【南イタリア旅行】モンレアーレ、パレルモ
ぽん太とにゃん子の南イタリアの旅も、もうすぐ終わりです。モンレアーレを観光し、パレルモで一泊したら、ミラノを経由して日本の巣穴に帰らなければなりません。お名残惜しゅう存じます。
モンレアーレはパレルモを見晴らす山の上に造られた街です。シチリアでこれまで観光してきたところは、ギリシアの遺跡が多かったのですが、ここモンレアーレやパレルモは、ビザンチンやイスラムの影響も受けた多文化混交の街です。
モンレアーレの一番の見所は1174年に造られたドゥオーモ(大聖堂)で、なんでもビザンチン様式とかいうものだそうで、キリストのモザイク画が有名です。内部は金色に輝いて神々しいです。
ゲーテは1787年4月10日に、モンレアーレに行きました(『イタリア紀行 中 (2)』(相良守峯訳、岩波文庫、92〜93ページ)。しかし、ギリシア、ローマ、ルネッサンスにだけ興味を持っていたゲーテが、ドゥオーモに関してひと言も触れていないのは、有名な話しです。
さて、ぽん太とにゃん子は、パレルモで南イタリア最後の夜を迎えました。パレルモ市内は、バスの車窓からの観光だけだったのが残念です。
パレルモには、パレルモ・マッシモ劇場という有名なオペラハウスがありますが、今年の6〜7月に日本公演があります。この劇場は、映画「ゴッドファーザーPARTIII」(1990、アメリカ)のクライマックスの銃撃の場面でも有名です。
また、フランスの作曲家イベール(1890〜1962)が1922年に作曲した『寄港地』という交響組曲があり、地中海の航海における異国の印象を取り入れた作品ですが、その第1曲が「ローマーパレルモ」と題されています。シチリア舞曲を取り入れることでパレルモを表現していますが、いわゆる一般のシチリアーノと呼ばれる舞曲よりも速いテンポとなっています。シチリアーノは6/8拍子の哀愁を帯びたゆったりとした舞曲で、付点リズムが特徴です。バッハ作と伝えられていますが違うという説が有力なシチリアーノ(こちらのページでダウンロード可能)や、フォーレのシチリアーノ(こちらのページで聴けます)は有名です。
作曲家イベールは、皇紀2600年奉祝曲のフランス代表として、『祝典序曲』を作曲しました。この曲は1940年に歌舞伎座で初演されましたが、そのときの指揮者は、『赤とんぼ』などの作曲で有名な山田耕筰です。
あれあれ、ちょっとみちくさがすぎました。さて、ぽん太とにゃん子は南イタリアの旅を終え、パレルモ空港からミラノを経由して、日本に帰国しました。快晴のミラノでは飛行機の窓からアルプスの山々がパノラマのように見えました。とても美しかったです。
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