板橋の近藤勇の墓をみちくさ
先日、たまたまJR埼京線の板橋駅に降り立ったところ、「近藤勇の墓」という表示が目に入り、少し時間もあったのでみちくさしてきました。
近藤勇(こんどういさみ:1834天保5〜1868慶応4)といえば、新撰組でおなじみ。ぽん太も大河ドラマを楽しみました。しかもぽん太の地元、東京は多摩の出身です。
で、近藤勇の最後ですが、1868年(慶応4年)の4月25日に、板橋宿の平尾一里塚で斬首されたそうです[1]。[2]によれば、平尾一里塚はだいたいこのあたり(地図へのリンク)だったらしいのですが、現在は特に案内板などはありません。
板橋宿は、中山道の、江戸に最も近い宿場です。旧中山道と板橋宿の地図に関しては、[3]の略図が見やすいです。板橋宿は、東海道の品川宿、甲州街道の内藤新宿、日光街道・奥州街道の千住宿とともに、江戸四宿(えどししゅく)と呼ばれていました。これらはすべて、江戸に最も近い宿場だったのですが、いわゆる飯盛女と呼ばれる遊女を起き、非公式の遊郭としてにぎわっていました。歌舞伎でも長谷川伸の『暗闇の丑松』では、人を殺めて江戸から逃げた丑松が、板橋宿の杉屋で女郎を買いますが、座敷に現れたのは妻のお米だったというシーンがあります。もっとも長谷川伸がこの戯曲を発表したのは1931年(昭和6年)ですから、どれだけ当時の江戸の状況を踏まえているかという問題はあります。この芝居は講談の『天保六歌撰』をふまえており、また長谷川伸より以前に河竹黙阿弥が『天衣粉上野初花』という歌舞伎を書いていますが、そこまで散歩の足を延ばす気にはなれません。
で、前置きが長くなりましたが、こちらが近藤勇の墓です。場所はJR埼京線の板橋駅の東口を出て正面にあります。ちょっと見にくいですが、土方歳三の名前も併記されています。
傍らには永倉新八の墓もあります。大河ドラマではぐっさんがやってた役ですね。
東京都北区教育委員会が建てた案内板には(板橋区ではないのか……)、次のように書かれています。
慶応4年(1868)4月25日、新選組局長であった近藤勇は、中山道板橋宿手前の平尾一里塚付近に設けられた刑場で官軍により斬首処刑されました。その後、首級は京都に送られ胴体は刑場より少し離れたこの場所に埋葬されました。 本供養塔は没後の明治9年(1876)5月に隊士の一人であり近藤に私淑していた永倉(本名長倉)新八が発起人となり旧幕府御典医であった松本順の協力を得て造立されました。(以下略) |
しかしググってみると、近藤勇の墓というのは各地にあるようです。まず、三鷹市の龍源寺[4]で、いくつかのサイトの情報を総合すると、板橋で斬首された近藤勇の胴体を、親戚が持ち帰って埋葬したのだそうです。板橋にいったん埋められた胴体を、掘り出して引き取ったと考えれば、一応矛盾はしません。
次は愛知県岡崎市の法蔵寺で[5]、こちらは、京都でさらし首になっていた近藤勇の首を奪って来て埋葬したと主張しているようです。
そして福島県会津若松市の天寧寺[6]の近藤勇の墓は、土方歳三が遺髪などを持っていて、会津の戦いのときに仮埋葬したものだそうです。
その他、米沢市の高国寺[7]や荒川の円通寺[8]などもあるようですが、もうめんどくさくなって来たので散歩は終了!
【参考リンク】
[1]Wikipediaの「近藤勇」の項目
[2]長野郷土史研究会のサイトの中山道史跡地図のページ。リンクをクリックすると地図を見ることができます。
[3]板橋商店街による史跡ガイド
[4]多摩武蔵野の情報サイト・タチカワオンラインのなかの龍源寺・近藤勇墓所の案内
[5]Wikipediaの「法蔵寺」の項目
[6]会津若松市のサイトのなかの天寧寺の案内
[7]米沢市立北部小学校5年の「高国寺PR」のページ
[8]「会津いん東京」のサイトの「三ノ輪円通寺」のページ
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