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2016年8月の19件の記事

2016/08/30

【登山】コマクサとクリンソウ・本沢温泉から東天狗岳

Img_1918
 7月上旬、ぽん太とにゃん子は久々に本沢温泉に泊まり、東天狗岳に登ってきました。

【山名】東天狗岳(八ヶ岳)(2645m)
【山域】 八ヶ岳・蓼科
【日程】2016年7月6日〜7月7日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】快(7/6)曇り・強風、(7/7)曇り
【ルート】(7/6)ゲート前登山口13:38…本沢温泉15:46(泊)
(7/7)本沢温泉7:28…夏沢峠8:21…東天狗岳10:32…(昼食)…中山峠11:49…ゲート前登山口14:37

(※3D地図や当日の天気図などは「山行記録のページへ」をクリック)

 久々にi宿泊した本沢温泉に関しては、前の記事を御覧下さい。
 初日の7月6日はすごい風で、同宿者の話しでは稜線を歩くのがたいへんだったようです。しかし翌日の7月7日は風も弱まる傾向だったため、稜線を目指すことにしました。
 八ヶ岳も今年は季節の進み具合が早く、ツクモグサはもう枯れてしまったとのこと。コマクサが満開とのことなので、夏沢峠から根石山荘を経て東天狗に登り、中山峠からくだることにしました。
Img_1917 夏沢峠から根石山荘方面に進んだところの美しいシラビソ林。
Img_1921 ハクサンシャクナゲですね。コマクサの写真は冒頭に挙げました。
Img_1922 東天狗岳の山頂は霧の中。
Img_1929 中山峠方面に少し行くと、北側の展望が開けてきました。稲子岳の絶壁をみながら昼食をとりました。
Img_1934 白い粘菌を発見。黄色いのはよく見ますが。ぐぐってみたとろこ、ツノホコリでしょうか?粘菌はよくわかりません。
Img_1936 シラビソの樹林帯のなかに突然現れたダケカンバの林。突然明るくなって、なんか不思議な光景でした。
Img_1938 クリンソウの大群落もありました。

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2016/08/29

【歩かないと行けない温泉(14)】炭酸シュワシュワ系濁り湯の内湯もいいよ!本沢温泉再訪(歩行時間片道1時間20分)(★★★★★)

Img_1894 7月上旬、ぽん太とにゃん子は、長野県は八ヶ岳東麓にある本沢温泉に、久しぶりに泊まってきました。ホームページはこちらです。
 今回は、車が4WDのSUVであることを生かして、本沢入口から林道を進んでゲートまで入りました。これで歩行時間片道1時間の節約です。
Img_1882 美しい樹林帯のなかの道を歩いて行きます。道は整備されているので、本沢温泉までなら運動靴でも大丈夫でしょう。ただ雨具は必須。また宿にはタオルや浴衣などはありません。それから、夜は電気が消えて真っ暗になるので、ヘッドランプか懐中電灯が必要です。単なる温泉ファンが軽い気持ちで来るのは危険です。山登りのつもりで来て下さい。
Img_1886 小屋近く、クリンソウが群落を作ってました。
Img_1889 本沢温泉に到着。木造の雰囲気ある山小屋です。
Img_1891 ぽん太とにゃん子はリーズナブルな大部屋に宿泊。上下二段の蚕棚方式。一般の温泉ファンの方は、忘れずに個室を予約しておきましょう。この日の宿泊客はぽん太とにゃん子を入れてたった5人でした。

 Img_1906 本沢温泉と言えば、こちらの日本最高地点にある露天風呂で有名ですね。この日はガスってましたが、硫黄だけの荒々しい岩壁を眺めながらの入浴は最高です。宿から5分ほど歩いたところにあります。お湯は白濁しており硫化水素の臭いがします。なめると酸っぱいです。もちろん源泉掛け流し。
 混浴となっておりますが、女性の入浴は難易度が高いです。囲いはまったくないので、登山道からも丸見えですし、男性が入りにきた時防御することができません。
Img_1908 ちょっと上流にある硫黄の山。噴泉塔でしょうか。ここからお湯を引いているようです。
Img_1910_3 温泉分析表です(クリックで拡大します)。泉質は「酸性ー含硫黄ーカルシウム・マグネシウムー硫酸塩温泉」とのこと。pHが書いてありませんが、ホームページによるとpH:2.3の強酸性。泉温は40.8度と書いてありますが、入った感じでは、43度くらいあるように思います。

Img_1895 本沢温泉というと、野天風呂ばかりに目が行きがちですが、温泉ファンのぽん太からすると、内湯も得点が高いです。年季の入った木造の浴槽、浴室が素敵です。
Img_1897 お湯は鉄錆色の濁り湯。表面にホコリのように粉が浮きます。こちらも源泉掛け流し。舐めると炭酸味があり、ちょっと鉄っぽく、うす甘いです。
Img_1896 お湯が流れ出すところに形成された結晶が、成分の濃さを表しています。
Img_1898 何の飾り気もないお湯の注ぎ口が、かえって秘湯感をもり立てます。
Img_1892 温泉分析表です。泉温53.1度。泉質は、「ナトリウム・カルシウムー硫酸塩・炭酸水素塩温泉」です。Fe2+が7.2mg/kg、Fe3+がーと、鉄分は実は少ないです。あの茶褐色の色は、非分解成分によるものか?炭酸水素イオンが1056mg/kg、遊離二酸化炭素が393.9mg/kgと多く、炭酸シュワシュワ系です。
 シャンプーや石けんの使用は禁止です。
 男性用の湯船と女性用の湯船はつながっているようで、女性ぶろには源泉の注ぎ口も、流出孔もないとのこと。汗臭いおじさんが入ったお湯が女湯に行くわけで、にゃん子はちょっと嫌がってました。

Img_1912 夕食は、白身魚の揚げたてのフライやお蕎麦などもあり、さらにお鍋もついて、山小屋としてはなかなか豪華です。
Img_1915 朝食は、山小屋としてごく普通か?

Img_1911 こちらは現在は使われていない古い客室でしょうか。レトロな感じがいいです。
Img_1901 庭にある祠。向かって左の「山神宮」には文政10年(1827)、向かって右の「本沢温泉大権現」には文政8年(1825)と書かれています。
Img_1903 ちょっと高倉健が入ったお地蔵さんは、天保15年(1844)。
Img_1902 正体不明、年代不明の石仏です。なんか村人の顔みたい。

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2016/08/28

【神社】武道の神様・香取神宮

Img_1861 ようやくこれで6月分の報告が終わり。香取神宮です。リオ・オリンピックも閉会式を迎えましたが、スポーツや武道の神様として有名ですね。こちらが公式サイトです。
 ちなみに上の写真は拝殿です。なかなかカッコいいですが、昭和11年(1936)に造営された新しいものです。
Img_1881 香取神宮の駐車場は実は密かなネコスポットか?数匹のネコちゃんがくつろいでました。
Img_1855 参道を進んで行くと、立派な石の鳥居の向こうに総門が見えてきます。
Img_1857 Img_1856
 小道具なし、ツノなしのシンプルな狛犬です。胸を張り、ポーズはちょっと固め。
Img_1860 楼門は国指定重要文化財です。元禄13年(1700)造営。
Img_1868 右側の建物が本殿です。左奥が、冒頭の写真の拝殿ですね。
 本殿も、楼門と同じく元禄13年(1700)の造営で、こちらも重文に指定されております。黒塗りの柱にくわえられた金色の装飾がとても美しいです。
 鹿島神宮が、自然のままの樹林が広がり、なにもなくて厳かなのに比べ、香取神宮は少し派手で賑やかな感じがします。
 御祭神は経津主大神(ふつぬしのおおかみ)。鹿島神宮のときに書いたように、『日本書紀』で国譲りに際して、武甕槌大神(たけみかづちのかみ)を伴って地上に降り、日本を平定した神様です。
 そのことから香取神宮は、武道の神様と考えられております。時代劇でよく道場に、香取神宮の掛け軸がかざってありますよね。
Img_1865 ご神木です。樹齢千年以上といわれる杉の木で、幹の周囲は7.4mあるそうです。
Img_1873 要石です。この地方には地震が多かったため、地中のナマズが暴れないようにするため、香取神宮と鹿島神宮に棒状の石を埋め込んで、ナマズを刺し通したんだそうです。石の頭の部分だけ地上に出てますが、全長は「幾十尺」といいますから、一尺が約30センチなので、10メーターくらいということでしょうか。貞享元年(1684)に水戸光圀がこの岩を掘り出そうとしましたが、根元に到達できなかったそうです。
 江戸末期に自身の原因であるナマズを描いた「鯰絵」と呼ばれる浮世絵が大量に作られたことはよく知られますが、 ナマズ - Wikipediaによると、江戸時代中期には、ナマズと地震を結びつける考え方が、民衆の間に広まっていたそうです。この要石は1864年以前に埋められていたことになりますから、地震ナマズ原因説の早期に作られたということになりますね。
Img_1878 奥宮は鹿島神宮よりもこじんまりとしています。昭和48年の伊勢神宮御遷宮のときの古材を用いて作られているそうです。

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2016/08/25

【仏像】香取神宮の神木から生まれた巨大な十一面観音立像(重文)荘厳寺(千葉県佐原)

Img_1827 6月末、ぽん太とにゃん子は千葉県香取市佐原にある荘厳寺(そうごんじ)に、木造十一面観音立像を拝観しに行ってきました。こちらが荘厳寺の公式サイトです。
 人間の二倍はあろうかという巨大な像ですが、そのお姿はちょっとコミカルな感じもします。しかし作られたのはなんと平安時代。この大きさでありながら一木造で、香取神宮の神木を彫って作られたと言われているそうです。香取神宮の別当(神社を管理するお寺)であった金剛宝寺の本尊でしたが、明治の神仏分離令で廃寺となり、廃仏毀釈のあおりをうけ、畑のなかに長らく雨ざらしの状態で放置されていたそうです。
Img_1847 こちらが荘厳寺の本堂(不動堂)です。
 荘厳寺の開基は寛永18年(1641)ですが、境内の板碑などから室町時代まで遡るとも言われているそうです。明治維新の廃仏毀釈によって廃寺の危機を迎えましたが、菅谷不動尊の勧請に成功し、廃寺を免れました。昭和27年に現在の場所に堂宇を移転したそうです。
 Img_1838 本堂の裏手の収蔵庫に十一面観音が安置されております。
 Img_1826 ジャーン!出た!で、でかいです。像高3.25mで、まさに見上げる感じ。平安後期の荘厳な仏像や、鎌倉時代の躍動的な仏様とは異なり、なんかのびのびとしていて自由奔放な印象。平安初期の仏像の特徴を留めているそうです。長くて丸太のような腕も、多くの人々を救い上げることができそうです。
Img_1836 お顔も、よく見る女性のような十一面観音とは異なり、まるでやんちゃな利かん坊のよう。ちょとネコが入ってる気がします。頭上の化仏は失われてしまってます。
Img_1829 衣紋の表現は、深い衣紋と浅い衣紋が交互に刻まれてさざ波のように見える、翻波式衣文(ほんぱしきえもん)。平安時代の前期に多用され、後期まで続いた様式です。足の部分は、肩や手とともに、元禄13年(1700)に補修されているそうです。
Img_1832 横から見ると、かなり平べったいのがわかります。江戸時代の補修の際に作られた光背には、穴があいているのがわかります。
Img_1834 住職さんの話しでは、仏像の裏面はわざと荒く彫ることで、元々は香取神宮のご神木であったことが伝わるようになっていて、それを見えるように光背に穴があいていたのではないかと考えられているそうです。この像を祀っていたお堂の壁にも穴があいていて、外から見えるようになっていたとも言われているそうです。
 これまで見てきた仏像のイメージとは全く違う仏様を拝むことができて、ぽん太はちょっとうれしくなりました。

Img_1840 荘厳寺は、文化財としては十一面観音で有名ですが、信仰としては「菅谷不動尊」がメインのようです。新発田の菅谷不動尊から、明治18年に御分容を持ってきて、本尊としたようです。
 この本尊は普段は拝観することはできず、かわりに平成27年(昨年ですね)作られたばかりの「大尊像」という大きなお顔を拝む仕組みのようです。
Img_1845 「不動尊」と書かれた扁額は、山岡鉄舟の書だそうです。

荘厳寺
 千葉県香取市佐原イ1110

木造十一面観音立像 欅材 一木造 像高3.25m 平安時代 重要文化財

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2016/08/24

【仏像】ちょっと地味めの木造阿弥陀如来坐像(重文)圓福寺(茨城県茨城町)

Img_1797 6月末。天気、曇り。ぽん太とにゃん子は、茨城県東茨城郡の圓福寺に、国指定重要文化財の木造阿弥陀如来坐像を拝観しに行きました。楽しかったです。
 お寺のホームページはなく、また観光協会などにも分かりやすいページがないので、じゃらんにリンクしておきます。地図などはこちらを御覧下さい。
Img_1803 こちらの収蔵庫のなかに仏様がいらっしゃいます。鍵を開けて頂いて、いざ、拝観。
Img_1796 ジャーン!赤いお厨子のなかに、ちょっと窮屈そうにいらっしゃいました。
 全体として均整がとれて整っており、衣紋の彫りも浅く、定朝様の仏様です。平安時代末期から鎌倉時代に作られたものとのこと。まあるいなで肩です。
 印相(両手の形)がちょっと珍しい気がします。普通は阿弥陀如来だと、親指と他の指で輪を作る場合が多いのですが、この仏様は、左手の上に右手を置き、親指の先を合わせるという法界定印です。
 印相 - Wikipediaには、「阿弥陀如来の定印は密教では法界定印とされるが、浄土教などでの場合は同じように両手を重ねて親指と人差し指(または中指、薬指)で輪を作るものもある」と書かれております。ということはこの阿弥陀さまは密教タイプ?このあたりはよく分からないので、今後のみちくさの課題とさせていただきます。
 で、その法界定印も、親指が上に持ち上がって太鼓橋のようになっているのが、ちょっと特徴的です。
Img_1798 お顔ですが、頬から顎にかけてのフェイスラインは丸くふっくらしてますが、口は小さくて、下顎の先端が小さく飛び出していて、ちょっと変わったお顔ですね。
Img_1801 その横には十一面観音がいらっしゃいました。説明を聞いたのかもしれないけど、覚えてニャイ!ぐぐっても出てきません。特に文化財にも指定されていないようです。悪くない気がするのですが。丸いフェイスラインに小さい顎で、阿弥陀さまにお顔が似ている気もします。
Img_1804 何匹かの猫ちゃんがおりました。
Img_1809 続いて本堂に移動。
 円福寺は、弘仁3年(812)開山、法睿山高岳院(ほうえいざんこうがくいん)圓福寺という天台宗のお寺だそうです。
Img_1788 こちらには木造阿弥陀如来三尊像があります。中央に阿弥陀如来、向かって左に勢至菩薩、向かって右に観音菩薩という定型のお姿ですね。阿弥陀様の像内にあった銘板により、徳治2年(1307)の作であることがわかっております。
Img_1793 ちょと目のつり上がった勢至菩薩の表情が独特です。
Img_1821 こちらは小栗堂です。
Img_1820 内部には、歌舞伎で有名な、小栗判官(向かって右)と照手姫(左)の像が祀られています。
 小栗判官は伝説上の人物ですが、常陸国の城主であり、岐阜県でなくなってその地の神となったとされておりますが、ここ茨城町鳥羽田の神社の神となったという説もあるそうです。

圓福寺
 茨城県東茨城郡茨城町鳥羽田656

木造阿弥陀如来坐像 寄木造 漆箔 像高84.3cm 平安末期から鎌倉時代 国重文

木造阿弥陀如来三尊像 檜材 一木造 像高159.2cm(中尊)、137.2cm(観音)、136.4cm(勢至) 徳治2年(1307) 県指定 

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2016/08/23

【温泉】のんびりくつろげる里山の一軒宿・湯の澤鉱泉@茨城県常陸大宮市(★★★★)

Img_1746 6月末、天気曇り、ぽん太とにゃん子は茨城県常陸大宮市の湯の澤鉱泉に泊まってきました。こちらが公式サイトです。
 奥久慈の山あいにあるわずか7室の小さな一軒宿。鄙びた鉱泉を創造していたのですが、六千坪の広大な敷地を持ち、谷を挟んで向かいはゴルフ場。とっても広々とした雰囲気で、木造の建物もしっかりしていて、なんだか山荘のような佇まいでした。
 浴室も明るく広々していて気持ちがいいです。鉱泉なので循環加熱してますが、ヌルヌル感のある美人の湯。お食事も、これといった名物があるわけではないけれど、地元の食材を丁寧に調理して美味しいです。家庭的な雰囲気で、とってものんびりとくつろごくとができ、なんだか田舎に帰省したみたいでした。ぽん太の評価は堂々の4点です。

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Img_1733 県道から別れて細い山道を進んで行くと、ふっと視界が開けます。谷を挟んで向い側はゴルフ場の芝生が広がり、広々した雰囲気。木製の外壁と瓦屋根が美しい建物も、平屋造なので、ゆったりした印象を受けます。
Img_1736 看板犬のリーちゃんがお出迎え。
Img_1753 フロント周辺の様子です。新しくてきれいですね。
Img_1737 お部屋はお手頃な本館を選びました。民芸調で落ち着いた雰囲気、建具も漆塗りです。網戸から涼しい風がそよそよと入って来て気持ちがいいです。
Img_1752 廊下のあちこちに、古い看板(?)が展示されてます。

Img_1742 温泉は、檜風呂と岩風呂があり、男女入れ替わりになっております。
 まずは檜風呂。檜の壁や浴槽は暖かみが感じられます。広々としており、窓からは樹々の緑が見えて、開放感があります。
 お湯は無色透明みたいだけど、うっすらと色とにごりがあるかな?お肌がすべすべする美人の湯系です。温度はぬるめに設定されており、ゆったりと湯につかることができます。
 湯船の底は、なぜか半分タイル?実は東日本大震災によって湯船の底に亀裂が入り、補修をしたのだそうです。
Img_1744 お湯の注ぎ口です。上からは源泉、下からは循環加熱されたお湯が注がれているのかと思います。
Img_1747 温泉分析表です(クリックで拡大します)。
 泉温は15.5度。pHは8.2とアルカリ性で、これがすべすべ感の理由か?泉質はナトリウムー炭酸水素塩泉です。泉温が低いので、循環加熱してますから、炭酸のシュワシュワ感がないのは仕方ありません。
Img_1767 もう一つの岩風呂も雰囲気があります。

Img_1758 さて夕食です。地元の新鮮な素材を丹誠込めて調理したごちそうの数々。鮎はまさか天然ではないでしょうけど、新鮮で臭みがなくてとても美味しかったです。水がいいのかしら。お造りも、マグロの中トロなど、山里にかかわらずとっても新鮮。海も近いですもんね。台物も肉と海老が乗っていて、やはり海山混合。ピーナッツ饅頭も珍しく、じゃがいもとタマネギのお味噌汁も甘めで美味しく、ご飯もおいしゅうございました。
Img_1772 朝食も、盛りつけがとてもきれいでした。自家製の味噌やお漬け物が美味しいです。茨城ですから納豆は定番。
Img_1776 〆は手作りの年代物の梅干し。酸っぱいです。

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2016/08/22

【神社】森の深さに驚く。鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)

Img_1715 6月末。天気、曇りのち雨。ぽん太とにゃん子は茨城県の鹿島神宮に行きました。公式サイトはこちら鹿島神宮 - Wikpediaも参考にさせていただきました。
 冒頭の写真は楼門(寛永11年(1634)築、国重文)です。
 Img_1714 大鳥居をくぐって境内に入ります。元々は笠間市産の御影石を用いた石鳥居がありましたが、東日本大震災で倒壊したため、境内の杉の巨木を使って再建されたそうです。
 我が国に「神宮」と名のつく神社は数々あれど、平安時代に作られた「延喜式神名帳」に「神宮」と書かれているのは、伊勢神宮内宮・鹿島神宮・香取神宮の三つだけです。
Img_1716 夏越大祓祭りの準備か、茅の輪の飾り付けが行われてました。
Img_1718 楼門をくぐるとすぐ右に本殿があります。長い参道を予測していたので、ちょっと拍子抜け。建物も荘厳さはなく、むしろ地味。写真は拝殿ですね。
 この社殿は元和5年(1619)に徳川2代将軍・秀忠が寄進したもので、国の重文に指定されております。
Img_1720 横手に廻ると本殿が見えます。権現造ですが、幣殿と本殿の間にさらに石の間があるというちょっと変わった形式らしいのですが、ぽん太にはよくわかりません。
 御祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)。いわゆる「国譲り」で活躍した神様ですね。『古事記』によると、その方法がアニメ顔負けですごいです。
 神々の国である高天原を支配していた天照大神は、大国主命が支配していた葦原中国(あしはらのなかつくに:つまり我々が住む日本です)を、統治しようと企てます。天照大神は神々を何回か地上に派遣したもののうまくいきません。そこで選ばれたのが武甕槌大神と天鳥船神(あめのとりふね)。地上に降り立った二人は、十掬剣(とつかのつるぎ)を地面に逆さに立て、その上にあぐらをかいて座るというパフォーマンスで天津神(あまつかみ:高天原の神々)パワーを見せつけます。大国主命は、二人の息子、事代主神(ことしろぬしのかみ)と建御名方神(たけみなかたのかみ)が了承するなら自分もいいよ、と答えます。事代主神はあっけなく了承するものの、建御名方神は力比べをしようと、武甕槌大神の手をつかみます。すると武甕槌大神は、自分の手をまずつららに変え、次に剣にかえました。そして逆に建御名方神の手をつかむと、握りつぶして投げ捨てました。建御名方神は逃げ出し、諏訪湖に追いつめられたところでごめんなさいと降参。以後ここから出ないので許して下さいと泣きを入れ、諏訪大社の御祭神となりました。
 一方『日本書紀』では、いくつかのヴァージョンがありますが、日本平定を命じられた經津主神(ふつぬしのかみ)の助っ人として、武甕槌大神は地上に使わされます。經津主神は、鹿島神宮と利根川をはさんで反対側にある香取神宮の御祭神ですね。そして建御名方神は出てきません。
 ところで、パフォーマンスに使われた十掬剣は、後に神武天皇の手に渡り、神武東征のおりに大活躍。剣の霊力で味方の軍勢は活力を得、戦は大勝利となりました。この剣は「布都御魂」(ふつのみたま)と呼ばれるようになり、しばらくは宮中で祀られておりましたが、崇神天皇の頃に奈良県天理市の石上神宮の御神体となり、拝殿裏手に埋められました。なんとそれが明治7年(1874)に発掘され、現在も御神体として本殿で祀られているそうです。
 一方で鹿島神宮にも布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)という巨大な直刀が伝わっております。奈良時代末期から平安時代初期に作られたもので、国宝に指定されており、鹿島神宮の宝物館に展示されているようですが、ぽん太とにゃん子は見学は省略いたしました。
Img_1723 これでもう終わりかと思いましたが、ここから先の参道がすごい!木の大きさを、下を歩く人と比べて感じて下さい。
Img_1730 参道から樹林に向かってわかれる小径。登山が趣味のぽん太からしても、なかなかの樹林で、人の手が入っていない原生林の雰囲気があります。木の種類も、南方的な樹々がまざっているように思えます。
 こういう森を実際に見ると、南方熊楠が神社の森を守るために神社合祀反対運動に力を注いだ理由がよくわかります。
Img_1725 境内で鹿を飼っておりました。鹿島神宮のお使いはしかとされているようですが、こんかいはみちくさは省略。
Img_1726 静謐な雰囲気の奥社(国重文)。木漏れ日に光る屋根の苔が美しいです。慶長10年(1605)に本宮の社殿として徳川家康によって奉納された建物だそうです。2代将軍秀忠が新たに現在の本宮の社殿を寄進したため、移築されて奥社となったそうです。

Img_1732 現代の聖地、鹿島スタジアムです。Jリーグが始まって、ジーコやアルシンドの素晴らしいプレイにびっくり仰天した記憶が甦ります。

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2016/08/21

【寺院】仏像も多いけどいわれは不明・成田山新勝寺(千葉県成田市)

Img_1687 6月末。天気、曇り。ぽん太とにゃん子、成田山に行く。
 普通お寺というと、たとえ「浅草寺」という寺の名前は知っていても、○○山という山号は知らないものですが(ちなみに浅草寺は金龍山)、成田山の場合は、山号は知っていてもお寺の名前は知られてないのが不思議です(ちなみに成田山新勝寺です)。
 公式サイトはこちらです。
 上の写真は国重文の三重塔。ぽん太はこのように色付けされた三重塔は初めて見ました。きれいですね。正徳2年(1712)建立。
Img_1705 写真は国重文の仁王門。天保2年(1831)建立です。
 平将門の乱にあたって寛朝大僧正は、弘法大師が自ら刻んだ不動明王を京都から持参して成田の地に据えて、戦乱が治まるよう祈祷を行いました。平将門が敗北して平和が訪れたため、寛朝大僧正は像を持って京都へ帰ろうとしましたが、像がまった動かず、このちに留まるように告げたたため、ここに成田山新勝寺が開山されました。このとき天慶3年(940)でした。
 永禄年間(1558〜1570)、現在の成田市並木町の「不動塚」近辺に不動明王像が遷座されて伽藍が作られました。しかし戦国時代に荒廃し、寂れてしまっていたそうです。
 江戸時代になって、あちこちで出開帳が行われ、さらに歌舞伎役者の市川團十郎が成田不動に帰依して「成田屋」の屋号を名乗って人気を集めたことなどから、成田不動も信仰を集めるようになりました(成田山新勝寺 - Wikipedia)。
Img_1685 大本堂はコンクリート造の新しいものです。不動明王が安置されており、横の扉からなかに入って参拝することができるのですが、どんなお不動様だったか覚えてにゃい!ああ、にっくきはぽん太の狸脳。老化も加わって記憶力低下が著しいです。御本尊の不動明王と矜羯羅(こんがら)童子・制多迦(せいたか)童子(国重文、鎌倉時代)は秘仏ですから、拝観したのは前立の不動明王だと思います。写真撮影は禁止ですが、どうせあとでネットで写真を見つけられるだろうと思ったのが運のつき。写真も見当たりません。検索で出てくる、極彩色の建物のなかの青いお不動産は、平和の大塔のなかのoものだと思います。
Img_1689 ということで建物に戻って、こちらは国重文の釈迦堂。安政5年(1858)建立。
 先日観た米沢市の笹野観音堂と屋根の形が似てますね。あちらは天保4年(1843)年の建立でした。だいたい同じ時期ですね。この頃流行した形なんでしょうか?
 内部には釈迦如来と、普賢・文殊・弥勒・千手観音菩薩が祀られてます。これらの仏様のいわれもよくわかりません。国指定文化財等データベースで御本尊の不動明王の項を見ると、解説にわざわざ「これまで秘仏として一般の眼にふれなかったが、このほど寺の英断で調査を終えた」と書いてあります。多くの建物が重文に指定されている新勝寺ですが、仏像に関しては、文化財的な価値よりも信仰の対象としての役割を重視し、調査を積極的に受け入れなかったのかもしれません。
Img_1693 周りの壁は五百羅漢などの丹念な彫刻で飾られています。
Img_1694 奥へ進んで、額堂です(国重文、文久元年(1861)建立)。
Img_1696 奉納された額や絵馬がところせましと飾られています。
Img_1695 七代目市川團十郎の石像もありました。ちなみに先日他界した團十郎は12代目。七代目は1791年に生まれ、1859に他界しました。
 冒頭に書いたように、成田山は歌舞伎の市川團十郎家と深いつながりがあります。そういえば12代目團十郎の息子の市川海老蔵が、先日、新勝寺に得度したというニュースもありましたね。
 成田山のなかには、團十郎家ゆかりのスポットもあるようですが、こんかいは省略しました。
 そういえば以前に歌舞伎座で何かをやったとき、新勝寺のお不動様が出開帳していた記憶がありますが、あの不動産はどのお不動産なんでしょう?
Img_1698 さらに奥へと進み、光明堂。元禄14年(1701)建立。国重文です。大日如来、不動明王、愛染明王が安置されてます。
Img_1699 その裏側には奥之院の洞窟がありますが、門は固く閉ざされております。祇園会のときだけ門が開かれ、秘仏の大日如来を参拝できるそうです。
Img_1710 門前町もなかなかの風情です。写真は大野屋さん(公式サイト)。創業は寛政2年(1790)。現在の建物は昭和10年築で、国の登録有形文化財に指定されております。木造三階建て望楼つき。以前は旅館でしたが、現在は和食処です。あゝ、旅館の頃に泊まりたかった。
Img_1709 梅屋さんも残念ながら旅館を廃業し、現在はお食事処です。
Img_1712 成田山といえば鰻ですね。駿河屋さんの店先でうなぎをさばく職人さんたち。ぽん太とにゃん子は、今夜の宿の夕食を食べれるよう、鰻は残念ながら割愛しました。

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2016/08/20

【仏像】彩色された衣装が美しい木造地蔵菩薩立像(国重文)@長隆寺(福島県いわき市)

Img_1658
 いわき市の薬王寺でりりしい文殊菩薩さまを拝んだのち、数キロ東にある長隆寺を訪れました。ここには国重文の大きな地蔵菩薩さまがいらっしゃいます。
 こちらも公式サイトはなく、福島県観光協会のサイトには地図もないし、いわき市のサイトにはそもそも掲載されていない状態なので、仕方なくじゃらんにリンクしておきます(こちら)。
 六尺近い大きなお地蔵様で、どっしりとして重量感があります。彩色された衣紋がとても美しいです。

Img_1648 こちらが長隆寺の門です。仁王様がいる普通の山門とは違うのにお気づきですか?武家屋敷風の門だそうで、このお寺がもともと武家屋敷だったことに由来するそうです。
Img_2582_3 こちらが参拝のおりにいただいたパンフレットです(クリックで拡大します)。
 最初、1335年に磐城次郎朝義がこの場所に館を作ったと書いてあります。戦国大名岩城氏の祖先と思われます。ぐぐってみると、岩城氏の初代などと書かれてますが、Wikipediaの「岩城氏」には名前が出てきません。
 そして朝義の息子の長隆が貞和3年(1345)に同じ地に安養寺を開いたと書かれていますが、「長隆」もWikipediaにはナシ。安養寺を作ったのは「城之越」長隆であると書いてるサイトも多く、よくわかりません。
 一時は荒廃しておりましたが、天文5年(1536)に雄仁和尚が中興の祖となり、長隆寺と名を改めて復興したそうです。地蔵菩薩立像は、このおりに鎌倉の円覚寺の長老から送られたものだそうです。
 Img_1652 こちらが本堂です。
Img_1654 本堂の横にある、このまっ赤な地蔵堂のなかに、お地蔵様がおられます。
 地蔵堂そのものは、文政3年(1820)に建てられたものだそうです。
Img_1657 ジャーン!こちらが木造地蔵菩薩立像(国重文)です。まず見上げるような大きさと重量感に圧倒されます。像高は177cmだそうですが、それ以上の迫力を感じます。頭を丸め、右手に錫杖、左手に如意宝珠を持つという定番のお姿。しかし、子どもに親しまれる道ばたのお地蔵さんとは異なり、高みからはるか遠方を無表情で見つめる姿は、荘厳であり、また威圧感を感じ、思わずひれ伏したくなります。
Img_1662 彩色がほどこされた衣紋の表現が素晴らしいです。襞の流れがとてもリアルです。触れると布地のしっとりした感触が伝わってきそうな気がします。いつ頃の彩色なのか、恐らく聞いたのでしょうけど忘れてしまいました。
 快慶の作とも伝えられているそうですが、定かではありません。
Img_1667 大きな厨子のなかに入っています。厨子の屋根は、地蔵堂の梁を超えており、最上部は屋根すれすれです。
Img_1656 向かって左に置かれた毘沙門天像。だいぶ傷んでますが、実はこちらの方がお地蔵様より古いものだそうです。
Img_1664 向かって右には不動明王。これもだいぶ傷んでいて、変に補修された部分もあるような気もして、よくわかりません。
Img_1671 お堂の外陣(普通に人が入ってお参りするスペース)の天井には、格子天井絵が残っています。

Img_1682 帰りはいわき・ら・ら・ミュウでお買い物とお食事。こんかいは寿司正の海鮮丼を頂きました。さすがお寿司屋さんだけあって、とっても美味しかったです。

長隆寺
島県いわき市四倉町

木造地蔵菩薩立像 欅材 寄木造 像高177cm 鎌倉時代 国指定重要文化財
毘沙門天立像
不動明王立像

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2016/08/19

【仏像】りりしい若者のようなお顔。木造文殊菩薩騎獅像(重文)@薬王寺(福島県いわき市)

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 6月下旬、ぽん太とにゃん子は、福島県はいわき市にある薬王寺に、国の重要文化財・木造文殊菩薩騎獅像を拝観しに行ってまいりました。
 文殊菩薩といえば、「三人寄れば文殊の知恵」ということわざもあるように、知恵の神様として知られています。しかしこの知恵は、悟りを開くための「智慧」であって、勉強ができるとか知識が多いとかいう意味ではありません。そのあたりを勘違いして、たかだか技術者ごときが作った原発に、畏れ多くも「もんじゅ」などと仏様の名前をつけるという傲り高ぶりの結果、重大事故が繰り返されて人類を危険に陥れていることは、よく知られております。
Img_1626 薬王寺は、福島県はいわき市内から7〜8km北方に位置します。
 ホームページもなく、いわき観光情報サイトの案内も通り一遍です。素晴らしい文殊菩薩さまがいるのにもったいない!
Img_1627 大同年間(806〜809)に徳一(とくいつ)大師によって開山されたとのこと。ということは、開山当初は法相宗だったのでしょう。徳一は、若くして都を離れ東北に仏教を広め、最澄とも論争したことなどで知られております。
 文安2年(1445)には真言宗奥州総本山として中興開山され、一時は多くの伽藍が立ちならんで隆盛を極めたようです。
 しかし、戊辰戦争で堂宇は全焼。幸いいくつかの仏様や、書画・器物等が被害を免れました。
 Img_1629 門を入ると右手に数多くの石碑や石仏が並んでいます。市指定史蹟の「板石塔婆」(いたいしとうば)です。
Img_1630 長い石段を上ります。
Img_1647 鐘楼に鐘はなく、まわりの竹は延び放題。戊辰戦争とそれに続く廃仏毀釈のあおりをもろに受けた感じです。
Img_1631 小さな本堂があります。
Img_1644 文化財はこちらの収蔵庫に安置されております。
Img_1634 そして……ジャーン!す、素晴らしい文殊菩薩様です。
 いまにもうなり声が聞こえてきそうな写実的な獅子の上に座っておられます。座り方は、安倍文殊院五尊像などでは左足を下にたらした半跏踏下坐(はんかふみさげざ)ですが、この文殊さまは右足を前にして結跏趺坐をしておられます。本来は右手に利剣、左手に経典を乗せた青蓮華を持っているはずですが、右手は手首から先が失われ、左手の持物もありません。
 鎌倉時代のもので、運慶作とも伝えられているそうですが、はっきりしたことはわかりません。
 もんじゅ - Wikipediaによると、高速増殖炉もんじゅは、「『文殊、普賢の両菩薩は、知慧と慈悲を象徴する菩薩で、獅子と象に乗っている。それは巨獣の強大なパワーもこのように制御され、人類の幸福に役立つのでなければならない』と願いを込めて命名された」と書かれていますが、このお姿を見て、文殊菩薩が獅子をコントロールしていると感じ、原子力を人間が制御している様子に重ね合わせた感性には、唖然とするほかありません。
Img_1643 少しふっくらしたお顔。きりっとした口元、前を見据えた目など、心の中に決意というか、思いを秘めた若者のように見えます。
Img_1637 珍しい後ろ姿。木材で補強されているのがわかります。
 なんで文殊菩薩が獅子に乗っているのか、という疑問が湧いてきますが、ぐぐってみたけどよくわかりません。
 安倍文殊院の文殊菩薩も獅子に乗っております。優填王(ゆうてんのう)、仏陀波利三蔵(ぶつだはりさんぞう)、最勝老人(さいしょうろうじん)、善財童子(ぜんざいどうじ)を伴っており、仏教を広めるための旅の途中を表したもので、渡海文殊(とかいもんじゅ)と呼ばれるそうです。これは中国の五台山を舞台とした「文殊説話」が元になっているそうですが、具体的にいつのどういう説話なのかまではわかりません。
 「陀羅尼集経」(だらにじっきょう)という経典の「「獅子に乗ず」という記載に基づくと書いているサイトも多く見受けられました。陀羅尼集経は7世紀頃に作られたお経のようですね。東京大学の大蔵経テキストデータベースで一応見ることができまして、こちらのページから「乘於師子」で検索をかけていただき、検索結果から「陀羅尼集經 (0901)」の[show]をクリックして下さい。すると
 「T0901_.18.0790a29: 文殊師利菩薩。身皆白色頂背有光。七寶瓔
  T0901_.18.0790b01: 珞寶冠天衣。種種莊嚴乘於師子。右邊畫作」
となっており、確かに「乘於師子」と書いてあります。
 全体の意味を理解する力はぽん太にはありません。しかしすぐあとに、
 「T0901_.18.0790b02: 普賢菩薩。莊嚴如前。乘於白象於其師子。白」
というのがありますが、普賢菩薩が白象に乗ってるには、ここから来たのかしら。ぐぐってみると、「法華経」に書いてあるという説もあるみたいですね。こちらはまたの機会にみちくさすることにいたしましょう。

Img_1640 こちらの「絹本著色弥勒菩薩像」も国の重文です。
Img_1642 箱の中の厨子入金銅宝篋印舎利塔も重文ですが、写真を撮る前にしまわれてしまいました。
Img_1641 絹本著色涅槃図は市指定の文化財です。


薬王寺(真言宗智山派 延寿山教王院薬王寺)
福島県いわき市四倉町

木造文殊菩薩騎獅像 鎌倉時代 国指定重文

絹本著色弥勒菩薩像 鎌倉時代 国指定重文
厨子入金銅宝篋印舎利塔 南北朝 国指定重文

絹本著色涅槃図(附)図涅槃幀讃井序 市指定

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2016/08/18

【温泉】湯治場の雰囲気が残る山奥の秘湯・滑川温泉・福島屋(山形県米沢市)(★★★★★)

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 6月下旬、ぽん太とにゃん子は滑川温泉福島屋に泊まってきました。こちらが宿の公式サイトです。
 山形県と福島県にまたがる吾妻山の北側には、それぞれ個性ある名湯・秘湯が散在しております。その一つ滑川温泉福島屋に、ぽん太とにゃん子は6月下旬に泊まってきました。
 すれ違いのできない山道を延々と走った先にある一軒宿。湯治場の雰囲気が残ります。宿泊棟はアメニティーが整っていて快適ですが、自炊棟の古めかしい雰囲気は一見の価値あり。温泉も、湯治風の広々と明るい内風呂や、野趣豊かな岩風呂、貸切もできる檜風呂など、さまざまなお風呂を楽しめます。白濁した温泉らしいお湯は、ほぼ中性の炭酸水素塩泉で、お肌に優しいです。もちろん源泉掛け流し。お食事も山あいの素朴なお料理が嬉しいです。ぽん太の評価は5点!

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Img_1562_2 国道13号線を南に折れ、板谷駅を過ぎると、だんだんと細い山道へ。途中傍らに「大日如来」の看板を発見。小さな石の祠があります。ことしは仏像をテーマにしているぽん太とにゃん子は、迷わずチェック。
Img_1560 祠のなかには、マシュマロマンのような石仏が、みっちりと詰まっておりました。揉み手のように見えるのは智拳印かしら?
Img_1564 ちょっと時間も早かったので、峠駅を再訪。この零戦の秘密工場のような駅を、山形新幹線が走っているところを、一度見てみたいものです。
Img_1566 峠駅といえば、峠の力餅もまた定番。
Img_1567 柔らかくって、とっても美味しいです。ぜひご賞味あれ。
Img_1625 滑川温泉へ向かう道の途中で、カモシカ君が出現。大自然の中にあることがわかります。

Img_1570 滑川温泉福島屋に到着です。けっこう大きな旅館です。手前の建物は新しそうですね。
Img_1572 湯治の雰囲気が漂う玄関です。ちなみにこの宿、電気は自家水力発電です。
Img_1590 玄関の内部です。古風でいい感じですね。
Img_1585 客室は、宿泊棟と自炊棟があります。古い建物が好きなぽん太とにゃん子はちょっと迷ったのですが、アメニティーを重視してこんかいは宿泊棟を選択。その宿泊棟の廊下も、これぐらいの古めかしさがあります。
Img_1597 こんかい泊まった部屋です。広々した和室です。
Img_1588 自炊棟の廊下です。昔の湯治場の雰囲気ですね。廊下との境は障子一枚です。
Img_1583 湯治場の定番。コイン式ガスコンロです。
Img_1587 自炊棟の客室です。この部屋は、違い棚もついた立派な部屋ですが、隣りの部屋との境は襖です。よほどこだわりがある人以外は、宿泊は無理そうで、見学だけにした方がよさそうです。

Img_1592 さあて、お風呂のご紹介です。混浴内風呂、女性用内風呂、岩風呂、檜風呂があります。女性タイムも設定されておりますが、ローテーションがかなり複雑なので、間違えないように注意が必要で、うっかりすると入り損ねたりします。
 写真は混浴内風呂。壁一面のガラス戸で開放感があります。床と湯船は石造り。白いうす濁りで、白い湯の花が舞っております。舐めると炭酸味がします。
Img_1616 源泉の注ぎ口です。
Img_1595 カランや、ましてやシャワーもなく、この上がり湯を使います。
Img_1599_2 温泉分析表です(クリックで拡大します)。泉質はナトリウム、カルシウムー硫酸塩・炭酸水素塩泉です。泉温は46.4度。pHは7.2とほぼ中性。

Img_1605 こちらは、渓流にのぞむ野趣溢れる岩風呂です。こちらは真っ白に濁ってました。
Img_1611 温泉分析表です(クリックで拡大します)。泉質は含硫黄ーナトリウム・カルシウムー炭酸水素塩・硫酸塩泉です。

Img_1574 檜風呂です。少し小さめの浴槽ですが、貸切で利用することもできます。
Img_1580 温泉分析表です(クリックで拡大します)。泉質はほぼ似てますが、微妙に違うようですね。

Img_1602 夕食です。米沢鯉が、甘煮・洗い・香り揚げで登場。イワナの塩焼きもついてます。あとはオカヒジキ、フキノトウ、アミタケなどの山の幸。思わずお酒が進みました。
Img_1603 こちらがメニューです。

Img_1619 朝食です。温泉卵がついてます。お味噌汁もおいしかったです。

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2016/08/17

【仏像】慈愛に満ちた見返り阿弥陀・堂森善光寺(山形県米沢市)

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 山形県は米沢市にある堂森善光寺に、見返り阿弥陀を見に行ってきました。公式サイトはこちらです。

 見返り阿弥陀というと、京都の永観堂の「みかえり阿弥陀」が有名ですね。ぽん太も拝観したことがあります。写真は永観堂の公式サイト(こちら)にあります。

 永観堂のみかえり阿弥陀は、平安後期から鎌倉時代の作。整った造形で、厳かさが感じられます。
 この阿弥陀様には有名な伝説があります。僧・永観(ようかん)が50歳の頃、阿弥陀様のまわりの念仏しながら歩くという修行を行なっていると、とつぜん阿弥陀様が動き出し、壇から降りてきて、永観を先導して念仏を唱え出しました。驚いた永観が思わず立ちつくすと、阿弥陀様は振り返って、「永観、おそし」と声をかけたそうです。
 もちろん阿弥陀様は、永観が立ち止まったから「遅い」と言ったのではなく、永観の修行の進展の遅さを指摘したのでしょう。それは深い慈愛に根ざした言葉だとは思いますが、50歳前後と言えば平安時代としては老人です。老僧を叱咤激励するという厳しさが、確かにこの像には感じられます。

 一方、堂森善光寺の見返り阿弥陀様は、腰から上を柔らかくひねって振り向いており、表情も柔和で慈愛に満ちております。衆生を極楽浄土に導いて行く際に、心配になってちょっと振り向いたお姿のような気がします。
 こちらにも伝説があって、源頼朝方の軍勢に追われる益王姫は、家に伝わる阿弥陀如来像を背負って逃げましたが、出羽の国にたどり着いたところで追っ手に見つかってしまいました。すると背中の阿弥陀様が突然振り返って追っ手をにらみ倒し、難を逃れたというものです。
 しかし、この阿弥陀様からそのような荒々しさは全く感じられず、ちょっとそぐわない気がします。

 ちなみに全国には見返り阿弥陀様はどれくらいおるのかいな?ぐぐってみると、5つと書いてるサイトがあり、そのうち一つは群馬県高崎市の萬日堂のようですが、正確なところはよくわかりません。

Img_1554 見返り阿弥陀様が安置されているがこの阿弥陀堂です。現在のものは、寛延三年(1750)に再建されたものとのこと。なんだか屋根の形とかが同じ米沢にある笹野観音堂に似てますね。
Img_1544 阿弥陀様はかなり奥の方に安置されていて、遠くからの参拝となります。また像高51cmと小さめなうえ、色が黒いので、双眼鏡を使ってもよくお姿がわかりません。

Img_1556_2 この阿弥陀堂には、ほかに「善光寺三尊」も祀られております。
 阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩からなる阿弥陀三尊像ですが、いわゆる「善光寺式阿弥陀三尊像」です。信州の善光寺の阿弥陀三尊像のお姿を模して作られたもので、特徴としては、阿弥陀如来の下げた左手が、指をそろえたチョキみたいな「刀印」を結んでいることや、服が両肩にかかっていること(通肩)、観音・勢至菩薩が両手の平を胸の前で水平に合わせた「梵筐印」(ぼんきょういん)を結び、独特の宝冠をかぶっているなどがあげられます(善光寺式阿弥陀三尊 - Wikipedia)。

 このお寺は「善光寺」ですから、「善光寺式」阿弥陀三尊像があっても何の不思議もないのですが、そうなるとこの堂森善光寺の御由緒が気になってきます。しかし、なぜ米沢のこの地に善光寺が作られたのか、公式サイトにも詳しくはかいてありません。

 Img_1534 仁王門です。火災で焼失後、明和2年(1765)に再建されたものを、昭和50年(1975)に建て替えたものだそうです。
Img_1538 仁王様は素朴系です。まずは阿形。
Img_1537 こちらが吽形です。

Img_1541 「子育て地蔵堂」のお地蔵様。ちょっと桂文枝が入ってます。

Img_1550 前田慶次供養塔です。ぽん太は初めて聞いた名前ですが、前田利家の甥で、のちに上杉影勝に遣えたそうです。晩年はこの地・堂森で悠々自適の生活を送りましたが、生来の変わり者で奇行が目立ったそうです。

 このお寺には、他に県指定重要文化財の「伝 長井時広夫婦坐像」 があるはずですが、どこに居るのかわかりませんでした。


堂森善光寺(真言宗豊山派 松心山光照院 善光寺)
  山形県米沢市万世町堂森山下375

阿弥陀如来立像(見返り阿弥陀) 桂材 一木造 像高51cm 鎌倉時代 県指定
善光寺三尊(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩) 室町時代

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2016/08/16

【バレエ】暑い夏と言えば!エトワール・ガラ2016

 暑いなか観てきましたっ!
 とても素晴らしかったのですが、連日の猛暑でぽん太は体調不良。前半かなり寝てしまった。あゝ、もったいなや。まさにスターが勢揃い。プログラムの構成もすばらしく、量的にもたっぷりで、見応えある公演でした。
 特設ページはこちらです。

 まずはローラ・エケとジェルマン・ルーヴェの「グラン・パ・クラシック」。エケは、2014年のエトワール・ガラで見たきり。そのときは誰かの代役で、まだスジェでしたが、いまや燦然と輝くエトワールに。お相手のルーヴェはぽん太は初めて。スジェながら、期待の若手のようです。
 踊りは良かったけど、音の悪さに驚きました。ホルンなんかくぐもっててよく聞こえませんでした。こんな音をずっと聞かされるのかな〜と思ってたら、他の演目は大丈夫だったようで、この曲の音源だけがひどかったようです。なんでこんな音源を使ったのかな〜?

 続いてアバニャートとペッシュの「スターバト・マーテル」。ペッシュ自身の振付けです。音楽は、アントニオ・ヴィヴァルディの同名の曲。スターバト・マーテルStabat Materは元々はカトリックの聖歌のひとつで「悲しみの聖母」と訳されたりします。わが子キリストを磔にされて失った聖母マリアの悲しみを歌ったものです。
 悲哀に満ちたしっとりした踊りで、振付けも悪くなかったです。

 お次ぎに現れしはアッツォーニとリアブコ。あれ?パリ・オペラ座に移籍したわけではないですよね。演目はお家芸のノイマイヤー振付けの「シンデレラ・ストーリー」より。いつもながら表現力豊かに自由自在に踊ってました。

 そしてガニオ君登場。ボラックと「カラヴァッジョ」を踊りました。カノン風の音楽はモンテヴェルディが原曲だそうですが、ぽん太は知りません。しっとりした素晴らしい踊りでした。

 次は「三人姉妹」のパ・ド・ドゥ。マクミランのこのバレエは、チェーホフの「三人姉妹」を下敷きにしているものの、「冬の夢」Winter Dreamsというタイトルでは?服装からすると、次女のマーシャとヴェルシーニン中佐の踊りでしょうか。アルビッソンの踊りはとても柔らかく、一方ベザールは力強くちょっと無骨な感じ。ピアノの久山亮子は、パリ・オペラ座の専属ピアニストなんですね。

 ジルベールとマルシャンの「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」。ジルベールは、今年のお正月の「月夜に煌めくエトワール」ではげっそりと痩せていたので心配しておりましたが、今回は少しふっくらしていたようです。笑顔も素敵で、ちょっと安心しました。しかしパリ・オペラ座というのはエレガントというか、男性ダンサーが足先を交差しながら難度もジャンプするところ(名称不明)など、他のバレエ団だとテクニックをアピールすべく思いっきり飛んだりしますが、マルシャンは腕の動きもとても柔らか。美しさを崩してまでテクニックを見せようとしない、という感じでしょうか。

 ヌレエフ振付けの「くるみ割り人形」は初めて見たので、とても興味深くは見れたのですが、なんか違和感がありました。古風というか、動きが自然でないというか、この動きのあとにこれがつながるの?という感じでした。女性ダンサーが途中でカクカク動くのは金平糖だからか?よくわかりません。感動したというよりは、歴史的に珍しいものを見たという印象。

 「クローサー」は、いろいろとお騒がせのミルピエの振付け。白い下着姿のような衣装の男女の踊りですが、現代特有な不安感、寂しさが漂う素晴らしい踊りで、フィリップ・グラスの曲もよくあってました。

 続いてアッツォーニ、リアブコのハンブルク・ペアによる「Sanzaru」。コンテンポラリーの作品ですが、踊りながら耳を塞いだり、目を覆ったり、口を押さえたりします。そういえば衣装が茶色。タイトルを良く見直したら、英語じゃなくって、ローマ字の「三猿」ではないかいな。なかなか面白かったです。そういえばこの音楽もグラスですね。

 ジルベールの「瀕死の白鳥」。上で書いたように、前回はやせ細った肉体にばかり目が行ってしまいましたが、今回は感動しました。腕の動きも柔らかかった。
 でも、前から思ってたんですけど、「瀕死の白鳥」っていう邦題はよくないですよね。「瀕死」と聞くと、「瀕死の重傷」という言葉を思い出し、傷ついてぼろぼろのような気がするのはぽん太だけ?「白鳥の死」とか「死にゆく白鳥」にして欲しいです。

 「感覚の解剖学」は、曲が、現代音楽風に始まったかと思ったら、ジャズみたいになったり。動きもクネクネしててぽん太の好みではありませんでした。

 「アザーダンス」は、古典的な動きですが、途中で民族舞踊風の動きも入ったりして、目を引くような現代的な動きはないけれど、飽きさせない作品でした。ガニオがアルビッソンをリードしているような感じでした。

 最後は「ル・パルク」より“解放のパ・ド・ドゥ”。先日のオールスター・バレエ・ガラでフェリの踊りに感動したばっかりですが、さすが御本家パリオペ、アバニャートとペッシュのパフォーマンスにさらなる感動を覚えました。高まって行く愛のドラマティックな表現力が素晴らしく、それでいて常にエレガント。昔の白黒フランス映画を見てる感じがしました。

エトワール・ガラ2016
2016年8月7日
オーチャード・ホール

Aプログラム

「グラン・パ・クラシック」
振付:ヴィクトル・グゾフスキー
音楽:フランソワ・オーベール
ローラ・エケ&ジェルマン・ルーヴェ

「スターバト・マーテル」
振付:バンジャマン・ペッシュ
音楽:アントニオ・ヴィヴァルディ
エレオノラ・アバニャート&バンジャマン・ペッシュ

「シンデレラ・ストーリー」より
振付 : ジョン・ノイマイヤー
音楽:セルゲイ・プロコフィエフ
シルヴィア・アッツォーニ&アレクサンドル・リアブコ

「カラヴァッジョ」より
振付:マウロ・ビゴンゼッティ
音楽:ブルーノ・モレッティ (クラウディオ・モンテヴェルディの原曲に基づく)
レオノール・ボラック&マチュー・ガニオ

「三人姉妹」より パ・ド・ドゥ 
振付:ケネス・マクミラン
音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー (「ロマンス」op.51-5、「昼の輝きの中にも」op.47-6より)
ピアノ:久山亮子
アマンディーヌ・アルビッソン&オードリック・ベザール

「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」
振付:ジョージ・バランシン
音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー (「白鳥の湖」より)
ドロテ・ジルベール&ユーゴ・マルシャン

「くるみ割り人形」第2幕より グラン・パ・ド・ドゥ
振付:ルドルフ・ヌレエフ
音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
レオノール・ボラック&ジェルマン・ルーヴェ

「クローサー」より 〈日本初演〉
振付:バンジャマン・ミルピエ
音楽:フィリップ・グラス (「Mad Rush」より)
ピアノ:久山亮子
エレオノラ・アバニャート&オードリック・ベザール

「Sanzaru」 〈日本初演〉
振付:ティアゴ・ボァディン
音楽:フィリップ・グラス (ヴァイオリン協奏曲第2番「アメリカの四季」楽章2より)
シルヴィア・アッツォーニ&アレクサンドル・リアブコ

「瀕死の白鳥」
振付:ミハイル・フォーキン
音楽:カミーユ・サン=サーンス (「動物の謝肉祭」より第13曲「白鳥」)
ドロテ・ジルベール

「感覚の解剖学」より
振付:ウェイン・マクレガー
音楽:マーク=アンソニー・タネジ (「Blood on the Floor」より)
ローラ・エケ&ユーゴ・マルシャン

「アザーダンス」
振付:ジェローム・ロビンズ
音楽:フレデリック・ショパン (「マズルカ」op.17-4、op.41‐3、「ワルツ」op.64‐3、「マズルカ」op.63‐2、op.33‐2)
ピアノ:久山亮子
アマンディーヌ・アルビッソン&マチュー・ガニオ

「ル・パルク」より“解放のパ・ド・ドゥ”
振付:アンジュラン・プレルジョカージュ
音楽:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (ピアノ協奏曲第23番 K.488 第2楽章)
エレオノラ・アバニャート&バンジャマン・ペッシュ

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2016/08/15

【蕎麦】米沢の田園風景を眺めながら頂く十割そば。手打ちそば けやき(米沢市古志田町)

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 米沢市の田園地帯のなかにある「手打ちそば けやき」で腹ごしらえ。ホームページはこちらです。
Img_1531 ナビに従って進んで行くと、細いあぜ道のようなところに誘導されて行きます。位置表示が間違ってるんじゃないの?と思ったところでお店に到着。和風のいい感じの建物です。駐車場が少ないですが、みな工夫して譲り合って停めてます。
Img_1525 まるで故郷に帰省した気分。
 メニューは「もりそば」しかなく、普通盛、小盛、大盛を選べるだけです。お蕎麦が切れると打ち直したりするようで、ゆっくり待つつもりで来る必要がありそうです。
Img_1526 「もりそば」といっても、天ぷらがついてきました。夏野菜、美味しいです。
 お蕎麦は「でわかおり」という品種の蕎麦100%だそうです。蕎麦の香りが力強く広がります。つゆは鰹だし系のすっきりしたお味。とても美味しゅうございました。
Img_1530 最後にデザートとして小さなぜんざいが。
 雰囲気といい、味といい、おもてなしといい、なかなか高得点のお蕎麦屋さんだと思います。

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2016/08/14

【寺院】複雑な造形の茅葺き屋根が圧巻。笹野観音(山形県米沢市)

Img_1523 6月下旬、ぽん太とにゃん子が訪れたのは、山形県は米沢市にある笹野観音です。
 正式名称は長命山幸徳院笹野寺。真言宗豊山派に属するお寺です。公式サイトはこちら
Img_1504 現在の地に観音堂が築かれたのは弘仁元年(810年)。観音菩薩と羽黒権現が祀られました。しかし天保4年(1833年)、観音堂は炎上。幸い、秘仏だけは焼失を免れました。天保14年(1843年)、上杉斉憲公によって観音堂が再建され、今に伝わっております。
Img_1506 市指定文化財の観音堂は、お寺ではありますが社殿様式。屋根は茅葺きの入母屋造りで、正面から見ると大きな三角形の屋根(千鳥破風)がせり出し、また軒のラインが丸みを持ってせり上がってます(軒唐破風)。造形的に複雑で美しい仕上がりとなっており、冒頭の写真の角度から見ると、空に飛び上がって行きそうな勢いが感じられます。
Img_1508 軒下の彫刻も透かし彫りで細かく彫られており、とても見事です。
Img_1522 こんなところにも般若(?)の顔が。
Img_1518 不動明王が刻まれた石碑がありました。
 御本尊の観音菩薩は秘仏とされ、公開されておりません。
Img_1524 境内にはたくさんの紫陽花が植えられており、紫陽花寺とも呼ばれているそうです。

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2016/08/13

【温泉】源泉掛け流しで楽しむ6種類の浴槽。新高湯温泉・吾妻旅館(★★★★)

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 6月下旬、ぽん太とにゃん子は新高湯温泉・吾妻屋旅館に泊まってきました。「新高湯」は、いわゆる高湯温泉とはだいぶ離れており、天元台スキー場の近くにあります。公式サイトはこちらです。
 天元台スキー場の入口から細い道に入り、4WDでも大丈夫かと思うような急坂を登り詰めたところに、山小屋のような雰囲気の宿が見えてきます。実際、西吾妻山登山の拠点としての利用も多いようです。
 総檜の内風呂を初めとし、眺望露天風呂や根っこ風呂など、6種類の野趣あふれるお風呂を源泉掛け流しで楽しむことができるのも、豊富な湯量があればこそ。川魚や山菜が主体のお食事も美味しく、ぽん太の評価は余裕の4点です。

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Img_1488 急斜面のわずかな平地に土台を築いて建てられた建物。木材が多用されており、ちょっと鄙びた、山小屋のような雰囲気があります。
Img_1465 薪ストーブ、その上に置かれたヤカン、窓際に干されたゴム手袋。いい感じです。

Img_1467 狭隘な山中にありながら、6種類のお風呂を楽しめるのがこの宿の自慢。しかも、どれも源泉掛け流しです。
 まずは男女別の総檜風呂。黒ずんだ浴槽が年季を感じさせます。
Img_1469 源泉の注ぎ口もいいですね〜。
 お湯はほとんど透明ですが、微かに白濁しているかも、わずかに硫黄臭があり、舐めるとカルシウムの甘さが感じられます。灰褐色の湯の花が少し舞っております。温泉らしく、そして肌に優しいお湯です。
Img_1472_2 温泉分析表です(クリックで拡大します)。泉温は50.7度。pHは7.1とほぼ中性。泉質はカルシウムー硫酸塩温泉です。
Img_1473 加水・加温・循環・消毒なしの、正真正銘の源泉掛け流しです。
Img_1454 こちらは夕暮れの眺望露天風呂です。大きな浴槽に浸かって、広々とした眺望が楽しめます。
Img_1446 滝見露天風呂。浴槽はちょっと小さめですが、野趣溢れております。
Img_1447 根っこ風呂は、大きな切株を繰り抜いたもの。もうひとつ、寝湯タイプのものもあります。
Img_1464 貸切大樹風呂です。大樹をくりぬいたものですが、こう見えてけっこう大きいです。
 この他、「大岩たぬき風呂」がありますが、女性専用なので写真はございません。

Img_1474 夕食は、素朴な山のお料理がならびます。ニジマスのお刺身、イワナの塩焼き、うど・ふき・わらびなどの山菜、玉コンニャク、お蕎麦など。都会から来たぽん太とにゃん子にとっては、これこそが何よりのごちそうです。
Img_1491 朝食も美味しゅうございました。

Img_1492 翌日は梅雨の晴れ間でいい天気。腹ごなしに、宿から歩いて、天元台スキー場しゃくなげゲレンデの上部まで往復しました。樹々の緑がとても美しかったです。
Img_1502 大きなハクサンチドリが群生してました。

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2016/08/12

【バレエ】フェリさんお久しぶり。オールスター・バレエ・ガラ(Bプログラム)

 ジャパン・アーツ主催の「オールスター・バレエ・ガラ」。現役のスターに往年のスターも加わり、なかなか見応えがありました。歌舞伎でいえば、藤十郎の「藤娘」を観る感じかしら(わかるかな〜?)。時間もたっぷりで演目も盛りだくさんでした。

 しょっぱなからアレッサンドラ・フェリ(!)の「ラプソディ」。フェリの引退公演を観たのはいつのことでしょうか。ググってみると2007年。そのときフェリは43歳だったから……。そっから先は考えないことにしましょう!お顔はかなりしわがよってましたが、踊りは素晴らしかったです。

 次は、アナニアシヴィリの「白鳥」のグラン・アダージョ。う〜ん、これも踊ォりはいいけど……。体型が……。白鳥にしてはコロコロしすぎか

 ロパートキナはエルマコフと「Fragments of one's Biography」から何曲かを踊りました。ぽん太は2010年のボリショイ&マリインスキー・バレエ合同ガラで観てるはずですが、記憶なし。
 音楽は最初はタンゴ風ですが、途中からフォークロア風のものも出て来たり。ロパートキナは、タンゴ的な情熱や激しさはないけでど、柔らかくていつもながら完璧な踊り。あまり見せない笑顔が素敵でした。

 「ジゼル」では、久々に観るザハーロワが素晴らしかったです。指先まで神経が行き届いていて、どの瞬間をとっても美しい動き。どこまでも柔らかく優雅。先日のオシポワのビヨンビヨンとゴムまりのようなジゼル(それも悪くなかったけど)とは対照的でした。
 来年6月のボリショイ・バレエの来日公演、ザハーロワはもういかなと思ってパスしたけど、やっぱり観たくなってきました。
 しかし、こんなダンサーが、新国立のシーズンゲストで踊ってたなんて、信じられないですよね。

 マーフィーとエイマンの「リーズの結婚」は、どうしてもエイマンに目が行きます。若い恋人たちらしく明るく楽しそうな踊りでした。

 ロパートキナが再び登場して「プレリュード」。なんか……短かったです。

 マーフィーとエイマンの「フーケアーズ」も短いです。またまた若い恋人たちの踊りですが、こちらはガーシュインの音楽にのせたニューヨーク・テイストの振付け。

 「ディスタント・クライズ」。ザハーロワのコンテは初めてだと思いますが、とても素晴らしかったです。無音でしばらく踊った後に、アルビノーニのオーボエ協奏曲Op9-2の第2楽章にのせて、大人の男女のしっとりとした踊りが始まります。ロブーヒンもザハーロワに負けず柔らかく美しい動きを見せてくれました。振付けも良かったです。

 「レクリ」はジョージアの民族舞踊とのこと。アナニアシヴィリが持ち前の明るさを発揮して楽しかったけど、振付けと音楽は単調でした。

 フェリとコルネホの「ル・パルク」は、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番イ長調の第2楽章に乗せて、これまた男女の愛が踊られますが、「ディスタント・クライズ」より憂いが含まれてます。フェリならではの、そこいらの小娘には出せない感情表現が、素晴らしかったです。

 最後はカッサンドラ・トレナリーとマルセロ・ゴメスの「眠りの森の美女」。トレナリーはいかにもアメリカ人という感じの美人ですね。なんか振付けがちょっと変わってましたが、ラトマンスキー版のせいかしら?


オールスター・バレエ・ガラ≪Bプログラム≫
2016年7月27日
東京文化会館

「ラプソディ」(振付:F.アシュトン) アレッサンドラ・フェリ、エルマン・コルネホ [ピアノ:中野翔太]

「白鳥の湖」より第2幕アダージォ(振付:M.プティパ) ニーナ・アナニアシヴィリ、マルセロ・ゴメス

「Fragments of one's Biography」より(振付:V.ワシーリエフ) ウリヤーナ・ロパートキナ、アンドレイ・エルマコフ

「ジゼル」(振付:M.プティパ) スヴェトラーナ・ザハーロワ、ミハイル・ロブーヒン

「リーズの結婚」(振付:F.アシュトン) ジリアン・マーフィー、マチアス・エイマン

「プレリュード」(振付:N.カサトキナ) ウリヤーナ・ロパートキナ、アンドレイ・エルマコフ

「フー・ケアーズ?」より(振付:G.バランシン) ジリアン・マーフィー、マチアス・エイマン

「ディスタント・クライズ」(振付: E.リャン) スヴェトラーナ・ザハーロワ、ミハイル・ロブーヒン

「レクリ」(振付:V.チャブキアーニ~ジョージアの民族舞踊に基づく) ニーナ・アナニアシヴィリ

「ル・パルク」(振付:A.プレルジョカージュ) アレッサンドラ・フェリ、エルマン・コルネホ [ピアノ:中野翔太]

「眠りの森の美女」(振付:M.プティパ/A.ラトマンスキー) カッサンドラ・トレナリー、マルセロ・ゴメス

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2016/08/11

【バレエ】これだけのダンサーを集めたのにちと物足りず・バレエの王子さま

 あづいあづいあづいあづいあづい。
 もひとつおまけにあづい。
 暑くてブログを書く気もしないけど、どんどん時間がたってしまうので備忘録代わりにアップ。7月中旬に行なわれた「バレエの王子さま」です。公式サイトはこちらです。

 う〜ん、この公演、「バレエの王子さま」というタイトルと素晴らしい出演者をお目当てに集まったバレエファンのお嬢様方には、ちょっと物足りなかったんじゃないかな〜。全体に演目も少ないし、ダンサーの肉体やテクニックを披露するような振付けも少ないです。おじさんタヌキのぽん太から見ても、後半の東京バレエ団は止めておいて、「バレエの王子さま」と銘打つからには、「海賊」とか、もっと淑女の目がheart01になるような演目を入れた方が良かったんじゃないかな〜。ダンサーも踊り足りなかったと見えて、フィナーレで次々と高度な技を披露して激しく踊っておりました。これを本編で見たかったです。まさか佐々木忠次さんがお亡くなりになって、企画力が落ちてるなんてことはないですよね〜?

 さて、まずはサンフランシスコ・バレエのマリア・コチェトコワと、ABTのダニール・シムキンの「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」。これは柔らかく軽く可愛らしいコチェトコワの踊りが目につきました。

 次いで英国ロイヤルのエドワード・ワトソンのソロで「予言者」。世界初演とのことですが、なかなかよいコンテで、ワトソンも体が柔らかく、体のあらゆる部分を使って踊ってました。

 マリインスキーのウラジーミル・シクリャローフが踊った「バレエ101」は、ユーモラスな演目。アナウンスに従って、バレエのポジションを1番から6番まで披露するが、アナウンスは7番、8番……とどんどん続いて行き、ヘンテコなポジションも含めて最後は101番まで。付いて、番号を次々と連呼するアナウンスに従って、シクリャローフが超絶的なダンスを踊ってみせるという、陣内智則風な演目でした。

 シュツットガルトのダニエル・カマルゴが踊った「ファイヤーブリーザー」は一転して尾崎豊風(古いかしら)。カマルゴの逆三角形の上半身が凄かった。

 コチェトコワの「ワン・オーバーチュア」は、半分だけスカートがついたチュチュを着て踊る、コミカルなダンスでした。

 エドワード・ワトソンの世界初演と銘打った「月の光」は、振付けが全然ダメでした。音楽に併せてひらりひらりと踊るだけで、目新しい動きもなく、ドラマや雰囲気もなく、退屈でした。振付けのアラステア・マリオットは、英国ロイヤルのダンサーですね。6月の来日公演で、「ロミジュリ」の僧ロレンスとモンタギュー公を演じてた人やんか。彼の振付け作品は、たぶんこれまでぽん太は見たことないと思います。

 以前にも見た『同じ大きさ?』は、若者ギャング風で、こんかいも楽しかったです。ところでこの演目、使われている音楽の歌詞がわかったらもっと面白いんでないかい?ということで、ぽん太がバレエファンの皆様のために探してみました。
 ハズマット・モディーンは日本語のwikipediaには出てないですね。こちらのサイトにちょっと書いてあります。
 ハズマット・モディーンHazmat Modineは、ニューヨークを拠点に活動するバンド。ハーモニカ・各種弦楽器・ヴォーカルを担当するウェイド・シューマンを中心に2006年に結成されました。2007年のデビューアルバムが「バハムート」Bahamutで、そこに収録された同名の曲が今回のバレエに使われたものです。
 動画はこちら↓ただし音質はこちら(https://www.youtube.com/watch?v=VqnPr470bhc)の方がいいです。歌詞はこちらにあります。翻訳は……自分で自動翻訳にかけとくれ。

 後半は東京バレエ団の「エチュード」。う〜ん、最初に書いたけど、「バレエの王子さま」と銘打った公演でやる必要があんのかな〜。「バレエ101」とかぶってる気もするし。英国ロイヤルのサラ・ラムが光り輝いてました。

 


「バレエの王子さま」
2016年7月17日
文京シビックホール

- 第1部 -

オープニング
振付:ロマン・ノヴィツキ― 
音楽:オスバルド・フレセド
全員

『チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ』
振付:ジョージ・バランシン
音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
マリア・コチェトコワ
ダニール・シムキン

『予言者』(世界初演)
振付:ウェイン・マクレガー
音楽:テリー・ライリー
エドワード・ワトソン

『バレエ101』
振付:エリック・ゴーティエ
音楽:イェンス・ペーター・アーベレ
ウラジーミル・シクリャローフ

『ファイヤーブリーザー』
振付:カタジェナ・コジルスカ
音楽:ルドヴィコ・エイナウディ
ダニエル・カマルゴ

『ワン・オーバーチュア』
振付:ヨルマ・エロ
音楽:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
マリア・コチェトコワ

『月の光』(世界初演)
振付:アラステア・マリオット
音楽:クロード・ドビュッシー
エドワード・ワトソン

『同じ大きさ?』
振付:ロマン・ノヴィツキ― 
音楽:ハズマット・モディーン/ウェイド・シューマン/バハムート
ダニエル・カマルゴ、レオニード・サラファーノフ、ダニール・シムキン

- 第2部 -

東京バレエ団
『エチュード』
振付:ハラルド・ランダー 
音楽:カール・チェルニー/クヌドーゲ・リーサゲル

(ゲスト)
エトワール:サラ・ラム
レオニード・サラファーノフ
ウラジーミル・シクリャローフ

白の舞踊手(ソリスト):沖香菜子 岸本夏未
東京バレエ団


フィナーレ
振付:ロマン・ノヴィツキ― 
音楽:ジョルジュ・ビゼー
全員

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2016/08/10

【仏像】平安時代の5躯の重文は圧巻・放光寺(山梨県甲州市塩山)

Img_1414 6月上旬、ぽん太とにゃん子は、山梨県は塩山にある放光寺を訪れました。 場所は、武田氏の菩提寺として有名な恵林寺の少し北。ここは平安時代の国重文が何躯もあります。こちらが放光寺の公式サイトです。
Img_1426 放光寺は、平安時代に山岳仏教として一之瀬高橋に建立されました。一之瀬高橋は、現在の位置から北東の山中で、埼玉県との県境近く、多摩川の源流として知られる笠取山の南に位置します。
Img_1412 寿永3年(1184年)、甲斐源氏の一族であった安田義定により、現在の地に移されました。義貞は、大日如来、愛染明王、不動明王などの仏像を京都から勧請し、また奈良の仏師成朝を招いて金剛力士像や毘沙門天像などを造らせました。大小の伽藍は武田氏滅亡のおりに織田軍によって焼き払われ、現在の建物はその後に再建されたものだそうです。

 宝物殿のなかに、大日如来坐像、不動明王立像、愛染明王坐像が安置されております。平安時代の重文の仏像が並んだ様は、なかなかの迫力です。
 中央に位置する大日如来坐像は、智拳印を結ぶ金剛界のお姿。写真撮影禁止なので、たとえば放光寺のサイト(こちら)を御覧下さい。まことに整った都風の仏像で、優美で厳かな感じがします。円派の作と考えられるそうですが、院派と円派の違いはぽん太には皆目わかりません。

 目を引くのが向かって左側の愛染明王坐像です。写真はこちらをどうぞ。ちなみに冒頭の写真は、現在愛染堂に祀られているものです。
 三眼六臂のお姿は定番ですが、空に向かって弓を引いているのが珍しいです。『瑜祇経』第五品のなかにある偈頌(げしゅ)「衆星の光を射るが如し」の部分を再現したものだそうで、他には高野山金剛峯寺や、京都府木津川市の神童寺の像が有名だそうです。放光寺のものは、天弓愛染明王としては日本最古だそうです。
 憤怒の相を浮かべ、六本の腕の日本で空に向かって弓を引き絞るという複雑な造形ですが、躍動感溢れる鎌倉時代の仏像とは異なり、平安らしくパワーを内に秘めた仏様です。

 不動明王立像(写真)もまた、腰を軽く右にひねり、羂索を持つ左手はだらりと下げられており、衣紋も細かく流麗。不動明王とはいっても、優しい感じで、ちょっと素朴な像です。

Img_1429 金剛力士像も重文ですが、こちら写真撮影可です。大仏師・成朝の作と言われております。こちらは鎌倉時代らしい力強い造形で、肋骨部分のボコボコや、胸筋の中央に走る横の線など、デフォルメされた筋肉の表現も見事です。
Img_1428両像の鬢だけを剃り残した髪型や、吽形の裾が風でまくれ上がって腿が見えるような表現は、全国的にも珍しいものだそうです。

Img_1410 毘沙門堂には、県指定の毘沙門天像が安置されております。絢爛豪華に彩色されておりますが、これは江戸時代になされたものだとのこと。しかし、弓なりに反った身体や、威張ったような表情など、なんか平安後期から鎌倉時代の仏像とは思えないところがあります。彩色と同時に改修もされたのかしら?

Img_1422 最後に、お茶とお菓子のサービス付き。お庭を見ながら頂きました。


放光寺(山梨県甲州市塩山)

木造大日如来坐像 木造漆箔 像高95.4cm 平安時代 国指定重要文化財
木造天弓愛染明王坐像 檜材・寄木造・彩色 像高は89.4cm 平安時代 国指定重要文化財
木造不動明王立像 平安時代 国指定重要文化財
木造金剛力士立像(2躯) 檜材・寄木造・彩色。像高阿形像263.0cm・吽形像264.0cm。鎌倉時代 国指定重要文化財

毘沙門天像 江戸時代に彩色 像高147.8cm 平安後期・鎌倉時代 県指定

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