精神医学に広場恐怖という病名があります。広場恐怖の概念は、米国精神医学会の疾病分類であるDSM-IV(ご購入はこちら)と、WHOの分類ICD-10(ご購入はこちら)とでは若干異なっていますが、DSM-IVに従えば、「パニック発作またはパニック様症状が予期しないで、または状況に誘発されて起きたときに、逃げることが困難であるかもしれない(または恥ずかしくなってしまうかもしれない)場所、または助けが得られない場所にいることについての不安」とされています。典型的な状況としては、「家の外に一人でいること、混雑の中にいることまたは列に並んでいること、橋の上にいること、バス、汽車、または自動車で移動していることなど」が挙げられている。
これを昔読んだとき、ぽん太は思ったのである。「これのどこが広場やねん!」
「家の外に一人でいる」というのは広場っぽいが、「自動車で移動している」などというのは広場っぽくない。この「広場恐怖」という言葉は、英語のagoraphobiaの訳なのだが、どうせ訳が悪いんだろう。だいいちいまどき「汽車」などと平気で訳すことが、翻訳センスのなさを示している。そう思って、それ以上追求しないで放置していたのである。
で、こんかいギリシアを旅行したら、そのアゴラagora(ギリシア語のスペルではαγορα)があったのである。
これがそのアゴラ(αγορα)です。アテネ市内のオモニア広場の南にあります。見てわかる通り「広場」ではありません。これは「市場」です。年末の買い物客で賑わっていました。バスの車内からの撮影なので、窓ガラスの反射はご容赦ください。ということは、agoraphobiaは市場恐怖か?
しかしアテネにはほかにもアゴラがあるのです。
古代アゴラと呼ばれる、古代ギリシア時代のアゴラで、パルテノン神殿があるアクロポリスの北西に広がります。広場っぽく見えますが、建物が崩れているせいであり、けっしていわゆる広場ではありません。実はここも市場でした。当時買い物は男の仕事だったそうです。しかし古代アゴラは単なる市場ではなく、政治、宗教の中心であり、劇場などの文化施設を備えた情報交換の場であって、ソクラテスやプラトンもここで弁舌を振るっていたのだそうです。つまり古代アゴラは市場、社交場、人混みであり、そう考えるとagoraphobiaの意味としっくりきます。
実はアテネにはもうひとつアゴラがあります。ローマ時代初期(紀元前1世紀〜紀元後2世紀)の「ローマン・アゴラ」で、アクロポリスの北、古代アゴラの東にあります。1世紀の天文学者アンドロニコスが建てたという風の神の塔もあります。ぽん太も見学したのですが、写真を撮らなかったので、写真を見たい方はこちらをどうぞ。
こちらのオンライン希英辞典(ギリシア語/英語辞典)でagora、すなわちαγοραを引いてみると、こちらに書かれているように、agoraの意味は「民衆の集会」(assembly of the People)、「集会場」(place of assembly)、市場(market-place)などです。いわゆる「広場」(=広い場所、open space)という意味はありません。
結局agoraphobiaは「人の集まる場所恐怖」であり、言ってみれば「人混み恐怖」といった感じでしょうか。
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