【精神医学史】野村章恒『森田正馬評伝』を読んで森田療法の歴史をみちくさ
先日、坂口安吾の『流浪の追憶』に1936年頃東大外来で森田療法を行っていたと書いてあるのを読み、森田療法の歴史に関心を持ったぽん太ですが、我が家の森田療法の本を読んでみても、理論や技法の解説は書かれているものの、森田療法の歴史に関しては触れられていません。そこで、野村章恒の『森田正馬評伝 』(白揚社、1974年)という本を見つけ、読んでみることにしました。
以下、ぽん太が興味深かった点だけをあげてみます。森田正馬の生涯を要約するつもりはありませんので、興味がある方は自分で書物にあたってくらはい。また、以下は一冊の本に基づいており、他の文献との比較検討は行っておりませんので、ご了承下さい。
森田正馬(もりたまさたけ)は、1874年(明治7年)高知県香美郡富家村兎田(かみぐんふけむらうさえだ)で生まれたそうです。現在ではこのあたりでしょうか?生家は現存しているようで、こちらのサイトに写真があります。「生誕の地」の石碑もあるようです。
森田は中学時代の1893年(明治26年)12月から日記をつけ始め、全部でノート36冊に及んでいるそうで、野村は日記を引用しながら森田の生涯をたどっています。
高知県立第一中学校を経て、1895年(明治28年)熊本第五高等学校に入学します。神経症の治療法を確立した森田自身が、若い頃から神経症に悩んでいたことは有名で、動悸や頭痛、腰痛に苦しめられました。第五高等学校には一年後輩に、のちに物理学者・随筆家として有名になった寺田寅彦がいました。また同校では1896年から夏目漱石が英語の教鞭をとっていたはずですが、本書では夏目漱石には言及していません。森田の日記にそもそも夏目漱石が出て来ないのか、それとも野村が取り上げなかっただけなのかはわかりません。
1898年(明治31年)、東京帝国大学医科大学に入学。当時の精神病学講座は、初代教授の榊淑(さかきはじめ、1857-1897)が若くして他界したあとで、1901年(明治34年)には、留学から帰国した呉秀三(1866-1932)が教授に就任します。呉秀三が後に有名な『精神病者私宅監置の実況及び其統計的観察』(1918年)を記して日本の精神医療の改善に大きな貢献をしたことは、以前のブログで書きました。
大学一年の時、森田は「神経衰弱兼脚気」という診断を受けたものの、やぶれかぶれになって薬もやめて勉学に打ち込んだら症状も消失し、成績もよかったそうで、この体験がのちの「恐怖突入」の基礎となった、という話しは詳しく述べません。
日記によると、1901年(明治34年)12月14日に、前日に喉頭癌で死去した中江兆民の解剖に立ち会ったと書かれています。ちなみに中江兆民も土佐藩出身でした。
1902年(明治35年)の元旦には山内侯爵家(つまり土佐藩主の子孫)を訪ね、また同年2月9日には大町桂月(1869〜1925)宅の宴会に呼ばれたそうで、当時の交友関係の一端がわかります。ちなみにぽん太が以前に泊まったことがある青森県の蔦温泉旅館は、大町桂月の終焉の地で、旅館のほど近くにお墓がありました。
1903年(明治36年)、大学を卒業した森田は精神病学教室に入局します。野村章恒によれば、当時、東京帝国大学医科大学の卒業生で精神科医を志望するものは、よほどの奇人か変人と思われていて、毎年の希望者はゼロか一人。森田が入局した年も彼一人だったそうです。精神病学教室も大学キャンパス内にはなく、巣鴨村の東京府立巣鴨病院にあったそうです。
当時の日記には、呉秀三や三宅紘一などに加えて、根岸病院院長の松村清吾や青山脳病院院長の斎藤紀一の名前も出てきます。ご存知かもしれませんが、根岸病院は1879年(明治12年)に根岸に開院した病院で、戦火により国立(くにたち)に移転、現在は清吾の孫にあたる松村英幸先生が院長となっておられます。こちらが根岸病院の公式サイト、こちらに根岸病院の歴史が書かれています。ふ〜む、昔は根岸にあったから「根岸病院」という名前なのか。知らなかった!また斎藤紀一は斎藤茂吉を養子とし、その茂吉の子供が斎藤茂太・北杜夫ですね。青山脳病院は1903年(明治36年)に開設。紆余曲折ののち、現在は府中市の斎藤病院となり、茂太さんの息子で航空ファンで有名な斎藤章二先生が院長をされています。こちらが斎藤病院の公式サイト、そしてこちらに斎藤病院の沿革があります。
さて、話しを戻して1903年(明治36年)、7月には大学の心理学実験室で催眠実験を見たり、8月には土佐の「犬神憑きの調査」をたりしています。9月17日には呉秀三から慈恵医院学校の講義を受け持つように言われ、10月6日から開始しました。また12月には、弟の徳弥が慈恵医学校3年級に編入しました。森田正馬と慈恵医大との関係はこの頃から生じたようです。しかし徳弥は1905年(明治38年)に日露戦争で戦死します。
1906年(明治39年)2月1日、森田は終生の住処となった家に移ります。当時の住所は本郷区蓬莱町65番地だそうです。現在だと文京区向丘のあたりだと思うのですが、ググってもよくわかりません。自宅が博物館などになって保存されていないのでしょうか?またこの年の12月1日から、根岸病院に勤務することになります。
1912年(明治45年)春、自宅での診療を開始。この後、次第に森田療法を確立していったようで、1915年(大正4年)8月8日の日記には、「精神性心臓症を唯一回の診察で根治す。適切に本症を治せる第一例なり」と書いています。
1917年(大正6年)森田は中村古峡に出会い、雑誌『変態心理』に関わるようになります。中村古峡については、みちくさするときりがないので、またそのうちに。
1919年(大正8年)は一般に森田療法が確立した年とされており、4月12日の日記には、「この月、巣鴨病院の永松看護婦長の久しく神経衰弱に悩めるを、私の家に静養せしめて軽快す。これまで私は神経質患者を近隣に寄宿せしめて治療せるが、このことありてより自宅で神経質者を治療する便を知り、次第に入院をゆるし、この年十八人の入院患者ありたり」と書かれており、自宅での入院治療を開始したことがわかります。
1920年(大正9年)、重病(反復性大腸炎??)にかかり、一時死線をさまよいます。回復後、最初の著作『神経質及神経衰弱の療法』の執筆を開始し、翌年6月、中村古峡主宰の日本精神医学会から出版します。患者にも医者にも読まれることを期待して書かれたもので、好評を博したそうです。
1921年(大正10年)11月10日の日記には、東大教授三宅鉱一と助教授杉田直樹を自宅に招き、森田療法で治癒した患者と歓談したそうで、そのなかには三宅や杉田が治療できなかった患者も含まれていたそうです。森田療法の見学に来る医師もいたようです。
1923年(大正12年)には『神経質の本態及療法』を学位論文として提出し、翌年医学博士号を得ました。
1925年(大正14年)、大学に昇格した東京慈恵会医科大学の教授となりました。
森田自身は、大正8年から12年までに、124人の患者を治療したそうです。
森田療法を関西へひろめた重要な人物として、宇佐玄雄がいます。彼はもともと禅師でしたが、一念発起して東京慈恵医院医学専門学校に1915年(大正4年)に入学し、1919年(大正8年)からは森田正馬に森田療法の手ほどきを受けました。そして1922年(大正11年)に京都に三聖医院、1927年(昭和2年)に三聖病院を開き、森田療法の普及に貢献しました。
『出家とその弟子』などで有名な倉田百三が、森田療法によって自分の強迫観念が治癒した体験を発表したことが、森田療法を広める一因となったそうです。彼は1926年(大正15年)2月頃に強迫観念に取りつかれ、宇佐と森田の指導を受けました。彼はこの体験を雑誌で発表し、1932年に『神経質者の天国』として出版しました。森田自身も1936年に「倉田百三氏の悩みたる強迫観念の心理的解説」を発表しました。
精神分析との論争については省略。
1931年(昭和6年)6月1日、森田は熱海の旅館伊勢屋を買い取り、のちに森田旅館と改名したそうです。へ〜、知らなかった。温泉ファンでもあるぽん太はすごく興味があります。本書には森田旅館の写真も載っています。現在でいうとどこなのでしょうか?ぐぐってみてもわかりません。
1937年(昭和12年)4月、慈恵医大教授を辞任。
1938年(昭和13年、64歳)、自宅で死去。
う〜ん、ぽん太のそもそもの関心だった、1936年頃に東大外来で森田療法をやっていたかどうかは書いてありません。慈恵医大の教え子から森田療法を受け継いだ医師が大勢育ち、また自宅兼診療所には多くの見学者が訪れたようですが、正統派アカデミズムの東京帝国大学でホントに森田療法が行われていたのでしょうか?この点は、さらに今後のみちくさの課題にしたいと思います。
でも、明治から戦前にかけての日本の精神医学の社会史が少しわかってよかったです。
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