カテゴリー「鉄道模型」の5件の記事

2014/02/17

【鉄道模型】トラ6000プラキット(HO1067、Models IMON)

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 ワム50000と同時にトラ6000も作ってみました。

 参考サイトはこちら!
IMON ワム50000 プラキット/models IMONの製品紹介ページ。ご購入もこちらから。
IMONプラ貨車、トラ6000 | 拝啓 井門義博です/井門氏のブログ。トラ6000の製作記。
国鉄トラ6000形貨車 - Wikipedia
[PDF]橡 トラ6000/トラ6000の形式図のpdfファイル。
貨車のページ 無蓋車編/トラ6000を含む無蓋車の写真あり。

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 トラ6000形は、戦前から戦後にかけて、汎用の無蓋車の主力として全国で使用されました。
 1941年(昭和16年)から1954年(昭和29年)にかけて計6,122両が新製されました。他形式から編入されたものも合わせると、総数は6,649両に及ぶそうです。一部が戦時中にトキ66000形に改造され、戦後に復元されるなど、複雑な経過を辿っているようです。
 1968年(昭和43年)10月国鉄ダイヤ改正時までにほとんどが2段リンク式に改造され、残りはトラ16000形に改称されて北海道で使われました。
 1965年(昭和40年)から廃車が始まり、1983年(昭和58年)に形式消滅となりました。

 作り方は、ワム50000と基本的に同じです。車輪は12φ 9.8スポークPL長軸黒車輪、カプラーはIMONカプラーHO101、インレタトラ6000用インレタを使用しました。
Img_7801 金属製のアオリ戸押さえは、井門氏のブログにあるように確かにかなり華奢なパーツなので、井門氏の失敗を参考に、折り曲げた部分にハンダを流しておきました。
 また井門氏の言う通り、この模型は手すりや札受けの位置に問題があるため、インレタを貼るスペースがなかったりします。井門氏はしかたなく別の位置に貼ったようですが、ぽん太は貼れないものは省略しました。
 アオリ戸押さえの接着には合成ゴム系を使用。つや消し黒のラッカー系スプレーで塗装したのち、タミヤのウェザリングセットで軽くウェザリングを施しました。
 次はこいつらを引っ張るものを造りたいところですが、いつのことになるやら。

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2014/02/16

【鉄道模型】ワム50000プラキット(HO1067、Models IMON製)

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 Models IMONのワム50000プラキットは、HO1067の車両が格安で手に入るという、ありがたい製品です。プラスチック製ということで、正月休みを利用して気軽に作ろうと思ったのですが、けっこう時間がかかってしまいました。

 参考URLはこちら!
 ・IMON ワム50000 プラキット | 鉄道模型 Models IMON/購入もこちらから。
 ・ワム50000を組立る | 拝啓 井門義博です/井門氏のブログ。自身による製作記があり、参考になります。
 ・ワム50000 - 筒井俊之の貨車研究サイト/ワム50000のデータや豊富な写真、形式図のpdfファイルもあり。
 ・国鉄ワム50000形貨車 - Wikipedia

Img_7795 ワム50000形は、1940年(昭和15年)から各社によって製造され、1946年(昭和21年)までに合計3645両が製造されました。前身のワム23000が鋼製だったのに対し、ワム50000は戦時設計だったため、木造に後戻りしました。筋交いの入った鉄柱に横羽目式の木造構造は、古風な魅力があります。
 1956〜57年(昭和31〜32年)に、90両が車体の鋼体化と2段リンク化の改造を施され、ワム90000形に編入されました。
 1963年(昭和38年)から、約半数の車両に対して、雨漏り対策として羽目板を耐水合板に交換する工事が進められました。同時に大部分に2段リンク化が施されました。
 1968年10月ダイヤ改正時に2段リンク化されていなかった26両は、ワム150000形と形式変更され、北海道で使われた後、1970年(昭和45年)までに全廃されました。
 大部分はダイヤ改正後も引き続き使用されましたが、1970年代前半から廃車が始まり、1985年(昭和60年)までに全廃されました。

 さて、キットに戻りますが、井門氏のブログでは塗装をしてから組み立てているようですが、塗装面同士の接着だと強度的に不安な気がしたので、ぽん太は組み立ててから塗装をすることにしました。
 さらにブログによると、このキットの素材は、一般のプラモデルに使われているスチロールではなく、ABS製とのこと。なんだそりゃ、とググってみたところ、普通のプラモ用の接着剤ではうまくくっつかないらしい。あわてて近くのホームセンターに行ってみたら、セメダイン 接着剤 ABS用というのがあったので、それを使うことにしました。
Img_7797 実はこのキットを通販で買ったとき、1台のつもりで、うっかり2台注文してしまいました。まったく同じものが2両というのも芸がないので、一両を耐水合板製に改造することにしました。このキットでは羽目板の合わせ目が凹ではく凸で表現されているので、それを削り取りました。ルーターにヤスリを付けて削り取り、残った隅っこの方は時計用マイナスドライバーのさきっちょでガリガリしました。完全にフラットにはなりませんでしたが、感じは出たと思います。削り終わってから写真を良く見ると、耐水合板製でも、中央に横一本つなぎ目があるようです。筋を一本だけ残しておけばよかったのですが、後の祭りです。凹の削り目を新たに入れることも考えましたが、失敗する可能性大なので止めました。
 また、手すりや連結器の開放テコも浮き彫りで表現されております。削り取って真鍮線で作り直す手もありますが、そこまでするなら最初から真鍮製のキットを買え!という気がしてきて、そのままにいたしました。
Img_7796 車輪は、IMON製の12φ9.8スポークPL長軸黒車輪を使いました。
 塗装は、再び近所のホームセンターで買った、ABSに塗装可能なラッカー系スプレーのつや消し黒を用いました。屋根は、同じくホームセンターで仕入れたストーン調のスプレーを吹いてみました。ちょっと粒子が粗すぎましたが、まあ良しとしました。
 ワム50000用インレタを使ってみましたが、これも慣れない作業で歪んでしまいました。だんだんとコツをつかんではきたのですが、現時点での技術力を反映していると考え、剥がしてやり直すのは止めました。
 妻板のブレーキ位置表示はデルタモデルの16番用があるとのことなので、買って試してみたのですが、古いものだったのかうまく転写できず、あっさりあきらめました。
 カプラーは、HO-101 IMONカプラーを取り付けてみました。ケーディーカプラーに比べて一回り小さいし、組み立てた状態でパチッと整うので、扱いやすいですね。確かにぽん太はこれまでケーディーのアームを使ったことは一度もありません。大きなレイアウトを持っている人でもなければ、アームはいらないと思います。
Img_7793 この車両が、ぽん太のHO1067デビューとなります。鉄道模型を始めた子供の頃から、16番(1/80, 16.5mm)のプロポーションには不満を持っておりました。線路幅が広すぎて狭軌の感じが出ない上に、下回りの彫りが薄っぺらになります。こうした不満のために、1/80, 13mmがあるわけですが、1/80という縮尺も13mmという線路幅も、日本独特のガラパゴス規格という欠点があります。だったらいっそのこと、国際的な縮尺(1/87)にあわせ、12mmにすれば……というのがHO1067の発想のようです。
 こうして妻板側から見た時の、車体と線路のバランスがいいです。スケールモデルならではの美しいプロポーションです。
 それから、ぽん太はこれまでウェザリングをしたことはなかったのですが、こんかい初めてチャレンジしてみました。タミヤからウェザリングマスターという商品が出ているのをネットで知り、これなら大失敗はなさそうだと思ったからです。ウェザリングマスターCセットで連結器やブレーキシューの赤錆色、ウェザリングマスター Aセットで下回りや車体の汚れを、控えめに表現してみました。

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2013/06/23

【鉄道模型】木曽の酒井製モーターカー(H0762, 1/87, G=9mm, モデルワーゲン)

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 これまた10年以上前に購入していハンダ付けまでしてあった木曽の酒井製モーターカー。塗装をしてパーツを取り付けてようやく完成いたしました。発売元はモデルワーゲン。公式サイトはこちらです。木曽の酒井製モーターカーの製品情報はこちら。またこちらにはキット組立講座があり、参考にさせていただきました。
Img_5226 とにかくちっちゃくて、未熟なぽん太の手に余りました。細かい所がすっきり仕上がりません。上回りの塗装は一回塗り分けに失敗し、シンナーのプールに投げ込んで、一から塗装し直しました。デカールを貼るのもうまくいかず、マークソフターなども生まれて初めて使ってみたのですが、背面のドアまわりがくっきりいきませんでした。また、上半分の塗装とデカールの色味が少し違ってしまいました。
Img_5236 下回りも、動力部分の調整に手間取りました。モーターの位置をどう調整しても、両輪がうまく回る位置が見つけられず、仕方なしに前後の車軸の間隔を近づける改造を行いました。フレームの溝の内側を少し削り、外側に真鍮線をハンダ付けして、ヤスリで整形しました。おかげで快調に走るようになりました。
 歯を食いしばった子供のような表情がかわいいヤツです。

Photo ところでこのモーターカー、保存車両を見たことがあります。木曽の赤沢森林鉄道記念館にありました。左はそのときの写真です(2004年9月撮影)。
P9010016 こちらが側面です。
P9010017 こちらが後ろです。

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2013/05/18

【鉄道模型】飛び出したパンタやSGの煙突が魅力の古豪EF57(珊瑚模型店製キット、HO・16番)

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 15年ほど前に買って組み立てたまま放置してあった珊瑚模型店のEF57を、時間があったので塗装してみました。数十年振りに鉄道模型に復帰して作った第一作なので、いろいろとアラが目立ちますが、いまさら修正するのは面倒なので、そのまま塗装しました。大昔に買ったと思われる天賞堂製のEF56用の運転台パーツがあったので、ヤスって整形して取り付け、KATOの機関士を座らせました。窓を開けた状態にしてあるのがご愛嬌です。EF56の車体前面はカーブが大きいので、EF57だとちょっと隙間ができてしまいますが、窓ガラス越しにはそんなに目立たないと考えて良しとしました。
Img_5108 昭和12年(1937年)、電気機関車として初めて列車暖房用のボイラー(SG)を搭載したEF56が登場。昭和15年(1940年)に、東海道本線の輸送力増強のため、MT38型主電動機を搭載して誕生したのがEF57です。最初の1輛はEF56と同じ外観でしたが、翌年から昭和18年(1943年)まで量産された14量は全面的に設計が変更され、パンタグラフが車体の両端に設置されました。当初はボイラーの調子が良くなく、わざわざ折り返し地点で向きを変えてボイラーが常に前に出るようにして機関助士がボイラーの面倒を見れるようにしたり、暖房車を連結して運転されることもあったそうです。
 昭和24年(1949年)に東海道本線の電化区間が浜松まで延長されたことで、静岡市内の架線の低い跨線橋を通過するため、パンタグラフを低くする必要が生じました。そのため取り付け位置がさらに前に出され、EF57独特の風貌が生まれました。特急「つばめ」や「はと」を牽引し、EF57の全盛期でした。
 しかし昭和31年(1956年)に東海道本線が全線電化されると、EF57ではボイラーの容量が不足するようになったため、EF58とコンバートされて、EF57は上越線に移りました。雪対策として可動式スノープロウが新設され、正面窓につらら切り(日よけ)、汽笛に雪よけカバーがつけられました。この頃は客車に乗り切れなかったスキー客がデッキにも乗車し、スキーがパンタグラフに当たって感電する事故もあったと聞いております。
  昭和35年(1960年)、長岡−新潟間の電化にともなって再びボイラー容量不足が懸念され、全機宇都宮に移動。スノープロウや汽笛カバーが撤去されました。
 昭和40年(1965年)、列車暖房装置が電気式(EG)に改造され、助手席窓側に表示灯、デッキ両端にジャンパ栓が新設され、屋根上の煙突と水タンクハッチが撤去されました(以上「とれいん」平成4年11月号参照)。
 この珊瑚模型店のキットを見てみると、暖房用蒸気発生装置(SG)を搭載し、つらら切りとスノープロウ取り付け座がありますが、スノープロウや汽笛の雪よけカバーはありません。ということは、宇都宮(東北線)に移った数年後と考えられます。塗装に関しては、ブドウ色2号が正式に採用されたのは昭和34年(1959年)ですが、EF57が直ちに塗り替えられたわけではなく、修理や改造のおりに徐々に塗り替えられたと考えられます。電気機関車でありながらボイラーの煙突を備え、屋根上にベンチレーターを並べた古風な出で立ちの車両なので、ぽん太はブドウ色1号で塗ってみました。
Img_5106 ディティールは特に付け加えませんでした。屋根上の高圧引き込み線は目立つアイテムですが、こちらのムサシノモデルのページにあるように時期によっていろいろ変わっているようで、細かい構造もよくわからないので、今回は省略しました。台車の第1エンドにある手動ブレーキぐらいは付ければよかったです。

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2005/12/05

ED12(ムサシノモデル、HOゲージ)を作ってみた

 ムサシノモデルのED12(HOゲージ)が完成いたしました。
 買ったのはいつだか記憶なし。数年前にハンダ付けまで終えて放置してあったのを、こんかい色を塗って仕上げました。ブレーキロッドが台車と一体のダイカスト製だったので、真鍮線で作り直しました。また、独特の形の砂まき管を付け加えました。
PC040004 ED12はスイスのブラウン・ボーベリ社(Brown Boveri)から輸入された電気機関車です。形態は異彩を放っており、細くしぼった運転室、長いひさし、ひさしにちょこんとつり下がったヘッドライト、大きな車輪、屋根上に担いだ2本の大きなエアータンクなどが特徴です。
 車輪が大きい理由ですが、久保敏他『電気機関車展望1』(交友社、1986年、絶版?)によると、通常は片側にある主電動機(モーター)の歯車が、ED12では両側に取り付けられているのだそうです。そのため主電動機の長さが短くなる分、直径が大きくなってしまいます。その大きい主電動機を納めるため、車輪の直径を大きくせざるをえないのだそうです。同書に収められた土田宗一の真横から撮った写真を見ると、車輪と車輪のあいだに主電動機が見えますが、ムサシノモデルのキットはこのシルエットもモデル化してあります。
PC040017 1924年の東海道線の電化にむけて各国より電気機関車がサンプル的に輸入されましたが、この電気機関車もそのひとつだそうです。1923年(大正12年)にブラウン・ボーベリ社で1020形として製造されたものを、2両輸入しました。
 ED12-1は1936年2月10日、国府津で西尾克三郎が撮った写真が前掲書に収められており、これが今回作ったムサシノモデルの模型のプロトタイプとなっています。側面に交互に並んでいた窓とベンチレーターが窓に改造され、両端は当初と異なる形のベンチレーターがはめ込まれています。1948年11月に廃車となって西武鉄道に払い下げられ、E51として長く使われたのち、1976年に動輪のスポークにひびが入ったため廃車になっています。
 ED12-2は1949年3月に廃車となって同じく西武鉄道に払い下げられてE52となりました。1986年まで現役で活躍しましたが廃車となり、その後は横瀬駅で保存されています。
 色は当初は黒で、しばらくして濃い茶色になったそうですが、その年代はわかりません。特異な形態の真黒い電気機関車もおもしろそうだったので、ぽん太は黒く塗ってみました(写真では茶色っぽく写っていますが)。

ED121
 1923年、1020として新製
 1928年、ED121に形式変更
 1948年11月、廃車
 1950年、西武鉄道E51となる
 1976年、廃車

ED122
 1923年、1021として新製
 1928年、ED122に形式変更
 1949年3月、廃車
 1950年、西武鉄道E52となる
 1986年、廃車となり、横瀬に保存

参考リンク
http://jnr.site.ne.jp/weekly/htm/e52.htm2001年10月8日に横瀬で撮影したE52のカラー写真。
http://www.hobidas.com/blog/rail/photo/archives/2005/12/ed12.html1969年4月25日に所沢で撮ったE52の白黒写真。
http://hokuso.com/meiki/html-meiki-el-02.html1976年1月、石神井公園駅で撮影したE52の白黒写真。

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