【雑学】太宰治、パビナール中毒、精神病院
(本日の記事は、ネットの情報をもとに書いたため、事実と異なる可能性もあります。参照したサイトは本文中でリンクを張っています。)
ここのところ太宰治を巡ってみちくさしていたぽん太ですが、太宰治が精神病院に入院したことがあると聞いて興味がわいてきたので、その経過を調べてみました。
太宰治は、1935年(昭和10年)4月4日(25歳)に盲腸炎から腹膜炎を起こして阿佐ヶ谷の篠原病院に入院しました(『川端康成へ』)。ここで使われた鎮痛剤パビナールに対して、太宰は依存症となったようです。
パビナールはアヘンアルカロイドを成分とする鎮痛剤です。2018年12月に販売中止となりましたが、こちらで添付文書情報を見ることができ、薬物依存の危険性が繰り返し記載されています。最近はさすがにパビナール依存はあまり聞きませんが、鎮痛剤ペンタゾシン依存は少なくなく、夜中の救急を訪れては注射を要求する人が後を絶ちません。
アヘンや、アヘンに含まれるモルヒネやコデインなどのアヘンアルカロイド、モルヒネから製造させるヘロインの依存症の症状、治療などに関しては、たとえばこちらの麻薬・覚せい剤乱用防止センターのサイトをご覧下さい。
太宰が篠原病院に入院していたのと同時期に、太宰と同郷で、義弟でもあった画学生小館善四郎が、自殺未遂が原因で篠原病院に入院していました。ところが小館は、太宰の見舞いに来た太宰の妻・小山初代に目を付け、姦通事件を起こしました。二人の関係は1937年3月に太宰の知るところとなり、群馬県の水上温泉における太宰と初代との心中未遂事件につながりました。
篠原病院は、こちらの東京紅團のページによれば、篠原外科整形外科として近年まで診療をしていたようですが、現在は閉院して篠原ビルとなっているようです。
5月1日に太宰は、世田谷の経堂病院に転院しました。この病院は児玉経堂病院として現在も診療を続けているようです。東京紅團のページには、当時のままという趣きある建物の写真も出ています。
6月30日(7月1日?)に退院した太宰は、転地療養のため千葉県船橋市に転居しますが、そこでもさらに依存は強まったようです。
1936年2月、太宰は佐藤春夫の手引で済生会芝病院に入院します。江戸時代の有馬屋敷の跡に造られ、現在は東京都済生会中央病院となっている済生会芝病院に関しては、ぽん太は以前の記事「【江戸】永井荷風も有馬屋敷跡を探検していた」で書いたことがあります。
しかし退院後も薬を断ち切ることはできず、10月13日に東京武蔵野病院に入院となります。こんどは精神病院(当時は脳病院といったか?)で、最初の2日は開放病棟でしたが、その後は閉鎖病棟に移されたようです。近藤富枝の『水上心中』にそのときの様子が書かれています。退院は11月12日。約1ヶ月の入院ですから、離脱のみの治療だったと思われます。当時の「依存」に対する治療はどのようなものだったのでしょうか? ちょっと興味がありますが、またの機会に。
入院体験をもとに、太宰は『HUMAN LOST』という小説を1937年4月に発表しています。
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