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2009年1月の13件の記事

2009/01/28

【バレエの原作を読む(1)】バレエの『海賊』←バイロンの長編詩『海賊』

 年末年始にいろいろなバレエ公演を堪能しているうちに、バレエの原作を調べてみたくなりました。
 まずはレニングラード国立バレエで観た『海賊』。マツァークのメドーラやコルプのアリがすばらしかったです。『海賊』は、1856年にパリ・オペラ座で初演されました。日本は幕末ですね。台本はヴェルノワ・ド・サン=ジョルジュ、振付けは『パキータ』の台本も書いたジョゼフ・マジリエ、音楽はオリジナルは『ジゼル』で有名なアダンですが、現在は他の人の曲もごたまぜにされているのはみなさまご存知のとおり。
 さて原作ですが、イギリスの詩人バイロン(1788-1824)による同名の長編詩『海賊』で、1814年に出版されました。お読みになりたい場合は、岩波文庫で邦訳が手に入ります(バイロン『海賊 』太田三郎訳、岩波書店、1952年)。バイロン(Wikipedia)はイギリス・ロマン主義を代表する作家で、社交界でもてはやされ数々の浮き名を流しながらも、当時の社会常識を冷笑し、最後はギリシア独立戦争に参加しようとし、異国の地で熱病にかかって最期を遂げました。岩波文庫の解説によれば、『海賊』は出版したその日のうちに1万3千部を売りつくしたと言われているのだそうですが、そんなことってあるのでしょうか?
 さて、あらすじです。

海賊の首領コンラッドは、俗世間を嫌悪しながらも、強靭な意志と気高い精神を持つ若者です。海賊島の隠れ家にいるコンラッドのもとに、トルコの大守(パシャ)であるザイドが率いるトルコ軍が攻めて来るという情報が入ります。コンラッドは、愛する女性メドラに別れを告げ、海賊たちを率いてトルコ軍の陣地に先制攻撃をしかけます。海賊たちは奮闘しますが多勢に無勢、やがて壊滅状態となり、負傷したコンラッドは捉えられ、鎖で縛られて獄に入れられます。ところがザイドの女奴隷のグルナーレは、戦火で焼かれそうになったところを解放してくれたコンラッドに好意を持ち、彼を救い出します。グルナーレはコンラッドを愛していることを自覚しますが、メドラを愛するコンラッドは、彼女に口づけのみを与えました。しかし海賊島に戻ってきたコンラッドが見たものは、自分が死んだと思って後を追ったメドラの亡骸でした。翌朝、コンラッドの姿は島から消えており、その後彼の消息を聞いた人はおりません。
 なんか、ずいぶん仰々しいというか、ベタな話しで、ちょっと読む気力をなくしかけたのですが、日本でいえば同時代の歌舞伎か、あるいは現代の映画だと思って読んだら、意外とすんなり読めました。
 冒頭に書いたように、バイロン自身もギリシア独立戦争に加わろうとしました。この戦争は、以前の記事(【ギリシア旅行】ギリシアは約400年間トルコだった【トリビア】)でも触れましたが、ギリシアが400年間にわたるトルコの支配から脱しようとするものでした。なんかコンラッドは、バイロン自身の投影であるように思えます。
 ちなみにバレエの『海賊』のあらすじは、たとえばこちらのサイトがわかりやすいでしょうか。バレエの『海賊』の物語は「つまらない」ので有名です。
 比べてみると、コンラッド、メドラ、グルナーレといった登場人物の名前は一致するものの、バレエでは重要な役のアリは原作では出て来ません。パシャはトルコの軍人の称号で、原作ではザイドという名前ですが、バレエではセイード・パシャという名前になっています。また、奴隷売買や奴隷商人も見当たりません。両者を比べてみると、筋は全然異なるようです。
 バレエの台本を書いた台本はヴェルノワ・ド・サン=ジョルジュは、バイロンの『海賊』から登場人物の名前を借りて、かなり自由に創作を加えたと考えられます。「そんなの原作とちゃうやん」と思うかもしれませんが、歌舞伎ファンでもあるぽん太には、合点がいきます。歌舞伎には「世界」という概念があります。「世界」にかんしては、こちらのサイトにはわかりやすく、そしてこちらのサイトには詳しく書かれていますが、簡単にいえば歌舞伎の物語の大枠となる設定のことです。この用語を使えば、バレエの『海賊』は、バイロンの『海賊』を「世界」として創られたということになります。
 バレエは、簡単なマイムはあるものの、セリフがありませんから、状況や筋がわかりにくいという欠点があります。そこで皆のよく知っている物語を題材にすることによって、登場人物のキャラクター設定や、おおまかな状況説明をわかりやすくする、という意味もあるのかもしれません。

2009/01/27

【モロッコ旅行(3)】宗教・イスラム教スンニ派が国教だそうです

 モロッコでは、イスラム教が国教とされており、国民のほぼ全員がスンニ派のイスラム教です。ごく少数、キリスト教など他の宗教のひともいますが、ほとんど外国人などに限られているようです。かつてはユダヤ教徒も少なからず住んでいたそうですが、多くがイスラエルの建国に伴い移住して行ったそうです。
 Pc290009 カサブランカにあるハッサン2世モスクです。1993年に完成した新しいモスクで、世界最大級の規模を誇ります。大西洋に浮かぶかのように造られていますが、これは『コーラン』のなかに、神は海の上にいると書かれているからだというようなことを現地ガイドさんが言っていたのですが、家に帰ってコーランをパラパラめくっても、どうしてもそのような記述がみつかりません。どなたか知っていたら教えて下さい。塔のように見えるのが「ミナレット」で、ここから「アザーン」と呼ばれる礼拝の呼びかけが行われます。気がつかれた方もいるかもしれませんが、ミナレットが円形ではなく四角いのが、モロッコの特徴だそうです。
Pc300087 イスラムの戒律に関しては、比較的ゆるやかな印象を受けました。1日5回の礼拝も強制ではなく、各自の意思にまかされているようです。写真はフェズのカラウィン・モスクで、礼拝のために身を清めている人たちです。ちなみにこのモスクは大学としても利用されたそうで、世界最古の大学のひとつだそうです。
Pc310186 女性もスカーフをかぶっている人もいれば、かぶっていない人もいます。写真は、サハラ砂漠に近いエルフードという街のスークですが、この街の女性は黒い衣服で身体をすっぽり覆っています。ガイドさんの話しによると、モロッコ最初のイスラム王朝、8世紀末から10世紀初頭に栄えたイドリス朝はシーア派で、この街ではその影響が残っているのだそうです。
 モロッコ人は、お酒は基本的には飲まないようです。観光客は、ホテルやレストランでお酒を飲むことはできますが、マラケシュの旧市街の屋台やレストランでは、観光客もお酒を飲むのははばかられる雰囲気です。
P1020080 マラケシュの旧市街(メディナ)ですが、不景気によるシャッター通りではありません。人々は店を閉めて、大切な金曜日の昼過ぎの礼拝に出かけたのです。なんだかんだいって実は信心深いようです。今回のガイドさんも、日本語を習って旅行会社を経営しているところみると開明派だと思うのですが、「コーランには最先端の科学のビッグバンのことが書いてある。神の言葉でなくて、どうしてそんなことが可能だろうか」と熱く語ったときには、ぽん太は「そうですね」と相づちをうつしかありませんでした。

2009/01/26

【歌舞伎】海老蔵・獅童の若さが満開・2009年1月新橋演舞場夜の部

 新橋演舞場、夜の部の最初の演目は、海老蔵の『七つ面』です。歌舞伎十八番は、市川家に代々伝わる家の芸ですが、実はあまり演じられない演目も少なくないそうです。『七つ面』もそのひとつで、市川宗家としては72年ぶりの復活とのこと。ぽん太は、舞踊の振付けの良し悪しや、踊りの上手へたを見分ける眼力はないのですが、海老蔵の意気込みは伝わって来ました。海老蔵は最近テレビに出まくっているようですが、それも自分が中心になって歌舞伎を盛り上げよう、という気持ちからのように思えます。
 二番目は「封印切」。獅童の亀屋忠兵衛は愛嬌はあるのですが、色っぽさというか艶やかさというかはんなりした感じにはまだまだ欠けるようです。そのせいか前半のじゃらじゃらはちょっと退屈でした。これは相手役の傾城梅川の笑三郎が、古風な趣きは絶品ですが、落ち着いていて若々しい色気に欠けるので、しっかりものの姉さん女房に見えてしまうせいもあるかもしれません。しかし後半の八右衛門とのやりとりになってからはがぜん面白くなり、ついに御用金の封印を切ってしまうクライマックスに向って、一直線にヒートアップして行きます。こちらの相手役の八右衛門を演ずる猿弥は、とっても上手で感心しました。テキ屋の口上のようなリズミカルな長ゼリフが延々と続きますが、抑揚といいリズムといいすばらしかったです。猿弥がこんなにセリフが上手とは知りませんでした。獅童は、プライドから逆上して大罪を犯してしまうエキセントリックな人物を好演。獅童の演じる「情けない男」、ぽん太はちょっと好きになりました。しかし仕草に踊りの味がないためか、最後に梅川とともに花道を引っ込む場面で、よろつくさまに笑いが起きてました。そのほかの役者さんたちも、皆すばらしかったです。門之助のおえんは、情のある女房役がいつもながらうまい。寿猿の治右衛門は芝居を引き締めていました。
 「白浪五人男」は、海老蔵と獅童のやりとりが、今どきのチンピラの掛け合いみたいで面白かったです。勢揃いも、左團次を除いてさすがに台詞回しに聞き惚れるというわけにはいかなかったですが、若さのもつパワーと華やかさに、ぽん太は力をもらいました。
 海老蔵は、変なテノールみたいな声も出さなくなったし、大げさな演技も少なくなり、荒れ玉の豪速球投手にコントロールがついてきた感じ。『七つ面』の復活にみられるように意欲も充実、また「極楽寺」のような立ち回りでは卓越した身体能力を発揮。容姿の美しさは昔から。なんだかとっても楽しみです。

新橋演舞場・初春花形歌舞伎
平成21年1月・夜の部

一、歌舞伎十八番の内 七つ面(ななつめん)
         元興寺赤右衛門    海老蔵
                       他

二、恋飛脚大和往来(こいびきゃくやまとおうらい)
    封印切
           亀屋忠兵衛    獅 童
            傾城梅川    笑三郎
          槌屋治右衛門    寿 猿
         丹波屋八右衛門    猿 弥
          井筒屋おえん    門之助

三、弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)
    白浪五人男
  序 幕 雪の下浜松屋の場
      稲勢川勢揃いの場
  大 詰 極楽寺屋根立腹の場
      同山門の場
      滑川土橋の場
 弁天小僧菊之助/青砥左衛門藤綱    海老蔵
            南郷力丸    獅 童
            鳶頭清次  市川右 近
            忠信利平    段治郎
           赤星十三郎    春 猿
          浜松屋幸兵衛    右之助
          日本駄右衛門    左團次

2009/01/25

歌舞伎のジャンルを超えた玉三郎の「鷺娘」・2009年1月歌舞伎座昼の部

 歌舞伎座の昼の部も、新橋演舞場と同様、三番叟でスタートです。演舞場の方は滑稽で楽しく、春を祝う農民のお神楽という雰囲気でしたが、歌舞伎座の方は格式と雅びが感じられました。
 次の「俊寛」ですが、ぽん太は、幸四郎はの演技の濃さがちょっと苦手なのですが、『俊寛』だと誰がやっても濃くなるので、かえって気になりませんでした。
 「十六夜清心」は初めて見る演目。粋な菊五郎と美しい時蔵、そして腹に一物ありそうな吉右衛門など、役者が揃っています。華やかでありながらどこか人を狂気に誘うような常磐津にのせて、七五調の名ゼリフや、錦絵のような場面が繰り広げられ、黙阿弥の世界を堪能いたしました。
 さて、今回もっとも感動したのは、玉三郎の『鷺娘』。歌舞伎初心者のぽん太は初めて観ました。長唄をバックに、引き抜きやぶっ返りによる早変わりも交え、確かに歌舞伎舞踊の形式は備えているのですが、玉三郎の身体表現は、歌舞伎のジャンルを超えた芸術性があるように思いました。ストーリー性もあって、コンテンポラリー・ダンスといっても間違いではないでしょう。最後の鷺娘が倒れて動かなくなっていくところは、クラシック・バレエの『瀕死の白鳥』を連想しましたが、家に帰って筋書を見たら、な〜んだ、ちゃんと書いてありました。
 筋書の「解説と見どころ」によれば、1762年(宝暦12)に江戸市村座で『柳雛諸鳥囀』(やなぎにひなしょちょうのさえずり)という舞踏のひとつとして初演されましたが、振りは絶えてしまい、曲のみが伝承されていました。これを九世市川團十郎が1886年(明治19)に『月雪花三組杯觴』(つきうきはなみつぐみさかずき)のなかで復活し、曲節も三世杵屋正治郎が大幅に手を加えたそうです。また同じく筋書の「歌舞伎座ゆかりの舞踊三題」(石山俊彦)によると、大正時代に六世菊五郎が、アンナ・パヴロワの『瀕死の白鳥』を観て、その要素を取り入れたそうです。
 『瀕死の白鳥』は、1907年にペテルブルクのマリインスキー劇場でアンナ・パヴロワによって初演されました。振付けはミハイル・フォーキン、音楽はサンサーンスの『動物の謝肉祭』のなかの「白鳥」です。パヴロワは世界各国でこの作品を踊りました。日本では、1922年(大正11年)に公演が行われ、大好評を博したそうです。パヴロワは日本の文化人にも大きな影響を与え、六代目菊五郎との交流は有名なのだそうです(知らんかった)。アンナ・パヴロワの『瀕死の白鳥』の動画(Youtube)はこちら

歌舞伎座
歌舞伎座さよなら公演・壽初春大歌舞伎
平成21年1月・昼の部

一、祝初春式三番叟(いわうはるしきさんばそう)
               翁  富十郎
              千歳  松 緑
              千歳  菊之助
              後見  松 江
              後見  錦之助
             三番叟  梅 玉

二、平家女護島
  俊寛(しゅんかん)
            俊寛僧都  幸四郎
            海女千鳥  芝 雀
          丹波少将成経  染五郎
           平判官康頼  歌 六
          瀬尾太郎兼康  彦三郎
         丹左衛門尉基康  梅 玉

三、花街模様薊色縫
  十六夜清心(いざよいせいしん)
              清心  菊五郎
             十六夜  時 蔵
            恋塚求女  梅 枝
            船頭三次  歌 昇
    俳諧師白蓮実は大寺正兵衛  吉右衛門

四、鷺娘(さぎむすめ)
             鷺の精  玉三郎

【参考文献】
[1] 渡辺真弓監修『バレエの鑑賞入門 (ほたるの本)』世界文化社、2006年

2009/01/24

【歌舞伎】勘三郎が大活躍・2009年1月歌舞伎座夜の部

 歌舞伎座夜の部は、正月恒例の曽我の対面から。曽我兄弟が菊五郎と吉右衛門、工藤祐経が幸四郎と、歌舞伎座さよなら公演のせいか、豪華な配役です。その他の配役も含め、それぞれの役者が持ち味を発揮し、目出たい雰囲気を盛り上げます。
 続いて勘三郎の『春興鏡獅子』。2年前の正月にも勘三郎が同じ演目を踊っていたので、なんか観たばかりのような気がしますが、あいかわらず達者でした。千之助、玉太郎の胡蝶の精が「かわいらしい」だけではなく「上手」でした。
 勘三郎は、続けて『鰯賣戀曳網』で猿源氏を演じて、大活躍でした。勘三郎はこういう世話物の人情喜劇がホントにうまいですね〜。禿(今日は須田あす美か?)を思いっきり突き飛ばしていましたが、だいじょぶだったでしょうか?玉三郎は、喜劇とはいえ、今回は元はお姫様の傾城というお役。使い古された表現ですが、一つひとつの姿が錦絵のように美しかったです。台本は三島由紀夫とのこと。三島が歌舞伎を書いていたとは知りませんでした。ちょっと調べてみると、『三島由紀夫と歌舞伎』(木谷真紀子著、翰林書房 、2007年)などという本も出ているではないか!げに深きは無知蒙昧の闇。そのうち読んでみたいです。
 
 『寿曾我対面』を観るのも何回目かになるので、台本を読んでみました(『助六由縁江戸桜 寿曽我対面 (歌舞伎オン・ステージ (17))』、諏訪春雄編著、白水社、1985年)。何を言っているかが少しわかりました(次回観る時まで覚えているだろうか?)。そこに伊豆の地名がいくつか出て来ます。伊豆はダイビングでよく行くところなので、お遊びで調べてみました。工藤祐経が河津三郎祐康を殺した狩りを思い出す場面です。

工藤祐経 安元二年神無月、十日余りの事なりしが、佐殿をなぐさめんと、伊豆相模の若殿原、奥野の狩のその帰るさ。
曾我十郎 赤沢山の南、尾崎、柏ヶ﨑の半腹に、人や待つとも白月毛の駒にまたがりし祐康が。
  まず奥野ですが、修善寺の近くに奥野という地名が残っています(地図)。また伊東の南東には奥野ダムがあります(人造湖の名前は松川湖)。両者はだいぶ離れているようですが、伊東の内陸の山林一帯を奥野と読んだのかもしれません。
 次は赤沢山ですが、google map等で調べてもみつかりません。ググってみるとこちらのサイトに、谷文晁の描いた「赤沢山」の図が出ていますが、解説の文章のなかに「赤沢山(伊雄山)」と書いてあります。伊雄山ならこちら(地図)です。いまではすっかり別荘地化されているようです。付近には、河津三郎が亡くなった場所である「河津三郎の血塚」や、曽我兄弟の墓のある東林寺など、ゆかりの史跡があるようですが、こちらの「謡蹟めぐり」のページが詳しいです。今度伊豆海洋公園に潜りに行ったときに、寄ってみたいです。
 尾崎、柏ヶ﨑に至っては、現在のどこにあたるのか、まったくわかりません。
 

歌舞伎座
歌舞伎座さよなら公演・壽初春大歌舞伎
平成21年1月・夜の部

一、壽曽我対面(ことぶきそがのたいめん)
            曽我五郎  吉右衛門
            曽我十郎  菊五郎
           小林妹舞鶴  魁 春
           近江小藤太  染五郎
            八幡三郎  松 緑
           化粧坂少将  菊之助
            梶原景時  錦 吾
            梶原景高  亀 蔵
            大磯の虎  芝 雀
          鬼王新左衛門  梅 玉
            工藤祐経  幸四郎

二、新歌舞伎十八番の内 春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)
      小姓弥生後に獅子の精  勘三郎
            胡蝶の精  千之助
            胡蝶の精  玉太郎
             局吉野  歌 江
           老女飛鳥井  吉之丞
         用人関口十太夫  高麗蔵
        家老渋井五左衛門  友右衛門

三、鰯賣戀曳網(いわしうりこいのひきあみ)
             猿源氏  勘三郎
       海老名なあみだぶつ  彌十郎
         博労六郎左衛門  染五郎
       庭男実は藪熊次郎太  亀 蔵
              亭主  東 蔵
     傾城蛍火実は丹鶴城の姫  玉三郎


2009/01/21

【オペラ】大感動!演出よし歌よし音楽よし・『蝶々夫人』新国立劇場

 う〜、さぶ……。
 新国立劇場の『蝶々夫人』を観に行ってきました。軽い気持ちで行ったのですが、あふれる涙が止まらず、ぽん太は数年ぶりの大感動でした。公式サイトはこちらです。
 『蝶々夫人』を観るのは2回目で、前回は2006年7月の東京二期会の公演でした。その時の印象は、「ああ、有名な『蝶々夫人』って、こんな話しね」という感じで、それなりに面白かったものの、そんなに感動した記憶はありません。
 幕があくと、舞台装置はやや抽象的で、立体的な造形や質感が心地よいです。ライティングもすばらしく、階段上の入り口から入ってくる人物の影が、湾曲した壁に大きく映し出されるのですが、このオペラの悲劇的で暗い部分を効果的に暗示しております。またライティングや障子の開け閉めによって、舞台上に切り取られるさまざまな光の図形が印象的です。そして驚きのラストシーン。蝶々夫人は、舞台の上手客席側で、客に背を向けて舞台の奥を向いたまま、自害します。「あれあれ、何であんな端っこで……」と思っていると……!公演は1月24日までなので、書かないておきましょう。とにかく、とてもすばらしい演劇的な演出でした。
 調べてみると、演出の栗山民也は、演劇畑で活躍して来たひとで、現在は新国立劇場の演劇部門の芸術監督だそうです。だからこそ、通常のオペラのような、歌手が大げさな身振り手振りをしながら歌うという演出ではなく、音楽と歌に「+α」としての演出を加えることができたのですね。ぽん太はこんかいの演出に、拍手喝采を送りたいと思います。
 蝶々夫人を歌ったのはババジャニアン。変な名前です。でも透明な美しい声で声量もあり、演技も上手で、とてもよかったです。アルメニア生まれとのことで、ちょっと東洋系が入っている感じで、青い目の白人さんが蝶々夫人を演じるときの違和感もなかったです。公式サイトはこちらです。ピサピアのピンカートンは、豊かな声量と延びやかな歌声で、これぞイタリアという感じ。これだけ声がよければ、ちょっとメタボでもノープロブレムです。シャープレスのイェニスはなかなかの男前で、ピンカートンの手紙を届けに来たものの、蝶々夫人がいまだにピンカートンを待っていることを知って逡巡するあたりの演技がすばらしかったです。
 オペラ『蝶々夫人』の面白さは、ピンカートンを信じて帰りを待ち続ける蝶々夫人の愛と純情にあるのではありません。すでに結婚するときから、周囲のひとたちはやがて蝶々夫人がピンカートンに捨てられることを知っています。そして周囲のひとたちがそれを知っていることは、台詞から、観客もわかっています。そのことを知らないのは、舞台上も客席も含めて蝶々夫人ただひとりです。正確にいえば、蝶々夫人も無意識的にはそのことを知っているのであり、彼女の「意識」だけが、自分がやがて捨てられることを知らないのです。彼女は、誰にとっても自明である「現実」を受け入れようとしません。そのかわりに、ピンカートンが戻ってくるという「幻想」にしがみつきます。シャープレスは、ピンカートンの手紙を読むとき、彼女に現実をわからせようとします。これは、精神医学では「直面化」(confrontation)と呼ばれます。シャープレスは、「もしピンカートンが戻ってこなたったらどうするか」と蝶々夫人に訪ねますが、すると彼女は「芸者に戻るか、死ぬしかない」と答えます。しかも「芸者に戻る」という悲惨な選択肢は、すぐさま否定されてしまします。ちなみに歴史的には、江戸時代の芸者(遊女)がけっして惨めで恥ずべき存在ではなかったことは、以前の記事で書きました。それはさておき、蝶々夫人は、ヤマドリ公爵と結婚するという選択肢も捨て、自らを最も危険な選択肢に追い込んで行きます。誰からも見えている「現実」を否認し続け、ひたすら「幻想」にしがみついている蝶々夫人の姿こそが、ぽん太が彼女を哀れに思い、深く同情する理由なのです。なぜならそれは、自分自身の姿でもあるわけですから。


『蝶々夫人』
2009年1月18日、新国立劇場・オペラ劇場
【作 曲】ジャコモ・プッチーニ
【台 本】ジュゼッペ・ジャコーザ/ルイージ・イッリカ

【指 揮】カルロ・モンタナーロ
【演 出】栗山 民也
【美 術】島 次郎
【衣 裳】前田 文子
【照 明】勝柴 次朗
【芸術監督】若杉 弘

【蝶々夫人】カリーネ・ババジャニアン
【ピンカートン】マッシミリアーノ・ピサピア
【シャープレス】アレス・イェニス
【スズキ】大林 智子
【ゴロー】松浦 健
【ボンゾ】島村 武男
【神官】龍 進一郎
【ヤマドリ】工藤 博
【ケート】山下牧子

【合唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京交響楽団

2009/01/18

【バレエ】マツァークにびっくり、コルプもいいぞ、レニングラード国立バレエ『海賊』

 皆さん、神様は存在します!
 前回の「白鳥」で、真ん前に髪型アップの首降りオバサンがいて、ほとんど舞台が見えなかったぽん太ですが、今回の「海賊」ではナント前が空席!ありがたや、ありがたや、神様ありがとう!ぽん太の苦しみを見ていてくれたのですネ。でも、とってもすばらしい舞台だったので、空席が目立ったのはちょっと残念でした。
 それほど本日の「海賊」はとてもすばらしかったです。まずびっくりしたのが、メドーラのナタリヤ・マツァーク。初めて見るダンサーですが、鍛え抜かれた身体は腹筋が割れており、身体能力もさることながら、独特のライン美しく、存在感があります。キエフ・バレエ(ウクライナ国立バレエ)に所属しているとのことですが、ちょっと東洋の血が混ざっている感じで(これって差別発言?)、『海賊』の設定にマッチしていました。ぽんたは一目で彼女の大ファンになりました。そしてコルプも、『ジゼル』ではキャラが合っていない感じでしたが、『海賊』のアリは予想通りのハマリ役。髪型は相変わらず自転車のヘルメットみたいで変でしたが、すばらしい踊りでした。目の周りが黒いメイクも、タヌキのぽん太は親近感を覚えます。
 二人以外にも、シェミウノフのコンラッドは、長身で踊りも大きく、ノーブルで包容力があって文句無し。奴隷商人ランケデムを踊ったアントン・プロームも、1幕のダンスなど、ここでこんなにすばらしく踊ってしまって、2幕のアリの踊りは大丈夫なの?という感じでした。裏切り者のビルバンドのアンドレイ・カシャネンコも、踊りにキレがあり、カミソリのようなキャラクターがよかったです。『ジゼル』ですばらしいミルタを踊ったコシェレワが、クラシック・トリオの一人という贅沢。その他もすべてのダンサーが、のびのびと目一杯実力を発揮しているという感じでした。
 ただ演出に関しては、序曲の最中に風の音がスピーカーで流れ、演奏が聞こえません。冒頭からしばらくのあいだ、ネットのような幕が降りたままで舞台が進行するのですが、見にくいだけで理由がわかりません。ビルバンドの傷をメドーラが見つけて裏切り者と気づく下りがないので、メドーラがビルバンドに斬りつけるシーンが無意味になってしまいました。一般にはパシャの夢とされている花輪を持った踊りが、突然出て来るので、前後のつながりがわからない、などの点に疑問を感じました。
 ぽん太にとっては、マツァーク、コルプを初めとして、すべてのダンサーが最高のパフォーマンスを見せてくれて、「白鳥」の鬱積がはれた至福の一夜でした。

「海賊」
レニングラード国立バレエ(ミハイロフスキー劇場)
2009年1月15日、Bunkamuraオチャードホール
音楽:A.アダン 他
振付:M.プティパ

コンラッド(海賊の首領):マラト・シェミウノフ
メドーラ:ナタリヤ・マツァーク(ゲスト・ソリスト)
アリ(海賊):イーゴリ・コルプ(ゲスト・ソリスト)
ギュリナーラ:サビーナ・ヤパーロワ
ランゲデム(奴隷商人):アントン・プローム
セイード・パシャ(トルコの総督):アンドレイ・ブレクバーゼ
ビルバンド(海賊):アンドレイ・カシャネンコ
フォルバン:ヤニーナ・クズネツォーワ、エレーナ・モストヴァーヤ、オリガ・セミョーノワ、ニコライ・アルジャエフ、ロマン・ペトゥホフ
アルジェリアの踊り:エレーナ・モストヴァーヤ
パレスチナの踊り:オリガ・セミョーノワ
クラシック・トリオ:イリーナ・コシェレワ、ダリア・エリマコワ、ヴィクトリア・クテポワ

指揮:ミハイル・パブージン
管弦楽:レニングラード国立歌劇場管弦楽団

2009/01/17

【歌舞伎】正直恐すぎます!海老蔵のいがみの権太(花形歌舞伎昼の部、2009年1月新橋演舞場)

 今年最初の歌舞伎。昨年の12月は歌舞伎を見なかったので、なんだか久しぶりです。今回も海老蔵の座長公演。『義経千本桜』のいがみの権太がお目当てです。
 まずは目出度く三番叟で踊り始め。右近と猿弥の二人三番叟ですが、途中で一方が疲れてさぼったり、怒られると急に勢いよく踊り出したりして、ドリフのヒゲダンスを思わせます。
 ついで海老蔵の「口上」。市川家に伝わる「にらみ」つき。何でもこの「にらみ」を見ると、一年間無病息災が約束されるのだそうです。これで新型インフルエンザが流行っても大丈夫。「にらみ」というのはギロギロっと睨みまわすのかと思ったら、正面をカッと睨んでました。ぽん太の方を向いて睨んで欲しかったです。
 次はお目当ての『義経千本桜』。これまで見た「いがみの権太」は、愛之助や仁左衛門はやんちゃ風、吉右衛門は小悪党という感じでしたが、海老蔵はまるでヤ○ザのようなドスのきいた極悪人で、正直恐かったです。普通「木の実」は、権太が本当は子供思いで憎めない人物あることを示す場面だと思うのですが、海老蔵が演じると正真正銘の大悪党に見えます。二十両も、騙り取った(いいがかりをつけてだまし取る)というよりも、脅し取った感じで、ほとんど強盗です。段治郎の小金吾も、「姿を隠して逃げている手前、騙りとわかっていながらお金を払わなくてはいけないことが口惜しくて泣く」というよりは、脅されて恐くて泣いちゃった小学生みたいでした。
 「すし屋」は、悪人かと思われたいがみの権太が実は善人だったという、「もどり」と呼ばれるどんでん返しが眼目です。普通はこの部分の「ああ、ホントはいい人だったのに、刺されちゃってかわいそ〜」というところがクライマックスとなります。しかしそうすると、権太の善行が実は無駄だったという二度目のどんでん返しが、なんともやるせないというか後味が悪く感じられるのが、以前から気にはなっていました。
 今回の海老蔵のいがみの権太は、根っから悪人っぽいので、「ああ、ホントはいい人だったんだ〜」という説得力がちっともありません。そのかわり驚いたことに、第二のどんでん返しが、「ほらほら、さんざん悪いことしてきて、たまに良いことをしようとするから、そうなるんだよ」と、自然につながるのです。こうなると、まさに舞台上は地獄絵図という感じで、いがみの権太の善行はむくわれないわ、父の弥左衛門は勘違いから子供を殺してしまうわ、母おくらは父に隠して息子に大金を渡すわ、維盛はのうのうと逃げ延びたうえに娘を騙して密通するわ、わやくちゃです。この状況では、維盛が現世を倦んでとうとう出家を決意するのも納得がいきます。はたして海老蔵がそこまで計算して新解釈をしたのか、それとも偶然の為せる技なのか、ぽん太にはわかりません。
 海老蔵は、テノールのような高音こそなくなったものの、演技に力が入りすぎて時々滑稽になるのはあいかわらず。芝居もリアルすぎて、歌舞伎の古典らしさに欠ける気がします。もうちょっとあっさりと様式的にやってほしいです。獅童の梶原景時は立派。笑也の若葉の内侍は、ちと高貴さに欠ける気がしました。笑三郎はあいかわらずしっかりと落ち着いてました。春猿は演技はよかったですが、声が裏声の一本調子でニュアンスに欠ける気がしました。門之助の弥助/維盛は悪くはありませんでしたが、やさ男ぶりにぽん太の期待が大きかっただけに、ちとものたりなかったかな。右之助の母おくら、左團次の弥左衛門、さすがに芝居が引き締まりました。
 最後は『お祭り』で、華やかに〆です。10分間と短かったので、「待ってました」「待っていたとはありがてぇ」のやりとりもなく、手ぬぐいをまいて終わりました。ホントに海老蔵は喋らないとかっこいいですね〜。ちょっと照れて頭をかく仕草など、男のぽん太もホレボレしました。
 正月らしい華やかな演目が楽しめてよかったです。


初春花形歌舞伎(昼の部)
新橋演舞場、平成21年1月

一、猿翁十種の内 二人三番叟(ににんさんばそう)
             三番叟  市川右 近
             三番叟    猿 弥
             附千歳    弘太郎
              千歳    笑 也
               翁    段治郎
二、寿初春 口上(こうじょう)
    市川海老蔵「にらみ」相勤め申し候
                    海老蔵
三、義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)
    木の実
    小金吾討死
    すし屋
          いがみの権太    海老蔵
          梶原平三景時    獅 童
           若葉の内侍    笑 也
           女房小せん    笑三郎
            娘 お里    春 猿
           主馬小金吾    段治郎
            母おくら    右之助
      弥助実は三位中将維盛    門之助
          鮓屋弥左衛門    左團次
四、お祭り(おまつり)
              鳶頭    海老蔵
              鳶頭    獅 童
              鳶頭  市川右 近
              鳶頭    猿 弥
              鳶頭    段治郎
              芸者    春 猿
              芸者    笑三郎
              芸者    笑 也
              芸者    門之助

2009/01/15

【バレエ】よく見えなくて残念!レニングラード国立バレエ『白鳥の湖』

 年末年始恒例のレニングラード国立バレエ、第2段は「白鳥」です。オデット/オディールのイリーナ・ペレンは、ぽん太は初めて。ジークフリートはアルチョム・プハチョフが踊ることになっておりましたが、当日アンドレイ・ヤフニュークに変更となっておりました。
 第一幕は、ジゼルの家があったのと同じ森が舞台となっております(セットが同じ)。踏み台のようなものを使ったワルツの振付けがレニングラード独特で楽しいです。衣裳の色も、昨今は淡いパステル調が多いなかでは、ちょっと珍しくてよかったです(どう珍しいのか、うまく言えませんが)。
 ジークフリートのヤフニュークは、あどけない少年のような顔をしたおぼっちゃんです。まだ若いのでしょうか?対するオデット/オディールのペレンは、スタイルはいいのですが、ちと大きくてどことなく肉感的な雰囲気があり、これではジークフリートは、オデットにもオディールにも、いいように手玉に取られそうです。ヤフニュークはしっかりと踊っておりましたが、まだ観客を引きつけるオーラには欠けるようです。ペレンも、どこが悪いというのはないのですが、やはりいまひとつ何かが足りないような気がしました。しばしば顔が素になって、真剣な表情で踊るのも気になりました。
 気になるといえば、今回は前の方の真ん中のとてもいい席だったのですが、真ん前にいたオバサ、いや奥様が、アップの髪型で背筋をピンと伸ばし、そのうえ絶えず頭を動かすので、気になって仕方ありませんでした。頭の陰になってステージの中央3人分くらいが見えないので、なんとか頭と頭の隙間から舞台を見ていると、そこに頭を動かしてくるのです。ひどいときには5秒間隔です。ぽん太のこれまでの観劇史上最悪の「前の人」でした。おまけに第3幕を見ずに帰って行ってしまいましたが、いったいなにしに来てたのでしょう?祝日の「白鳥」ということで、観劇マナーを知らない人が多く混ざっているのかもしれませんが、集中して観れなかったのがとっても残念です。
 ということで、今日は感想もあまり書けないのです。


「白鳥の湖」
レニングラード国立バレエ(ミハイロフスキー劇場)
2009年1月12日、東京国際フォーラムA

音楽:P.チャイコフスキー 振付:M.プティパ/L.イワノフ
改訂演出:リムスキー=コルサコフ記念レニングラード音楽院バレエ演出振付研究所

オデット/オディール:イリーナ・ペレン
ジークフリート:アンドレイ・ヤフニューク
ロットバルト:マラト・シェミウノフ
王妃:ズヴェズダナ・マルチナ
家庭教師:アンドレイ・ブレクバーゼ
パ・ド・トロワ:サビーナ・ヤパーロワ、タチアナ・ミリツェワ、マクシム・エレメーエフ
小さい白鳥:アンナ・クリギナ、ナタリア・クズメンコ、エレーナ・ニキフォロワ、ユリア・チーカ
大きい白鳥:タチアナ・ミリツェワ、ダリア・エリマコワ、ヴィクトリア・クテポワ、ヴァレリア・ジュラヴリョーワ
2羽の白鳥:ダリア・エリマコワ、ヴァレリア・ジュラヴリョーワ
スペイン:エレーナ・モストヴァーヤ、オリガ・セミョーノワ、アンドレイ・カシャネンコ、ウラジーミル・ツァル
ハンガリー(チャルダッシュ):エレーナ・フィールソワ、ロマン・ペトゥホフ
ポーランド(マズルカ):マリーナ・フィラートワ、ナタリア・グリゴルーツァ、ユリア・カミロワ、エレーナ・スヒーフ、ニコライ・コリパエフ、アルチョム・マルコフ、、アレクサンドル・オマール、ニキータ・セルギエンコ
イタリア(ナポリ):ナタリア・クズメンコ、アントン・アパシキン

指揮:カレン・ドゥルガリヤン
管弦楽:レニングラード国立歌劇場管弦楽団

2009/01/13

【バレエ】女たらしのアルベルト・レニングラード国立バレエ『ジゼル』(付:20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代)

 年末年始恒例のレニングラード国立バレエを観に行って来ました。演目は『ジゼル』、キャストはシェスタコワ、コルプです。2年前にルジマトフとのコンビですばらしい「白鳥」を見せてくれたシェスタコワが、どんなジゼルを踊るのか、そして初めて観る奇才コルプやいかに?
 こちらの光藍社の公式サイトによると、今回の『ジゼル』は「新演出」とのことですが、どこがどう違うのかよくわからないところが、バレエ初心者ぽん太の恐ろしいところ。前回レニングラードの『ジゼル』を見たのは数年前だったし……(言い訳)。

 シェスタコワのジゼルは、ノックを聞いて家を飛び出たとこから、もう観客を魅了します。背が高いし手足も長いので、「可愛らしい」という感じとはちょっと違うのですが、清楚でどことなくはかなさが漂います。
 コルプは、野性的な雰囲気があって、ノーブルな貴族という感じではありませんでした。しかし独特の存在感があって、切符を買ってある『海賊』の切符を買が楽しみです。コルプはマイムを様式的にあっさりとこなし、細かい小芝居はしないようです。例えば、「ハンスに切り掛かろうとして剣を抜こうとするが、剣を差していないことに気づく」といった芝居も、淡白に流してました。
 今回の舞台では、アルベルトがなんだかとっても悪いヤツに思われました。ジゼルの座っている長椅子に腰掛ける場面では、抱きついてキスしたりしました。これって普通は、アルベルトがにじり寄って行くとジゼルが逃げるという演出ではなかったですか?また、婚約者とかち合う場面でも、普通はジゼルを気にかけながらも、仕方なしに婚約者にキスするという感じだと思うのですが、コルプのアルベルトはすっごく嬉しそうな顔をして婚約者の手を取っていました。横にジゼルがいることなど忘れてしまったかのようです。アルベルトがジゼルを本当に愛していたのか、それとも単なる遊びだったのかは、さまざまな解釈があるようですが、コルプのアルベルトは目の前にいる女に気を奪われるどうしょうもない男に思えました。さらに発狂するジゼルを尻目に、小屋の中に逃げ帰ろうとします。またジゼルが死んでしまって、アルベルトがハンスに「お前のせいだ」と詰め寄ると、反対に「俺じゃない、お前のせいだろう」と言い返される下りでも、普通は「ああ、そうだ、俺のせいだ」となるのに、コルプのアルベルトはさらに剣を取ってハンスに切り掛かろうとしました。こんなバカな男に騙されたジゼルがかわいそうでなりませんでした。ちなみにシェスタコワの発狂シーンはすばらしかったです。
 2幕は、イリーナ・コシェレワが踊ったウィリの親玉(ミルタ)が、気品と冷酷さと美しさを兼ね備えてすばらしかったです。前にレニングラードの『ジゼル』を見たときも、この人だったような気がします。シェスタコワのウィリも、軽くて柔らかくて静謐で気品があってすばらしかったです。ただ、リフトされたときのふわふわという浮遊感がいまいちだった気がするのですが、これはコルプの問題なのかもしれません。
 アルベルトが女たらしに見えただけに、こんなヤツをウィリになっても守ろうとするジゼルのけなげさに、ぽん太は目がうるうるしました。しかし考えれば考えるほど第2幕は、アルベルトにとって話しがうますぎます。騙した女に許され、助けてもらうわけですし、またジゼルを奪われてしまった森番ハンスが、何の罪もないのに、ウィリに殺されてしまうのも気の毒です。むむ〜にっくきアルベルト、許せん!などと思っているうちに、精神科医ぽん太の頭にむくむくと妄想が浮かんできました。
 それは、2幕はすべてアルベルトの夢だったというものです。女好きの性格ゆえにジゼルを殺してしまったアルベルトは、頭では自分の非を認めませんが、無意識的には罪悪感を感じます。さて、精神分析の創始者フロイトは「夢は願望充足である」と言っておりますが、アルベルトは自分の罪悪感をやわらげるような夢を見ます。まず、恋敵でもあり、自分がジゼルの死を招いたことを指摘したハンスを、ウィリの呪いで葬り去ります。次に、死んでしまったジゼルが、ウィリという姿ではありますが、ふたたび甦ります。そしてひどい仕打ちをしたジゼルは、アルベルトの夢のなかで、彼を許し、救うのです。夜明けがきて、夢のなかのウィリたちは立ち去り、アルベルトは目を覚まします。そのとき彼は、2幕のすべてが夢だったことに気づき、やっと己の罪に気づいて泣くのです。

 『ジゼル』といえば、昨年のエトワール・ガラで見たルンキナのジゼルは、テクニックがす完璧なだけでなく、崇高さすらかんじるすばらしい踊りでした。しかしこれは、ガラ公演だからこそのここ一番の集中力だったと思います。全幕ものとしては、シェスタコワのジゼルは大満足でした。
 『ジゼル』といえば、アイススケートの中野友加里のジゼルもよかったですね。どうせなら、発狂して死ぬ場面と、ウィリの場面も入れて欲しかったです。

 バレエを観る前に、Bunkamura ザ・ミュージアムで、「20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代」を見てきました。公式サイトはこちらです。20世紀初頭の、良く聞く名前の画家の作品が多かったですが、ぽん太の好きなクレーの絵がたくさんあったのがよかったです。「直角になろうとする、茶色の△」というヘンテコな名前の水彩画があり、クレー独特の色彩で塗り分けられたさまざまな長方形のなかに、ひとつだけ茶色の三角形が描かれていました。△が「直角」になろうとするというのは、なんか変だなと思って英語の表記を見ると、たしか「Brown △, striving at right-angulars」となっていました。right-angularという単語は知りませんが、△と対比するなら、長方形(rectangle)のほうがふさわしい気がしますし、striving atで「〜になろうとする」という意味はあるのでしょうか?「四角形のなかで奮闘する、茶色の△」という気もしますが、原題はなんなのでしょうか(ドイツ語かもしれません)、図録を買ってないのでわかりません。もともと文法的に正しくないシャレなのかもしれません。書庫にあった1990年の回顧展のカタログ「パウル・クレーの芸術」には載っていないようです。あさって『海賊』を観に行く時、可能ならもう一度チェックをしてみたいと思います。
 ところで、Wikipediaなどを見てみると、晩年のクレーは難病の「皮膚硬化症」にかかったとのこと。「皮膚硬化症」という名前の疾病はありませんが、「強皮症」のことでしょうか?難病情報センターの「強皮症」のページはこちらです。英語のwikipediaのPaul Kleeを見てみると、sclerodermaと書いてありますから、おそらく「強皮症」で間違いなさそうです。美術関係者のみなさん、アップデートしておいて下さい。


レニングラード国立バレエ
『ジゼル』
2008年1月8日 Bunkamuraオーチャードホール
音楽:A.アダン
振付:J.コラーリ/J.ペロー/M.プティパ
改訂演出:N.ドルグーシン

ジゼル:オクサーナ・シェスタコワ
アルベルト:イーゴリ・コルプ
ミルタ:イリーナ・コシェレワ
森番ハンス:アレクサンドル・オマール
ペザン・パ・ド・ドゥ:タチアナ・ミリツェワ、アントン・プローム
ベルタ(ジゼルの母):アンナ・ノヴォショーロワ
バチルド(アルベルトの婚約者):オリガ・セミョーノワ
公爵:アンドレイ・ブレグバーゼ
アルベルトの従者:ロマン・ペトゥホフ
ドゥ・ウィリ:マリア・グルホワ、ユリア・カミロワ

指揮:カレン・ドゥルガリヤン
管弦楽:レニングラード国立歌劇場管弦楽団

2009/01/08

【モロッコ旅行(2)】地理と自然(付:なぜか上海)

Pc270001 なぜか上海……。 今回の旅行は、まず上海でトランジット。それに夕食と、車窓からの軽い上海観光が着いていました。写真は「森ビル」で、正式名称は「上海環球金融中心」(上海ワールド・ファイナンシャル・センター)です(公式サイトはこちら)。高さは492メートル。当初は世界一の高さのビルを目指しましたが、建設予定がずれ込むうちに台湾のTAIPEI 101(509メートル)が完成していまい、現在は世界2位だそうです。さらにドバイに建設中のブルジュ・ドバイは既に700メートルを超えており、最終的にどこまで高くなるかは明らかにされていないそうです。今年竣工の予定だそうですが、ドバイは経済危機の深刻な影響を受けているというウワサもあり、いったいどうなることでしょう。
 外灘(バンド)の租界時代の面影の残る歴史的な街並もライトアップされて美しく、そこから眺めた高層建築群もすばらしく、2010年の上海万博に向けて街を整備する上海の勢いを感じました。海鮮料理もおいしかったです。そのうちゆっくり観光してみたいです。

 上海からエミレーツ航空を上述のドバイで乗り継ぎ、一路モロッコのカサブランカへ。ところでモロッコで有名な都市といえば、映画で有名なカサブランカですが、モロッコの首都はカサブランカではありません。ラバトという都市です。
 みなさんはモロッコの位置を知ってますか?ぽん太は良く知りませんでした。下のグーグルマップをご覧下さい。
大きな地図で見る
 アフリカ大陸の北西部に位置し、東はアルジェリア、南は西サハラと接しています。それよりも地政学的に重要なのは、ジブラルタル海峡を挟んでスペインと面していることで、もっとも狭いところでわずか14kmしか離れていないそうです。つまりモロッコは、アフリカとヨーロッパを結びつけると同時に、地中海と大西洋をも結びつけているのです。従ってモロッコは、ジブラルタル海峡よりも東では地中海に面し、西では大西洋に面しております。
 細かく言えば、モロッコはスペインと陸続きです。え?どこでですって?実は北アフリカにはスペインの飛び地があります。それはセウタ(地図)とメリリャ(地図)です。ですからモロッコは、スペインと陸続きということになります。
 面積は44.6万平方キロメートルで、日本の約1.2倍、人口は3,324万人です。
P1020028 地形に関しては、例えばこちらの地図をご覧下さい。モロッコには大きな二つの山脈があります。ひとつは地中海沿いに東西に伸びアルジェリアに連なっていくエルリフで、最高2400m程度です。もうひとつは北東から南西に斜めに走るアトラス山脈で、北から順にモワイアン・アトラス、オート・アトラス、アンチ・アトラスの三つに分かれています。3000〜4000m級の山々が連なり、オート・アトラスにあるモロッコ最高峰のトゥプカル山は4165mあり、富士山よりも遥かに高いです。写真は、ワルザザートからマラケシュに向かう途中に見えた、オート・アトラスの3000m級の山並みです。
 モロッコの気候ですが、ぽん太は、アフリカでサハラ砂漠と聞いて、てっきり暑いと思い込んでいたのですが、1月のカサブランカで最低気温9度、最高気温17度ぐらいで、東京の3月や11月くらいの肌寒さです。
Pc300125 写真は、モワイアン・アトラスの中腹にあるイフレンの近くですが、ご覧の通り雪が降り積もり、観光客がスキーを楽しんでおります。
 アトラス山脈の北西側は主に温暖な地中海性気候で、オリーブの木が目立ちます。
Pc310174 一方、山脈の南東側は砂漠気候となっており、広大なサハラ砂漠が始まります。

2009/01/07

【精神障害者福祉】社会と接点がない患者さんが全国で50万人

 社会と接点を持たずに暮らしている精神障害者が大勢いるというニュースが、昨年末に流れてました。
 共同通信社の「50万人が社会と接点なく 全国の精神科通院患者」という題名の記事(47NEWSの記事へのリンクはこちら)によると、 日本精神神経科診療所協会 の調査の結果、全国の精神科通院患者約270万人のうち、半年以上、就労・就学やデイケアへの通所などの社会との関わりがなかった患者が、推計で約50万人にのぼることが明らかになったのだそうです。
 全国で50万という数字が適切かどうかはわかりませんが、ぽん太の実感としても、就労や就学はもちろん、作業所やデイケアにもつながっていない患者さんは、たくさんいると思われます。
 不安感が強くて家にほとんど閉じこもっていたり、あるいはコンビニに行くのもやっとという患者さんがたくさんいます。また対人関係が苦手で、作業所やデイケアなどの集団の中に入って行くことができないこともあります。あるいはまた疲れやすかったり、気力がなかったりして、週に何度も通所するのか困難な場合もあります。こうした患者さんたちは、2週に1度、あるいは月に1度の通院以外は、家族以外とほとんど接点をもたずに暮らしているわけです。
 ぽん太も多摩のタヌキ市の障害者計画の作成に、委員としてかかわったりもしているのですが、そこでは様々な福祉施策が講じられているものの、こういった患者さんには手が届いておりません。
 施設への通所が困難な患者さんに対してはホームヘルプサービスがありますが、これは料理や掃除・洗濯といった身の回りの援助が目的であり、ちょっと趣旨が違います。

 ぽん太は、次のような仕組みがあったらいいのにな……と思います。
 家にこもっている患者さんを、2週に1度でも、月1度でも誰かが訪ねて来てくれます。慣れるに連れて、少しずつ会話もできるようになるでしょう。だんだんとなじみになったら、一緒にちょっと外に連れ出してくれます。
 こうるすことで、患者さんと社会との小さな接点ができるのではないでしょうか。それは患者さんにとってプラスとなるだけではありません。患者さんとご家族がつねに向き合っていると、お互いにいろいろと感情的になる場合が多いのですが、ここに第三者が入ってくることで、関係にゆとりが出てくることが期待されます。
 また、ある施設を訪れると、一対一で話しを聞いてくれたり、少人数でお茶でも飲みながら話しができたりするといいと思います。思考障害が強い患者さんだと、質問を聞いてから答えるまで数十秒かかったりすることもあります。こういう患者さんは集団では会話に入れませんが、一対一だったら話しをすることができます。また一度に大勢と話しをすると混乱してしまうひともいます。また刺激に敏感な患者さんでも、静かで少人数だったら、不安にならないかもしれません。

 こういった仕組みは、現在の制度には入っておりません。かといって、ぽん太が自ら実践する元気がないのも情けない話しですが……。せめてブログに書いて、誰かが賛同してこのような試みを行ってくれるのを願うばかりです。

2009/01/06

【モロッコ旅行(1)】まずは日程のご紹介

Pc310154 新年あけましておめでとうございます。今年の年末年始、ぽん太とにゃん子はモロッコに行ってきました。ぽん太の性転換手術も無事成功して、見事メスダヌキに生まれ変わりました(嘘です)。
 今年の年末年始は長めに休みが取れたものの、旅行を予約した頃は原油高で燃料サーチャージが高騰しておりました。産油国は全体的にサーチャージが安いと知り、ドバイのエミレーツ航空を利用するモロッコツアーを選んだのです。ところでサーチャージ、サーチャージって、なんかと思ったら「追加料金」やん。なんで日本語ではいけないのか?
 さて、お世話になったのは、昨年のウズベキスタンに続いて、風の旅行社です。楽しい旅をありがとうございました。
 まずは日程をご紹介いたします。

【1日目】成田空港から中国国際空港で上海浦東空港へ。夕食と車内観光ののち、エミレーツ航空でドバイへ。(機内泊)
【2日目】ドバイで飛行機を乗り継ぎ、カサブランカに到着。ハッサン2世モスクを見学ののち、車でフェズへ。(フェズ泊)
【3日目】フェズ市内観光。(フェズ泊)
【4日目】車でメルズーガに移動。メルズーガの砂丘でテント泊。
【5日目】ラクダで砂丘から出る日の出を鑑賞。車でカスバ街道を走り、トドラ峡谷を経て、ワルザザートへ。(ワルザザート泊)
【6日目】車でアイト・ベン・ハッドゥを訪れたのち、マラケシュへ。(マラケシュのリアド泊)
【7日目】マラケシュ市内観光。(マラケシュ泊)
【8日目】カサブランカ空港からドバイへ。
【9日目】ドバイから上海経由で成田へ。(お疲れさまでした)

 ちなみに冒頭の写真は、5日目に砂丘の上からみた日の出です。

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