カテゴリー「芸能・芸術」の707件の記事

2018/09/15

【バレエ】久々に首藤が踊るのを見れた。「音楽と舞踊の小品集 水・空気・光」@横浜みなとみらいホール

 首藤ファンのにゃん子の希望で、横浜まで行ってきました。
 首藤は演劇など多分野ではちょくちょく見てますが、ちゃんとバレエを踊るのを見るのは久しぶりでした。

 小さめのみなとみらいホールを、さらに客席を制限して行わた、プライベート感ある公演。しかもぽん太とにゃん子は最前列。首藤の踊りが間近で観れました。

 同時期に横浜国立美術館で行われていたモネ展とのコラボ企画。面白いアイディアですね。残念ながら当日は美術館の閉館日にあたっていて、モネ展は見れませんでした。

 3部に分かれていて、真ん中の第2部がバレエでした。
 最初の3曲は 中村恩恵の振り付け。首藤康之のラヴェル、さすがに雰囲気がありますね〜。よかったです。まだまだ踊って欲しいです。次いで、中村恩恵が新国立の若手二人を伴ってラヴェルのツィガーヌ。ちょっとユーモラスで面白い振付でした。新国立コンビも頑張ってましたが、まだまだ表現力が足りません。メシアンは、新国立の米沢唯が、首藤と踊りました。中村恩恵の振り付けらしい、体を寄せて体重を掛け合うような動きでした。
 折原美樹はぽん太とにゃん子は初めて見ました。マーサ・グラハム舞踊団で踊るとっても有名なダンサーのようです。演目は、そのグラハム振り付けの「Lamentation」。青いチューブ状のニットを着ての踊りで、なんか「自分を束縛するものから逃れようとするけどできない」みたいな踊りでした。ちょっとこの演目だけでは、彼女の実力はよくわかりませんでした。

 演奏の方の感想は省略。

 ピアニストの福間洸太朗が、タブレットPCで楽譜を表示してました。ぽん太は生まれて初めて見ました。左足でボタンを踏むと、ページが変わるような仕組みになっていたようです。

音楽と舞踊の小品集  水・空気・光
  横浜美術館企画展「モネ それからの100年」によせて

公式サイト

横浜みなとみらいホール 大ホール
2018年8月30日 マチネ

演奏
福間洸太朗(ピアノ)
﨑谷直人(ヴァイオリン/神奈川フィルハーモニー管弦楽団ソロ・コンサートマスター)
門脇大樹(チェロ/神奈川フィルハーモニー管弦楽団首席チェロ奏者)
齊藤一也(ピアノ)

舞踊
中村恩恵
首藤康之
折原美樹(マーサ・グラハム舞踊団)
米沢唯(新国立バレエ団)
中島瑞生(新国立バレエ団)
渡邊拓朗(新国立バレエ団)

プログラム
【第1部~水(演奏)】
ドビュッシー:喜びの島
       チェロ・ソナタより第2・3楽章
       ヴァイオリン・ソナタより第1楽章
サン=サーンス:白鳥
マスネ:タイスの瞑想曲

 Pf福間洸太朗、Vn﨑谷直人、Vc門脇大樹


【第2部~空気(舞踊)】
スクリャービン:12のピアノ練習曲 作品8より第11番
 首藤康之
 振付:中村恩恵
ラヴェル:ツィガーヌ
 中村恩恵、中島瑞生、渡邊拓朗
 振付:中村恩恵
メシアン:時の終わりのための四重奏曲より第5楽章“イエスの永遠性の賛美”
 米沢唯、首藤康之
 振付:中村恩恵
コダーイ:9つのピアノ小品 作品3より第2番
 折原美樹
 振付:マーサ・グラハム 「Lamentation」
カタロニア民謡(カザルス編):鳥の歌(チェロ・ソロ)

 Pf齊藤一也、Vn﨑谷直人、Vc門脇大樹


【第3部~光(演奏)】
ドビュッシー:月の光
 Pf齊藤一也
ラヴェル:組曲「マ・メール・ロワ」より
  第1曲 眠れる森の美女のパヴァ―ヌ
  第3曲 パゴダの女王レドロネット
  第5曲 妖精の園
 Pf福間洸太朗齊藤一也
ラヴェル:ピアノ・トリオより第3・4楽章
 Pf福間洸太朗、Vn﨑谷直人、Vc門脇大樹

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2018/09/13

【歌舞伎】福助、お帰りなさい!2018年9月歌舞伎座昼の部

 なんかここんとこ忙しくてブログが書けないので、短めに……。

 9月歌舞伎座昼の部は、長く病気療養中だった福助が舞台に復帰。役柄は慶寿院尼で、雪姫を初役で演じる息子の児太郎を見守りました。2013年11月以来の舞台復帰というから、約5年ですか。お疲れ様でした、そして復帰おめでとうございました。
 幽閉から解かれたことを半ば泣きながら感謝する老いた尼僧を見事に演じました。右手は使っていなかったので、麻痺があるのかしら。顔や発生は大丈夫なようでした。今後もぜひ体調に気をつけながら、舞台に立ち続けて欲しいです。

 その「金閣寺」は、梅玉が此下東吉実は真柴久吉、児太郎が雪姫という配役で、古典味がある落ち着いた舞台でした。梅玉の東吉はあんまり愛想がなく、むしろ松緑の松永大膳の方が愛嬌がありました。児太郎が雪姫は悪くなかったですが、最後に花道で刀を鏡にして髪を整えるところなど、恋する娘らしい可愛らしさが欲しいところでした。

 「紅葉狩」は疲れからか夢うつつ。

 吉右衛門の「河内山」は「またか」という感じで見始めたのですが、吉右衛門の「芸」に見とれました。舞台に出てきたときのぱっと明るい感じ、台詞回し、ちょっとした表情、本舞台から花道にかかって、ふっと気を変えるところなど、どれも素晴らしかったです。
 お目当の「「悪に強きは」のセリフのなかで、三味線のメロディーに合わせて言う部分があったけど、計算じゃあできないと思うので、アドリブなんでしょうか。だとしたらすごい。

 幸四郎は3演目全てに出演。「金閣寺」の狩野之介直信は美しくはかない美男子。「河内山」の松江出雲守は、もっとキレやすそうな方が良かったかな?


歌舞伎座百三十年
秀山祭九月大歌舞伎
歌舞伎座 昼の部
平成30年9月13日

公式サイト

 祇園祭礼信仰記
一、金閣寺(きんかくじ)

  此下東吉実は真柴久吉 梅玉
  雪姫 児太郎
  狩野之介直信 幸四郎
  松永鬼藤太 坂東亀蔵
  此下家臣春川左近 橋之助
  同   戸田隼人 男寅
  同   内海三郎 福之助
  同   山下主水 玉太郎
  腰元 梅花
  腰元 歌女之丞
  十河軍平実は佐藤正清 彌十郎
  松永大膳 松緑
  慶寿院尼 福助


 萩原雪夫 作
 今井豊茂 補綴
二、鬼揃紅葉狩(おにぞろいもみじがり)

 更科の前実は戸隠山の鬼女 幸四郎
 平維茂 錦之助
 侍女かえで 高麗蔵
 侍女ぬるで 米吉
 侍女かつら 児太郎
 侍女もみじ 宗之助
 従者月郎吾 隼人
 従者雪郎太 廣太郎
 男山八幡の末社 玉太郎
 男山八幡の末社 東蔵


 河竹黙阿弥 作
 天衣紛上野初花
三、河内山(こうちやま)

 上州屋質見世
 松江邸広間
 同  書院
 同  玄関先

 河内山宗俊 吉右衛門
 松江出雲守 幸四郎
 宮崎数馬 歌昇
 大橋伊織 種之助
 沢要 隼人
 腰元浪路 米吉
 北村大膳 吉之丞
 高木小左衛門 又五郎
 和泉屋清兵衛 歌六
 後家おまき 魁春

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2018/09/08

【映画】(ネタバレなし)三谷幸喜が悔しがりそう「カメラを止めるな!」

 いつもは平気でネタバレを書くぽん太ですが、こんかいは楽しませてくれたお礼にネタバレなしで。

 話題の映画ということで見に行ったのですが、いや〜面白かったです。感想は、う〜ん、これ見て一番悔しがるのは三谷幸喜かな?
 平日の昼間ということでけっこう空席があったせいか、大爆笑というほどではありませんでした。誰かが「こんなに笑える映画はない」と言ってたのは、言い過ぎだと思うけど、とってもシナリオがよくできていると思いました。パズルのピースがピタリと合った感じというか……。

 それから、人間の意識が、不自然な部分をいかに無視したり、合理化したりするかが、映画を見た自分を観察してよくわかりました。
 心理学では有名な話ですが、催眠術をかけて、ある合図をしたら窓を開けるように暗示をして目を覚まさせます。合図をすると被験者は窓を開けるのですが、「何で窓を開けたんですか?」と聞くと、「暑かったから」とか「息苦しかったから」などと、自分の行為に勝手に理屈をつけるのです。
 映画の前半の部分で、違和感を感じる部分やおかしな部分があるんだけど、勝手に合理化して見ていました。後半で、ナルホドあれはああだったのか、と納得できました。

 低予算でこの楽しさは、コスパ抜群。ブームになるだけありますね。皆さんにおすすめ。
 

カメラを止めるな!
2017年 日本 96分

公式サイト

スタッフ
 監督 上田慎一郎
 プロデューサー 市橋浩治
 アソシエイトプロデューサー 児玉健太郎 、 牟田浩二
 脚本 上田慎一郎
 撮影 曽根剛
 編集 上田慎一郎
 録音 古茂田耕吉
 ヘアメイク 平林純子
 助監督 中泉裕矢
 制作 吉田幸之助
 特殊造形・メイク 下畑和秀

キャスト
 日暮隆之 濱津隆之
 日暮真央 真魚
 日暮晴美 しゅはまはるみ
 神谷和明 長屋和彰
 細田学 細井学
 山ノ内洋 市原洋
 山越俊助 山﨑俊太郎
 古沢真一郎 大沢真一郎
 笹原芳子 竹原芳子
 松浦早希 浅森咲希奈
 吉野美紀 吉田美紀
 栗原綾奈 合田純奈
 松本逢花 秋山ゆずき
 谷口智和 山口友和
 藤丸拓哉 藤村拓矢
 黒岡大吾 イワゴウサトシ
 相田舞 高橋恭子
 温水栞 生見司織

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2018/08/12

【バレエ】世界バレエフェスティバル(2018)Aプログラム

 暑い暑い暑い暑い。世界バレフェスに行ってきました。夏バテで途中で眠くなってしまいました。こちらが公式サイトです。

 オープニングの「ディアナとアクテオン」は、小さくて可愛らしいバデネスと、長身で力強いカマルゴのペアは、神話らしい雰囲気がありました。ところでディアナとアクテオンってどんな話?あとでググってみると、ディアナはローマ神話に登場する狩猟と貞節と月の女神。ギリシャ神話ではアルテミスに相当します。アルテミスは水浴中に、猟師アクタイオーンが裸体を見たために怒り、アクタイオーンを鹿に変え、50頭の犬に襲わせて殺したそうです。しかしこのバレエは、そんな恐ろしい話は想像できないような、幸せそうな踊りです。ちなみに「ディアナとアクテオン」は、全幕バレエ「エスメラルダ」の一部だそうです。

 続いてアイシュヴァルトとリアブコの「ソナタ」は、ノイマイヤーではなく、ウヴェ・ショルツの振り付け。先日の「ニジンスキー」では鬼気迫る踊りを見せたリアブコですが、このバレエは愛に満ちた暖かい踊りでした。

 「ジゼル」はコチェトコワのジゼルの浮遊感がなかなかでしたが、シムキン君の身体能力が堪能できなかったのは、振り付け上しかたなし。

 ノヴィコワとホールバーグの「アポロ」、ぽん太の体が冷房でほどよく冷えてきて、睡魔に襲われる。

 サラ・ラムとボネッリの「コッペリア」は、美しく端正な踊りでした。

 第2部に入りまして、サレンコ姉さんの「瀕死の白鳥」は貫禄たっぷり。でも、腕をちょっとクネクネ振りすぎて、羽じゃないみたいでした。

 ハミルトン、ボッレの「カラヴァッジオ」は、美しく雰囲気があって、振付もよく、素晴らしいコンテ作品でした。

 ついでボラックとルーヴェがヌレエフ振り付けの「くるみ割り人形」を踊りましたが、ぽん太は感心しませんでした。一生懸命振り付けをなぞっているだけみたいで、動きの面白さや表現力が感じられませんでした。

 「…アンド・キャロライン」は、鬱屈した若者系の踊りでなかなか面白かったです。英語のナレーションが聞き取れれば、もっとシチュエーションがわかったかも。振り付けはノルウェー人のアラン・ルシアン・オイエン(Alan Lucien Øyen)、音楽は映画音楽を多く手がけるアメリカのトーマス・ニューマン(Thomas Newman)。

 アレクサンドロワとラントラートフの「ファラオの娘」は、正統派の美しい踊り。

 第3部は、ロホとエルナンデスの「カルメン」から。ロホ、貫禄ありすぎ。ちょっとカルメンの妖艶さやかわゆさも見たかったです。

 エリザベット・ロスの「ルナ」は、この人ならではの演目。黒い背景に、白いレオタードが、独特のフォルムを刻んでいきます。

 次いでラウデールとレバヴァツォフの「アンナ・カレーニナ」。ノイマイヤーの振り付けはドラマを感じさせますが、どういう場面かはぽん太にはわからず。子供が出てきたりします。関係ないけど、本は大切に扱いましょう。

 ボーダーとサラファーノフの「タランテラ」。速いテンポの激しい踊りを、サラファーノフが足さばきも鮮やかに踊りました。

 第3部のトリはフェリとゴメスの「アフター・ザ・レイン」。ああ、フェリさま、おなつかしや……。でも、グレーのレオタード姿には、ちと老いを感じました。けど、精神性があるしっとりした踊りは絶品。

 ノイマイヤー振り付けの「ドン・ジュアン」は、古典的な雰囲気の振り付け。ドン・ジュアンが女性の亡霊に苦しめられるような話か?

 「シェエラザード・パ・ド・ドゥ」は、「世界初演」と銘打っているが、新しさが感じられない振り付け。面白い動きもドラマもなく、アラブっぽさもなし。コジョカルは可愛らしかったけれど。

 ポリーナちゃん登場。何回かすっぽかされたけれど、ようやく見れました。Bプロは「個人的な理由」で踊らないと告知されてますが。なんかわがままっぽい。
 しかし踊りは凄い。その前に体が筋肉質になってます。まるでギエムみたい。
 振り付けも面白く、途中でポリーナちゃんがちょっとダサい黄色いスカートを履いて出てくるのですが、続いてフォーゲルも同じスカートで出てくると、観客席に笑い混じりのどよめきが起こりました。
 カテコでもセンターがポリーナちゃんでした。う〜ん、今後の進化が末恐ろしい。

 ジルベールとガニオの「マノン」は、パリオペのエレガンスの極め。これはこれで凄い。

 ラストはウルド=ブラームとエイマンの「ドン・キホーテ」でした。なんかエイマンが元気ない感じがしました。こんなもんだっけ。

【第15回 世界バレエフェスティバル】Aプログラム
2018年8月1日
東京文化会館

― 第1部 ―

「ディアナとアクテオン」
振付:アグリッピーナ・ワガノワ
音楽:チェーザレ・プーニ
エリサ・バデネス、ダニエル・カマルゴ

「ソナタ」
振付:ウヴェ・ショルツ
音楽:セルゲイ・ラフマニノフ
マリア・アイシュヴァルト、アレクサンドル・リアブコ

「ジゼル」より 第2幕のパ・ド・ドゥ
振付:ジャン・コラーリ、ジュール・ペロー
音楽:アドルフ・アダン
マリア・コチェトコワ、ダニール・シムキン

「アポロ」
振付:ジョージ・バランシン
音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー
オレシア・ノヴィコワ、デヴィッド・ホールバーグ

「コッペリア」
振付:アルチュール・サン=レオン
音楽:レオ・ドリーブ
サラ・ラム、フェデリコ・ボネッリ

― 第2部 ―

「瀕死の白鳥」
振付:ミハイル・フォーキン
音楽:カミーユ・サン=サーンス
ヤーナ・サレンコ

「カラヴァッジオ」
振付:マウロ・ビゴンゼッティ
音楽:ブルーノ・モレッティ(クラウディオ・モンテヴェルディより)
メリッサ・ハミルトン、ロベルト・ボッレ

「くるみ割り人形」
振付:ルドルフ・ヌレエフ(マリウス・プティパ、レフ・イワーノフに基づく)
音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
レオノール・ボラック、ジェルマン・ルーヴェ

「・・・アンド・キャロライン」
振付:アラン・ルシアン・オイエン
音楽:トーマス・ニューマン
オレリー・デュポン、ダニエル・プロイエット

「ファラオの娘」
振付:ピエール・ラコット(マリウス・プティパに基づく)
音楽:チェーザレ・プーニ
マリーヤ・アレクサンドロワ、ウラディスラフ・ラントラートフ

― 第3部 ―

「カルメン」
振付:アルベルト・アロンソ
音楽:ジョルジュ・ビゼー、ロディオン・シチェドリン
タマラ・ロホ、イサック・エルナンデス

「ルナ」
振付:モーリス・ベジャール
音楽:ヨハン・セバスチャン・バッハ
エリザベット・ロス

「アンナ・カレーニナ」
振付:ジョン・ノイマイヤー
音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
アンナ・ラウデール、エドウィン・レヴァツォフ

「タランテラ」
振付:ジョージ・バランシン
音楽:ルイス・モロー・ゴットシャルク
アシュレイ・ボーダー、レオニード・サラファーノフ

「アフター・ザ・レイン」
振付:クリストファー・ウィールドン
音楽:アルヴォ・ペルト
アレッサンドラ・フェリ、マルセロ・ゴメス

― 第4部 ―

「ドン・ジュアン」
振付:ジョン・ノイマイヤー
音楽:クリストフ・ウィリバルド・グルック、トマス・ルイス・デ・ヴィクトリア、トマス・ルイス・デ・ヴィクトリア
シルヴィア・アッツォーニ、アレクサンドル・リアブコ

「シェエラザード・パ・ド・ドゥ」【世界初演】
振付:リアム・スカーレット
音楽:リムスキー・コルサコフ
アリーナ・コジョカル、ヨハン・コボー

「ヘルマン・シュメルマン」
振付:ウィリアム・フォーサイス
音楽:トム・ウィレムス
ポリーナ・セミオノワ、フリーデマン・フォーゲル

「マノン」より 第1幕のパ・ド・ドゥ
振付:ケネス・マクミラン
音楽:ジュール・マスネ
ドロテ・ジルベール、マチュー・ガニオ

「ドン・キホーテ」
振付:マリウス・プティパ
音楽:レオン・ミンクス
ミリアム・ウルド=ブラーム、マチアス・エイマン


指揮:ワレリー・オブジャニコフ、ロベルタス・セルヴェニカス
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
チェロ:伊藤悠貴(「瀕死の白鳥」)
ピアノ:原久美子(「瀕死の白鳥」、「タランテラ」)

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2018/08/11

【バレエ】台風をぶっとばせ! 世界バレエフェスティバル(2018) Bプログラム

 台風13号が接近する中、めげずに世界バレエフェスティバルを観に行ってきました。空席はほとんどなく、バレエ・ファンがいかにこの公演を楽しみにしているかがよくわかりました。こちらが公式サイトです。

 まずはノヴィコワ、ホールバーグの「眠れる森の美女」。美男・美女の気品溢れる優雅な踊りでした。二人とも、背が高くてスタイル抜群!ノヴィコワが「ちょっと支えていただけるかしら?」という感じで手を伸ばすと、ホールバーグが「喜んで」と手を取ります。これはオーロラ姫ごときの小娘の踊りではありませんな。社交界のベテランという感じ。素晴らしかったです。

 「ムニェコス(人形)」は、赤いパンツ丸見えの女の子(ヴァルデス)と兵隊さん(カマルゴ)の可愛らしい踊り。人形みたいに始まって、とちゅう人間っぽくなったりします。楽しいけど、ちょっと哀愁が感じられました。

 ボラック、ルーヴァの「ソナチネ」は、舞台上のピアノが奏でるラヴェルの音楽にのせて踊ります。流れる水のようなラヴェルの音楽にぴったりあった振り付けが素晴らしく、パリオペらしいエレガントな踊りでした。

 次いで、ぽん太イチオシのリアブコが登場!この人の表現力は凄いな〜。盟友のアッツォーニと「オルフェウス」を踊りました。ぽん太は初めての演目ですが、ギリシャ神話のオルフェウスの、冥府下りの物語のようでした。
 オルフェウスは、死んだ妻を取り戻そうと冥府に下ります。自慢の竪琴を奏でて妻を返してもらえることにりますが、たった一つの条件は「冥府を抜け出すまで振り返って妻を見てはいけない」というものでした。しかしオルフェウスはもう少しというところで振り返ってしまうのです。
 『古事記』にも、イザナギノミコトが、死んだ妻イザナミノミコトを取り戻しに黄泉の国(よみのくに)に行きますが、約束を破ってイザナミノミコトを見てしまうという似たような話があります。「見るなのタブー」と呼ばれるモチーフですね。映画の「千と千尋の神隠し」でも、最後に千尋が現実に戻るトンネルをくぐるとき、ハクは決して振り返らないように言います。でも千尋はタブーを犯しませんでしたね。
 で、バレエでは、竪琴がヴァイオリン、後ろを見ないことがサングラスになってました。ガラの短い一演目でしたが、とてもドラマチックでした。

 第一部最後の「コッペリア」はコジョカルがかわゆいですね〜。おじさん、すっかりやられました。お相手のコラレスが、失礼ながら釣り合いがとれてませんでした。すごく勢いはありましたが。

 ジルベール、ガニオの「シンデレラ」はとってもエレガント。ヌレエフの振り付けを見るときにぽん太がいつも感じる違和感がありませんでした。二人の実力のおかげでしょうか?

 ロホ、エルナンデスの「HETのための2つの小品」は、なかなか雰囲気ある踊りでしたが、男のTバックがちょっときつかった。ところでHETってなに?オランダ国立バレエ団(Het Nationale Ballet)のことか?ようわからん。

 ボーダーとサラファーノフの黒鳥のパ・ド・ドゥは、ボーダーが貫禄ありすぎ。踊りとしては素晴らしかったですが、黒鳥の小悪魔的な雰囲気がなくって、ぽん太の好みではありません。この人が白鳥を踊るとどうなるんだろ。対してサラファーノフの王子様は、エレガントで線が美しく、踊りも大きくてあざやかでした。

 「椿姫」の第2幕のパ・ド・ドゥは、アマトリアンが素晴らしかったです。結核に蝕まれた雰囲気、若いアルフレードの純粋で一直線な愛に戸惑いながらも、次第に心をときめかせていくヴィオレッタ。フォーゲルがきっちりした踊りで支えてました。

 こんかいはちっとも眠くならないぞ、涼しいせいかな?というところで第3部、ハミルトンとボッレのロミジュリのバルコニーシーンから。見事な踊りでガラ公演としてはいいんでしょうけど、ボッレでかすぎ。若い二人のウルウルした雰囲気は出ませんでした。

 ウルド=ブラームとエイマンの”ダイヤモンド”は、エレガントで美しかったですが、エイマン跳ばず。エイマンのし身体能力も見たかったな〜。

 コジョカル、コボーの「マノン」は、第3幕の砂漠のシーン。ドラマティックで感動しました。

 ラムとボネッリの「アポロ」は、ボネッリが神話らしい崇高さがありました。

 「椿姫」第3幕のパ・ド・ドゥは、ラウデールとレヴァツォのハンブルク・ペアでしたが、ぽん太の感想は「いけませんな〜」。ドラマチックに踊ろうとしているのはわかりますが、一つひとつの動作が雑になっている気がしました。コジョカル、コボーの「マノン」を見習って欲しいです。

 ようやく第4部。感想を書くのに疲れてきたので、短くなります。

 バデネスとカマルゴの「じゃじゃや馬馴らし」、バデネスのじゃじゃ馬踊りがうまい。

 アレクサンドロワとラントラートフの「ヌレエフ」は、昨年ボリショイ・バレエで初演された話題作ですが、素晴らしかったです。全幕も見てみたいです。

 アイシュヴァルト、リアブコの「アダージェット」もただただ感動。東京フィルの演奏も良かったです。

 フェリとゴメスで「オネーギン」。フェリのタチヤーナが素晴らしかったですが、ぽん太はこの演目、クランコの振り付けが嫌いで、ラストはやはり貴婦人となったタチヤーナが、昔の初恋の思い出を噛み締めながらも、毅然とした態度でオネーギンの愛を断ってほしいもの。オネーギンの手紙を破くのでは、昔の仕返しになってしまいます。

 オオトリはコチェトコワはシムキンのドンキ。いや〜シムキン君のパフォーマンスが見事でしたね〜。ドンキはこうでなくちゃ。片手リフトも危なげなし。コチェトワのヴァリアシオンで扇子を持ってないのが珍しかったです。
 
 劇場を出ると、風雨はそれほどでもありませんでした。長い長い公演でしたが、とってもとっても満足できました。


【第15回 世界バレエフェスティバル】Bプログラム
2018年8月8日
東京文化会館


― 第1部 ―

「眠れる森の美女」
振付:マリウス・プティパ
音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
オレシア・ノヴィコワ、デヴィッド・ホールバーグ

「ムニェコス(人形)」
振付:アルベルト・メンデス
音楽:レムベルト・エグエス
ヴィエングセイ・ヴァルデス、ダニエル・カマルゴ

「ソナチネ」
振付:ジョージ・バランシン
音楽:モーリス・ラヴェル
レオノール・ボラック、ジェルマン・ルーヴェ

「オルフェウス」
振付:ジョン・ノイマイヤー
音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー、ハインリヒ・ビーバー、ピーター・プレグヴァド、アンディ・パートリッジ
シルヴィア・アッツォーニ、アレクサンドル・リアブコ

ローラン・プティの「コッペリア」
振付:ローラン・プティ
音楽:レオ・ドリーブ
アリーナ・コジョカル、セザール・コラレス

― 第2部 ―

「シンデレラ」
振付:ルドルフ・ヌレエフ
音楽:セルゲイ・プロコフィエフ
ドロテ・ジルベール、マチュー・ガニオ

「HETのための2つの小品」
振付:ハンス・ファン・マーネン
音楽:エリッキ=スヴェン・トール、アルヴォ・ペルト
タマラ・ロホ、イサック・エルナンデス

「白鳥の湖」より 第3幕のパ・ド・ドゥ
振付:マリウス・プティパ
音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
アシュレイ・ボーダー、レオニード・サラファーノフ

「椿姫」より 第2幕のパ・ド・ドゥ
振付:ジョン・ノイマイヤー
音楽:フレデリック・ショパン
アリシア・アマトリアン、フリーデマン・フォーゲル

― 第3部 ―

「ロミオとジュリエット」より 第1幕のパ・ド・ドゥ
振付:ケネス・マクミラン
音楽:セルゲイ・プロコフィエフ
メリッサ・ハミルトン、ロベルト・ボッレ

「ジュエルズ」より "ダイヤモンド"
振付:ジョージ・バランシン
音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
ミリアム・ウルド=ブラーム、マチアス・エイマン

「マノン」より 第3幕のパ・ド・ドゥ
振付:ケネス・マクミラン
音楽:ジュール・マスネ
アリーナ・コジョカル、ヨハン・コボー

「アポロ」
振付:ジョージ・バランシン
音楽:イーゴリ・ストラヴィンスキー
サラ・ラム、フェデリコ・ボネッリ

「椿姫」より 第3幕のパ・ド・ドゥ
振付:ジョン・ノイマイヤー
音楽:フレデリック・ショパン
アンナ・ラウデール、エドウィン・レヴァツォフ

― 第4部 ―

「じゃじゃ馬馴らし」
振付:ジョン・クランコ
音楽:ドメニコ・スカルラッティ
編曲:クルト・ハインツ・シュトルツェ
エリサ・バデネス、ダニエル・カマルゴ

「ヌレエフ」より パ・ド・ドゥ
振付:ユーリー・ポソホフ
音楽:イリヤ・デムツキー
マリーヤ・アレクサンドロワ、ウラディスラフ・ラントラートフ

「アダージェット」
振付:ジョン・ノイマイヤー
音楽:グスタフ・マーラー
マリア・アイシュヴァルト、アレクサンドル・リアブコ

「オネーギン」より 第3幕のパ・ド・ドゥ
振付:ジョン・クランコ
音楽:ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
アレッサンドラ・フェリ、マルセロ・ゴメス

「ドン・キホーテ」
振付:マリウス・プティパ
音楽:レオン・ミンクス
マリア・コチェトコワ、ダニール・シムキン

指揮:ワレリー・オブジャニコフ、ロベルタス・セルヴェニカス  
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
ピアノ:フレデリック・ヴァイセ=クニッテル(「ソナチネ」「椿姫」)

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2018/06/20

【舞台】もっと斜面を!『斜面』小野寺修二×首藤康之

 にゃん子が「首藤見たいにゃ〜、見たいにや〜」と鳴くので観に行ってきました。公式サイトはこちらです。

  小野寺と首藤のコラボは、『空白に落ちた男』と『シレンシオ』は観たかな。『ジキルとハイド』は観てない気がします。
 こんかいのタイトルは『斜面』。これはぽん太にはマニアックすぎました……。
 東京芸術劇場は、コンサートホールやプレイハウスは何度も来てるけど、シアターウェストは初めて。ハコの小ささにびっくりする。集客力ないのね……。
 舞台上のセットは、上手の急な斜面と、下手舞台奥のなだらかな斜面からなるミニマルなもの。この「斜面」がどのように使われるんだろう、とワクワクしていたのですが、ちと期待はずれでした。
 なだからな斜面は、ほぼ人物の出入りに使われるだけ。急な斜面は、何度か駆け上がったり下がったり、途中で止まったり、一回人がずり落ちてきたりしたのですが、あんまい有効に使われているとは思えませんでした。

 斜面があることで、どのような新たな動きが人間に生じるか、その身体性みたいなのを見たかったな〜。

 そういう意味では、ぽん太が一番面白かったのは、小野寺が急斜面の上で椅子に座ろうと試みる場面。人間の身体や重心のバランスに関して、新鮮な体験をすることができました。

 とはいえ、いつもながら不可思議な小野寺ワールドを堪能いたしました。

 初めて観た雫境(だけい)さん、 聾の舞踏家とのこと。冒頭のソロや、ギョロ目をむいたときのヤ◯ザみたいなど迫力、良かったです。
 首藤も、ライトを持ってのダンス、短かったけど良かったです。皆が体重を支え合っての動きみたいなのは、バレエの振り付けから取った動きか?王下、藤田のレギュラー陣も活躍。
 小野寺はいつものがらうまいです。お面をかぶった役人みたいなのも、カフカ的な雰囲気がありました。


「斜面」
小野寺修二×首藤康之

東京芸術劇場 シアターウェスト
2018年6月17日

作・演出 小野寺修二
出演 首藤康之、王下貴司、雫境、藤田桃子、小野寺修二

企画 サヤテイ NAPPOS UNITED
主催 NAPPOS UNITED カンパニーデラシネラ

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2018/06/07

【舞踏】若手への転生 『卵を立てることからー卵熱(リ・クリエーション)』山海塾

 ぽん太とにゃん子のお気に入りの山海塾、観に行って参りました。日曜だったせいか席もほどんど埋まってました。山海塾の公演ではお馴染みの「指定席解除」でも、ほとんど詰める余地はなかったですね。世田谷パブリックシアターの公式サイトはこちらです。

 下は、北九州芸術劇場提供の動画です。

 ぽん太が前回『卵熱』を観たのは2009年、東京芸術劇場中ホール。こんかいは「リ・クリエーション」とうたってますが、前回とどこが違うのがちっともわかりません。
 ぽん太にもわかる大きな違いは、天児牛大と蟬丸が出演しないということ。会場に着いてから初めて知りました。
 そういえばどっかのインタビューかなんかで、天児牛大が、「いつまでも同じ舞踏手がやるのではなく、新しい人を入れていく必要がある」みたなことを行ってた気がします。観客としても、おじさんの枯れた肉体もいいですが、若者のピチピチした身体も見たいところ。

 で、見た感じ、新陳代謝は成功しているようで、山海塾の世界を満喫することができました。ヘンテコな動きなのに、西洋のバレエを見ているより親近感を感じるのは、日本人の「身体性」というものか。

 ただ、ぽん太は、天児牛大だけは、他の舞踏手と体の使い方が違うと思ってました。群舞(?)の方は、体をゆらゆらとくねらせて、水中生物のような、あるいは自動機械のような動きであるのに対し、天児はすっくと背筋を伸ばし、武道のような雰囲気があり、なによりも「魂」が宿った人間に見えます。こんかいのソロ(?)(お名前がわかりませんが……)には、そういったところは感じられませんでした。
 また群舞の方も、ときおり「普通」の動きが見られました。蝉丸のようなオーラはまだありませんが、こればかりは年月を積み重ねて獲得するしかないのでしょう。


山海塾
『卵を立てることからー卵熱(リ・クリエーション)』

世田谷パブリックシアター
2018年6月3日

演出・振付・デザイン 天児牛大
音楽 YAS-KAZ、吉川洋一郎
演出助手 蝉丸
舞踏手 竹内晶、市原昭仁、松岡大、石井則仁、百木俊介、岩本大紀

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2018/06/01

【拾い読み】鈴木晶『ニジンスキー 神の道化』(3)当時の精神医療

 鈴木晶氏の『ニジンスキー 神の道化』(新書館、1998年)の拾い読み、今回でラストです。

 今回は、ニジンスキーと当時の精神医療についての拾い読みです。

 ニジンスキーの性的初体験は娼婦が相手であり、彼はその後も娼婦を買うという習慣を捨てませんでした。しかも初体験の相手から淋病を移されたらしい。そのときニジンスキーは18歳ですから、1908年のことか。世界初の抗生物質のペニシリンが発見されたのが1928年ですから、まだろくな治療法もなかった時代で、治すのに苦労したようです。
 性病といえば、ニジンスキーが晩年に精神病になったことと関連して、梅毒にはかからなかったのかという疑問がわいてきます。
 梅毒の原因である梅毒トレポネーマは、1905年シャウディンとホフマンによって発見されました。翌年1906年にはワッセルマンが、梅毒の感染を検出するワッセルマン反応を発明。梅毒は症状も独特ですが、この時点で診断もかなり精度があがりました。梅毒の治療に関しては、1910年にサルバルサンが発明されました。1928年には抗生物質第一号のペニシリンがフレミングにより発見され、1940年代には広く使われるようになりました。
 ということは、ニジンスキーの時代には梅毒は診断も治療も可能だったことになりますから、ニジンスキーが梅毒で精神障害を起こしたという可能性はなさそうですね。


 1917年にサンモリッツに移ったニジンスキーは、初めこそ精神状態が改善したように見えましたが、次第に舞踊に対する関心を失い、かわりにパステルや木炭による抽象画に熱中するようになりました。これらのデッサンとユングのマンダラの関連性を、鈴木晶氏は指摘しております。
 ちなみにユングは、1875年、スイスの生まれ。チューリヒ大学のオイゲン・ブロイラーの元で学んだあと、フロイトに接近し、1911年には国際精神分析協会の初代会長となりました。しかし1914年にはフロイトと決別し、「心理学クラブ」を設立して分析心理学の確立に集中するようになりました。
 フロイトから次第に離れていく1912年から1916年ごろ、ユング自身がかなり精神的に不安定な状況になったのですが、この時彼は自分の深層心理に導かれて、重なり合った円のような図形を書き続けました。また自分以外にも、回復期の患者がしばしば同様な図形を描くことに気づきました。1928年に中国の錬金術の本を読んでマンダラを知るとそれに夢中になり、1929年に『黄金の華の秘密』という本を出版します。ユングにとってマンダラは、集合的無意識の現われとしてたいへん重要な概念になっていきます。
 ユングが直接ニジンスキーを診察したことはなかったようですが、なんかふたりの間にシンクロニシティーを感じますね。


 ニジンスキーが、1919年の「最後の踊り」の日から一ヶ月半にわたって書き記した『手記』は、鈴木晶氏の訳で完全版が出版されております(『ニジンスキーの手記 完全版』(新書館、1998年)。読んでみると、完全に統合失調症の幻覚妄想状態ですな。この本のみちくさはまたの機会に。


 サンモリッツには、リゾート客を相手にしていたフレンケルという内科医がいましたが、若いころチューリヒ大学でオイゲン・ブロイラーの講義を聴いて以来、精神分析に興味を持っていたこともあり、ニジンスキーの主治医となって素人精神分析を施し、またニジンスキーの妻ロモラと不倫関係になっていたらしいです。『手記』の混乱したように見える記述には、フレンケルの影響があるのかもしれません。


 ブロイラーに関しては、ドイツ語のウィキペディアが詳しいです(Eugene Bleuler-Wikipedia)。1857年にチューリヒの近くで出生。チューリヒ大学の医学部を卒業し、精神医学を志す。博士号を取得し、留学などを経て、1884年から1885年頃にチューリヒ大学医学部の精神科病院ブルクヘルツリの医員となり、1886年からライナウの精神科病院の院長、そして1898年にはブルクヘルツリ院長、チューリヒ大学医学部精神科の教授となりました。1900年から1909年まで、ブルクヘルツリにユングが勤務していたことは知られております。
 ということで、フレンケルがブロイラーの講義を聞いたのは1898年以降と推定されますが、それ以前にブロイラーがチューリヒ大学の講義を受け持っていた可能性もあります。
 ブルクヘルツリは現在も、チューリッヒ大学医学部の精神科病院として機能しております(Burghölzli-Wikipedia英語版)。場所はここです(google map 3D写真)。美しい建物ですね。


 1919年3月、ニジンスキーは妻に伴われてブルクヘルツリを訪れ、ブロイラーの診察を受けます。ブロイラーのカルテには次のように書かれていたそうです。

 彼は精神病と診断されることを怖がっていて、私の質問に対して、ほとんど洪水のような言葉で答えるのだが、あまり内容はなく、言い抜けやはぐらかしが見られた。彼は私に、精神病の人をどうやって見分けるのかといったことをしつこく尋ね、自分は妻がどう反応するかを試すために、妻の前では精神病のふりそしているのだ、それで時どきじっと部屋の隅を見つめたりするのだ、と説明した。妄想に関してはいっさい情報を提供するまいと防衛していた。明らかに以前は知能が非常に高かったと思われるが、いまは軽度の躁病性興奮をともなう混乱した統合失調症である。

 このあたりの記述は、アメリカの精神科医オストウォルドの『ヴァーツラフ・ニジンスキー 狂気への跳躍』(Peter Ostwald, Vaslav Nijinsk: A Leap into Maddness, A Lyle Stuart Book, 1991)に基づいているようです。邦訳はありませんが、アマゾンで原書を購入できます。ぽん太も一応購入手続きをしてみましたが、読む元気があるかどうかはわからないです。Ostwaldってどっかで聞いたと思ったら、『グレン・グールド伝―天才の悲劇とエクスタシー』の著者ですね(こちらは邦訳あり)。
 上記の引用の中で、「軽度の躁病性興奮をともなう混乱した統合失調症」という表現に関し、鈴木晶氏はオストウォルドの見解どおり、「躁鬱病である可能性も否定できないが、おそらく統合失調症だろう」という意味にとっています。しかしぽん太には、ちょっと陽気で多弁な状態の統合失調症だったように読めます。このあたりは原書を読んで見ないとなんとも言えないですね。
 ブロイラーは、ニジンスキーの妻ロモラに、環境のよい高級私立病院のベルヴューへの入院をすすめました。また離婚も勧めたそうで、鈴木氏はロモラを「結婚の義務から解放してやるべきだと考えた」と書いておりますが、「ロモラと一緒にいることがニジンスキーにとってよくない」と考えたからかもしれず、ぽん太には判断がつきません。
 ニジンスキーとロモラはホテルに戻りましたが、その晩にホテルでトラブルを起こし、ブルクヘルツリに緊急入院させられました。そして2日後にベルヴューに転院になりました。ブルクヘルツリでの診断は(そしてベルヴューでも)カタトニー(緊張病)だったそうです。オストウォルドは現在ならば「自己愛性人格における統合失調感情障害」と診断されるだろうと書いているそうですが、緊張病の興奮と昏迷と、統合失調感情障害の躁状態とうつ状態は、全然異なるものなので、混同されるとは思えません。もっともぽん太はブロイラーの時代の診断体系には詳しくないので偉そうなことは言えませんが、ここもちょっと疑問に思えるところです。
 というか、書いたばかりのニジンスキーの『手記』を読めば、躁鬱病ではなく統合失調症であることは一目瞭然のはずですが、『手記』はロシア語で書かれておりましたし、ロモラとしては他人の目に触れさせたくないことも書いてありましたから、この時はブロイラーが読む機会はなかったのでしょう。


 1919年にニジンスキーはベルヴューに入院しました。ベルヴュー(Sanatorium Bellevue )は、ビンスワンガー家が4代にわたって運営した個人精神科病院で、ニジンスキー入院時の院長は、現存在分析の創始者のルートヴィヒ・ビンスヴァンガーでした。もっとも彼が現存在分析を確立したのは1930年代から40年代のことですから、もっとあとの話です。というか、ビンスヴァンガーはちょうどニジンスキーとの関わっている時期に、現存在分析を確立していったことになります。
 ベルヴューは、ルートヴィヒのあと、息子のウォルフガング・ビンスヴァンガーが後を継ぎましたが、財政の事情から1980年に閉院しました。場所はたぶんこの辺ですね(googe map 3D写真)。建物の多くは現在は建て替えられてしまっているようです。
 ビンスヴァンガーは病院のなかで、外部からの客も集めて、ニジンスキーのダンス・リサイタルを開いたそうです。またビンスヴァンガーは、妻との再会が良い効果をもたらすだろうと考え、妻と外泊させたりしました(ブロイラーの考えとはちょっと違うのが面白いですね)。


 その後、ニジンスキーの病状はいろいろと変化し、様々な症状が出たようですが、精神科医からみて統合失調として普通の経過、普通の症状なので、バッサリと省略。


 1920年2月、ロモラはニジンスキーを、ウィーンのシュタインホーフ精神病院に入院させました。
 この病院はウィーンの西部にあり、建築家オットー・ワーグナーの計画に基づいて作られたもので、広大な敷地を擁し60もの建物からなっておりました。現在もオットー・ワーグナー病院として診療を続けているようです。付属施設のひとつであるシュタインホーフ教会は、オットー・ワーグナー自身の設計によるユーゲント・シュティールの建物で、現在でも人気観光スポットとなっております。こちらがgoogle map 3D写真です。
 で、当時この病院の院長だったのがヴァグナー=ヤウレックで、梅毒による進行麻痺に対するマラリア療法を1917年に発明して、1927年にノーベル賞を受賞した人ですね。ほんとにニジンスキーは当時の一流の医師の治療を受けてますよね。


 ウィーン滞在中に、ロモラはフロイトに相談に行ったと書いているそうですが、真偽は不明です。


 その後、1922年か23年ごろ、フランスの高名な医師たちに診てもらったそうですが、具体的な名前はわかりません。


 次はまたまた有名人、深層心理学者、アルフレート・アドラーです。最近は、アドラー心理学を踏まえた『嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え』などという本が売れてますね。
 ロモラは、1936年に出版されることになる『ニジンスキーの手記』の序文をアドラーに依頼したのだそうです。しかし、出来上がった序文をロモラは気に入らず、今度はユングに依頼しましたが、診察したことがないからと、丁重に断られたそうです。
 スゴイですね。三大深層心理学者コンプリートです。
 で、1934年、ロモラはそのアドラーをつれて、再びベルヴューに入院していたニジンスキーを訪ねます。アドラーはニジンスキーを引き取るつもりでしたが、ニジンスキー本人の同意が得られず、転院はかないませんでした。
 オーストリア生まれの医師アドラーは、フロイトの精神分析学派に加わりますがやがて決別。次第にその名声は世界に知れ渡り、アメリカとヨーロッパで半々過ごしながら、世界各地を飛び回る生活でした。しかしアドラーはユダヤ人だったので、ナチスの台頭により、1935年にアメリカに移住をしております。


 ロモラは何かよい治療がないかと、あちこちの病院や大学を訪れ、手紙を書いたそうですが、インシュリン・ショック療法を選びました。アメリカの医師、マンフレート・ザーケルが始めた治療法で、患者にインシュリンを注射し、一定時間、低血糖の昏睡状態に置くというもので、事故死の可能性も否定できませんでした。
 1937年8月、ロモラはザーケル自身を連れてベルヴューへ乗り込みました。しかし精神病を人間的現象として捉えるビンスヴァンガーはこの治療法を拒否。それでも翌1938年7月、ロモラの強い要望の結果インシュリン・ショック療法が開始されました。
 2ヶ月後、目覚ましい改善が見られた、とロモラとザーゲルは思ったのですが、実際はなんの変化もなく、ビンスヴァンガーはこれ以上インシュリン療法を行うことを禁止。そこで12月、ニジンスキーは、ビンスヴァンガーの親友マックス・ミューラーが院長をつとめるミュンシンゲンの州立病院に転院し、そこでインシュリン療法を続けることになりました。
 ミュンシンゲンの州立病院とはこちらでしょうか(Psychiatriezentrum Münsingen - E
Wikipediaドイツ語版
, google map 3D写真)。マックス・ミューラー(Max Müller)はぽん太は聞いたことありませんが、ドイツ語のWikipediaを見ると、のちにベルン大学の教授になったようです。
 ニジンスキーのインシュリン療法は翌1938年6月まで続けられ、ベルヴューと通算228回施行されましたが、莫大な医療費とは裏腹に、さしたる効果はありませんでした。


 何回か入退院を繰り返したのち、ミュンシンゲン病院に入院していたニジンスキーを、1945年3月12日、看護人がロモラのところに連れてきました。敗走するドイツ兵が、精神病院の患者を全員処刑するように命令したというのです。やがてソ連軍が進駐してくると、そこにロシアの英雄ニジンスキーがいることを知って驚いたそうです。
 ところが、気さくなロシア兵と接するうちに、ニジンスキーの病状がみるみる改善し、感情が戻ってきて、自分から話しかけたりするようになったそうです。
 それを見たロモラは、精神科医の指示があったとはいえ、これまで自分たちがニジンスキーにしてきたことは間違っていたのではないかと思ったそうです。何十年間にわたって行ってきた治療よりも、数週間の粗野なロシア兵の扱いの方が、ニジンスキーの病気にはるかに良い効果を与えた。私たちはニジンスキーを外界から引き離し、独房に閉じ込めきただけだった。このことに関して、いまでも決して自分を許すことはできない。


 1950年4月8日、ニジンスキーは「慢性腎炎による尿毒症」により死去。


 その2年後の1952年、最初の抗精神病薬クロルプロマジンが発見され、以後、精神医療は薬物療法の時代に入ります。それによって精神病患者は、これまでとはまったく異なる良好な経過を辿ることが可能になりました。
しかし上のロモラの告白は、現在であっても、精神障害に関わる者が決して忘れてはいけない真実を含んでいるとぽん太は思います。

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2018/05/31

【拾い読み】鈴木晶『ニジンスキー 神の道化』(2)病歴のまとめ

 鈴木晶氏の『ニジンスキー 神の道化』(新書館、1998年)の拾い読み、今回はニジンスキーの精神障害に関する部分です。


 今回は、ニジンスキーの病歴を、医学レポートの形式でまとめてみました。

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病歴報告書
東京都多摩地区狸の穴1番地
どうぶつ精神科病院
医師:ぽん太


【氏名】ヴァーツラフ・フォミッチ・ニジンスキー(Вацлав Фоми́ч Нижи́нский)
【性別】男性
【生没年月日】1890年3月12日〜1950年4月8日
【診断】統合失調症
【既往歴】帝室舞踊学校時代(1898〜1907)に転倒事故にて4日間の意識不明となり生死をさまよい、2ヶ月間入院(後遺症はなし)。
18歳ごろ淋病。5ヶ月ほどで改善。
【家族歴】兄、妹がいる。兄は幼少時からぼんやりしたが、精神障害を発症して入院歴もあり、第二次対戦中に病院内で自殺。また祖母がうつ病で自殺?。
【生活歴】1889年3月12日にウクライナのキエフで出生。両親はポーランド人のバレエ・ダンサー。幼少期は活発で冒険好きで机に向かうことが苦手など、多動傾向が認められた。また言語コミュニケーションが苦手だった。
 1898年、帝室舞踊学校に入学。舞踊技術は優れていたが、陰湿ないじめに会う。いじめのなかで転倒し、上記のように4日間の意識不明となり生死をさまよう。
 1907年、帝室舞踊学校卒業と同時にマリインスキーバレエ団に入団し、頭角をあらわす。
 1909年、ディアギレフが旗揚げしたバレエ・リュスに加わって大活躍し、振付家としても革新的な振り付けにより高い評価を受ける。この頃、気に入らないことがあると興奮して大声でわめくことがしばしばあった。
 1913年、ハンガリー人の女性と結婚。これが原因となりバレエ・リュスを解雇されたため、1914年、自分の一座を組んで公演を行うがうまくいかず、強いストレスを受ける。
【病歴】この頃から、ちょっとしたことで大声を出し、だだをこねるように転げ回ったり、他人に殴りかかるなどの行動が見られるようになった。その後抑うつ状態となり、不眠、思考力低下、易疲労感、情動不安定、不安・抑うつなどがみられ、稽古もできずに横になっている状態となったが、数ヶ月で軽快。1916年からはバレエ・リュスに復帰し、全米ツアーなどに参加。だがここでも癇癪を起こすことが多かった。また友人の影響でトルストイ主義に心酔し、菜食主義となり、ロシアの農民服を着用し、コール・ド・バレエに主役を踊らせるなどした。
 1917年、スイスのサンモリッツに転居。当初は心身ともに回復したようだったが、1918年にはバレエへの興味を失い、マンダラのような抽象画を描きまくるようになる。精神分析に興味を持つ内科医フレンケルと知り合う。
 1919年1月19日、サンモリッツのホテルにて私的なダンス・リサイタルを開くが、かなり前衛的なもので、途中で第一次大戦についての説教をするなどした。
 この日から2ヶ月間、『手記』の執筆に没頭。絵に対する興味はなくなり自分のデッサンをしまい込む。『手記』は極めて混乱しており、妄想的な内容であった。この頃から言動が誰の目にも「異常」と映るようになり、家に閉じこもったり、家族に暴力を振るうなどしたため、フレンケルはオイゲン・ブロイラーにニジンスキーを紹介した。
 1919年3月5日、チューリッヒのブルクヘルツリ病院でブロイラーの診察を受ける。軽度の躁病性興奮をともなう混乱した統合失調症と判断し、同病院では監禁的処遇しかできないため、クロイツリンゲンにあるベルヴューという私立のサナトリウム(院長がビンスヴァンガー)への入院を勧めた。その日の夜、ホテルで騒ぎを起こし、ブルクヘルツリ病院に強制入院となり、2日後にベルヴューに転院となった(ブルクヘルツリの最終診断はカタトニー(緊張病))。
 ベルヴューでは開放的な環境で治療を受けたが、症状は緊張病性の興奮と昏迷を繰り返し、指を目につっこむといった自傷行為や、幻聴も認められた。
 同年7月、妻が来院し、患者の退院を執拗に要求。退院できる状態ではないことを説明したが納得せず、地元の保健所と相談の上、「サンモリッツに患者のために特別な部屋を用意すること、自殺に使えるものを一切置かないこと、経験ある看護人2名が24時間患者を監視すること、精神科医の監視下に置くこと」という条件のもと、7月29日に退院となった。
 しかし約束が十分守られなかったため、12月3日にベルヴューに強制入院となる。病状はかなり悪化しており、暴力を振るったり、床に排泄するなどした。
 1920年2月、妻の転居に伴いウィーンのシュタインホーフ精神病院に転院。この間、妻がフロイトに相談に行ったというが、真偽は不明。
 1922年、同院を退院し、ブダペストの妻の実家に戻り、その後さらにパリに転居。フランスの高名な医師の診察を受けるが改善はみられず。
 1926年、妻がアメリカに渡ったため、妻の姉と看護人が面倒をみたが、道で他人に危害を加えたり、体を出血するまで引っ掻くなどの自傷行為がみられたため、私立の精神病院に入院。退院後、自宅で劣悪な条件で監置される。
 1929年4月、ベルヴューのスタッフが苦労して移送し、ベルヴューに3度目の入院。病状は進行していて、興奮は見られなかったが、外界への興味を失い、ぼうっと座って過ごすことが多かった。
 1934年、妻がアドラーを伴ってベルヴューを訪問。転院を試みるが、本人の同意が得られずにあきらめる。
 この年と翌年に2回の心臓発作。
 1938年、ザーケル医師が自らベルヴューを訪れ、病院内でインシュリン・ショック療法を行う。2ヶ月間行うが、効果なし。
 同年12月、ベルヴューの院長ビンスヴァンガーがインシュリン・ショック療法を禁じたため、効果を信じる妻の希望でミュンシンゲンの州立病院に転院し、インシュリン・ショック療法を継続。
 1939年、インシュリン・ショック療法を計128回行うが、効果は見られず終了となる。ミュンシンゲン病院を退院。
 1940年、ミンシュンゲン病院に再入院。夏、妻の実家のブダペストに移るが、暴力が手に負えず、1942年に私立のサナトリウムに入院。5月、膀胱炎と痔の治療のためブダペストの公立病院に入院。一度退院したが、再度入院。
 1943年、ウィーンの聖ヨハネ病院に入院。
 1945年3月24日、ドイツ軍から精神病患者を全員処刑するよう命令が下ったため、看護人が機転をきかせて患者を妻の疎開先に連れて行く。
 妻とともにウィーンに転居。
 1947年、ロンドンに転居。1948年、ロンドン郊外に居を構える。
 1950年4月4日、ベッドから起き上がれなくなり、ロンドンの私立クリニックに救急搬送。4月8日に死去(死因、慢性腎炎による尿毒症)。

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2018/05/30

【拾い読み】鈴木晶『ニジンスキー 神の道化』(1)ダンサー編

 ちょっと前のことですが、ぽん太はハンブルク・バレエの来日公演でノイマイヤーの「ニジンスキー」を観て、いたく感激したのでした。

【バレエ】「ニジンスキー」ハンブルク・バレエ2018年日本公演

 しかし、実はぽん太はニジンスキーをあまり知らなかったので、バレエを見ていてよく解らないところがありました。それではというわけで、鈴木晶氏の『ニジンスキー 神の道化』(新書館、1998年)を読んで勉強してみました。

 バレエ会場でたびたびお見かけする著者の鈴木晶氏は、バレエ研究家であると同時に、精神分析にも造形が深いので、バレエファンの精神科医であるぽん太は、とても面白く読むことができました。特にニジンスキーが精神病になって踊るのをやめてからの部分が興味深かったです。

 いつものように、ぽん太が興味を持ったところの拾い読みです。興味を持った方はぜひご自身でお読みください。

 こんかいはダンサーとしてのニジンスキーについて。病気に関しては、稿を改めます。


 なんとベジャールもニジンスキーを題材にしたバレエを振り付けているそうな。初演は1971年、タイトルは「ニジンスキー・神の道化」、主役はジョルジュ・ドン。第一部(バレエ・リュスのニジンスキー)と第二部(神のニジンスキー)に分かれていて、第一部にはバレエ・リュスの作品の断片が組み込まれ、第二部には彼の狂気と死が描かれていたそうで。ノイマイヤー版と似てますね。
 これを元にベジャールは、1990年に同じタイトルのバレエを発表しました。この作品では、『ニジンスキーの手記』の朗読が大部分を占めていたそうです。またクライマックスでは、ニジンスキー役のドンが赤い布を舞台上に十字架の形に置き、その上に立つそうですが、これもノイマイヤー版と重なりますね〜。
 ということは、ノイマイヤー版「ニジンスキー」はベジャール版を踏まえており、ベジャール版を観ずしてノイマイヤー版を理解することはできないと思われます。でも、ちょと探してみたのですが、DVDは見つかりませんでした。
 しかし、何と、youtubeで見れるじゃyないですか!(https://www.youtube.com/watch?v=ROS-jG0qAXU&list=PLl50gigE6yC4XZF_EzqSXNaKvIeZYFTMv)。でも、両者の比較検討はまたの機会に……。


 さて、ディアギレフのバレエ・リュスの旗揚げに際して、ニジンスキーはマリインスキー劇場を辞めて参加しましたが、他にマリインスキー劇場から駆けつけたダンサーの一人、リディア・ロプコワは、後に経済学者ケインズと結婚したそうです(まあ、どうでもいいけど)。


 ニジンスキーはマリインスキー劇場を辞めるため、わざとタイツの上に半ズボンをはかずにステージに立ち、解雇されたそうです。当時の男性ダンサーは、タイツの上に半ズボンを履くのが普通だったんですネ。


 ドビュッシーの「遊戯」が、ニジンスキーの振付第2作であることも初めて知りました。しかもテーマはテニス。若い娘ふたりがテニスをしていると、その様子を茂みの中から伺っていた若者が登場。くどいたり嫉妬したりの諸々があって、最後は仲良く三人でダンス。作曲を依頼されたドビュッシーは、「そんなバカバカしいものに曲を書く気はない」と断りましたが、ディアギレフが倍の作曲料を提示したところ、作曲を承諾したそうです。振り付けは失われておりましたが、復元版があるそうです。これもYoutubeにあるので(https://www.youtube.com/watch?v=lovGVYNKG_I)、そのうち見てみたいと思います。


 第一次大戦中の1917年、スイスのサンモリッツに移り住んだニジンスキーには、次第に精神病の兆候が現れてきます。
 1919年、ニジンスキーは突然「狂気と戦争」をテーマにした作品を踊るためのリサイタルを開きたいと言い出しました。そこで同年1月19日、サンモリッツのスブレッタ・ハウスという名のホテルの大広間でリサイタルが開かれました。観客が二百人ほど集まりましたが、スキーをしにきたリゾート客だったそうです。これが、ノイマイヤーの「ニジンスキー」の冒頭とエンディングで描かれていたものですね。
 スブレッタ・ハウスというのはここですかね(公式サイト)。現在もあるようです。お城みたいなかっちょいい建物です(google mapの写真)。公式サイトの(こちら)のページにニジンスキーのことが書かれているから、ここで当たりのようです。

 実際のリサイタルの様子について、本書にはけっこう詳しく描かれています。ちょっと長いけど引用させていただきます。

 広間の照明が暗くなり、友人のピアニストがピアノの前にすわると、観衆の前にニジンスキーが姿をあらわした。黒い縁のついた白い絹のパジャマのような衣装をつけ、ベルトはせず、白いサンダルをはいていた。
 バレエでは、黒いパジャマ風の上下の上に、白い帯状の布をガウンのようにまとってました。足は裸足だったきがするけど。
彼はピアノに近づいて、何かショパンかシューマンの曲を弾いてくれと頼んだ。だが、曲が始まると、彼は椅子をステージの中央にもってきて、それに腰かけ、手足を少しもうごかすことなく、じっと観衆のほうを見つめていた。(……)我慢できなくなった妻が近寄って、「『レ・シルフィード」か何か、みんなのよく知っている曲を踊って下さい」と頼むと、ニジンスキーは「邪魔をするな!」と怒鳴りつけた。だが、ピアニストがショパンのプレリュードを弾き始めると、その曲に合わせて、ゆっくりと両腕を前方に持ち上げた。指先は上を向き、掌は外向きに、つまり観客の方に向けられていた。次いで彼はその両腕を頭の上まであげ、そしてふいに、関節がばらばらになったかのように、両腕をだらりと垂らした。
 バレでは、ピアノが音を出さぬまま、ニジンスキーは椅子に座り続けていて、妻が声をかけるために近づこうとすると、それを制するように立ち上がり、白い布を取ってピアノの方に歩いていきます。そしてピアノのショパンの前奏曲第20番にあわせて、踊り始めました。しかし本に書かれているような動作はありませんでした。
 彼自身は、そうした腕の動きによって大事なメッセージを観客に伝えることができた、と満足していたが、観客席の間にはざわめきの波が広がり、何人かは席を立った。それを見たニジンスキーはますます緊張したが、ふと、観客を楽しませてやらなければと考え、コミックな踊りを見せた。観客席は和み、ちらほら笑い声も聞こえた。
 バレエでも最初の踊りの後、まばらな拍手がありました。そして再び立ち尽くすニジンスキーに妻が声をかけると、ニジンスキーはこっけいな踊りをはじめ、観客が笑い声をあげておりました。この踊りの途中に、ニジンスキーのレパートリーの様々な登場人物が侵入してきて、狂気の世界へとなだれ込んでゆきました。
だが、またもやふいに彼の気分は変化し、陰鬱で真剣な表情になったかと思うと、白と黒の長い布を一本ずつ床一面に敷き、大きな十字架を作り、その十字架の頂点にあたる所に、十字架にかかったキリストのように両手を広げて直立し、つたないフランス語で、終わったばかりの大戦について、そして大戦で失われた無数の生命について説教を始めた。
 布で十字架を作るシーンはバレエのラストにありますが、これは実話だったんですね。
 さて、ニジンスキーは説教を終えると、「これから戦争の踊りを踊ります。あなたがたが阻止できなかった戦争。あなたがたに責任があるあの戦争の踊りです」と言って、踊りはじめ、やがてあの伝説的な跳躍を見せた。踊りはどんどん激しくなり、彼の凄まじい形相に観客は震え上がり、金縛りにかかったように彼の踊りを凝視していた。ニジンスキーは疲れ果てるまで踊り続けた。これがニジンスキーの「最後の踊り」であった。
 この戦争についての説教、踊りの部分を膨らませて、ノイマイヤーのバレエが作られているのですね。バレエ全体が、ホテルで踊っているニジンスキーの記憶と妄想の世界なのかもしれません。


 ニジンスキーの長女キラは、作曲家・指揮者のイーゴリ・マルケヴィチと結婚したんだそうな。マルケヴィチは一時期ディアギレフの愛人だったこともあるらしいです。

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