【仏像】慈愛に満ちた見返り阿弥陀・堂森善光寺(山形県米沢市)
山形県は米沢市にある堂森善光寺に、見返り阿弥陀を見に行ってきました。公式サイトはこちらです。
見返り阿弥陀というと、京都の永観堂の「みかえり阿弥陀」が有名ですね。ぽん太も拝観したことがあります。写真は永観堂の公式サイト(こちら)にあります。
永観堂のみかえり阿弥陀は、平安後期から鎌倉時代の作。整った造形で、厳かさが感じられます。
この阿弥陀様には有名な伝説があります。僧・永観(ようかん)が50歳の頃、阿弥陀様のまわりの念仏しながら歩くという修行を行なっていると、とつぜん阿弥陀様が動き出し、壇から降りてきて、永観を先導して念仏を唱え出しました。驚いた永観が思わず立ちつくすと、阿弥陀様は振り返って、「永観、おそし」と声をかけたそうです。
もちろん阿弥陀様は、永観が立ち止まったから「遅い」と言ったのではなく、永観の修行の進展の遅さを指摘したのでしょう。それは深い慈愛に根ざした言葉だとは思いますが、50歳前後と言えば平安時代としては老人です。老僧を叱咤激励するという厳しさが、確かにこの像には感じられます。
一方、堂森善光寺の見返り阿弥陀様は、腰から上を柔らかくひねって振り向いており、表情も柔和で慈愛に満ちております。衆生を極楽浄土に導いて行く際に、心配になってちょっと振り向いたお姿のような気がします。
こちらにも伝説があって、源頼朝方の軍勢に追われる益王姫は、家に伝わる阿弥陀如来像を背負って逃げましたが、出羽の国にたどり着いたところで追っ手に見つかってしまいました。すると背中の阿弥陀様が突然振り返って追っ手をにらみ倒し、難を逃れたというものです。
しかし、この阿弥陀様からそのような荒々しさは全く感じられず、ちょっとそぐわない気がします。
ちなみに全国には見返り阿弥陀様はどれくらいおるのかいな?ぐぐってみると、5つと書いてるサイトがあり、そのうち一つは群馬県高崎市の萬日堂のようですが、正確なところはよくわかりません。
見返り阿弥陀様が安置されているがこの阿弥陀堂です。現在のものは、寛延三年(1750)に再建されたものとのこと。なんだか屋根の形とかが同じ米沢にある笹野観音堂に似てますね。
阿弥陀様はかなり奥の方に安置されていて、遠くからの参拝となります。また像高51cmと小さめなうえ、色が黒いので、双眼鏡を使ってもよくお姿がわかりません。
この阿弥陀堂には、ほかに「善光寺三尊」も祀られております。
阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩からなる阿弥陀三尊像ですが、いわゆる「善光寺式阿弥陀三尊像」です。信州の善光寺の阿弥陀三尊像のお姿を模して作られたもので、特徴としては、阿弥陀如来の下げた左手が、指をそろえたチョキみたいな「刀印」を結んでいることや、服が両肩にかかっていること(通肩)、観音・勢至菩薩が両手の平を胸の前で水平に合わせた「梵筐印」(ぼんきょういん)を結び、独特の宝冠をかぶっているなどがあげられます(善光寺式阿弥陀三尊 - Wikipedia)。
このお寺は「善光寺」ですから、「善光寺式」阿弥陀三尊像があっても何の不思議もないのですが、そうなるとこの堂森善光寺の御由緒が気になってきます。しかし、なぜ米沢のこの地に善光寺が作られたのか、公式サイトにも詳しくはかいてありません。
仁王門です。火災で焼失後、明和2年(1765)に再建されたものを、昭和50年(1975)に建て替えたものだそうです。
仁王様は素朴系です。まずは阿形。
こちらが吽形です。
「子育て地蔵堂」のお地蔵様。ちょっと桂文枝が入ってます。
前田慶次供養塔です。ぽん太は初めて聞いた名前ですが、前田利家の甥で、のちに上杉影勝に遣えたそうです。晩年はこの地・堂森で悠々自適の生活を送りましたが、生来の変わり者で奇行が目立ったそうです。
このお寺には、他に県指定重要文化財の「伝 長井時広夫婦坐像」 があるはずですが、どこに居るのかわかりませんでした。
堂森善光寺(真言宗豊山派 松心山光照院 善光寺)
山形県米沢市万世町堂森山下375
阿弥陀如来立像(見返り阿弥陀) 桂材 一木造 像高51cm 鎌倉時代 県指定
善光寺三尊(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩) 室町時代
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