« 【グルメ】スカイレストラン634@東京スカイツリー | トップページ | 【国宝】運慶作・大日如来坐像@円成寺&木造仏頭@興福寺、中西与三郎の茶房「六坊庵」のぜんざい@奈良町 »

2015/04/07

【寺院】極楽浄土って以外と簡素なんだね/平等院鳳凰堂

Img_3140
 ぽん太とにゃん子、3月上旬の旅、次に訪れたのは宇治の平等院。これまたぽん太は修学旅行以来だぁ〜。公式サイトはこちらです。
 平等院というと「極楽浄土を模した」という触れ込みなので、なんか金ぴかで絢爛豪華なものを予想していたのですが、以外と簡素でこじんまりとしてました。う〜ん、いつのまにか金閣寺とイメージがダブってたかも。
 装飾もあまりなく、左右に張り出した翼の部分は、壁がなくて柱が立ち並ぶだけで、建物というより回廊といった感じ。宮島の厳島神社が頭に浮かんだりして、お寺というより神社のような印象も受けます。平安時代の浄土のイメージっていうのはこんな感じだったのかな〜。
 平成24年から26年にかけて修復が行われていたそうで、柱の朱の色も鮮やか。きれいすぎて、よけいにちゃっちく感じてしまったのかもしれません。
 正面入り口ではなく南門から入ろうとしたら、いきなり近代的な建物が建っていて、「ここって平等院の入り口ですよね」とチケット売りのお姉さんに聞いてしまいました。なんでも鳳翔館という博物館で、国宝などを収蔵しておりました。いわゆる宝物館の現代版ですね。
 注意すべきことは、阿弥陀如来坐像のある鳳凰堂内部を見学するには、中であらためて時間指定の内部見学ツアーのチケットを買わないといけません。混んでると30分待ち、1時間待ちになりますので、まず最初にこのチケットを買って、それから鳳凰堂の外部や鳳翔館を見学して時間をつぶすといいでしょう。
Img_3139 私のデジカメで正面から取ると、どうしても両翼が欠けてしまいます。
 皆様には釈迦に説法でしょうが、自分の勉強のために平等院の由来を、公式サイトとWikipediaから。
 9世紀末頃、光源氏のモデルともいわれる源融の別荘が、巡りめぐって長徳4年(998年)、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」となりました。道長の息子の藤原頼通は、永承7年(1052年)に宇治殿を寺院とし、翌年の天喜元年(1053年)に、阿弥陀堂(鳳凰堂)が建立されました。度重なる災禍で他の建物は失われてしまいましたが、鳳凰堂のみが存続し、平安時代の貴族が建立した寺院が今に伝わっているそうです。もちろん国宝ですね。
640pxbyodoin_amitaabha_buddha_2 鳳凰堂に安置されている、木造阿弥陀如来坐像です。写真はWikipediaからいただいた著作権フリーのものです。超有名な仏師・定朝(じょうちょう)の作であるとの確証がある、現存唯一の仏像です。これももちろん国宝です。
 定朝(生年不明 - 天喜5年(1057年))は、超有名な平安時代の仏師。それまでは外国人によって、あるいは外国人の指導のもとに、仏像が造られておりました。しかし当時、まさに平等院が創建された永承7年(1052年)から、仏陀の教えがもはや伝わらない末法の世の中に入るという末法思想が広く信じられたため、来世で極楽浄土に生まれることを願った多くの人たちが寺院を建立し、仏像を造りました。仏像の需要が高まったわけですね。ここに現れたのが定朝で、これまで仏像というと乾漆造や一木彫が普通だったのを、木造のブロックを組み合わせるという寄木造の技法を完成させました。これによって一種の分業制が可能になったわけで、スピーディーに仏像を生産できるようになりました。また一木造では不可能だった大きな仏像を造れるようになりました。しかしそれだけではなく、柔和かつ優美で、瞑想しているような、日本人の手になる仏像の様式を作り上げたのです。正に、仏像と聞いた時に現代の日本人が思い浮かべるイメージですね。それに変わる仏像が出現するには、運慶に代表される鎌倉時代を待たなくてはなりませんでした。
Img_3131 ところで、平等院の阿弥陀如来坐像が定朝の真作であるという根拠は何なんでしょう。ちょっとググってみましたがなかなか出てきません。定朝に関する本も2〜3冊読んだのですが、書いてありませんでした。こちらの「京都寺社案内*平等院,Byodo-in Temple,Kyotofukoh」というサイトに、「仏像は、1053年、京都の仏所から10時間をかけて平等院まで運ばれたという。(「定家朝臣記」)」と書かれており、またこちらの「せきどよしおの仏像探訪期」というサイトには「藤原頼通の時代に活躍した平定家(桓武平氏流で、代々宮廷の動きを記録したことから「にき(日記)の家」と呼ばれた)の日記『定家朝臣(さだいえあそん)記』に、京都で造られた鳳凰堂本尊が平等院へと運ばれた日の様子が書かれていて、その記述から仏師が定朝であるとわかる」と書かれており、どうやら「定家朝臣記」という本が関係しているようですが、ちょっとそこまでみちくさする記にはならないので、とりあえずここで引き返すことにします。
 こうして見てみると、確かに優美でお優しいお姿で、死ぬ時にこんな仏様が迎えにきてくれたら、安心してあの世に行けるかなと思えてきます。
 阿弥陀如来の周りの壁を飾っている52躯の木造雲中供養菩薩像も国宝ですが、半数はレプリカで、本物は鳳翔館に展示されており、間近で拝むことができます。ただ、どれが本物でどれがレプリカかよくわからないのが残念。
 阿弥陀如来の木造天蓋も国宝で、垂れ下がった部分は、薄い板を両面から見れる形で透かし彫りにしております。また壁や扉の壁画(鳳凰堂中堂壁扉画)も国宝に指定されております。
 博物館の鳳翔館には、先ほど述べた木造雲中供養菩薩像のうち26躯のほか、鳳凰堂創建当時から屋根の上にあった鳳凰(国宝)と、細かい装飾がほどこされた梵鐘(国宝)があります。
Img_3135 塔頭の最勝院には、源頼政のお墓がありました。
Img_3134 源頼政は平安時代末期の武将。源氏でありながら、保元・平治の乱で勝者の側につき、平清盛に重用されました。大河ドラマ「平清盛」で宇梶剛士が演じてた人ですな。いわゆる以仁王の挙兵(治承4年(1180年))を企てましたが計画が露見し、宇治平等院の戦いに敗れ自刃しました。
 宇治川を挟んで平等院の反対側に、国宝の社殿を持つ宇治上神社がありますが、今回は時間がなかったのでパスしました。そのうちみちくさしてみたいと思います。

|

« 【グルメ】スカイレストラン634@東京スカイツリー | トップページ | 【国宝】運慶作・大日如来坐像@円成寺&木造仏頭@興福寺、中西与三郎の茶房「六坊庵」のぜんざい@奈良町 »

思想・宗教」カテゴリの記事

旅・宿・温泉」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/74997/61339456

この記事へのトラックバック一覧です: 【寺院】極楽浄土って以外と簡素なんだね/平等院鳳凰堂:

« 【グルメ】スカイレストラン634@東京スカイツリー | トップページ | 【国宝】運慶作・大日如来坐像@円成寺&木造仏頭@興福寺、中西与三郎の茶房「六坊庵」のぜんざい@奈良町 »