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2020/01/03

【仏像】運慶の北円堂・康慶の南円堂特別公開/興福寺(奈良市)

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 なんども行っている興福寺ですが、これまでぽん太のブログに詳しい記載なし。こんかい書いてみます。ただ、あまりに仏像が多いので国宝館は省略。
 今年の秋は、北円堂と南円堂の特別公開が行われておりました。


寺院名】法相宗大本山 興福寺
【公式サイト】http://www.kohfukuji.com
【住所】奈良県奈良市上り大路町48
【拝観日】2019年11月5日
【拝観】毎日拝観可。拝観料いろいろ(拝観の範囲によります)。
【仏像】⦿国宝 ◎重要文化財
 お姿は、興福寺の公式サイトのこちらのページで見れます(「安置場所から探す」から入ると見つけやすいです)。

北円堂
⦿木造弥勒如来坐像 寄木造 彫眼 漆箔 像高141.9cm 鎌倉時代
 大妙相菩薩 桧 寄木造 漆箔 玉眼 室町時代
 法苑林菩薩 桧 寄木造 漆箔 玉眼 室町時代
⦿無著菩薩立像 寄木造 彩色 玉眼 像高194.7cm 鎌倉時代 運慶作
⦿世親菩薩立像 寄木造 彩色 玉眼 像高191.6cm 鎌倉時代 運慶作
⦿木心乾漆造四天王立像 彫眼 彩色 像高134.7〜139.7 平安時代

南円堂
⦿木造不空羂索観音菩薩坐像 桧 寄木造 漆箔 彫眼(瞳は玉眼) 鎌倉時代 康慶作
⦿木造法相六祖坐像 桧 寄木造 彩色 玉眼 像高73.3〜84.8cm 鎌倉時代 康慶作
⦿木造四天王立像 桧 寄木造 彩色 彫眼 像高198.0〜204.5cm 鎌倉時代 康慶作

東金堂
◎銅像薬師如来坐像 銅造 漆箔 彫眼 像高255.0cm 室町時代
◎銅像日光・月光菩薩立像 銅像 鍍金 像高 日光300.3cm 月光298.0cm 白鳳時代
⦿木造十二神将立像 桧 寄木造 彩色 彫眼 像高113.0cm〜126.3cm 鎌倉時代
⦿木造維摩居士坐像 桧 寄木造 彩色 玉眼 像高 88.1cm 鎌倉時代
⦿文殊菩薩坐像 桧 寄木造 彩色 玉眼 像高 94.0cm 鎌倉時代
⦿木造四天王立像 桧 一木造 彩色 瞳は黒漆 像高153.0cm〜164.0cm 平安時代

中金堂
 木造釈迦如来坐像 桧 寄木造 漆箔 彫眼 像高283.9cm 江戸時代 赤尾右京作
◎木造大黒天立像 桧 一木造 彩色 彫眼 像高93.8cm 鎌倉時代
◎厨子入り木造吉祥倚像 桧 一木造 彩色 彫眼 像高64.3cm 南北朝時代
⦿木造四天王立像 桂 寄木造 彩色 彫眼 像高197.2〜206.6cm 鎌倉時代
◎木造薬王・薬上菩薩立像 桧 寄木造 漆箔 彫眼 像高 薬王362.0cm 薬上360.0cm 鎌倉時代




 まずは北円堂。内部には運慶の宇宙が広がります。
 中央には、国宝・弥勒如来坐像。運慶の円熟の境地を示す名品です。優れた空間感覚を発揮しつつも、力みのない自然なポーズ。お顔も口元をちょっと引き締めて、静か深い表情。いささかやりすぎの感もあった躍動感は身を潜め、静かに内部に沈潜しております。
 両脇侍の大妙相菩薩・ 法苑林菩薩は当初のものは失われ、残念ながら室町時代のもの。それぞれ内側の足を踏み下げて座っています。残念ながら、中尊との差は歴然。
 大妙相菩薩・ 法苑林菩薩がどういう菩薩なのか、弥勒如来の脇侍である根拠などは、ぽん太にはちとわかりません。

 やや後ろには、運慶作の無著菩薩立像と世親菩薩立像。像高2メートル弱と、等身大より大きめ。独特の表情は一度見たら忘れません。後ろから見た肩から背中のラインなども、とてもリアルです。
 無著・世親は4世紀ごろに実在したインドの僧侶です。二人は兄弟で、唯識派を代表する学僧です。唯識論では、空の思想を基本に、あらゆるものは阿頼耶識とよばれる深層意識によって生み出されると考えるそうですが、なんのことやらぽん太にはわかりません。唯識派は三蔵法師(玄奘)によって東アジアに伝わって法相宗を生み出し、日本へは奈良時代に伝わり、興福寺や薬師寺が作られました。

 四方を守る四天王像は平安時代初期のもので、木心乾漆造、高さも140cm以下。これはこれで素晴らしい名品ですが、運慶の仏像とはバランスがとれておりません。
 元々あったはずの四天王は、行方不明です。南円堂に安置されてきて、平成29年から中金堂に移された四天王がそれだ、という説もあるけれど、定かではないそうです。

 続いて南円堂。こちらは運慶の父であり、慶派の基礎を築いた康慶の世界です。
 中央には像高3メートルを超える不空羂索観音の坐像。三目八臂のお姿で金箔が残り、精緻な透かし彫りの光背も美しく、神秘的で荘厳なお姿です。南円堂は、治承4年(1180年)の南都焼討で消失したものを、康慶が中心となって復興しました。現存の不空羂索観音は、焼失した奈良時代の仏像の姿に習っているのだそうですが、8本の腕の配置や、胴から足にかけての流れなど、確かな造形感覚が伺えます。

 中尊を囲む六人の僧は、康慶作の国宝・法相六祖坐像。法相宗に貢献した六人の学僧の肖像彫刻です。無著・世親像ほどの写実性こそありませんが、特徴や体型、性格を見事に掘り上げています。

 四方を守るのが木造四天王立像。康慶作、国宝です。体が太くてどっしりしているところは古風な印象がありますが、生き生きとしたポーズで、エネルギッシュなお姿で、慶派の息吹を感じます。
 これまで作者不明で中金堂(仮堂)次いで仮金堂(仮講堂)に安置されておりましたが、近年の研究によって南円堂にあった康慶作の四天王であることが判明し、平成29年(2017年)に南円堂に移されました。そして、それまで置かれていた四天王は、平成30年(2018年)に再建した中金堂に移されております。

 その新しい中金堂に足を運びましょう。
 中金堂は歴史上何度も焼失と再建を繰り返されました。近年は文政2年(1819年)に再建されたましたが、それは規模も小さく質も悪い仮堂でした。そこで昭和49年(1974年)に、中金堂の裏手の講堂跡に仮金堂を建てて仏様を移しました。やがて中金堂は解体され、発掘調査ののち平成30年(2018年)に再建されました。そして仮金堂は、名称が仮講堂に変更されました。ちと、わかりにくいですね。
 出来立ての建物で、鮮やかな朱や、鴟尾の金色が美しいです。内部に入ると広くて白いステージ上のところに、ぽつりぽつりと仏像が置かれていて、ちょっと殺風景というか、有り難みにかけるのが残念。
 中金堂の中央に祀られているのは、像高3メートル弱の釈迦如来坐像。この仏さまが興福寺の御本尊です。ただ、江戸時代の文化8年(1811年)に再興されたもので、金ピカで美しいですが、ちょっと深みに欠けます。興福寺の信仰の中心ではありますが、美術品としてはいまひとつか。
 脇侍の薬王・薬上菩薩は鎌倉時代の作ですが、古い様式を模しております。以前は西金堂の本尊釈迦如来(現存の国宝館の木造仏頭)の脇侍だったものを、文政2年(1819年)の中金堂再建時に、中金堂の釈迦如来の脇侍としてお迎えしたものだそうです。

 四方に配置された国宝の四天王が絶品。躍動感あふれるポーズ、細かい彫りなど、慶派の傑作です。上に述べたように南円堂から移されたものですが、北円堂にあった運慶の作であるという説もあります。それもうなづける出来栄えです。

 その他に、重文の鎌倉時代の大黒天像、重文の南北朝時代の吉祥天倚像があります。

 最後に東金堂です。
 東金堂の本尊は、室町時代の銅造薬師如来。像高255センチの大きさです。しかし造形的には、お顔がふくらんだ風船みたいに大きく、胴体もすっきりと直立しておらず、両足の部分も薄っぺらいです。

 それに比べると、両脇侍の方が立派。白鳳時代の銅像の日光・月光菩薩です。もともとは山田寺(桜井市にあり、現存していない)にあったのでしたが、南都焼討のあと興福寺の僧兵が山田寺から薬師三尊を奪ってきました。その両脇侍が現存の日光・月光菩薩です。薬師如来はその後の火災で焼け落ち、頭部だけが「興福寺の仏頭」として国宝館に残っております。美しいプロポーションの優美でのびやかな像ですが、両脇侍とも額の部分に阿弥陀如来の化仏があります。これは図象的には観音菩薩であることを表しており、謎が残る仏さまです。

 木造文殊菩薩、維摩居士は、鎌倉時代作の国宝。写実性と様式性のバランスがよく、流れるような衣紋の表現や、柔らかさのある形象など、すばらしい仏さまです。定慶の作と言われております。定慶は、運慶の兄弟弟子と考えられており、興福寺国宝館にある木造金剛力士立像や、根津美術館にある帝釈天像が彼の手になると言われております。

 木造四天王像立像(国宝)は平安時代の作で、どっしりとした体つき、自然なポーズなど、国宝にふさわしい名品。

 同じく国宝の木造十二神将は鎌倉時代の作で、躍動感あふれ、キャラも立ってます。

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