ヘーゲル先生の時代のアフリカの状況は?
ヘーゲル先生のアフリカに対する偏見を聞いてすっかり気持ちが暗くなったぽん太は、「ヘーゲル先生も昔のひとだから仕方がないのかもしれない。さすがの先生も当時のヨーロッパ人のアフリカ観から出られなかったんだろう」と思い直し、当時のアフリカとヨーロッパの関係を調べてみよう」と、ふたたび『新書アフリカ史』(宮本正興、松田素二編、講談社現代新書、1997年)を開くことにしたのである。
その前に、ヘーゲル先生が生まれたのは1770年です。『歴史哲学講義』は先生の著作ではなく、弟子たちがヘーゲル先生の死後、先生の講義ノートや聴講生のノートをもとに編纂したものです。もとになった先生の「世界史の哲学」の講義は、1822年から23年にかけてを皮切りに計5回行われ、最後は1830年から31年にかけてだったそうです。だからぽん太が会ったのは、60代のヘーゲル先生だったことになります。
ちなみにこの頃の日本は江戸時代で、外国船がだんだん出没するようになり、1825年には徳川家斉が外国船打払令を出しています。
さて『新書アフリカ史』によれば、ヨーロッパと接触する以前のアフリカ伝統社会は、よくいわれているような閉鎖的で停滞した部族社会ではなく、さまざまな部族が移動や交流を行うダイナミックな社会で、数々の民族や王国の興亡がみられたそうです。しかしこうした王国は、ヨーロッパのような中央集権的な統治機構や階級はなく、対等・平等を原則とした緩やかな共同体であったといわれています。
しかしアフリカは、15世紀末から始まったヨーロッパとの関係においては、弱者あるいは敗者の立場にたたされることになります。その代表例が奴隷貿易です。16世紀にポルトガルやスペインをはじめとする西欧諸国は、アメリカ大陸などでヨーロッパ向けの広大な農園経営を行うようになり、大量の労働力が必要となりました。そこで思いついたのが、アフリカ大陸から奴隷を連れてくることです。たしかにアフリカの伝統社会にも奴隷があり交易の対象となっていました。しかしこうした奴隷は戦争の捕虜や犯罪者の処罰として生じるもので、制度化された固定的身分ではなかったのです。ところが奴隷の需要が増大してくると、こうした自然発生的な奴隷だけでは足りなくなり、意図的に奴隷狩りが行われるようになったのです。それはアフリカ伝統社会を崩壊させる原因のひとつとなりました。
ぽん太は、奴隷貿易はヨーロッパとアフリカの関係のなかで生じた現象であり、両者に責任があると思います。アフリカ人の野蛮さだけに帰着するのも間違いならば、アフリカ人は被害者でヨーロッパ人がすべて悪いと考えるのも間違いでしょう。
ところでここまで書いてぽん太はふと思ったのですが、西洋人がアフリカ人を奴隷にしたのだとしたら、アジア人そして日本人も奴隷にしたのではないでしょうか。ぐぐってみるといろいろと出てくるようですが、それは今後の課題としておきましょう。
さて、18世紀が奴隷貿易の最盛期だそうです。18世紀のヨーロッパといえば自由と平等を求める社会だったはずですが、一方では大勢の奴隷を必要としていたのです。この矛盾を埋め合わせるために、「アフリカ人は野蛮人であり、ヨーロッパ人と同じ人間ではない。だから支配や差別をしてもいいんだ」という理屈が使われたそうです。植物分類学の父と呼ばれるリンネさえも、1735年の『自然の体系』のなかで、人類をホモ・サピエンス(知恵をもつヒト)とホモ・モンストロスス(怪異なヒト)に分け、アフリカ人を後者に分類したそうです。
しかし19世紀に入ると奴隷貿易は廃止されるようになりました。その理由ですが、ヨーロッパ人が突然人道主義に目覚めたわけではなく、ヨーロッパが資本主義に移行していくなかで、自らの意思で労働力を売る賃金労働者という人間像が生まれてきたことや、アフリカを原料を輸入し商品を売る市場という観点から見るようになってきたことがあげられます。19世紀にスタンレーやリビングストンなどによるアフリカ内陸の探検が行われたのもこうした時代の流れのなかであり、19世紀後半のヨーロッパ諸国によるアフリカの武力征服と分割、20世紀初頭の本格的な植民地化へとつながっていくのです。
ヘーゲル先生の「世界史の哲学」の講義が行われた19世紀前半は、とっても複雑な時代だったようです。詳しく分析する能力はぽん太にはありませんが、人権への目覚め、法律に基づく自由な社会を求める動きや、植民地主義にいたる資本主義の発展などが入り交じっていた時代だったようです。ヘーゲル先生は自由と平等に基づく市民社会を擁護するのに一生懸命で、アフリカの問題を問い直す余裕はなかったのでしょう。
ちなみに19世紀に行われたアフリカの武力による征服は、もちろん「侵略」や「支配」という名目で行われたのではなく、野蛮なアフリカに「文明を伝導する」という「善意」に基づくものとされ、キリスト教も大きな役割を果たしました。また20世紀のアフリカ植民地化のときは、「けっきょくアフリカ人は文明を受け入れる能力がないことがわかったので、彼らは未開なままにしておいて、代わりにヨーロッパ人が委任統治する」という「善意」のもとに行われました。
侵略はつねに「善意」のもとに行われるようです。
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