【登山】黒部渓谷下ノ廊下(2003.10.29〜2003.10.31)
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普通は黒部渓谷というと、立山黒部アルペンルートの黒四ダムや、宇奈月から欅平まで続いているトロッコ列車などの、おばさんがハイヒールで行ける観光地を思い浮かべるだろう。
し、しかし、「下ノ廊下」は別である!
それはこんな道なのだ!!
断崖絶壁に掘られた、幅1メートル足らずの道・・・。谷底の黒部川までは100メートル以上ある。壁に取り付けられた細い針金だけがたよりである。
下ノ廊下の正式名称は「旧日電歩道」です。なんでも昭和初期に黒部第三ダムの建設のために作られたそうで、トロッコ電車の終着駅の欅平から黒四ダムまで、標高約950メートルのほぼ水平な道が延々と続いています。その多くは断崖絶壁に刻まれた細い道です。大混雑の立山黒部アルペンルートとは異なり、静かな秘境の雰囲気のなか迫力ある黒部峡谷の景観を満喫できる、知る人ぞ知るコースです。
黒部と言えば日本有数の豪雪地帯。雪渓が解けて登山道が開通するのは、夏も終わった9月の中旬頃。そして新雪が積もり始める10月の下旬までのわずか1ヶ月ほどしかこの道を歩くことはできません。
けれども、まさにその時期こそが、黒部川渓谷が紅葉で錦繍に彩られる絶好の時期なのです。
10月29日の午前中に車で東京を出発したわたくしぽん太とその妻ニャンコは、長野県の葛温泉仙人閣に泊まり、酒と料理と温泉を堪能しつつ、翌日の下ノ廊下踏破に思いを馳せ、密かに武者震いするのであった。
翌30日、7時半出発の一番のトロリーバスで黒四ダムに向かう。天気は快晴です。観光バスで乗り付けた団体客と分かれ、下ノ廊下に向かう出口からトンネルを出る。われわれを含めて5、6人が下ノ廊下に向かった。まず、ジグザグの道を下って、黒四ダムのふもとに降りる。
黒四ダムの裏側を下から見上げたところです。立山黒部アルペンルートを行く観光客は、けっして見ることができない風景です。
この時期、観光放水は終わっています。
しばらく川沿いの樹林帯を歩くと、水平歩道が始まります。最初は谷も浅いです。
「黒部の魔人」と呼ばれる、大タテガビンの岸壁です。
雪渓が溶けたとはいえ、二カ所ほど雪に道をふさがれていました。登山者が豆粒のように写っています。
慎重に雪渓を渡らなくてはいけません。ところが、ポンタが雪の上に足を置いたとたん、雪の固まりが崩れて動いたのです。ポン太はバランスを崩して転びました。
足下の雪が10センチほどずれただけで止まったからよかったものの、雪がそのまま谷底に崩れ落ちていったなら、ポン太も巻き添えを食って間違いなく死んでいました。転んだ衝撃で、翌朝起きたら首が回らなくなっていましたが、それだけですんでよかったと思いました。
谷が深くなり、転落の危険が大きい「大へつり」に至ります。名物の、絶壁をコの字型にくり抜いた道です。
美しい渓谷沿いに、恐ろしい道が続きます。すれ違うのも困難な状況です。
何カ所か、沢水がシャワーのように降り掛かってきます。ビニールの簡易トンネルです。
松の木が見えてくると、十字峡です。南から北に向かう黒部川本流に、東から棒小屋沢、西から剣沢が十時に合流しているところで、大変美しい風景です。秋の日は短いので、明るいうちに山小屋につくように、あまりゆっくりもせず先を急ぎます。
黒四ダムの水を使った発電所は、岩盤の地下深くにあります。そこからの送電線の引き出し口です。送電線の真下にくると、電線が電流によってうなるのが聞こえました。
やがて仙人ダムに着きます。おそらく古いダムなのでしょう、小さくて美しい構造物です。
登山道を示す標識は、なぜかダムの建物の扉を指しています。
おそるおそる扉をあけると、歩いていた職員と目が合いました。思わず「こんにちわ」と挨拶したら、むこうも挨拶をしかえしてくれました。「秘境」歩いていたつもりなのに、不思議な感じです。
建物から連なる隧道を進んでいきます。
トロッコの踏切を渡ります。「電車に注意」という看板が目に入ります。なにやら、秘密基地に迷い込んだような気がします。
やがて谷底から白い湯気が上がっているのが目に入ります。
今日のゴールの阿曽原温泉小屋です。到着は午後3時半でしたから、今日の行程は8時間弱でした。豪雪地帯のため、冬になると小屋を解体して撤収します。すでに解体作業が始まっており、登山客は従業員の部屋に泊まりました。客はわずか十数人で、夕食後の酒を飲みながらの歓談がとても楽しかったです。
これが阿曽原の温泉です。自分の足で歩かないと行くことのできない、正真正銘の秘湯です。
先ほど見えた白い煙の正体はこれでした。いわゆる「高熱隧道」に通じる横坑です。黒三ダムの工事中に突然160度を超える高熱の岩盤に突き当たり、ダイナマイトが自然に発火してしまう事故などで、多くの労働者が命を失ったそうです。こうした過酷な条件で作業をさせられた労働者の多くは朝鮮人だったといいますから、ひどいはなしです。
31日、山小屋な早い朝食を終え、6時半頃に出発。さらに水平歩道を下ります。シーズンも終わりのため、標高の低いこのあたりの紅葉がきれいでした。
「黒部の怪人」という異名をとる奥鐘山西壁です。
美しい紅葉のなか、水平歩道は続きます。
有名な志合谷トンネルです。沢の裏側をくぐり抜ける、長さ150メートルのトンネルです。明かりはないのでヘッドランプを使います。岩石に含まれる金属がキラキラ光って、とてもきれいでした。足下には湧き水が流れていますが、溝を掘って靴が濡れないようになっていました。身をかがめないと通れない狭さで、閉所恐怖のニャンコは「はやくだしてぐれ~」と泣いていました。
東の方に雪山が見えてきます。白馬岳のあたりを裏から見ているものと思われます。
やがてトロッコ電車の欅平駅が見え、アナウンスが聞こえてきます。
11時20分頃、欅平駅に到着。あたりは観光客でごったがえし、俗世間に戻ってきたな、と実感しました。トロッコ電車で宇奈月に向かいます。たしかポン太が小学生が中学生だったころ、ダム用に作られたトロッコ電車に観光客を乗せてくれるようになったけれど、切符には「命の保証はしません」みたいなことが書いてあったという話を聞いた記憶があるが、現在のトロッコ電車はすっかり観光化されていました。
宇奈月から富山地方鉄道で魚津に出て、JRで糸魚川経由で扇沢に車をとりに戻りました。扇沢に着いた頃は夕方の18時過ぎでした(電車で東京に帰る場合は、JRの特急で越後湯沢に出て上越新幹線で帰る方が、便がよいそうです)。大町温泉郷で汗を流して帰途につきました。あ~楽しかった。
付記:帰宅してしばらくしてから、吉村昭氏の『高熱隧道』(新潮文庫)を読みました。第二次世界大戦の迫るなか、多くの労働者の犠牲を出しながら、ダム建設を強行する様子が描かれています。一読をお勧めします。
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