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2005/04/08

カエサルは帝王切開で産まれてない/EBMによる帝王切開の語源

 ぽん太は以前に「帝王切開の語源」に関してどのような説がネット上に広まっているかを検討しました。その時は、どの説が正しいかは論じませんでした。そこで今回は、「どの説が正しいか」をEBMの観点から検討してみましょう。
 EBMというのはEvidence-Based Medicineの略で、「根拠に基づいた医療」とでも申しましょうか、経験や感だけに頼るのではなく、科学的な裏付けを重視しようとする考え方であり、方法論です。もちろんこのブログはそのパロディですが、EBMをまじめに知りたい方はたとえばこちらのサイトをご覧下さい。
 さて、帝王切開の語源の雑学は、「カエサルが帝王切開で生まれたのでこのような名前になったと言われているが、実はそうではなくて……」というところからうんちくが始まることになっておりますが、カエサルの帝王切開で生まれていない理由が書いてあるサイトは、前回書いたように23のサイトのうち4つでした。いずれのサイトも、当時の医学で腹部を切開して母子ともに健康ということはありえないことと、カエサルの母親が出産後も生きていた証拠がある、という2段階で論証しております。

 そこでまず「当時の医学で腹部を切開して母子ともに健康ということがありえない」という点ですが、小川鼎三(ていぞう)の『医学用語の起り』(東京書籍、1990年)には次のような記述があります。「リスターの石炭酸防腐法の発表が1867年だから、それ以前の開腹手術では生命をとりとめるのが至難のことであった。19世紀の前半では、帝王切開の死亡率はおよそ75パーセントであったという(A.Castiglioniの医学書による)」(19ページ)。また立川清編『類語対照 医語の語源』(国書刊行会、1979年)(絶版?)には、「昔は開腹分娩は死んだ妊婦の胎児を救うための手術であって、生きている妊婦に開腹分娩が行われるようになったのは16世紀になってからのことである」(96ページ)と書いてあります。以上から、紀元前のローマで帝王切開をして、カエサルとカエサルの母親が二人とも健康ということはありえないと言ってよいと思います。
 次にカエサルの母親が、カエサルを産んだときに死んでいなかったことのエビデンスです。スエトニウスの『ローマ皇帝伝』(国原吉之助訳、岩波文庫、1986年)には、次のような記述があります。「……選挙の当日の朝、カエサルは民会場に下って行くとき、母に接吻しながら、こうきっぱり言ったと伝えられている。『もし大神祇官長になれなかったら、これきり家に戻りませぬ」(上21ページ)。カエサルが大神祇官長の選挙に臨んだのは前63年、カエサルが37歳のときと言われております。また別の個所には、「ガリアで戦っていたと同じ期間に、カエサルはまず母を、ついで娘ユリアを、ほどならずして孫も失った」(上33ページ)と書いてあります。ガリア戦争を始めたのは前58年、娘ユリアが死んだのは前54年とされているから、この5年の間に母親が死去したと考えられます。ちなみにこの本の付録としてついている系図を見ると、カエサルの母親のアウレリアは前54年没と書かれています。
 プルタルコスの『プルタルコス英雄伝』(村川堅太郎編、ちくま学芸文庫、1996年)も、大神祇官の投票当日のエピソードに触れています。「さて、いよいよ投票の当日になって、カエサルの母が戸口で涙を流して彼を送り出そうとすると、カエサルは母を抱いて、『母上、あなたの息子は今日大神祇官職につくか、それとも亡命者となるか、そのどちらかです』と言った」(下180ページ)。こちらには母親の死去に関する記述は見つかりませんでした。
 S1やS6は、カエサルが大きくなってから母親に手紙を書いたことがわかっていると述べておりますが、「手紙」に関するエビデンスは見つかりませんでした。もちろんそれを否定するエビデンスもありません。またS18に書かれていた「カエサルの母親が54歳で死んだ」ということに関するエビデンスも見つかりませんでした。ただ、カエサルが産まれたのは前100年ですから、前54年にカエサルの母親が54歳で死んだとすると、カエサルの母親がカエサルを産んだ年齢は8歳ということになります。これはいくら何でも若すぎるのではないでしょうか? 「紀元前54年頃に死んだ」というのが「54歳で死んだ」に間違えられたのでは、などと推測できますが、あくまでも推測です。
 ちなみにカエサル自身が書いた『ガリア戦記』(國原吉之助訳、講談社学術文庫、1994年)には、母親の死のことはまったく触れられていません。
 最後に、「すごく珍しいことだが、カエサルの母親は帝王切開をしたのに生き延びた」という可能性もないわけではありませんが、そのような珍しいことがあったら本に書かれていると思うのですが、『ローマ皇帝伝』にも『プルタルコス英雄伝』にもそのような記述はないので、否定していいでしょう。

 以上から、「カエサルは帝王切開で産まれてない」ことのエビデンスはある、ということになりました。

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