ウィーン国立歌劇場の『コシ・ファン・トゥッテ』を観て来ました。ぽん太は、ウィーン国立歌劇場を生で観るのはおそらく約20年ぶりのこと。そのとき観た演目は『魔笛』でしたが、指揮者も歌手も覚えておりません。また、モーツァルトの『コシ・ファン・トゥッテ』を観るのは初めてです。
オペラ初心者のぽん太としては、ただただすばらしかったという感想しかありません。チケット代は高かったですが(どうせ葉っぱで作ったお金で買ったものだし)、大満足であっという間の3時間でした。
舞台美術も、回転する壁を組み合わせてスピーディーに場面展開するという斬新なアイデアを使いながらも、奇をてらわず伝統的で落ち着いた雰囲気となっており、さすがウィーン国立歌劇場という感じです。解説によると、背景のナポリの風景はフィリップ・ハッケルトの風景画を用いているとのこと。誰それ? ググってみてもよくわかりません。ドイツのWikipediaには詳しく書かれているようですが、残念ながら読めません。自動翻訳で見てみると、1937年生まれ1807年死去、ドイツ古典主義の有名な風景画家で、ゲーテとおともだちだったようです。絵のいくつかはこちらのサイトで見ることができます。
オペラ初心者のぽん太には、いろいろと疑問に思うことがありました。まずこのオペラが、19世紀を通じて、不道徳であるとか真実みがないとかいう理由で二流の作品とみなされて来たことです。貞節の誓いを破ることが不道徳なら、先日観た『こうもり』の方がよっぽど不道徳です。また姉妹は、手を変え品を変え心変わりするようにしむけられているのであり、彼女たちの方が被害者に思われます。男たちは内心大笑いしながら恋人たちをだましているわけで、「男だってそんなもの」と言うこともできそうです。第1幕のデスピーナの「男なんてどれも同じ、どれも何の価値もない」という台詞には、髪の毛の薄くなった男性の多い客席から、ため息ともうめき声ともとれる低いどよめきが起こりました。
また真実みがないというのなら、ワグナーの楽劇のストーリーだって真実みがありません。われわれの感覚からすると、ごく普通の楽しいコメディに思われます。19世紀のひとたちの感性はどのようなものだったのでしょうか? そちらの方が不思議です。真面目で崇高な「ゲイジュツ」しか受け入れなかったのでしょうか?
ぽん太は、『コシ・ファン・トゥッテ』で描かれている「哲学」もたいへん気に入りました。二組の恋人たちは、貞節を固く信じています。しかし結局婚約者の姉妹は、一晩で心変わりをし、他の男たちとの結婚を決意します。しかも二人が選んだ男性は、最初の婚約者とは入れ替わっています。普通なら修羅場となるところですが、アルフォンソは「あなたたちは賢くなった、さあ、笑いなさい」と恋人たちを抱擁させます。姉妹は「忠実と心からの愛でつぐなって、一生お慕いします」と誓い、男達は「君を信じよう、でももう試したりはしたくない」と言います。二組の恋人たちは、結局は劇の冒頭と全く同じように、貞節を守って暮らして行くことでしょう。このオペラはハ長調で始まり、そしてまたハ長調で終わります。ただ違っているのは、最初は恋人達は貞節を信じていましたが、今や彼らは貞節などありえないことを知りながらも、貞節に従って暮らしていくことです。
ジジェク風にいえば、恋人達は最初は貞節を「リアル」だと思っていたけれど、最後には貞節が「幻想」であることを理解した上で貞節に「従う」、とでもなりましょうか。たとえば私たちも、民主主義がリアルに最高のシステムだなどとは思っていませんが、民主主義に従って生活をしております。民主主義を本当に最高のシステムだと思い込んでいるひとがいたら、逆に怖いです。
「信じる」というのは理由なしに信じるのであって、それが正しいかどうかを「試す」ということは意味がありません。聖書の「神を試してはならない」という言葉が思い浮かびます。『コシ・ファン・トゥッテ』の副題は「恋人たちの学校」ですが、まさしく彼らは大きな成長をとげたようです。
終幕の全員の合唱の歌詞には、ちょっとびっくりしました。「ものごとすべてを理性でかたづけ、良い面だけを見ている者は幸せだ」といった内容でしょうか。ぽん太は、理性とは、良い面も悪い面も客観的に見ることだと思っていました。モーツァルトの時代の人々が「理性」をどのようにとらえていたのか、とても気になります。
オペラ初心者ぽん太の次の疑問は、「オーストラリア人のモーツァルトが作曲してウィーンで初演されたのに、なんでイタリア語なのか?」というものです。
これはちょっと調べたらわかりました。当時のヨーロッパの文化の中心はイタリアとフランスで、それ以外の国の宮廷でもイタリア語やフランス語が話されていました。オペラに関しても、フランスやイタリアのオペラが主に上演されていました。啓蒙君主として名をはせたヨーゼフ2世は、ウィーンにヨーロッパ一随一のイタリア・オペラ劇団を作ろうとしたのでした。その劇場に、モーツァルトや、台本を書いたダ・ポンテがかかわったわけです。ヨーゼフ2世はドイツ劇場も創設しましたが、そちらは新たな試みであり、これからフランスのコメディ・フランセーズに匹敵するような劇場に育てていこうというもくろみでした。
モーツァルト自身も、辞書なしで台本を読めるくらいイタリア語に熟達しており、イタリア語のオペラを作曲したいという強い望みをいだいていたそうです。
ところで、デスピーナ扮する磁石で治療を行う医者は、メスメルの磁気療法のパロディですね。メスメルについては、以前の記事で触れたことがありますが、彼とモーツァルトの関係も有名です。モーツァルトが若かった頃、メスメルは有力なパトロンのひとりであり、ジングシュピール『バスティアンとバスティエンヌ』(K50=46b)は、ウィーンにあるメスメルの庭園音楽堂で上演されたなどとも言われています。フランスで名をあげたメスメルですが、1784年にはフランスの科学アカデミーによって科学的根拠を否定され、翌年パリを去ります。『コシ・ファン・トゥッテ』が初演された1790年には、メスメルは一時ウィーンにいたとも言われています。
オペラ鑑賞のついでに、上野の東京都美術館でやっていた「フェルメール展」を見てきました。こちらが公式サイトのようです。フェルメール以外の絵は無視。フェルメールだけゆっくり二回見ました。おもったほど混んでなかったです。ぽん太が個人的に気に入ったのは、「小路」と「リュートを調弦する女」です。「小路」はマチエールがとても美しく、絵自体が工芸品のようです。こればかりは写真ではわかりません。「リュートを調弦する女」は、落ち着いた色調と淡い光、どことなく幻想的な雰囲気がよかったです。
ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト
『コシ・ファン・トゥッテ』
2幕のオペラ・ブッファ
台本:ロレンツォ・ダ・ポンテ
2008年10月23日、東京文化会館
指揮: リッカルド・ムーティー
演出: ロベルト・デ・シモーネ
美術: マウロ・カロージ
衣裳: オデッテ・ニコレッティ
合唱指揮: トーマス・ラング
フィオルディリージ: バルバラ・フリットリ
ドラベッラ: アンゲリカ・キルヒシュラーガー
グリエルモ: イルデブランド・ダルカンジェロ
フェッランド: ミヒャエル・シャーデ
デスピーナ: ラウラ・タトゥレスク
ドン・アルフォンソ: ナターレ・デ・カローリス
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団
ウィーン国立歌劇場舞台上オーケストラ
「フェルメール展」
2008年8月2日〜12月14日
東京都美術館
フェルメールの出展作品
「マルタとマリアの家のキリスト」「ディアナとニンフたち」「小路」「ワイングラスを持つ娘」「リュートを調弦する女」「ヴァージナルの前に座る若い女」「手紙を書く婦人と召使い」
【参考文献】
[1] アッティラ・チャンパイ他編『モーツァルト コシ・ファン・トゥッテ (名作オペラブックス)』音楽の友社、1988年。
[2] リヒャルト・ブレッチャッハー『モーツァルトとダ・ポンテ―ある出会いの記録』小岡礼子訳、アルファベータ、2006年。
[3] 茅田俊一『フリーメイスンとモーツァルト』(講談社現代新書)、講談社、1997年。
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