カテゴリー「精神医療・福祉」の61件の記事

【副作用】便秘薬の酸化マグネシウムの副作用で死亡例も!?

 本日の朝刊に、便秘薬としてよく使われる酸化マグネシウムの副作用に関する記事が掲載されていました。例えば毎日新聞の記事はこちらで、「酸化マグネシウム:便秘薬など副作用15件、うち2人死亡」というタイトルになっております。
 タイトルだけ読むと、命を失いかねない恐ろしい薬のようですが、記事をよく読んでみると、「『酸化マグネシウム』の服用が原因とみられる副作用報告が05年4月~今年8月に15件あり、うち2人が死亡していた」とのこと。3年4ヶ月で15件、死亡が2名ということです。その記事によれば、酸化マグネシウムの推計使用者は、年間延べ約4500万人とのこと。それが3年4ヶ月分ですから、リスクは高いとはいえません。使用を控える必要はないと思いますが、副作用を常に念頭に起きながら診療をすることと、定期的な血液検査は行う必要がありそうです。
 今回の情報は、厚労省が月1回出している「医薬品・医療機器等安全性情報」に掲載されたものですが、なぜかそれは厚労省のホームページにはアップされておらず、「独立行政法人医薬品医療機器総合機構」が運営する医薬品医療機器情報提供ホームページというサイトのこのページで読むことができます(きっと天下り先ではないでしょう)。平成20年11月27日(No,252)で、そのpdfファイルはこちらで読むことができます。
 そこに死亡例2例の概略が出ておりますが、おのおの80歳代、90歳代と高齢ですので、若い人に用いる場合にはリスクは高くなさそうですが、それでも十分な注意が必要と思われます。
 酸化マグネシウムの販売名の一覧も、上記のpdfファイルに書いてあります。
 高マグネシウム血症の症状もまた、上記のpdfファイルにも出てますが、またこちらのメルクマニュアル家庭版でも見ることができます。初期症状としては、悪心・嘔吐、口渇、血圧低下、徐脈、皮膚潮紅、筋力低下、傾眠などがみられ、重篤になると、呼吸抑制や意識障害、不整脈などが現れ、心停止にいたることがあるようです。治療としては、カルシウム製剤や利尿剤、透析などが行われるようですが、クリニックレベルでここまで行ってしまってはダメで、そうなる前に発見して薬の投与を中止する必要があると考えられます。

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【医療】医者の書く書類が多すぎます

 7月になってほとんどブログを書いていないぽん太ですが、では何を書いていたのかというと、障害年金の診断書を書いていました。
 人間の世界ではまさかそんなバカなことはないと思いますが、タヌキの世界では、2年前にも書きましたが、国民年金の障害年金の診断書が7月にまとめてくるので大忙しです。ぽん太の弱小クリニックでも、十数人の書類を書かなくてはなりません。この書類、A3の裏表あり、まじめに書くと1枚につき30分近くかかります。15枚書くとして、30*15=450分=7時間30分で、ほぼ一日分の診療時間に匹敵します。書類書きのためにまる1日休診しているのと同じで、このために30人以上の患者さんの診察ができない計算になります。
 医師不足と世間が騒いでいる状況で、まったくもったいない話しです。
 この診断書は数年ごと(病状によって異なる)に出すのですが、これまでの病歴など、前回とまったく同じ部分が9割を占めています。ですから前回に比べて変わったところだけを書くだけなら、十分の一の時間ですみます。450/10=45分で、これなら患者さん3〜4人の診察時間で済みます。
 あるいはパソコンで書けるようなフォーマットになっていれば、前回の診断書を一部修正するだけで済みます。さまざまな書類を電子化するのは莫大な費用がかかると思いますが、パソコンで書けるようなフォーマットに変更し、フォーマットをダウンロードできるようにするだけで、相当な事務処理の効率化につながるのではないかと思うのですが……。でもその際、Wordのフォーマットだけでなく、AppleWorksのフォーマットでもお願いしますね。Macユーザーのぽん太はWordのために高いソフトを買うのは嫌ですし、公務員が特定のOSを推奨するのはおかしいと思います。でも実際は、(タヌキの)東京都のホームページにある申請書などで、WordやExcelの形式が多くみられるのが事実です。

 近年タヌキの世界では、医師による書類作成の負担が予想以上に増加しております。事務作業のために医師の多大な時間を割くのはもったいないと考えられるようになり、医療クラーク(医療秘書)に事務作業を分担させようという動きが出て来ています。今年の4月の診療報酬の改定でも、病院の場合、医療クラークを配置すると診療報酬に加算がつくようになりました(たとえばこちらのニュースを参照して下さい)。
 ぽん太のような診療所にはこのような加算はありませんが、それでもぽん太の負担を軽減するため、多くの書類において、前回に比べて変わったところだけをぽん太が書き、あとは事務員さんに書き写してもらうことにしました。これでとっても楽になりました。なんせ先ほど言ったように、9割は前回と同じなのですから。医療クラークに加算をつけるまえに、書類のパソコン・フォーマットを作るだけで、多額の医療費を節約できると思うのですが……。

 とにかく(タヌキの世界の)書類は煩雑で、同じことを何度も書かなくてはならず、めんどくさいです。ところが市役所の職員に「ホントにめんどくさいですよね〜」などとグチをこぼしても、「そうですね〜」という返事が返ってきません。そのことが前から気になっていたのですが、ある日突然わかったのですが、彼ら(彼女ら)は、この煩雑な事務処理がなければ自分たちの仕事がなくなることを熟知しているのです。ですから彼ら(彼女ら)は、無意味に複雑な書類に文句も言わずに対応しているのです。

 ついでに以前の記事で書いたことを繰り返せば、自立支援医療費(精神通院)で、月額の上限額を計算するために、医療機関と薬局で書類のやりとりをするのも、とても煩雑です。ぽん太のクリニックで月額の上限を超えるのは多くて10人程度。それ意外のひとたちは上限を越えず、実質的には無意味な書類のやりとりを、100人近くで行わなくてはなりません。その事務の負担や、上限管理票の印刷や配布の手間などを考慮した場合、経済的に意味があるのでしょうか? 以前にも書いたように、病院は病院、薬局は薬局でそれぞれ上限を決めれば、こような書類のやりとりは省略でき、自院のレセコンで処理できるのですが……。コンピューターの時代に、コンピューターで処理できない制度を編み出し、自分たちの仕事を確保しようという(タヌキ界の)公務員の根性は大したものです。

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【高齢者医療】「みだりに診察を行ってはならない」ーー既に始まっていた高齢者切り捨て

 後期高齢者医療制度(長寿医療制度)に関しては、高齢者が病院を受診しにくくするものではないかという批判がなされており、平成姥捨て山制度などという陰口も叩かれています。
 しかし医療関係者からみると、「ようやく騒ぎ出したか」という感じで、高齢者を医療から遠ざけるという施策は、すでに以前から始まっていたのです。ぽん太はこのあたりの実情にあまり詳しくないので、一部間違いもあるかと思うのでご注意下さい。

 まずは特別養護老人ホームの入居者の場合。特別養護老人ホーム(特養)は、身体的あるいは精神的に著しい障害があって常時介護が必要なひとを入所させる施設です。特養の入居者に対する医療に関しては、たとえば平成18年3月31日付けの通知「特別養護老人ホーム等における療養の給付(医療)の取扱いについて」(保医発第0331002)があります。特養には「配置医師」と呼ばれる医師の配置が義務づけられており、特養の入居者の医療は基本的には配置医師が行います。ただし、一人の配置医師が全ての病気の治療を行えるわけではありませんから、緊急の場合や、配置医師の専門外の病気の場合、配置医師以外の医師が診察することが禁止されているわけではありません。しかし、上の通知には、次のような記述があります。

3 保険医が、配置医師でない場合については、緊急の場合又は患者の傷病が当該配置医師の専門外にわたるものであるため、特に診療を必要とする場合を除き、それぞれの施設に入所している患者に対してみだりに診療を行ってはならない。
 「みだりに診療を行ってはならない」というのはすごい表現です。特養入居者は勝手に診察してはならない、診察する前によくよく考えてみろよ、ということでしょうか?

 次いで介護老人保健施設。介護老人保健施設(老健)とは、病院に入院してた患者さんが自宅に戻るための橋渡しをする施設で、治療を行いながらリハビリテーションに力を注ぎ、家庭に戻すために一時的に入所する施設です。老健には併設保険医療機関と呼ばれる病院あるいは診療所が定められており、老健入所者の医療は原則としてここで行うことになっております。そして併設保険医療機関以外の一般の医療機関による診療行為は、著しく制限されております。そのあたりの基本的な考え方については「介護老人保健施設入所者に係る往診及び通院(対診)について」(平成12年3月31日、老企第59号)に書かれております。

1 基本的考え方
(1) 介護老人保健施設は常勤医師が配置されるので、比較的安定している病状に対する医療については施設で対応できることから、入所者の傷病等からみて必要な場合には往診、通院を認めるが、不必要に往診を求めたり通院をさせることは認められないものであること。
 さすがに「みだりに」とは書かれていませんが、一般の医師が「不必要に」診察をしてはいけないことになっています。そして診察をした場合も算定できる診療報酬が非常に制限されております。上のリンクの「別表」にわかりやすくまとめられておりますが、平成20年厚労省告示第59号に詳しく(わかりにくく)書いてあります(こちらのpdfファイルの一番最後)。
 他の科のことはよくわからないのですが、精神科で初診の患者さんの場合、例えば、初診料270点、通院・在宅精神療法500点、処方せん料68点で、計838点、8,380円の収入となります。ところが老健入所者の場合、「精神科専門療法」がダメなので通院・在宅精神療法は取れず。薬を出すこともできないので処方せん料もなし。初診料の270点、2,700円だけの収入です(併設保険医療機関に対する診療情報提供料(I)250点が加わりますが、その分よけいな労働が加わるので、ここでは考慮しません)。小一時間かけて診察してこれでは割にあわないので、精神科医としては「通院・在宅精神療法の5,000円分を老健が払ってくれるのなら診ますよ」ということになるのですが、老健の方は「そんなら診なくていいです」ということになりますから、結局は併設保険医療機関の精神科が専門でない医師が診ることになります。
 まとめると、介護老人保健施設に入所中の患者の医療は、併設保険医療機関が行う。緊急時、あるいは専門外の場合は、他の医療機関を受診することは可能だが、その場合の診療報酬は低く抑えられているため、実際には他の医療機関はなるべく受診しないよう経済的に誘導される、ということになります。老健は、医療姥捨て山ということができるのかもしれません。

 こうしてみると、平成20年4月にスタートした後期高齢者医療制度における「後期高齢者診療料」は、介護老人保健施設のシステムを、すべての後期高齢者に拡大しようと目論んだものと思われます。後期高齢者診療料に対しては激しい批判の声が上がっていますが、同じような制度が老健ではすでに何年も前から行われていることは、あまり知られていないようにぽん太は思います。

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【医療】近頃話題のジェネリック医薬品についてみちくさ

 ゴールデンウィークあけの最初のブログは、楽しい記事から始めたいところですが、以前から気になっていたジェネリック医薬品についてみちくさしてみましょう。

【ジェネリック医薬品を使わないと生活保護を打ち切り!?】
 本日のみちくさのスタート地点は、2008年4月27日の毎日新聞に掲載された「ジェネリック医薬品:生活保護には安価薬 不使用、手当打ち切りもーー厚労省通知」という記事です。その内容ですが、生活保護受給者の投薬は値段の安いジェネリック医薬品を使うように本人に指導し、指導に従わない場合は生活保護手当の打ち切りも検討するという通知を、厚生労働省が4月1日に出したというものです。
 その結果がどうなったかというと、通知を出してからわずか1ヶ月後、マスコミで取り上げられてから3日後の4月30日に、厚労省は「手当打ち切り」などの対応の撤回を行いました(「ジェネリック医薬品:使用指示問題 「手当打ち切り」撤回、都道府県に厚労省通知」毎日新聞2008年4月30日)。

【ジェネリック医薬品のテレビCM】 
 この2つの記事を理解するために、まずジェネリック医薬品(後発医薬品)についておさらいしておきましょう。
 意味はよくしらなくても、「ジェネリック」という言葉に聞き覚えがある方も多いのではないでしょうか? 最近はテレビCMが盛んに流されており、黒柳徹子の人形が「ジェネリック」と代弁する東和薬品のCM(動画あり)や、高橋英樹がジェネリックを薦める沢井製薬のCM(動画あり)など、「ああそれか!」という感じです。
 対して渡哲也が「どんな薬かだけじゃなく、どこの薬かを考えたことがありますか」と言う第一三共製薬のCM(動画あり)は、ジェネリック医薬品メーカーを意識しているようにも思われます。

【ジェネリック医薬品とは】
 で、ジェネリック医薬品(後発医薬品)とは何かですが、詳しく知りたい方は、こちらのWikipediaの「後発医薬品」を見るなり、各自ググルなりしていただくことにして、ここでは簡単にまとめておきましょう。新しい薬(先発医薬品)を発売するには、膨大な開発費がかかります。したがって先発医薬品の薬の値段(薬価)には、これらの研究開発費が上乗せされているわけです。先発医薬品は特許で守られているのですが、特許権の存続期間は特許出願日から20年(場合によって25年)です。一般には、特許を出願しても、薬として発売されるまでには長い年月が必要ですから、発売されてから特許が切れるまでの期間はさらに短くなります。で、先発品の特許が切れると、他のメーカーが同じ成分の薬を出せることになりますが、この場合はどんな化学物質かすでにわかってますし、薬として承認を得るための条件も厳しくないので、安い値段で売り出すことができます。これがジェネリック医薬品(後発品)です。昔は、特許が切れるとゾロゾロ出てくるので、通称「ゾロ」と呼ばれていました。

【ジェネリック医薬品の名前の由来】
 ちなみに「ジェネリック医薬品」という名前の由来ですが、英語のgeneric drugから来ています。薬には、化学薬品としての成分を表す一般名(generic name)と、製薬会社が発売するときにつける商品名(trade name)があります。例えば精神科でよく使う「ドグマチール」はアステラス製薬の商品名で、一般名はスルピリドです。同じ薬の日本シェーリングの商品名は「ミラドール」、大日本住友製薬の商品名は「アビリット」です。で、アメリカなどでは、後発品を処方する場合に一般名(generic name)を書くことが多いので、後発品はgeneric drugと呼ばれているのです。
 日本で「ジェネリック医薬品」という用語が使われるようになったのは最近のような気がしますが、「ゾロ」とか「後発」といったマイナスイメージを避けるためだとぽん太には思われます。
 日本のジェネリック医薬品には、以前にはさまざまな名称がつけられていましたが、最近発売されたものは「一般名+会社名」というパターンになってきています。たとえばスルピリドに関しては、昔からジェネリックを出している沢井製薬は「ベタマック」という商品名ですが、最近になって出した共和薬品は、「スルピリド錠○mg「アメル」」、大正薬品は、「スルピリド錠○mg「TYK」」、といった具合です。昔からあるジェネリックには、変な名前のも多かったです。たとえばセレネースのジェネリックの「エセックチン」など、何か口にしにくい気がします。ハルシオンのジェネリックのアサシオンなどはassassinを連想させます。

【ジェネリック医薬品ってどれくらい安いの】
 実際にジェネリック医薬品がどのくらい安いか見てみましょう。日本ジェネリック医薬品学会が運営する「かんじゃさんの薬箱」というサイトには、ジェネリック医薬品の検索ができるページがあります。試しにドグマチール錠100mgで検索すると、アステラスの先発品「ドグマチール錠100mg」は1粒22.0円、共和薬品のジェネリック「スルピリド錠100mg「アメル」」では6.4円で、3分の1以下です。ちなみに面白いのは、「スルピリド錠50mg「アメル」」の値段も同じく6.4円。なんと50mgでも100mgでも値段は同じ。つまり化学薬品そのものの値段はほとんどゼロということです。
 ドグマチールは極端に安くなる方ですが、他の薬でも何割か安くなるのが一般的です。

【何でジェネリック医薬品が普及しないのか】
 こんなに安くて品質も同等なら、ジェネリックの方がいいに決まっています。なのになぜ普及しないのでしょうか。それにはジェネリックには問題点もあるからです。いろいろと言われていますが、「ジェネリック 問題点」でググルといろいろ出てきますので、各自御覧下さい。いくつかの論点をピックアップすれば、(1)化学薬品は同じでも他の添加物が異なるので、効きすぎたら効かなかったりする可能性があり、また安全性にも不安がある、(2)錠剤ごとの薬品の含有量や溶解性、吸収量のばらつきが大きい、(3)ジェネリック製薬会社の、販売している薬に対する情報収集や情報提供の不足、(4)市場への供給の安定性が疑問、などがあります。
 (1)については、昔は「カプセルを飲んだら、そのまま溶けずにお尻から出て来た」などという陰口も効かれましたが、さすがに最近はそんなことはないようです。厚労省などジェネリックの使用を推進する側は、「生物学的同等性試験」や「溶出試験」を行っているので、先発品と同等であることが科学的に証明されていると主張しています。しかし実際に使用した医師が「効きが悪い」と感じる場合もあるようです。もっとも医師の「感じ」が正しいとは限りませんが。後発品が先発品と「統計的に優位な差がない」というだけで「同一だ」といっていいのか、という問題もあります。また、試験をしたロットと同じ品質でその後も製造されているか、という疑問もあります。(2)については、多少ばらつきが大きいのは確かなようですが、厚労省などは「問題のない範囲」としています。(3)に関しては、薬というのは作って売ればいいというものではなく、発売してからもその薬に対する効果や副作用などの情報を収集し、医療関係者やその他に情報を提供するというのが、製薬会社の大きな役割となっています。ジェネリック製薬会社はこうした点では遅れをとっているようです。嘘かほんとか知りませんが、医者がジェネリック製薬会社に薬に関する問い合わせをしたところ、「先発メーカーに聞いてくれ」との返事だったという笑い話があります。(4)に関しては、患者さんに継続的に出してくる薬が「品切れ」になってしまっては困ります。また薬局から聞いた話しでは、ジェネリック医薬品のなかには、名前は登録されているけれど、調べてみると実際には販売されていないものもあるようです。
 以上の点から、「ジェネリック医薬品には少し不安がある」と感じる医者が多いのではないかと思います。
 ぽん太の予測では、3年〜5年してジェネリック医薬品が普及した頃になって、いまさら気がついたかのように、「なんとジェネリック医薬品に問題点!」などという新聞記事が紙面をにぎわす、というのに3000点!
 付け加えれば、医者が後発品を使いたがらない理由として、「高い先発品を使って儲けようとしている」と書かれているのをよく目にしますが、薬代が医療機関の収入とならない院外処方のパーセンテージは平成17年には既に50%を超えており(厚労省の統計のグラフはこちら)、また薬代の儲けというのは売値ではなく、仕入れ値と売値の差であることは当然であり、この差益は先発品の方が多いとは限りません。高額の薬品は在庫を抱えたときのロスもかえって多く、「医者が儲けようとして高価な先発品を使っている」というのは完全な間違いです。先発品を使うと儲かるのは、先発品を販売している製薬会社です。

【平成24年までにシェアを30%に】
 で、厚労省はなぜジェネリック医薬品を普及したいのかというと、医療費を少しでも少なくするためです。
 日本のジェネリック医薬品のシェアは、1999年度10.8%でした。欧米ではアメリカで63%、イギリスで59%など、ジェネリックの普及がかなり進んでいます(ジェネリックのシェアのグラフは例えばこちらの資料のなかにあります)。
 そこで厚労省は、少しでも医者がジェネリックを処方するようにと、2002年4月の診療報酬改定から、ジェネリック医薬品を使って処方せんを出すと、医者に1回あたり20円の御褒美をあげることにしました(こちらの平成14年度社会保険診療報酬等の改定概要のまんなかへん、IIIの4の(2))。20円で人間の行動を変えようという厚労省の考え方が素敵です。当然のことながら、ジェネリックのシェアは2005年度で17.1%どまりでした。そこで厚労省は、2006年4月の診療報酬改定で処方せんの様式を変更し、処方せんに先発品の名前が書かれていても、「後発医薬品への変更可」という欄にチェックをすると、薬局と患者さんが相談してジェネリック医薬品に変更できることにしました。しかしこれによってもシェアは2006年度で16.9%とほぼ横ばい、実際に薬局で変更された率も1〜2%と、効果はあがりませんでした。
 「美しい国」で有名な安倍首相のもと2007年6月に発表された「骨太の方針2007」に、「後発医薬品の使用促進」が盛り込まれ、「平成24年度までに、数量シェアを30%(現状から倍増)以上にする」という数値目標が設定されました(「骨太の方針2007」の25ページの本文と脚注)。安倍首相は任期半ばで体調を壊され入院してしまいましたが、もちろん薬はジェネリックを選択したのでしょうね?
 2008年4月、あと4年間でシェアを30%にまで上げなくてはならない厚労省は、業を煮やして処方せんの様式を再び変更。処方せんは基本的にはジェネリック変更可とし、医師が変更を認めない時だけ「後発医薬品への変更がすべて不可」という欄に署名あるいは記名・押印することにし、2002年から続いていた20円のお駄賃を廃止しました。そして薬局の報酬に関しては、ジェネリックを使うと収入が増えるようにしました。医者が利益誘導に応じないなら、薬局から動かそうという方針です。
 これ以外にも、ジェネリック医薬品の使用促進のための対策は、テレビCMなどによる広報、ジェネリック医薬品の信頼性の改善、優良な製薬会社の育成などいろいろあるようですが、長くなるので今回は省略いたします。

【厚労省のなりふり構わぬ施策】
 で、ようやく最初の新聞記事に戻りますが、あと4年間でジェネリック医薬品のシェアを17%から30%に上げなくてはならず、焦った厚労省のなりふり構わぬ施策の一端が、「生活保護がジェネリック医薬品使用を使わなかったら保護を打ち切る」という通知として現れたわけです。生活保護者という弱者を対象に、まだ議論の対象となっているジェネリック医薬品の使用を強制し、選択権を奪うというのは、ぽん太の属するタヌキの世界では「タヌキ権侵害」として許されない行為です。
 医療費を削りまくる厚労省が次に何をしでかすか、目がはなせません。

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【精神医学】河原俊雄「G・ビューヒナー研究 殺人者の言葉から始まった文学」をさらにみちくさする

 先日ネット上で発見した河原俊雄先生の論文「G・ビューヒナー研究  殺人者の言葉から始まった文学」をもう少し読んでみましょう。こちらから論文のpdfファイルがダウンロードできます
 ぽん太は文学論には興味がないのですが、1820年代、30年代のドイツの精神医学の状況に関しては興味があります。上記の論文の第四部、第二章で、それに触れられています。いくつかおもしろかった点をあげてみましょう。

 クラウゼは、1969年に出版された『ヴォイツェク』の解説において、1820年代、30年代に起こった殺人事件と、その精神鑑定書公開の年表を整理しているそうです。それからわかることは、当時のドイツには精神鑑定の制度があり、鑑定書やそれに対する批判が公にされていたという事実です。ヴォイツェク事件はこの時代、議論の中心だったようです。
 エーラー=クラインは1985年の論文で、フランツ・ガル(Franz Joseph Gall, 1758-1828)の学説とビュヒナーの作品の関連を論じているそうです。ガルといえば骨相学で有名です。骨相学は19世紀に広く流行し、ゲーテやヘーゲルにも影響を与えました。一方でガルは犯罪精神医学にも興味を持っていたそうで、部分的精神病(patriale Geisteskrankheit)が脳の機能障害(die Funktionsstörung)によって起こる病気あると考え、殺人・窃盗・放火などの犯罪を解釈していたのだそうです。ガルは有名なひとですが、ぽん太は彼のことはほとんど知らないので、そのうちみちくさしたいです。
 さらにゼーリング=ディーツは、2000年の論文『宗教的メランコリーの症例の再構築としてのビューヒナーの<レンツ>』において、1820年代、30年代のドイツでは、精神の部分的錯乱(die psychsche Partialstörung)の解釈を巡って「精神派」(Psychiker)と身体派(Somatiker)の論争があったと述べております。精神派は、キリスト教的な「意志の自由」という原則から、精神障害を個人の過失(selbstverschuldet)とみなしましたが、身体派は、ピネルやエスキロールの影響を受け、部分的な精神錯乱の原因を身体的な病(eine körperliche Krankheit)とみなしたそうです。

 ふむふむ、これはそのうち、精神鑑定の歴史をみちくさする必要がありそうです。なにかいい本はあるかしら。

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【福祉】「親なき後」という考え方は間違いだった

 先日ぽん太は、タヌキ障害者福祉会議に出席してきました。タヌキ界の障害者福祉を今後どのようにしていくべきか話し合う会議で、当事者から学識経験者までさまざまな立場のタヌキが委員となっており、ぽん太も精神科医の資格の委員の一人でした。
 そのなかで、精神障害者の家族会代表の委員が、「親なき後の問題がある限り、家族は安心できない。私たちが死んだあと、子どもたちは誰が面倒を見てくれるんだろう、と思うと気が休まることがない」と述懐され、委員一同強く心を動かされました。
 以前は病院に収容・隔離されてきた患者さんを、退院させて地域のなかで支えて行こうというのが、現在の精神障害者福祉の大きな流れです。それはそれですばらしいことですが、それが障害者の家族の献身・努力によって行われているというのも事実です。家族は、障害者の日常生活の手助けをするだけでなく、家にこもっていたら外に連れ出したり、たまには部屋の掃除をするよう促したり、イライラしていたらタイミングを見計らってなだめたり、ときには医師に連絡をとったり、さまざまな制度を利用するための手続きをしたりと、専属のホームヘルパー・社会福祉士・看護師・臨床心理士の役目を担っているのです。そしてその対応は、何十年間も障害者と一緒に暮らし、さまざまな失敗を繰り返すなかで、身につけたものなのです。しかし、いまや患者さんたちは40代、50代となり、その両親は60代、70代となってきています。「自分たちが病気になったり、なくなったあと、子どもたちはどうするのだろう」というのは親たちの切実な(かつ現在は解決策のない)悩みなのです。
 さて会議では、ご家族の発言に対して、介護者同伴で車いすの身体障害当事者の委員から、「私も20年前に親から、自分が死んだ後はお前はどうするんだい、と何度も言われたことを覚えています。でもいま、自分はなんとか社会で自立して生活できています。精神障害も、きっとなんとか解決の道がみつかるはずです」という励ましのお言葉がありました。
 次に福祉関係の大学教授の先生が、「親なき後という問題の立て方は、最近は行わなくなってきています。親なき後を社会がなんとかしてほしいと訴えることは、裏をかえせば、親が生きている間は親がなんとか面倒を見る、ということになってしまいます。そうではなくて、障害者が成人したあとは、親に頼らず社会が援助をしていくという考え方が大切です」という意見がありました。

 なるほど、おっしゃる通りです。まだまだ知らないことはあるものです。ぽん太は以前のブログ「精神障害の成年後見制度ーー権利擁護がキーワードだ!(05/12/22)親なきあとの子の財産は?/成年後見制度(05/01/22)で「親なき後」の問題に触れましたが、確かに「親に頼らない福祉」というふうに考えるのが正しい問題の立て方のようです。
 ただ実際には、障害者の援助はまず親の責任とされており、古き良き「家」の制度の伝統を守ろうとしているのが、日本の社会の現実です。

 さらに考えてみると、現在のタヌキ界の障害者福祉制度をみると、成年後見制度といった財産の保護や、ホームヘルプ・サービスといった生活援助の制度はありますが、精神障害者が必要としているのは財産保護や家事援助だけではありません。ときどき様子を見に来てくれて、話し相手になったり、外出に誘ってくれたり、具合が悪いときには「どうしたの?」の聞いてくれ、必要なら病院に連絡を取ってくれるような役割を果たしてくれる人です。
 このような人が、自立支援法の制度からはすっぽりと抜け落ちていることにぽん太は今頃になって気がつきました。参加する意味のない会議が多いなか、たいへん勉強になった会議でした。

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シェイクスピアの『十二夜』と狂気(その1?)

 だいぶ前のことですが、2007年8月吉日、歌舞伎座で蜷川幸雄演出の『十二夜』を見てきました。それぞれ日本風の役名が着いていましたが、原作の役名で言えば、男装してシザーリオと名乗るヴァイオラと、セバスチャンを、菊之助が一人二役で演じ、マルヴォーリオと道化のフェステを菊五郎が演じるというものでした。その結果登場人物が交錯して、まるで遊園地の鏡の迷路に入り込んだかのような印象を与え、それが蜷川の鏡を使った舞台美術とよく合っていました。
 ただ一人二役の結果、最後にヴァイオラとセバスチャンが出会う場面では、ひとりが菊之助のマスクを付けた役者となり、客席から失笑が漏れていました。またうぬぼれ屋で堅苦しいマルヴォーリオが、だまされて馬鹿げた振る舞いをすることの落差が、菊五郎が同時に道化のフェステを演じていることで、少し弱まってしまった気がします。

 で、これをきっかけにシェイクスピアの『十二夜』を読み返してみました。ぽん太が読んだのは、松岡和子訳のちくま文庫です。
 ぽん太は恐れ多くてシェイクスピアについて云々いうことはできませんが、この戯曲には、だまされたマルヴォーリオが狂人と間違われるという下りがあるので、精神科医のぽん太が口を挟むことが可能です。
 しかし実のところ、シェイクスピア(1564-1616)の時代に一般民衆が狂気をどのように捉えていたのか、ぽん太はほとんど知りません。というのもそれは、公式の精神医学史には書かれていないからです。小説などを分析して、当時の狂気のあり方を浮かび上がらせるような本があればいいのですが、無学なタヌキのぽん太は、不幸にしてそのような本を知りません。おそらく狂気は、一方では病気として医学に結びつけられ、他方では悪魔憑きとして宗教に結びつけられていたのだろうと思いますが、そのように二つに分けて考えるのがそもそも現代的な観点からの考えであって、当時は両者が渾然一体となっていたのかもしれません。さらには民衆の間の俗説や迷信もあったことでしょう。
 さて、このちくま文庫の『十二夜』では、役者の松岡和子の訳注に興味深い記述があります。ただ訳注の根拠が明示されていないのが残念ですが。

 まず、第三幕第四場のオリヴィアの「ああ、狂ってる、本物だわ」というセリフ。訳注で、原文がthis is very midsummer madnessと書かれていて、「夏の暑さは頭を狂わすと考えられていた」との注記があります。
 夏の暑さが狂気の原因となるという考え方は、ぽん太は初めて聞きました。当時はこのような俗説が広まっていたのでしょうか?

 次に同じ第三幕第四場で、発狂したと誤解されたマルヴォーリオをサー・トービーが「暗い部屋にぶち込むんだ」というセリフ。これに関する訳注は、「暗い部屋に閉じ込めるのは、当時行われた狂気の治療法。『間違いの喜劇』でも気が狂ったと思われたエフェサスのアンティフォラスが同じ目に遭う」となっています。
 狂人を暗い部屋に閉じ込めるというのもぽん太は初耳です。暗い部屋に閉じ込めるのは、悪いことをした子供のお仕置きかと思っていました。もっとも訳注には「狂気の治療法」と書いてありますが、これが本当にいわゆる医学的な治療法だったのか、それとも悪魔払いの方法や、俗説・迷信の類いであったのかはわかりません。

 次に第四幕第二場。道化が牧師の振りをして、マルヴォーリオの「治療」に訪れます。この偽牧師の名前はトーパス(Topas)なのですが、訳注によれば、チョーサーの『カンタベリー物語』からとったというのが定説だそうですが、一方でレジナルド・スコット著『魔術の発見(Discovery of Witchcraft)』にはトパーズ(topaz=topas)が狂気を治す効果を持つと書かれているのだそうです。
 レジナルド・スコットという人はぽん太は初対面ですが、ちょっとググって見ると、魔女・魔術関係に関心がある方にとっては知らないではすまされない人物で、魔女裁判を批判した人なのだそうです。それからなぜかこの『魔術の発見』は世界最古の手品の種明かし本でもあるそうで、このイギリス人は手品師にとっても知らないではすまされない人物のようです。そのうちみちくさしてみたい人物です。
 トパーズはどうかわかりませんが、宝石が狂気を癒すという考え方は、確かにあったようです。ミシェル・フーコーの『狂気の歴史』の第二部第四章によれば、17世紀から18世紀にかけて、一般の病気に関しては宝石がそれを治すという考え方は放棄されていたにもかかわらず、狂気に限っては宝石の治療効果が信じられ続けていたのだそうです。1638年にジャン・ド・セールが翻訳した、ジャン・ド・ルヌーの『薬についての著作』には、「金をちりばめたエメラルドの指輪をはめているすべての人を癲癇から守ることができるだけでなく、記憶力をつよめ、情欲の高まりに抵抗することができる」などと書かれているそうです。1759年にレムリーが著した『医薬万有辞典』では、エメラルドをお守りとして身につければ出産を早めるというのは想像にすぎないとしているものの、「エメラレルドは粉末にして服用された場合に、過度に苦味をおびた体液をやわらげる特性がある」と書いているそうです。
 牧師がマルヴォーリオを訪ねるということは、狂気と悪魔憑きが結びつけられているということで、それはすぐ後の牧師のまねをした道化のセリフ「黙れ、猛々しい悪魔! よくもこの男に取り憑いたな!」からもわかります。しかしこのやりとりが喜劇として書かれているということは、「狂気=悪魔憑き」という考え方は、すでに笑いの対象だったのでしょうか。
(たぶん続く……)
 

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「精神障害者の移送に関する事務処理基準について」をアップしました

 先日ぽん太は、ここ一年ほど薬も飲まずに家に閉じこもっていた患者さんを、ご家族と相談したうえ、民間の警備会社を利用して強制的に病院に連れて行き、入院させました。民間警備会社の相場も、以前は数十万円かかりましたが、今回は十万円以下でとってもお得でした。しかもその会社は、警備員が全員フランス外人部隊出身ということなので、どんなに暴れる患者さんでも安心です……というのは、ぽん太のせいいっぱいの皮肉です。

 病気で入院が必要な患者さんを、民間の企業を使って力づくで病院に連れて行くというのは、きわめて異常な事態です。人権上の問題もありますし、ご家族にも大きな経済的負担となります。しかし、もちろん救急車は運んでくれず、警察もその場で犯罪行為をしていないと保護してくれないという現状では、いたしかたありません。
 こうした問題を解決するため、もう8年も前になる平成11年の精神保健福祉法の改正で、「第34条、医療保護入院等のための移送」という条文が新設されたのでした。これは、医療保護入院が必要でありながら、入院の必要性が理解できず入院を拒否する患者さんを、行政の責任で指定医が診察して病院に連れて行くという制度です。そんなにすばらしい制度があるのなら、それを使えばいいじゃないかということになりますが、実際その制度は東京都では運用されていないということを、ぽん太は以前の記事で書きました(東京都はちゃんと34条の移送を実施しなさい!2005/02/0東京都の精神障害者の移送(34条)サボタージュに再びもの申す!2005/07/02)。
 ちなみにその後のデータを見てみましょう。厚生労働省統計データベースから「厚生労働省統計データベースシステム」に入り、さらに「統計調査一覧」にすすみ、「衛生行政報告例(旧厚生省報告例(衛生関係))」を選択します。右側のフレームから平成16年度を選び、「第3表 医療保護入院・応急入院及び移送による入院届出状況、都道府県ー指定都市(再掲)別」を開きます。この表の右から3番目と2番目にある、「移送による入院」の「保護者の同意による入院届出数」と「扶養義務者の同意による入院届出数」が、おそらく医療保護入院のための移送になるのだと思うのですが、ご覧のとおり東京都は1人、全国は159人です。同じように平成17年度をみると、東京は2人、全国は111人です。
  法律で8年前に決められたことを行政がいまだに十分に運用しないということが、何で許されており、何で批判が高まらないのか不思議です。そこでぽん太は、この問題を少しでも皆に知ってもらうようための助けとして、「精神障害者の移送に関する事務処理基準について」という通知をアップすることにしました。デジカメで撮ってPDFファイル化したので、重いうえに読みにくくてすみません。誰かもっと上手にアップして下さい。

・「精神障害者の移送に関する事務処理基準について」(PDF)
 (平成十二年三月三十一日 障発第二四三号 各都道府県・各政令指定都市市長宛 厚生省大臣官房障害保健福祉部長通知)
 注 平成一三年八月六日障発第三三五号による改正現在

 この通知が平成13年以降に改正されているのかどうか、ぽん太は知りません。
 さて、ファイルの7ページ目からが医療保護入院の移送になるのですが、「2 移送に係る相談の受付」では、「都道府県知事は、移送に係る相談を受け付ける体制を整備しなければならないものとする。また、移送制度及び相談の受付窓口について周知に務めるとともに、受付窓口は利用者が利用しやすい体制となるよう配慮するものとする。」と書かれています。さて、東京都は受付窓口の周知に務め、利用者が利用しやすい体制となるように配慮しているでしょうか?
 調べてみると東京都は保健所が窓口になっているそうで、以前に家族に「34条の移送を申し込みたい」と相談に行ってもらったところ、「保健所は警察沙汰のようなケースしか動かない」とか「この制度を使うと遠い病院に入院になってしまうので、使わない方がいい」とか言われて、移送の申し込みをしないように誘導されたようです。結局そのケースも、民間の警備会社を使っての入院になりました。
 だいぶ前に東京都に苦情のメールを出したところ、「この制度は人権に係るので慎重に運用している……」といった返事がきたのですが、民間人がお金をとって力づくで患者さんを病院に連れて行くことの方が、よっぽど人権無視だと思います。東京都は責任を取りたくないだけではないでしょうか?
 ぜひ、この通知を多くの人が読んでいただき、このように明文化されていることを東京都が実施していないことを理解し、批判していただきたいと思います。

 で、ググっていたら、東京精神保健福祉士協会のホームページのなかに「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律 第34条に関わる相談業務の手引き —案—」という文書がアップされているのを発見しました。東京都衛生局精神保健福祉課が作成したものだそうですが、いつ頃のものでしょう?たいへん立派な文書です。ぜひこれに従って制度を運用していただきたいと思います。

【関連するブログ内の記事】
東京都の精神障害者の移送(34条)サボタージュに再びもの申す!(2005/07/02)
ぽん太のみちくさ精神科: 東京都はちゃんと34条の移送を実施しなさい!(2005/02/05)

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国連障害者の権利条約の謎

 ちと以前になりますが、5月24日の朝日新聞朝刊の「私の視点」というコラムに、小笠毅というひとの投稿が載っていました。それによれば、3月30日に国連で「障害者の権利条約」に82カ国・機関が署名しましたが、日本は国内法との調整がついていないとの理由で署名をしなかったのだそうです。
 精神科医として障害者の医療・福祉に日頃から携わっているぽん太ですが、国連で障害者の権利条約を議論していたことも、日本がそれに署名をしなかったことも、まったく知りませんでした。まことに無知とは恐ろしいものです。
 で、「国連障害者の権利条約」あるいは「国連障害者権利条約」でググってみて、多少の状況はわかってきました。こちらのDINFのなかのページにさまざまな情報がまとめられています。
 ちなみにこちらに署名国のリストがあります。国名をながめてみると、なぜこのなかに日本がないのか疑問に思います。
 この条約を日本語に翻訳する作業すら行われていないそうです。こちらのページから日本語への仮訳を見ることができます。

 いったいこの「国連障害者の権利条約」は何が新しいのか、なぜ日本は署名をしないのか、なぜそのことをマスコミはちっとも取り上げないのか、など、分からないことだらけです。しかし、いまみちくさする元気はないので、「分からない」ということだけを確認しておき、今後の動きを追って行きたいと思います。

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グリージンガーの『精神疾患の病理と治療』の抄訳を読む

 ぽん太は以前のブログ(ビューヒナーが使った精神医学用語について2007/05/23)で、ビューヒナーの戯曲『ヴォイツェク』に出てくる精神医学用語(局部的精神錯乱、第二種症状)についてみちくさしました。その結果、19世紀前半のフランスでは「部分性精神病」という概念が使われていたこと、またドイツではグリージンガーが「二次的偏執症」という概念を使っていたことを述べました。
 しかしグリージンガーに関する典拠は、クレペリンの『精神医学』のなかの「パラノイア概念の歴史」という節の記述でした。というのも、グリージンガーの『精神病の病理と治療』(1845年)は邦訳が見当たらず、語学が苦手のぽん太はドイツ語の原書をひも解く気にならないからです。ですが以前のブログで書いたように、どうやら抄訳があるようなので、購入して読んでみました。石井厚『精神医学史ノート』(医学出版社、2006年)です。ヒポクラテスからカールバウムまで16人の手になる精神医学書の抄訳をまとめたものですが、前書きでいきなり「本書の内容の多くは著者が東北大学精神科の医局にいた当時、抄読会という勉強会で発表したもののメモである。当時は興に任せて乱読していたので遺漏や誤訳も多々あろうと思われるのであらかじめ陳謝する」などと書いてあり、装丁もかなりチープで、マイナーな感じの本です。アマゾンでもマーケットプレイスでの扱いで、しかも出版社が出品者となっているあたりがシブイです。とはいえ、語学力のないぽん太には有り難い本です。で、第十四章がグリージンガーの『精神疾患の病理と治療』の1845年の初版の抄訳となっております。
 さて、グリージンガーによりますと、精神疾患は二つのグループに分けることができます。第一群は情動の障害で、治癒可能であって、憂うつ、抑うつ、狂暴症、妄狂が含まれます。第二群は観念や意欲の障害で、不治であり、狂気、痴狂が含まれます。そして第一群が先行し、第二群がそれに続きます。『ヴォイツェク』の医者のセリフで出てきた、第二種(二次的?)症状としての固定観念(妄想、つまり観念の障害)という考え方にぴったりです。
 さらに読み進んでみると、グリージンガーは第二群に属する「狂気」を、部分的狂気と全般性狂気に分けているようです。当時のフランスで部分性/全般性という概念があったことはみちくさ済みですが、同時代のドイツでも同様の概念があったようです。グリージンガーのいう部分的狂気は、自分は世界の支配者だとか、陰謀で囲まれているといった妄想を持ち、それによってあらゆる言動が左右され、奇妙な世界観を持つような状態です。フランスの部分性精神病が、現代でいえばうつ病やパラノイアといった、一部分を除いて正常な理性が保たれている状態を指すのに対し、グリージンガーの部分的狂気は、現代でいえば統合失調症の妄想型に近いやや広い概念のように思われます。全般性狂気は、理性の働きが失われ、体系的な妄想も維持できず、思考も言動も混乱してバラバラの状態を指しています。現代でいえば、統合失調症の解体型(破瓜型)の進行した状態や、あるいは他の型でも重度の思考障害や人格水準の低下を来した状態と考えられます。グリージンガーは単一精神病論をとっていますので、部分的狂気が進行すると全般性狂気に至るという考え方ですから、フランスの部分性/全般性という概念とは異なる部分があるようです。
 ビューヒナーが『ヴォイツェク』を書いたのは1836年、グリージンガーが『精神疾患の病理と治療』を書いたのは1845年ですが、このときグリージンガーは弱冠28歳、精神医学に触れたのは1940年にヴィンネンタール精神病院に勤務するようになってからです。ですからグリージンガー(1817-1868)以前にも、第二種症状とか、部分性狂気といった考え方があったことになります。
 『精神医学史ノート』には、ハインロート(1773-1843)、イデラー(1795-1860)といった、ドイツのロマン主義精神医学の抄訳もあるのですが、これらには第二種症状とか部分性狂気といった用語は見つかりません。してみると、ヴィンネンタールでグリージンガーの先生だったツェラー(1804-1877)あたりに出所がありそうですが、ツェラーの著作は本書にも収録されていないので、残念ながら本日のみちくさはここら辺で終了しなければなりません。

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レンツの時代(18世紀後半)の精神医療は?

 ビューヒナーと精神医学を巡ってみちくさを続けているぽん太です。
 さて、ビューヒナーの時代(19世紀前半)の精神医学の状況は少しわかってきたので、次に気になるのがレンツ(1751〜1792)の時代(18世紀後半)です。
 というのも、ビューヒナーの『レンツ』のなかで精神障害に陥ったレンツは、まずオーベルリーン牧師のもとに預けられ、自殺未遂の騒動ののち知人のシュロッサー家へ送られることになるのですが、そのあいだ病院につれいて行くとか医者に見せるとかいうことがまったく出てこないのです。わずかに邦訳の注のなかに((1)285-286ページ)、シュロッサーも彼を持て余して「精神病院に入れる」ことまで考えたということが書かれている程度です。
 レンツは医者にかかったのか? ネットで検索していたら、佐藤研一の『劇作家J・M・Rレンツの研究』(2)という本があったので、買って読んでみました。しかしこの本はレンツの作品論であり、しかも彼の演劇を狂気との関係で捉えることをむしろ意図的に避け、当時の社会風潮や文学・思想のなかに位置づけようとするものなので、ぽん太の関心とはちと方向が違うようです。巻末にレンツの略年譜がついているのですが、シュロッサー家に引き取られたあと、靴職人や森番のもとで療養したなどと書いてありますが、医者に診てもらったとか病院に行ったという記載はありませんでした。
 エドワード・ショーターの『精神医学の歴史』((3)16-23ページ)によれば、いわゆる「精神医学」が出現したのは19世紀になってからであり、18世紀以前は(そして地域によってはそれ以後も)医学的な治療は行われていなかったそうです。精神障害になったひとはまず家族が面倒をみたのですが、動物小屋に監禁したり、鎖でつないだりしていたそうです。家族の手に負えなくなると、慈善施設や保護施設、病院などに収容されましたが、ここでも患者はムチで打たれ、鎖で繋がれて放置されるだけだったそうです。18世紀の終わりの啓蒙運動のなかで、精神障害者をただ監禁しておくのではなく、治療的な施設に収容することで病状を改善させることができる、と考えられるようになってきました。これが1793年のピネルによる精神障害者の鎖からの解放につながっていくわけです。
 しかし、完全に気がふれてしまった場合はそうかもしれませんが、病気のなりはじめ、あるいは病気がそれほど重くない場合は、家族や知人たちは、なんとか正気を取り戻させようとしたと思うのですが、そのためにどういうことが行われていたのかについては書かれていません。ぽん太が知りたいのはそこなのです。
 ミシェル・フーコーの『狂気の歴史』(4)は、18世紀以前に関して詳しく書かれています。パラパラと読み返してみたのですが、この本にも、監禁するほどではない患者がどう扱われていたかについては書かれていないようです。
 ただ第二部第四章に、18世紀の医者が精神病に対してどのような治療を行ったかが書かれています。それを見てみると、コーヒーを飲ませるとか、アルカリ性の果物を食べさせるとか、運動や旅行、輸血、人工的に疥癬(ダニの一種)に感染させる、椅子に縛り付けてぐるぐる回す、冷水浴、シャワーとかで、医者にかかったからといって大した治療法もなかったようです。
 冷水浴といえば、レンツがシュロッサー家に預けられていたころ、友人のクリンガーが、レンツをベッドに縛り付けて冷たい池に10分間漬けるという荒療治を行ったところ病状が改善した、と岩波文庫の訳注((1)285ページ)に書かれています。また小説のなかでもレンツは自ら庭の泉に飛び込みます。
 「彼は泉に飛び込んだが、あまり深くなかったので、そのなかでばしゃばしゃと暴れた。人々がやってきた、物音を聞きつけたのだ、大声で彼に呼びかけていた、オーベルリーンも駆けつけてきた。レンツは正気に返って、自分の状況が完全に意識できるようになった、また気分は落ち着き、そこで善意の人々に心配をかけたことが恥ずかしくなり、たまらない気分になった、みんなには自分は冷水浴をする習慣があるのですと言って、また部屋に上がっていった」((1)12ページ)。
 「それから彼は泉の水槽に飛び込み、ばしゃばしゃ暴れたかと思うとまた飛び出して自分の部屋に上がり、また水槽に下りるということを何度か繰り返し、それからようやく静かになった」((1)42ページ)。
 ピネルの『精神病に関する医学=哲学論』(1801)のなかに「精神病における水浴や温浴、とりわけびっくり風呂の効果とはなにか」という節があります((5)210-212ページ)。「びっくり風呂」がどういうものなのか具体的に書かれていないのですが、びっくり風呂は「冷水による突然の刺激作用の他に激しい驚きというよりも全面的混乱という利点」があると書いてあったり、精神病者を「突然水に沈め数分間持続させる方法の持続的効果」について述べた著作に触れていたり、あるいはこの節の冒頭で、フランス革命の頃に「当時はとりわけ水浴が乱用され、四肢を縛った患者を突然そこへ「投げ込む」のが習慣となっていた」などと書かれています。フーコーの『狂気の歴史』のなかの「不意打ちをくらわせる水浴」というが、このびっくり風呂のような気がします。「病人は廊下をつたって一階へおり、池が設けてある、天井のついた四角な部屋までやってくる。すると、のけぞるようにして、池のなかに投げ込まれるようになっていた」((4)339ページ)と説明してありますが、訳がわるいのか何なのか、読んでもイメージが浮かびません。
 日本でも古くから水治療が行われてきました。ぽん太の生息地に近い高尾山でも、19世紀には山麓に2軒の温泉旅館があり、精神病患者の滝治療を行っていたそうです。この旅館のひとつの「佐藤旅館」が、1936年に高尾保養院という精神病院になったのですが、これが現在の東京高尾病院の前身です((6)66-67ページ).

 なんか、いろいろと精神医学の歴史に関する本を読んでみたのですが、結局のところ、レンツが生きていた18世紀後半に、監禁するほどではない精神病患者がどのように扱われていたのか、よくわかりませんでした。ちょっと物足りないみちくさでした。
 おそらくはレンツのように、牧師のもとに預けられたり、冷水浴をさせられたり、靴職人のもとで軽作業をしたり、森番のもとで自然のなかでくらしたりしていたのでしょう。でも結局はレンツのように、街の中で行き倒れになってしまっていたのかもしれません。

【参考文献】
(1)ビューヒナー『ヴォイツェク ダントンの死 レンツ』岩淵達治訳、岩波文庫、2006年。
(2)佐藤研一『劇作家J.M.R.レンツの研究』未來社、2002年。
(3)エドワード・ショーター『精神医学の歴史ー隔離の時代から薬物療法の時代まで 』木村定訳、青土社、1999年。
(4)ミシェル・フーコー『狂気の歴史ー古典主義時代における』田村俶訳、新潮社、1975年。
(5)ピネル『精神病に関する医学・哲学論』影山任佐訳、中央洋書出版部、1990年
(6)小俣和一郎『精神病院の起源』太田出版、1998年。

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地球規模の医療格差

 最近、以下のような二つの新聞記事が目にとまりました。

薬の特許、誰のため タイ政府と欧米製薬大手が火花」(2007年5月30日、朝日新聞)。すでにタイ政府は、海外の製薬会社が開発して特許を持っている抗エイズ薬を、「特許破り」をして国内で生産すると発表していました。これに対抗してアメリカの大手製薬会社アボット社は、抗エイズ薬を含む7種類の薬のタイ国内での販売中止という対抗措置に出たそうです。
 これには両者に言い分があり、タイ政府にしてみれば、国内の貧困層に抗エイズ薬を行き渡らせるには、高額な輸入品では財政負担が大きすぎます。一方、製薬会社からすれば、莫大な費用をかけて開発した薬を「特許破り」で製造されていは、商売が成り立ちません。ぽん太にはどちらの言い分ももっともで、いったいどうしたらいいのか分かりません。

 もう一つは次の記事です。
 「臓器求めアジアへ ドナー「二つあるものはひとつ売る」」(2007年05月29日)。日本国内では臓器移植のためのドナーが少ないので、アジアに渡って臓器移植を受けるひとが増えているのだそうです。ところがドナーの多くは「謝礼」目当ての貧困層だそうです。フィリピンでは臓器提供者に対する「謝礼」は認められていて、臓器売買にはあたらないのだそうですが、限りなく臓器売買に近いことは確かです。
 これまた難しい問題で、こうした移植がいいとは思われませんし、かといって禁止すると、謝礼をもらえないドナーも、移植を受けられない患者さんも困ることになります。

 狸には困難すぎる問題ですが、医療格差、医療問題を国内レベルだけで考えていていはいけなということは確かで、厚労省のお役人が言うような「医療レベルを下げるか、それとももっとお金を出すか」みたいな単純化した議論は意味がないようです。ぽん太も少しずつ考え続けていきたいと思います。

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ビューヒナーが使った精神医学用語について

 ビューヒナーのみちくさの続きです。
 『ヴォイツェク』に、次のような医者のセリフがあります。

 「ヴォイツェク、お前は典型的な局部的精神錯乱(アベラチオ・メンタリス・パルチアリス)だ、第二種症状が、じつに見事にあらわれている。ヴォイツェク、手当は割増しだ。第二種、固定観念が認められるが、全般的には理性は正常な状態、まだいつものように勤務しとるな、大尉の髭剃りは?」((1)88 ページ)。

 ここでは、局部的精神錯乱(アベラチオ・メンタリス・パルチアリス)、第二種症状、固定観念といった精神医学用語が用いられています。
 このうち固定観念という言葉は、現在でも日常用語としてよく使われますね。ただ精神医学用としては、現在は使われておりませんが。日常用語に関しては、goo辞書(三省堂「大辞林 第二版」)によると、「心の中にこり固まっていて、他人の意見や周りの状況によって変化せず、行動を規定するような観念。固着観念」と書かれています。また『新版 精神医学事典』(2)によれば、「あたかも押しつけられたかのように繰り返し意識の中に生じる観念」云々と書かれています。固定観念は必ずしも病的なものではなく、芸術家や研究者にもみられ、創造的行為の源にもなりえます。もともとはフランス精神医学で正常な人格の一部に観念が寄生するという限局性の精神障害を意味していたそうです。先に引用した医者のセリフの前に、ヴォイツェクの次のようなセリフがあります。

 「キノコなんであります、ドクトル。これが怪しいのであります。キノコがどんな形をして土の中から出て来るかご覧になったことがおありですか? あれが読み取れたらなあ」((1)87ページ)。

この言葉を聞いて、医者はヴォイツェクに固定観念があると考えたようです。

 次は「局部的精神錯乱(アベラチオ・メンタリス・パルチアリス)」という用語についてです。アベラチオ・メンタリス・パルチアリスというのはラテン語だと思いますが、このような用語を使った精神医学の概念は、無知なるぽん太は知りません。現代英語でaberrationは精神錯乱、精神異常を意味するようですが、aberrationを使った精神医学用語もないと思います。『新版 精神医学事典』の索引を見ても、aberrationは染色体の「異常」という意味で出てくるだけです。フランス語でもaberrationを使った精神医学用語は知りません。
 「局部的精神錯乱」のドイツ語の原語が何なのか、調べる気力はぽん太にはありませんが、部分性精神病(délire partiel)というフランス精神医学の概念なら知っています。影山によると、18世紀にはすでに精神病を部分性と全体性に分類することが行われていたそうです((3)4ページ)。現在の概念でいう幻覚妄想状態のように精神の機能の全体が侵されるのを全体性精神病と呼び、現在のパラノイアやうつ病のように、特定の事柄に関して異常や妄想が認められるが、それ以外に関しては正常であるものを部分性精神病と呼びました。
 ここでパラノイアとうつ病を一緒に扱うのはおかしいと思われるかもしれませんが、ピネルの時代までは、両者は悟性の働きが保たれているという理由で、部分精神病の名のもとに一緒くたにされていました。そしてこの「部分性精神病」は「メランコリー」と近い概念とされていました。ですから、メランコリーがうつ病を意味する現代の疾病分類からすると考えられかもしれませんが、「快活なメランコリー」や「陽気なメランコリー」といった概念が存在していました。この混同を解消したのがエスキロールで、彼は1816年の論文でメランコリーをふたつに分け、悲哀的で抑うつ的熱情が顕著なものをリペマニーとし、興奮し陽気で誇大的熱情を伴うものをモノマニーと分類しました。ちなみにエスキロールのモノマニー論が完成されたのは1838年の著書《Des maladies mentales》においてです。
 この頃ドイツでも部分性精神病という概念が使われていたのかどうか、ぽん太の手元の資料ではわかりませんが、ビューヒナーが学んだのはフランス領の大学でもありますし、深入りせずにこれでよしとしておきましょう。
 ヴォイツェクの精神症状を見てみると、冒頭の医者のセリフの引用に書かれているように、キノコに関する「固定観念」(妄想)はあるものの、兵隊として勤務し、大尉の髭剃りもやっているわけで、「全般的には理性は正常な状態」ですから、「部分性精神病」と見なすことができるわけです。

 さて、最後に「第二種症状」です。これも、もともとのドイツ語がわかりません。ひょっとしたら「第二次症状」や「続発症状」である可能性もあります。
 体液説の時代には、感情障害が原発性で、知性障害が「続発性」とされていたそうですが、これはちと時代が古すぎますね。19世紀のフランスでは、機能心理学に基づいて、感受性、知性、意志ののそれぞれの障害に基づいて、精神医学が組み立てられていたそうです((3)4ページ)。じじつ、ピネルの『精神病に関する医学=哲学論』を(ざっと)読んでも、「第二種症状」とか、固定観念が二次的に生じるという考え方は出てきません(4)。またエスキロールのモノマニー論にもそうした考え方はなさそうです(3)。
 するとドイツ精神医学をあたってみることになりますが、残念ながらぽん太の手元には、19世紀前半のドイツ精神医学の疾病概念に関する資料がありません。唯一、クレペリンの『精神医学』の「偏執症(パラノイア)」の章の冒頭にある、「パラノイア概念の歴史」というところで、グリージンガーの説が簡単に触れられています。グリージンガーは、いろいろの段階を経て経過する唯一の精神病を想定していたのですが(いわゆる単一精神病論)、それによれば、あらゆる精神病はメランコリーに始まり、それが治癒しないばあい、続いて躁性興奮の時期、偏執症の時期、錯乱の時期と経過し、最終的に痴呆の時期にいたるとされました。したがってこの当時は、精神障害が治癒しないで悪化した状態を、「二次的」偏執症と言ったのだそうです((5)325ページ)。
 当たり……の感じがします。グリージンガーの『精神病の病理と治療』は1845年に書かれたもので、ビューヒナーが亡くなった1937年より後ですが、二次的偏執症という概念がビュヒナーの時代のドイツに広まっていた可能性はあります。グリージンガーの教科書は邦訳が見当たらないのですが、抄訳はあるようなので、そのうちみちくさしてみます。

【参考文献】
(1)ビューヒナー『ヴォイツェク ダントンの死 レンツ』岩淵達治訳、岩波文庫、2006年。
(2)加藤正明編『新版 精神医学事典』弘文堂、1993年。
(3)影山任佐『フランス慢性妄想病論の成立と展開』中央洋書出版部、1987年。
(4)ピネル『精神病に関する医学=哲学論』影山任佐訳、中央洋書出版部、1990年。
(5)クレペリン『精神分裂病』西丸四方他訳、みすず書房、1985年。

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ビューヒナーの時代の精神医学の状況は?

 ビューヒナーの『ヴォイツェク ダントンの死 レンツ』を読んで興味を持ち、周辺をみちくさしているぽん太です。
 以前の記事で、『レンツ』が精神障害者を主人公にしていることを書きましたが、『ヴォイツェク』の主人公も精神障害者です。そこでこんかいは、ビューヒナーと精神医学の関係をみちくさしてみましょう。

 『ヴォイツェク』は1836年に執筆された戯曲ですが、翌年ビューヒナーがチフスで亡くなったため、未完に終わりました。そのため各部分の順序や書かれた時期がはっきりせず、編者や演出家によってさなざまな解釈を許す結果となっております。あらすじは、たとえばこちらのページにある、ベルク作曲の歌劇「ヴォツェック」のあらすじをご覧下さい。ヴォイツェクは幻覚や妄想がある精神障害者で、内縁の妻マリーを殺してしまいます。
 邦訳の解説によると、『ヴォイツェク』にはモデルとなった事件があるそうで、ヨーハン・クリスティアーン・ヴォイツェクという鬘師(かつらし)が嫉妬からヴォーストという未亡人を刺殺したのですが、被告に精神異常の可能性が疑われたため精神鑑定が行われました。その結果、責任能力ありと認定されて、1842年8月27日にライプツィヒの市会議事堂前広場で公開斬首刑となったそうです。ヨーハン・クラールス教授による精神鑑定書をビューヒナーは読んでいたそうですが、彼自身は1837年に死去しておりますから、犯人の死刑執行は見届けなかったことになります。
 また『ヴォイツェク』には、次のような医者のセリフがあります。

 「医者 ヴォイツェク、お前は典型的な局部的精神錯乱(アベラチオ・メンタリス・パルチアリス)だ、第二種症状が、じつに見事にあらわれている。ヴォイツェク、手当は割増しだ。第二種、固定観念が認められるが、全般的には理性は正常な状態、まだいつものように勤務しとるな、大尉の髭剃りは?」(前掲書、88ページ)。

 ここにつかわれている固定観念という言葉は、現代の精神医学ではあまり使われない用語ですが、日常用語としてはよく聞きます。しかし、局部的精神錯乱(アベラチオ・メンタリス・パルチアリス)とか第二種症状といった用語は、不勉強のぽん太は知りません。翻訳の問題もあると思うので、本来ならドイツ語の原文にあたるべきでしょうが、ちとめんどくさいです。
 実はビューヒナーは精神医学の知識を持っていました。というか、ぽん太よりよっぽど優秀な医者だったようです。彼は1831年、18歳のとき、当時フランス領だったストラスブール大学の医学部に入学しています。その後規定に従って1833年からドイツのヘッセン大公領のギーセン大学に在籍し、1835年に再びストラスブール大学に戻りました。1836年には『ニゴイの神経系に関する覚書』という論文でチューリヒ大学の哲学博士号を取得し、動物解剖学の講義を行っています。

 ビューヒナーが医学を学び、『ヴォイツェク』を執筆した、19世紀前半の精神医学はどのような状況だったのでしょうか。今回はおおまかな流れをつかんでみましょう。
 当時の精神医学史上の重要なメルクマールは、1793年に行われた、ピネル(1745〜1826)による精神障害者の鎖からの解放です。それまで精神障害者は、暴れたり何をするかわからないので、鎖で壁につながれていました。ピネルはフランスのビセートルという精神病院で、この鎖を取り外したのです。この功績によって彼は、近代精神医学の創始者とうたわれることになりました。もっとも鎖は取り外したものの、拘束衣を使ったり、サスマタで取り押さえたりはしていたようですが、薬もなかった時代だから仕方ないですかね。ピネルが1801年に著した『精神病に関する医学=哲学論』は、道徳療法を世に広めました。道徳療法というと、たまに「患者を人道的に扱うこと」と勘違いしているひとがいるのですが、そうではなくて、規律正しい秩序だった生活をさせ、対話や介入によって働きかけることによって、患者が自分の衝動性を自制できるようにしていくことです。
 このような精神医療の改革は、フランスだけではなくヨーロッパ各地で同時に押し進められ、1840年代までに各地に改革的な精神病院が作られました。
 ところが19世紀後半になると、精神病患者の爆発的増大という新たな事態が出現し、精神病院は再び治療の場から監禁・収容の場に逆戻りしていくのですが、そのあたりは今回のみちくさの範囲外です。
 こうした流れとは別に、19世紀前半のドイツでは、「ロマン主義精神医学」と呼ばれる極端な思弁的・心理的精神医学があだ花を咲かせました。ハインロート(1773〜1843)やイーデラー(1795〜1860)が代表的な人物でした。ハインロートは1823年に『精神衛生の教科書』を出版しまたのですが、その内容は例えば、ひとは熱情に捕われると生活の秩序を失ってしまう、それを防ぐのは自由であり、神だけがわれわに自由を与えてくれる、などというシロモノだったそうです。「ロマン主義精神医学」は当時から批判されていましたが、ベルリン大学の精神医学の教授をしていたイーデラーが1960年に死去することによって、またたくまに消滅しました。
 ドイツの精神医学を思弁から引き離して身体的な基盤の上に位置づけたのが、グリージンガー(1817〜1868)です。弱冠28歳にして著した教科書『精神病の病理と治療』(1845)は高い評価を得ました。彼の「精神病は脳病である」という言葉はたいへん有名です。
 再びフランスに目を転ずると、ピネルは先に述べた『精神病に関する医学=哲学論』(1801)のなかで、精神病をマニー、メランコリー、痴呆、白痴に分類しています。ピネルの後を継いだのはエスキロール(1772〜1840)で、モノマニーという概念を発展させました。19世紀後半になるとモレル(1809〜1873)が悪名高い「変質論」を提唱しました。精神障害は遺伝性であり、代を重ねるごとに悪化し、最終的には絶滅するという考え方で、いまではまったく否定されていますが、当時は一般社会の中で広く信じられていました。

【参考文献】エドワード・ショーター『精神医学の歴史 隔離の時代から薬物治療の時代まで』、木村定訳、青土社、1999年

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