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2005/09/05

ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙』を読むーーなんとピラミッドは幻聴の命令で造られた!?

 ピラミッドはエジプト人が神の声の幻聴に従って造ったものである。こんな珍説を主張するジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』(柴田裕之訳、紀伊國屋書店、2005)は、よくある「トンデモ本」の類いに思えるかもしれません。ところが、プリンストン大学心理学教授である著者が博学を駆使して描き出す、ホメロスの叙事詩『イーリアス』の分析から最新の大脳生理学にまでわたる、邦訳にして600ページを越える意識の壮大な物語は、読むものを圧倒する力があります。

 

 本書の驚くべき主張は次のようなものです。すなわち、人間が意識を持つようになったのはせいぜい紀元前1000年頃である。では、それ以前の人間の精神構造はどうだったかというと、彼らが神の声と見なしていた「幻聴」の命令に従って行動する「二分心」(bicameral mind)であった。

 精神科医のぽん太には、「幻聴」は統合失調症などの症状としておなじみです。誰もいないのに聞こえる幻の声ですが、その内容は命令であったり嘲りであったりすることが多く、しばしば患者さんの思考や行動を支配する力を持ちます。幻聴に従って東京から横浜までさまよい歩いて行った患者さんもいましたし、幻聴の命令で自殺しようとした患者さんさえいます。しかしこのような「病的な」幻聴は、意識を持つようになった人間における二分心の名残なのであって、本来の二分心における幻聴は、われわれの「意識」と同じように、日々の生活や社会の形成のために役立っていたのです。彼らは意識を使って自ら判断し行動する代わりに、「神の声」と見なした幻聴の命じるままに行動していました。意識なしで行動することなど不可能に思えますが、よくよく振り返ってみれば、例えばいまぽん太はパソコンでこの文章を書いていますが、文章を作ったりキーボードを打ったりするのはほとんど無意識的に行っており、意識していることといえば時々「本の感想をブログにしよう」と思うぐらいです。だから確かに意識の代わりに幻聴が「本の感想をブログにしろ」とささやいていれば、意識がなくてもブログを書くくらいはできそうです。あ、「意識」を「知覚」や「思考」や「動作」と混同しないてくださいね。

 で、「二分心」が崩壊して人類が「意識」を持つようになったのは、たかだか紀元前1000年頃だとジェインズは言います。訳者あとがきによると、あるときジェインズは心と体の関係を問う「心身問題」の歴史を文献的に遡っていました。するとソクラテス以前の時代でこの問題への言及が消え始め、紀元前1000年頃に成立した『イーリアス』においては完全に消え去ってしまったのです。その理由を考えているうちに、この時代に意識が成立したと考えると、さまざまなことに筋道が通ることに気づいたそうです。『イーリアス』に描かれた英雄たちには主観がなく、彼らはただただ神の命令に従って行動するだけです。神の命令が矛盾していたり間違っていたり、道徳に反していたりしても、彼らはまったく気にすることもなければ悩むこともありません。ジェインズによれば、『イーリアス』に出てくる神は、現代の神のような抽象的な存在ではなく、はっきり聞こえる幻聴の声そのものだったことになります。

 ジェインズの言うことがホントだとしたら「意識」の歴史はわずか3000年くらいしかないんですね。ぽん太は、人類ははるか以前から意識を持っていたものだと思い込んでいました。ピラミッドを造った人たちが考えていたことは現代人が考えていることと大して違わないだろうと考えていました。意識の歴史がそんな浅いのなら、まだまだ人間の意識は変化しうるんだと思って、ぽん太は妙に安心しました。

 ぽん太がこの本の仮説を信じるのかどうかですって?信じもしませんが、否定もしません。こうした仮説は正しいのか間違っているのかが重要なのではありません。こうした仮説の意義は、これまで当たり前だと思っていたことが疑わしくなったり、これまでわからなかったことが理解できたり、これまで無関係だと思っていたことがつながってくることです。ぽん太はフロイトや心理学の本を読んで、意識や無意識に関しては熟知しているつもりでしたが、この本のおかげでこれまで積み上げて来た知識がガラガラと崩れてしまいました。意識とは何かを一から考え直してみたいと思っています。また統合失調症の患者さんは人をだましたり嘘をつくのが苦手な場合が多いのですが、二分心には意識がないことを考えれば、とてもしっくりきます。

 ところで本書がアメリカで刊行されたのは30年以上も前の1976年とのこと。こんな面白い本の存在をこれまで知らなかったとは不覚でした。

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