婚》1432-1435年頃 テンペラ・板 フィレンツェ、サン・マルコ博物館

|

« 【舞台】これはいけません/市川海老蔵特別公演「源氏物語」@オーチャードホール | トップページ | 【歌舞伎】勘三郎のエンターテイナー遺伝子が始動・2015年4月平成中村座夜の部 »

芸能・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/74997/61416578

この記事へのトラックバック一覧です: 【展覧会】ルネサンスの栄枯盛衰「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」Bunkamuraザミュージアム:

« 【舞台】これはいけません/市川海老蔵特別公演「源氏物語」@オーチャードホール | トップページ | 【歌舞伎】勘三郎のエンターテイナー遺伝子が始動・2015年4月平成中村座夜の部 »