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2017年2月の15件の記事

2017/02/28

【仏像】笑う観音様たち/即成院(京都)

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 即成院は、京都の南東にある泉涌寺の塔頭(たっちゅう:大きな寺院に寄り添って建てられた小院)のひとつです。ここではひな壇にみっちり並んだ観音様を拝むことができます。


【寺院名】御寺泉涌寺塔頭 光明山 即成院
【住所】京都府東山区泉涌寺山内町28
【拝観】拝観料500円。
【仏像】
阿弥陀如来 像高550cm 平安時代 重要文化財
二十五菩薩 10体は平安時代・15体は江戸時代 重要文化財
如意輪観音 重要文化財
【ホームページ】http://www.negaigamatoe.com/index.html
【写真】上記ホームページに多数あり。


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 こちらの本堂のなかに仏様がいらっしゃいます。内陣に入って、間近で仏様を拝むことでできます。

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 写真は禁止なので、成就院の案内板の写真を載せておきます。もっときれいな写真は、お寺のホームページにあります。
 上の写真だと、横に広がった感じですが、実際は狭いお堂の中にぎっしり入っていて、高さを感じます。中央に大きめの阿弥陀如来様がおり、左右にはひな壇状に二十五菩薩が並んでおりますが、左側手前には番外の如意輪観音さまもおられます。阿弥陀如来と、二十五菩薩のうちの10体、如意輪観音が平安時代のもので、残る15体の菩薩さまは江戸時代の後補です。

 中尊の阿弥陀如来は、像高550cmと大きめ。定印を結んでいて、光背には化仏が並んでいます。お顔はおちょぼ口でアゴがこぶ状に膨らんでいます。半眼で瞑想に耽っているようなお顔で、荘厳さが感じられ、いわゆる定朝様のお姿です。

 二十五菩薩は、最初はその数に圧倒されますが、しばらくするとそれぞれの個性が見えてきます。当初の平安時代のものと、江戸時代に造られたものがあり、わかりやすく表示されています。
 で、平安時代の方が圧倒的にすばらしいです。それぞれ楽器を奏でているのですが、そのにこやかなお顔といったら!普通によくある「微笑み」ではなく、宴会をしている庶民みたいに嬉しそうな笑いです。何か定朝様以降の荘厳ですましたような仏様とは異なる、アルカイックでおおらかで、民衆的なものを感じます。こういう仏様は初めてのような気がします。
 中尊の両脇時は決まり通り観世音菩薩と勢至菩薩。向かって右の観世音菩薩は、両手で蓮台を捧げ持ち、勢至菩薩は合掌してらっしゃいます。二十五菩薩の場合の決まったお姿だそうです。

 一番左の手前にいらっしゃる如意輪観音菩薩を見逃してはなりません。本来の二十五菩薩には入っておらず、26番目の番外扱いらしいですが、なかなかの美仏で、優しい微笑みを浮かべ、柔らかな姿態です。会社の宴会で、酔いつぶれた同僚たちを微笑みながら眺める、課のマドンナ女子社員といったところでしょうか。

 ところで、「二十五菩薩」という考え方がどこから来たのかが気になりますが、ググってみると「十往生阿弥陀仏国経」(十往生経)から来ているようです。ネット上のテキストは、ちょっと見つかりませんでした。このお経に関しては、偽経との説もあるようですね。
 源信は『往生要集』で「十往生経」を引用し、阿弥陀如来を念仏(お姿をしっかり心に思い描くこと)のご利益として、仏が二十五菩薩を遣わして守ってくれることで、心の安寧が得られると説き、具体的に二十五菩薩の名前を挙げています。こちらの「山寺」というサイトの「往生要集 巻下」から、「廿五菩薩」というキーワードを検索してみてください。
 ん?でも、来迎(臨終のときに迎えにくる)とは書いてないな。二十五菩薩の概念がどのように変遷してきたのかについては、よくわかりませんでした。
 翻って即成院の仏像を見てみると、即成院 - Wikipediaによれば、中尊の阿弥陀如来が、臨終にお迎えに来るときの定番の「来迎印」ではなく「定印」を結んでいることや、阿弥陀如来と二十五菩薩の作風が違うこと、お寺の創建当初に来迎二十五菩薩信仰が存在したと思われないことなどから、当初は別の形で祀られていたのが、時代とともに今の形に変えられたと考えられるそうです。

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 即成院のもう一つの見所、那須与一の墓です。即成院のホームページによると、与一は熱心に即成院の阿弥陀様を信仰し、最後は阿弥陀様の前で亡くなったんだそうです。
 あれれ、那須与一は伏見で亡くなったのでは?と思うかもしれませんが、即成院は元々は伏見にあったのですが、廃仏毀釈で廃寺とり、後に泉涌寺の塔頭として復活したんだそうです。

 理屈はともかく、これだけの仏様に歓待されて、嬉しくないはずがありません。このお寺は、「現世でも極楽。来世でも極楽。」というやわらちゃんみたいな願いを叶えてくれるそうですが、まさにそんな気持ちになること間違いなし!


 ついでに泉涌寺の楊貴妃観音にお目にかかっていこうかと思ったのですが、残念ながら京都国立博物館に出張中でした。

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2017/02/27

【仏像】中山文殊と吉備観音・金戒光明寺(京都)

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 「京の冬の旅」特別公開の金戒光明寺に行ってきました。高校の修学旅行で行ってなければ、たぶん初めてだと思います。

 幕末に、京都守護職を仰せつかった会津藩主の松平容保公が陣を張ったところとしても有名で、一度訪れたいと思っておりました。
 またこのお寺は浄土宗の法然上人が開いたもので、「黒谷」と呼ばれております。法然は比叡山の黒谷で修行をしておりましたが、承安5年(1175年)に山を下って歩いていて、大きな石に腰を下ろしたところ、紫の雲と金色の光が現れたことからそこに草庵をむすんだのが、金戒光明寺の始まりだそうです。そこでこの地も黒谷と呼ばれるようになりましたが、区別するために比叡山の方を元黒谷、こちらを新黒谷と呼んだりもしたそうです。
 黒谷というと、歌舞伎好きのぽん太が思い出すのは、「一谷嫩軍記」で熊谷直実が出家を決意して言う「われは心も墨染めに、黒谷の法然を師と頼み教えを受けん」という台詞。その黒谷は、比叡山か、金戒光明寺か!?
 ぐぐってみると、熊谷直実の出家は建久4年(1193年)頃とされてますので、熊谷直実は、ここ金戒光明寺を訪ねたことになりますね!! ま、どうでもいいんですけど。
 仏像としては、重要文化財の千手観音と、イケメンの渡海文殊菩薩が見所ですね。


【寺院名】浄土宗大本山 紫雲山・くろ谷 金戒光明寺
【住所】京都府京都市左京区黒谷121
【拝観】拝観料、忘れたけどたぶん600円くらい。ボランティアの人(?)があちこちにいて、詳しく説明してくれます。
【仏像】
吉備観音 像高260cm 重要文化財
中山文殊 市指定 
 文殊菩薩・優填王・仏陀波利三蔵・最勝老人 伝運慶 市指定
 善財童子 

五劫思惟阿弥陀仏 江戸中期
【ホームページ】http://www.kurodani.jp/
【写真】小さめですが、上記のホームページにあります。


 広々とした伽藍を持つお寺です。万延元年(一八六〇年)に造られた壮大な山門(冒頭の写真です)をくぐって境内に入ります。仁王様はおりませんね。

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 御影堂(大殿)は昭和19年再建の新しい建物。中に入ると、正面に法然上人の御影(絵)が祀られておりますが、手前に御簾がかかっていてあまりよく見えません。
 ここまでは無料ですが、奥に入って中山文殊・吉備観音や庭園などを見るには、拝観料を納める必要があります。

 御影堂の向かって左奥に、まず中山文殊が安置されており、かなり近くで見ることができます。
 獅子に乗った文殊菩薩を中心に、手綱を執る優填王(うてんおう)・仏陀波利三蔵(ぶっだはりさんぞう)・最勝老人(さいしょうろうじん)・善財童子(ぜんざいどうじ)がそろった渡海文殊です。
 渡海文殊は、仏教を広めるために旅をしている姿だと言われておりますが、なぜこの5人なのかは、以前に調べてみたけどよくわかりません。中国の五台山の「文殊説話」が元になっているなどと書いているサイトもありました。
 5人のうち善財童子は、他の仏像が市指定文化財になったおりに、新しく造られたものです。
 文殊様はなかなかのイケメン。獅子がかなりがっしりしていて、大きく感じます。文殊様の衣が、まるで絹のように薄くてヒラヒラしていて柔らかいです。
 元々は中山宝幢寺(ほうどうじ)の本尊でしたが、応仁の乱で廃寺になったあと小堂で祀られていたところを金戒光明寺の方丈に遷座。あとに書く三重塔ができたとき、その本尊としておさめられたそうで、このような由来から中山文殊と呼ばれるそうです。

 御影堂の向かって右奥には、吉備観音が安置されてます。
 奈良時代に遣唐使の吉備真備が船で遭難しそうになったとき、「南無観世音菩薩」と唱えたところ難を逃れたことから、その時に唐から持ち帰った栴檀香木を使って行基菩薩に彫ってもらったという言い伝えから、吉備観音と呼ばれているそうです。元々は吉田中山の吉田寺に祀られておりましたが、寛文8年(1668年)に廃寺となったため、金戒光明寺へ移されたそうです。
 数メートル離れての拝観で、像が黒くて見えずらかったのですが、目は逆三日月で、口元も引き締まり、ちょっと厳しい表情に見えました。
 隣にはその吉備真備の像がありました。

 また、涅槃図が公開されてました。大きな絵で、よく見ると刺繍が施されて盛り上がってました。

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 特別公開の紫雲の庭です。枯山水の美しい庭で、拝観ルートを歩いて奥の方までいくことができます。

 幕末に会津藩の詰め所になっていたとのことで、松平容保や八重の書なども展示してました。松平容保が近藤勇らと謁見した間や、虎の間も公開されていました。
 恵心僧都最終の作といわれる本尊の阿弥陀如来さまは、残念ながら公開されておりませんでした。

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 三重塔(重要文化財)です。徳川秀忠の菩提を弔うために建立されたそうで、中山文殊は以前はこのなかに祀られていたそうです。

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 アフロの仏様、五劫思惟(ごこうしゆい)阿弥陀仏です。「無量寿教」によると、阿弥陀さまは衆生を救うために非常に長い間思惟をこらして修行をしていたそうで、その間に髪の毛が伸びてしまって羊のクリス(CNNニュース)のようになってしまったんだそうです。全国で16体しかないんですってよ、奥さま。

 ぐぐってみると、熊谷直実鎧掛けの松や熊谷堂(蓮池院 )、熊谷一族墓所などの、熊谷直実ゆかりのスポットもあるようで、公開してるかどうかわかりませんが、そのうちチェックしてみたいです。

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2017/02/26

【仏像】何度見てもすばらしい!東寺再訪(京都)

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 2年ぶりに東寺を再訪。前回は仏像巡りを始めたばかりだったので、わからないことが多かったですが、にゃん子がイケメンの帝釈天にすかさず目を付けたのはさすがでした。
 東寺はとにかく仏様が多くて、リストアップするだけで一苦労です。

【寺院名】真言宗総本山 教王護国寺 東寺
【住所】京都府京都市南区九条町1番地
【拝観】拝観料:大人800円くらい。時期や公開内容で、拝観料や拝観時間が変動するので、ホームページなどで確認を。
【仏像】
講堂
 五仏坐像(大日如来、阿閦如来、不空成就如来、阿弥陀如来、宝生如来)
  大日如来 木造 室町時代 康珍作 重要文化財
  阿閦・不空成就・阿弥陀・宝生 木造 江戸時代 重要文化財(附指定)

 五大菩薩坐像(金剛波羅密多菩薩、金剛薩埵菩薩、金剛法菩薩、金剛業菩薩、金剛宝菩薩)
  金剛波羅密多菩薩 江戸時代 国宝(附指定)
  金剛薩埵・金剛法・金剛業・金剛宝菩薩 一木造・乾漆 平安時代 国宝

 五大明王坐像(不動明王、金剛夜叉明王、大威徳明王、軍荼利明王、降三世明王)
  木造彩色 平安時代 国宝

 四天王立像 木造彩色 平安時代 国宝

 梵天坐像・帝釈天半跏像 木造彩色 平安時代 国宝

金堂
 木造薬師如来および両脇侍像(薬師三尊) 木造漆箔 桃山時代 康正作 重要文化財
 十二神将像 木造漆箔 桃山時代 康正作 重要文化財

五重塔
 金剛界四仏像・八大菩薩像 江戸時代

大師堂
 不動明王 国宝(秘仏で見れません)
 弘法大師像の模像 江戸時代
【ホームページ】http://www.toji.or.jp/
【写真】上記のホームページの中に、仏様の様々な写真があります。
 また、下記のサイトでは、立体曼荼羅の仏像の写真がすべて見られます
  ・http://japantemple.com)。
  ・http://www.touji-ennichi.com/info/koudo_j1.htm

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 (大日如来(奥)と阿弥陀如来(手前):Wikipediaからパブリックドメインの写真です)

 まずは講堂から。
 この2年間に様々な仏像を見たぽん太とにゃん子ですが、それでも東寺の講堂の立体曼荼羅は圧巻。やはり圧倒されます。五仏と金剛波羅密多菩薩(菩薩部の中央仏)を除くと、空海の時代の仏像がそのまま残っているんですから、すごいとしか言いようがありません。
 室町や江戸の補作も混ざってますが、何となく表情や姿勢が様式的な印象をうけます。やはり平安時代の仏様の古風な表情が魅力的です。
 でも、こんかいググってみたら、イケメン帝釈天の顔は後補なんですね。ん〜残念。
 不動明王は、日本最古のものだそうです。

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 (薬師如来坐像と十二神将:Wikipediaからパブリックドメインの写真です)

 金堂にはご本尊の薬師三尊と十二神将がいらっしゃいます。まずその大きさに圧倒されます。中尊の像高は2.88mですが、七仏薬師を配した光背が立派で、台座の下に十二神将が組み込まれているので、見上げるような大きさに見えます。桃山時代らしい荘厳で装飾的な彫刻です。薬師如来は、左手に壷を持ってないのが珍しいですね。左足を上にして座っているのも珍しいんだそうですが、今回は見落としました。座っている台の上に衣を垂らすお姿は元来は古風な様式ですが、衣の襞が非常に装飾で、衣の裾だか台座のカバーだかわからないくらいです。

 今年も五重塔の初層を特別公開しておりました。塔の心柱を大日如来に見立てての、金剛界四仏像・八大菩薩像を参拝。

 御影堂で秘仏の国宝・不動明王に扉の外から参拝。
 前回に見損なった、運慶の息子の康勝作の、国宝の弘法大師坐像を見ようかと思ったら、御影堂が修復中で、仮の建物に江戸時代の模像が祀られてました。

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2017/02/25

【居酒屋、喫茶店】梅乃宿温酒場・桜屋珈琲館(大阪北浜)、酒亭ばんから・高木珈琲店高辻本店(京都市)

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 大阪の北浜にホテルを取りましたが、あいにくの日曜日。オフィス街なので飲み屋がやってニャイ!居酒屋を求めてうろついていると、なにやらいい雰囲気のお店を発見!梅乃宿温酒場というお店です。ホムペがなさそうなので、食べログにリンクしておきます(こちら)。
 ちょっとレトロな感じのおしゃれな居酒屋風の内装で、お兄さんが切り盛りしてます。びっくりするのは値段の安さ。お酒が450円とか書いてあって、当然これは半合か、あるいはひょっとして半合より少ないグラスかもしれないと思っていたら、しっかり一升来ました。肴もとっても美味しく、とくにおでんは絶品でした。
 なかなかいいお店です。


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 翌朝は、レトロな味わいのある青山ビルディングの喫茶店にモーニングを食べに行きました。

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 何年か前に来た時には丸福珈琲店というお店でしたが、久しぶりに来てみると桜屋珈琲館というお店に変わってました。公式サイトはこちらです。内装がちょっとカジュアルになって、出勤前のサラリーマンが目立ちました。

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 ホットサンドにカフェオレをいただきました。おいしゅうございました。普通のコーヒーはサイフォンで入れてくれるようです。


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 翌朝は、松竹座で歌舞伎を見てから一路京都へ。京都に引っ越した牛さん夫妻と飲みました。お店は、牛さんが探してくれた酒亭ばんから。先斗町にあるのですが、細い路地を入ったところにあるので、知らないとちょっと入れないお店です。ホムペないので、食べログにリンク。

Img_4441 お肴は、お造りに居酒屋定番メニューから、創作系の京料理まで。写真は牡蠣の松前焼です。牡蠣を昆布の上で焼いた一品。牡蠣好きのぽん太もコリャ初めてです。お酒もおいしゅうございました。


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 翌朝の朝食は、高木珈琲店高辻本店に行きました。食べログはこちら。いかにも老舗の喫茶店という感じ。店員さんが皆60歳以上くらいのおじさんです。

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 バターたっぷりの厚切りトースト。コーヒーはサイフォン式。おいしゅうございました。

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2017/02/24

【仏像】箱根に重要文化財の仏像があるって知ってる?(元箱根石仏群・神奈川県)

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 皆さんは、箱根に国重要文化財の仏像があるって知ってました?あるんです。石仏ですけど。

 箱根駅伝で有名な国道1号線。往路のゴールがある芦ノ湖に出る直前、芦ノ湯温泉を過ぎたあたりに、元箱根石仏群があります。昨年の10月にぽん太は行ってきました。


【寺院名】なし
【住所】宮神奈川県足柄下郡 箱根町元箱根110−228(地図
【拝観】拝観無料。「石仏群と歴史館」前に無料駐車場あり。「曽我兄弟の墓」バス停のところにも数台停められます。
【仏像】
元箱根石仏群
 元箱根磨崖仏(二十五菩薩) 鎌倉時代 国重文
 元箱根磨崖仏(六道地蔵) 正安2年(1300) 国重文
 地蔵菩薩立像(応長地蔵) 像高3.2m 応長元年(1311) 国重文
【ホームページ】
箱根全山|箱根観光情報ポータルサイト
箱根町


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 「石仏群と歴史館」前に車を停めて、小径を歩いていくと、両側にいくつもの石仏や石塔が現れます。その中のいくつかが、国の十分に指定されております。
 最初にご紹介するのは応長地蔵。小さめな岩に掘られたお地蔵さんで、向かって左に大きめの1躯、右下に小さい2躯があり、全部で3躯からなります。彫られた文字から応長元年に造られたことがわかり、応長地蔵と呼ばれております。
 錫杖と宝珠を持つ定型的なお姿ですが、お顔は賢く温厚な村おさのようで、遠く未来を見やっております。

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 次は通称二十五菩薩。大きめの岩に、多数の仏様が刻まれております。

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 永仁元年(1293)年から順次彫られたものだそうです。二十五菩薩と呼ばれているものの、実際は26躯で、写真の岩に23躯、国道1号線の反対側に3躯あります。また、そのうち2躯は地蔵菩薩ではなく、阿弥陀如来と供養菩薩です。

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 こちらが供養菩薩です。なにやら捧げております。供養菩薩というのがどういうものなのか、ググってみたけどよくわかりません。

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 阿弥陀如来は…。探して見たら、ここに写り込んでいました。


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 そして圧巻はこの建物のなかに。国道の反対側にありますが、そちら側からは近づけず、反対側からトンネルをくぐってアプローチします。

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 じゃ〜ん!六道地蔵です。でかいです。3.2メートルあるそうです。

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 かなり風化が進んでいて、特にお顔が著しいようです。磨崖仏とはいえ彫りが深く、ほとんど彫像のように見えます。なかなかの存在感です。建物は復元されたものだそうです。

 なぜこのあたりに石仏群ができたのでしょうか。上に引用したサイトに書かれています。

 その前に、箱根付近の東海道の変遷をおさらいしておきましょう。たとえばこちらのサイトをご覧ください。

 律令時代には、沼津から御殿場、足柄峠を通って関本に抜ける、ほぼ現在の県道78号線にあたる、「足柄路」が使われておりました。ところがこの道は富士山の延暦噴火(800年〜802年)によって通行不能となり、替わりに三島から箱根峠を経て小田原に抜ける「湯坂道」が切り開かれました。上の地図の、上側のコースですね。ちなみにぽん太が推定して描いた道なので、細かい所など違っている可能性がありますので、ご注意下さい。元箱根から、石仏群の近くを通って芦之湯に出、ここから国道1号線を離れ、鷹巣山に登ります。そして尾根伝いに浅間山に下り、そこで90度右に曲がって、尾根通しに城山、湯坂山を経て、箱根湯本に下ります。
 この道、現在も登山ルートはあるようなので、そのうち歩いてみたいです。
 足柄道は間もなく復旧しましたが、湯坂道は箱根越えの道として残りました。湯坂道の交通量は徐々に増え、鎌倉時代以降はこちらが宮道となり、メインルートとして使われるようになりました。
 江戸時代に入って慶長9年(1604)に新しい東海道が拓かれました。元箱根から東に進んで二子山の南を回り込み、あとは須雲川に沿いに箱根湯本に下る道で、大雑把に言うと現在の箱根新道に平行した道で、いわゆる箱根旧街道石畳として整備されているものです。

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 というわけで、現在の石仏群の近くを通る湯坂道は、鎌倉時代に盛んに人が歩くようになりました。その際に、温泉の煙が上がり、池があり、荒々しい岩が露出したこのあたりが「地獄」と重ね合わされるようになりました。

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 お釈迦様がお亡くなりになったあと、56億7000万年すると弥勒菩薩が仏となり、われわれを救ってくれることになっております。では仏のいないその間(現在もそうですが……)はどうするかというと、地蔵菩薩が六道を輪廻する人々を救ってくれることになっております。ということで、六道のひとつの地獄から救ってくれるお地蔵様の像が、このあたりに作られたことになります。
 江戸時代になるとこの辺りは主要ルートから外れましたが、湯治客が「曽我伝説」などとも結びつけて、観光名所として訪れるようになったそうです。当時の代表的な温泉案内書『七湯の枝折』(1811年)にも箱根山名所の一つとして紹介されているそうです。
 う〜ん読んでみたい。国会図書館デジタルコレクションに「七湯栞」という本があるが(こちら)毛筆なのでぽん太には読めません。

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2017/02/23

【歌舞伎】松也の碇知盛、右近の御注進もいい。2017年2月大阪松竹座午前の部

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 大阪松竹座の花形歌舞伎、午前の部は、松也の碇知盛。

 松也くん頑張ってて悪くなかったけど、松竹さんにひとこと言いたい!(`Д´) この演目と配役は、東京でいえば浅草歌舞伎ではないか?それを「花形歌舞伎」と銘打って高いチケット代を取るなんて、大阪人をなめとるのでは?案の定ぽん太がいた3階席は、平日だったせいもあるかもしれないけど、前の数列以外はガラガラでした。

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 反対にぜひ褒めたいのは、松竹座3階席最前列の手すり。上部の15cmくらいがガラスになっております。このためとても舞台が見やすく、最前列の人が身を乗り出す必要がありません。二列目以後の人も見やすいと思います。この方式が許されるのなら、ぜひほかの劇場でも採用して欲しいものです。
 さらに、ガラスが乗っている木製の柵の上部が、手前が低く斜めになっているのもポイント。東京の歌舞伎座などでは、係員の女性が幕間に「手すりの上に物を置かないでください」と何度も案内してますが、このように最初から物を置けないようにしておけば簡単です。


 最初のご挨拶は本日は梅枝でした。時間が短くて、演目を紹介しただけであっという間に終わってしまいました。もうちょっと浅草ぐらい、いろんな話しをして欲しかったです。

 松也の銀平・知盛は、細かいこといったらきりはないけど、なかなか良かったです。でもやはり最後にもっと寂寥感が漂って欲しい。そのためには、その前のところで、義経への復讐の鬼と化した知盛の凄まじさが必要です。
 典侍の局の壱太郎、気合いが入ってたけど、浅草の吃又に引き続き、今回もちょっとまわりから浮いてました。また猿之助に教わったらしいです。
 入江丹蔵は右近。女方では定評ある右近くんですが、若侍役はちょっと珍しいかも。悪くなかったです。
 慎吾の義経は気品があり、歌昇の弁慶はそれらしく見えました。

 梅枝、種之助、新悟の「三人形」は、若さと勢いがあって楽しかったです。常磐津の巴瑠幸太夫が、師匠の故・一巴太夫ゆずりの柔らかな喉を聞かせてくれました。

二月花形歌舞伎
大阪松竹座
2017年2月13日

午前の部

〈ご挨拶〉
 梅枝

一、義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
   渡海屋
   大物浦

 渡海屋銀平実は新中納言知盛:松也
 女房お柳実は典侍の局:壱太郎
 入江丹蔵:右近
 相模五郎:種之助
 源義経:新悟
 武蔵坊弁慶:歌昇

二、三人形(みつにんぎょう)

 若衆:梅枝
 奴:種之助
 傾城:新悟

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2017/02/22

【演劇】初ケラでぽん太感激!「陥没」ケラリーノ・サンドロヴィッチ

 野田演劇にちょっと食傷気味になってきたぽん太、新たな世界を開拓すべく、ケラリーノ・サンドロヴィッチの「陥没」を観に行ってきました。特集サイトはこちらです。

 ケラの名前は以前から牛先生に聞いて知っておりましたが、これまで観たことはありませんでした。野田に行った時のチラシの中に「陥没」があったので、早速チケットを取ろうと思ったら売り切れ。時々チェックをしていたら、キャンセルだか関係者関の解放だかあったのか、偶然に1回中央のいい席が取れました。

 で、ケラリーノ・デビューの印象ですが、とっても面白かったです。
 絶叫・肉体派の野田秀樹と異なり、ちょっと飄々とした軽い感じのセリフ劇。最初は真面目な劇かと思ってたら、途中からぶっ飛んできてドタバタになり、最後はほろりときました。
 チェーホフと「真夏の夜の夢」を混ぜたような感じかしら。
 ケラがミュージシャンでもあるせいか、リズム感覚もいいですね。セリフの間とか、テレビがボンと火を噴いて前半が終わるタイミングとか。
 テーマも男女のさまざまな愛と別れで、近頃説教くさい野田よりもいいです。「え?な〜んだ、こんなのでいいの?」って野田に笑われそうですが……。

 俳優も、野田や三谷でいつも観ているのとは違った人たちを観ることができましたが、みな上手でした。グラドルだと思ってた小池栄子が、こんなに上手な舞台女優になっていたなんて、初めて知りました。
 タヌキの精神科医のぽん太には、瀬戸康史が演じる清晴君が印象的でした。ちょっとアスペが入った知的障害かしら?知的障害を持ちながらも素直で真実を見通す目を持っている、っていうのは定型かもしれないけど、その定型を超えて感動させるものがありました。みんなから愛されているのも良かったです。

 セットも豪華で、天上の高さをうまく利用しており、窓の外の樹々が風で揺れるさまが美しかったです。

 「陥没」というタイトルの意味だけはどうにもわかりませんでした。

 ケラの次回作「ワーニャ叔父さん」のチラシが入ってました。次も観てみようっと。


「陥没」
作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ

2017年2月11日、シアター・コクーン

美術:BOKETA 
照明:関口裕二 
音響:水越佳一 
映像:上田大樹
衣裳:宮本宣子 
ヘアメイク:宮内宏明 
演出助手:山田美紀 
舞台監督:福澤諭志

出演
井上芳雄、小池栄子、瀬戸康史、松岡茉優、
山西惇、犬山イヌコ、山内圭哉、近藤公園、趣里、
緒川たまき、山崎一、高橋惠子、生瀬勝久

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2017/02/09

【歌舞伎】(ネタバレあり)しのぶちゃんとたかちゃん大活躍「座頭市」六本木歌舞伎

 このブログにはネタバレが含まれております。ご注意下さい。

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 前回、宮藤官九郎の「地球投五郎」が衝撃的だった六本木歌舞伎、今回も行って参りました。公式サイトはこちら、歌舞伎美人のページはこちらです。

 う〜ん、前回のクドカンほどの面白さはなかったけど、まあまあ悪くないというところで、中の上といった感じか。
 セットや衣装はイマドキ風だったけど、基本的には「歌舞伎」で、いがいとおとなしめな演出。ちょっとコアな大人向けエンターテイメント歌舞伎という感じでしょうか。

 幕があくと、暗闇の中に、白いTシャツにスウェットパンツのようないでたちの海老蔵がフラッシュで一瞬浮かび上がります。次にライトがつくと本水の雨のなかの立ち回り。カフェや映画館のある江戸時代の六本木(笑)のセットも、なかなかダークな雰囲気がよく、ツカミは好調でした。

 ただ、あんまりストーリーがないというか、前半は、座頭市が賭場でいかさまを見破ったり、花魁とちょめちょめになるといった、座頭市にはおなじみのエピソードに、客いじりと楽屋落ちで終わりました。はたして後半はどのようなストーリーが展開するかと思っていたら、賭場をしきっていたヤクザと対決になるという極めてオーソドックスなお話し。しかし突然、薄霧大夫が実は座頭市の幼なじみかなんか(?)だったということになり(このあたりぽん太には、見ててよくわかりませんでした)、マイク片手に歌まで唱ったりし、ヤクザの用心棒の風賀清志郎が実は鵺(ヌエ)だったのか、それとも新たに鵺が出て来たのかよくわからないまま鵺を退治し、なにかとうざったい新聞記者を思いっきり袈裟斬りにしとめるなど、歌舞伎らしいぶっ飛んだ展開に。最後に、盲目の娘に座頭市がお金を渡して故郷に帰るようにいうが、娘は日本一の花魁になると言って去ってゆき、いやな渡世だな〜で終わります。
 ってことで、あまりストーリー的な面白さはありませんでした。前半、花道で、海老蔵が突然ぐわ〜って苦しみだすと一瞬目が開き、その後またぐわ〜って苦しむと元に戻るという部分は、いったい何の意味があるのかわかりませんでしたが、海老蔵の演技もあいまって、心に残るシーンでした。

 海老蔵が客席を巡ってお客さんをいじったり、「築地に大ナマズが出たそうで、石原も来るとか」といった時事ネタを入れて笑いを取ってました。幕間には役者さんがホワイエや通路を歩いたり、後半の始まりにお客さんを巻き込んでのラップがあったり、しのぶちゃんの歌があったり、楽屋落ちがあったりと、サービス満点ではありましたが、「いいから舞台そのもので楽しませてちょうだい」という気もしました。

 せっかく江戸時代の六本木を舞台にしたのですから、もっと現代的な閉塞感、絶望感とつながるような脚本でもよかったのかも。

 音楽は、基本は歌舞伎の邦楽で、それに津軽三味線やドラムが入ってような気がします。ふだんは真面目に三味線を弾いている人が、ラップを歌う変なおじさんみたいな役で出て来たり。
 舞台の両側にはスピーカーが置いてありましたが、演奏は全部生で、音楽とセリフをマイクでひろって流してました。

 最初に座頭市が薪割りの手伝いをしてあげた盲目の少女が、実は座頭市が盲目だということを最初から見抜いていたというのがラストのちょっとしたオチになってて、盲目だとわかった理由は、「座頭市が三日月なのに満月と言っていた、女性は月のもので月の形がわかるのだ」というものでしたが、これは江戸時代という設定だとちょっと変に思いました。
 江戸時代は太陽太陰暦を使っていたので、1ヶ月は30日で、1日が新月、そのあと三日月になって、8日が半月、15日が満月、だんだん上弦の月となって、翌月の1日が新月と決まってました。だから江戸時代の人は、日付と月の満ち欠けはリンクしていたはず。月の形がわからないというのは、今日が何日かわからないということになり、絶対にありえません。
 ま、まあ、演劇ですからどうでもいいんですけど……。

 ストーリーが単純な分、役者の魅力や力量で見せるという芝居になっていて、海老蔵や寺島しのぶの演技を堪能できました。

 海老蔵は、なかなか良かったです。歌舞伎メイクなしで、様々な表情を見せてくれました。いろいろと経験して、人間として成長してるんでしょうか。切なさや虚無感、怒りなどが伝わってきました。お地蔵さんを哀しそうになでていて、ふと顔に笑みがうかんだと思ったら、持っていた花をお供えしようと思いついたからだったりするあたり、細かく表現されてました。ただ、なんでふところに生花を持ち歩いていたのかはわかりませんが…。立ち回りはスピーディーで見事でした。封印された目力を使っての見得も迫力満点。

 寺島しのぶ、さすがにセリフがうまい。早変わりや引き抜き、歌や海老ぞりなども、ご苦労様でした。だけど、おすずの演技はあんまり盲目に見えなかったです。花魁の白塗りでゆったり構えている表情など、とうちゃんそっくりでした。
 でも、実力派俳優のしのぶちゃん、「女が歌舞伎に挑戦しました」だけではちょっともったいない気もしました。最後の座頭市とおすずの場面など、もっと演劇風な長ゼリフでも聞かせて欲しかったです。

 右團次いつものがらうまい、右之助が気持ち悪い宿の親父を好演。嫌なやつをやらせたら右に出る物がいない市蔵がヤクザの親玉。他に九團次、廣松。
 
 

六本木歌舞伎 第二弾
「座頭市」

EXシアター六本木
2017年2月8日

脚本  リリー・フランキー
演出  三池崇史

市         市川海老蔵
風賀清志郎     市川右團次
文菊堂春吉     市川九團次
遊女貞       大谷廣松
六樽組権三     片岡市蔵
乃木坂屋弥太郎   市川右之助
薄霧太夫/おすず  寺島しのぶ

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2017/02/07

【温泉】明治初期の建物は見飽きません/福住楼(★★★★★)

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 昨年(2016)の10月のご報告です。ぽん太とにゃん子は、箱根の有名老舗旅館・福住楼に泊まって来ました。ぽん太とにゃん子には普通ならちと手が届かないお宿ですが、箱根町ふるさと納税のクーポンの手助けを借りて、泊まることができました。公式サイトはこちらです。

 言わずと知れた箱根の老舗旅館のひとつ。元々は明治初期に作られたという数寄屋造りの木造三階建は、国の登録有形文化財に指定されており、いたるところに意匠が凝らされております。それを眺めているだけで飽きません。お風呂は、肌に優しい無色透明のアルカリ性単純温泉を、贅沢に源泉掛け流し。お食事も老舗旅館らしい会席料理で、できたてのお料理が次々と運ばれて来ます。外人さんも多く泊まっていて、みな満足げな表情でした。お値段も、箱根でこの旅館にしてはとってもリーズナブルだと思います。
 仕方ありませんがお風呂がやや古さに欠けるのと、宿の外観が角度によってちょっと廃墟っぽいのが気になるものの、5点満点以外の評価はありえないでしょう。

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 こちらが福住楼の建物。正面は大正レトロ風ですね。壁はタイル張りで、玄関の上には唐破風が付いています。

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 こちらから見ると、ちょっと古びた感があります。

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 川側から見ると、樹木に覆われて、せっかくの建物がまったく見えません。ぽん太は最初、思わず通り過ぎてしまいました。
 道路からプライバシーを守るという意味もあるのでしょうけど、宿の外観ももう少し手を入れて、道路から見えるようにしてくれるといいのに。

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 公式サイトによると福住楼は、現在の場所よりも200mほど上流で、明治23年(1890年)に創業されたそうです。しかし明治43年(1910年)の早川の洪水で、建物は流出。現在の場所には「洗心楼玉の湯」があり、すでに福住楼が取得していました。そこでこの建物をもとに福住楼が再開され、現在に至っているそうです。実はこの「洗心楼玉の湯」の建物は、初代福住楼よりも古く、明治初期に作られたものだそうです。

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 天井のライトの周りの木製の装飾も見事な出来栄え。

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 廊下からの踏み込みですが、まるで芸術作品です。

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 カーブを描く飴色の階段。

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 この階段を上ったところのデザインです。

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 変化とリズム感のある廊下。

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 木造の建物に囲まれた中庭です。

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 控え控え〜い、みたいな大広間デス。

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 レトロなタイルの洗面台。

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 今回泊まったお部屋です。部屋数は三つ。

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 床の間まわりのデザイン。

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 早川に臨む回り廊下です。

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 欄間は山に松。


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 さあて温泉です。二つの大丸風呂、岩風呂、家族風呂があります。
 まずは大丸風呂。木造の軽妙なデザインの湯殿の中央に、銅でふちどられたまあるい浴槽があり、一本の竹からお湯が注がれてます。けっこう熱いので、水でうめて入りました。お湯は無色透明、無味無臭で、柔らかくお肌に優しいです。

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 もうひとつ、やや小さめの大丸風呂(中丸風呂?)もあります。

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 脱衣場に立派な床柱(ちょっと傷んでますが)。

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 浴室の戸の上の意匠は、鳥に蛸でしょうか?

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 温泉分析表です(クリックで拡大します)。泉質はアルカリ性単純温泉、泉温は61.9度。pHは9.0とかなりのアルカリ性です。成分的には、大きな特色はありません。
 泉温が暑いので加水をしてますが(というか、自分で水を入れる)、循環・消毒なしの源泉掛け流しです。


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 こちらは岩風呂です。

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 なにやらモダンなデザインです。

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 家族風呂です。


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 夕食は正統派の会席料理。このあと、次々と作りたてのお料理が運ばれてきます。地鯵つみれ鍋がとても美味しかったです。

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 メニューです(クリックで拡大します)。

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 旅館内のバーのレトロな案内板。

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 こちらが朝食です。味の干物がふっくらして脂が乗ってて美味しゅうございました。

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2017/02/06

【登山】富士山を眺めながドリップコーヒーを頂く。金時山(箱根)

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 ここらで昨年秋のご報告。箱根の金時山に登りました。風が強かったですが、快晴で富士山を見ることができました。


【山名】金時山(1212m)
【山域】箱根湯河原
【日程】2016年10月20日(日帰り)
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】晴れ
【ルート】公時神社12:14…金時宿り石12:33…13:25金時山14:08…公時神社15:05

(※3D地図や当日の天気図などは「山行記録のページへ」をクリック)
【マイカー登山情報】公時神社に駐車スペースあり。隣接するゴルフ練習場に停めないように注意。


 当初は明星ケ岳に登るつもりでしたが、どうしても車を停めるところが見つからず。ネットを見ると強羅公園の駐車場に停めたりしているようですが、こっから谷へ降りて登山口まで小一時間かかりそう。箱根は手頃なハイキングコースがいっぱいあるのに、車を停めるところがないですね〜。バスなどを上手に利用しないといけないかもしれません。
 ということで、駐車が可能な金時山に変更。何回か登ったことあるけど、快晴で富士山も見えそうだし、ま、いいか。

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 金時手毬石です。金時が放り投げて遊んでいたようです。

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 金時宿り石です。普通は「金時手割り石」とかいう名前だと思うのですが…。木の棒の支えがいっぱいあります。人間の心理って不思議ですね。

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 りんどうが咲いてました。

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 あっという間に山頂に到着。仙石原、芦ノ湖方面の眺め。快晴です。富士山にはちょっと裾野に雲がかかってましたが、よく見えました。
 金時娘さんはまだお元気なのかしら。ちょっと覗いて見たら、まだまだご活躍でした。

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 山頂は強風が吹き荒れてました。岩陰に身を潜めてお湯を沸かし、今回揃えたグッズを使ってコーヒーを入れました。美味しゅうございました。

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2017/02/05

【演劇】(ネタバレあり)悪くないけどちと新しさに欠ける「足跡姫」野田マップ

 ピンポ〜ン!この記事にはネタバレがありますのでご注意下さい。

 う〜ん、う〜ん。なんて言うか、ひとことで言えば……面白くありませんでした。

 でも、どうしてなんだろう。野田一流の言葉遊びはふんだんにちりばめられていたし、一人ひとりの演技も素晴らしかったし、場面ばめんでの変化もあったし……。休憩をはさんでの3時間近い公演で、決して飽きることはなかったのに……。

 でも、なんか心に残るものがありませんでした。

 やっぱ問題はテーマかしら。「暴力はやめて、命を大切にしよう」みたいな感じでしたが、もうすぐじいさんになるぽん太にそんなこと言われてもね。
 客席の大部分は若いお客さんが占め、ぽん太とにゃん子は最高齢クラス。じじいとばばあが見に来たのがそもそも間違いってことでしょうか?
 かつては下北沢で、思春期的な世界を表現していた野田秀樹も、いまや酸いも甘いも噛み分けた立派なおじさん。若者に対して何か言うとなると、上から目線の説教口調になっちゃうのは仕方がないのか。
 そうじゃなくて、野田と同年代のじじばば向きの公演もお願いしたいところですが、芸術監督を務める東京芸術劇場の大きなハコでは難しいのかも。「ザ・ダイバー」なんかとっても感動しましたが。

 それから、確かに今回の芝居、野田ワールド全開ではありましたが、なんか新しさがない。お手の物のテクニックを駆使して、うまくまとめた作品という印象でした。
  今回はだいぶ控えめだったけど、刀鍛冶の一族を皆殺しにした〜という場面で、またしても白黒のプロジェクション出ちゃったし…。
 0.9999が1にならない、なんて話しを聞くと「瓶詰めのナポレオン」を思い出すし、桜の根本に腕が埋まってる、とかいうと、「贋作・桜の森の満開の下」が頭に浮かんできます。ああ、自分が死んでる!っていう落語の「粗忽長屋」に至っては、自分でツッコミを入れてたけど。
 足跡が桜の木の絵になるのも確かにきれいだったけど、衝撃はなかったです。

 東京芸術劇場の客層で、勘三郎へのオマージュというのも無理があったような気がします。たぶん一度も歌舞伎を観たことがないお客さんがほとんどだったんじゃないかしら。伊達の十役っていっても、元ネタがわからないのでは?ヘンテコな名前は面白かったですが。

 ここんとこ野田の芝居は皆勤賞で見てましたが、これからは小さいハコだけにしようかな……。


NODA・MAP 第21回公演
「足跡姫 時代錯誤冬幽霊(ときあやまってふゆのゆうれい)」
作・演出 野田秀樹

東京芸術劇場プレイハウス
20017年2月1日

三、四代目出雲阿国    宮沢りえ
寂しがり屋サルワカ    妻夫木聡
死体/売れない幽霊小説家 古田新太
戯けもの         佐藤隆太
踊り子ヤワハダ      鈴木杏
万歳三唱太夫       池谷のぶえ
伊達の十役人       中村扇雀
腑分けもの        野田秀樹

美術       堀尾 幸男
照明       服部基
衣装       ひびのこづえ
作調       田中傳左衛門
サウンドデザイン 原摩利彦
音響       zAk
振付       井手茂太
映像       奥秀太郎夫
美粧       柘植伊佐夫
舞台監督     瀬﨑将孝

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2017/02/04

【温泉】奥行き6mの半天窟風呂は圧巻/川上温泉(奥土湯温泉・福島県)(★★★★)

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 福島県は奥土湯温泉の川上温泉に泊まってきました。公式サイトはこちらです。
 吾妻山の麓にある土湯温泉から、さらに奥まったところにある奥土湯温泉の宿。日本秘湯を守る会の会員宿です。公式サイトはこちらです。ん?ここのURLって変わってるなあ。「oko.jp」ってなんでしょ。

 とにかくお風呂がすごいです。源泉はなんと6カ所。利用量の合計は毎分200リットル以上。豊富なお湯を源泉掛け流し(一部加水)で利用しております。上の写真の「半天嵒窟風呂」は、奥行き6メートルの手彫りの岩窟がすごい。立湯万人風呂は、長さ10m、幅4m、深さ1.2mの大きさ。これは泳げます!(というか、泳ぎました)。
 木造といってもお部屋や館内はきれい。お食事もお肉たっぷりのすき焼きが出ました。大サービスだと思うのですが、ぽん太の好みからは、地元の食材を使った郷土料理が好みなので、今回の評価は4点です。

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 それ自体ひなびた佇まいの土湯温泉の温泉街を抜け、すれ違いができないような細い道をさらに進んでいくと、秘湯ムード満点の建物が見えてきます。

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 入り口です。緑色の文字の看板がいい雰囲気ですね。日本秘湯を守る会の提灯が下がってます。

 実はぽん太、この宿に泊まるのは2回目。でも、前に泊まったことをすっかり忘れてました。調べてみたら前回は14年前。ネットで「あれ、いい旅館があるな」と予約して、土湯温泉に近づいたあたりで「なんか来たことある気がする」と思い始め、土湯を越えて細い道に入ったところで「やっぱり来た」、宿の建物を見て「あ〜ここだ」ってなことになりました。う〜ん、認知症が始まりかけてるかしら…。

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 囲炉裏とこけしのある休憩室。

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 お部屋も広々しております。

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 お風呂は、半天嵒窟風呂、立湯万人風呂、あすなろ風呂、そして二つの貸切風呂があります。
 まずは半天嵒窟風呂。奥行き6メートルの岩窟はなかなかの迫力です。

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 半分は露天になってます。岩窟と露天で、これだけ広いと、どんどん熱が逃げていきそうですが、高温の豊富な源泉のおかげで、冬でも加水しないと熱いくらいです。
 無色透明で、灰褐色の湯の花がまばらに舞います。口に含むと油臭があります。

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 温泉分析表です(クリックで拡大します)。2本の源泉の混合泉で、泉温は59.0度、利用量は毎分200リットル!泉温が高いため加水はしてありますが、循環・消毒なしの源泉掛け流し。泉質は単純温泉です。

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 こちらは立湯万人風呂です。大きいです。右の椅子と桶から広さを推定してください。深さは最大1.2m。これを見て泳ぎたくなるのは人間の本能。他に誰もいなかったので、2往復したら、すっかりのぼせてしまいました。良い子のみんなは真似しないようにね。
 お湯は無色透明、灰褐色の湯の花、油臭。

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 温泉分析表です。こちらも2種類の混合泉。泉温57.2度、利用量は毎分37リットル。ただ、東日本大震災で湯量が減ったため、半天嵒窟風呂の源泉が加えられているそうです。こちらももちろん源泉掛け流し。泉質は単純温泉。

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 こちらは貸切露天風呂。ちょっと小さめです。2つありますが、だいたい同じです。やはり無色透明ですが、白い湯の花がけっこう多めに舞ってました。

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 温泉分析表です。「褐色沈殿物」と書いてありますが、真っ白でした。地震などで泉質が微妙に変わっているのかもしれません。


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 さあて夕食です。メインはお肉たっぷりのすき焼き。ぽん太とにゃん子には食べきれないくらいの量でした。イワナは蕎麦味噌をつけて焼いてありました。ケンミンshowでカミングアウトされて有名になったイカ人参があります。この他、ワタリガニのグラタンが熱々で運ばれて来ました。お吸い物にはユキタケが入ってました。
 ボリューム満点の美味しいお食事でしたが、東京から来たぽん太とにゃん子としては、地元の食材を使った郷土料理の方が好みでした。また、冷酒を頼んだら秘湯を守る会のオリジナル冷酒が出て来たのですが、せっかくの酒どころ福島なので、地元のお酒が飲みたかったです。

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 朝食も美味しゅうございました。

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2017/02/03

【史跡・グルメ】芭蕉も立ち寄った雄島(松島)、見学後は牡蠣ざんまい

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 松島で一度行きたいと思っていた雄島(おしま)に行って来ました。

 雄島と言っても知らない人が多いのでは?松島といえば今では瑞巌寺や五大堂が観光名所ですが、実は松島の発祥はこの雄島であって、中世には「奥州の高野」と呼ばれたそうです。
 歌枕としても古来有名で、小倉百人一首にも「見せばやな 雄島(をじま)の蜑(あま)の 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変はらず」(殷富門院大輔)とうい歌があります。意味はこちらこちらのページをご覧ください。

 当然のことながら松尾芭蕉も訪れていて、「奥の細道」には次のように記されています。芭蕉db 奥の細道 松島から引用させていただきました。現代語訳もあります。

 雄島が磯は地つヾきて海に出たる島也。雲居禅師の別室の跡、坐禅石など有。将、松の木陰に世をいとふ人も稀々見え侍りて、落穂・松笠など打けふりたる草の菴閑に住なし、いかなる人とはしられずながら、先なつかしく立寄ほどに、月海にうつりて、昼のながめ又あらたむ。

 Img_4353 赤い橋(渡月橋)を渡って島に足を踏み入れると、けっこう起伏があります。所どころ歩道や手すりが整備されておりますが、どちらかというとほったらかしの感じ。瑞巌寺周辺とは異なり、観光客もまばらでした(それでもディープな観光客が何組がおりました)。もうちょっと案内板などを整備してもいい気もしますが、でも、あまり手を入れない方がいいのかもしれません。石碑が多数あり、小さな建物がいくつかありますが、案内板は多くなく、有り難みがよくわかりません。

 「奥の細道」で芭蕉は、雄島が地続きだと書いてありますが、これは勘違いですね。上記のように渡月橋という橋で結ばれております。まさか江戸時代は地続きだったとか?

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 芭蕉が「雲居禅師の別室の跡」と書いているのはどこでしょう?ぐぐってみると、こちらこちらのサイトが詳しいです。
 それらによると、上の写真の「把不住軒」(座禅堂)がそれだそうです。

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 堂のなかには、なにやらお坊さんの像のお写真が…。ググってみると、この写真ですね。瑞巌寺の、今回は公開されていなかった庫裏の内部にある、雲居禅師の木造のようです。
 雲居禅師(うんごぜんじ、雲居希膺(うんごきよう))は、天正10年(1582年)伊予の生まれ。伊達政宗の度重なる要請に応じて、寛永13年(1636年)に瑞巌寺の住職となって寺を隆盛に導き、中興の祖と呼ばれました。万治2年(1659年)に78歳でこの世を去ったそうです。
 芭蕉の言う「座禅石」というのはわかりませんでした。

 「草の庵」については、こちらのサイトが参考になります。
 曾良の「随行日記」に「北ニ庵有。道心者住ス。」と書かれており、また芭蕉と同時代の俳人・大淀三千風の「松島眺望集」には「把不住軒とて雲居和尚禅堂あり。また松吟庵とて道心者の室あり。」と書かれているそうで、当時「松吟庵」という庵があったようです。
 松吟庵は、万治2年(1659年)に建てられ、のちに瑞巌寺103代住職となられた通玄和尚が若かりし頃、ここで3年間の座禅修行をして、悟りを開いたんだそうです。
 ちなみに芭蕉が雄島を訪れたのは元禄2年(1689年)、松吟庵は建てられてからもう30年たっていたました。この建物は大正12年(13年?)に焼失し、昭和期に再建されたものの、昭和58年(1983年)にまたもや焼失したそうです。

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 島の南端には六角のお堂が建っていて、なかに石碑があります。これが「頼賢の碑」(らいけんのひ)で、国の重要文化財です。案内板によると、徳治2年(1307)に頼賢の弟子たちによって建立されたそうです。
 頼賢は、1285年に雄島に入ると、22年間島から出ずに修行を行なったそうです。
 石碑には、頼賢を讃える言葉や当時の松島の様子などが草書で書かれているそうですが、お堂のせいで文字が読めないのが残念です。

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 雄島南端から夕日を見る。頼賢も毎日この風景を眺めたのでしょうか。

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 芭蕉(向かって左)と曽良の歌碑。芭蕉「朝よさを誰まつ 島ぞ片心」。誰まつ…島。松島が入ってますね。元禄元年の作と考えられており、奥の細道の旅を前に、松島に思いをはせる気持ちが表現されているそうです。

 ところで松島で松尾芭蕉といえば、あまりの美しき光景にいい句が思いつかず、「松島や ああ松島や 松島や」という句を詠んだと、ぽん太は子供の頃から思い込んでおりましたが、あれは何だったんだらう…。
 ぐぐってみると、実際に芭蕉が読んだ句ではなく、江戸時代の狂歌師田原坊が作ったものだそうです(Wikipedia)。

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 さて、色気より食い気のぽん太とにゃん子。冬の松島といえば牡蠣ですな。まず、松島さかな市場(ホームページはこちら)の一角にある「松島焼きがきハウス」で、生ガキと焼きガキをいただきました。店内は焼きがき食べ放題で大にぎわいで、熱した鉄板の上にスコップでざくざく牡蠣を乗っけて焼いてましたが、ぽん太とにゃん子はとてもそんなに食べられず。

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 生がきです。新鮮シャキシャキ系で、とても美味しかったです。

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 焼きがきです。あゝ、神様は、なんでこんな美味しいものを人間に授けてくださったのでしょう。有難や、有難や。

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 あとはカキフライということで、傍らにあった竹雀庵にハシゴです。

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 中はジューシー、まわりの衣はサクサク。ありがとうございました。

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2017/02/02

【仏像】本堂大悲院の聖観世音菩薩坐像はなかなかの美仏・円通院(松島)

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 松島の瑞巌寺からハシゴして円通院へ。なんか来たことないな〜。ひょっとしたら初めてかも。


【寺院名】臨済宗妙心寺派 円通院
【住所】宮城県松島町松島字町内67
【拝観】拝観料 大人300円。年中無給。拝観時間は季節により変化するので、ホームページなどで確認を。
【仏像】
本堂大悲亭
 聖観世音菩薩坐像 檜材、寄木造、漆箔 像高63cm 室町時代 町指定文化財
三彗殿
 十一面千手観音立像
【ホームページ】http://www.entuuin.or.jp/


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 門をくぐると、美しい庭園が広がってます。昨夜の雪が嘘のような晴天で、暖かい日になりました。

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 この建物は三彗殿。国の重要文化財です。正保4年(1647)に建てられたもので、伊達政宗の嫡孫(ちゃくそん)光宗の霊廟だそうです。

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 内部には装飾がとても美しい厨子があります。支倉常長がヨーロッパから持ち帰ったバラをはじめとし、西洋的な意匠が多く用いられているそうです。

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 厨子のなかには、馬に乗った光宗の像(馬上束帯光宗像)があります。その後ろに、ちらっと仏さまが…。
 十一面千手観音だそうですが、いわれはよくわかりません。

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 こちらが本堂の大悲亭(だいひてい)。光宗の江戸納涼の亭を移築したものだそうです。茅葺き屋根の簡素でちょっとのどかな感じがする建物です。

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 なかには、ご本尊の聖観世音菩薩坐像が安置されております。なかなかの男前ですね。

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2017/02/01

【仏像】円空の釈迦如来坐像がありました・瑞巌寺(松島)

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 以前、東北大震災の年に訪れた松島に、久々に行ってきました。今回は仏像の観点からの拝観です。


【寺院名】瑞巌寺(臨済宗妙心寺派 松島青龍山瑞巌円福禅寺)
【住所】宮城県宮城郡松島町松島字町内91
【ホームページ】http://www.zuiganji.or.jp/
【拝観】拝観料大人700円。拝観時間は季節によって異なるのでホームページでご確認を。本殿、宝物館の内部は撮影禁止です。
【仏像】
本堂
 聖観音菩薩立像 写真1写真2
宝物館
 釈迦如来坐像 円空作 写真
 十一面千手観音 江戸時代 写真
 不動明王三尊像 鎌倉時代 写真
庫裏
 光雲観音 昭和2年 高村光雲作 写真1写真2
瑞巌寺洞窟群
 石仏多数


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 山道が工事中のため、瑞巌寺洞窟群の前を通るように誘導されてました。洞窟群の前には様々な石仏が並んでました。写真はそのひとつ。如意輪観音ですが、ちょっと膝を崩して座っていて可愛らしいですね。

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 国宝の本堂には、ご本尊の聖観音菩薩立像がありました。かなり遠い上、小さいので、どういうお姿かよくわかりませんでした。

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 これまた国宝の庫裏には、高村光雲作の光雲観音が祀られておりました。全体に白っぽく、美しく彩色された菩薩様ですが、お腹のシワがちょっと気になりました。

 宝物館にもいくつかの仏像がおられました。
 まずは階段を降りたところに円空の釈迦如来坐像。かなり朽ち果てて降りますが、ボリューム感のある像で、円空にしてはちょっと珍しい気もします。
 次に十一面千手観音。たしか江戸時代のもので、日本の腕がカニのように頭上に伸びているのが面白いです。
 不動明王三尊像は、不動明王と矜羯羅童子、制吒迦童子。鎌倉時代の作で、秘仏の五大明王の前立ちだそうです。五大明王は秘仏なので当然見れず。なんと昨年、三井記念美術館で公開されてたらしい。ううう、バカなぽん太。なんで気がつかなかったのだらう。


 ところで仏像ではないですが、宝物館にあった中原鄧州(なかはら とうしゅう)の南天棒の書(画?)に目を引かれました。鄧州(1839年(天保10年) - 1925年(大正14年))は明治24年に瑞巌寺の住職に任命され、改革や財政再建に努めたものの周囲の反感を買い、明治29年、小坊主が伊達政宗像を破損した事件の詰め腹を切らされ、追放されました。折しもこの年、東北地方の太平洋岸を襲った明治三陸地震とその津波が、混乱の後押しとなったそうです。追放の折にその心境を描いたのが、この書だそうです。
 他に鄧州と交流があったという山岡鉄舟や、三条実美、勝海舟の書もありました。

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