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2005/08/28

日本武尊と白鳥御陵

 ぽん太は以前の記事で、武甲山山頂の「白鳥神剣神社」が、日本武尊(やまとたけるのみこと)や草薙の剣に関係しているのではないかと書きました。
 さて先日ぽん太は、草薙の剣を祀っている名古屋の熱田神宮に行ってきたのですが、その近くに白鳥公園というものがあるではないか。これはアヤシイ!
 ぐぐってみるとありました、ありました。白鳥公園のなかにある前方後円墳は白鳥御陵と呼ばれ、まさに日本武尊の御陵であるといわれているそうです。

 しかしであ〜る。『古事記』(三浦佑之訳、文芸春秋、2002年)によると、日本武尊が能煩野(のぼの)で息絶えると、その魂は白鳥となって飛び立ち、河内の国の志幾(しき)に留まったのち、天高く飛び去った。そこで志幾に御陵を造られ、白鳥の御陵と呼ばれるようになった、と書かれています。これは名古屋ではなさそうです。
 また『日本書紀』(宇治谷孟訳、講談社学術文庫、1988年)によれば、能褒野(のぼの:三重県鈴鹿郡)で亡くなった日本武尊はそこに造られた陵に葬られたが、白鳥となって飛び立ち、倭(やまと)の琴弾原(ことひきはら:奈良県御所市富田)に留まったのでそこに陵が造られ、次に河内の古市邑(ふるいちのむら)(大阪府羽曳野市軽里)に留まったのでそこにも陵が造られ、最後に天高く飛んで行った。これら三つの陵は白鳥陵(しらとりのみささぎ)と呼ばれた、と書いてあります。これら三カ所には、現在も白鳥御陵があるようです
 『平家物語』(12巻、杉本圭三郎訳、講談社学術文庫、1991年)の時代になると、日本武尊は「尾張国熱田の辺でついにおなくなりになった」(202ページ)とされ、熱田神宮の信仰が盛んになった影響なのか、死んだ場所が変わっています。

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