『キリマンジャロの雪』のヘミングウェイはアフリカ社会には関心がなかった
アフリカのみちくさを続けているぽん太は、ヘミングウェイに『キリマンジャロの雪』(『勝者に報酬はない・キリマンジャロの雪』所収、高見浩訳、新潮文庫、1996年)という短編があることを知り、読んでみることにした。
ヘミングウェイは『老人と海』をずっと以前に読んだくらいで、『武器よさらば』も『誰がために鐘は鳴る』も読んだことがなく、ヘミングウェイ自身に関しても大海原で釣りをしている作家というイメージしかありませんでした。
さて『キリマンジャロの雪』ですが、アフリカで病気になった主人公が妻と救援を待つあいだの気持ちの動きを、回想を織り交ぜて描いた作品です。主人公は作家ですが、金目当てに裕福な女性と結婚し、自堕落な生活を送るうちに書くことも忘れてしまいました。社交界の俗悪さにあきあきしながらも、そこから抜け出すこともできなかった自分を、いじいじめそめそと後悔しています。『老人と海』の豪快なイメージとはぜんぜん違って、辛気くさいです。
解説によれば、当時のヘミングウェイ自身も似たような境遇だったようで、富豪の叔父から多額の財政的援助を受けて生活しつつ、『武器よさらば』に続くヒットが出せないという苦しい状況にいたようです。
ヘミングェイは1933年から1934年にかけて(叔父の財政的援助を受けて)アフリカを訪れ、狩猟を楽しみました。その間アメーバ赤痢にかかってナイロビに入院した体験が、この短編に生かされているそうです。
しかしこの小説では「アフリカ」は単なる舞台背景に過ぎず、「アフリカ」そのものが論じられることはありません。ヘミングウェイにはアフリカの社会や政治に関する興味はなかったようです。アフリカに興味を持ってみちくさをしているぽん太には、あまり面白くありませんでした。
なお、本書に収録された『フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯』も、サファリの狩猟を舞台にしております。現在のサファリはカメラで動物の写真を撮りに行きますが、当時のサファリはライフルで狩猟にいっていたのですね。
再び『新書アフリカ史』(宮本正興、松田素二編、講談社現代文庫、1997年)によると、ヘミングウェイは1953年から54年にかけて、2回目のアフリカ旅行をしたそうです。ヘミングウェイのナイロビにおける定宿はニュー・スタンレーという高級ホテルで、いまでもロビーにヘミングウェイの肖像写真が掛けられているそうです(434ページ)。
20世紀前半のアフリカは、ヨーロッパ諸国の植民地政策に対するさまざまな抵抗が行われた時代だったようです。1910年代にはヨーロッパが布教したキリスト教とは別の独立協会ができるようになりました。教義も異なっていて、アフリカ土着の宗教と混ざったものだったそうですが、宗教活動のかたちをとりながら抵抗や待遇改善を掲げるものも多かったそうです。1919年には、電話交換手のハリー・ヅクが指導する政治結社、東アフリカ協会が結成され、小屋税・人頭税の引き下げや土地の返還を求めました。1930年代の大不況はケニアにも深刻な影響を与え、労働運動が活発化し、ゼネストもうたれたそうです。ヘミングウェイがアフリカを最初に訪れたのはこの頃です。このあと1950年代後半からのアフリカ諸国の独立まではまだ紆余曲折があるようですが、それはまたの機会に。
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