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2005年7月の8件の記事

2005/07/30

『法華経』を読む(1)ーーSFX映画を思わせるスペクタクルな導入部

 ぽん太は宮沢賢治が好きなこともあって、『法華経』は一度読んでみたいと思っていましたが、ついに初めて読む機会を得ました。今回読んだのは、坂本幸男、岩本裕訳注の岩波文庫版です。鳩摩羅什が漢訳した『妙法蓮華経』、その読み下し文、そしてサンスクリット語原点からの邦訳の三点セットに、解説も充実!、かなりお得です。
 出だしがいきなりドラマチックです。霊鷲山(りょうじゅせん)に滞在する仏陀のまわりにもろもろの修行者、もろもろの神々、もろもろの信者が集まっています。おもむろに仏陀は瞑想に入ります。すると天上の花々が降り注がれ、大地は震動します。『百年の孤独』で花が降り注ぐ場面が思い出されます。ちなみに『百年の孤独』はガルシア・マルケスの小説であって、焼酎の名前ではありません。ちなみにぽん太は焼酎の『百年の孤独』も大好きです。
 次いで仏陀は、眉間にある毛の環(ほくろみたいなやつです)から光線のビームを放ちます。するとその光は、無数の仏が導く無数のパワレルワールドをくまなく照らし出します。それぞれの国で、地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天の六道をもろもろの生き物が輪廻する様子、修行に励む人々、仏たちが説く教えなどが、すべてくっきりと見通せるのです。あらゆる時間と空間を超えて全宇宙が同時に現れるのです。まさに最新のSFX技術を駆使して映画化したくなるようなスペクタクルです。
 さて、この奇跡を見たマイトレーヤはマンジュ=シュリーに、なぜ仏陀がこのような奇跡を行ったのかと問います。マイトレーヤとは、広隆寺の弥勒菩薩で有名な弥勒菩薩ですね。そしてマンジュ=シュリーは文殊菩薩です。「三人寄れば文殊の知恵」などというように、智恵の菩薩として有名ですが、ナトリウム漏洩事故を起こした高速増殖炉もんじゅに勝手に名前を使われて、迷惑しているようです。
 智恵のあるマンジュ=シュリーはマイトレーヤの問いに答えます。すなわち、はかり知れない昔、チャンドラ=スールヤ=プラディーパという同じ名前を持つ完全なさとりに達した阿羅漢(あらかん:完全な悟りに達した者)、相次いで二万人この世に現れた。そして、その最後のチャンドラ=スールヤ=プラディーパが、まさに今の仏陀と同じような瞑想に入り、同じような奇跡を行った。そしてその後、『正しい教えの白蓮』という教えを説いた。だからこれから仏陀も、『正しい教えの白蓮』を説くであろう。そしてチャンドラ=スールヤ=プラディーパが『正しい教えの白蓮』を説いたときにそれを聞いて完全なさとりに達した弟子とは、実は私(マンジュ=シュリー)だったのだ。そしてそのとき、教えをまったく覚えることができない怠け者だった弟子がマイトレーヤだった。以上のようにマンジュ=シュリーは答えるのです。
 無限、反復、遠い過去と現在の因縁。気を失いそうになるほど遠大です。地の文が詩によって反復される構成、とても芸術的です。
 さてぽん太たちも、仏陀が説く『正しい教えの白蓮』に耳を傾けることにしましょう。
 
 

2005/07/27

武甲山はあづい、あづい

 ジムニーの中古を手に入れたぽん太とにゃん子には新しい楽しみができました。それは「林道」です。
 海の日の三連休中で、どこに行っても混みそうなので、近場で良さそうな温泉を探したら、秩父のかやの家の予約が取れました。そこでジムちゃんの林道デビューにふさわしい道を探したところ、広河原逆川林道が見つかりました。名栗湖の上流と秩父さくら湖を結ぶ峠越えの林道です。
 しかしさすがジムちゃん、乗りにくさを楽しむ車です。エンジン音はすごいしターボはヒュンヒュンいうし、サスペンションは固いし、自動車というものがガソリンを爆発させて走っていることを改めて実感しました。
 で、「林道」という世界を初めて知りました。なんかマウンテンバイクのカップルは走ってくるは、バイクのオジサンの集団がいるは、オフロードカーも走ってるは、すごかったです。なかにはカーブを攻めるスポーツカーもいたりして、ちょっとチミは走る道が違うんじゃないの?という感じです。未舗装路もあると思ったのですが、全線舗装されていたのがちょっとがっかりでした。これに味をしめてこれからも林道を走りたいと思います。
 宿泊したかやの家は、静かで落ち着く大人の空間という感じのいい宿でした。
 さて翌朝も快晴で暑くなりそうです。こんな日は低山は避けるべきでしょうが、宿の食事を目一杯食べた自分への罰として、武甲山に登ることにしました。

【山名】武甲山(1295.4m)
【地域】秩父
【日程】2005年7月18日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】晴れでモーレツな暑さ
【コース】生川登山口(10:21)…(表参道)…山頂(12:00)…シラジクボ…持山寺跡…生川登山口(13:25)
【みた花】サワギク(初)、エゾヨツバムグラ(初)、クワガタソウ(初)、バイケイソウ、ホタルブクロ、ヘビイチゴの実など

 セメント工場の間を抜けて生川へ向かい、二の鳥居のところに車を停めて登山開始です。暑いです。
oosugi やがて大杉の広場に着きます。暑いです。名前のとおり杉の大木があります。ここらの杉は植林と思われますが、この杉は昔からものものなのでしょうか?
sawagiku 黄色い可憐な花はサワギクでした。ありふれた花のように見えますが、夏の低山はあまり登らないぽん太は初対面です。
kuwagata クワガタソウが咲いていました。クワガタソウの仲間の高山植物は、羅臼岳(ホソバノキクバクワガタ)斜里岳(エゾヒメクワガタ)などあちこちで会っていますが、本家にこんなところで会えるとは思いませんでした。
mitake 頂上のすぐ手前にある御嶽神社です。御嶽と聞くと、登山が好きなひとは木曽御嶽山を思い出すと思いますが、あれはオンタケ山でこれはミタケ神社です。木曽御嶽山を霊峰とする御嶽(オンタケ)神社も確かにあります。しかし関東一円にみられる御嶽(ミタケ)神社は、青梅の御岳山山頂にある武蔵御嶽神社にゆかりのものが多いようです。武甲山の御嶽神社の由緒は看板もなく、ネットで調べてもよくわかりませんでしたが、武蔵御嶽神社に関連したものだと思われます。
siratori 御嶽神社の向かって右に、小さな石のほこらがありました。「白鳥神劍神社」と書いてあります。これも説明の看板がありませんでした。ネットで調べてみると、近くの長瀞に白鳥神社があるので、その関係かもしれません。長瀞の白鳥神社の祭神は菅原道真、日本武尊、埴山姫命と書かれています。詳しい由緒はネットではわかりませんが、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を祀っているということは、草薙の剣と関係しているかもしれません。また日本武尊が死んだとき一羽の白鳥が飛び立ったという伝説があり、各地の白鳥神社では日本武尊を祀っていることが多いようです。
sanntyou 御嶽神社の裏を少し登ると、柵に囲まれた山頂に到達します。柵の反対側は採石場の絶壁で、その向こうに秩父の市街地が見えます。山頂にいる登山者たちは、みななぜだか苦しそうな顔をしています。暑さのためばかりではなく、山の悲しさが伝わってくるのでしょう。
zennkei武甲山は石灰岩でできているため、古くから採掘が行われてきました。山の北半分はなくなり、山頂も削り取られてしまいました。この山の標高は明治33年に三角点を測定して1336mとされていましたが、昭和52年に三角点を採掘予定区域外に移動し、高さが1295mに改められました。しかし最近の調査で三角点付近にもっと高いところがあることがわかり、平成14年に1304mに変更されました(武甲山の最高標高値が変わる)。武甲山も山頂談義に加えるべきかもしれません。
 帰りは同じ道だとつまらないので、南へ稜線をシラジクボまで下り、持山寺跡を見学して生川の登山口に戻りました。丸山鉱泉で汗を流し、武蔵屋でおいしい蕎麦をいただき、帰途につきました。それにしてもあづかった。

2005/07/26

上武佐ハリストス正教会

_1 北海道旅行(2005年7月)の途中でたまたま近くを通ったぽん太は、上武佐(かみむさ)ハリストス正教会にみちくさしました。
 場所は知床半島と根室半島のまんなかあたりで、中標津空港の近くです。
 キリスト教といえば、普通はカトリックやプロテスタントを思い浮かべると思いますが、これらのローマを中心としたキリスト教は西方教会と呼ばれます。これに対しコンスタンチノープル(現在のイスタンブールですね)を中心としたキリスト教があり、東方正教会あるいはハリストス正教会と呼ばれます。ロシア、東欧、ギリシャに信者が多く、ハリストスというのはキリストのギリシャ語あるいはロシア語読みからきているそうです。
 日本のハリストス正教会信仰は、1861年に聖ニコライ大主教が函館のロシア領事館の司祭として日本に来たときから始まったそうです。現在どのくらいの信徒が日本にいるのかが気になりますが、日本正教会の公式ホームページには書かれていません。あるページでは約3万人とされています。ちなみにカトリックは約50万人、プロテスタントが約30万人と書いてあります。別のページでは、一時は3万人に達したが徐々に減っていると書いてありますので、きっとそんなもんでしょう。
 ハリストス正教会で一番有名な教会は、東京の神田にあるニコライ堂でしょう。また、函館で観光客がよく訪れる函館ハリストス教会も有名ですね。

_2 で、上武佐ハリストス正教会は、写真のような小さなかわいい教会です。建物は昭和53年に建てられたものだそうです。鍵が掛かっていて、なかは見学できませんでした。隣に民家があり、おそらく教会の管理者の家だと思うのですが、窓越しに人影が見えましたが、声をかけることはしませんでした……。
 ところが家に帰ってネットで調べてみて、ぜひともなかを見せてもらえばよかったと後悔しました。というのも、山下りん作の12大祭イコンがあるからです。
 イコンというのはハリストス正教会で用いられる絵のことです。英語ではiconですから、パソコンのアイコンと同じ単語です。パソコンのアイコンは、さまざまな機能や操作を文字ではなく絵でわかりやすく表したものですよね。ハリストス正教会のイコンは、キリストや聖人の姿、聖書のなかの物語、教会の歴史的出来事などをわかりやすく描いたものです。信徒のなかには文字が読めないひとたちも大勢いましたから、そういうひとたちにキリスト教の教えを布教するのに役立ったのだと思います。それ以外にもイコンの役目はいくつかあるようですが、詳しく知りたい方はこちらをどうぞ。
 さて、山下りんは江戸末期の1857年に笠間藩(現在の茨城県笠間市)に生まれました。画家を目指して上京しましたが、生活の見通しが立たないでいたところ、日本人のイコン画家を育てたいというニコライの意向に応じて、1881年(明治14年)ロシアに留学しました。やがて帰国した山下りんの描いたイコン画は、国内のあちこちのハリストス正教会に納められています。山下りんについて詳しく知りたい方は、山下りん研究会のホームページをどうぞ。上武佐ハリストス教会にあるイコンも見ることができます。
 上武佐ハリストス正教会に関しては、北方領土問題に翻弄されたクリル人の悲しい物語もあるようです。

2005/07/25

朱円ストーンサークル

 2005年7月、北海道を旅行中に朱円ストーンサークルの近くを通ったので、みちくさしてみました。
 ストーンサークルと聞くと、世界遺産にも指定されているイギリスのストーンヘンジが有名です。
 ところがどっこい日本にもストーンサークルはあるのです。日本で一番有名なのは秋田県鹿角市にある大湯ストーンサークルです。作られたのは約4000年前の縄文時代後期と言われていますから、ストーンヘンジに決してひけをとりません。ちなみにぽん太は。たぶん十年以上前だと思いますが、ここに行ったことがあります。その頃は田んぼや林のあいだに地味にあっただけでしたが、いまでは「大湯ストーンサークル館」などという立派な建物もできているようです。
shuen4 朱円ストーンサークルは、北海道の知床半島の付け根あたりの斜里町にあります。「ストーンサークル」とは呼ばれてはいますが、環状の土手のなかに、円形に敷き詰められた石がある構造ですから、厳密にはストーン(石)サークルではなく土サークルです。shuen5現地の看板にもストーンサークルではなく「朱円環状土籬」と書いてあります。ちなみに「土籬」というのは難しい漢字ですが、「どり」と読むそうです。また出土品から墓であることがわかっているので、「朱円周堤墓」と呼んだりもするようです。
shuen 図からわかるように、A号とB号の二つの土籬からなり、A号のほうが土籬がやや小さいですが複数の円形の敷石を持ち、やや大きいB号のほうは真ん中に一つだけ敷石があります。
shuen2 以下に、遺跡の看板に書いてあった解説を転記します。

北海道指定史跡
朱円環状土籬
指定 昭和三十二年一月二十九日
管理者 斜里町
 環状土籬とは周囲に土塁をめぐらした古代人の墳墓でヨーロッパやシベリア大陸に分布する大きな立石をめぐらした環状石籬(ストーンサークル)によく似ており、全国でも類例が少なく学術的価値の非常に高い遺跡です。
shuen3 斜里町朱円の環状土籬は直径約三十米のものと同じく二十八米の円形のものが隣り合せて存在し、その土籬の中にいくつかの積石塚墓があります。積石塚墓は昭和二十三、四年の故河野広道博士によって調査が行われ「ベニガラ」を敷きつめた墓穴の底から土器、土版、土製耳飾、石棒、石斧、玉類、漆器、残片、炭化した織物など貴重な遺物が人骨とともに発見されております。
 土器には鉢形、徳利形、杯形など変化に富んだものが多く栗沢式土器と命名されておりますが、これらは東地方のストーンサークル所在地から出土する土器と非常によく似ており、遠い東北地方の文化の流れをくむものであることがわかります。
 なお、この環状土籬は今から二千年から三千年ほど前の人々によって築かれた縄文文化期の遺跡です。

 帰宅してからネットで調べていたら斜里町埋蔵文化財センターのホームページがみつかり、これによると近くに「オクシベツ川遺跡ストーンサークル」という正真正銘のストーンサークルもあったようです。見逃して残念です。

2005/07/16

羅臼岳も花だらけ

 ウトロの国民宿舎桂田のご好意で6時30分からおいしい朝食をいただき、岩尾別温泉登山口に向かいました。羅臼岳もぽん太が初めて見る花ばかりでした。

【山名】羅臼岳(1661m)
【山域】北海道
【日程】2005年7月5日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】晴れ
【コース】岩尾別登山口(7:39)…羅臼岳(12:23-12:52)…岩尾別登山口(15:52)
【みた花】ジンヨウイチヤクソウ(初)、ササバギンラン(初)、チシマゲンゲ(初)、オオヤマフスマ(初)、チシマフウロ(初)、ホソバノキクバクワガタ(初)、エゾキリンソウ(初)?、キバナノカワラマツバ(初)、エゾエンゴサク(初)、エゾコザクラ(初)、チシマノキンバイソウ(初)、メアカンキンバイ(初)、メアカンフスマ(初)、チシマクモマグサ(初)、クモキリソウ(クログモ)(初)、ヨツバムグラ、コミヤマカタバミ、スミレの一種、ウコンウツギ、ツバメオモト、ツマトリソウ多数、イワギギョウ、イワヒゲ、イワブクロ、イワウメ群落、ミネズオウ、アオノツガザクラ、ミヤマハンショウヅルなど…

jinnyouitiyaku【ジンヨウイチヤクソウ】登山口から少し登ったところにたくさん咲いていました。長いめしべと、この写真には写っていませんが腎臓のかたちの葉が特徴です。
sasabaginn【ササバギンラン】以前に巻機山で見かけたギンランのなかまですが、葉が笹のようなのと、花の付け根のところに長い葉のような苞があるのが特徴です。
karahutogen【チシマゲンゲ】マメ科の紫の花です。下向きにつく花の形からチシマゲンゲかカラフトゲンゲだと思いますが、どちらかは実を見ないと区別できません。
tisimahuuro【チシマフウロ】涼しげな花ですね。エゾグンナイフウロとは、茎や葉の毛の生え方で区別するようですが、よくわかりません。
hosobanokiku【ホソバノキクバクワガタ】花の形からクガワガソウの仲間であることは一目瞭然ですが、問題は葉っぱです。菊のようで、さらに細く切れ込んでいるので、ホソバノキクバクワガタだと思います。
ezokirinnsou【エゾキリンソウ】ちょっと寸詰まりですが、エゾキリンソウだと思います。黄色い華やかな花です。
ezoenngo【エゾエンゴサク】ちょっとしおれかけていますが、こんな色の花があるとは知りませんでした。鮮やかなブルーがとてもきれいです。
ezokozakura【エゾコザクラ】細かいことをいうと、いろいろと種類があるようですが、葉が肉厚なのでエゾコザクラでいいでしょう。もう調べるのめんどくさい!いずれにせよ、コザクラ系はどれもかわいいですよね。
tisimanokinn【チシマノキンバイ】開花直前です。華やかで優雅です。この写真には写っていませんが、花弁が長いのでシナノキンバイからは区別されます。
meakankin【メアカンキンバイ】華やかな黄色い花です。
meakanhusu【メアカンフスマ】地味な花です。
tisimakumoma【チシマクモマグサ】
kumokirisou【クモキリソウ(クログモ)】変わったかたちのランです。淡緑色のものはアオグモと呼ばれるそうです。

2005/07/13

梅雨を逃れて斜里岳の花

 みなさんご無沙汰です。この間、ぽん太とにゃん子は北海道に出没しておりました。

【山名】斜里岳(1547m)
【山域】北海道
【日程】2005年7月4日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】晴れ
【コース】清岳荘登山口(7:26)…旧道コース…斜里岳山頂(11:06-11:43)…新道コース…登山口(14:48)
【みた花】ハクサンチドリ、エゾノレイジンソウ(初)?、エンレイソウ、シロバナエンレイソウ、サンカヨウ、オオバタケシマラン(初)、ヤマハタザオ、オオバナノエンレイソウ(初)、ヒメイチゲ(初)、チングルマ、エゾノツガザクラ(初)、キバナシャクナゲ、ミヤマダイコンソウ、ヨツバシオガマ、エゾゼンテイカ、コケモモ、アポイアズマギク(初)?、ミヤマオダマキ、ミヤマオグルマ(初)、イソツツジ(初)、ホソバイワベンケイ(初)、エゾノハクサンイチゲ(初)?、サマニヨモギ?、イワヤナギの一種(初)、マルバシモツケ、エゾノトウウチソウ、イソツツジ(初)、白いハクサンチドリ(初)、タカネナナカマド(初)、エゾヒメクワガタ(初)、チシマヒョウタンボク(初)、ゴゼンタチバナ、スミレの一種、クルマユリの蕾

 所かわれば花かわる。見たことのない花ばかりでした。なんかはっきりと同定できないものも多かったです。
ezonoreijinnsou【エゾノレイジンソウ】白いトリカブトのような花です。ひょっとしたら以前に北アルプスで見たオオレイジンソウかもしれません
oobatakesimarann【オオバタケシマラン】葉の裏にぶら下がった小さい花が、まるでウィンナーソーセージのタコのような格好をしています。
oobananoennreisou【オオバナノエンレイソウ】今回の斜里岳の登山で、花が紫の普通のエンレイソウ、シロバナエンレイソウ(別名ミヤマエンレイソウ)、そしてこのオオバナノエンレイソウの三種のエンレイソウを見ることができました。大きくて優雅で、一度見てみたかった花です。
himeitige【ヒメイチゲ】清楚な花です。登山道の両側にいっぱい咲いていました。もう少し葉が広いエゾイチゲは、見つけることができませんでした。
ezonotugazakura【エゾノツガザクラ】きれいな桃色をしたツガザクラです。
tinnguruma【チングルマ】よく見かけるチングルマですが、とても美しい大群落だったので、お見せすることにしました。
ezozennteika【エゾゼンテイカ】エゾカンゾウとも呼ばれます。ニッコウキスゲと比べて花柄(茎と花の間の部分)が短い、花被片(いわゆる花びらの部分)が肉厚という特徴があるそうですが、区別しない考え方もあるようです。
apoiazumagiku【アポイアズマギク】普通のアズマギクは紫ですが、これは真っ白です。アポイアズマギクでいいのでしょうか?アズマギクの一種であることは間違いないのですが…。
isotutuji【イソツツジ】エゾイソツツジともいうようです。小さなシャクナゲのように見える花で、群生しているときれいです
hakusanntidori【ハクサンチドリ】白花のハクサンチドリです。珍しいような気がします。
ezohimekuwagata【エゾヒメクワガタ】クワガタソウの一種です。花の大きさが7〜8ミリと小さくて、老眼が始まったぽん太にはよく見えませんでしたが、改めて写真を見るといっちょまえにクワガタの格好をしています。
tisimahyoutannboku【チシマヒョウタンボク】四つ並んだ蕾、背中合わせでダンスをしているような花、とても不思議な花です。ヒョウタンのようになるという実も見てみたいものです。

 この夜はウトロの国民宿舎桂田に泊まりました。オホーツクの海の幸に大満足でした。

2005/07/02

東京都の精神障害者の移送(34条)サボタージュに再びもの申す!

 ぽん太は以前の記事で、精神保健福祉法34条で規定された医療保護入院のための移送を、東京都がほとんど運用していないということを、統計資料をあげて指摘しました。平成13年度から平成15年度までの3年間に、全国では550件の34条による移送が行われているのに、東京都はたったの3件しか行っていないようなのです。
 以前の繰り返しになりますが、この制度は、患者さんが医療保護入院が必要な状態でありながら、主治医や家族が説得しても入院を拒否するばあい、「行政の責任」で患者を病院に連れて行ってくれるというものです。
 さらに繰り返しになりますが、なぜこのような制度ができたかというと、これまでは患者さんの病状が悪化して入院が必要な状態でありながら患者さんが納得しないばあい、患者さんを病院に連れて行ってくれる制度はなく、家族が自力で連れて行かなければならなかったのです。
 病院に患者さんを運ぶというと、まず救急車を思い浮かべるかもしれませんが、救急車は精神障害者を精神科へ運んでくれません。
 そこでご家族は不本意ながら警察の応援を頼もうと思うかもしれませんが、警察は「事件」を起こさないと関与してくれません。
 で、ぽん太のいる東京都であれば医療機関案内の「ひわまり」に連絡してみたりするのですが、ここでも「事件を起こしたら警察を呼んで病院に連れて行ってもらってください」という返答が帰ってくるだけです。ぽん太の患者さんの例をあげると、「悪霊が憑いている」と飼い犬の首をカッターナイフで切って殺した患者さんの家族が「ひまわり」に連絡したところ、「次になにかあったら警察を呼んでください」と言われたとのことです。「次というのは家族のことか?」とぽん太は思いました。また、以前に妄想から自宅に放火したことがある患者さんが具合が悪くなり、「危ないことをしそうなので入院したい」と言い出し、家族が「ひまわり」に連絡したことがありました。このときも「実際に何か起こしたら警察を呼んでください」とのことでした。「放火するまで待て」ということかとぽん太は思いました(個人情報に配慮し、事例には変更を加えてあります)。折しも来たる2005年7月15日に「心神喪失者等医療観察法」が施行されます。これは重大な犯罪を犯した精神障害者に対して手厚い医療を行おうという法律ですが、その前に、病状が悪化した精神障害者が早期に手厚い医療を受けられるようにし、犯罪を起こさないで済むようにしたほうがいいと思うのはぽん太だけでしょうか?犯罪を起こさないと入院できないというのはおかしくないでしょうか?
 で、ご家族は民間の救急会社に頼むことになるのですが、これが普通で数十万かかり、かなりの高額です。また、入院を拒否する患者さんを強制的に病院に連れて行くという重大な行為を、民間の営利企業が行っていいのか?という問題が付きまといます。
 そこで、行政の責任で患者さんを病院に連れて行きなさい、そのための窓口を整備しなさい、というのが精神保健福祉法34条の規定するところです。
 ぽん太は以前の記事を書いたころ、東京都が34条の移送を適切に実施していないことについて東京都に苦情のメールを出しました。しばらくして返答が来たのですが、「34条の移送は人権などの問題があるので慎重に運用しており、それ以外の方法で患者さんを医療に結びつけるように努力している」というような内容でした。きわめてお役人的な返答だったので、返答のメールは消去してしまいましたが、とっておけばよかったと思います。

 さて前置きが長くなりましたが、さいきん、以前にぽん太のクリニックに通院していたけれでも病状が悪化して来院しなくなり、やむなくご家族が薬だけ1年間以上も取りに来ていた患者さんが、興奮して暴力を振るうようになりました。そこでご家族に保健所に相談に行かせたところ、「そういうケースは主治医が病院と相談して入院させてください。保健所は犯罪など警察が絡むような重症の患者しか扱いません」と言われたとのことです。直接保健所の対応を聞いたわけではないので、ほんとうに保健婦さんがこのような応対をしたのかどうかはわかりませんが、もしホントだとしたら、この保健婦さんは34条のことを知っているのでしょうか? これでは、東京都からのメールの返事にあった「それ以外の方法で患者さんを医療に結びつけるように努力をしている」ということすらしていないことになります。だいたい医者が患者さんの診察をしないで処方をするのは「違法」です。しかし行政が患者さんを病院に移送することは、法律上行わなければならない「義務」です。東京都が「法律上の義務」をサボタージュしているのを、医者が「違法行為」でフォローしなければならないのでは、割があいません。
 東京都は保健所に34条の移送をきちんと行うように指導すべきです。あるいは34条の移送を行わないのなら、「法律で定められているけれども東京都は実施いたしません」とはっきり公表して欲しいものです。そして「東京発医療改革」と言っていますが、34条に関しては「医療後進自治体である」と宣言する義務がはるはずです。

【関連するブログ内の記事】
「精神障害者の移送に関する事務処理基準について」をアップしました(2007/08/02)
ぽん太のみちくさ精神科: 東京都はちゃんと34条の移送を実施しなさい!(2005/02/05)

2005/07/01

八海山山頂直前で時間切れ敗退

 最終日は八海山をロープウェイで登って、ちょっと散策して帰ろうというのが当初の計画であった。しかし、目の前に山があったら山頂まで行きたくなるのは、目の前に酒があったら酔うまで飲みたくなるのと一緒である。ぽん太とにゃん子は山頂を目指したのだが…。

【山名】八海山
【日程】2005年6月24日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】晴れ
【コース】ロープウェイ山頂駅(10:54)…千本槍小屋…(迂回路)…月の池(1:46)…(縦走路)…千本槍小屋…山頂駅(16:01)
【みた花】イワウチワ、ヒメシャガ、ベニサラサドウダン、ウラジロヨウラク、ガクラジロヨウラク、ツガザクラ、オノエラン、ツクバネウツギ、シラネアオイ、エンレイソウ、サンカヨウ、キクザキイチゲ、カタクリ、ギンリョウソウなど

 コクドが自然破壊をして作った八海山スキー場のゴンドラをありがたく利用して高度を稼ぎます。そこから稜線に沿って登って行きます。

P6240142両側はイワウチワがたくさん咲いていました。
P6240146四合目半のあたりはモリアオガエルの生息地です。登山道のぬかるみのなかにじっと張り付いていいました。あぶなく踏んでしまいそうです。
P6240165ガクウラジロヨウラクです。ガクが長いのが特徴です。
 さて、千本槍小屋についたところでどうしようかと考えました。時間は1時すぎ。ロープウェイの最終は16時半です。大日岳までの往復だけで2時間近くかかるとのこと。とりあえず迂回路を通って月の池まで行ってみることにしました。
P6240157迂回路とはいえ急な雪渓が登山路を遮っていたりするので注意が必要です。
P6240160月の池に到着です。かわいらしい三日月型の湿原です。日の池は雪渓に埋まっていました。
P6240159月の池からみた八海山山頂の大日岳方面です。あと30分到着が早ければ行けそうですが、断念するしかありません。あきらめる勇気も必要です。
P6240163帰りは稜線のルートで帰りました。鎖や梯子の連続で怖くて身がすくむ思いですが、にゃん子は意外と平気そうで、むしろ楽しんでいるようです。さすが「新聞紙一枚でも高いところが好き」という猫族の出身です。
 ロープウェイの駅に着いたのが16時過ぎ。われわれが最後の客だったらしく、16時半までまたずに降ろしてくれました。ありがとう!

 六日町の中央温泉で汗を流して帰途につきました。

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