先日ぽん太は、新春浅草歌舞伎で『祇園祭礼信仰記』の「金閣寺」を観て来ました。雪姫が桜の花びらを集めてつま先で鼠を描く「爪先鼠の段」が有名で、雪姫は歌舞伎の「三姫」のひとつに数えられています。それに対して前半の「碁立の段」(ごたてのだん)は、大膳と東吉がじっと座って碁を打ちながら言葉のやりとりをする場面が続き、退屈なことで有名です。「碁立」の言葉のやりとりには、囲碁の用語が織り込んであるようですが、ぽん太は囲碁も歌舞伎も初心者なので十分に理解できませんでした。この部分のセリフが理解できれば「碁立の段」も少しは面白くなるのではないかと考え、調べてみることにしました。
しかしググってみても、なかなかいいサイトが見つかりません。仕方なく力不足ながらぽん太が、タヌキにわかる範囲でまとめてみることにします。ホントは、碁と歌舞伎にもっと詳しい人が解説してくれればいいのですが……。
ぽん太が使用したテキストは、『名作歌舞伎全集 第4巻 丸本時代物集 3 (4)』(東京創元新社、1970年)ですが、HTML化されたテキストが、こちらの「ようこそ文楽へー鶴澤八介メモリアル「文楽」ホームページ」や、こちらの「海南人文研究室」のページの下の方にあります。
「金閣寺」のあらすじは、たとえばこちらの棋聖堂のページをご覧下さい。
まず、この歌舞伎の舞台となっている16世紀末は、武士の間で囲碁がたいへん盛んになった時代だったことを押さえておきましょう。それは、こちらの日本棋院のサイトにも書いてあります。小田春永のモデルの織田信長や、此下東吉(このしたとうきち)のモデルの豊臣秀吉も(そして徳川家康も)碁が大好きでした。ですから「金閣寺」で碁を取り上げていること自体が、史実に基づいており、興味深いことなのです。
さて、冒頭から松永大膳は、弟の鬼藤太と碁を打っていますが、二番続けて大膳が勝ったようです。
大膳 「コリャ、鬼藤太、此度も又その方が負けたよな。白は源氏、源義輝を、四つ目殺しにした松永、中々われには続くまい」
鬼藤 イヤモ、この鬼藤太も碁はずいぶん鍛錬なれども、四海に威をふる兄者人には中々叶わぬ。コリャ石を替わらずばなるまい。
松永大膳は、足利義輝を既に殺しております。足利といえば清和源氏の流れを汲み、本姓は源です。源氏の旗印が白であるのは有名ですね(ちなみに平氏は赤)。「四つ目殺し」は、碁で相手の石を取る最も基本的な方法です。ですから大膳のセリフは、「白を旗印にした源氏の流れを汲む足利義輝を、まるで囲碁の四つ目殺しのように、いとも簡単に打ち取った自分であるから、白石を持ったお前(鬼藤太)になんか負けないよ」という意味になります。
対する鬼藤太のセリフの「石を替わらずばなるまい」は、「ハンディを変える」という意味だと思います。囲碁のハンディ戦は置き碁と呼ばれ、あらかじめ盤上に石を置いたり、コミをなくすことによって、実力差を調整します。現在は「石を替える」という言い方はしませんが、おそらく「置き石を変える」という意味だと思います。
さて、此下東吉がやってきます。悪役の大膳ですが、碁には目がないと見えて、今度は東吉と碁を打ち始めます。
義太夫(アヽどうがなと差しうつむき、千々に心を砕くは碁立て、大膳は先手の石打つや、現の宇津の山蔦の細道此下が、一間飛びに入り込んだも、松永を討って取る、岡目八目軍平が、助言と知らぬ大膳が、詞もあると打ちうなづき)
「大膳は先手の石打つや」となっておりますが、ハテ、今回の舞台では大膳が白石を持っていたぞ。おかしい。囲碁では先手は黒石と決まっています。舞台で大膳と東吉のどちらが先手を打ったかまでかはぽん太は覚えていません。次回に舞台を観る時は注意して見てみようっと。さて、この「大膳は先手の石打つや」というのは、東吉と打ち始めた碁の勝負だけではなく、足利義輝を亡き者にして雪姫と慶寿院をとりこにしたという現実の勝負も意味しています。一間飛びというのも碁の用語で、自分の石から一つ開けて次の石を打つことです。むしろ連結を重視した着実な手で、寝返ったと見せかけて大膳の屋敷に入り込んだ東吉の大胆な行動にはあてはまりませんが、敵の屋敷に「飛び」込むとか、「一足飛び」とかにひっかけてあるのでしょう。岡目八目とは、「第三者の方が当事者よりも情勢を客観的によく判断できる」という意味で日常用語でも使われますが、もともとは碁を打っている人よりも、横で見ている人の方が八手先まで読めるという意味です。ちなみにぽん太は今日まで、「横で見ている人の方が八目分くらい強い」という意味かと思っていました。大膳の家来の軍平は実は佐藤正清という名前で(モデルは加藤清正)、実は東吉の味方であり、東吉より一足早く大膳の屋敷に入り込んで手引きをしていたのです。ですからここでは、「大膳と東吉の争いにおいて、実は第三者の立場の軍平が東吉に助言をしていたのを大膳は知らなかった」ということを、「囲碁を横で見ている有利な立場の人が、一方の対局者に助言をしている」というのに掛けているわけです。
雪姫 厭と言うたら夫の命。
大膳 イヤ、危ない事の、大膳が石が既の事。
東吉 アいやアいや、死ぬはこの白石。
大膳 どうやら遁れ鰈の魚。
東吉 白き方には目がなうて。
雪姫の「厭」が、大膳の「イヤ」に掛かっています。雪姫は夫の命の生き死にを案じていますが、大膳と東吉が考えているのは、石の生き死に(取られないか取られるか)です。大膳の「危ないところをのがれた」の「がれ」が魚の「かれい」に掛けてあり、東吉は、「鰈の白い方(下側)には目がない」というのと、「白石には眼(め)がない」というのを掛けています。ちなみに石が囲んだ空間を眼(め)と言い、眼が二つあると石は生きます。
ここのやり取り、東吉が白石を持っていたとしたら、大膳が「自分の石が危ない」と言うのに対して、東吉が謙遜して「いやいや自分の石の方が危ないですよ」と言っていることになり、東吉が黒石を持っているとしたら、大膳が「何とか逃れた」と言うのに対して東吉が「逃れてませんよ、死んでますよ」と追求していることになり、意味が全然違ってしまいます。ですから上にも書いた「どっちが先手(黒)でどっちが後手(白)か」はとても大切な問題になります。ぽん太の考えでは、最初は東吉は大膳にへりくだって雇ってもらおうとしているわけですから、大膳が先手(黒)であるのが正しいと思います。ということは、今回の新春浅草歌舞伎は黒と白が逆!?
大膳 雪姫が顔の白石、返事とはアア嬉しい、抱かれて寝ばまの返事ぢゃな。
雪姫 アイナ。
大膳 アイとはうまい、昨今の東吉が見る前、恋は曲者、赦せ赦せ。
東吉 ハッ、これはこれは痛み入ったる御挨拶、主となり家来となれど、碁の勝負には遠慮は致さぬ。のう軍平殿。
大膳は、雪姫の白い顔を白石に例えたようです。「寝ばま」という日本語は聞いたことがないので、たぶん囲碁の用語に掛けてある気がしますが、ぽん太にはわかりません。アゲハマという用語はありますが。
「アイ」というのも、なんか掛けてある感じですが、よくわかりません。先ほどの石の責め合いが「アイコ」(いい勝負)という意味でしょうか?あるいは見合いのことかもしれません。「見合い」とは、有力な手がふたつあり、相手がどっちを打っても自分が残りの手を打つことができる状態です。
大膳が雪姫に「赦せ赦せ」と言ったのを、東吉は自分に対してと理解して、「碁の勝負では手加減しませんよ」と答えています。
軍平 いかにもさよう、女房に翅鳥とはずんでござる大膳様。
大膳 オオサオオサ、晩には一目、劫おさえて。
東吉 この東吉が中手を入れて。
大膳 面白い春永でも直信でも、斬ってしまえば駄目も残らぬ。
軍平 いかにも左様。
大膳 軍平、切れ切れ、切ってしまえ。
軍平 ハッ
う〜ん、このあたりも難しい。シチョウは囲碁の用語で、普通は四丁とか征とか書きますが、翅鳥という字をあてることもあるようです。「翅鳥」の羽と鳥に、大膳が「はずんでいるを掛けているのかもしれません。「晩には一目(いちもく)」は、「一目(ひとめ)会いたい」というのと掛けているのでしょうか。「刧(コウ)、中手(ナカデ)はともに囲碁用語ですが、どういうシャレになっているかはよくわかりません。
切る、駄目(ダメ)も囲碁用語。日常用語の「ダメ」は囲碁用語に由来すると言われています。碁の勝負に熱中した大膳が、「(石を)切ってしまえ」と言ったのを、軍平は、「(雪姫の夫を)切れ」と言ったと勘違いします。
大膳 ハハハハハ、碁にかゝっては何を言うやら。危ないは狩野介、のう東吉、かの太平記に記した天竺波羅那国の大王、まっこの如く碁に打ち入り、過って沙門を殺した引き事、それは因果これは眼前。
天竺波羅那国の話しの元ネタはわかりませんでした。
東吉 ハハハ、すべて碁は勝たんと打つより、負けまじと打つが碁経の掟。東吉が癖として囲碁に限らず、口論あるいは戦場に向こうてもおくれを取る事大嫌い、盤上は時の興、勝つべき碁をわざと負けるは追従軽薄、負腹の投打ちなら、今一勝負遊ばされんや。ササ、何番でもお相手つかまつらん(井目すえたる東吉が、手段もさぞと知られたり/トよろしく見得)。
大膳 面白い碁のたとえ、見かけによらぬ丈夫の魂、頼もしゝ頼もしゝ。
碁は東吉の勝ちで終わります。東吉は碁に例えて、自分の戦での心構えを述べます。
次いで大膳は東吉の知恵を試そうとして、碁笥(ごけ)を井戸に放り込み、手を濡らさずに取るように命じます。碁笥とは、碁石の入れ物です。東吉は、樋を使って滝の水を井戸に導いて碁笥(普通は木製)を浮かせ、要求どおり手を濡らさずに碁笥を取り出します。
(このうちに件の碁笥を取り、碁盤を打ち返し、真中に載せ、キッと見得)
東吉 四つの足の真中に、据えたる碁笥は、春永が首実検のその時の用意に用ゆる碁盤の裏、四つの足を四星に象り、軍神の備えとし小田を亡す血祭、まッこの通り。
東吉は、碁盤をひっくり返し、取り出した碁笥をその真ん中に載せて、どうだとばかりに見得を切ります。ここは拍手喝采が来るところ。東吉は、盤上の碁笥を、打ち取った春永の首に例えます。
碁盤の裏には「へそ」と呼ばれるくぼみがあり(写真はたとえばこちら)、板が割れるのを防ぐためとか、石を打ったときの音を良くするためとか言われています。「へそ」は別名「血溜まり」とも呼ばれますが、観戦者が助言をしたら首をはねてここに据えたからだという話しがあります。上の東吉のセリフを聞くと、囲碁ファンはこのことを頭に浮かべます。
「金閣寺」で囲碁に関係するのはこんなところでしょうか?これで次に「碁立」を観るときは、少しは楽しめるのではないでしょうか。大膳と東吉とどっちが先手(黒石)を打つかも、注意して観たいと思います。
なお、今回の記事の内容は、囲碁と歌舞伎の初心者のぽん太の推察ですから、全然違っている可能性もありますので、他人には話さないのが身のためです。
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