妙義山中之岳神社、大国神社
妙義山石門めぐりのハイキングコースから下山してくると、中之岳神社に出ます(公式ホームページ、地図)。公式ホームページでは「中之嶽神社」という漢字があてられています。
御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)とほか十柱だそうです。日本武尊は景行天皇の息子で、九州や関東、東北を平定したことや、草薙の剣の話しで有名ですね。この神社には神剣が祀られているそうですが、草薙の剣の話しと関連があると思われます。
これが社殿です。新しい建物のようです。
一般的な神社建築は、本殿と幣殿と拝殿から成り立っています。神社を訪れたときまず目に入る、賽銭箱がおいてあって祈祷をするところは拝殿です。そして一番奥には、御神体を祀った本殿があります。よく御神体を神様だと思っているひとが多いようですが、御神体は神様そのものではありません。神様が降りてくる場所、神様と交流するための装置です。神様は必要なときに御神体に降りてきて、祈祷やお祓いが終わるとまた神様の国に帰っていくというのが神道の考え方です。本殿と拝殿の間には幣殿があり、ここには幣帛(へいはく)と呼ばれるお供え物が祀られます。
中之岳神社では、本殿と幣殿はありますが、その後ろは岩壁にめり込んでいていて、本殿がありません。その理由は、中之岳神社の御神体が、神社の背後にある轟岩と呼ばれる岩峰そのものだからです。
神社建築に関しては、たとえばこちらをどうぞ。
となりには柵で厳重に囲われた構造物があります。奥に石碑がありますが、ぽん太には読めません。古くはここにも神社があったのかもしれません。
中之岳神社の狛犬です。ぽん太的にはかなり得点が高いものです。シンプルでアルカイックな形象が古さを感じさせます。後日書くつもりですが、軽井沢の熊野神社にある長野最古の狛犬に通じるものを感じます。
中之岳神社の参道の石段の左側に、大国神社があります。公式ホームページによると、御祭神は大国主神(おおくにぬしのみこと)ほか十柱です。ここには大黒様が祀られているのですが、普通の大黒様は木槌を持っているのに、この神社の大黒様は剣を持っているそうです。その理由に関しては、不動明王と大黒様が習合したという説や、中之岳神社の神宝が剣であることから大黒様も剣を持っているという説などがあるそうです。
新しく作られた「日本一のだいこく様」だそうです。金色の巨大な笑うセールスマンみたいで俗悪です。妙義山やさくらの里の景観をぶちこわしており、センスを疑います。
大国主神(一般には大国主命と書きます)は言わずと知れた出雲神話の主役。因幡の白ウサギを助けたひとです。兄弟によって神の国から追われて、出雲の地に降り立ちます。そこで出会った素戔鳴命(すさのおのみこと)のふっかける無理難題を解決し、娘の須勢理比売命(すせりひめのみこと)と結婚し、国造りを行います。
大黒様は、七福神のひとりとして、五穀豊穣や商売繁盛の神様として信仰されています。典型的な姿では、頭巾をかぶって小槌を持ち、袋をかついで米俵の上に乗っています。色が黒い場合もあり、またニタリと不気味な笑顔を浮かべている場合もあります。というのも、もともと大黒様は、サンスクリット語でマハー・カーラというインドの戦いの神様が仏教に取り入れられたもので、色が黒いことから大黒天と呼ばれるようになったのです。グーグルのイメージ検索でわかるように、もとはかなり怖い神様です。大黒様の色が黒かったり、怖い顔で笑っているのは、マハー・カーラのイメージを引きずっているのです。
川口謙二編著『日本の神様読み解き事典』(柏書房、1999年、387〜388ページ)によれば、大黒様にはもうひとつの系譜があり、中国の南部の寺院で、廚(くりや)の神様として祀られているものがあるです。これを最澄が日本に持ち帰り、各地の寺の庫裏に袋を待つ像を安置する風習が生まれたそうです。いつも台所にいる奥さんのことを大黒様というのは、ここから来ているのですね。
さらに「ダイコク」という発音から、大黒天と大国主命が習合されて、現在の大黒様信仰が作られたわけです。
不動明王はサンスクリットでアチャラと呼ばれ、ヒンズー教のシヴァ神と関係がある神様だそうです。憤怒の表情を浮かべ、火炎を背後に、剣を持つ姿でよく知られています(グーグルのイメージ検索はこちら)。
先に述べたように、中之岳神社の公式ホームページの解説では、この神社の大黒様が小槌ではなく剣を持っている理由について、不動明王と大黒天が習合したという説と、中之岳神社が神剣を祀っているからだという説をあげています。しかし大黒天は元来が戦いの神様だったため、中之岳神社以外でも、剣を持った大黒様はしばしばみられるようです。
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