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2017/04/23

【観光】出雲崎(尼瀬獄門跡、良寛記念館)、芭蕉の句「荒海や……」について

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 新潟県の日本海沿いにある出雲崎は、かつては北国街道の宿場町で、北前船や佐渡金銀の商いで栄えました。その宿場の外れに「獄門跡」があり、お地蔵様が祀られているようなので、みちくさしてみました。

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 こちらが全景です。旧街道からちょっと入ったところに祠と供養塔が建ってます。

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 案内板です。かつての刑場だったようですね。供養塔は天明3年(1783)の建立と言われているそうですが、お地蔵さんがいつ頃のものかは、はっきり書かれていません。

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 お顔はかなり風化していますが、新しい服を着ており、現在も大切に祀られているようです。
 お地蔵さんというと、道端にあって子供の守り神のように思われておりますが、元々は、釈迦がお亡くなりになってから、弥勒菩薩が出現するまでの間、衆生を救うという仏様です。人間だけでなく、地獄をも含む六道すべての世界で衆生を救うとされていることから、地獄からの救済を願う信仰の対象となりました。この獄門跡にお地蔵さんが祀られているのも、当然地獄に落ちるであろう罪人を供養するためと思われます。

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 出雲崎宿は「妻入りの街並み」として知られているそうです。妻入りといっても結婚して妻を迎え入れるわけではなく、建物の妻(屋根が三角形になっている方向)が街道に面していて、そこに入り口があるという意味です。


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 次に、良寛記念館を訪れました。公式サイトはこちらです。館内には、良寛の書を中心に展示されておりましたが、狸のぽん太には有り難さがいまひとつわかりませんでした。
 良寛といえば超有名人ですが、考えてみると、子供と一緒に鞠つきをしたお坊さんというくらいの知識しかなく、しかも一休さんと記憶がちょっと混ざっている気がします。
 ということで、せっかくなのでWikipediaで勉強してみました。
 宝暦8年(1758年)に出雲崎で生まれ、天保2年(1831年)に現在の長岡市で死去。宗派は禅宗の曹洞宗なんですね。名主の息子として生まれましたが、18歳で出家し、出雲崎の光照寺で修行。22歳から34歳まで、倉敷市の円通寺で修行。諸国を巡ったのち、48歳からは現在の燕市の国上寺(こくじょうじ)に五合庵という庵を建て、そこで暮らしたそうです。

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 こちらがその五合庵を模して作った建物で、耐雪庵と名付けられております。どのくらい模しているのかは不明。
 61歳の時、足腰が弱ったため乙子神社境内の草庵に移る。70歳の時、現在の長岡市の木村元右衛門邸内に移り、73歳で死去とのこと。


 出雲崎といえばもひとつ、松尾芭蕉が「荒海や佐渡に横たふ天の河」の句を詠んだところとして有名です。
 芭蕉園という観光スポット(芭蕉園/にいがた観光ナビ)がありますが、今回は省略しました。奥の細道で芭蕉が宿泊した大崎屋の向かいだそうです。
 せっかくなので「おくのほそ道」を読み返してみました。ぽん太が持っているのは1994年版の角川日本古典文庫ですが、現在は角川ソフィア文庫から出ているみたいです。
 で、芭蕉が出雲崎で一泊したのが、元禄2年(1689年)の旧暦7月4日であることは、「曾良随行日記」から明らかだそうです。また、実際に「荒海や」の句が披露されたのは7月8日前後だったそうです。
 しかし「おくのほそ道」のなかで「荒海や」の句は、「文月や六日(むいか)も常の夜には似ず」という7月6日に時間設定された句の次に置かれているので、7月7日に詠んだと設定されているそうです。
 芭蕉が「おくのほそ道」で、実際の日付と異なる日付に設定することによってすばらしい芸術的効果を生み出していることは、以前にみちくさしたことがあります(【登山】スキーも履かずに雪の月山)。「荒海や」の句でも、7月4日を7月7日にずらしたことで、この句は深みがあるものとなっております。
 タヌキのぽん太は、実はこれまで「荒海や」の句が7月7日に詠まれたとされていることを知らなかったので、雄大な自然の風景を詠んだ句だと思っておりました。しかしこの「天の河」は、まさにその日に織姫と彦星が年に一度の出会いを喜んでいる天の河なのです。つまり、佐渡はかつては流人の島であり、天の川が織り姫と彦星を引き裂いていたように、多くの人たちが家族や親しい人から離ればなれにされて閉じ込められておりました。流人たちがそうした人々に会いたいという思いに涙を流していたことを、この句は表現しているのです。そのことは、芭蕉自身がこの句に加えた「銀河の序」という文章にも書かれております(俳文「銀河の序」松尾芭蕉|按針亭)。
 ところで、この句が佐渡金山で辛い労働を強いられている人たちのことも詠んでいると思った人は、勘違いしております。佐渡に流刑になった有名人といえば、順徳天皇(1221年に流罪)、日蓮聖人(1271年)、世阿弥(1434年)など、江戸時代より前の話です。佐渡で金脈が見つかったのは佐渡が徳川家康の領地になった1601年で、鉱山労働者の賃金は高く、周辺の町も賑わいました。金山で働かされた罪人は、ごく少数と考えられているそうです。上の「銀河の序」にも、「げにや此島は黄金あまた湧き出でて、世にめでたき島になむ侍るを」と書かれており、昔の流刑地の時代とはうってかわって賑わっていた様子がうかがえます。

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