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2016/04/05

【米沢市の仏像】木造大日如来像@昌伝庵、木造勢至菩薩坐像・木造阿弥陀如来立像@千眼寺、泥足毘沙門天尊@法音寺

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 2月下旬、小野川温泉扇屋旅館に泊まった翌日、ぽん太とにゃん子は米沢市内の仏像をいつくか拝観しました。
Img_9029 まずは昌伝庵(しょうでんあん)。こちらが公式サイトです。
 米沢といえば上杉のお膝元ですが、このお寺は、上杉が移ってくる以前、伊達氏の時代に開創されたそうです。
Img_9028 こちらが境内にある大日堂。昭和49年に再建された新しいものです。元々の大日堂は大正8年の米沢大火で焼失してしまいましたが、大日如来像は運び出されて大丈夫だったそうです。
 普段は鍵がかかっており、拝観には事前連絡が必要です。夏の例大祭や正月に一般公開されているようです。
Img_9039 半分扉が開かれた厨子のなかに、大日如来様がおりました。冒頭の写真もそうです。大きさはほぼ等身大。どっしりとして重厚な感じの仏様です。ひざの上で両手のひらを重ね、親指の先を合わせるという法界定印(ほっかいじょういん)を結んでいるので、胎蔵界の姿です。ちなみに、一本伸ばした左手の人差し指を、右手でにぎるような智拳印(ちけんいん)を結んでいる場合は、金剛界の大日如来様ですね。宝冠はかぶっておりませんが、宝冠を留めていた跡があるそうです。失われてしまったのでしょう。
 像の内部に墨書が見つかり、兵部法眼円慶(ひょうぶほうがんえんけい)と式部法橋宗祐(しきぶほうきょうそうゆう)によって延文5年(1360年)に作られたことがわかりました。慶派の仏師と考えられているそうですが、他に作例や記録はないそうです。一木から彫り出したものをいくつかいに割って、内刳りをして仕上げたのち、また組み合わせるという「割矧造り」(わりはぎづくり)という手法が用いられています。また目は玉眼です(右の玉眼は欠損)。山形県指定文化財です。
 なぜに曹洞宗のお寺に密教の大日如来があるのか、という疑問が生じますが、以前は真言宗系の寺だったとという説や、実はこの像が釈迦如来ではないかという説があるそうです。
 静寂のなかに何やら気が伝わって来るような仏様でした。

Img_9050 お次ぎは千眼寺(せんげんじ)。ホームページが見つからないので、じゃらんネットにリンクしておきます。長禄元年(1457年)の創建で、当初は真言宗のお寺でしたが、のちに曹洞宗に変わりました。境内の保呂羽堂(ほろはどう)で行われる裸の餅搗きが有名だそうです。
 お坊さんの案内に従って本堂に行くと、向かって左手のガラスケースのなかに、勢至菩薩を中心に、左に阿弥陀如来、右に釈迦如来が安置されております。
Img_9051 まず、県指定文化財の木造勢至菩薩立像。写真はこちらの木造勢至菩薩像 山形の宝 検索naviにあります。勢至菩薩は、阿弥陀三尊像の右脇侍(向かって左)としてよく見かけますね。この勢至菩薩様は結跏趺坐で座っていて、合掌印を結んでおります。大きさは人間よりやや大きいです。平安時代末期の作だそうで、金箔も残っていて、優美なお姿です。県指定文化財です。
 勢至菩薩の向かって左が木造阿弥陀如来立像です。写真はこちら(木造阿弥陀如来立像 山形の宝 検索navi)です。像高約1メートルと小さめ。こちらは力強く、素朴な像です。頭頂部の肉髻があんまり盛り上がってません。鎌倉時代後期の作とのこと。
 向かって右の木造釈迦如来立像は、阿弥陀如来立像を真似て南北朝時代に作られたと考えられているそうですが、ちょっと仕上がりが落ちるようです。

Img_9060 続いて法音寺へ。こちらが公式サイトです。法音寺は上杉家の菩提寺として有名ですね。こちらの仏像は、美術品としての価値よりも、謙信公ゆかりのものとしての歴史的価値が高いです。
 法音寺は、もともとは天平時代に越後の八海山の麓に創建。天平年間に上杉家の帰依寺となり、春日山に移されました。そして慶長6年、上杉家が会津を経て米沢に移ったのに伴い、米沢城の二の丸に移転。上杉家の菩提寺として発展。明治になって神仏分離に伴い、もともと歴代藩主の御廟所があった現在の場所に移転されました。
Img_9054 こちらが隣りにある上杉家廟所。というか、上に書いたように、廟所の隣りに法音寺が来たわけです。立ち並ぶ杉の巨木、足元の雪、冷たい空気。凛とした雰囲気が感じられました。
 ここは一般公開しているので、拝観料を払って見学することができます。国指定史跡です。
Img_9056 このように、歴代藩主の廟が並んでいます。
Img_9058 中央は上杉謙信の廟ですが、実はこの廟が作られたのは明治9年(1876)と新しいです。
 というのも、上杉公の御遺骸は元々は春日山城内に埋葬されておりました。後に上杉が会津、米沢と転封されるにつれて、御遺骸もその都度移され、米沢では本丸に作られた御堂に祀られました。明治になると神仏分離により、御堂が謙信と鷹山を祀る上杉神社となるに伴い、謙信公の御遺骸は上杉家廟所に移され、同時に法音寺もこの地に移されたわけです。
Img_9059 法音寺の拝観は事前予約が必要です。法音寺の仏様や宝物は、公式サイトのこちらのページ(米沢法音寺 ~宝物・ほとけ様~)でみることができます。
 まずは本尊の大日如来尊にご挨拶。江戸時代に作られたもので、金色に輝く整ったお姿の像です。智拳印を結んでおり、金剛界の大日如来です。
 善光寺如来尊は秘仏なので拝観できず。毎年5月15日に御開帳されるようです。元々は信濃の善光寺のご本尊でしたが、川中島の戦いのおり、戦火を避けるために謙信公に奉じられたと伝えられています。
 じゃあ、今の長野の善光寺の秘仏は何なんだということになりますが、戦国時代に善光寺の秘仏が各地を転々としたのは事実のようですが、行き先に関しては諸説あるようです。
 そしていよいよ「泥足毘沙門天尊」。これはぽん太は以前から見たいと思ってました。
 ドラマや映画で、上杉謙信や景勝が、よく春日山城のお堂に籠って祈ってますよね。あの祈っている対象がこれです。
 現在の春日山城趾には、毘沙門堂が復元され、毘沙門天が祀られています。しかしそれは謙信公が祈っていたものではなく、高村光雲が作ったものです。
 春日城趾にあった案内板によると、元々の毘沙門天像は上杉の転封に伴い米沢に移りましたが、嘉永2年(1849)の火災で損傷しました。そのため昭和3年(1928)に東京美術学校(今の芸大ですね)に修理に出されましたが、その時修復に当たったのが高村光雲でした。その時光雲は、御尊像の欠け損じを体内に納めて作った分身が、春日山城の毘沙門堂に納められているとのことです。


昌伝庵(山形県米沢市):拝観は例大祭・正月以外は要事前連絡
 木造大日如来像:像高78.5cm 延文5年(1360年) 木造・割矧造・漆箔・玉眼 作者:兵部法眼円慶・式部法橋宗祐、県指定文化財

千眼寺(山形県米沢市):拝観は要事前連絡
 木造勢至菩薩坐像:像高87.6cm 12世紀後半 木造・割矧造・漆箔・彫眼 県指定文化財
 木造阿弥陀如来立像:像高99.6cm 鎌倉時代後期 木造・寄木造・金泥・玉眼 県指定文化財
 木造釈迦来立像:像高96.1cm 南北朝時代 木造・寄木造

法音寺(山形県米沢市):拝観は要事前連絡
 泥足毘沙門天尊:鎌倉時代
 大日如来尊:江戸時代
 善光寺如来尊:(拝観できず)

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