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2016/02/16

【自由研究】つげ義春と会津西山温泉「中の湯」

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 ぽん太は先日、かつてつげ義春が泊まった宿、会津西山温泉の中の湯に行って来ました。その時の感想は既にブログにアップしましたが、会津西山温泉、中の湯とつげ義春との関係については宿題となっていたので、こんかいご報告申し上げます。

 ぽん太が調査したところ、会津西山温泉と中の湯に関連するつげ義春の作品は、以下の8点です。

 まずは代表作、「桃源行」のイラスト3枚。
 「桃源行」は、つげ義春のイラストに、詩人の正津勉(しょうづ べん)が詩を添えたもので、初出は1977年(昭和52年)、雑誌『ポエム』に連載。
 右のリンクの『つげ義春とぼく』(新潮文庫)などに入ってます。
 三つのイラストを[I-1][I-2][I-3]とします。画像は著作権があるのでアップできません。本を買うか、ぐぐってみてね。

 [I-1]木造2階建ての古めかしい温泉宿を描いたもの。壁に「中の湯」と書いてあります。木造の古めかしい建物で、空けられた障子から、浴衣を着てくつろぐ宿泊客が見えます。割烹着を着た宿の従業員もおり、玄関から勢いよくツバメが飛び立っています。

 [I-2]浴室を描いたもの。木造の浴室の、奥と手前に二つの湯船があり、手前の湯船にはおかっぱ頭の女性が腰掛けてます。

 [I-3]女の子がいる集落の風景。

 つぎは「颯爽旅日記」(さっそうたびにっき)(初出:つげ義春『つげ義春とぼく』晶文社、1977年(昭和52年))。
 これも『つげ義春とぼく』に収録されてます。
 つげ義春の旅の日記で、「会津 新潟 群馬」という節で西山温泉に触れています。これを[S-1]とします。引用すると……

 [S-1]「このメモはわりあい新しいもので、雑誌『ポエム』に連載した「桃源行」の一回目の取材に出たときのもの。
 ……中略……
 六月十六……会津若松からすぐ只見線に乗換え柳津下車。そばを食べ、タクシーで西山温泉へ。途中、八木沢集落を写真にとる。そこから歩いて一・五kmで温泉に。前に来たことのある中ノ湯に泊る。新館の立派なのができてしまったが、旧館に泊めてもらう。旧館の素朴な造りに正津さんは喜んでいた。」

 つまり、この取材旅行をもとにして、「桃源行」の3つのイラストが生まれたことになります。

 おつぎは『つげ義春の温泉』(初出:カタログハウス、2003年(平成15年))に載っている写真3枚。[P-1][P-2][P-3]とします。あとがきに、未発表の写真と書いてあるので、これが初出です。

 [P-1]「昭和46年5月」と日付が入れられた、温泉宿の玄関の内側と思われる写真。向かって右に階段があり、左には女性と男の子が座っている。

 [P-2]「昭和51年6月」の日付。手前に川が流れ、対岸に林を背景に、二階建ての建物が見える。

 [P-3]「昭和51年6月」の日付。温泉宿の部屋に浴衣を着た男性が座っている。

最後は『新版 貧困旅行記』(新潮社、1995年、新潮文庫)にある写真。もともとの晶文社の『貧困旅行記』(1991年)には存在せず、新版で初めて収録されたもの。
 ぽん太はあいにくこの本を持ち合わせてないのですが、手元にある「芸術新潮」新潮社、2014年1月号に同じ写真が載ってます。

 [P-4]「福島県柳津西山温泉付近」お面をつけた少女のいる集落。1971年(昭和46年)5月撮影。

 会津西山温泉、中の湯に関するつげ作品は、ぽん太の調べた限り、イラスト3点、文章1つ、写真4点の、計8点です。

 さて、分析を開始しましょう。

Img_8522 中の湯」の壁には、左の新聞記事が掲示してありました。笠井尚という人の「西山温泉 つげ義春 ふくしまのいで湯と作家たち」というエッセイで、2006年10月18日の福島民友です。
 つげについて書かれている部分を書き出してみます。

 つげは、柳津町の西山温泉「中の湯」に、三度ばかり訪れている。「颯爽旅日記」では二度目であった。
 ……中略……
 「中の湯」の原忠社長と妻の延子さんは、一風変わった泊まり客だったこともあり、毎回、二泊程度しか滞在しなかったが、つげのことは印象に残ったという。
 まず口数が少なく、こちらから話しかけなければ、口をひらくことがなかった。
 ぽつんと独りっ切りで、物思いに耽っているという感じだった。一番ビックリしたのは、テーブルの前にでんと坐っているのではなく、片隅の方に隠れるようにしていたことだ。
 何の商売をしている人間かも分からず、後になって売れっ子の漫画家だと聞かされたとか。
 ……中略……
 つげが、もっとも気に入ってたのは、湯殿であったようだ。原社長によると、豪雪でつぶれてしまったので、にわかづくりでこしらえたのだ。
 それでも、コンクリートの浴槽が二つあって、水でうするめるたのホースがすぐ近くにあった。

 う〜ん、いいですね。部屋の片隅に坐ってじ〜っとたたずむつげさんの様子が頭に浮かんできます。

 で、ここから、つげ義春が中の湯に3回宿泊したこと、2回目が「颯爽旅日記」の取材であったことがわかります。[S-1]の日付が正しいとすると、昭和51年6月16日に、正津勉氏と二人で一泊したことになります。
 さらに[S-1]によれば、このとき新館ができていたけど、旧館の方に泊めてもらったということです。新館はこの前ぽん太が泊まった建物だと思いますが、旧館を壊して建て替えたのではなく、旧館は新館と別の所にあったことになります。
 こちらのつげ義春の旅を行く2「西山温泉」というサイトでは、新館を出て右手にある建物の場所に、かつて旧館があったことを、宿の人に確認しているようです。
 ちなみに中の湯の新館がいつ建てられたのかは、ちょっと調べがつきませんでした。

 ということでイラスト[I-1]は、昭和51年6月16日時点での、中の湯の旧館を描いたものですね。ツバメの季節感も6月ということで合致します。

 そしてイラスト[I-2]は、新聞記事の記載通りコンクリートの浴槽が二つあるので、中の湯の温泉です。これが現在の離れのお風呂の位置にあったことも、上のサイトの人が確認しています。

 さてイラスト[I-3]ですが、場所はいったいどこでしょう……。
 実はこれも上のブログですでに調べがついております。ブログにその場所の写真が出ていますが、具体的にどこかわかりません。
 どうやら西山温泉から柳津駅へ向かう道のどこからしいので、ぽん太がグーグル・ストリートビューを眺め続けること30分、ようやく見つけました!この風景ですね。

 グーグル・マップでは下記の場所です。ここから北側を見たのが上のストリートビューです。

 住所でいうと、福島県河沼郡柳津町大字郷戸で、字居平丁か字岩下丁のどちらかか?

 ところで、図柄がほとんど一致していることから、イラスト[I-3]は写真[P-4]を元に描いたと思われます。しかし[P-4]の日付は、取材旅行をした昭和51年より5年前の昭和46年(1971年)5月。
 上の新聞記事には、つげ義春は中の湯に3回泊まったと書いてあります。2回目が昭和51年6月16日であることはすでに明らかにしたので、1回目の宿泊が昭和46年5月だったということでしょうか。
 じっさい『つげ義春漫画術 下巻』(つげ義春・権藤晋著、ワイズ出版、1993年)に収録された、つげ義春の年譜を見てみると、1971年(昭和46年)5月に「会津・檜枝岐へ」と書かれています。これが第1回目の中の湯宿泊で確定ですね。
 ちなみに1976年(昭和51年)には「ポエムの取材で会津へ」と書かれており、これが2回目の中の湯泊です。
 では3回目はいつだろうかと年譜をチェックしてみましたが、残念ながらそれらしい記載は見つかりませんでした。

 というわけで、話しを元に戻すと、第2回目の中の湯宿泊のあとに描いた「桃源行」の3枚のイラストのうち[I-3]だけは、5年前の第一回目の中の湯宿泊のおりに撮った写真[P-4]を元に描いたことになります。
 「颯爽旅日記」によれば、つげと正津はタクシーで西山温泉に向かいましたが、途中の八木沢集落で車を降りて写真を撮り、そこから中の湯まで歩いていきました。おそらくつげは八木沢で思うような風景に出会えず、以前に撮ったお面の女の子が写っている写真が気になってきて、そちらをイラストに採用したのでしょう。
 それとも単につげ義春が写真の日付を間違えたという可能性は……ありませんよね。

 続いて写真[P-1]。日付が昭和46年5月ですから、最初に中の湯に泊まった時に撮ったものですね。温泉宿の玄関の中の写真と思われます。どこの旅館でしょう?
 ふ、ふ、ふ、イラスト[I-1]に描かれた中の湯旧館の、玄関部分をよく見て下さい。向かって右に急な階段があり、写真[P-1]と同じです。ということでこの写真は、中の湯の旧館に決定!
 
 お次ぎは写真[P-2]。西山温泉の風景と思われます。川があって、対岸の遠くに二階建ての建物が見えます。中の湯の旧館の可能性が高いと思われますが、昭和51年6月だと新館ができていたはずですが見当たりません。木の後ろに建物が隠れているようにも見ます。
 最近の写真(例えばこちらの冒頭の写真)と比べると、川と建物の距離が遠い気がすます。しかし、中の湯でないとすると滝の湯になりますが、滝の湯だとこちらの一番下の写真にあるように、建物が川からかなり高い位置にあるし、川が左へカーブした感じになります。写真[P-2]を良く見ると、川の水が奥から手前に向かって流れいるようなので、やはり中の湯と考えていいでしょう。川筋が少し変わったのかもしれません。赤い橋もできてますし。

 最後に写真[P-3]。昭和51年6月ということで、中の湯に2度目に泊まったときの写真ですね。人物はもちろんつげさん。口にくわえた煙草にライターで火をつけようとしているようです。畳の上にお膳が二つあります。外が明るいので朝食でしょうか。向かいの席には正津勉がいたはずで、彼が席を立ってこの写真を撮ったのでしょう。

 以上でぽん太の分析は終了です。


 まとめます。

 会津西山温泉と中の湯に関連するつげ義春の作品は下記の8点。

 つげ義春、正津勉「桃源行」(初出:1977年(昭和52年)、雑誌「ポエム」に連載)
 [I-1] イラスト。中の湯の旧館。
 [I-2] イラスト。中の湯の浴室。
 [I-3] イラスト。只見線滝谷駅近くの集落。

 つげ義春「颯爽旅日記」(初出:つげ義春『つげ義春とぼく』晶文社、1977年(昭和52年))
 [S-1] 文章。「桃源行」の取材で、正津勉とともに中の湯に泊まった時の記録。

 つげ義春『つげ義春の温泉』カタログハウス、2003年(平成15年)
 [P-1] 写真。昭和46年5月。中の湯の玄関の内側。
 [P-2] 写真。昭和51年6月。中の湯の遠望。
 [P-3] 写真。昭和51年6月。中の湯の客室にいるつげ義春。

 つげ義春『新版 貧困旅行記』新潮社、1995年(平成7年)、新潮文庫。
 [P-4] 写真。只見線滝谷駅近くの集落で撮った、お面をつけた少女のいる風景。1971年(昭和46年)5月撮影。

 つげ義春が会津西山温泉中の湯に宿泊したのは3回。1回目は1971年(昭和46年)5月、2回目は1976年(昭和51年)6月16日、3回目の時期は不明。
 1回目の宿泊時、中の湯の玄関内の写真[P-1]が撮影された。また、途中の集落でお面の女の子がいる写真[P-4]を撮影した。
 2回目は、雑誌『ポエム』の連載の取材で、詩人の正津勉氏との二人旅だった。この旅の様子が「颯爽旅日記」に記載されている[S-1]。この時撮った写真が[P-2]と[P-3]。
 そしてこの取材旅行から「桃源行」のイラスト2枚[I-1]と[I-2]が描かれた。また、1回目の宿泊時に撮影した写真[P-4]を元にしたイラスト[I-3]も加えられた。

 以上で〜す♡

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コメント

BMWさん、コメントありがとうございました。
西口温泉じゃなくて、西山温泉です。
中の湯の旧館は残ってませんが、いいやどです。
西山温泉のなかに、例の老沢温泉旅館もあります。
ついでに日帰り入浴しようかと思いましたが、残念ながら誰もいませんでした。
湯口屋は2回泊まってます。あそこもいい宿ですね。


投稿: ぽん太 | 2016/02/21 13:12

素晴らしい研究!
西口温泉行ってみたいです。

強迫性性格の正しい生かし方だと思います。

岩瀬湯本温泉の湯口屋にはいかれましたか?
玄関上の2階の部屋が、つげさんの泊まった部屋です。
まだ昔のまま残っているといいのですが。

子供が小さいとき秋に泊まりましたが、大型蛾のクスサンが大量発生していて、外の電球に乱舞する姿は、Moth-Phobia親子には狂気の沙汰の情景でした。

投稿: BMW | 2016/02/17 09:00

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