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2007年8月の8件の記事

2007/08/27

シェイクスピアの『十二夜』と狂気(その1?)

 だいぶ前のことですが、2007年8月吉日、歌舞伎座で蜷川幸雄演出の『十二夜』を見てきました。それぞれ日本風の役名が着いていましたが、原作の役名で言えば、男装してシザーリオと名乗るヴァイオラと、セバスチャンを、菊之助が一人二役で演じ、マルヴォーリオと道化のフェステを菊五郎が演じるというものでした。その結果登場人物が交錯して、まるで遊園地の鏡の迷路に入り込んだかのような印象を与え、それが蜷川の鏡を使った舞台美術とよく合っていました。
 ただ一人二役の結果、最後にヴァイオラとセバスチャンが出会う場面では、ひとりが菊之助のマスクを付けた役者となり、客席から失笑が漏れていました。またうぬぼれ屋で堅苦しいマルヴォーリオが、だまされて馬鹿げた振る舞いをすることの落差が、菊五郎が同時に道化のフェステを演じていることで、少し弱まってしまった気がします。

 で、これをきっかけにシェイクスピアの『十二夜』を読み返してみました。ぽん太が読んだのは、松岡和子訳のちくま文庫です。
 ぽん太は恐れ多くてシェイクスピアについて云々いうことはできませんが、この戯曲には、だまされたマルヴォーリオが狂人と間違われるという下りがあるので、精神科医のぽん太が口を挟むことが可能です。
 しかし実のところ、シェイクスピア(1564-1616)の時代に一般民衆が狂気をどのように捉えていたのか、ぽん太はほとんど知りません。というのもそれは、公式の精神医学史には書かれていないからです。小説などを分析して、当時の狂気のあり方を浮かび上がらせるような本があればいいのですが、無学なタヌキのぽん太は、不幸にしてそのような本を知りません。おそらく狂気は、一方では病気として医学に結びつけられ、他方では悪魔憑きとして宗教に結びつけられていたのだろうと思いますが、そのように二つに分けて考えるのがそもそも現代的な観点からの考えであって、当時は両者が渾然一体となっていたのかもしれません。さらには民衆の間の俗説や迷信もあったことでしょう。
 さて、このちくま文庫の『十二夜』では、役者の松岡和子の訳注に興味深い記述があります。ただ訳注の根拠が明示されていないのが残念ですが。

 まず、第三幕第四場のオリヴィアの「ああ、狂ってる、本物だわ」というセリフ。訳注で、原文がthis is very midsummer madnessと書かれていて、「夏の暑さは頭を狂わすと考えられていた」との注記があります。
 夏の暑さが狂気の原因となるという考え方は、ぽん太は初めて聞きました。当時はこのような俗説が広まっていたのでしょうか?

 次に同じ第三幕第四場で、発狂したと誤解されたマルヴォーリオをサー・トービーが「暗い部屋にぶち込むんだ」というセリフ。これに関する訳注は、「暗い部屋に閉じ込めるのは、当時行われた狂気の治療法。『間違いの喜劇』でも気が狂ったと思われたエフェサスのアンティフォラスが同じ目に遭う」となっています。
 狂人を暗い部屋に閉じ込めるというのもぽん太は初耳です。暗い部屋に閉じ込めるのは、悪いことをした子供のお仕置きかと思っていました。もっとも訳注には「狂気の治療法」と書いてありますが、これが本当にいわゆる医学的な治療法だったのか、それとも悪魔払いの方法や、俗説・迷信の類いであったのかはわかりません。

 次に第四幕第二場。道化が牧師の振りをして、マルヴォーリオの「治療」に訪れます。この偽牧師の名前はトーパス(Topas)なのですが、訳注によれば、チョーサーの『カンタベリー物語』からとったというのが定説だそうですが、一方でレジナルド・スコット著『魔術の発見(Discovery of Witchcraft)』にはトパーズ(topaz=topas)が狂気を治す効果を持つと書かれているのだそうです。
 レジナルド・スコットという人はぽん太は初対面ですが、ちょっとググって見ると、魔女・魔術関係に関心がある方にとっては知らないではすまされない人物で、魔女裁判を批判した人なのだそうです。それからなぜかこの『魔術の発見』は世界最古の手品の種明かし本でもあるそうで、このイギリス人は手品師にとっても知らないではすまされない人物のようです。そのうちみちくさしてみたい人物です。
 トパーズはどうかわかりませんが、宝石が狂気を癒すという考え方は、確かにあったようです。ミシェル・フーコーの『狂気の歴史』の第二部第四章によれば、17世紀から18世紀にかけて、一般の病気に関しては宝石がそれを治すという考え方は放棄されていたにもかかわらず、狂気に限っては宝石の治療効果が信じられ続けていたのだそうです。1638年にジャン・ド・セールが翻訳した、ジャン・ド・ルヌーの『薬についての著作』には、「金をちりばめたエメラルドの指輪をはめているすべての人を癲癇から守ることができるだけでなく、記憶力をつよめ、情欲の高まりに抵抗することができる」などと書かれているそうです。1759年にレムリーが著した『医薬万有辞典』では、エメラルドをお守りとして身につければ出産を早めるというのは想像にすぎないとしているものの、「エメラレルドは粉末にして服用された場合に、過度に苦味をおびた体液をやわらげる特性がある」と書いているそうです。
 牧師がマルヴォーリオを訪ねるということは、狂気と悪魔憑きが結びつけられているということで、それはすぐ後の牧師のまねをした道化のセリフ「黙れ、猛々しい悪魔! よくもこの男に取り憑いたな!」からもわかります。しかしこのやりとりが喜劇として書かれているということは、「狂気=悪魔憑き」という考え方は、すでに笑いの対象だったのでしょうか。
(たぶん続く……)
 

2007/08/25

【旅・グルメ】郡上八幡で郡上おどりと鮎を楽しむ(大八、たか陣)

 白山からへろへろの状態で下山したぽん太とにゃん子は、郡上八幡に宿をとりました。
 泊まったのはさとう民宿さんです。城下町の一角にあり、観光に便利。建物は新しく改装されていますが、高い天井の居間などの構造は昔のままで、京都の町家のような奥に深い造りです。なんといってもお話好きのおかみさんが魅力の、アットホームな宿です。

郡上八幡・大八 夕食は町に繰り出しました。まずは大八です。郷土料理のお店で、地元の新鮮な素材が味わえます。ぽん太とにゃん子の狙いはもちろん鮎! ここ郡上八幡を流れる吉田川は、鵜飼いで有名な長良川の支流にあたります。鮎の塩焼き、鮎刺しは定番です。
鮎の魚田 「鮎の魚田」というメニューがあったので何なのか聞いてみたら、焼いた鮎に味噌をかけたものとのこと。ナルホド、魚の味噌田楽ということですね。とても美味しかったですが、なかなか新鮮な鮎を口にする機会がないぽん太には、釣りたての鮎を濃い味付けでいただくのがもったいなく思いました。
たか陣・郡上八幡 恒例のハシゴで次に入ったのはたか陣です。こちらは肩のこらない居酒屋さんで、いわゆる郷土料理はあまりありませんでしたが、地元の人たちでにぎわっていました。
 さて、夜は郡上おどりに参加。実はぽん太とにゃん子は、昨年も郡上おどりに参加したのですが、そのときはTシャツ姿だったのが残念でならず、今年は浴衣持参で再訪しました。とはいえ、けさ白山から下山したばかり。この郡上おどりも、筋肉痛の一因になっていると思います。
カフェ・町家さいとう 翌日は郡上八幡をゆっくり観光してから帰りました。この日も日差しが強く、カフェ・町家さいとうで落ち着いた和風庭園を眺めながらいただいた抹茶オーレが、冷たくておいしかったです。

2007/08/23

【登山】クロユリ満開の白山で美しい御来光を拝む

 白山温泉永井旅館でのんびりしたぽん太とにゃん子は、翌日、白山に登りました。

白山登山路【山名】白山(2702.2m)
【山域】北陸
【日程】2007年8月9日〜8月10日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】両日とも快晴で暑かったです。
【コース】(8/9)別当出合(9:04)…(砂防新道)…南竜山荘…(展望歩道)…白山室堂(泊)(15:36)
(8/10)白山室堂(3:56)…御前峰(御来光)…(池めぐりコース)…室堂センター(6:59-7:38朝食を含む)…(観光新道)…別当出合(10:47)
【マイカー登山情報】ぽん太が行った日は別当出合まで自家用車が入れましたが、登山ピーク時には交通規制が行われ、市ノ瀬に駐車(無料)してシャトルバス(有料)で別当出合まで行くことになります。必ず事前に確認して下さい。
平成19年度 白山登山ピーク時の交通規制について
【その他の注意】白山室堂、南竜山荘等の宿泊は予約が必要です。
【参考リンク】
白山登山をされる方へ:石川県によるページ。交通規制などの情報もあり。
白山登山のポータルサイト:財団法人白山観光協会のページ。白山室堂の山小屋の予約状況あり。
白山南竜山荘:白山市地域振興公社のページ。南竜山荘の予約情報有り。
白山/山と高原地図web:ご存知登山地図で有名な昭文社のページ。登山図あり。
【見た花】ヤマアジサイ、ソバナ、オオバキボウシ、イワオトギリ、センジュガンピ、アキノキリンソウ、オオバミゾホオズキ、ミヤマゼンコ、ミヤマキンポウゲ、ゴゼンタチバナ、オタカラコウ、シモツケ、カンチコウゾリナ、クロクモソウ、ヤマハハコ、ハクサンフウロ、ヨツバシオガマ、イブキトラノオ、シモツケソウ、ニッコウキスゲ、ミヤマリンドウ、イワイチョウ、ネバリノギラン、ミヤマタンポポ、コバイケイソウ、ハクサンコザクラ、ヤマガラシ、ミヤマキンバイ、バイケイソウ、クルマユリ、ギンリョウソウ、タカネナデシコ、シラネニンジン、アザミの一種、カライトソウ、タカネマツムシソウ、イワオウギ、オンタデ、クロユリ、シラタマノキ、イワカガミ、ダイモンジソウ、ホソバキソチドリ、ハクサンシャクナゲ、イワギキョウ、ウラジロナナカマド、キヌガサソウ、アオノツガザクラ、イワツメクサ、チングルマ、ミヤマダイコンソウ、ミヤマタネツケバナ(初)、ミヤマホツツジ、ツマトリソウ、ハクサンシャジン、エゾシオガマ、タテヤマウツボグサ

 8月9日。今日は山頂手前の山小屋「白山室堂」まで行けばいいので、ゆっくりと宿の朝食をとり、朝風呂にも入ってから出発。この日は交通規制がなかったので、別当出合まで車で入り、砂防新道を登りました。天気は雲ひとつない青空ですが、暑くて閉口しました。夏休みだからなのか、白山の性格からなのか、ご年配の方から子供まで、あらゆる年齢層で登山道はにぎわっていました。
 甚の助避難小屋で昼食。そのちょっと上の南竜道分岐に着いたのはまだ12時半頃。このまま山小屋に向かうと早すぎて時間を持て余すので、展望歩道を通って遠回りで白山室堂に行くことにしました。

白山・南竜山荘 南竜山荘付近は、写真のようにヨーロッパ的な雰囲気がありました。頂上で御来光を見るのには不便ですが、感じのよい小屋です。ニッコウキスゲの大群落もきれいでした。展望歩道からは北アルプスが一望できるはずでしたが、東側はガスっていて見えませんでした。大勢の登山客で賑わう夏休みの白山でしたが、このルートは人も少なく、静かな山旅を楽しめました。
白山室堂 白山室堂です。山小屋と呼ぶのがはばかられるくらい大規模な宿泊施設です。収容人員750人とのこと。日本一大きな山小屋は白馬山の白馬山荘(しろうまさんそう)で、収容人員は1200人と言われています。ぽん太は大きな山小屋ランキングは知りませんが、大きい部類に属するのは確かでしょう。ただ生ビールがないのが、飲んべえのぽん太には残念でした。これくらい大規模な山小屋なら、生ビールくらいあってもいいのでは?
クロユリ まずはクロユリです。山頂付近はどこもかしこもお花畑で、さまざまな花が咲き乱れていました。クロユリも場所によっては大群落を作って咲いていました。
ハクサンコザクラ ハクサンコザクラです。白山の名をいただいた可憐な花です。白山は、登山客でにぎわっている反面、マナーが守られていないのが残念でした。写真を撮るためにお花畑に踏み込んだ跡があちこちに見られました。このままでは、哀しいことではありますが、立ち入り禁止のロープを張る必要が出てきます。
白山室堂の夕食 白山室堂の夕食です。なかなか豪華で美味しかったです。寝床は、どんなにすいていても端からギッシリと詰め込まれます。個室もあるといいのにと思いました。
白山の御来光 翌朝は4時頃に小屋を出て、ヘッドランプの灯りをたよりに山頂に向かい、御来光を待ちます。下界は雲海に被われながらも、空はすっきりと晴れ渡り、剣、槍、大キレットに穂高、乗鞍、御岳、遠くには中央アルプスも見渡せるなか、美しい御来光を拝むことができました。
白山の影 振り返ると、白山の影がくっきりと見えました。
白山神社奥宮 山頂には白山神社の奥宮があり、お神酒をいただき、お祓いを受けることができます。白山神社は、正確には白山比「口羊」神社(しらやまひめじんじゃ:4文字目は口へんに羊です)といい、こちらが公式ホームページです。
翠ヶ池・白山 御来光を拝んだ後は、お池めぐりをしてから山小屋に戻ります。写真は翠ヶ池です。手前の雪渓と彼方の雲海が美しかったです。
ミヤマタネツケバナ お池めぐりの途中で、ミヤマタネツケバナを見つけました。見事な白山のお花畑ですが、種類としては見たことあるものばかりでしたが、このミヤマタネツケバナは今回初めて見ることができました。とても小さくて地味な花です。
白山室堂の朝食 お池めぐりから宿に戻ったところで朝食をいただくのが白山流です。なかなか豪華です。一休みしてから下山しました。
 下りは観光新道を通りました。尾根道で直射日光を受け、暑くて大変でした。けっこうな急坂で、階段状のところも多く、数年ぶりの大筋肉痛に悩まされました。

2007/08/16

【温泉】石川県白山温泉永井旅館(★★★★)(付:『高野聖』と天生峠)

 2007年8月の夏休み、ぽん太とにゃん子は白山登山にでかけました。まず、登山口近くにある永井旅館に宿泊です。公式ホームページはどこでしょう? 永井旅館が作っているホームページがふたつ見つかりましたが、それぞれリンクをたどると、永井旅館の案内が含まれています。
 ・白山に登る 〜白山の紹介・永井旅館
 ・白山の山懐に抱かれて
 ちなみにこちらが白山温泉のYahoo!地図です。
 しかし石川県というのは、東京から近くて遠いというか、直線距離ではたいしたことないのに、車で行くとやたらと時間がかかります。カーナビが示した経路は高速を遠回りするもので、上信越道から北陸道を通る経路と、中央道から名阪に入り米原JCTから北陸道を北上する経路の二つでした。だがぽん太は、「こんなん、一般道を使ってまっすぐ突っ切った方が早いやろ」と、安房トンネルを抜け、高山、古川を通って白川郷に至り、白山スーパー林道を経て白山温泉に向かうことにしました。これが大失敗で、特に古川と白川郷を結ぶ国道360号線が、天生峠(あもうとうげ)越えの狭いウネウネ道で、運転にさんざん神経を使ったあげく、結局トータル7時間かかりました。これなら高速を回った方がよっぽど気が楽でした。

 ところで天生峠(あもうとうげ)といえば、泉鏡花の『高野聖』で、旅の僧が妖女の棲む魔境に迷い込むのが、この天生峠越えの道です。ちなみにこちらが天生峠のYahoo!地図です。また『高野聖』は青空文庫で無料で読むことが可能です。ちなみに新字新仮名バージョンは、こちらから閲覧・ダウンロードできます
 さて、『高野聖』には「天生峠」という地名が2カ所に出てきます。最初は6節で、「さあ、これからが名代の天生峠と心得たから、こっちもその気になって、何しろ暑いので、喘ぎながらまず草鞋の紐を緊直した」。次いで7節には「世の譬にも天生峠は蒼空に雨が降るという、人の話にも神代から杣が手を入れぬ森があると聞いたのに、今までは余り樹がなさ過ぎた」と書かれています。
 しかし、この小説の冒頭では「飛騨から信州へ越える深山の間道」と書かれているのですが、実際の天生峠は飛騨と信州の境ではありません。ですから『高野聖』の舞台となっているのは、現実の天生峠ではなく、泉鏡花が「天生峠」という名前に、飛騨から信州にかけての風土・雰囲気を結びつけて創作した虚構の峠と考えるべきでしょう。

 さて、みちくさはこれくらいにして、白山温泉の永井旅館に話しを戻しましょう。

白山温泉永井旅館 ようやくたどり着いた永井旅館は、山小屋風の落ち着いた和風旅館でした。新館もあるようですが、古い建物が好きなぽん太とにゃん子は、いつものように旧館の部屋を指定。
白山温泉永井旅館 旧館の部屋は鍵もなく、パイプの二段ベッドがおかれた部屋もあって、主に登山客向けの安い部屋として使われているようですが、ぽん太たちの泊まった一番奥の部屋は、柱に漆が塗ってあったりして、なかなか心地よい部屋でした。
白山温泉永井旅館 お風呂は男女別の内湯で、それぞれ大小二つの浴槽があります。
白山温泉永井旅館 源泉が二つあり、その年の源泉の状況に応じて使い方を決めているそうですが、今年は小さい浴槽が2号源泉の掛け流し、大きい浴槽は1号源泉の循環加熱と書かれていました。どちらも無色透明、2号源泉には鉄錆色の湯の花が舞っていましたが、泉質の表示を見ると1号源泉のほうに「黄褐色沈殿」と書いてあり、ちとよくわかりません。
白山温泉永井旅館 食事も地元の食材を使った素朴な郷土料理で、「どっちの料理ショー」にも出たという堅豆腐や、ナメコの酢の物が美味しかったです。
 翌日の登山に向けて、十分に英気を養うことができました。白山の登山口近くにある素朴な宿です(2007年8月宿泊)。

2007/08/08

【読書】田山花袋の『温泉めぐり』を読む

 書店で目にとまった、田山花袋の『温泉めぐり』(岩波文庫、2007年)を買って読んでみました。
 田山花袋というと『蒲団』とか『田舎教師』とかいう小説が頭に浮かびます。昔読んだことがあるはずなのですが、まったく記憶にありません。げに恐ろしき狸脳! ウィキペディアで調べてみると、1872年(明治4年)に現在の群馬県館林市で生まれ、1930年(昭和5年)に死去、自然主義派の代表的な小説家だそうです。紀行文の評価も高く、温泉巡りの本も多く書いているそうで、本書もそのうちの一冊のようです。ちなみに本書が再初に出版されたのは1918年(大正7年)です。
 読んでみると大正時代の温泉場の様子がよくわかりますし、自分が行ったことがある温泉を当時と読み比べてみるなど、なかなか面白い本です。興味がある方は各自読んでいただくことにして、ぽん太が気になった箇所をいくつかみちくさしてみましょう。

 まず「8 箱根から伊豆海岸へ」の章。「熱海は日本でも二つしかない間歇泉の一である」。えっ! 熱海が間欠泉? 聞いてないよ〜。ちなみに間欠泉とは、一定周期で吹き上げる温泉のことで、アメリカのイエローストーンの間欠泉が有名です。「熱海 間欠泉」でググってみると、大湯間欠泉跡というのがあり、熱海の代表的な源泉のひとつで、かつては徳川家康も訪れたそうですが、関東大震災の頃から噴出が不規則になり、現在は人工的に温泉を吹き出させているそうです。近くにある日航亭大湯に入ったことがあるのに、不覚にも知らなかった。温泉好きでありながら熱海の歴史も知らなかったとは、まだまだ修行が足りません。
 さて、花袋は日本に間欠泉が二つしかないと書いておりますが、脚注で「もう一つの間歇泉は陸前鬼首の吹上温泉」と言っております。しかしwikipediaの間欠泉の項目を見てみると、実際は日本にも多くの間欠泉があるようです。上諏訪の間欠泉などは目立つのに花袋は知らなかったのだろうか、と疑問に思ってぐぐってみると、こちらの長野日報の記事にあるように、上諏訪の間欠泉が掘削されたのは1983年のことだそうです。ほかの間欠泉も、当時は知られていなかったり、最近掘削されたのかもしれませんが、いちいち調べる気力はありません。

 次に「21 榛名へ」の章。「……相馬ケ嶽の東南麓にガラメキという小さな温泉がある。旅館は一軒か二軒しかないけれども、また世離れたところがあって行って見て面白い」とある。ガラメキ温泉? 聞いたことないよ〜! 試しにググってみると入浴体験記がいっぱい出てきます。知る人ぞ知る温泉のようで、Yahoo!地図にも載っています。近くの相馬ヶ原には旧陸軍の演習場がありましたが、大戦後それを米軍が接収したため、ガラメキ温泉は立ち退きを命じられたそうです。

 ぽん太が以前の記事(【秘湯】八ヶ岳の本沢温泉は2時間歩かないと行けません(★★★★)2007/07/03)で書いた本沢温泉が、「32 上田附近」に出てました。「南佐久の軌道の通っているところを、岩村田から臼田を経て、千曲川の谷に添って遡ると、松原湖などという世離れた湖水があって、八ヶ嶽の裏面に、本沢温泉というのがある。これは軌道の終点から五、六里山に入って行かなければならないが、八ヶ嶽登山者の常に行って泊まるところで、四、五月頃から湯を開いて、十一月にはそれを閉じるというような深山窮谷の中に位置していた」。歴史ある温泉なんですね。

 下部温泉や身延に行くには、今なら甲府から国道52号線を南に車で下って行きますが、「44 下部の湯」によれば、花袋は鰍沢から富士川を舟で下ったそうです。当時は川を舟で下るという交通手段がまだ残っていたんですね。

 「60 越後の諸温泉」に、先日ぽん太とにゃん子が行って来た松之山温泉が出てました。「しかし、越後の人にきくと、松の山温泉を説く人が多い。そこは土地としても深い山の中であり、交通も不便であるけれども、効能が多いので、浴客が年々数万に達するという話しであった」。以前の記事で書いたように(【松之山】大棟山美術博物館(坂口安吾記念館)、マリア観音、天水山のブナ林2007/08/06)松之山温泉は、坂口安吾によれば寂れた温泉のようでしたが、田山花袋によるとなかなかにぎわっているようで、何だか矛盾しています。そこで松之山温泉の歴史をググってみると、南北朝の頃にすでに湯治場としてにぎわっており、江戸時代中期には、有馬温泉、草津温泉とともに「日本三大薬湯」と称されて繁盛していたとのこと。あれ、ぽん太は松之山温泉は明治時代の石油の掘削で見つかったと聞きましたが? 以前からあった源泉と、石油掘削でみつかった源泉が両方あるのかな? これより先は松之山の郷土史料にでもあたらないと調べられないので、みちくさの範囲は超えてしまうようです。
 またこの章では湯沢温泉についても書かれています。三国峠越えの宿として昔はにぎわったけれど、汽車が通ったために泊まる人もなくなっているだろう、と書かれていますが、現在はスキーでまたにぎわっているわけで、時代の波を感じさせられます。

2007/08/06

【松之山】大棟山美術博物館(坂口安吾記念館)、マリア観音、天水山のブナ林

 兎口温泉植木屋旅館に泊まったぽん太とにゃん子は、松之山のプチ観光をいたしました。こちらが松之山観光協会の公式ホームページです。松之山という地名は知らなくても、「婿投げ」の行事をテレビで見たことはありませんか? 松之山から嫁をもらったお婿さんを、はらいせに(?)崖から雪のなかに投げ落とす行事です。こちらの松之山商工会のページからは動画も見ることができます。

大棟山美術博物館(坂口安吾記念館) さて、まず訪ねたのが大棟山美術博物館。こちらが大棟山美術博物館の公式ホームページです。松之山の豪農にして造り酒屋であった村山家を改装した建物で、博物館としては、明治時代以降に買い集めた美術品が展示してあります。
 しかしそれよりも村山家は、坂口安吾の叔母と姉が嫁いだことで有名です。安吾もたびたび同家を訪れたそうで、坂口安吾ゆかりの品々が展示されており、同時に坂口安吾記念館でもあるのです。
 ホームページによれば、『黒谷村』『逃げたい心』『不連続殺人事件』などの作品は松之山を舞台としているのだそうで、せっかくの縁なので、東京に戻ってから読んでみました。ちなみに講談社文芸文庫の『木枯の酒倉から・風博士』を買うと、『黒谷村』と『逃げたい心』が両方入っていてお得です。『不連続殺人事件』はあちこちの出版社で出てますネ。
 『黒谷村』には「松之山」という地名はでてきませんが、「黒谷村」そのものが松之山をモデルにしているのでしょうか? それにしては黒谷村には温泉がないようですが。そうだとすると「それは二人が打ち連れて間道を抜けながら隣字の温泉ーーといっても一軒の宿屋が一つの浴槽を抱えているにすぎなかったのであるがーーへ浸りに行く途中のこと……」(前掲書、47ページ)と書かれている温泉は、兎口温泉なのでしょうか。
 『逃げたい心』では、長野にいた主人公一行がひなびた温泉で休養したいということになり、「松の山」温泉に向かいます。「温泉といっても特別何病にきくという建前があるのでもなく、病人はめったに来ない温泉で、小金を握った近在の農夫達が積年の垢を落としにくるというのんびりした湯治場だった」と、昭和初期の松之山温泉の様子が描写されています。ちなみにこの短編が発表されたのは昭和10年です。さらにぽん太が泊まった植木屋旅館と思われる宿も出てきて、「松の山温泉から一里はなれた山中に兎口(おさいぐち)という部落があり、そこでは谷底の松の山温泉と反対に、見晴らしのひらけた高山に湯のわく所があった。一軒の小さい湯宿があるばかりで、殆んど客はないのであった」(前掲書、349ページ)と書かれています。「兎口」は現在は「うさぎぐち」と読むようですが、昔は「おさいぐち」と読んだのでしょうか、それとも安吾の創作でしょうか。また、主人公が兎口から松の山に戻る途中の山道で、頭の上から大きな石が落ちてくるのですが、現在その場所とおぼしきところに案内板が立てられています。
 『不連続殺人事件』は以前に読んだことがあるのですが、ぽん太の狸脳のおかげで、犯人も含め内容をすっかり忘れており、もう一度楽しむことができました。ありがとう!狸脳。ここにも松之山という地名はでてきませんが、殺人が行われる歌川一馬の邸宅がある村のモデルが、松之山なのかもしれません。村の近くには鉱泉が出る部落があり、鉱泉宿が一軒あるとされています。これが兎口温泉かもしれません。この小説の舞台設定は戦後間もなくの昭和22年で、小説が連載されたのも同じ年です。主人公は鉱泉宿に売れ残りのカルモチンを探しに行きます。ちなみにカルモチンは睡眠薬で、太宰治や金子みすゞが自殺目的で使ったことでも有名です。成分はブロムワレリル尿素で、現在でもブロバリンという名前で睡眠剤・鎮静剤として用いられています。またなぜかブロムワレリル尿素は処方せん医薬品ではないため、医師の処方せんなしで買えることになっており、痛み止めの市販薬ナロンエースやサリドンエースに含まれています。
 ところで昨年は坂口安吾の生誕100年だったそうですが、ぽん太はちっとも知りませんでした。

松之山の松陰寺マリア観音 さて、次はマリア観音です。松陰寺というお寺の一角にあり、無料でガラス越しに拝観することができます。高さ30センチ程度の小さな像です。マリア観音は子供を抱いており、冠に十字架があしらわれています。子供の像と冠は取り外せるようにできているそうです。隣りにはマリア地蔵もあります。

天水山付近のブナ林 大厳寺高原の奥、天水山近くのブナ林です。松之山には美人林(びじんばやし)と呼ばれるブナ林もありますが、炭焼きのために伐採された跡地に生えたものだそうで樹齢が若く、登山でブナの大木をあちこちで見ているぽん太とにゃん子にはちともの足りません。そこで、長野県との県境付近にある天水山のブナ林を見に行きました。美しいブナ林でしたが、こちらも大木は見当たらず、過去に伐採されているのかもしれません。
 帰りに大伴家持で有名な鏡が池(かがみがいけ)も見て行こうと思ったのですが、林道が一部通行止めになっていたため、寄らずに帰途につきました。

2007/08/04

【温泉】兎口露天風呂・翠の湯は独特の油臭(★★★★)

兎口露天風呂・翠の湯 兎口温泉植木屋旅館の裏手にある町営の露天風呂です。料金は400円ですが、植木屋に宿泊すると無料で入ることができます。
 極めてシンプルでこじんまりしており、男湯は立ち上がると道路から見えます。泉温が72.1度だそうで、朝入りに行ったら熱くてとても入れません。水道の水でうめようとしたのですが、ちょろちょろしか水が出ずらちがあきません。結局、気合いを入れてエィっと一瞬入っただけで出てきました。
兎口露天風呂・翠の湯 しかし、この温泉力はなかなかです。すごい油臭がして、なめると塩っぱくて苦いです。お湯の色は、ぽん太の行ったときは無色透明でしたが、ネットで見ると、茶色く濁っていることもあるようです。
 植木屋旅館の話しでは、松之山温泉の源泉は、そもそも明治時代に石油を掘ろうとしてボーリングしたところ、石油が出ずに温泉が出たのだそうで、油臭はそれと関係があるのかもしれません(2007年7月入浴)。

2007/08/02

「精神障害者の移送に関する事務処理基準について」をアップしました

 先日ぽん太は、ここ一年ほど薬も飲まずに家に閉じこもっていた患者さんを、ご家族と相談したうえ、民間の警備会社を利用して強制的に病院に連れて行き、入院させました。民間警備会社の相場も、以前は数十万円かかりましたが、今回は十万円以下でとってもお得でした。しかもその会社は、警備員が全員フランス外人部隊出身ということなので、どんなに暴れる患者さんでも安心です……というのは、ぽん太のせいいっぱいの皮肉です。

 病気で入院が必要な患者さんを、民間の企業を使って力づくで病院に連れて行くというのは、きわめて異常な事態です。人権上の問題もありますし、ご家族にも大きな経済的負担となります。しかし、もちろん救急車は運んでくれず、警察もその場で犯罪行為をしていないと保護してくれないという現状では、いたしかたありません。
 こうした問題を解決するため、もう8年も前になる平成11年の精神保健福祉法の改正で、「第34条、医療保護入院等のための移送」という条文が新設されたのでした。これは、医療保護入院が必要でありながら、入院の必要性が理解できず入院を拒否する患者さんを、行政の責任で指定医が診察して病院に連れて行くという制度です。そんなにすばらしい制度があるのなら、それを使えばいいじゃないかということになりますが、実際その制度は東京都では運用されていないということを、ぽん太は以前の記事で書きました(東京都はちゃんと34条の移送を実施しなさい!2005/02/0東京都の精神障害者の移送(34条)サボタージュに再びもの申す!2005/07/02)。
 ちなみにその後のデータを見てみましょう。厚生労働省統計データベースから「厚生労働省統計データベースシステム」に入り、さらに「統計調査一覧」にすすみ、「衛生行政報告例(旧厚生省報告例(衛生関係))」を選択します。右側のフレームから平成16年度を選び、「第3表 医療保護入院・応急入院及び移送による入院届出状況、都道府県ー指定都市(再掲)別」を開きます。この表の右から3番目と2番目にある、「移送による入院」の「保護者の同意による入院届出数」と「扶養義務者の同意による入院届出数」が、おそらく医療保護入院のための移送になるのだと思うのですが、ご覧のとおり東京都は1人、全国は159人です。同じように平成17年度をみると、東京は2人、全国は111人です。
  法律で8年前に決められたことを行政がいまだに十分に運用しないということが、何で許されており、何で批判が高まらないのか不思議です。そこでぽん太は、この問題を少しでも皆に知ってもらうようための助けとして、「精神障害者の移送に関する事務処理基準について」という通知をアップすることにしました。デジカメで撮ってPDFファイル化したので、重いうえに読みにくくてすみません。誰かもっと上手にアップして下さい。

・「精神障害者の移送に関する事務処理基準について」(PDF)
 (平成十二年三月三十一日 障発第二四三号 各都道府県・各政令指定都市市長宛 厚生省大臣官房障害保健福祉部長通知)
 注 平成一三年八月六日障発第三三五号による改正現在

 この通知が平成13年以降に改正されているのかどうか、ぽん太は知りません。
 さて、ファイルの7ページ目からが医療保護入院の移送になるのですが、「2 移送に係る相談の受付」では、「都道府県知事は、移送に係る相談を受け付ける体制を整備しなければならないものとする。また、移送制度及び相談の受付窓口について周知に務めるとともに、受付窓口は利用者が利用しやすい体制となるよう配慮するものとする。」と書かれています。さて、東京都は受付窓口の周知に務め、利用者が利用しやすい体制となるように配慮しているでしょうか?
 調べてみると東京都は保健所が窓口になっているそうで、以前に家族に「34条の移送を申し込みたい」と相談に行ってもらったところ、「保健所は警察沙汰のようなケースしか動かない」とか「この制度を使うと遠い病院に入院になってしまうので、使わない方がいい」とか言われて、移送の申し込みをしないように誘導されたようです。結局そのケースも、民間の警備会社を使っての入院になりました。
 だいぶ前に東京都に苦情のメールを出したところ、「この制度は人権に係るので慎重に運用している……」といった返事がきたのですが、民間人がお金をとって力づくで患者さんを病院に連れて行くことの方が、よっぽど人権無視だと思います。東京都は責任を取りたくないだけではないでしょうか?
 ぜひ、この通知を多くの人が読んでいただき、このように明文化されていることを東京都が実施していないことを理解し、批判していただきたいと思います。

 で、ググっていたら、東京精神保健福祉士協会のホームページのなかに「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律 第34条に関わる相談業務の手引き —案—」という文書がアップされているのを発見しました。東京都衛生局精神保健福祉課が作成したものだそうですが、いつ頃のものでしょう?たいへん立派な文書です。ぜひこれに従って制度を運用していただきたいと思います。

【関連するブログ内の記事】
東京都の精神障害者の移送(34条)サボタージュに再びもの申す!(2005/07/02)
ぽん太のみちくさ精神科: 東京都はちゃんと34条の移送を実施しなさい!(2005/02/05)

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