【史跡・グルメ】芭蕉も立ち寄った雄島(松島)、見学後は牡蠣ざんまい
松島で一度行きたいと思っていた雄島(おしま)に行って来ました。
雄島と言っても知らない人が多いのでは?松島といえば今では瑞巌寺や五大堂が観光名所ですが、実は松島の発祥はこの雄島であって、中世には「奥州の高野」と呼ばれたそうです。
歌枕としても古来有名で、小倉百人一首にも「見せばやな 雄島(をじま)の蜑(あま)の 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色は変はらず」(殷富門院大輔)とうい歌があります。意味はこちらやこちらのページをご覧ください。
当然のことながら松尾芭蕉も訪れていて、「奥の細道」には次のように記されています。芭蕉db 奥の細道 松島から引用させていただきました。現代語訳もあります。
雄島が磯は地つヾきて海に出たる島也。雲居禅師の別室の跡、坐禅石など有。将、松の木陰に世をいとふ人も稀々見え侍りて、落穂・松笠など打けふりたる草の菴閑に住なし、いかなる人とはしられずながら、先なつかしく立寄ほどに、月海にうつりて、昼のながめ又あらたむ。
赤い橋(渡月橋)を渡って島に足を踏み入れると、けっこう起伏があります。所どころ歩道や手すりが整備されておりますが、どちらかというとほったらかしの感じ。瑞巌寺周辺とは異なり、観光客もまばらでした(それでもディープな観光客が何組がおりました)。もうちょっと案内板などを整備してもいい気もしますが、でも、あまり手を入れない方がいいのかもしれません。石碑が多数あり、小さな建物がいくつかありますが、案内板は多くなく、有り難みがよくわかりません。
「奥の細道」で芭蕉は、雄島が地続きだと書いてありますが、これは勘違いですね。上記のように渡月橋という橋で結ばれております。まさか江戸時代は地続きだったとか?
芭蕉が「雲居禅師の別室の跡」と書いているのはどこでしょう?ぐぐってみると、こちらやこちらのサイトが詳しいです。
それらによると、上の写真の「把不住軒」(座禅堂)がそれだそうです。
堂のなかには、なにやらお坊さんの像のお写真が…。ググってみると、この写真ですね。瑞巌寺の、今回は公開されていなかった庫裏の内部にある、雲居禅師の木造のようです。
雲居禅師(うんごぜんじ、雲居希膺(うんごきよう))は、天正10年(1582年)伊予の生まれ。伊達政宗の度重なる要請に応じて、寛永13年(1636年)に瑞巌寺の住職となって寺を隆盛に導き、中興の祖と呼ばれました。万治2年(1659年)に78歳でこの世を去ったそうです。
芭蕉の言う「座禅石」というのはわかりませんでした。
「草の庵」については、こちらのサイトが参考になります。
曾良の「随行日記」に「北ニ庵有。道心者住ス。」と書かれており、また芭蕉と同時代の俳人・大淀三千風の「松島眺望集」には「把不住軒とて雲居和尚禅堂あり。また松吟庵とて道心者の室あり。」と書かれているそうで、当時「松吟庵」という庵があったようです。
松吟庵は、万治2年(1659年)に建てられ、のちに瑞巌寺103代住職となられた通玄和尚が若かりし頃、ここで3年間の座禅修行をして、悟りを開いたんだそうです。
ちなみに芭蕉が雄島を訪れたのは元禄2年(1689年)、松吟庵は建てられてからもう30年たっていたました。この建物は大正12年(13年?)に焼失し、昭和期に再建されたものの、昭和58年(1983年)にまたもや焼失したそうです。
島の南端には六角のお堂が建っていて、なかに石碑があります。これが「頼賢の碑」(らいけんのひ)で、国の重要文化財です。案内板によると、徳治2年(1307)に頼賢の弟子たちによって建立されたそうです。
頼賢は、1285年に雄島に入ると、22年間島から出ずに修行を行なったそうです。
石碑には、頼賢を讃える言葉や当時の松島の様子などが草書で書かれているそうですが、お堂のせいで文字が読めないのが残念です。
雄島南端から夕日を見る。頼賢も毎日この風景を眺めたのでしょうか。
芭蕉(向かって左)と曽良の歌碑。芭蕉「朝よさを誰まつ 島ぞ片心」。誰まつ…島。松島が入ってますね。元禄元年の作と考えられており、奥の細道の旅を前に、松島に思いをはせる気持ちが表現されているそうです。
ところで松島で松尾芭蕉といえば、あまりの美しき光景にいい句が思いつかず、「松島や ああ松島や 松島や」という句を詠んだと、ぽん太は子供の頃から思い込んでおりましたが、あれは何だったんだらう…。
ぐぐってみると、実際に芭蕉が読んだ句ではなく、江戸時代の狂歌師田原坊が作ったものだそうです(Wikipedia)。
さて、色気より食い気のぽん太とにゃん子。冬の松島といえば牡蠣ですな。まず、松島さかな市場(ホームページはこちら)の一角にある「松島焼きがきハウス」で、生ガキと焼きガキをいただきました。店内は焼きがき食べ放題で大にぎわいで、熱した鉄板の上にスコップでざくざく牡蠣を乗っけて焼いてましたが、ぽん太とにゃん子はとてもそんなに食べられず。
生がきです。新鮮シャキシャキ系で、とても美味しかったです。
焼きがきです。あゝ、神様は、なんでこんな美味しいものを人間に授けてくださったのでしょう。有難や、有難や。
あとはカキフライということで、傍らにあった竹雀庵にハシゴです。
中はジューシー、まわりの衣はサクサク。ありがとうございました。
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