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2018年5月の7件の記事

2018/05/31

【拾い読み】鈴木晶『ニジンスキー 神の道化』(2)病歴のまとめ

 鈴木晶氏の『ニジンスキー 神の道化』(新書館、1998年)の拾い読み、今回はニジンスキーの精神障害に関する部分です。


 今回は、ニジンスキーの病歴を、医学レポートの形式でまとめてみました。

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病歴報告書
東京都多摩地区狸の穴1番地
どうぶつ精神科病院
医師:ぽん太


【氏名】ヴァーツラフ・フォミッチ・ニジンスキー(Вацлав Фоми́ч Нижи́нский)
【性別】男性
【生没年月日】1890年3月12日〜1950年4月8日
【診断】統合失調症
【既往歴】帝室舞踊学校時代(1898〜1907)に転倒事故にて4日間の意識不明となり生死をさまよい、2ヶ月間入院(後遺症はなし)。
18歳ごろ淋病。5ヶ月ほどで改善。
【家族歴】兄、妹がいる。兄は幼少時からぼんやりしたが、精神障害を発症して入院歴もあり、第二次対戦中に病院内で自殺。また祖母がうつ病で自殺?。
【生活歴】1889年3月12日にウクライナのキエフで出生。両親はポーランド人のバレエ・ダンサー。幼少期は活発で冒険好きで机に向かうことが苦手など、多動傾向が認められた。また言語コミュニケーションが苦手だった。
 1898年、帝室舞踊学校に入学。舞踊技術は優れていたが、陰湿ないじめに会う。いじめのなかで転倒し、上記のように4日間の意識不明となり生死をさまよう。
 1907年、帝室舞踊学校卒業と同時にマリインスキーバレエ団に入団し、頭角をあらわす。
 1909年、ディアギレフが旗揚げしたバレエ・リュスに加わって大活躍し、振付家としても革新的な振り付けにより高い評価を受ける。この頃、気に入らないことがあると興奮して大声でわめくことがしばしばあった。
 1913年、ハンガリー人の女性と結婚。これが原因となりバレエ・リュスを解雇されたため、1914年、自分の一座を組んで公演を行うがうまくいかず、強いストレスを受ける。
【病歴】この頃から、ちょっとしたことで大声を出し、だだをこねるように転げ回ったり、他人に殴りかかるなどの行動が見られるようになった。その後抑うつ状態となり、不眠、思考力低下、易疲労感、情動不安定、不安・抑うつなどがみられ、稽古もできずに横になっている状態となったが、数ヶ月で軽快。1916年からはバレエ・リュスに復帰し、全米ツアーなどに参加。だがここでも癇癪を起こすことが多かった。また友人の影響でトルストイ主義に心酔し、菜食主義となり、ロシアの農民服を着用し、コール・ド・バレエに主役を踊らせるなどした。
 1917年、スイスのサンモリッツに転居。当初は心身ともに回復したようだったが、1918年にはバレエへの興味を失い、マンダラのような抽象画を描きまくるようになる。精神分析に興味を持つ内科医フレンケルと知り合う。
 1919年1月19日、サンモリッツのホテルにて私的なダンス・リサイタルを開くが、かなり前衛的なもので、途中で第一次大戦についての説教をするなどした。
 この日から2ヶ月間、『手記』の執筆に没頭。絵に対する興味はなくなり自分のデッサンをしまい込む。『手記』は極めて混乱しており、妄想的な内容であった。この頃から言動が誰の目にも「異常」と映るようになり、家に閉じこもったり、家族に暴力を振るうなどしたため、フレンケルはオイゲン・ブロイラーにニジンスキーを紹介した。
 1919年3月5日、チューリッヒのブルクヘルツリ病院でブロイラーの診察を受ける。軽度の躁病性興奮をともなう混乱した統合失調症と判断し、同病院では監禁的処遇しかできないため、クロイツリンゲンにあるベルヴューという私立のサナトリウム(院長がビンスヴァンガー)への入院を勧めた。その日の夜、ホテルで騒ぎを起こし、ブルクヘルツリ病院に強制入院となり、2日後にベルヴューに転院となった(ブルクヘルツリの最終診断はカタトニー(緊張病))。
 ベルヴューでは開放的な環境で治療を受けたが、症状は緊張病性の興奮と昏迷を繰り返し、指を目につっこむといった自傷行為や、幻聴も認められた。
 同年7月、妻が来院し、患者の退院を執拗に要求。退院できる状態ではないことを説明したが納得せず、地元の保健所と相談の上、「サンモリッツに患者のために特別な部屋を用意すること、自殺に使えるものを一切置かないこと、経験ある看護人2名が24時間患者を監視すること、精神科医の監視下に置くこと」という条件のもと、7月29日に退院となった。
 しかし約束が十分守られなかったため、12月3日にベルヴューに強制入院となる。病状はかなり悪化しており、暴力を振るったり、床に排泄するなどした。
 1920年2月、妻の転居に伴いウィーンのシュタインホーフ精神病院に転院。この間、妻がフロイトに相談に行ったというが、真偽は不明。
 1922年、同院を退院し、ブダペストの妻の実家に戻り、その後さらにパリに転居。フランスの高名な医師の診察を受けるが改善はみられず。
 1926年、妻がアメリカに渡ったため、妻の姉と看護人が面倒をみたが、道で他人に危害を加えたり、体を出血するまで引っ掻くなどの自傷行為がみられたため、私立の精神病院に入院。退院後、自宅で劣悪な条件で監置される。
 1929年4月、ベルヴューのスタッフが苦労して移送し、ベルヴューに3度目の入院。病状は進行していて、興奮は見られなかったが、外界への興味を失い、ぼうっと座って過ごすことが多かった。
 1934年、妻がアドラーを伴ってベルヴューを訪問。転院を試みるが、本人の同意が得られずにあきらめる。
 この年と翌年に2回の心臓発作。
 1938年、ザーケル医師が自らベルヴューを訪れ、病院内でインシュリン・ショック療法を行う。2ヶ月間行うが、効果なし。
 同年12月、ベルヴューの院長ビンスヴァンガーがインシュリン・ショック療法を禁じたため、効果を信じる妻の希望でミュンシンゲンの州立病院に転院し、インシュリン・ショック療法を継続。
 1939年、インシュリン・ショック療法を計128回行うが、効果は見られず終了となる。ミュンシンゲン病院を退院。
 1940年、ミンシュンゲン病院に再入院。夏、妻の実家のブダペストに移るが、暴力が手に負えず、1942年に私立のサナトリウムに入院。5月、膀胱炎と痔の治療のためブダペストの公立病院に入院。一度退院したが、再度入院。
 1943年、ウィーンの聖ヨハネ病院に入院。
 1945年3月24日、ドイツ軍から精神病患者を全員処刑するよう命令が下ったため、看護人が機転をきかせて患者を妻の疎開先に連れて行く。
 妻とともにウィーンに転居。
 1947年、ロンドンに転居。1948年、ロンドン郊外に居を構える。
 1950年4月4日、ベッドから起き上がれなくなり、ロンドンの私立クリニックに救急搬送。4月8日に死去(死因、慢性腎炎による尿毒症)。

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2018/05/30

【拾い読み】鈴木晶『ニジンスキー 神の道化』(1)ダンサー編

 ちょっと前のことですが、ぽん太はハンブルク・バレエの来日公演でノイマイヤーの「ニジンスキー」を観て、いたく感激したのでした。

【バレエ】「ニジンスキー」ハンブルク・バレエ2018年日本公演

 しかし、実はぽん太はニジンスキーをあまり知らなかったので、バレエを見ていてよく解らないところがありました。それではというわけで、鈴木晶氏の『ニジンスキー 神の道化』(新書館、1998年)を読んで勉強してみました。

 バレエ会場でたびたびお見かけする著者の鈴木晶氏は、バレエ研究家であると同時に、精神分析にも造形が深いので、バレエファンの精神科医であるぽん太は、とても面白く読むことができました。特にニジンスキーが精神病になって踊るのをやめてからの部分が興味深かったです。

 いつものように、ぽん太が興味を持ったところの拾い読みです。興味を持った方はぜひご自身でお読みください。

 こんかいはダンサーとしてのニジンスキーについて。病気に関しては、稿を改めます。


 なんとベジャールもニジンスキーを題材にしたバレエを振り付けているそうな。初演は1971年、タイトルは「ニジンスキー・神の道化」、主役はジョルジュ・ドン。第一部(バレエ・リュスのニジンスキー)と第二部(神のニジンスキー)に分かれていて、第一部にはバレエ・リュスの作品の断片が組み込まれ、第二部には彼の狂気と死が描かれていたそうで。ノイマイヤー版と似てますね。
 これを元にベジャールは、1990年に同じタイトルのバレエを発表しました。この作品では、『ニジンスキーの手記』の朗読が大部分を占めていたそうです。またクライマックスでは、ニジンスキー役のドンが赤い布を舞台上に十字架の形に置き、その上に立つそうですが、これもノイマイヤー版と重なりますね〜。
 ということは、ノイマイヤー版「ニジンスキー」はベジャール版を踏まえており、ベジャール版を観ずしてノイマイヤー版を理解することはできないと思われます。でも、ちょと探してみたのですが、DVDは見つかりませんでした。
 しかし、何と、youtubeで見れるじゃyないですか!(https://www.youtube.com/watch?v=ROS-jG0qAXU&list=PLl50gigE6yC4XZF_EzqSXNaKvIeZYFTMv)。でも、両者の比較検討はまたの機会に……。


 さて、ディアギレフのバレエ・リュスの旗揚げに際して、ニジンスキーはマリインスキー劇場を辞めて参加しましたが、他にマリインスキー劇場から駆けつけたダンサーの一人、リディア・ロプコワは、後に経済学者ケインズと結婚したそうです(まあ、どうでもいいけど)。


 ニジンスキーはマリインスキー劇場を辞めるため、わざとタイツの上に半ズボンをはかずにステージに立ち、解雇されたそうです。当時の男性ダンサーは、タイツの上に半ズボンを履くのが普通だったんですネ。


 ドビュッシーの「遊戯」が、ニジンスキーの振付第2作であることも初めて知りました。しかもテーマはテニス。若い娘ふたりがテニスをしていると、その様子を茂みの中から伺っていた若者が登場。くどいたり嫉妬したりの諸々があって、最後は仲良く三人でダンス。作曲を依頼されたドビュッシーは、「そんなバカバカしいものに曲を書く気はない」と断りましたが、ディアギレフが倍の作曲料を提示したところ、作曲を承諾したそうです。振り付けは失われておりましたが、復元版があるそうです。これもYoutubeにあるので(https://www.youtube.com/watch?v=lovGVYNKG_I)、そのうち見てみたいと思います。


 第一次大戦中の1917年、スイスのサンモリッツに移り住んだニジンスキーには、次第に精神病の兆候が現れてきます。
 1919年、ニジンスキーは突然「狂気と戦争」をテーマにした作品を踊るためのリサイタルを開きたいと言い出しました。そこで同年1月19日、サンモリッツのスブレッタ・ハウスという名のホテルの大広間でリサイタルが開かれました。観客が二百人ほど集まりましたが、スキーをしにきたリゾート客だったそうです。これが、ノイマイヤーの「ニジンスキー」の冒頭とエンディングで描かれていたものですね。
 スブレッタ・ハウスというのはここですかね(公式サイト)。現在もあるようです。お城みたいなかっちょいい建物です(google mapの写真)。公式サイトの(こちら)のページにニジンスキーのことが書かれているから、ここで当たりのようです。

 実際のリサイタルの様子について、本書にはけっこう詳しく描かれています。ちょっと長いけど引用させていただきます。

 広間の照明が暗くなり、友人のピアニストがピアノの前にすわると、観衆の前にニジンスキーが姿をあらわした。黒い縁のついた白い絹のパジャマのような衣装をつけ、ベルトはせず、白いサンダルをはいていた。
 バレエでは、黒いパジャマ風の上下の上に、白い帯状の布をガウンのようにまとってました。足は裸足だったきがするけど。
彼はピアノに近づいて、何かショパンかシューマンの曲を弾いてくれと頼んだ。だが、曲が始まると、彼は椅子をステージの中央にもってきて、それに腰かけ、手足を少しもうごかすことなく、じっと観衆のほうを見つめていた。(……)我慢できなくなった妻が近寄って、「『レ・シルフィード」か何か、みんなのよく知っている曲を踊って下さい」と頼むと、ニジンスキーは「邪魔をするな!」と怒鳴りつけた。だが、ピアニストがショパンのプレリュードを弾き始めると、その曲に合わせて、ゆっくりと両腕を前方に持ち上げた。指先は上を向き、掌は外向きに、つまり観客の方に向けられていた。次いで彼はその両腕を頭の上まであげ、そしてふいに、関節がばらばらになったかのように、両腕をだらりと垂らした。
 バレでは、ピアノが音を出さぬまま、ニジンスキーは椅子に座り続けていて、妻が声をかけるために近づこうとすると、それを制するように立ち上がり、白い布を取ってピアノの方に歩いていきます。そしてピアノのショパンの前奏曲第20番にあわせて、踊り始めました。しかし本に書かれているような動作はありませんでした。
 彼自身は、そうした腕の動きによって大事なメッセージを観客に伝えることができた、と満足していたが、観客席の間にはざわめきの波が広がり、何人かは席を立った。それを見たニジンスキーはますます緊張したが、ふと、観客を楽しませてやらなければと考え、コミックな踊りを見せた。観客席は和み、ちらほら笑い声も聞こえた。
 バレエでも最初の踊りの後、まばらな拍手がありました。そして再び立ち尽くすニジンスキーに妻が声をかけると、ニジンスキーはこっけいな踊りをはじめ、観客が笑い声をあげておりました。この踊りの途中に、ニジンスキーのレパートリーの様々な登場人物が侵入してきて、狂気の世界へとなだれ込んでゆきました。
だが、またもやふいに彼の気分は変化し、陰鬱で真剣な表情になったかと思うと、白と黒の長い布を一本ずつ床一面に敷き、大きな十字架を作り、その十字架の頂点にあたる所に、十字架にかかったキリストのように両手を広げて直立し、つたないフランス語で、終わったばかりの大戦について、そして大戦で失われた無数の生命について説教を始めた。
 布で十字架を作るシーンはバレエのラストにありますが、これは実話だったんですね。
 さて、ニジンスキーは説教を終えると、「これから戦争の踊りを踊ります。あなたがたが阻止できなかった戦争。あなたがたに責任があるあの戦争の踊りです」と言って、踊りはじめ、やがてあの伝説的な跳躍を見せた。踊りはどんどん激しくなり、彼の凄まじい形相に観客は震え上がり、金縛りにかかったように彼の踊りを凝視していた。ニジンスキーは疲れ果てるまで踊り続けた。これがニジンスキーの「最後の踊り」であった。
 この戦争についての説教、踊りの部分を膨らませて、ノイマイヤーのバレエが作られているのですね。バレエ全体が、ホテルで踊っているニジンスキーの記憶と妄想の世界なのかもしれません。


 ニジンスキーの長女キラは、作曲家・指揮者のイーゴリ・マルケヴィチと結婚したんだそうな。マルケヴィチは一時期ディアギレフの愛人だったこともあるらしいです。

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2018/05/29

【オペラ】(ネタバレ注意)ワーグナーのひ孫がベートーヴェンを破壊!「フィデリオ」新国立劇場

 ★本日の記事にはネタバレがありますので、観劇前の方はご注意ください。

 読み替え演出で何かと物議を醸しているカタリーナ・ワーグナー演出の「フィデリオ」。期待と不安、いや、不安と期待を抱きながら観に行ってきました。

 で、結果はやっぱり×。
 納得できないというか、軽い憤りまで感じました。他のお客さんに関しても、ぽん太は4階席で観てたのですが、数人からブーイングがあがり、またマチネだったにもかかわらず早々に席を立つ人が多かったようです。

 ぽん太は決して読み替え演出が嫌いなわけではありません。ペーター・コンヴィチュニーなども、一時は日本でもよく上演されていましたが、「サロメ」で屍姦の同性愛を舞台上で演じて以来、日本出入り禁止になったのかすっかりご無沙汰しているのを、寂しく思っているひとりなのです。
 コンヴィチュニーの演出は、たしかに奇を衒ってる部分はありますが、楽譜を徹底的に読み込んでその中からアイディアを引き出してくると、どこかのインタビューで言ってました。例えば「サロメ」でヨカナーンが地下から出てくる場面は、たったそれだけなのシーンに実に見事な音楽が作られているので、それに匹敵する演出(サロメのカニバリズム)にしたといいます。

 一方、カタリーナ・ワーグナーの「フィデリオ」はどうでしょうか。フロレスタンとレオノーレが死んで、変装したピツァロが生き残るという読み替えに従えば、ラストの囚人や民衆たちの合唱は、人類愛を歌い上げる歓喜の歌ではなく、騙されてぬかよろこびをしている愚かな人々の歌ということになります。ワーグナーはベートーヴェンの音楽の中に、そうした「愚かさ」を聴き取ったのでしょうか。それとも指揮者がラストの合唱をわざと「愚かに」演奏すべきなのでしょうか。
 たしかにヴェートーヴェンの人間愛は、ちょっとストレートすぎて気恥ずかしく感じる部分もあるのですが、それがベートーヴェンの良さなのであって、それを聞くために我々はオペラやコンサートに足を運ぶわけです。モリカケやらアメフトやらで汚い嘘が横行してる世相の中、馬鹿正直かもしれないけど、まっすぐな愛と心からの歓喜を聴きたいわけです。でもワーグナーは、そういうベートーヴェンの人間性そのものを否定していると、ぽん太には感じられました。

 冒頭の序曲の間に、舞台上のひな壇に敷物をしいたり造化を生けたりするのですが、靴音もうるさいし、序曲に集中できません。こういう演出をしたワーグナーの目的は、観客が序曲を聞くのを邪魔しようというのか、それとも「こんな序曲、真剣に聴く価値ないでしょう」と言いたいのか。

 で、それで、ワーグナーが替わりに持ち出したラストに創造性があるのならいいのですが、牢獄に閉じ込められたフロレスタンとレオノーレが、死につつも愛を確かめあうというものでは、「アイーダ」や「トスカ」、バレエの「白鳥の湖」の焼き直しです。ひいては「トリスタンとイゾルデ」の愛の死ですから、結局はひいお爺ちゃんの遺産の利用かい、と突っ込みたくなります。

 その他、細かい突っ込みどころはいろいろありますが、遠慮しておきたいと思います。


 演奏は、飯守泰次郎指揮の東京交響楽団。なかなか良かった気がします。聞き慣れた「レオノーレ序曲」第3番でいうと、飯守さんにしては早めのテンポで、ドラマティックで若々しい演奏でした。でも、その時に舞台で行われているのがアレですからね。
 今期で芸術監督を辞する飯守さん。オーソドックスな演出の方が好きそうな気がします。最後の指揮だったのにちょっとがっかりしているのではとなどと、少々心配になりました。恒例の解説動画もこんかいはなかったし……。

 歌手陣もなかなかのできで、特にフロレスタンのステファン・グールドが素晴らしく、第2幕の最初のGott!の咆哮が圧巻。会場全体が緊迫感に包まれました。
 いつもながら新国立劇場合唱団もお見事で、囚人の合唱や、ラストの民衆の歓喜の歌など、(目をつぶって聴いていると)とても良かったです。

新国立劇場 開場20周年記念特別公演
オペラ「フィデリオ」
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン

2018年5月24日
新国立劇場 オペラパレス

特設サイト

作曲:ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
台本:ヨーゼフ・フォン・ゾンライトナー、シュテファン・フォン・ブロイニング、ゲオルク・フリードリヒ・トライチュケ
指揮:飯守泰次郎
演出:カタリーナ・ワーグナー

キャスト
ドン・フェルナンド:黒田博
ドン・ピツァロ:ミヒャエル・クプファー=ラデツキー
フロレスタン:ステファン・グールド
レオノーレ:リカルダ・メルベート
ロッコ:妻屋秀和
マルツェリーネ:石橋栄実
ジャキーノ:鈴木准
囚人1:片寄純也
囚人2:大沼徹

管弦楽:東京交響楽団
合唱:新国立劇場合唱団

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2018/05/18

【仏像】奈良から平安初期の薬師如来の変遷がわかります。「名作誕生-つながる日本美術」東京・国立博物館

 文楽を見た帰りに寄ったため、入館したのが4時過ぎ。閉館は5時だったので、仏像だけゆっくり見て、あとは駆け足の鑑賞となりました。
 音声ガイドのナレーションがなんと壇蜜さんだったので、ひょっとしたらセクシー解説なんじゃないかと思ってつい借りそうになりましたが、観仏に色欲は禁物と、あきらめました。
 今回の展覧会は、「名作誕生-つながる日本美術」と銘打っており、有名作品がどのような背景で生まれ、どのように受け継がれていったかを示すものです。第1章「祈りをつなぐ」の1「木の祈り」では、国宝の元興寺薬師如来立像(8〜9世紀)を中心に、8世紀に中国で作られた仏像に始まり、鑑真が中国から連れて来た仏師によるもの、それを元に日本人が作ったもの、そして9世紀になって日本的な様式が確立していくという流れを見てとることができました。
 
 仏像は11点が出品されており、国宝が2点で、残りのすべても重要文化財。ちょっと見に行けないところや、行っても見れない仏様などもあり、なかなかのラインアップでした。

 山口県、神福寺の十一面観音菩薩立像は、像高45cmと小さめのですが、一木造で、深く細かく掘られています。お顔や頭上面、指先が失われているのは残念です。唐代後期に中国で作られたものだそうで、胴長のプロポーションが外国風です。秘仏で、通常は30年に1度のご開帳。

 道明寺の十一面観音というと、国宝のそれが有名ですが、これは「試みの観音」と呼ばれる重要文化財の方です。しかし、国宝は月1回ご開帳されるに対し、重文は普段はご開帳されておりません。そういう意味では、こちらのほうが貴重かもしれません。
 「試みの観音」ということは、菅原道真が、国宝の十一面観音を彫る前に、試しに彫ったものということでしょうか。胴長短足で大きな顔、切れ長の目。小さいながらもなんか迫ってくるものがある仏様です。

 唐招提寺の伝薬師如来立像は、ほぼ等身大の一木造。どっしりとボリューム感があり、特に太ももあたりがすごいです。衣紋も特にお腹のあたりが深く密に彫り込まれています。両腕は欠けております。鑑真に伴われて日本に来た仏師の作と考えれているそうです。

 同じく唐招提寺の伝衆宝王菩薩立像は、上と同じく唐招提寺の旧講堂に安置されていた仏さま。

 元興寺の薬師如来立像は「国宝」です。奈良国立博物館に寄託されており、そちらで拝観することができます。体の雰囲気は、唐招提寺の伝薬師如来立像と似ておりますが、衣紋に変化がつけられていたり、彫りもやや浅いなど、ちょっと日本風になってきてます。おおらかさを残す体に比べ、顔は小さめで表情も厳しいです。これって、頭だけ後からつけたんじゃないの?などとぽん太は思ってしまいますが、こういうものだそうです。
 
 奈良県笠区の薬師如来立像は、お顔がちょっとアレ。頬から喉がでっぶりと肉付きよく、目つきも怖いです。お体は上の元興寺に似てますが、さらに衣紋は写実的となり、流れが自然になってきてます。体のバランスも良くなってます。

 京都・阿弥陀寺(京都国立博物館に寄託?)の薬師如来立像は、1m足らずの大きさですが、ぎゅっと凝縮されたような充実した仏様。体つきもどっしりしており、大きめの角ばったお顔も、目を吊り上げて怖い表情。いわゆる翻波式の衣紋も美しくかつダイナミックです。

 大阪の孝恩寺の薬師如来立像は、等身大の仏様。衣服や、衣紋の流れは、これまでの仏様と似ていますが、すらりと背が高いプロポーションが特徴か。背が高いついでに、頭髪、特に肉髻が盛り上がっていて、顔が小さく、しかも下の方にキュッと集まってます。気の弱いおばちゃんみたいな表情。威厳や威圧感はありません。

 兵庫県は淡路島の成相寺の薬師如来は、ほぼ等身大の仏様ですが、これまた力強さが感じられます。堂々たる体、翻波式の衣紋、ほどよく角ばったお顔、切れ長でつり上がった目、キュッと引き締まった口。

 薬師如来の最後は京都・春光寺。これも平安初期らしいのびやかで力強い作品でした。

 次は部屋が変わって、壁には様々な普賢菩薩の絵が飾ってあり、中央に大倉集古館の国宝の普賢菩薩騎象像が安置されております。東京所蔵の唯一の国宝仏像彫刻です。
 こちらは12世紀の作で、前の部屋の8〜9世紀の仏様とは全然違い、非常にバランスのとれたお姿。お顔もちょっと丸みをおびて、お優しいです。
 枝葉末節ですが、象の玉たまとおち○ち○がちゃんと表現されていることに気がつきました。また、この像だけでなく、多くの像で象の鼻が平べったく表現されてますが、上唇がそのまま伸びていると誤解していることもわかりました。


 仏像以外にも様々な作品が展示されておりました。
 特に昨年、84年ぶりに発見されたという幻の雪舟、「倣夏珪山水図」も展示されていたのですが、下調べが不十分で見逃しました……。

創刊記念『國華』130周年・朝日新聞140周年 特別展「名作誕生-つながる日本美術」

東京国立博物館 平成館
2018年4月13日~ 2018年5月27日
(5/16に鑑賞)

特設サイト
国立博物館公式サイト

出品目録(pdf, 928.4K)


【出展された全仏像リスト】●国宝、◎重要文化財

◎伝薬師如来像 木造 像高160.2cm 奈良時代 8世紀 奈良・唐招提寺 画像
◎伝衆宝王菩薩立像 奈良時代 8世紀 奈良・唐招提寺 画像
◎十一面観音菩薩立像 一木造 像高45cm 中国・唐時代 8世紀 山口・神福時 画像
◎十一面観音菩薩立像 奈良時代・8世紀 大阪・道明寺 画像
●薬師如来立像 一木造 素地 像高164.8cm 奈良〜平安時代 8〜9世紀 奈良・元興寺 画像
◎薬師如来立像 平安時代 9世紀 奈良・笠区 画像
◎薬師如来立像 像高95.1cm 平安時代 9世紀 京都・阿弥陀寺 画像
◎薬師如来立像 一木造 黄土彩 像高158.4cm 平安時代 9世紀 大阪・孝恩寺 画像
◎薬師如来立像 榧 一木造 像高156cm 平安時代 9世紀 兵庫・成相寺 画像
◎薬師如来立像 榧 像高146.7cm 平安時代 9世紀 京都・春光寺 画像
●普賢菩薩騎象像 平安時代 12世紀 東京・大倉集古館 画像

【その他の主な出品作】
●天橋立図 雪舟等楊筆 室町時代 15世紀 東京国立博物館
 倣夏珪山水図 雪舟等楊筆 室町時代 15世紀 山口県立美術館寄託
◎仙人掌群鶏図襖 伊藤若冲筆 江戸時代 18世紀 大阪・西福寺
●洛中洛外図屏風(舟木本) 岩佐又兵衛筆 江戸時代 17世紀 東京国立博物館
 士庶花下遊楽図屏風 岩佐又兵衛筆 江戸時代 17世紀 富山・白河豚美術館
 見返り美人図 菱川師宣筆 江戸時代 17世紀 東京国立博物館

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2018/05/17

【文楽】『本朝廿四孝』のストーリーが分からニャイ!!2018年5月国立劇場第一部

 玉助襲名披露の5月文楽は、口上のある第一部を観劇。

 口上は、例によって面白おかしい裏話などが披露されました。玉男さんの時と比べると、ちょっと人数が少なく、時間も短めで、太夫さんや三味線さんのご挨拶はありませんでした。
 あと、咲甫太夫がいつのまにか織太夫という名前に変わっていてびっくり。調べて見ると、今年の1月に大阪の国立文楽劇場で襲名されたようです。東京では何の襲名披露もないものなんですね。


 その襲名披露狂言は『本朝廿四孝』。歌舞伎では「十種香」や「奥庭狐火」が上演されますが、今回は三段目の山本勘助誕生にまつわるストーリーらしく、まったく観たことがありません。とうぜん八重垣姫も登場しない様子。
 あらかじめチラシの「あらすじ」を読んでみたのですが、まったく理解できず。「まあ、実際に見ればわかるだろう」と甘い考えで臨んだのですが、意表をつく物語展開と、「実ハ」の連続で、何がなんだかさっぱりわからず。お客さんでストーリーを理解できた人は2割ぐらいじゃなかったんでしょうか?
 思いがけない人物が出てきて何か言いだすと、「なんじゃ?この展開は」とぽんたの目は点。客席も何だなんだとざわつき、「だははは」と諦めの笑いが起きたりします。「私は実は○○だ〜」とか言って、服装が変わって出てくるのですが、残念なことに文楽は、人間が演じる歌舞伎と違って、頭(かしら)がみな似てます。服装が変わると元は誰だったのかわからないという始末。
 仕方ないからパンフレットでも買おうかとも思いましたが、節約、節約。あとで調べたり考えたりして、ようやく7割くらいは理解できました。

 それでも部分ぶぶんはなかなか良くって、特に「勘助住家の段」で、雪が降りしきる門の外に置き去りにされた我が子の鳴き声を聞いたお種が、閉ざされていた門を最後には打ち破って我が子を抱きしめるシーンは圧巻でした。「凍え死のうが助けてはならない」という夫の言いつけに背き、門に体を打ち付けるお種のに、理性を超えた本能としての母性愛の凄まじさを感じました。

 「二十四孝」は、元々は中国の24人の孝行者のお話で、元の時代以降に成立したとされているそうです。『本朝廿四孝』は、それを踏まえて近松半二らが脚本を書き、明和3年(1766年)に初演された作品です。
 真冬に筍を食べたいと言った母親のために、天に祈りながら雪の中を掘っていたら、雪が溶けて筍がいっぱい出てきたという、呉の孟宗の話は有名で、本日の狂言にも取り入れられてましたネ。「孟宗竹」という名前の由来にもなっているそうです。

 最後は「道行初音旅」。太夫さんと三味線さんが舞台上のひな壇にずらりと並んでました。こういうのもアリなんですね。明るく華やかな狂言でした。勘十郎さんが今回も狐を熱演。なんか真面目な顔でやってるから面白いな〜(当たり前だけど)。歌舞伎と違って逸見藤太(はやみの とうた)が出てきての立ち回りはなし。

平成30年5月文楽公演
2018年5月
東京・国立劇場 小劇場

2018年5月16日観劇

公式サイト

『本朝廿四孝』

桔梗原の段
  口:芳穂太夫
    團吾
  奥:三輪太夫
    團七
五代目吉田玉助襲名披露 口上
景勝下駄の段
    織太夫
    寛治
襲名披露狂言
勘助住家の段
  前:呂太夫
    清介
  後:呂勢太夫
    清治

高坂妻唐織:簑二郎
越名妻入江:一輔
慈悲蔵 実は直江山城之助:玉男
一子峰松:簑悠
高坂弾正:玉輝
越名弾正:文司
女房お種:和生
百姓正五郎:玉路
百姓戸助:和馬
長尾景勝:玉也
勘助の母【勘助住家(前)まで】:勘十郎
横蔵 後に山本勘助:幸助改め 玉助
勘助の母【勘助住家(後)から】:簑助
奴:大ぜい
家来:大ぜい


『義経千本桜』

道行初音旅

静御前:咲太夫
狐忠信:織太夫
 ツ :津國太夫
    南都太夫
    咲寿太夫
    小住太夫
    亘太夫
    碩太夫
  レ:文字栄太夫
    燕三
    宗助
    清志郎
    清馗
    清丈
    友之助
    清公
    清允
    燕二郎

静御前:清十郎
狐忠信:勘十郎

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2018/05/13

【バレエ】ため息つくほどじゃないけど素晴らしい公演でした。『ヌレエフ・ガラ』ウィーン国立バレエ団2018来日公演

 今回のウィーン国立バレエ団の来日公演は、「海賊」はパスして「ヌレエフ・ガラ」だけ鑑賞。
 GWの海外旅行の時差ボケと、鼻風邪とで頭がぼーっとし、時おり意識消失していたので偉そうなことは言えませんが、感動!というほどではないけど、演目も渋くてよく練られていて、なかなか良い公演だったと思います。
 ヌレエフというとパリ・オペラ座を思い浮かべるけど、亡命後の1964年にウィーン国立バレエ団で自ら振り付けた『白鳥の湖』を踊ったのをきっかけにウィーンを活躍の場とし、のちにはオーストリア国籍を取得。ヌレエフ/ウィーン国立バレエ団の『白鳥』の動画は、こちら(Youtube)で全幕見ることができますヨ!

 今回のガラは、演目がたくさんで初めて見るものも多かったので、あんまり記憶してませんが、備忘録として感想を書き留めておきます。お目汚しご容赦ください。

 『Opus 25』。ショパンのエチュードのピアノ生演奏で、振り付けのエノ・ペチが自ら踊ります。ピアニストの椅子の端っこに腰掛けたりして、ちょっと雰囲気があってよかったです。

 『ヨゼフの伝説』より。30代の若きノイマイヤー振り付けの作品。旧約聖書の物語がオリジナル。今回演じられたのは、ポティファルの妻がヨゼフを誘惑するシーンか?ふんどし一丁みたいな衣裳が衝撃的。しかも最後は何と男性が裸に!?その瞬間、にゃん子がオペラグラスを手にしたのをぽん太は見逃さなかった。

 『ソロ』というタイトルですが、三人の男性の踊り。ちょっとコミカルです。木本全優くん、なかなかいい体してますね。踊りも良かったです。

 『ベール・ギュント』。若い恋人たちのラブラブな踊り。雰囲気はありましたが、バレエらしい動きはあんまりなかった気がします。

 さておまちかね、ルグリ先生がツィンバルと大人の雰囲気たっぷりに『ランデヴー』を踊りました。これ、前にもどこかで見たな。音楽は有名なシャンソン『枯葉』……というのは実は不正確な言い方で、もともとジョゼフ・コズマがこのバレエのために1945年に作った曲。翌年ジャック・プレヴェールが詞を加え、マルセル・カルネの映画「夜の門」の挿入歌として使われたものがヒットし、 『枯葉』というシャンソンの名曲として知られるようになりました。この『ランデヴー』の方がオリジナルというわけです。これ、豆知識な。
 ルグリ先生、まだまだ踊れますね。こういう雰囲気を一瞬で作り出す技は見事としか言いようがありません。

 『シーニュ 白鳥』。もしも白鳥がジャンキーだったら……なんて設定のわけないよね。六本木の路地裏の瀕死の白鳥か?映像が使われたりして、衣装の羽もなんか変。子役の少年の動きもバレエらしくありません。なんかぽん太は好きくない。

 『コンチェルト』。マクミラン振り付けの美しい抽象バレエ。ってゆーか、ショスタコーヴィチががこんな叙情的な曲を書いてたとはしらなんだ。ラフマニノフかと思ったぜい。ピアノ協奏曲第2番ってくらいだから初期の作品かと思ったら、1957年、51歳の作ですね。先日のノイマイヤーの「ニジンスキー」で使われてた交響曲第11番の前年。ショスタコーヴィチも芸域が広いんですね。ぽん太はそっちに食いつきました。

 『赤のジゼル』は、ロシアの偉大なバレリーナで、のちに精神を病んだオリガ・スペシフツェワの一生に基づいた作品。ヨーロッパでは忘れ去られていた『ジゼル』をヨーロッパに伝えたことでも知られています。だから「赤の(ロシアの)ジゼル」なんでしょうね。スタイリッシュな踊りと衣裳で良かったです。あごひげをたくわえたウラジーミル・シショフの雰囲気がぴったりでした。

 『ストラヴィンスキー・ムーヴメンツ』は、オシャレなモダンバレエですが、「でんぐり紙」(あの七夕飾りで畳んであるのをぐるっと広げると蜂の巣状のぼんぼりになるやつ)みたいな衣裳が面白かったです。飛行機用の枕みたいなのもありました。

 さてルグリ先生が再び登場。ツィンバルとノイマイヤーの『シルヴィア』。素朴な女性を素朴な男性が追いかけてきて、純朴な愛を確かめ合うみたいな踊り。これのどこがシルヴィアなんだい。ぽん太には皆わかりません。ルグリ先生もよかったですが、リアブコでも見てみたくなりました。

 いよいよ最後は≪ヌレエフ・セレブレーション≫。ヌレエフの振り付けで「くるみ割り人形」、「ライモンダ」、「白鳥の湖」から、全11作品の大盤振る舞い。
 ぽん太は年は食ってるけれどバレエファン歴は浅いので、ヌレエフは同時代的には観ていませんから、たいした感慨はありませんでした。でも舞台の背景に飾られたヌレエフの写真が、ちょっとエキセントリックな彼の一般的なイメージとは違って、とっても優しそうな笑顔を浮かべた晩年の写真であるのを見て、ルグリはどういういう気持ちでこの写真を選んだんだろうかなどと考えていたら、ちょっとじわっときました。
 ぽん太から見たヌレエフの振り付けの印象は、「地味なのに難しそう」。「くるみ割り人形」のバジリオくん、なんかフラフラしてました。せっかく橋本清香さんが頑張ってるのにpout
 ラストの「「黒鳥のパ・ド・ドゥ」では、木本全優くんが王子様。リュドミラ・コノヴァロワは、2回転入れて頑張ってました。やっぱりコンテより古典の方が盛り上がるね。
 ミーハーのぽん太の感想でした。

「ヌレエフ・ガラ」
5/10(木)14:00
Bunkamura オーチャードホール

公式サイト

芸術監督:マニュエル・ルグリ


『ワルツ・ファンタジー』
振付:ジョージ・バランシン
音楽:M.グリンカ(「ワルツ・ファンタジー」)
ナターシャ・マイヤー、ヤコブ・フェイフェルリック
エレーナ・ボッターロ、アデーレ・フィオッキ、ズヴェヴァ・ガルジューロ、マディソン・ヤン

『Opus 25』
振付・コンセプト・照明:エノ・ペチ
音楽:F.ショパン(「エチュード」作品25-7)
ピアノ演奏:イゴール・ザプラヴディン
マリア・ヤコヴレワ、エノ・ペチ

『ヨゼフの伝説』より
振付・演出・照明コンセプト:ジョン・ノイマイヤー
音楽:R.シュトラウス(「ヨゼフの伝説」作品25-7)
ヨゼフ:デニス・チェリェヴィチコ
ポティファルの妻:ケテヴァン・パパヴァ

『ソロ』
振付:ハンス・ファン・マーネン
音楽:J.S.バッハ(「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」BWV 1002<クーラントードゥーブル>)
衣装・装置ケソ・デッカー
照明:ヨープ・カボルト
木本全優、リハルド・サボー、ジェロー・ウィリック

『ペール・ギュント』より
振付・台本・照明:エドワード・クルーグ
音楽:エドヴァルド・グリーグ(「ピアノ協奏曲第1番」作品16 第2楽章:アダージョ)
衣裳:レオ・キュラス
アリーチェ・フィレンツェ、ヤコブ・ファイフェルリック

『ランデヴー』より
振付:ローラン・プティ
振付指導:ルイジ・ボニーノ
音楽:ジョゼフ・コズマ(「ランデヴー」)
衣裳:メイヨー
イリーナ・ツィンバル、マニュエル・ルグリ

『マーマレーション』より
振付:エドワード・リアン
音楽:エツィオ・ボッソ(「ヴァイオリン協奏曲第1番」

ニーナ・ポラコワ、イオアンナ・アヴラアム、アリーチェ・フィレンツェ、ニキーシャ・フォゴ、ズヴェヴァ・ガルジューロ、ガラ・ヨヴァノヴィチ、 アニータ・マノロヴァ、スーザン・オパーマン
ロマン・ラツィック、ヤコブ・フェイフェルリック、ミハイル・ソスノフスキ、レオナルド・バジリオ、フランチェスコ・コスタ、ジェロー・ウィリック、イゴール・ミロシュ、トリスタン・リーデル、ジョルト・トゥルック

『シーニュ 白鳥』
振付:ダニエル・プロイエット
音楽:オルガ・ヴォイチェホヴスカ(「シーニュ」)
衣裳:スティーネ・シェーグレン
照明:クリスティン・ブレータル
映像:ヤニブ・コーエン
ケテヴァン・パパヴァ
川西凛空(Kバレエスクール)

『コンチェルト』より
振付:ケネス・マクミラン
音楽:ドミトリー・ショスタコーヴィチ(「ピアノ協奏曲第2番」作品102第2楽章:アンダンテ)
衣裳・装置:デボラ・マクミラン
照明:ジョン・B・リード
リュドミラ・コノヴァロワ、ロマン・ラツィック
エレーナ・ボッターロ、アニータ・マノロヴァ、芝本梨花子
リハルド・サボー、ドゥミトゥル・タラン、アンドレイ・テテリン

『赤のジゼル』より
振付・照明:ボリス・エイフマン
音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(「マンフレッド交響曲」作品58)
衣裳:ヴァチェスラフ・オークネク
オルガ・エシナ、ウラジーミル・シショフ

『ストラヴィンスキー・ムーヴメンツ』より
振付:アンドラーシュ・ルカーチ
音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー(「プルチネッラ組曲」(1949年版)<セレナータ>、「5本の指で」<ラルゲット>、「ミューズを率いるアポロ」<アポテオース>)
衣裳製作:モニカ・ヘルヴァルト
照明:アッティラ・ザボー
アリーチェ・フィレンツェ、木本全優
イオアンナ・アヴラアム、ジェームス・ステフェンス、
ニキーシャ・フォゴ、アレクサンドル・トカチェンコ
ズヴェヴァ・ガルジューロ、アルネ・ヴァンデルヴェルデ
ジェロー・ウィリック

『シルヴィア』より
振付:ジョン・ノイマイヤー
音楽:レオ・ドリーブ(「シルヴィア」)
衣裳:ヤニス・ココス
イリーナ・ツィンバル、マニュエル・ルグリ

≪ヌレエフ・セレブレーション≫
振付:ルドルフ・ヌレエフ (マリウス・プティパとレフ・イワーノフに基づく) 
構成:マニュエル・ルグリ
音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー、アレクサンドル・グラズノフ
衣裳:ルイザ・スピナテッリ、ニコラス・ジョージアディス
衣裳アシスタント(スピナテッリ):モニア・トルチア

 『くるみ割り人形』
 第2幕“パ・ド・ドゥ”
 橋本清香、レオナルド・バジリオ

 『ライモンダ』
 第3幕より”ヘンリエットのヴァリエーション”
 ナターシャ・マイヤー

 第3幕より”4人の騎士の踊り”
 スコット・マッケンジー、トリスタン・リーデル、ドゥミトゥル・タラン、アルネ・ヴァンデルヴェルデ、ジェロー・ウィリック

 第3幕より”クレメンスのヴァリエーション”
 ニキーシャ・フォゴ、アニータ・マノロヴァ、芝本梨花子

 第2幕より”アブデラーマンのヴァリエーション”
 ミハイル・ソスノフスキ

 第2幕より”サラセン人の踊り”
 ズヴェヴァ・ガルジューロ、フランチェスコ・コスタ

 第2幕より”ライモンダのヴァリエーション”
 ニーナ・ポラコワ

 『白鳥の湖』
 第1幕より”パ・ド・サンク(コーダ)”
 ヤコブ・フェイフェルリック、イオアンナ・アヴラアム、アリーチェ・フィレンツェ、
 スコット・マッケンジー、リハルド・サボー

 第1幕より”王子のヴァリエーション”
 デニス・チェリェヴィチコ

 第3幕より”スペインの踊り”
 ガラ・ヨヴァノヴィチ、アライヤ・ロジャーズ=ママン、アレクサンドル・トカチェンコ、アンドレイ・テテリン

 第3幕より”黒鳥のパ・ド・ドゥ(コーダ)”
 リュドミラ・コノヴァロワ、木本全優

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2018/05/07

【バルト三国(1)】いつものように日程のご案内(これだけで終わるかも)

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エストニアの首都タリンの旧市街


 今年のゴールデンウィークは、バルト三国を旅行してきました。
 ロシアの西側にある三つの小国で、ソ連から独立したことぐらいしか予備知識はありませんでした。
 数年前から行きたかったのですが、ツアーが成立しなかったりして延びのびに。しかし今年、バルト三国はロシア帝国からの独立100周年を迎え、また1月には安倍首相がバルト三国を歴訪。機運が高まっての今回の旅行となりました。
 今回もユーラシア旅行社さんにお世話になりました。利用したのは「バルト三国古都巡りと世界遺産クルシュー砂州 8日間」です。とっても楽しい旅でした。ガイドさんもいろいろとありがとうございました。

 まずは恒例の日程のご案内です。最近はぽん太の海外旅行の報告は、これだけで終わるのが多いのですが……。

【1日目】
airplane午前中にスカンジナビア航空で成田出発。デンマーク・コペンハーゲンで乗り継ぎ、リトアニアの首都ヴィリニュスへ。
nightヴィリニュス泊 ベスト・ウェスタン・ヴィリニュス BEST WESTERN VILINYIUS

【2日目】
camera午前中、ヴィリニュス市内観光。「杉原千畝モニュメント」&「さくら公園」ナチスの迫害を受けた多くのユダヤ人にビザを発給した外交官・杉原千畝のモニュメント。彼の出身校の早稲田大学の学生によって植樹されたさくら公園。「聖ペテロとパウロの教会」バロック様式の装飾が見事。
 世界遺産に指定された旧市街に移動し、「聖アンナ教会」赤いレンガ造りの後期ゴシック様式の教会。「琥珀博物館」、「聖ヨハネ教会」旧市街で最も高い鐘楼に登って展望。「ヴィリニュス大学」 、「大統領官邸」 、「大聖堂」、「夜明けの門」聖母のイコンを祀っている。
restaurant昼食。AULAにてキビナイ(リトアニア風パイ)をいただく。
busバスでリトアニア第二の都市カウナスに移動。
cameraカウナス市内観光。「杉原記念館(旧日本領事館)」。
 旧市街の散策。 「ペルクーナスの家」15世紀のゴシック様式。「旧市庁舎」、「大聖堂」、「カウナス城」、「メトロポリスホテル」杉原千畝が宿泊中にもビザを発給。「ヴィエニベス広場」
restaurant旧市街のレストランFORTO DVARASにて夕食。コウドゥナイ(リトアニア風餃子)をいただく。
nightカウナス泊 ベストウェスタン・サンタコス BEST WESTERN SANTAKOS

【3日目】
busバスで移動。フェリーでクルシュー砂州(世界「文化」遺産)にわたり、ロシアの飛び地カリーニングラード州との国境近くの街、二ダに向かいます。途中バルト海側の海岸で琥珀探し。
restaurantニダのレストランKRUSISにて昼食。ザンダー(スズキ科の淡水魚)の焼き魚。
cameraニダ市内観光(伝統的な木造家屋。「ルター教会」)。「トーマス・マン博物館」(元はトーマス・マンの別荘)。
「パルニッジョ砂丘」ロシアとの国境。
busバスでリトアニア第三の街クライペダに移動。
restaurantホテル(下記)のレストランで夕食。とっても硬い牛肉のステーキ。
nightクライペダ泊(アンバートン・クライペダ AMBERTON KLAIPEDA)

【4日目】
cameraクライペダ市内観光。レトロなクライペダ中央郵便局。
旧市街へ。「ドラマ劇場」と「劇場広場」。「帆船メリディアス号」、「ドイツ式の木骨組みの旧倉庫」、「
restaurant要塞跡近くにあるレストランPILIES UOSTASで昼食(鱈のムニエル)。
busバスでラトビア共和国の首都リガを目指します。
camera途中、シャウレイ近くの「十字架の丘」を観光。
restaurantリガの旧市街にあるレストランALUS ARSNALESで夕食。メインのツーカス・リビニャス(豚のリブステーキ)はトロトロでした。
nightリガ泊。ラジソンBLUダウガワ RADISON BLU DAUGAVA泊。

【5日目】
cameraリガ市内観光。「ユーゲントシュティール(アールヌーボー)建築群」
旧市街散策。「ブラックヘッドの会館」、「聖ペテロ教会」展望台にも登ります。「猫の家」、「スウェーデン門」、「リガ城」、「リガ大聖堂」パイプオルガンコンサートを楽しみます。
restaurantCITI LAKIにて昼食。メニューはカーポストゥ・ティーテニス(ラトビア風ロールキャベツ)。
busバスでエストニアの首都タリンに向かいます。
restaurantホテルのレストランにて、魚のムニエル。
nightタリン泊。ラディソンBLUスカイ・タリン RADISSON BLU SKY TALLINN

【6日目】
cameraタリン市内観光。「カドリオルク公園」、「歌の原」
旧市街。「アレクサンドル・ネフスキー聖堂」、「トームペア城」、「大聖堂」、「展望台」、「聖ニコラス教会」(「死のダンス」という絵が有名)、「旧市庁舎」、「大ギルドの会館」、「ブラックヘッドの会館」
restaurant昼食は天皇皇后両陛下や英国のエリザベス女王がお泊りになったスリー・シスターズ・ホテルのレストランでチキンのコロッケ。
camera午後は自由行動ですが、ガイドさんと一緒に旧市街散策。
「ふとっちょマルガリータ」、「エストニア号モニュメント」、「聖オレフ教会」、「塔の広場」、「精霊教会」、「市議会薬局」、タリン最古のカフェ「アイスモック」でコーヒータイム。「ドミニコ・修道院」、「セーターの壁」、「
restaurant中世の雰囲気が楽しめる有名レストラン「オルデ・ハンザ」にて。
nightタリン泊。ラディソンBLUスカイ・タリン RADISSON BLU SKY TALLINN

【7日目】
airplane早朝にタリンを出発し、コペンハーゲンでトランジット。
camera長めのトランジットの間、ガイドさんがコペンハーゲン・ミニ観光を組んでくださいました。「王立劇場」、「ニューハウン」、「人魚姫の像」、「クリスチャンボー宮殿」
airplane午後、飛行機で日本に向けて出発
night機中泊

【8日目】
airplane朝、成田空港に到着。お疲れ様でした。

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