シェイクスピアの時代の狂気と魔術と医学
以前にぽん太は、シェイクスピアの『十二夜』で狂気と悪魔憑きが扱われていることを述べました。だまされて馬鹿げた身なりと振る舞いをしたマルヴォーリオは狂ったと勘違いされて部屋に閉じ込められてしまいますが、そこに道化が牧師の振りをしてやってきて、悪魔を尋問したりします。こうしたやり取りが喜劇として笑い飛ばされています。
シェイクスピアの活躍した時代、狂気と医学と悪魔との関係はどうなっていたんじゃろうか?という疑問から、酒井明夫の『魔術と狂気 (精神科医からのメッセージ)』(勉誠出版、2005年)と森島恒雄『魔女狩り 』(岩波新書、1970年)を買って読んでみました。
酒井の本は、予言者にして医師でもあった古代ギリシアのメランプスの伝説、人が動物に変身する病気とりわけ王神に変身するリュカントロピア、ルネッサンス期を代表する魔術師アグリッパ、ヒポクラテスの神聖病、という4つのトピックスを扱っています。興味深いのは2番目のトピックスで、人間が狼に変身するというリュカントロピアは、夜になると青白い顔にうつろなまなざしで狼のような仕草をしながら墓場をうろつくというおぞましいものなのですが、4世紀頃からすでにメランコリーの一種の病気であるという記載があり、以後一貫して疾病として扱われ、近代精神医学の19世紀になっても疾病分類の一部に記載されていたそうです。とはいえ、一方ではリュカントロピアを悪魔に結びつけようとした人たちがいたのも事実で、こうしたリュカントロピア=悪魔論に対する例のレジナルド・スコットの反論が要約されています。
しかし残念ながらこの本を読んでも、中世からルネッサンスにかけての人々が多くの精神障害者を魔女として処刑したなかで、なぜリュカントロピアだけを病気として扱ったのかはよくわかりませんでした。ぽん太が知りたいのはそこなのです。当時の人々の頭の中で、狂気と悪魔がどのように区分されていたかなのです。
森島恒雄の『魔女狩り』は、魔女狩りの始まりから最盛期までの概説です。魔女狩りが終息していく過程は書かれていません。魔女狩りは異端審問から発生したそうです。異端審問とは、誤った信仰を持つ異端者を発見し改宗させることを任務とし、1233年のグレゴリウス9世の教書が、組織的な異端審問のはじまりとされています。この異端審問に徐々に魔女が現れるようになってきたのですが、1318年にヨハネス22世が魔女狩り解禁令とも言える教書を発表したのをきかっけに、魔女狩りは激化します。そこで起きたことはよく知られていますが、多くの無実の人々が、そのなかには精神障害者も混ざっていたと思われますが、拷問のすえに処刑されたのです。
ここで腑に落ちないのは、シェイクスピアの時代はまさに魔女裁判の最盛期だったということです。ちなみにシェイクスピアは1564年に生まれ、1616年に死去。『十二夜』は1601-02年頃の執筆とされています。1603年にイングランド王となったジェームズ1世は、自ら魔女の尋問を行ったこともあるという「魔女狩り王」でした。時代は少し下ってイングランドのマシュー・ホプキンスは、さまざまな拷問によって自白を引き出すエキスパートとして有名で、「魔女狩り将軍」とあだ名されていたそうです。このような時代になぜシェイクスピアは、だまされて狂人と見なされた人に「黙れ悪魔憑き」などと言う「喜劇」を書けたのでしょうか? ブラッックジョークにしても恐ろしすぎるような気がします。
ちなみに当時の医師たちは、魔女の身体的な証拠を探したり、拷問に立ち会って監視するなど、魔女狩りの手助けをしていたそうです。
結局、魔女・魔術については少し詳しくなりましたが、シェークスピアの生きた時代の狂気と魔術と医学の関係については、あいかわらずわからないままです。
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