蔵王の刈田岳山頂にある刈田嶺神社について
ぽん太とにゃん子は蔵王のお釜を見にいったのですが、あいにくガスっていて見えませんでした。せっかくなので、レストハウスから徒歩五分の刈田岳山頂を制覇してきました。
刈田岳の山頂には神社がありますが、刈田嶺神社(かったみねじんじゃ)という名前だそうですが、公式ホームページはないみたいで、ぐぐってみてもよく御由緒がわかりません。
こちらのJTBのページは、観光案内のページですが、天之水分神(あまのみくまりのかみ)と国之水分神(くにのみくまりのかみ)を御祭神とし、明治5年に水分神社(みくまりじんじゃ)という名になり、明治8年に刈田嶺神社と称するようになったとされています。
天之水分神(あまのみくまりのかみ)は「あめのみくまりのかみ」とも呼ばれるようです。伊邪那岐神(いざなぎのかみ)と伊邪那美神(いざなみのかみ)からは多くの子供が生まれましたが、そのなかの大綿津見神(おおわたつみのかみ)、速秋津日子神(はやあきつひこのかみ)、速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)の三人の神様は、海(わたつみ)の神とされています。速秋津日子神(はやあきつひこのかみ)と速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)の兄妹が結婚して、水に縁がある8人の神様が生まれました。天之水分神(あめのみくまりのかみ)と国之水分神(くにのみくまりのかみ)はその中の二人です。「水分」という言葉から分かるように、山の分水嶺を意味し、田の灌漑を司る神様でもあります。まさに分水嶺である蔵王にふさわしい神様です。「天之」と「国之」が、それぞれ天与の水(雨)と地与の水(川)を意味するという説もありますが、定かではありません。
こちらの蔵王町観光協会のページには、蔵王の東麓の遠刈田(とおがった)にある刈田嶺神社が紹介されています。それによると、蔵王の山頂にある刈田嶺神社が冬の間移される里宮がここだそうです。安永風土記には「蔵王権現御旅宮」と書かれており、御祭神は同じく天之水分神と国之水分神で、明治5年に水分神社(みくまりじんじゃ)と改められ、明治8年に刈田嶺神社と称するようになったと書かれています。なおネットの情報では、ここ遠刈田の刈田嶺神社にはラブリーな狛犬がいるようです。ぽん太は以前の記事で軽井沢の熊野神社の狛犬をご報告したことがあります(妙義神社、湯の平温泉松泉閣、熊野皇大神社(2006/05/02))が、それに勝るとも劣らないユニークな形をしているようで、行ってみればよかったです。
さて、蔵王町にはさらに別の刈田嶺神社があるようです。こちらのページに紹介されています。ここは、刈田岳山頂の刈田嶺神社とは関係なさそうです。またの名を白鳥大明神ともいうそうで、日本武尊(やまとたけるのみこと)が御祭神だそうです。日本武尊と白鳥の関係ついては、以前の記事日本武尊と白鳥御陵(2005/08/28))で書きました。
ところで蔵王というと、ぽん太は蔵王権現を思い浮かべます。不動明王が片足をあげたような姿をしております。写真は、たとえばこちらの奈良国立博物館のページをご覧下さい。蔵王権現のおおもとは、奈良の吉野にある金峯山寺(きんぷせんじ)です。こちらが金峯山寺の公式ホームページです。役行者(えんのぎょうじゃ)が金峯山で修行をしたときに感得したのが蔵王権現だそうです。蔵王という山の名前は、蔵王権現を祀る神社が山麓にあったことからついたとのことです。
しかし、上でリンクしたホームページによれば、刈田岳山頂の刈田嶺神社の御祭神に、蔵王権現が入っていませんでした。ホームページによっては蔵王権現を御祭神に入れているものもありますが、個人のホームページなので、エビデンスははっきりしません。蔵王権現は神仏習合のもとで生まれた神様で、それは金峯山寺というお寺が本源であることからもわかります。そもそも神様の姿は見えないものであり、神様の像というのは本来はありえないものです。明治時代に神仏分離が行われた結果、刈田嶺神社の御祭神から、神仏習合の神である蔵王権現が外されたという可能性もあるかもしれません。
ぽん太が刈田岳山頂の刈田嶺神社にお参りしたとき、当然なかに蔵王権現の像があると思っていたのですが、のぞいてみたら普通の神社のように鏡がおいてあるだけだったので、ちょっと意外に思ったことを付け加えておきます。
【参考文献】
(1)川口謙二編『日本の神様読み解き事典』柏書房、1999年。
(2)三浦佑之訳注『口語訳古事記 完全版』文藝春秋、2002年。
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