シェイクスピアの『十二夜』と狂気(その1?)
だいぶ前のことですが、2007年8月吉日、歌舞伎座で蜷川幸雄演出の『十二夜』を見てきました。それぞれ日本風の役名が着いていましたが、原作の役名で言えば、男装してシザーリオと名乗るヴァイオラと、セバスチャンを、菊之助が一人二役で演じ、マルヴォーリオと道化のフェステを菊五郎が演じるというものでした。その結果登場人物が交錯して、まるで遊園地の鏡の迷路に入り込んだかのような印象を与え、それが蜷川の鏡を使った舞台美術とよく合っていました。
ただ一人二役の結果、最後にヴァイオラとセバスチャンが出会う場面では、ひとりが菊之助のマスクを付けた役者となり、客席から失笑が漏れていました。またうぬぼれ屋で堅苦しいマルヴォーリオが、だまされて馬鹿げた振る舞いをすることの落差が、菊五郎が同時に道化のフェステを演じていることで、少し弱まってしまった気がします。
で、これをきっかけにシェイクスピアの『十二夜』を読み返してみました。ぽん太が読んだのは、松岡和子訳のちくま文庫です。
ぽん太は恐れ多くてシェイクスピアについて云々いうことはできませんが、この戯曲には、だまされたマルヴォーリオが狂人と間違われるという下りがあるので、精神科医のぽん太が口を挟むことが可能です。
しかし実のところ、シェイクスピア(1564-1616)の時代に一般民衆が狂気をどのように捉えていたのか、ぽん太はほとんど知りません。というのもそれは、公式の精神医学史には書かれていないからです。小説などを分析して、当時の狂気のあり方を浮かび上がらせるような本があればいいのですが、無学なタヌキのぽん太は、不幸にしてそのような本を知りません。おそらく狂気は、一方では病気として医学に結びつけられ、他方では悪魔憑きとして宗教に結びつけられていたのだろうと思いますが、そのように二つに分けて考えるのがそもそも現代的な観点からの考えであって、当時は両者が渾然一体となっていたのかもしれません。さらには民衆の間の俗説や迷信もあったことでしょう。
さて、このちくま文庫の『十二夜』では、役者の松岡和子の訳注に興味深い記述があります。ただ訳注の根拠が明示されていないのが残念ですが。
まず、第三幕第四場のオリヴィアの「ああ、狂ってる、本物だわ」というセリフ。訳注で、原文がthis is very midsummer madnessと書かれていて、「夏の暑さは頭を狂わすと考えられていた」との注記があります。
夏の暑さが狂気の原因となるという考え方は、ぽん太は初めて聞きました。当時はこのような俗説が広まっていたのでしょうか?
次に同じ第三幕第四場で、発狂したと誤解されたマルヴォーリオをサー・トービーが「暗い部屋にぶち込むんだ」というセリフ。これに関する訳注は、「暗い部屋に閉じ込めるのは、当時行われた狂気の治療法。『間違いの喜劇』でも気が狂ったと思われたエフェサスのアンティフォラスが同じ目に遭う」となっています。
狂人を暗い部屋に閉じ込めるというのもぽん太は初耳です。暗い部屋に閉じ込めるのは、悪いことをした子供のお仕置きかと思っていました。もっとも訳注には「狂気の治療法」と書いてありますが、これが本当にいわゆる医学的な治療法だったのか、それとも悪魔払いの方法や、俗説・迷信の類いであったのかはわかりません。
次に第四幕第二場。道化が牧師の振りをして、マルヴォーリオの「治療」に訪れます。この偽牧師の名前はトーパス(Topas)なのですが、訳注によれば、チョーサーの『カンタベリー物語』からとったというのが定説だそうですが、一方でレジナルド・スコット著『魔術の発見(Discovery of Witchcraft)』にはトパーズ(topaz=topas)が狂気を治す効果を持つと書かれているのだそうです。
レジナルド・スコットという人はぽん太は初対面ですが、ちょっとググって見ると、魔女・魔術関係に関心がある方にとっては知らないではすまされない人物で、魔女裁判を批判した人なのだそうです。それからなぜかこの『魔術の発見』は世界最古の手品の種明かし本でもあるそうで、このイギリス人は手品師にとっても知らないではすまされない人物のようです。そのうちみちくさしてみたい人物です。
トパーズはどうかわかりませんが、宝石が狂気を癒すという考え方は、確かにあったようです。ミシェル・フーコーの『狂気の歴史』の第二部第四章によれば、17世紀から18世紀にかけて、一般の病気に関しては宝石がそれを治すという考え方は放棄されていたにもかかわらず、狂気に限っては宝石の治療効果が信じられ続けていたのだそうです。1638年にジャン・ド・セールが翻訳した、ジャン・ド・ルヌーの『薬についての著作』には、「金をちりばめたエメラルドの指輪をはめているすべての人を癲癇から守ることができるだけでなく、記憶力をつよめ、情欲の高まりに抵抗することができる」などと書かれているそうです。1759年にレムリーが著した『医薬万有辞典』では、エメラルドをお守りとして身につければ出産を早めるというのは想像にすぎないとしているものの、「エメラレルドは粉末にして服用された場合に、過度に苦味をおびた体液をやわらげる特性がある」と書いているそうです。
牧師がマルヴォーリオを訪ねるということは、狂気と悪魔憑きが結びつけられているということで、それはすぐ後の牧師のまねをした道化のセリフ「黙れ、猛々しい悪魔! よくもこの男に取り憑いたな!」からもわかります。しかしこのやりとりが喜劇として書かれているということは、「狂気=悪魔憑き」という考え方は、すでに笑いの対象だったのでしょうか。
(たぶん続く……)
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