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2006年11月の13件の記事

2006/11/15

子持山の十二山神と子持神社

Pb030055_1 先日ブログに書いたように、群馬県の子持山の山頂には「十二山神」が祀ってありました。十二山神というのは初めて聞いた名前だったのですが、早速調べてみました。
 『日本の神様読み解き事典』(川口謙二編著、柏書房、1999年、488ページ〜490ページ)によりますと、いわゆる山の神のことを「信州や越後では十二様・十二山の神様などといい、各月の十二日を十二講の日として祀る」と書いてあります。子持山は群馬県ですが、確かに新潟には近い位置にあります。なぜ十二という数字が出てきたのかについては、ある地域の民間信仰では山の神が「年に12人の子供を産む女神」だったりすると書いてありますが、関連は定かではありません。

Pb030061 子持山の南には「子持神社」(地図)があり、林道をさらに奥に入った7号橋のところに「子持神社奥ノ院」(地図)があります。Pb030044子持神社は境内も以外と広く、建物も、屋根が金属で葺き直されてはいるものの、能舞台なども備えていてけっこう立派です。子持神社に関しては、ネット上にはあまり有効な情報がないのですが、案内板によると、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を御祭神としているようです。Pb030059木花開耶姫命は女性の神様で、お父さんである大山祇神(おおやまつみのかみ)とともに、神道における「山の神」として知られています。木花開耶姫命は富士山の神様であることで有名で、富士山本宮浅間大社の御祭神でもあり、全国各地にある浅間神社は、木花開耶姫命をお祭りしています。子持山の南の稜線上に「浅間」という名前のピークがあるのは、これと関連しているのでしょう。

2006/11/13

自立支援医療(精神通院医療)に関するQ&Aが東京都のホームページに掲載されています

 平成18年4月1日から行われている自立支援医療(精神通院医療)は、あまりに制度が複雑すぎて、市役所の職員さえ理解していないことがあります。東京都のホームページに、かなり細かいQ&Aが出ているので、ご紹介しておきます。下記のURLから、「Q&A」という文字をクリックすると、PDFファイルを見ることができます。

自立支援医療(精神通院医療)説目会におけるQ&Aについて

 ところでこの制度、複雑すぎます。収入に応じた月額上限額を、医療機関、薬局、デイケアで別々にし、上限管理表のやりとりをなくすように再度提案します。例えば月額上限1万円で、医療機関と院外薬局を利用している患者さんは、医療機関上限5000円、院外薬局上限5000円とするなどすれば、上限管理表のやりとりをなくすことができ、事務手続きが大幅に簡単になります。
 それから、健康保険が変更になるたびに届け出が必要なのはこまります。社会保険の患者さんが退職して国民健康保険になり、ほどなく再就職して再び社会保険になったとします。社会保険が国民健康保険になった時に、変更手続きが必要です。ところが新しい受給者証が来るのに2ヶ月ぐらいかかります。新しい受給者証が来る前に、再び国民健康保険を社会保険に変更する手続きをしなければなりません。しばらくして、社会保険の受給者証が来ますが、そのときはもう国民健康保険になっているわけで、わけがわかりません。その患者さんがさらにすぐ退職したら、もう何がなんだかわかりません。
 医療機関も事務が大変ですが、市役所の窓口はさらに大変だと思うのですが、市役所の窓口などが国に対して、この制度は複雑すぎるのでなんとかしろ!とフィードバックするシステムはないのでしょうか?

2006/11/12

【温泉】白井温泉こもちの湯は250円で源泉掛け流し(★★★★)

Pb030066 群馬県渋川市の子持村にある日帰り入浴施設です。スポーツ施設や福祉施設などがある一角にあり、外観はいかにも村の温泉施設といった庶民的な造りで、正直期待はしませんでした。でも入浴料が250円だから、まっいいか、と入ってみてびっくり。なんと源泉掛け流しです。浴槽はこじんまりとしていますが、傍らからお湯がとうとうと流れ込み、湯船から溢れて行きます。泉温が低いので加温はしているそうです。お湯は無色透明で、泉質は単純温泉とのこと。青い石でできた湯船の肌触りがとてもいい感じです。
 露天風呂もありますが、こちらの泉質は強カルキ泉。循環濾過をして塩素消毒しているそうですが、いまどきプールでもここまでカルキ臭くはありません。
 ということで、露天風呂が大好きなぽん太ですが、今回は内湯にゆっくりつかりました。250円で源泉掛け流しですから文句はありません。
 渋川市のホームページのなかの白井温泉こもちの湯の案内はこちらです。地図も載っています(2006年11月入浴)。

2006/11/11

【医療】「赤ちゃんポスト」は既に18世紀に存在した

 2006年11月9日の朝日新聞に、「熊本の病院が「赤ちゃん引き取りポスト」、賛否両論」という記事が出ていました。
 この記事には、「熊本市の慈恵病院(蓮田晶一院長)が、様々な事情で子育てができない親が乳児を託す『赤ちゃんポスト』の導入を決めた。『こうのとりのゆりかご』の名で年内にも受け付けを始める方針。病院側は『捨てられて命を落とす赤ちゃんや中絶せざるを得ない母親を救いたい』と説明するが、子捨ての助長につながるとの意見もあり、論議を呼びそうだ」と書かれています。
 赤ちゃんポストは、他人と顔を合わせることなく赤ちゃんを捨てることができる装置で、不謹慎な言い方で恐縮ですが、いわば捨て子の「むじんくん」です。病棟の外壁に穴をあけて窓口とし、そこから室内にある保育器に赤ちゃんを入れられるようになっていて、自動的に鳴るブザーによって助産師らが駆けつけるのだそうです。
 はたして赤ちゃんポストはいいのか悪いのか、という議論はここでは止めておきます。ただぽん太が気になったのは、この記事のなかの「同様の制度は00年にドイツ・ハンブルクで生まれた」という記述です。いいえ、赤ちゃんポストの歴史は遥か昔の18世紀フランスにまで遡ります。それはドンズロの『 家族に介入する社会ー近代家族と国家の管理装置』(新曜社、1991年)の28ページから33ページにかけて書いてあります。
 それは「捨て子収容口」(tour)と呼ばれ、1758年にルーアンの捨て子療育院で初めて使われました。施設の壁に、上下の軸を中心に回転する円筒が取り付けられています。一方は開いているのですが、普段は閉じた側が外に向けられています。赤ん坊を捨てにきた母親が鈴を鳴らして合図をすると、職員が筒を180度回転させ、開いた側が外側を向きます。そこに赤ん坊を入れると、職員は再び180度筒を回転させ、赤ん坊が施設のなかに収容されるという仕組みです。
 この「赤ちゃんポスト」が作られた理由ですが、当時は教会や金持ちの大邸宅や修道院の入り口に捨て子をするという習慣があったのですが、捨てられた赤ちゃんが発見されるまでに死んでしまうことが多かったからです。
 「赤ちゃんポスト」は捨て子療育院のあいだに広がり、1811年には269カ所になりました。それに伴って、捨て子の数も爆発的に増えたようです。サン=ヴァンサン=ド=ポール修道会の捨て子療育院に収容されていた捨て子は、1740年には3150人でしたが、1784年には4万人、1826年には11万8千人、1833年には13万1千人にまで膨れ上がったそうです。
 当時も「赤ちゃんポスト」の設置に関しては、賛成と反対の意見がありました。しかし次第に反対の声が強くなってきます。その理由は、「赤ちゃんポスト」の設置はもともと私生児のためのもだったのに、捨て子のなかに多くの嫡出子がいることがわかってきたからです。さらに極度の貧しさから子供を捨てるだけではなく、経済的余裕があるのに子供を捨てる親が出てきたのです。捨て子を育てる養母に手当が出ることになったため、親と療育院の職員が結託して、赤ちゃんをいったん捨ててから養母として再び引き取ることによって、手当をもらうというインチキ行為が蔓延したのです。結局1837年には、捨て子を療育院に収容する方針を改め、在宅のまま母親に補助するという制度が提案され、1860年には「赤ちゃんポスト」は全廃されました。この、子供を持つ母親に対する補助が、やがて現代の家族手当に引き継がれているのだそうです。
 ルーアンの捨て子収容口から250年たって復活した「赤ちゃんポスト」がどうなるのか、今後の成り行きが注目されるところです。

2006/11/10

【登山】紅葉の子持山はなかなかえ〜よ(★★★★)

Pb030057 関越自動車道を北上し、赤城山と榛名山のあいだを抜けて行くと、左側前方に見えてくる山があります。これが子持山です。以前からちょっと気になる山だったのですが、今回登ってきました。

M0611092【山名】子持山(1296.4m)
【山域】上州
【日程】2006年11月3日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】快晴
【コース】7号橋(10:44)…屏風岩…獅子岩…子持山山頂(13:07)…十二…7号橋(14:36)
【マイカー登山情報】7号橋の登山口に十数台停められます。その手前の登山口にもそれぞれ数台ずつ駐車可。
【参考リンク】
・子持山登山道コースガイド
 http://www.city.shibukawa.gunma.jp/hyakka/komochi/komochi_tozan.html
 渋川市のホームページ内の登山道案内です。

Pb030042 昨日の岩櫃山では雨に降られましたが、本日は快晴。春のような暖かさです。7号橋の駐車場から、そびえ立つ屏風岩が望まれ、期待が高まります。子持神社奥ノ院にお参りをして、登山開始です。
 屏風岩の上に登ることができます。荷物は置いて、身軽な状態でピストンしましょう。まわりが切れ落ちているので、一般ハイキングの人は行かない方がいいです。
Pb030050 獅子岩のあたりは紅葉が見事でした。獅子岩にも登ることができます。獅子の頭の上に乗っかると、物語の主人公になったみたいで気持ちいいです。こちらの方が恐怖感は少ないです。こちらはザックを持って登りましょう。途中から登山道の上部に抜ける道があります。
Pb030055 休日のためか、山頂には大勢の登山者がいました。「十二山神」の碑がありました。十二山神とはなんなのか少し気になりますが、みちくさはやめておきましょう。天気は快晴でしたが、春のような暖かさのせいでうっすらと霞がかかり、遠くまでは見えませんでした。それでも皇海山や日光白根が見えました。
 下りは浅間に続く尾根を下り、途中から左に折れて、7号橋の駐車場に戻りました。
 暖かい小春日和のなか、美しい紅葉、ちょっとした岩登りも楽しめて、最高でした。

2006/11/09

【温泉】三大美人の湯の川中温泉かど半旅館はこじんまりした秘湯(★★★★)

Pb030041 吾妻川から北に細い道をすすんで行くと、川中温泉かど半旅館があります。誰が決めたか知らねども、和歌山県の龍神温泉、島根県の湯の川温泉と並んで、三大美人の湯と言われています。
Pb030032 建物は全12室のこじんまりした木造建築で、古い本館は築60年とのこと。内部は改装されていて真新しいのですが、新建材は使われていないので、年月がたつとまた味が出てくることでしょう。部屋の入り口には鍵もなく、隣りの部屋の声もよく通ります。
Pb020023 風呂は5つあり、男女別の内湯と、混浴の源泉風呂、大浴場、露天風呂です。混浴は女性専用タイムがあります。渓流沿いの露天風呂は開放的で気持ちが良く、源泉風呂は広くはないですが湯治の風情があります。
 お湯は無色透明の柔らかいお湯で、泉温が34.6度と低めなため加熱はしていますが、加水・循環なしの源泉掛け流しです。さて肝心の美人効果ですが、ぬるぬる感はそれほどないのですが、お風呂からあがった後のしっとり保湿感が強いように思いました。成分を見ると、pHは8.7で、この程度のアルカリ性のお湯は珍しくはありません。カルシウムイオンが396mg/kg、硫酸イオンが1010mg/kgと多いのが特徴のようですが、美肌効果との関係はわかりません。
Pb020017_1 食事は豪華ではありませんが、地元の素材がとても美味しく、夕食の時間に合わせて手で打ったおっきりこみは最高でした。
 従業員の応対も素朴で暖かいです。
 とにかくお湯がすばらしいです。ぽん太は男性ですが、お風呂を男女入れ替えにするなど工夫して、もうすこし女性専用の時間があってもいい気がします(2006年11月宿泊)。

2006/11/08

【登山】真田の歴史ある岩櫃山は低山ながら岩登りが楽しめる(★★★★)

Pb020006 ぽん太とにゃん子は、紅葉を求めて岩櫃山に行ってきました。
 岩櫃山(いわびつやま)は群馬県の吾妻川沿いにある低山です。渋川伊香保インターから草津方面に向かって車で走って行き、中之条を過ぎると、右側に見上げるような絶壁が見えてきます。これが岩櫃山です。

M06110801【山名】岩櫃山(802m)
【山域】西上州
【日程】2006年11月2日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】曇りのち雨
【コース】密岩通り登山口(14:15)…天狗のかけ橋…岩櫃山山頂(15:07)…(十二様通り)…赤岩通り登山口…密岩通り登山口(16:07)
【マイカー登山情報】蜜岩通り登山口の農道の路肩に2〜3台停められますが、農作業の邪魔にならないように停めたいものです。郷原駅には駐車場有り。
【参考リンク】
・岩櫃山ハイキングコース紹介
 http://www1.town.higashiagatsuma.gunma.jp/www/contents/1204115532274/index.html
 東吾妻町のホームページ。詳しいコース案内があります。
・岩櫃城 埋もれた古城
 http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Gunma/Iwabitsu/
 日本全国の古城を紹介するホームページ。岩櫃城がよくわかります。

Pb020016 農作業をしているひとに声をかけ、登山口に車を停めさせていただき、出発です。目の前に絶壁が立ちはだかります。いきなりの急登を過ぎて稜線に出ると、奇怪な岩峰がいくつもそそり立ち、ハシゴやクサリの連続です。天狗のかけ橋は、両側が切れ落ちた幅の狭い岩稜ですが、怖ければ迂回路もあります。ぽん太が以前に登った戸隠山の蟻の戸渡りほど恐ろしくはなく、高所が平気なネコ族のにゃん子も難なく通過。その後も石門をくぐったりハシゴを登ったりして岩櫃山山頂に到着。あいにくの曇りで展望はありませんでしたが、ふもとの吾妻川沿いの町がよく見えました。紅葉は時期的には丁度だったのですが、茶色っぽくてきれいではありませんでした。帰りは十二様通りを下りましたが、途中で雨も降り出して大変でした。
 低山でありながらいっちょうまえに登山をした気になれました。

P8250002 ところで岩櫃山には、長い間岩櫃城という山城がありました。16世紀後半には、吾妻郡一帯を支配した真田家の重要な拠点となっていました。ぽん太とにゃん子は2004年の夏に、この城跡を訪れたことがあります(このときは山頂には登りませんでした)。この城は、武田家滅亡の一件とも関わりがあります。1582年(天正10)織田・徳川軍に攻められて敗走した武田勝頼を、当時武田側についていた真田昌幸が岩櫃城に迎え入れようと申し出たのです。ところが勝頼は、小山田信茂の申し出を受けて大月の岩殿城に行くことを選びます。そして信茂の裏切りにあって勝頼は自害し、武田家滅亡となるのですが、このあたりは機会を改めてみちくさすることにしましょう。

2006/11/07

【蕎麦】中之条の「吾妻路」は群馬がうどんだけでないことを示してる(★★★★★)

Pb020003 群馬というと水沢などうどんの方が有名ですが、ここ中之条の「吾妻路」はとてもおいしい蕎麦がいただけます。旧道沿いなので、新道を走って行くと見逃します。
Pb020002_1 土蔵を改装した趣きある建物です。ぽん太は、手挽き田舎蕎麦と店頭の石臼製粉機で挽いた蕎麦の両方を味わえる「吾妻路」(1100円なり)を頼みました。田舎蕎麦は太くて香りも強く、ぼつぼつした舌触りで、味も濃くて美味しかったです。もうひとつの方は細めんですが腰が強く、こちらも味がしっかりしていました。対するツユもしっかりした濃厚な味でした。
Pb020004_1 以前に寄ったときは、なにやらぶっといキワもの系の蕎麦も売っていました、それはもうやめたようです。
 これから草津・万座にスキーに行く際など、通りがかった時はぜひお寄りすることをお勧めします(2006年11月)。

2006/11/06

【歌舞伎】2006年10月松竹座「染模様恩愛御書」(★★★)

 ぽん太とにゃん子は大阪の松竹座で花形歌舞伎「染模様恩愛御書」(そめもようちゅうぎのごしゅいん)を見ました。元になったのは「蔦模様血染御書」(つたもようちぞめのごしゅいん)という題で明治22年に初演された歌舞伎で、男色(衆道)という主題と、生火を使った火事の演出がネックとなり、ながらく上演されずに封印されていた演目だそうです。
 今回の目玉も、もちろん男色と火事。染五郎演じる若侍、大川友右衛門と愛之助演じる小姓、印南数馬との同性愛、いや、友右衛門を演じる染五郎と数馬を演じる愛之助の同性愛(?)が見物です。ぽんたはもうちっと耽美的・倒錯的な世界を期待していたのですが、愛之助に惚れて周りが見えなくなった染五郎は一直線に押しまくり、まるで中学生の初恋のようなすがすがしさと微笑ましさで、妖しさのかけらもありません。障子に映るシルエットで表現された二人が結ばれるシーンでおきた笑いは、照れ笑いだけでなく失笑が混ざっていた気がします。
 そしてもうひとつの目玉の大火事のシーン。客席の上からスモークや、火の粉を模した紙吹雪が降りそそぎ、ぽん太は間違ってユニバーサルスタジオに来たのではないかと思いました。最後に流れる歌も違和感があり、ここは新宿コマか?と思いました。
 ということで楽しめはしたのですが、心に残る、心にしみる舞台でなかったのが惜しまれます。チラシに名前も出てない芝のぶは大健闘。

 で、ぽん太が気になったのは、この芝居での男色の扱われ方です。春猿演ずる腰元あざみが「男同士とはけがらわしい」みたいなセリフを言っていたと思うのですが、男色が否定的に描かれています。ぽん太の記憶では、江戸時代以前の日本では男色が当たり前で、布教に来たキリシタンがびっくり仰天したなどという話しもあった気がします。同性愛を忌み嫌うようになったのは、明治以降の近代になってからでしよう。
 原作の「蔦模様血染御書」でも男色が否定的に扱われているかどうか、脚本が手にはいらないのでぽん太にはわかりません。
 この歌舞伎の舞台は江戸時代に設定されています。「蔦模様血染御書」はいわゆる血達磨物に属する作品です。細川家の家宝の達磨の掛け軸があり、細川家が火事になったとき、大川友右衛門が自分の腹を切って掛け軸を入れ、焼失を防いだという有名な物語があり、この物語を脚色して作られた歌舞伎や講談を、血達磨物というようです。この逸話はどうやらフィクションらしいのですが、この話しに出てくる細川のお殿様は細川綱利で、生まれが1643年(寛永20)死去が1714年(正徳4)ですから、時代はこのあたりに設定されていると考えられます。するとやはり、男色が否定的に扱われているのはおかしい気がします。
 ただ、この芝居自体が書かれたのは、冒頭で述べたように明治22年ですから、当時の性倫理観では男色に否定的であった可能性は十分あります。男色の歴史は、そのうちみちくさしたい領域です。

 ちなみに現在、精神医学的には、同性愛は基本的には病気とは見なされておりません。米国精神医学会の精神疾患の診断基準である『DSM-IV-TR精神疾患の分類と診断の手引』(高橋三郎他訳、医学書院、2003)では、露出症や小児性愛などの性嗜好異常や、性同一性障害はありますが、同性愛はありません。同性愛によって精神的に苦しんでいる場合には、「302.9特定不能の性障害」に入れることになっています。WHOの疾病分類ICD-10でも同性愛だけでは病気と見なさないとされており、同性愛が原因で「性的パートナーと関係を作ったり、維持したりすることが困難」な場合、「F66.21性関係障害・同性愛的」というコードが付くとされています。DSMから同性愛が取り除かれた経緯に関しては、『精神疾患はつくられる―DSM診断の罠』(ハープ・カチンス他、高木俊介他監訳、日本評論社、2002年)の第3章「『同性愛という診断名』の浮沈」が詳しく、またネット上で見れるものとしては、「精神医学における同性愛の『取り扱い』の変遷」(濱田龍之介)があります。

2006/11/05

【居酒屋】なんばの山三(やまさん)は日本酒好きが集う庶民的な店(★★★★)

Pa250081 月明かりに誘われ、大阪の夜に腹鼓を打ちながら繰り出したぽん太とにゃん子は、有名な法善寺横町などを通っては「をゝ、ここがカラオケの背景で有名な法善寺横町か」などと雰囲気を楽しみ、居酒屋山三(やまさん)に辿り着きました。Pa250069庶民的な雰囲気で、十数人座れるカウンターだけの店ですが、客層を見ても、老若男女日本酒好きが集まっているという感じでした。東京だと、日本酒をそろえている店でも、サワーを飲んでいる客がいたりするのですが、この店は皆、地酒を選びながら楽しんでいました。Pa250080全国の日本酒がそろっていますが、もちろん大阪や近畿のお酒も充実しています。肴も庶民的で美味しく、自家製のいぶしうなぎは絶品でした。大阪で美味しい日本酒を楽しみたい方にはお勧めです(2006年10月)。

2006/11/04

【宿】京都の町家の片泊まり宿「佐々木」でくつろぐ(★★★★)

Pa250025 京都の「町家」は、間口が狭くて奥行きが深いうなぎの寝床のような建物で、奥に中庭があったりします。何でも昔、間口の幅によって税金がかけられたため、このような建物が造られたのだそうです。Pa250017詳しくは例えばこちらの京都町家資料館のホームページを参照して下さい。
 で、「片泊まり」とは、一泊朝食つきの宿のことで、最近はB&Bともいいますね。B&Bといっても「もみじまんじゅ〜」の漫才師ではなく(というか、みんなこっちを知らないか……)bed and breakfastのことです。Pa250022と、とにかく一泊朝食つきのことを、京都では片泊まりというのです。で、なんで京都に片泊まりという伝統があるかというと、夕食は祇園や先斗町のお茶屋に繰り出していくからなのです。
 で、今回ぽん太とにゃん子がとまったのは、京都東山にある佐々木です。Pa250037祇園や先斗町、木屋町に歩いて行ける立地がうれしいです。木造3階の建物は、もとはお茶屋だったとのこと。美しく保存されているとは言えず、ちょっとボロくなっているところもあるのが残念ですが、京町家の風情を十分に堪能できます。女将は気さくでよくしゃべり、もてなしの気持ちが伝わってきます。朝食もとてもおいしかったです(2006年10月宿泊)。

2006/11/03

【書と絵】黒彩 Black+Color 岡庭呑石・田村吉康共作展@石川画廊

 銀座の石川画廊で、岡庭呑石・田村吉康共作展「黒彩Black+Color」を見てきました。
 当日はまず、新橋演舞場で平成18年11月「花形歌舞伎」の午前の部の初日を見ました。「弁天娘女男白浪」(べんてんむすめめおのしらなみ)は、「知らざあ言って聞かせやしょう」などの名台詞で有名な、これぞ歌舞伎という演目です。江戸から明治にかけて活躍した河竹黙阿弥の作ですが、近代的な自我の苦悩とは無縁な、絵画的で粋な芝居です。菊之助の演じる弁天小僧菊之助がいなせでよかったです。「勧進帳」は海老蔵が武蔵坊弁慶。海老蔵の「くささ」が弁慶の役とうまくあって滑稽にならず、迫力があってよかったです。「番長皿屋敷」は岡本綺堂による大正5年初演の新歌舞伎。「一枚、二枚……」で有名なお菊さんの怪談を下敷きに作られた、皿を割ることによって青山播磨の本心を試そうとするお菊、そして自分の愛情を疑われたことに腹を立ててお菊を手打ちにする播磨との悲恋物語です。江戸時代的な心理ならば、男としての面子を立てることと、愛するお菊を手打ちにしなければならない悲しみとの板挟みになって、生きることの苦しみを感じつつ手打ちにするはずです。また近代的な心理に従えば、播磨は自分の誠実を疑われたことに対して理不尽な怒りに駆られ、まさにキレた状態でお菊を切ると考えられます。芝居の頭で、播磨が旗本でありながら町奴との喧嘩に明け暮れているところが描かれているので、後者の可能性が高いとぽん太は思います。しかし松緑の演技はどっちつかずで、播磨がどういう気持ちでお菊を切ったのかがよくわかりませんでした。
 で、共作展の方ですが、岡庭呑石は書道家、田村吉康は画家(漫画家でもある)であり、書と絵のコラボレーションという展覧会でした。書と絵の共作というと掛け軸などでは当たり前のように思えますが、書は黒一色だし、田村吉康の絵はアクリル絵の具を使ったリアルで色彩が鮮やかなものなので、一見すると極めて異質な組み合わせに感じられます。しかし呑石氏も書道家といいながら、号からもわかるように酒を愛する通人であり、田村氏の絵との組み合わせによって、艶やかな情感が醸し出されているようにぽん太には感じられました。
 ところで田村吉康という名前に聞き覚えがある方も多いかと思いますが、その通り、月刊少年ジャンプにマンガの「筆神 1 (1)」を連載していたひとです。このマンガに出てくる書道家も「呑石」という名前のようですが……。田村氏の話しでは、彼は単なる漫画家にも単なる画家にもなりたくなく、娯楽としての漫画と芸術としての絵画のあいだに一線が画されている現状に満足できず、漫画と絵画の境界を目指していきたいとのことでした。タヌキと人間のあいだを生きるぽん太は、とても共感を覚えました。
 この共作展は2006年11月1日から11月7日まで銀座の石川画廊で開催されています。

2006/11/01

【ジャズ・バー】京都のPrestigeでフリージャズを楽しむ(★★★★)

 ジャズ好きのにゃん子に引っ張られて、京都の木屋町通りにあるジャズ・バーPrestige(プレスティッジ)に行きました。地図はこちらです。
 雑居ビルの4回にある小さなジャズ・バーです。店は小さく6〜7人座れるカウンターと4人がけのテーブルがあるだけで、内装もシンプルです。2面に広がる窓ガラス越しに見える風景は、木屋町・先斗町・祇園あたりの繁華街の屋根の上で、ニューヨークの雑踏をさまよってふと人気のない路地に入り込んだような、モダンな情感を漂わせます。かかっている曲に関しては、ぽん太はジャズのことはよくわからないので、「ジャズ・バーの下鴨神社や〜」と言っておきましょう。

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