『イーリアス』の訳者の呉茂一は呉秀三先生の息子だった
ところで『イーリアス』(平凡社ライブラリー、2003年)の訳者、呉茂一は、呉秀三先生の息子なのだそうです。呉秀三(1866〜1932)といえば精神医学の世界では泣く子も黙る大先生でして、元東京帝国大学教授であり、東京府立松沢病院(現在の都立松沢病院ですね)の院長でもありました。日本の精神医療の基礎を築いた人のひとりです。呉秀三先生の名は、なによりも「我邦十何万ノ精神病者ハ実ニ此病ヲ受ケタルノ不幸ノ外ニ、此邦ニ生レタルノ不幸ヲ重ヌルモノト云フベシ」(日本の何十万人の精神病患者は、精神病にかかってしまったという不幸に加えて、日本に生まれたという不幸が重なっていると言うべきである。ぽん太訳)という言葉で有名です。日本の精神医療・福祉が世界に比べてはるかに遅れていることを嘆いたこの文章は、日本で精神医療・福祉に関わる人なら、正確に覚えているかどうかは別にして、誰もが知っております。来年4月の障害者自立支援法の施行で、さらに日本に生まれた不幸が重ならないよう祈るばかりです。
この有名な言葉が書かれているのは、呉秀三と樫田五郎の共著である『精神病者私宅監置の実況及び其統計的観察』(1918年)です。現在は復刻版が手に入りますが、アマゾンのデータベースで、「其」統計学的観察が、「某」統計学的観察になっているのはご愛嬌です。当時の日本では、多くの精神障害者がいわゆる座敷牢に閉じ込められ、治療も受けずに劣悪な環境に置かれていることを、この本は告発したのです。これを受けて1919年精神病院法が公布され、公立精神病院を作ることで私宅監置の現状を改めようとしましたが思うような成果は上がらず、その後も私宅監置がますます増えたという事実はよく知られています。
この本は、長らく失われて幻の本と言われていましたが、都立松沢病院の栄養科長であり、精神医学に関する資料の蒐集家であった鈴木芳次が古本屋で見つけたことによって、再発見されたものです。そのことは金子嗣郎の『松沢病院外史』(日本評論社、1982年)にも、「この書は、永らく幻の本として入手困難であったのを、畏友鈴木芳次が苦労の果て入手し……」(14ページ)と書いてあることからもわかります。
そういえば夢野久作の『ドグラマグラ』の主人公、呉一郎という名は、呉秀三先生からとられたと言われています。
ちなみに呉秀三先生のお墓は多磨霊園(地図はこちら)にあるようです。機会があったらお参りに行ってみようかと思います。
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