悉達太子・檀徳山と『平家物語』付記
以前のブログでぽん太は、「悉陀太子(しっだたいし)を檀特山(だんどくせん)に送った車匿(しゃのく)童子の悲しみ」という物語のみちくさをしました。そのとき、『平家物語』の巻第十「三日平氏」にこの物語が出てくることを指摘しました。その後、『平家物語』の別の所にもこの物語が出てくることがわかりましたので、ご報告しておきましょう。
一番最後の「灌頂巻」(かんじょうのまき)の「大原御幸」です。「灌頂巻」は、長い長い平家物語の締めくくりにあたり、建礼門院の余生を描きます。建礼門院は、平清盛の次女であり、高倉天皇と結婚して安徳天皇を生みます。しかし壇ノ浦の戦いで平家は滅亡。建礼門院の母親である二位尼(時子)は安徳天皇を抱いて海に身を投げます。建礼門院もともに入水しましたが、源氏方の武将に引き上げられ、生きて捕虜となります。女性であったため罪は問われませんでしたが、尼になり京都の大原の寂光院に隠棲します。
あるとき後白河法皇はふと思い立って、お忍びで大原に建礼門院を訪ねます。寂光院は古めかしく由緒はあるものの、都の暮らしとは比べ物にならぬわびしさです。法皇が声をかけると、なかから老いた尼が出てきます。建礼門院が自ら山へ花を摘みに行っていると聞いて哀れむ法皇に対して、尼は次のように言います。
「五戒十善の御果報つきさせ給ふによ(ッ)て、今かかる御目を御覧ずるにこそさぶらへ。捨身の行に、なじかは御身を惜しませ給ふべき。因果経には、『欲知過去因、見其現在果、欲知未来果、見其現在因』ととかれたり。過去未来の因果をさとらせ給ひなば、つやつや御歎あるべからず。
悉達太子は十九に伽耶城を出て、檀徳山のふもとにて、木の葉をつらねてはだへをかくし、嶺にのぼりて薪をとり、谷にくだりて水をむすび、難行苦行の功によ(ッ)て、遂に成等正覚し給ひき」
わかりやすくタヌキ語訳(注:現代語訳に非ず)すれば、だいたい次のような意味になります。
「これまで積んだ善行の御果報もつきてしまったので、いまはこのようなひどい目にあっているのです。いまは捨身の修行なのですから、身を惜しんでいる場合ではありません。『過去現在因果経』にも、『過去の原因を知りたければ、現在の結果を見よ。未来の結果を知りたければ、現在の原因を見よ』と書かれています。過去と未来の原因と結果の摂理を理解していれば、まったく嘆く必要はありません。
悉達太子は19歳で伽耶城を出て、檀徳山のふもとで、木の葉をつづり合わせたもので肌を隠し、峰に登って薪を取り、谷に降りて水を汲むなど、難行苦行を行ったことで、ついに悟りを開きました」
ここには、前の記事でもふれた『過去現在因果経』にも言及されています。そのとき書いたように、この経典では、釈迦がこもって修行をした場所は檀徳山ではなく苦行林です。むむむ、『因果経』を引用しながら、中身を読んでいなかったのだろうか?
話しは全く変わりますが、「灌頂巻」のラストシーン、つまり『平家物語』のラストシーンは、建礼門院の死去です。建礼門院は、阿弥陀仏の手にかけてある五色の糸を持ち、念仏を唱えながら、静かに息を引き取ります。
「仏像の指にかけてある五色の糸」と聞いて、以前に訪れた山形県の月山のふもとにある注連寺を思い出しました。このお寺は、鉄門海上人の即身仏(つまりミイラ)や、森敦がこの寺で過ごした体験をもとに書いた小説『月山』などで有名です。で、このお寺には大日如来があって、その指に五色の糸がかけられていた記憶があります。
『平家物語』の解説によればこの五色の糸は、臨終のとき阿弥陀仏に浄土に導いていただくために手をつなぐものだそうですが、なんで大日如来なのかなどの詳細については、ちとぽん太にはわかりません。
【参考文献】
[1] 『平家物語〈12〉』杉本圭三郎訳注、講談社学術文庫、1991年。
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