ぽん太とその妻にゃん子の次なる目標はメキシコである。
しかしそこに恐ろしい事件が待ち受けていることを、ぽん太とにゃん子は知るよしもなかった・・・
今回の旅は、世界遺産に指定されたマヤやアステカの遺跡を訪ねる旅である。
しかしそこに恐ろしい事件が待ち受けていることを、ぽん太とにゃん子は知るよしもなかった・・・
メキシコと聞いてもタコスとソンブレロとミル・マスカラスぐらいの知識しかないぽん太夫妻は、期待に胸をふくらませながら、12月31日の朝8時過ぎに都内の自宅を出て、成田空港に向かったのである。
しかしそこに恐ろしい事件が待ち受けていることを、ぽん太とにゃん子は知るよしもなかった・・・
新宿から成田エクスプレスで約1時間。成田空港第一ターミナルに到着したのが午前11時頃である。飛行機はアメリカン航空675便で、13時25分の出発である。
しかし、くどいようだが、そこに恐ろしい事件が待ち受けていることを、ぽん太とにゃん子は知るよしもなかったのである。
ぽん太とにゃん子は旅行会社の受付カウンターで手続きをしようとした。
が・・・・・・・・
パスポート忘れた。
ぽん太は15秒ほど静止た状態となり、頭のなかで考えた。「そういえば、よく夢でこういう場面にでくわしたことがある。約束の時間に間に合わないとか、バスをのり違えてしまうとか・・・。そうだ、これは夢だ! 夢に違いない。な~んだ夢だったのか。ああよかった♪」
そこでぽん太は10秒ほど目を閉じ、再びゆっくりと目を開けた。そうすれば、寝室にいる今朝の自分に戻るはずだった。
だがそこにあったのは
怒りでトラと化したにゃん子の顔だった。
とりあえずぽん太は、にゃん子にスーツケースを預けて空港で待たせ、パスポートを取りに自宅に戻ることにした。途中で道を聞いて来た外人に「アイ・ドント・ノ~オ~」と叫びながら、エスカレーターを地下まで一気に駆け下りた。はじめにJRに行ったが次の成田エクスプレスまで40分ほどあるので、今度は京成電鉄に行き、10分後の特急に飛び乗った。電車が発車してからようやく落ち次いで状況を考えてみるに、どう考えてもパスポートを取ってきて予定の飛行機に間に合いそうもない。ぽん太はにゃん子に電話をして、旅行会社に相談して便を遅らせてもらうか、だめならキャンセルをするように頼んだ。
目をつぶると頭に浮かぶのは、メキシコに行けずに、家でK-1の曙の試合を見ている自分の姿である。いまから北海道のスキーツアーの予約とかとれるかな、などと気持ちはほとんど負けている。
「船橋競馬場」だの「堀切菖蒲園」だのの駅を通るにつけ、メキシコに行くはずの自分が、なんでこんなところにいるのか情けなく思えて来る。
にゃん子から連絡が来て、なんとか19時頃の便に遅らせてもらったとのことだった。最初旅行会社に交渉したところ、いまさら便の変更は難しいということで、あきらめてキャンセルの手続きをし始めたらしい。ところが正月休みだというのにあまりの哀れな状況を見るに見かねたアメリカン航空の職員が、特別に便を変更してくれたのである。
ありがとう、アメリカン航空。皆さんのおかげで楽しい正月が過ごせます。このご恩は一生忘れません。
しかし、急いでパスポートを持って成田に戻らなくてはいけないことに変わりはない。電車を乗り継いでようやく自宅の最寄りの駅に着き、タクシー乗り場に向かった。しかし本日は2004年12月31日。そう、東京に大雪が降った日である。
待てど暮らせどタクシーが来ない。やっとのことで自分の番が来てタクシーに乗り込むが、今度は道路が大渋滞で動かない。さらにす進んでも時速20キロのノロノロ運転である。タイヤがつるつるすべって歩道の縁石に衝突しながら、ようやく自宅に着いた。雪で滑って転びながらようやく家に入ってパスポートをゲットし、再び大急ぎで成田に戻った。
成田空港に戻ったのが夕方の5時頃。朝の8時に家を出てから9時間かけて、自宅と成田の間を3回移動したことになる。
これから旅行に出発するというのに、もうへとへとである。これではまるで、K-1でリングに登場して試合のゴングが鳴るまでに、体力の90%を消費してしまうという曙状態である。
パスポートを忘れるバカの笑い話は聞いたことがありましたが、まさか自分がそのバカになるとは思ってませんでした。
成田空港がちょっと遠すぎるんじゃないの? いえいえ、パスポートを忘れた私がすべて悪いんです。
しかしぽん太は今度のことで、いかに自分というものが他人の情けのおかげで生きているかということを、あらためて実感したのである。合掌。
さて、今回の旅のクライマックスは終わりましたので、あとはかいつまんで説明したいと思います。
便を遅らせたために、メキシコシティーのホテルに到着したのが12月31日の夜遅くになったので、ホテルのレストランも閉まっていました。町へ出ても開いているレストランはありません。仕方なしにセブンイレブンで買ってホテルの部屋で食べることにしました。
これが2004年を締めくくる大晦日の晩餐のメニューです。
翌日はまずグアダルーペ寺院の観光です。16世紀にファン・ディエゴという男の前に現れたマリアが、彼の着ていたマントに写り込んだという奇跡で有名です。そのマント実物が教会の正面に掲げられています。
これがそのマントですが、まるで絵のようです。でも絵ではなく奇跡のマントなので、色あせたりしませんからフラッシュ撮影オーケーです。
次にメキシコシティー郊外の遺跡、テオティワカンに向かいました。アステカやマヤ文明以前、紀元前2世紀から紀元後8世紀頃まで栄えた都市で、一時は20万人以上の人口がいたと言われています。当時のコンスタンティノープルでさえ人口が2万人にすぎなかったそうです。
有名な「太陽のピラミッド」です。
エジプトのピラミッドとは違って墓ではなく、神殿の土台部分だそうです。ダライ・ラマもこの上で瞑想したことがあるそうです。すごい大勢のひとです。太陽に手をかざしてパワーを受けようとしている人がいます。変な格好でなにやら儀式をしている集団もいます。しかし羽飾りをかぶったこの衣装はアステカ人のもので、この遺跡とは時代が違いますから~~~残念!
その日のうちに飛行場でビジャエルモッサに飛びます。メキシコシティーでプロレスが見れなかったことだけが心残りです。
3日目はパレンケの遺跡です。メキシコというと荒野にサボテンという風景を思い浮かべますが(ぽん太だけか?)、パレンケのあるメキシコ南東部はジャングル地帯です。
7世紀に繁栄したマヤ古典後期を代表する遺跡です。その後800年のあいだ人知れずジャングルのなかに埋もれていましたが、18世紀にスペイン人によって再発見されました。
「碑文の神殿」です。さきほどメキシコのピラミッドは墓ではないと書きましたが、この神殿は例外で、1952年に内部にパカル王の墓室が発見されました。
「天体観測塔」と呼ばれる四重の塔を持つ「宮殿」は、とても美しい建築です。
飛行機でメリダに飛んで宿泊です。
4日目はウシュマルです。7世紀初頭に栄えた「プウク様式」と呼ばれるマヤ文明の遺跡です。プウク様式の特徴は、複雑な彫刻のモザイクで構成された壁面装飾です。
この地域には河川がないので、雨乞いの神様「チャック」像が目立ちます。たてに三つならんだ図案化された顔がわかりますでしょうか?
鼻を上に向けて雨乞い中です。
マヤ・アーチと呼ばれる建築技術です。いわゆるローマ・アーチと違って、両側の石をせり出させて造られています。
5日目はチチェン・イツァーです。ここは6世紀頃の「旧チチェン・イツァー」と、10世紀以後の「新チチェン・イツァー」の二つのエリアからなっています。マヤ人は暦に従って定期的に都を遷す習慣があったため、時期的に隔たった二つの遺跡が同じところにあるのだそうです。
旧チチェン・イツァーは、マヤ独自の特徴が目立ちます。写真の「カラコル」は、窓や台座が天文学的な方角を正確に向いており、天文観測台だったといわれています。
ここでもチャックが雨乞いしてます。
新チチェン・イツァーは、トルテカ人の影響を受けた新しいマヤ文化に属します。建物の保存も良く、現代のわれわれに近い感性を持っているように感じますが、一方で人間を生け贄に捧げたことで有名です。
「球技場」です。2チームに分かれ、ゴム製の硬いボールを、手を使わずに肘や足だけで、壁に取り付けられた環をくぐらせた方が勝ちです。
ところがこのゲームは遊びではなく、宗教的儀式であり、勝ったチームのリーダーが聖なる生け贄として神に捧げられたそうです。
なぜ勝った方が生け贄になるのか納得できず、ガイドを問いつめる外人さんです。
球技場の隣には「ツォンパトリ」と呼ばれる台座があり、側面は骸骨のレリーフで覆われています。生け贄にされた人の骸骨をさらすところだったと考えられています。
「エルカスティージョ」、スペイン語で「城」と名付けられた神殿です。
内部に隠された部屋があり、見学することができます。発掘時に側面に開けられた穴から入ると、一人がやっと通れるほどの狭くて急な階段が続いています。蒸し暑くて息苦しい階段です。そこを登って行くと隠し部屋に着きます。
生け贄の人間の心臓を置く台です。とても気持ち悪いです。
その奥には、ヒスイの目を持つ赤いジャガーがあります。これは、はっきりいってヤバすぎます。
そして極めつけは「聖なる泉セノテ」です。この一帯は石灰岩質の土壌でできているため、雨水が地下にしみ込んで空洞を造ります。その空洞が陥没してできる池がセノテです。しかしそんなことよりも、ここのセノテが何に使われたかが問題です。干ばつが続いたとき、最後の手段として生け贄や財宝が投げ入れられたといいます。実際調査の結果水のなかから、21体の子供、13体の成人男子、8体の女性の骨、黄金やヒスイなどが見つかったそうです。
チチェン・イツァーの見学を終えたぽん太とにゃん子は、バスで最後の宿泊地カンクンへ向かいました。カリブ海に面したカンクンは、メキシコではアカプルコと並ぶ一大リゾート地で、ヒルトンだのシェラトンだの豪華リゾートホテルが並んでいます。先ほどの怪しい雰囲気とは打って変わって、にぎやかなビーチリゾートです。
ぽん太はこういう派手やかな雰囲気は苦手です。タヌキであることがばれてしまいそうな気がします。
翌朝は早朝4時半にホテルを出発。7時の飛行機で帰途につきます。ここまで来て日の光に輝くカリブ海を一度も見ずに帰るのは、とても残念です。
飛行機の窓からちょっとだけ夜明けのカリブ海が見えました。
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