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2008年11月の16件の記事

2008/11/30

【温泉】風情ある木造三階建てと松葉ガニづくし・城崎温泉三木屋

Pb250014 ぽん太とにゃん子は、紅葉を追いかけて京都に行ってきました。ついでに、城崎温泉まで足を伸ばし、以前から一度泊まってみたかった三木屋さんにお世話になりました。こちらが三木屋の公式サイトです。創業260年以上。建物はいつ頃作られたのか知りませんが、風情ある木造3階建てです。城崎の11月から3月は、松葉ガニ(ズワイガニ)のシーズンらしく、街中がカニ、カニ、カニ、という雰囲気でした。三木屋さんでも、この時期は松葉ガニ料理のプランとなるそうで、ちょっとお値段は高かったですが、奮発して行ってきました。
Pb240002 こちらが部屋の様子です。おちついた数寄屋風の和室です。けっこうひろく、中庭に面していて、とても落ち着きます。
Pb240006 こちらは宿の内湯。タイル張りで、あまり広くありません。お湯は透明で、ちょっと塩っぱいです。泉温が高いため水道水を加水しており、循環濾過はしているようですが、加温はしていないそうです。かなり地味ですし、入浴しているお客さんはあまりいません。
Pb250016 それもそのはず、城崎温泉といえば、外湯巡りです。全部で7つありますが、ぽん太とにゃん子はそのうち3つに入浴しました。写真は一の湯です。三連休の最終日の夜だったのですが、たいへん込み合っていて、にゃん子の話しでは特に女湯はすごかったそうです。雨が降っていたので宿の傘を借りて外湯巡りに出かけたのですが、あっという間に傘がなくなりました。貸傘には宿の名前が書いてありますから、きっと翌日、取り違えられた傘をそれぞれの宿に戻すのでしょう。
Pb250019 こちらは柳湯です。それからもうひとつ、まんだら湯に入りました。
 実はぽん太とにゃん子は、ずっと昔、城崎温泉に泊まったことがあります。そのとき泊まったのは、なんと「素泊まりの宿」だったのですが、温泉街を歩いていたら見つけました。みよし旅館という名前です。城崎温泉にはカニ料理の店もいっぱいあるので、素泊まり旅館に泊まって夕食を外で食べるのも、悪くないと思います。
 なんで昔の話しをしたかというと、その時の記憶では、昔ながらの古めかしい外湯も残っていたような気がしたからです。現在はどれも新しく建て直されて、アメニティはいいかもしれませんが、昔ながらの風情はなくなってしまったような気がしました。
Pb240008 さて、こちらがお目当ての松葉ガニのカニすきコースです。一人一匹分のカニすきは、しゃぶしゃぶでいただいたら甘くてとてもおいしかったです。焼きガニも香ばしくて美味。カニのお造りがないのがちと残念でしたが、カニしゃぶが十分埋め合わせてくれました。
Pb250011 朝食は、これまた定番のカレイの唐揚げ。お豆腐もおいしく、疲れて胃袋を癒してくれました。
 三木屋さんは、「志賀直哉ゆかりの宿」だそうで、『城の崎にて』はこの旅館で執筆されたのだそうです。家に帰ってから宿のホームページをチェックして知ったのですが、言えば、志賀直哉が滞在した部屋を見学できたようです。いろいろと慌ただしくて旅行前に情報を得られずに、残念でした。

2008/11/29

【副作用】便秘薬の酸化マグネシウムの副作用で死亡例も!?

 本日の朝刊に、便秘薬としてよく使われる酸化マグネシウムの副作用に関する記事が掲載されていました。例えば毎日新聞の記事はこちらで、「酸化マグネシウム:便秘薬など副作用15件、うち2人死亡」というタイトルになっております。
 タイトルだけ読むと、命を失いかねない恐ろしい薬のようですが、記事をよく読んでみると、「『酸化マグネシウム』の服用が原因とみられる副作用報告が05年4月~今年8月に15件あり、うち2人が死亡していた」とのこと。3年4ヶ月で15件、死亡が2名ということです。その記事によれば、酸化マグネシウムの推計使用者は、年間延べ約4500万人とのこと。それが3年4ヶ月分ですから、リスクは高いとはいえません。使用を控える必要はないと思いますが、副作用を常に念頭に起きながら診療をすることと、定期的な血液検査は行う必要がありそうです。
 今回の情報は、厚労省が月1回出している「医薬品・医療機器等安全性情報」に掲載されたものですが、なぜかそれは厚労省のホームページにはアップされておらず、「独立行政法人医薬品医療機器総合機構」が運営する医薬品医療機器情報提供ホームページというサイトのこのページで読むことができます(きっと天下り先ではないでしょう)。平成20年11月27日(No,252)で、そのpdfファイルはこちらで読むことができます。
 そこに死亡例2例の概略が出ておりますが、おのおの80歳代、90歳代と高齢ですので、若い人に用いる場合にはリスクは高くなさそうですが、それでも十分な注意が必要と思われます。
 酸化マグネシウムの販売名の一覧も、上記のpdfファイルに書いてあります。
 高マグネシウム血症の症状もまた、上記のpdfファイルにも出てますが、またこちらのメルクマニュアル家庭版でも見ることができます。初期症状としては、悪心・嘔吐、口渇、血圧低下、徐脈、皮膚潮紅、筋力低下、傾眠などがみられ、重篤になると、呼吸抑制や意識障害、不整脈などが現れ、心停止にいたることがあるようです。治療としては、カルシウム製剤や利尿剤、透析などが行われるようですが、クリニックレベルでここまで行ってしまってはダメで、そうなる前に発見して薬の投与を中止する必要があると考えられます。

2008/11/28

【オペラ】荒川静香の記憶と重なって思わず涙/キエフ・オペラ『トゥーランドット』(2008年11月23日)

 先日『マノン・レスコー』を観たキエフ・オペラですが、次に『トゥーランドット』を観てきました。『トゥーランドット』といえば、オペラ初心者のぽん太には、なんといっても荒川静香のイナバウワーのイメージです。おそらくほかの聴衆の多くもそうでありましょう。2006年トリノ・オリンピックの荒川静香のYoutubeの動画はこちら。ぽん太も久々に見ましたが、柔らかくてしなやかですばらしい演技ですね。でもイナバウワーって、意外と一瞬だったんですね。
 今回は某デパートのカード会員の特別企画で、「見どころ講座」と「リハーサル見学」つき。「見どころ講座」、楽しみにしていたのですが、何の手違いか講師の先生の到着が遅れて、話しを聞く時間が短くなってしまったのが残念でした。あらすじを追いながら、聞き所を解説していただきました。到着が遅れたあいだ、光藍社の偉い人が公演にまつわる舞台裏などを話して下さり、それもまた面白かったです。手違いのお詫びとして公演プログラムもいただき、ありがたいかぎりです。リハーサル見学では、合唱の歌手たちが、私服で発声練習をするという、普通ではけっして見られぬ場面を見ることができました。学校の音楽の時間のように、少しずつ音程をあげて行きながら、声慣らしをしてました。そのあとオケも加わって、出だしの部分のリハーサルをしていました。私服のおじさん・おばさんたちが、本番では見事な衣裳を着て化粧もばっちり決めて出てきたときには、そのギャップが面白かったです。
 さて感想ですが、先日観た『マノン・レスコー』より、格段とよかったです。その理由が、プッチーニの遺作の『トゥーランドット』が出世作の『マノン・レスコー』より音楽や脚本が優れているからなのか、歌手がよかったためなのか、それとも事前に「見どころ講座」を聞いたおかげなのか、オペラ初心者のぽん太にはさっぱりわかりませんでした。
 しかし、音楽的に『トゥーランドット』が『マノン・レスコー』よりはるかに優れているのは確かなようで、和声や構成もより複雑ですし、ドラマとしてもよくできてますし、また「誰も寝てはならぬ」のようなすばらしいメロディもあります。Wikipediaの「トゥーランドット」の項目によれば、ドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』の影響をうけたりもしているそうですが、ほかにもストラヴィンスキーっぽいところとかもあったような気がします。とはいえ決して難解で高尚にはならず、あくまでも通俗レベルの上をキープしているところがプッチーニっぽいです。
 あらすじは簡単に言えば、ツンデレ姫トゥーランドットのお話しです。興味がある方は上にリンクしたWikipediaをご覧下さい。
 歌手では、カラフのオレクシィ・レプチンスキーが、とても伸びやかで明るい声で朗々と歌い、イタリアっぽくてすばらしかったです。トゥーランドットのザクラスニャーナは、容姿は貫禄があって気が強そうでトゥーランドットに合っていますが、声の質は意外と軽やかでかわいらしく、ツンデレのデレになってからの方が似合っていると思いました。それからすばらしかったのが、リューのアッラ・ロジーナ。美人で細身。カラフへの身分を超えた愛のために自らの命を捧げる女奴隷の役を、見事に歌い上げました。もう少し声に細かな表情があるといいのですが。
 演出は伝統的で奇をてらったところはありません。セットも重厚で、それなりに豪華でした。コンヴィチュニーのような新解釈もいいけど、古典的・伝統的な演出の「グランド・オペラ」も悪くないですね。

 ところで『トゥーランドット』の元になる物語に関しては、いろいろと説があるようで、上述のWikipediaからもリンクされていますが、香川大学教授の最上英明氏の論文がとても面白いので、ぽん太もリンクを張っておきます(「トゥーランドット物語の変遷」(1997)、「トゥーランドット物語の起源」(1998))。
 日本の昔話『竹取物語』も、「謎掛け姫」物語のひとつと考えていいのでしょうか?また、「名前当て」という点では、グリム童話の『ルンペルシュティルツヒェン』が思い出されます。青空文庫に邦訳のテキストがあります。
 

『トゥーランドット』
作曲:ジャコモ・プッチーニ
ウクライナ国立歌劇場
2008年11月23日・調布ドリームホール

トゥーランドット:ジャンナ・ザクラスニャーナ
カラフ:オレクシィ・レプチンスキー
皇帝アルトウム:ステパン・フィツィチ
ティムール:セルヒィ・マヘラ
リュー:アッラ・ロジーナ
ピン:ペトロ・プリイマク
パン:セルヒィ・パシューク
ポン:パブロ・プリイマク
役人:ミハイロ・キリシェウ

指揮:ヴォロディミル・コジュハル
管弦楽:ウクライナ国立歌劇場管弦楽団
合唱:ウクライナ国立歌劇場オペラ合唱団
バレエ:ウクライナ国立歌劇場バレエ団

2008/11/24

【オペラ】力強いけど繊細な表現力に欠けるかな/キエフ・オペラ『マノン・レスコー』(2008年11月19日)

 「マノン・レスコー」と聞くと、ぽん太がまず思い出すのは、岩崎良美の「あなた色のマノン」である(Youtubeの動画はこちら)。なにやら恋に生きた女の話しらしい。それにしても岩崎良美はどうしているのだろうか。

 感想は、正直言うと、こんなもんかな、という感じでした。このオペラを初めて観たぽん太には、プッチーニが悪いのか、歌手が悪いのか、演出が悪いのか、とんと区別がつきません。
 1893年初演。プッチーニの出世作とのことですが、心を揺さぶるようなアリアがありません。マノン・レスコーのテチヤナ・アニシモヴァは声量はありますが、声を張り上げたときに柔らかさがなく、繊細な表現力に欠ける気がしました。デ・グリューのドミトロ・ポポウはなかなか伸びのある声でしたが、イタリア的な明るさがないような気がしました。
 なんだか場面が飛んで筋がわかりずらかったのですが、「マノン・レスコー」は、当時は誰でも知っている有名な話しだったからとのこと。しかし、第2幕でジェロンテの妾宅にいきなりデ・グリューが現れるのは、不自然なのはもとより、家宅侵入ではないでしょうか。またそこで、これまでみんなにちやほやされて喜んでいたマノンが、突然「愛しているのはあなただけよ」と歌いだすのも、「をいをい、さっきまで喜んでたくせに」と突っ込みたくなります。第3幕でも、デ・グリューが「私もこの船に乗せてくれ」と言い出し、いきなり船長が「下級水夫として乗せてやる」とか言って、「やった〜」とマノンと階段の途中で抱き合うのも、わけが分かりません。アメリカまでイチャイチャしながら航海したのでしょうか?最後のルイジアナの荒野の場面も、いわゆる「異国情緒」というヤツなのでしょうか、ちょっと唐突です。「あなた色のマノン」で、「ああずっとこのままあなたが疲れ果て、砂にたおれるまで愛してくれますか」とか「連れてって下さい遠く遠く砂漠よりも、遠く果てなく」というのは、これだったのか。
 セットや衣裳は意外と豪華。全体として素朴で力強いけど、ちょっと繊細さに欠けて大味なオペラだったように思います。リーゾナブルな価格で「マノン・レスコー」を観れたのでよかったです。なかなか熱演だったのに、歌手ごとのカーテンコールがなく拍手が終わってしまったのが、ちょっと申し訳ない気がしました。
 こんど、原作を読んでみたいと思います。
 それからキエフ・オペラは、荒川静香で有名な『トゥーランドット』も観に行く予定なので、またご報告いたします。


キエフ・オペラ(ウクライナ国立歌劇場オペラ)
「マノン・レスコー」
作曲:G.プッチーニ
2008年11月19日、東京文化会館

      マノン・レスコー:テチヤナ・アニシモヴァ
          レスコー:ヘンナージィ・ヴァシェンコ
 騎士レナート・デ・グリュー:ドミトロ・ポポウ
ジェロンテ・ド・ラヴォワール:セルヒィ・マヘラ
         エドモンド:セルヒィ・パシューク
         旅籠の主人:アンドリィ・ゴニュコフ
          舞踏教師:ドミトロ・クジミン
           音楽家:テチヤナ・ピミノヴァ
         街灯点灯夫:ユーリィ・アブラムチュク
         射撃隊軍曹:エフゲン・オルロフ
            軍曹:ミハイロ・キリシェウ

            指揮:ヴォロディミル・コジュハル
           管弦楽:ウクライナ国立歌劇場管弦楽団
            合唱:ウクライナ国立歌劇場オペラ合唱団
           バレエ:ウクライナ国立歌劇場バレエ団

2008/11/23

【雑学】ぶらぶら病(ぶらぶらやまい)補遺

 ぽん太は以前の記事で、歌舞伎の「直侍」に出てきた「ぶらぶら病」(ぶらぶらやまい)をみちくさしました。そのとき、松井高志の『人生に効く!話芸のきまり文句』(平凡社新書、平凡社、2005年)でぶらぶら病について触れているらしいと書きました。こんかいその本を入手しましたので、ご報告申し上げます。
 204〜205ページの欄外の「豆辞典」に出ています。引用させていただきます。
 「ぶらぶら病(ぶらぶらやまい)  重症ではないが、寝たり起きたり、さっぱり全快しないような病気。気鬱の病(神経症)など。話芸では、実は往々にして深窓の令嬢の恋煩いであったりする。(落語「代脈」「御神酒徳利」他)」
 なるほど。挙げられている落語を聞いたりし始めると、きりがなさそうなので、みちくさを続けるのは止めておきます。
 ちなみに「ぶらぶら病」でググって見ると、現代の用法で一番多いのは、放射線による原因不明の健康被害(たとえばこちら)のことのようです。

2008/11/22

【歌舞伎】こんな恐ろしい芝居は見たことない・仁左衛門の『盟三五大切』

 こんな恐ろしい芝居、いや、小説や映画を含めて、こんな恐ろしいものは初めてでした。
 ぽん太とにゃん子がごひいきの仁左衛門をはじめ、豪華な顔ぶれによる顔見世大歌舞伎、うきうきとした気分で観に行ったのですが、こんな怖い目に遭うとは思いませんでした。
 というのは『盟三五大切』のことです。ぽん太は初めて観る演目です。作が『東海道四谷怪談』などで有名な四世鶴屋南北なので、おどろおどろしいのはある程度予測しておりましたが、仁左衛門演じる薩摩源五兵衛は心底怖かったです。
 この狂言の初演は1825年(文政8年)江戸中村座。筋書によれば、小万・源五兵衛の心中事件を題材にした並木五瓶の『五大力恋緘』(がだいりきこいのふうじこめ)を下敷きに、当時大阪曾根崎新地で起きた五人切り事件と、『忠臣蔵』や『東海道四谷怪談』を結びつけて作られているそうです。歌舞伎ではこれを「綯い交ぜ」(ないまぜ)というそうですが、ポストモダン的な「引用」と言ってもいいでしょう。この台本は、さまざまな事件や作品を「引用」しているというだけでなく、色男と傾城のつやっぽいやり取りから、語り、殺人、ありきたりなお笑い、怪奇的な場面など、あらゆるもののごた混ぜ、チャンプルーで、キッチュな香りが濃厚です。
 仁左衛門は、「二軒茶屋」までは後半のネタを割らず、あくまでも人のいい色男の若侍として源五兵衛を演じます。「五人切」では殺しの美学。忍び寄る影が丸窓に映り、中央に立ちはだかったところで障子がすーっと開くところで、青ざめた仁左衛門の表情に背中がゾクゾクします。そしてだんまりのようなスローで様式的な動きのなか、次々に人々が斬り殺されます。気分がすっかり暗くなり、幕間の弁当がすすみません。
 「四谷鬼横町」になると、まさに幽霊です。八右衛門が身代わりでお縄にかかったことで、すべての恨みは晴れたかのように見えますが、それでもやはり恨みが忘れられぬと、源五兵衛は立ち戻ってきます。小万を切り刻み、刺青のある腕を落とし、子供までも手にかける様子は、まるで地獄絵図です。歌舞伎ではしばしば悪や人殺しが描かれます。この狂言でも、三五郎は源五兵衛を騙して百両を奪い取るという「悪」を働きます。しかしここでの源五兵衛は、そうした通常の悪とは比べ物にならない、人間の業というか、根源的な悪を表していました。ぽん太の目にはうっすらと涙がこぼれて来たのですが、それは同情やカタルシスの涙ではなく、ぽん太のなかにもおそらくは潜んでいる、あらゆる人間が持つ根源的な悪に対する、哀しみの涙でした。
 小万殺しの場面の猟奇的な美しさも見事でした。帯にくるんだ首を、いとおしそうに抱きながら立ち去る姿は、オスカー・ワイルドの『サロメ』で、サロメが銀の皿にのせられたヨハナーンの首に接吻する場面を思い出しました。
 薄暗い中に、源五兵衛を迎えに来た志士が一斉に並び、志士の一員に加われたことを源五兵衛が悦ぶというラスト・シーンは、筋の流れがめちゃくちゃで、まるで不条理劇のような迫力でした。
 今月の新橋演舞場における海老蔵の仁木弾正や福岡貢の殺しもそれなりに面白かったのですが、本日の仁左衛門の芸をみてしまうと、まだまだレベルの差を感じます。

 ところで、殺人の場面でのきまりに対して拍手が起きるのに、ぽん太は違和感を感じます。ぽん太の感覚では、拍手というのは、「囃し立てる」というイメージがあり、目出度いものを誉めたたえる意味があるように思えます。殺人のような場面では、いかにその演技がすばらしかろうと、拍手をするのは場違いのような気がするのですが、皆様はいかがお感じでしょうか。こういうときは、大向こうの鋭いかけ声があっているような気がします。とはいえ、ぽん太の「拍手」の語感に関しては、直ちに論拠を提示することはできません。ぽん太だけの思い込みかもしれません。
 ところで、小万が腕に彫った「五大力」ってなんだ?洋服の「五大陸」なら知っているが。goo辞書で引いてみると、もともとは五大力菩薩を意味しますが、五大力の加護によって封が解けずに相手に届くようにと、女性が恋文などの封じ目に書くようになり、さらに、女性が誓いや魔除けの言葉として使うようになったのだそうです。

 昼の部のもうひとつの演目「吉田屋」は、以前に仁左衛門がとても可愛らしく演じた記憶が残っています。藤十郎の伊左衛門は、上方らしい柔らかい雰囲気に満ちておりました。馬鹿ばかしいほど明るく目出度いラストで、暗くなった気分がようやく救われました。


歌舞伎座百二十年・吉例顔見世大歌舞伎
平成20年11月・歌舞伎座
昼の部

一、通し狂言 盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)
    序 幕 佃沖新地鼻の場
        深川大和町の場
    二幕目 二軒茶屋の場
        五人切の場
    大 詰 四谷鬼横町の場
        愛染院門前の場
          薩摩源五兵衛    仁左衛門
            芸者小万    時 蔵
          六七八右衛門    歌 昇
           出石宅兵衛    翫 雀
          お先の伊之助    錦之助
            芸者菊野    梅 枝
         ごろつき勘九郎    権十郎
           廻し男幸八    友右衛門
           内びん虎蔵    團 蔵
          富森助右衛門    東 蔵
            家主弥助    左團次
            僧 了心    田之助
          笹野屋三五郎    菊五郎

二、玩辞楼十二曲の内 廓文章(くるわぶんしょう)
    吉田屋
          藤屋伊左衛門    藤十郎
            扇屋夕霧    魁 春
           若い者松吉    亀 鶴
           女房おきさ    秀太郎
         吉田屋喜左衛門    我 當

2008/11/21

【登山】早くも冬枯れ・快晴の大菩薩嶺

Pb130023 毒沢温泉神乃湯でのんびりくつろいだぽん太とにゃん子は、翌日、大菩薩で登山と洒落込みました。実は前日も、韮崎の近くの荒倉山に登るつもりでいました。ぽん太が持っていたガイドブックには、「親睦会にいい山」と軟弱そうなことが書いてあって、温泉の前に気軽に紅葉を楽しむ予定でした。遠くから眺めた荒倉山は、予想どおりの紅葉のまっさかりだったのですが、いざアプローチしようと車で林道に入って行ったら、登山口がよくわかりません。そのうち林道が細くなって凹凸も激しくなって来たので、車から降りて偵察に出ました。するとそこにいたのは何十匹もの猿の大群です。「キーッ、キーッ」と警戒の声をあげながら逃げて行きます。
 ところが次の瞬間、猿たちの声が「ギャーッ、ギャーッ」という攻撃と威嚇の声に変わりました。ぽん太は猿語は解さないのですが、動物の本能として、それが攻撃の声であることはすぐわかりました。林道の両脇の1〜2メートルしか離れていない茂みからも、ガサガサと物音が聞こえて来て、多数の猿が攻撃の機会を伺いながらぽん太を包囲している様子です。ぽん太はあわてて車に駆け戻りました。
 むむむ、マイナーな山は恐ろしいわい。「親睦会にいい山」と書いてあったが、猿が親睦会をやっているとは思わなかった。
 ということで本日は、「アツモノに懲りてマナスを吹く」ということで、超メジャーな山・大菩薩に登ることにしました。

【山名】大菩薩嶺
【山域】山梨県
【日程】2008年11月13日
【メンバー】ぽん太、にゃん子
【天候】快晴
【コース】上日川峠(12:35)…福ちゃん荘…大菩薩嶺(13:49)…大菩薩峠…上日川峠(15:50)
【マイカー登山情報】上日川峠周辺に駐車場あり。そこまでの道は舗装されていて、道幅もそれほど狭くない。福ちゃん荘まで車で入ることはでき、宿泊客なら車も停められるようだが、一般車は駐車できないので注意。
【参考リンク】
大菩薩嶺/山と高原地図web:ご存知昭文社の山と高原地図のサイト
丸川荘ホームページ:丸川峠にある丸川荘のサイト。登山道やその他の案内が詳しい。

 とても暖かい秋晴れの日でした。上日川峠の駐車場に車を停めて林の中を福ちゃん荘に向かいます。紅葉は既に1000メートル以下。ここらはもう冬枯れの様相で、真っ青な空を背景にした雑木林がとても美しかったです。
Pb130025 稜線の雷岩まではひとのぼり。まず大菩薩嶺まで往復です。頂上付近の稜線には、すでに雪もありました。雷岩ですばらしい展望を眺めながらお弁当です。
Pb130028 南にはすでに雪化粧をした富士山がそびえています。手前には上日川ダムのダム湖が見え、左には大菩薩峠を経て南へと小金沢連嶺が続いています。
 稜線を大菩薩峠まで歩きました。大菩薩峠からの下り道はまるで林道のような整った道でしたが、道に迷ったり猿に襲われそうになったりせずに、安心して下ることができました。

2008/11/20

【温泉】この褐色のお湯はいかにも効きそうじゃわい・毒沢鉱泉神乃湯(★★★★)(付:諏訪湖間欠泉)

Pb130014 以前から気になっていた宿、毒沢鉱泉神乃湯に泊まって来ました。武田信玄の隠し湯と呼ばれる歴史ある鉱泉です。「毒沢」という名前が独特ですが、温泉成分が濃くて魚が死んだためとか、武田信玄が金山の人夫の治療に使うにあたり、金山を知られないように恐ろしい名前をつけたとか、いくつかの説があるようです。場所は諏訪湖の北、諏訪大社秋宮の近くです。こちらが宿の公式サイトです。
Pb120003 毒沢鉱泉は数件の宿屋からなる小さな温泉ですが、神乃湯は一番奥の高台にあります。紅葉した木々に囲まれ、山荘風の落ち着いた建物です。クリスマスの飾りが可愛かったです。
Pb130021 建物は平成13年に改装されたとのことで、いわゆる和風モダンの洒落た造りになっております。
 お風呂は、男女別の内湯のみ。「同時に6名まででご利用下さい」という張り紙がしてあります。けっこうひろいので、6人以上入れそうですが、静かで落ち着いた雰囲気を保つための配慮でしょうか、ぽん太には好ましく思われました。泉温が2度とのことなので、循環加熱をしておりますが、茶褐色に濁ったお湯はいかにも効果がありそうです。なめるととっても渋くて酸っぱいです。傍らに小さな源泉の浴槽がありますが、10秒間手を入れて考えて、入浴をあきらめました。
Pb120005 夕食は盛りつけがとてもきれいで感心しました。地元の新鮮な素材を使った美味しい郷土料理で、自家製ピーナッツ豆腐や、鰻の肝焼きが珍しかったです。もちろん信州ですからお蕎麦が着くのはあたりまえ。身体が内側からきれいになって行くようなお料理でした。
Pb130009 朝食もおいしゅうございました。
Pb130017 宿の裏手には薬師神社があります。館内には他にもさまざまな神様が安置されています。「神乃湯」という名前からもわかるように、若干神秘的な傾向がありますが、普通に泊まる分には気にせずに泊まることができます。初代の子供の医者に見放された病が、このお湯によって治ったことから、噂を聞きつけて人々が入浴するようになったため、この宿ができたのだそうです。
 鉱泉のマイナーな味わいを残しながらも、レトロモダンの洗練された味わいが心地よく、さらに「癒し」の雰囲気もよく、ぽん太の評価は4点です。

Pb120001_2 以前に疑問に思った諏訪大社と狐の関係を探求した方のですが、時間がないので省略。先日訪れた吹上温泉と間欠泉つながりで、諏訪湖間欠泉センターを訪れました。次の噴出まで時間があったので、噴出は見学できませんでした。写真が噴出口ですが、なんか人口的。そういえば、噴出時間が決まっていて、しかも10時とか11時30分とか切りがいいのが妙です。しかも夜間は止まるとのこと。帰宅してから公式サイトを見てみると、昭和58年に掘削したときは50メートルの高さまで吹き上がったのだそうですが、次第に間隔が長くなって自噴しなくなり、現在はコンプレッサーで圧搾空気を送り込んで、噴出させているのだそうです。な〜んだ。
 ちなみにぽん太の頭の中には、「諏訪湖畔で間欠泉が高々と吹き上げているのを高速から見ている」という記憶があるのですが、それがホントに見たものなのか、いろいろな情報から作られたものなのか、確かめる方法はありません。

2008/11/19

【蕎麦】腰が強くて美味しいにゃ〜・康正庵@仙台(★★★★★)

Pb070140 東北の紅葉と温泉を堪能したぽん太とにゃん子ですが、帰りに、前から気になっていた仙台の蕎麦屋「康正庵」をみちくさしてきました。こちらが公式サイトです。
Pb070079 お蕎麦が出てくるまで、「焼き味噌」を突つきながら待ちました。口に入れると蕎麦の実がアラレのような感触で、ほどよく焦げ目のついた味噌が香ばしく、とても美味しかったです。お酒が飲みたくなりましたが、車なので我慢、我慢。
Pb070083 建物は住宅を改造したものだそうですが、内装は落ち着いた雰囲気です。
 冒頭の写真は「せいろ」です。とっても腰が強いのが特徴です。そば粉の香りと深い味わいは言うまでもありません。ツユも甘ったるかったりせず、きりっとしまった味で、洗練されていて風格があります。
Pb070081 こちらの写真は「田舎蕎麦」です。太めで歯触りがシコシコしております。わざわざ高速を途中下車して立ち寄ったかいがある、おいしいお蕎麦でした。

2008/11/18

【バレエ】なんじゃこりゃ?夏休み子供ミュージカルか?新国立劇場バレエ『アラジン』

 新国立劇場にバレエの『アラジン』を観に行って来ました。新国立劇場のバレエを観るのは実は初めてです。これまでなんとなく敬遠していたのですが、よく考えてみたら、ぽん太が棲息する多摩地区から近いし、「国立」ということは莫大な赤字を出しながら運営しているはずですから「お買い得」に違いなく、観ない手はありません。
 『アラジン』は新作で、これが世界初演とのこと。またダンサーはすべて日本人で、外人ダンサーの「フィーチャリング」はありません。
 初台の駅を降りると、いつもと雰囲気がちょっと違います。いかにもバレエを習っているようなスタイルのいい女の子や、家族連れがいっぱいです。中高年夫婦のぽん太とにゃん子はちょっと浮いた存在です。
 新国立劇場の『アラジン』のページはこちらです。公演が終了したらリンク切れになるのでしょうか?

 さて、感想ですが、「新作の初演」というので、なにか芸術的に新しいものなのかと思っていましたが、踊りも音楽も目新しいものはなく、ちょっとがっかりしました。まあ、題名とポスターから、薄々予想はしておりましたが。まず音楽からして、アメリカの子供向き映画やミュージカルのよう。実際に作曲したカール・ディヴィスは、映画音楽やミュージカルで活躍している人のようです。踊りもそれなりに観ていて楽しいのですが、「ををっ」と言わせるようなテクニックの見せ場や、おじさんを恍惚とさせるような味わいはありません。代わりにあるのは、空飛ぶ絨毯などのイリュージョンや、ゴージャスなセットです。さすが税金を大量投入しているだけあります。セットを東京バレエ団に貸してあげたいくらいです。総じて夏休み子供ミュージカルといった感じで、中高年が観に行くものではありませんでした。この公演のポスターや公告のあおり文句に「新たな領域に挑む」という言葉がありますが、芸術的に新しい表現やアイディアは見当たりませんでした。
 バレエ初心者のうえ、舞台から遠い席だったこともあり、個々のダンサーの個性や良し悪しまではわかりませんでした。プリンセスの小野絢子はとってもかわいらしかったですが、「思わず魅了される」ような場面はありませんでした。アラジンの八幡顕光は少年らしくハツラツとしていましたが、小野絢子よりも背が低いのが残念。ぽん太は男ですが、やはりバレエには「長身の王子様」を期待したいところ。ランプの精の中村誠も健闘していましたが、もうひとつジャンプとか回転とか技の見せ場があるといいのですが。全体として、観客の気持ちをぐっとつかむ雰囲気を持ったダンサーがいないような気がしました。
 作・振付のデヴィッド・ビントレーは、現在は英国バーミンガム・ロイヤル・バレエ団の芸術監督ですが、平成22年9月から3年間、新国立劇場の舞踏部門の芸術監督を務めるとのこと。まさか、こんなバレエばっかりになるんじゃないでしょうな。嫌な予感がします。
 それはさておき、しばらく新国立劇場のバレエとオペラを追いかけてみるつもりです。

 ところで、「アラジン」ってもともとはどんな話しだったっけ。思い出そうとすると、ぽん太の頭の中には「ハクション大魔王」が浮かんで来てしまいます。Wikipediaを見ると、『千夜一夜物語』(アラビアン・ナイト)の物語のひとつとされていますが、アラビア語原典には含まれておらず、あとから加えられた物語の可能性が高いそうです。青空文庫に、菊池寛の訳がアップされています。短いので簡単に読むことがでいます。ランプの精の主人がロック鳥(フェニックス)だったとは、初めて知りました。あれれ?「開けゴマ」の呪文が出てないぞ。そりゃ「アリババと40人の盗賊」か。


新制作/世界初演
デヴィッド・ビントレーのアラジン

2008年11月16日、新国立劇場オペラ劇場

【振付】デヴィッド・ビントレー
【作曲】カール・デイヴィス
【指 揮】ポール・マーフィー
【舞台装置】ディック・バード
【衣 装】スー・ブレイン

【アラジン】八幡顕光
【プリンセス】小野絢子
【魔術師マグリブ人】冨川裕樹
【ランプの精ジーン】中村誠
【アラジンの母】難波美保
【サルタン(プリンセスの父)】イルギス・ガリムーリン
【オニキスとパール】大和雅美、伊東真央、寺田亜沙子、福田圭吾、泊 陽平、陳 秀介
【ゴールドとシルバー】川村真樹、西川貴子、貝川鐵夫、市川 透
【サファイア】湯川麻美子
【ルビー】寺島ひろみ、マイレン・トレウバエフ
【エメラルド】高橋有里、さいとう美帆、古川和則
【ダイアモンド】西山裕子
新国立劇場バレエ団

2008/11/17

【温泉・観光】峯雲閣の温泉の滝(★★★★)、吹上温泉間欠泉、鳴子ダム、尿前関

Pb060056 秋田県の旅を楽しんだぽん太とにゃん子は、鬼首峠を抜けて宮城県へと入り、今夜の宿、鬼首温泉郷・吹上温泉峯雲閣に辿り着きました。大きな被害をもたらした岩手・宮城内陸地震の震源にほど近い、栗駒山西部にあります。宿の公式サイトが見当たらないので、テレビ朝日の「秘湯ロマン」のサイトにリンクしておきます。木立に囲まれた山荘のような、落ち着いた雰囲気の宿です。
Pb070062 玄関を入ると、天井の高い吹き抜けのロビーになっております。500年前の建物を利用したものだそうで、モダンで洒落た雰囲気でありながら、歴史の重みを感じさせます。
Pb070063 正面の壁にかかっているのは、釜神様です。
 お風呂は、男女別の内湯があり、そこから外に出ると混浴の露天、そして名物の温泉の滝(名称不明)へと続きます。混浴のため撮影禁止となっておりますので、写真は残念ながらありません。流れ落ちてくる滝が暖かく、滝に打たれることができます。迫力ある打たせ湯です。湯殿(?)は天然の滝壺で、底は小石になっており、この時期落ち葉が沈んでいます。最高の「源泉かけ流し」です。本来ならこの時期になると、湯温が下がってきて入れなくなるのだそうですが、ここ数日暖かい日が続いたのが幸いでした。
Pb060060 さて夕食は、鮎の塩焼きや地元の山菜など、素朴でおいしい郷土料理でした。
Pb070061 朝食もシンプルで美味しいです。温泉卵と海苔の包み紙がレトロでよかったです。
Pb070064 宿の窓から美しい紅葉を愛でることができます。ことしは全体に赤の発色が悪いようですが、それでも見事です。
 とにかく温泉の滝の得点が高く、自然に囲まれた静かな雰囲気が心地よく、ぽん太の評価は4点です。

Pb070069 宿の近くには間欠泉があります。ここも公式サイトは見つかりません。敷地内に二つの間欠泉があります。こちらは弁天です。約10分間隔で、10メートル近くまで温泉が吹き上がります。掲示してあった新聞記事によると、1938年(昭和13年)に温泉を掘り当てましたが、だんだん湧出量が減ってきて、1年後には間欠泉になったそうです。客を案内していたタクシーの運転手さんの話しでは、岩手・宮城内陸地震の際は、影響で間欠泉が止まってしまうのではないかとずいぶん心配したそうですが、逆に噴出する間隔が短くなったそうです。
Pb070073 こちらはもうひとつの間欠泉・雲竜ですが、高さは2〜3メートルといったところです。
 間欠泉といえば、以前に読んだ田山花袋の『温泉めぐり
』に、この間欠泉が出てきます。ちょっと長くなりますが、引用してみましょう。
 「中でも殊に注目すべきは、その奥にある吹上の間歇泉であった。それは日本にも伊豆の熱海と此処と二つしかないもので、一昼夜、およそ七回、時を定めて熱湯を噴出して、夏はその高さ数丈に及ぶということである。弘法と今一つ何とかという穴があって、それが一つやめば一つ噴き出し、一つ噴き出せば一つやむという形になっているということである。」(「82鳴子と鬼首」より)
 この本をが出版されたのは1918年(大正7年)、この間欠泉が掘削されたのが1938年(昭和13年)ですから、時代が合わんがね。のちに改訂されたのでしょうか?しかし、田山花袋は1930年(昭和5年)に亡くなっていますから、この間欠泉ができた頃にはこの世にいなかったことになります。な、謎だ。花袋は穴の名前を「弘法」と言っていますが、記憶違いなのか。それとも現在の間欠泉とは異なる別の間欠泉があったのでしょうか?

Pb070076 鳴子ダム付近は、紅葉がとてもきれいでした。
Pb070078 鳴子峡は紅葉の真っ盛りでしたが、観光客が多く、駐車場も有料だったので、ぽん太とにゃん子は省略! 尿前の関(しとまえのせき)という看板があったので車を停めましたが、この階段を降りなくてはいけないようだったので、これも観光を省略いたしました。『奥の細道』には、松尾芭蕉がこの関を越え、「蚤虱馬の尿する枕もと」という句を残したことが書かれています。


2008/11/15

【秋田県】刈穂酒造、六郷湧水群、元祖神谷焼そば店、小野小町生誕の地

Pb060035 強首温泉樅峰苑でのんびりした翌日、秋田県の観光に出かけました。日本酒好きのぽん太とにゃん子がまず訪れたのは、刈穂酒造です。いかにも秋田という辛口のおいしい酒でおなじみです。地図はこちらです。「刈穂酒造」と呼ばれていますが、会社としては秋田清酒株式会社で、「刈穂」と「出羽鶴」という二つの銘柄を造っているようです。公式サイトはこちらです。
Pb060036 敷地内にはなかなか美しい蔵があります。せっかくなので「刈穂」を買い求めようとしたのですが、あまり在庫がないとのこと。聞いてみると、近くのここにある酒屋さんは品揃えがいいとのこと。行ってみると、確かに「刈穂」に詳しい上に、さまざまなレアな銘柄がそろっていて、満足のいくお酒を調達することができました。

Pb060040 さて、おいしいお酒を仕入れたぽん太とにゃん子が次に訪れたのは、美郷町の六郷湧水群です。たとえばこちらのサイトをご覧下さい。町のあちこちに、美しい清水が湧き出ています。この写真は「御台所清水」です。
Pb060044 こちらは宝門清水です。樹齢約300年と言われるケヤキの大木との取り合わせが絶妙です。

Pb060046 こちらは、横手市にある「平安の風わたる公園」です。後三年の役の古戦場だそうです。大河ドラマでしか日本史を学んだことのないぽん太は、後三年の役と聞いてもなんのことやらわかりません。仕方がないのでWikipediaを見てみました。な、なんだ。1993年〜94年の大河ドラマ「炎立つ」で取り上げられていたようです。見てなかったがね。後三年の役とは、ようするに11世紀後半に源義家が、奥州を支配していた清原氏をやっつけた戦だそうです。そしてこの事件が、平泉の中尊寺金色堂で有名な奥州藤原氏が栄える端緒となったそうです。Wikipediaに出ている雁行の乱れという伝説の舞台が、この「平和の風わたる公園」だそうで、源義家が、列をなして飛んでいる雁の隊列が乱れるのを見て、敵の兵が潜んでいるのを察知したのだそうです。
Pb060048 このようなモニュメントがあって、後三年の役のいくつかの有名な場面が描かれています。

Pb060051 さて、横手市の名物グルメといえば、なんと焼きそばだそうです。横手市観光協会のサイトのなかに、焼きそばの街横手というページがあります。ここには店舗一覧表のほか、横手市の焼きそばの歴史や特徴が書かれています。
 ぽん太とにゃん子が訪れたのは、「元祖神谷焼そば店」です。公式サイトは見当たらないので、Yahoo!グルメのページにリンクしておきます。昔ながらの味を保っているお店だそうです。場所はちょっとわかりにくいです。
Pb060050 こちらがその焼きそば。太目の角麺で、縮れていないのが特徴です。薄めのソースで汁気があり、福神漬けが乗っかっています。そして何といっても目玉焼きが乗っているのが最大の特徴です。美味しゅうございました。
Pb060049 こちらが店内の様子。新しくて、木の雰囲気がいいです。お父さん、儲けましたね。

Pb060053 本日最後にご紹介するのは、小野小町の生まれ故郷です。それは、秋田県湯沢市小野(Yahoo!地図はこちら)です。湯沢市の公式サイトのなかの「小野小町伝説」のページはこちらです。それによれば、小野小町はここで生まれ、13歳のときに京に登りました。36歳で宮中を退いて小野の里に戻り、92歳で亡くなるまでここで過ごしたそうです。へ〜、知らなかった。Wikipediaを見てみると、小野小町がここ湯沢市で生まれたという説は有力なようですが、他にも福井県越前市や福島県小野町を初めとし、日本各地に生誕地伝説があるそうです。
 さて、写真は向野寺(こうやじ)。小野小町の菩提寺だそうで、小町が自ら刻んだ木彫りの自像があるそうですが、拝観は事前に申し込みが必要なようで、残念ながら拝むことはできませんでした。場所はこちらの小野関連史跡マップをご覧下さい。
Pb060054 こちらは小町堂です。小野小町をしのぶお祭りの舞台となるそうですが、平成7年に建立された真新しいお堂です。ちなみに深草少将も、小町を追ってこの里にやってきたそうで、二人の伝説にちなんだ芍薬園もあるそうですが、今回は観光を省略いたしました。
 ちなみに、ぽん太が今年の1月に国立劇場で見た歌舞伎『小町村芝居正月』は、小野小町伝説を題材にしたものでしたが、小町と深草少将が江戸の下町で獣肉の料理屋を営むという、なかなかの設定でした。

2008/11/11

【温泉】強首温泉樅峰苑は建物・食事・温泉の三拍子そろってます(★★★★★)

Pb060012 ぽん太とにゃん子は、紅葉を求めて東北に行ってきました。宿泊したのは強首温泉樅峰苑(こわくびおんせん・しょうほうえん)、こちらが公式サイトです。建物は1917年(大正6年)に竣工した重厚な木造建築で、国の登録有形文化財に指定されています。料亭のような神社のような、不思議な魅力のある建物ですが、建築当時すでに旅館として造られたのか、あるいは他の用途で造られたのか、ぽん太にはわかりません。聞いておけばよかったです。
Pb060015 内部もすばらしいです。この廊下は、16.3メートルの長さの天然秋田杉が使われています。継ぎ目のない一枚通しです。
Pb060017 西洋風の階段です。意匠が尽くされていて、美しい仕上がりです。
Pb060024 浴室は、男女別の内湯と、二つの有料貸切露天風呂があります。写真は内湯ですが、新しくて清潔です。お湯は褐色でアブラ臭があり、なめるととても塩っぱくて鉄の味がします。温泉力がかなり強いです。1964年(昭和39年)、天然ガスのボーリング調査のおりに温泉が湧出したのが強首温泉の始まりだそうです。そういえば、昔訪れた新潟の兎口温泉の露天風呂も強いアブラ臭がしましたが、ここも石油目当てにボーリングして掘り当てた温泉でした。樅峰苑は、この強首温泉の源泉を遠くから引湯していたそうですが、今年の2月に敷地内をボーリングして源泉を掘り当てました。泉温49度で源泉掛け流しです。身体が浮きそうになるほど塩分が強いのに、ちっともべたつかないのは、炭酸水素イオンが多いことが関係しているそうですが、ぽん太には理解不能です。
Pb060003 こちらが貸切露天風呂。有料ですが、入る価値はあります。周囲のモミの木は、樹齢380年以上だそうで、江戸時代に庄屋だったころ、目印として植えられたものだそうです。樅峰苑という宿の名前は、このモミの木からとったそうです。
Pb050007 夕食は、若女将のお手製ですが、地元の素材を使った料理の数々で、とても美味しかったです。川海老の塩辛は生まれて初めていただきました。白魚は、かつては近くを流れる雄物川で採れたのだそうです。ぽん太はてっきり海の魚だと思っておりましたが、河口から50キロも遡ったところで採れたとは知りませんでした。鯉の甘露煮も、甘すぎず美味しゅうございました。みずの実も生まれて初めていただきました。なんといっても珍味は川がに。かに味噌焼き、かに肉あんかけの卵豆腐、川がにつみれのみそ汁、どれもおいしかったです。
Pb050017 川がに甲羅焼きは、食べ終わったあと、コップに入れて熱燗を注ぎ、甲羅酒としていただけます。エキスが溶け出して、とても美味しかったです。夕食は全般に珍味系が多いので、日本酒好きのぽん太とにゃん子には最高でしたが、お酒を飲まないひとにはいまひとつかもしれません。
Pb060026 これがその川がにです。正式にはモクズガニと呼ばれるそうです。
Pb060023 こちらが朝食です。やはり地元の新鮮な素材が多く、とてもおいしかったです。地元のあきたこまちのご飯がおいしいことは、言うまでもありません。
Pb060027 宿の隣りの蔵は博物館となっています。
Pb060028 宿の裏手が雄物川です。宿一体は輪中となっています。紅葉がとても美しかったです。
 有形登録分解材の建物と、地元の珍味が揃った食事、温泉力の強いお湯と、三拍子揃っており、ぽん太の評価は5点満点です。

2008/11/10

【歌舞伎】仁左衛門はもちろんのこと梅玉もよかったです・2008年11月/歌舞伎座夜の部

 うううさむ。そろそろ冬眠しなくては、と思いつつも、歌舞伎座に出陣。今回のお目当ては「寺子屋」。仁左衛門の松王丸はもちろんのこと、梅玉が武部源蔵をどう演じるかも楽しみです。
 梅玉というと、ぽん太の頭の中では「高貴」とか「義経」とかいうイメージです。以前に見た『仮名手本忠臣蔵』の「二つ玉」の斧定九郎では、盗賊ふぜいがあまりに高貴すぎて、ちょっとミスマッチでした。しかし今回の武部源蔵はなかなかよく、菅丞相の門弟でありながら腰元と不義密通をして破門されたという過去がうなづける美男子ぶりです。前回の海老蔵の源蔵は、小太郎を目にとめて目玉をひんむいてびっくり仰天したり、詮議が終わって春藤玄蕃が立ち去ったところで腰を抜かしたりと、なにかと大げさな演技でしたが、梅玉はさすがに押さえた大人の演技でした。
 仁左衛門は、大きさといい、情といい、色気といい、どれもすばらしかったです。4月に演じた弁慶もそうでしたが、荒事が大きさと迫力だけにならないで、細かな心理が的確に表現されていました。しかし、『菅原伝授手習鑑』が初演されたのは1746年(延享3年)ですが、江戸時代もこのような心理描写がされていたのでしょうか。それなら江戸時代恐るべしですが……。それとも明治以降に作り上げられた演出なのでしょうか。無知なるぽん太にはわかりません。
 そのほか、魁春、藤十郎、段四郎など、さすがベテラン役者でした。例えば藤十郎演ずる千代が松王丸に「泣くな」と三度たしなめられるところでの、その度ごとの泣き方の演じ分け、すばらしかったです。男前の松江の「涎くり」もおかしかったです。千之助くん、お父さんの孝太郎にそっくりで、高貴というよりもたれ目でかわいらしい菅秀才だったです。
 続いて「船弁慶」。菊五郎の静御前は絶品!などと言えるような歌舞伎鑑賞眼は、残念ながらぽん太はまだ持ち合わせていません。知盛の霊になってからの迫力は見事。能のような真面目くさった精神性もなければ、猟奇的な怪異さもなく、どこまでも力強く明るく華やか。花道の七三で義経を見つけたときは、旧友に会ったかのように嬉しそうに笑っていました。種太郎、萬太郎、尾上右近の若者たちもりりしく、将来が楽しみです。芝翫が舟長というごちそうつき。
 「嫗山姥」は時蔵の芸にただただ感心。いい意味で馬鹿げた楽しい話しですが、これを作ったのが近松門左衛門と知り、またびっくり。真面目な作品ばっかり書いていたんじゃないんだ……。近松ってホントに天才だな。
 花形歌舞伎の若々しさもいいけど、ベテランの芸もすばらしいな、と思った一日でした。

 
歌舞伎座百二十年・吉例顔見世大歌舞伎
平成20年11月・歌舞伎座夜の部

一、菅原伝授手習鑑
  寺子屋(てらこや)
             松王丸    仁左衛門
            武部源蔵    梅 玉
            春藤玄蕃    段四郎
          涎くり与太郎    松 江
             小太郎    玉太郎
             菅秀才    千之助
            園生の前    孝太郎
              戸浪    魁 春
              千代    藤十郎

二、新歌舞伎十八番の内 船弁慶(ふなべんけい)
       静御前/平知盛の霊    菊五郎
           武蔵坊弁慶    左團次
            舟子岩作    東 蔵
            舟子浪蔵    歌 六
            舟子梶六    團 蔵
            亀井六郎    松 江
            片岡八郎    種太郎
            伊勢三郎    萬太郎
            駿河次郎  尾上右 近
             源義経    富十郎
          舟長三保太夫    芝 翫

三、三代目中村時蔵五十回忌追善狂言
  八重桐廓噺(やえぎりくるわばなし)
  嫗山姥
             八重桐    時 蔵
            腰元お歌    歌 昇
              白菊    孝太郎
             沢瀉姫    梅 枝
            太田十郎    錦之助
   煙草屋源七実は坂田蔵人時行    梅 玉

2008/11/04

【歌舞伎】海老蔵の福岡貢が不完全燃焼・花形歌舞伎2008年11月昼の部

 今月の花形歌舞伎は海老蔵の殺人シリーズ。昼の部のお目当ては『伊勢音頭恋寝刃』(いせおんどこいのねたば)です。筋書の解説によれば、1796年(寛政8年)5月4日、伊勢古市の遊郭で孫福斎宮(まごふくいつき)という医者が9人を殺傷した事件をモデルとし、同年の7月25日に初演されたそうです。次々と人を斬り殺しておいて、めでたしめでたし拍手喝采となる、おそろしい狂言です。
 芝居の前半は、今田万次郎(門之助)のとぼけてなよなよした演技や、奴林平(獅童)と大蔵・丈四郎の滑稽なやりとりを交え、軽く軽く進んで行きます。それというのも最後に、女郎メッタ斬りの恐ろしい場面が控えているから。気分が盛り上がります。
 海老蔵は前半の福岡貢のような役だと、声も仕草も妙になよなよしてしまって、ちょっと変。ここでためにためておいて、最後の大爆発が楽しみです。
 「油屋店先」では、貢は公衆の面前で恥をかかされますが、じっと我慢。ぽん太の脳裏にも、過去に理不尽なしうちを受けながら我慢しなければならなかった記憶が次々と甦ってきて、悔しさで目に涙が浮かんできます。現実世界では復讐することはできませんが、ここは虚構の世界で代わって海老蔵に、キャツらをメッタ斬りにしてほしいところ。
 と、と、ところが、待ちに待った殺人の場面、海老蔵は夢遊病者のようにゆらりゆらりと動くばかりで、いつもの目玉をひんむいてのド迫力がありません。口を押さえられた万野がアワアワ言ったり、斬った首が回ったり、二人組が逃げようとして相手を引っ張り合う場面など、客席から笑い声がもれてきます。なんじゃこりゃ。コメディか? ぽん太は期待はずれでがっかりしました。
 確かに福岡貢の刃傷は、妖刀青江下坂に惑わされたものだとされていますが、そこに公衆の面前で恥をかかされた貢の怒りが加わっていなければ、「油屋店先」の場面の意味がなくなってしまいます。恥をかかされ裏切られたことへの怒りに、妖刀の魔力が付け入ってあのような大量殺人に至ったと、ぽん太は考えたいところです。海老蔵自身も、これでは不完全燃焼ではないでしょうか?
 門之助の今田万次郎のなよなよした若殿様は好演。笑三郎のお紺は、品格と古典味があって立派。獅童は身のこなしや立ち振る舞いに踊りがないため、奴のいなせさや可愛さが出ず、歌舞伎というよりテレビのお笑いコントのようになってしまいました。吉弥の万野が、「こいつ殺してやりたい」と思うほど憎々し気でありながら、古風な味わいと品格を保っていて最高でした。
 
 『吉野山』は、踊りの上手へたはぽん太にはわかりませんが、とにかく美しかったです。菊之助が花道を出て来て七三で振り返った時、その美しさと艶やかさに会場からため息が漏れました。松緑の佐藤忠信も美しい若武者でした。


花形歌舞伎

平成20年11月/新橋演舞場
昼の部
一、通し狂言 伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)

  序 幕 相の山の場
      妙見町宿屋の場
      追駈け地蔵前の場
      二見ヶ浦の場
  二幕目 油屋店先の場
      同 奥庭の場
  <序幕>
             福岡貢  海老蔵
           今田万次郎  門之助
            油屋お岸  宗之助
            藤浪左膳  右之助
             奴林平  獅 童
  <二幕目>
             福岡貢  海老蔵
           今田万次郎  門之助
            油屋お紺  笑三郎
            油屋お岸  宗之助
            油屋お鹿  猿 弥
            仲居万野  吉 弥
           料理人喜助  愛之助

二、義経千本桜 吉野山(よしのやま)

      佐藤忠信実は源九郎狐  松 緑
            逸見藤太  亀三郎
             静御前  菊之助

2008/11/03

【歌舞伎】海老蔵の仁木弾正はハリウッド張りの殺人鬼・花形歌舞伎2008年11月夜の部

 今月の花形歌舞伎@新橋演舞場は、海老蔵の人殺し2態が見物です。昼の部は『伊勢音頭恋寝刃』の福岡貢による遊郭での大量殺人、夜の部は『伽羅先代萩』の仁木弾正による渡辺外記左衛門の殺人未遂です。人殺しを見物して楽しむとは、歌舞伎が江戸時代には吉原と並ぶ「悪所」とされたこともうなづけます。『伊勢音頭恋寝刃』のモデルとなった、医者孫福斎宮(まごふくいっき)による遊郭における9人の殺人事件が起きたのが1796年(寛政8年)5月4日。それから間もない同年の7月25日に、『伊勢音頭恋寝刃』は初演されています。現代に置き換えてみると、例えば池田小事件の2〜3ヶ月後に、それを題材にしたテレビドラマをやるなどというのは考えられないことです。当時の歌舞伎が、現在のテレビのワイドショーや週刊誌の役目を果たしていることを差し引いても、かなり不謹慎なきがします。しかも現在では、着物姿のセレブなご夫人がこれらの狂言を見て、喜んで拍手を贈っているというのも不思議と言えば不思議です。

 さて、夜の部の感想です。「花水橋」では、亀三郎の頼兼が、残念ながら領主としての風格もなければ、放蕩にふけるつややかさもなし。さらに身のこなしに、踊りの優雅さやリズム感がなく手足だけを動かしてる感じで、音楽に乗せただんまりの面白さがでてきません。
 「竹の間」では、ぽん太ごひいきの愛之助が役を作り過ぎ、八汐が滑稽に感じられました。八汐はところどころに愛嬌はあっても、基本は憎々しげな巨悪でないと、話しが盛り上がりません。対する菊之助の政岡も、セリフはちゃんと言っているものの、自分を陥れるようなセリフを耳にしてハッと驚くような仕草がありません。保っちゃんなら、「ハラで聞いていないからである」とでも言いそうです。「足利家御殿の場」で、千松の死を嘆く場面も絶叫し過ぎで、もう少し押さえた演技で悲しみを表現して欲しいところです。
 「床下」の海老蔵の仁木弾正。こうした役での迫力と集中力は絶品です。ゆっくりとした花道の引っ込みで、まったくだれることなく緊張感を保っていました。
 そして「対決・刃傷」。海老蔵演じる仁木弾正は、圧倒的な力の差を見せつけながら、まるで猫がネズミをもてあそぶかのように、老人渡辺外記左衛門(男女蔵)に襲いかかります。その様子は、まるで人間らしい感情が感じられず、「ターミネーター」だか「13日に金曜日」だかアメリカ映画の冷徹な殺人鬼を見るようでした。人情沙汰や金目当てではない昨今の目的なき殺人を反映しているようで、とても同時代的で身につまされる演技で、寒々しく恐ろしかったです。討たれたあと手足をばたばたと動かす仕草は、エイリアンかロボットのようでした。「対決・刃傷」をハリウッドばりに演じた海老蔵に、こんかいは拍手です。それから片足で立ってのシェーのような見得(すみません、歌舞伎初心者のぽん太には用語がわかりません)で、微動だにしないバランス感覚にはびっくり仰天。ぽん太の好きなバレエでいえばポリーナ・セミオノワに匹敵する、すごい身体能力です。松緑の細川勝元は明るく朗々として利発な感じでよかったですが、大大名の懐の深さや風格が感じられず、江戸の岡っ引きのようなに見えてしまったのは、若いから仕方ないのでしょうか

 おしまいに『龍虎』。愛之助と獅童が、舞台を歩き回ったり、髪の毛を振り回したりするだけで、踊りとしての味わいもなければ、アンサンブルもそろっていない。頑張ってるのはわかりますが、歌謡ショーをみている感じで、「若さ」は感じるものの、面白くもなんともありませんでした。

 今年の正月のチベット旅行でご一緒したアヒルさんに、偶然会いました。なつかしかったです。


花形歌舞伎

平成20年11月/新橋演舞場
夜の部 
一、通し狂言 伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)

  序 幕 鎌倉花水橋の場
  二幕目 足利家竹の間の場
  三幕目 足利家御殿の場
      同  床下の場
  四幕目 問注所対決の場
  大 詰 控所刃傷の場
  <花水橋・竹の間・御殿・床下>
              政岡  菊之助
              八汐  愛之助
          荒獅子男之助  獅 童
            絹川谷蔵  男女蔵
            足利頼兼  亀三郎
              松島  吉 弥
             沖の井  門之助
             栄御前  右之助
            仁木弾正  海老蔵
  <対決・刃傷>
            細川勝元  松 緑
         渡辺外記左衛門  男女蔵
            渡辺民部  亀三郎
           山中鹿之助  宗之助
            山名宗全  家 橘
            仁木弾正  海老蔵

二、龍虎(りゅうこ)
               龍  愛之助
               虎  獅 童

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