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2009年2月の12件の記事

2009/02/28

【蕎麦】信州上田「おお西」の蕎麦は芳醇な香り★★★★(付:岡崎酒造「亀齢」)

P1280233_2 過日、信州は上田にある十割蕎麦屋「おお西」に立ち寄りました。公式サイトはこちらです。北国街道沿いの古い町並みの一角にあり、「おお西」の建物も、古い生糸問屋を改装したものだそうです。
P1280001 「発芽そば」という、発芽した蕎麦を打ったものが名物のようですが、今回は普通の「もり」にいたしました。「もり」にも「更級」「挽きぐるみ」「田舎」の三種があり、「更級」と「田舎」をいただいたと思うのですが、ひょっとしたら違ったかもしれません。
 とにかく芳醇な香りがおいしく、またとても歯ごたえがあります。つゆは甘ったるかったりはしませんが、濃厚な味で蕎麦の強い香りを支えます。蕎麦の美味しさもさることながら、雰囲気があり、店主のパッションを感じるお店です。

 P1280007 近くに蔵元があったので、日本酒好きのぽん太とにゃん子は大喜び。岡崎酒造株式会社で、「亀齢」という銘柄のお酒を造っているそうです。公式サイトはこちらです。この時期限定の「しぼりたて生酒」があったので買って帰りました。スキーの時期は、新酒を買うのが楽しみです。「亀齢」というと、広島にも亀齢酒造がありますが、それとは無関係のようです。
P1280237 おひな様が飾ってあったので、見せていただきました。古風なお顔立ちがとても素敵です。

2009/02/27

【演劇】宮沢りえの演技と佐藤江梨子のちちに圧倒される『パイパー』野田地図

 前回の『キル』が良かったので、『パイパー』を観て来ました。ナマ宮沢りえを初めて見ましたが、テレビで見るはんなりした雰囲気とは全く違って、気っ風のいい姐さん役を力強く演じていました。これは並みの役者ではないと思いました。また佐藤江梨子の巨乳にもびっくり。こうした方面に詳しくないぽん太は、ひょっとしたら役作りのための着ぐるみなのではないかと双眼鏡で継ぎ目を探しましたが、継ぎ目はみつかりませんでした。『パイパー』の公式サイトはこちら、また野田地図の公式サイトのなかの『パイパー』の案内はこちらです。
 まだ上演中なので、ネタバレしないよう細かい内容は書きませんが、未来の火星を舞台に時代をいきつもどりつしながら繰り広げられる野田ワールドがすばらしかったです。宮沢りえと松たか子の長い掛け合いは、見せ所という感じでお見事でしたが、もうちょっと声の高低というか強弱というか声色というか、変化があればよかったです。ぽん太は、野田秀樹の郷愁に満ちた長台詞が大好きなのですが、今回はなかったのが残念です。もっとも長台詞はなかったものの、空に輝く地球を心の支えに暮らしている火星の人々の郷愁は、痛いほど伝わってきました。野田独特の言葉遊びの世界というか、言葉のつながりによる芝居の構造化が少なめで、たんなるダジャレみたいになっていたのも物足りなかったです。人間を助けるロボットがなぜあのような形でパイパーと呼ばれるのか、なぜ鎖骨にオハジキを埋め込んでいるのかなど、芝居だから特に理由はなくてもいいのですが、いつもの野田だったら言葉遊びで分けのわからないこじつけをしてくれそうなものですが……。舞台セットも大変お金がかかっているようで豪華でしたが、その分観客の想像力が制限されてしまいました。ラストシーンの花が咲くシーンなどもきれいではありましたが、造花が機械仕掛けで実際に上がってくるのではなくて、舞台上には何もなくて観客の頭の中に花を咲かせて欲しかったです。芝居のテーマも、希望と絶望、殺人、信じること、幸福の数値化など、中高年のぽん太にはちょっとストレートすぎて、気恥ずかしい感じがしました。全体的に今回の公演は若い人向きだったのかな?橋爪功と大倉孝二はさすがに芸達者。
 とはいえ、次の公演も行ってみたいです。
 ところで、宮沢りえちゃんを残して放浪している恋人の名は、ペール・ギュント。ペール・ギュントというと、グリーグの音楽を思い出しますが、「朝」(動画はこちら)や「ソルヴェイグの歌」(動画はこちら)などが有名で、義務教育の音楽の時間に聞かされた気がします。原作はイプセンの戯曲で、Wikipediaであらすじを見るとわかるように、かなりぶっとんだ内容ですが、恋に落ちた娘を捨てて放浪するがやがて帰ってくるという点と、人間がボタン(オハジキではないですが)に流し込まれるという点が、『パイパー』と関連しているように思われます。


野田地図NODA・MAP 第14回公演
『パイパー』
2009年2月 シアター・コクーン
作・演出:野田秀樹

松 たか子
宮沢 りえ
橋爪 功
大倉 孝二
北村 有起哉
小松 和重
田中 哲司
佐藤 江梨子
コンドルズ
野田 秀樹

美術 堀尾 幸男
照明 小川 幾雄
衣装 ひびの こづえ
選曲・効果 高都 幸男
振付 近藤 良平
ヘアメイク 宮森 隆行

2009/02/26

【バレエ】ノイマイヤーの豊かな才能に感服『人魚姫』ハンブルク・バレエ

 ノイマイヤーの「人魚姫」を観てぽん太はとても感動したのですが、ブログに書こうにも感動が大きすぎてぽん太の筆が追いつかず、のびのびになっていました。いくら先延ばししても同じことなので、本日書いてしまいます。ジョン・ノイマイヤー/ハンブルク・バレエの「人魚姫」の民音の公式サイトはこちら。ちなみに民音と創価学会が関係あるとは、ぽん太は初めて知りました(民音の概要)。

 とにかくこの作品は、バレエというジャンルを超えて、同時代の舞台芸術のトップレベルの作品だと思いました。このような舞台を観ることができて本当に幸せです。
 ノイマイヤーは幅広い才能をもっているようで、それは演出・振付だけでなく、舞台装置・照明・衣装まで一人でこなしていることからもわかります。一人でやっていながら、けっして単調にならず、大勢のスタッフが関わったかのように豊かで複雑です。またそれによって、作品の隅々までノイマイヤーの神経が行き届いており、統一感が感じられます。
 まず面白かったのが、「人魚姫」の原作者であるアンデルセンを舞台に登場させていること。ぽん太は精神科医でありながらまったく知らなかったのですが、アンデルセンはかなり変わった人だったそうで、生涯独身ですごし、同性愛者だったという噂もあるそうです。アンデルセンの友人であるエドヴァートが結婚してしまうシーンから舞台は始まり、アンデルセンの思いが人魚姫を生み出し、以後、アンデルセンと人魚姫が交錯しながら物語は進んで行きます。アンデルセンが友人エドヴァートの結婚をきっかけに「人魚姫」という童話を書いたというのは、事実のようです。この仕掛けによって、人魚姫の王子に対する「成就せぬ愛」というメルヘンが、アンデルセンのエドヴァートに対する愛という現実に重ね合わされ、さらにぽん太の頭の中では、身分、宗教、人種などあらゆる差別によって「成就せぬ愛」へとひろがっていきました。ぽん太はこのバレエを観ている最中に、イスラエルのガザ攻撃のことまで考えたりしました。
 振付けもアイディア満載で、波に揺れるワカメのような手の動きが、バレエ全体を支配します。「白鳥の湖」で白鳥の羽ばたく動きが統一感を与えているようなものですね。そして黒い服をまとった3人の男性ダンサーが人魚姫をリフトすることで、人魚が水中を泳ぎ回っているような効果を産み出します。そしてその動きも、魚の動きを連想させます。以前に観た小野寺修二の『空白に落ちた男』で、バレエ・ダンサーの首藤康之が小野寺をリフトすることによって、宙に体が浮かんだような不思議な効果を出す部分があったのですが、ひょっとして首藤が「人魚姫」から着想を得たのでは、というのはぽん太の妄想でしょうか?
 海中の世界は、日本の歌舞伎や文楽の影響を受けているようで、黒い服のダンサーたちはまさに黒衣(くろこ。歌舞伎では「黒子」ではなく「黒衣」と書くようです)ですし、人魚姫の尾びれはまるで長袴、海の魔法使いは袴姿で隈取りのような化粧をしています。上述の民音のサイトには衣裳の引き抜きもあると書いてあり、おそらくは人魚姫の尾びれを取るところだとおもうのですが、これは脱がせただけで歌舞伎の引き抜きとは違うと思います。ちなみに「引き抜き」の解説は例えばこちら、引き抜きの動画はこちらを御覧下さい。ノイマイヤーさんは、日本文化に造詣が深いそうです。
 ところで日本文化に造詣が深いといえば、船上で奥に煙突が出て来て、下手から水兵が手すりを持って現れ、人々が歩き回るシーン(どのへんだったか忘れましたが)は、寺山修司の世界のように思えたのですが、そう感じたのはぽん太だけでしょうか?
 足を得て人間になった人魚姫は、アンデルセンの原作ではとても美しくてダンスが上手で(そのかわり口がきけません)、皆から賞賛の目で見られますが、ノイマイヤーのバレエでは、人間の体をもてあますようなぎこちない動きをし、車椅子に乗せられたり、からかわれたりします。水兵にからかわれているのがよくわからず、無邪気に笑っていたりするのが哀れです。精神科医のぽん太からすると、地上での人魚姫は障害者(ときには脳性小児麻痺による身体障害者、ときには知的障害者、ときには精神障害者)のように見えました。また第3幕の、人魚姫が閉じ込められている遠近法が強調された小部屋は、精神病院の保護室を連想させました。ぽん太の解釈によれば、第3幕全体は、精神病院の保護室に収容された人魚姫が見た夢、あるいは妄想であり、人魚姫は精神病院の一室で息を引き取ることになります。もちろんこれはぽん太の個人的な解釈ですが。ただアンデルセンは、祖父も父親も精神障害を患っており、自分もいつ発狂するのではないか、という不安にいつも怯えていたそうです。
 人間の世界になんとか溶け込もうとしていた人魚姫が、足を捨てて人魚に戻ろうと決意する瞬間を、人魚姫役のアッツォーニがトウシューズを脱ぎ捨てることで表現していたのも、びっくりしました。ダンサーが舞台上でトウシューズを脱ぐなんて!またラストシーンで、天上が下がって来て人魚姫(とアンデルセン)が小部屋の中で押しつぶされていき、次いで二人が天上の上に立つと今度はそれが再び上昇し始め、二人が天に昇って行くというアイディアも、天井が下がって上がるだけでこれだけの劇的な効果を生み出すことに感動しました。とはいえ、けっしてしかつめらしい難解な舞台ではなく、水兵のマッチョな踊りも楽しかったです。
 人魚姫役のアッツォーニには脱帽。バレエ、演劇、マイムといった既成のジャンルに収まらない、まったく新しい身体表現を見せてくれました。
 音楽も、新しいけど難解でなくて、激しいリズムや悲哀に満ちた叙情があり、シュニトケやショスタコーヴィチ、プロコフィエフなどを思い浮かべました。作曲家はレーラ・アウエルバッハというひとだそうな。初耳です。ちょっとぐぐってみたら超有名なひとだそうで、こちらが公式サイトです。おまけに超美人ですネ。CDも何枚か出ているようです。
 それから、テルミンが使われていました。実物は見たことがないので、休憩時間中にオケピまで見に行けばよかったですが、うっかり忘れてました。昨今は、ロシアつながりなのか、マトリョーシカ人形にテルミンを仕込んだマトリョミンなるものが一部で流行しているようですが、その演奏風景はなかなかシュールです(動画はこちら)。


ハンブルク・バレエ「人魚姫」
2009年2月15日、NHKホール

演出・振付・舞台装置・照明・衣装:ジョン・ノイマイヤー
音楽:レーラ・アウエルバッハ

詩人:イヴァン・ウルバン
人魚姫/詩人の創造物:シルヴィア・アッツォーニ
エドヴァート/王子:カーステン・ユング
ヘンリエッテ/王女:エレーヌ・ブシェ
海の魔法使い:オットー・ブベニチェク

指揮:サイモン・ヒューウェット
ヴァイオリン:アントン・バラコフスキー
テルミン:カロリーナ・エイク
演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

2009/02/23

【歌舞伎】「蘭平物狂」は精神科医ぽん太の領域じゃ(歌舞伎座2009年2月夜の部)

 「蘭平物狂」は初めて観る演目でした。ストーリーはいろいろあって複雑ですが、要するに奴蘭平の、前半では物狂いでの踊り、後半では大立ち回りを楽しむという趣向のようです。蘭平役の三津五郎は、もちろん所作ごとはお手の物、後半の梯子を駆使した立廻りもすごい迫力と体力で、これまでぽん太が見たことのないタテもあり、おもしろかったです。
 さて、物狂(ものぐるい)といえば、精神科医の端くれのぽん太の領分です。今回の舞台の台本とはちょっと違うところもありますが、『名作歌舞伎全集〈第4巻〉丸本時代物集』[1]に収録されている「蘭平物狂」を参照してみましょう。
 蘭平は、抜き身の刀を見ると気を失うという奇病を持っています。

〽枕刀をおっ取って、すらりと抜いて振りあげ給えば、アッと叫んで倒れ伏す、気も絶え入ると見えければ……
 蘭平は、抜き身の刀を見た瞬間に気を失います。
〽呼生け介抱するうちに、むっくと起きてあたり見廻し、
蘭平 なんじゃなんじゃ、おりゃこゝへなにしに来た。……オオ、そうじゃそうじゃ、コレコレコレ嫁入りじゃ嫁入りじゃ。ハハハなるほどなァ、一世一度の祝言にこの形(なり)でも行かれまい。なにかそこにないかしらん。……あるわあるは、幸いこゝに裲襠(うちかけ)、綿帽子もありがたい。
〽これを着ましょというまゝに、しどろもどろに引き纏い、
 ト烏帽子装束を着て、中啓を持ち、しゃんと立ち
 介抱をすると蘭平は意識を取り戻しますが、もうイッてしまってます。自分がこれから結婚式に参加するお嫁さんだと思い込み、置いてあった烏帽子装束を打ち掛けに綿帽子と見間違えて着込みます。
りく アコレコレ、なにを見つけてきょろきょろと、どこに人がいるぞいな。
蘭平 アレアレアレそこに。
りく どこに人がいるぞいのう。
蘭平 ソレそこに。
りく ありゃ松じゃわいなア。
蘭平 なんじゃ、松じゃ。……ドレ。
 今度は蘭平は松の木を人と見間違えます。でも、りくに指摘されると、人ではなくて松の木であることに気づきました。
 次いで蘭平は踊り出しますが、その唄の歌詞は滑稽で、妙に韻を踏んでいます。
〽浮かんせ浮かんせ辛気な顔を、浮かせ浮いたるものにとりては、鵜川の鵜舟に魚が浮いて鵜を呑んだ。竜田川には紅葉がうけば、吉野川には桜を浮かし、桂川には筏を浮かす、まだも浮かずば瓢箪腰にかっ附けて、鯰川に飛び込んで、エヽぬるりぬるりぬるり、ぬるりとすべる。こっぽり浮か浮か浮いて来た。誰も浮かれたおかしのやつさ。
 踊っているうちに蘭平は、再び気を失います。これを見た行平が、「生まれついたる難病とはいいながら、思えば不便(ふびん)なものじゃなア」と言って刀を鞘に納めると同時に、蘭平は正気にかえりますが、これまでのことは覚えておりません。
 実は蘭平の発狂は仮病(精神医学用語では「詐病」といいます)で、ホントの物狂いではなかったのですが、それでおこの芝居から、当時の人たちが狂気をどのように理解していたかを推測することができるでしょう。まず抜き身の刀を見て失神するという点。いわゆる先端恐怖と呼ばれる、尖った物に恐怖を感じる病気もありますが、蘭平は恐怖や不安は示さずに意識を失うので、その診断は否定的です。意識を回復するとすでに正気を失っており、自分が花嫁と思い込んだり、烏帽子装束を花嫁衣装だと思って着込んだり、松を人と見間違えたります。やがてわけのわからぬ踊りをし始めます。そして再び気を失って正気を取り戻すと、発狂していた間の記憶を失っています。こうした病状から推察すると、現代の診断でいえば解離性障害が思い浮かびますが、するとこれが生まれつきの病と言われていることには矛盾します。解離性障害は生まれつきの病気ではありません。ぽん太が以前の記事(「水天宮利生深川」と狂気、2006/03/15)で書いた「水天宮利生深川」に出てくる狂気とも似ているような気がします。ちなみに「蘭平物狂」が書かれたのは1752年(宝暦2年)、「水天宮利生深川」は1885年(明治18年)と、100年以上の隔たりがあります。こうした狂気の表現が、当時の一般の人々の狂気に対する理解を反映しているのか、それとも芝居における狂気の描写の常套手段なのか、無学なぽん太には判断がつきません。いずれにせよ、行平がこの病状を見て「思えば不便(ふびん)なものじゃなあ」と言って無礼を許し、狂人を排除しようとせずに気の毒に思っていたことは、ほっとするところです。
 「蘭平物狂」でもうひとつ気になったのは、「気違い水をこぼさず」(差別的表現ですがご容赦下さい)ということわざ。当然ながらぽん太は初耳です。2カ所で出てきで、まず最初は、蘭平が自分でくせ者を捕まえたいと行平に訴える場面。行平が、「お前は刃物を見ると発狂する難病なのに、くせ者を捉えることができるのか」と非難すると、蘭平は「アイヤそれは一途の御了簡、そこが世俗に申す通り、気違い水をこぼさずとやらの譬え、刃物を見たりとも、一心に討とうと思えば仕果せぬ事もござりませぬ」と答えます。もう一カ所は、与茂作が親の敵とばかりに行平に斬り掛かる場面。行平は蘭平に自分の身代わりとして与茂作と決闘するように言いつけますが、蘭平は自分は刃物を見ると気が違うので無理だと断ります。それに対して行平は、「コリャ欄平、そのまた役に立たぬものが、気違い水を滾(こぼ)さず、一心に討とうと思えば、仕果せぬ事はないと、そちゃ最前申したではないか」と叱責します。
 このことわざは辞書で引いてもでておらず、ネットではこちらのサイトがヒットするだけです。このサイトには「世に狂人と言われる者であっても意外と自分の手にしたグラスの水をこぼさずに持ち歩く。自分で思いつめた事だけはたとえどんな人間でも忘れぬ。」と書かれていますが、「蘭平物狂」での用例も、「一心にやろうと思えば、気が違っていてもやり通すことができる」という意味であるように思われます。

 ゴホン、さ、さて、話しをもとに戻して今月の歌舞伎ですが、二番目の演目はご存知『勧進帳』。吉右衛門の弁慶は大きいながらも抑制された古典的表現が良かったです。梅玉の義経に華があるのは当たり前。判官御手では高貴さだけでなく、慈しみの心情がもっとにじみ出るといいのですが(この点では一昨年の芝翫の義経が絶品でした)。菊五郎の富樫は、一昨年團十郎が弁慶を演じたときにも見ましたが、心理の移り変わり(頼朝の命に従って山伏は一人も通さない → ひょっとしたらホントに偉い山伏か? → やっぱり義経一行だ、ひっとらえよ → 自分が鎌倉勢に罰を受けてもいいから義経を助ける決心をする)が見事に演じられておりました。
 最後は「三人吉三」。さすがの玉三郎もこうした男に変わる役は無理。いっそのこと女の声のまま演じきったらいかがでしょうか。染五郎も容姿は美しいけれど、セリフ回しで観客を酔わせるにはいたらず。さすがに松緑のセリフは聞かせますが、三人による河竹黙阿弥独特の七五調の掛け合いの美しさは残念ながら感じられず、客席からも笑いがおこっていたのはちと無念。
 でも、歌舞伎座さよなら公演らいしい豪華メンバーの競演で、ぽん太は大満足でした。

歌舞伎座
歌舞伎座さよなら公演・二月大歌舞伎
平成21年2月・夜の部

一、倭仮名在原系図
    蘭平物狂(らんぺいものぐるい)
        奴蘭平実は伴義雄    三津五郎
            在原行平    翫 雀
           水無瀬御前    秀 調
            一子繁蔵    宜 生
       与茂作実は大江音人    橋之助
      女房おりく実は妻明石    福 助

二、歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)
           武蔵坊弁慶    吉右衛門
             源義経    梅 玉
            亀井六郎    染五郎
            片岡八郎    松 緑
            駿河次郎    菊之助
           常陸坊海尊    段四郎
           富樫左衛門    菊五郎

三、三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)
    大川端庚申塚の場
            お嬢吉三    玉三郎
            和尚吉三    松 緑
           夜鷹おとせ    新 悟
            お坊吉三    染五郎

【参考文献】
[1] 『名作歌舞伎全集〈第4巻〉丸本時代物集 』東京創元新社、1970年。

2009/02/14

【バレエ】ザハロワ目当てに『ライモンダ』新国立劇場バレエ

 バレエ初心者のぽん太は、ライモンダの全幕を観るのは初めて。セットや衣裳が中世風でとても美しく、次々と繰り広げられる舞踏もすばらしかったですが、筋があまりにも単純でドラマチックな盛り上がりに欠けるような気がしました。新国立劇場の公演案内の「ステージノート」No.108には、「プティパ最後の傑作といわれる」と書いてありますが、そんなもんなんでしょうか?あまり聞いたことのないグラズノフの音楽も、まあまあ良かったです。
 お目当てはもちろんザハロワ。ぽん太が観るのは、昨年のボリショイ・バレエ来日公演の『白鳥の湖』に続いて2回目です。悲しみでうるうるとのオデットや小悪魔的なオディールもよかったですが、ライモンダの、夢のなかで婚約者と踊る恋する乙女や、結婚式の喜びに満ちあふれた姿もよかったです。今回はザハーロワとコールドバレエが同じような振りで踊る部分が多く、同じ動作でも全然違って見えるのがよくわかりました。マトヴィエンコはどっしりとして安定感があり、リフトもしっかりしていました。さすが十字軍に加わっただけのことはあり、力強く包容力のある王子様という感じでした。 
 小太りのぽん太は、今回の演出ではなんか森田健太郎のアブデラクマンに感情移入してしまい、一生懸命に財宝をプレゼントしたり、舞踏団を連れてきたりしてライモンダを喜ばそうとしているのに、嫌われて最後には殺されてしまい、なんだか気の毒に思いました。連れ去ろうとしたのは確かにやり過ぎですが……。もっとアブデラクマンをイヤなやつに描いた方がいいのでは?
 ベルナールの芳賀望、どこかで見たヒトだと思ったらKバレエで観たのですね。新国立での活躍を期待しております。


ライモンダ
新国立劇場バレエ
2009年2月12日・新国立劇場オペラ劇場

【振 付】 マリウス・プティパ
【改訂振付・演出】牧阿佐美
【作 曲】アレクサンドル・グラズノフ
【装置・衣裳】ルイザ・スピナテッリ

ライモンダ:スヴェトラーナ・ザハロワ
ジャン・ド・ブリエンヌ:デニス・マトヴィエンコ
アブデラクマン:森田健太郎
ドリ伯爵夫人:楠元郁子
アンドリュー2世王: 市川 透
クレメンス:丸尾孝子
ヘンリエット:西川貴子
ベランジェ:マイレン・トレウバエフ
ベルナール:芳賀望
第一ヴァリエーション:厚木三杏
第二ヴァリエーション:寺田亜沙子
スペイン人:湯川麻美子、江本 拓
チャルダッシュ:西川貴子、マイレン・トレウバエフ
グラン・パ ヴァリエーション:西山裕子

新国立劇場バレエ団
指揮:オームズビー・ウィルキンス
管弦楽:東京交響楽団

2009/02/13

【歌舞伎】鹿の子と道明寺を買って帰る・2009年2月歌舞伎座昼の部

 歌舞伎初心者のぽん太は、「加茂堤」と「賀の祝」を観るのは初めてで、ようやく『菅原伝授手習鑑』の全体の流れがわかってきました。橋之助の桜丸が、やわらかさと色気がある一方で、最後に腹を切るという芯の強さを感じさせ、よかったです。福助の八重も、3階から観ていたせいかもしれませんが、例のくどい演技がなく、牛を何とか引っ張っていこうとするところなど可愛かったです。斎世親王と苅屋姫を見て二人で興奮するところなど、いったい兄弟で何をやっているのかと、おかしかったです。松王丸の染五郎と梅王丸の松緑も、田舎育ちの素朴な兄弟の、小学生のけんかのようなやりとりを、あかるくのびやかに演じていました。左團次の白太夫が舞台を締めて、感動的な悲劇となりました。
 しかし歌舞伎座の3階は狭いし、前の人の頭で見えないですよね。建て替えたら、もう少し見やすくして欲しいです。でもあの完成予想図(YOMIURI ONLINE)、中途半端ですよね。現存の建物と同じにするなら同じ、違うなら違うと、どっちかにすればいいのに。
 玉三郎と菊之助の二人道成寺は、以前に観たことがあります(あまり覚えておりませんが)。その頃に比べて菊之助はだいぶ恰幅がよくなったようで、ぽん太からみると大人っぽい色気が出て来ていいように思うのですが、にゃん子は昔の方がよかったとのこと。
 『人情噺文七元結』は、菊五郎はこうした世話物はホントにうまい。時蔵も口うるさい女房を滑稽にうまく演じていて、お姫様から貧乏なおかみさんまでなんでも上手なのには感心します。三津五郎の和泉屋清兵衛が、大店の主人らしい落ち着きと気配りがありました。娘お久の顔は、どうみてもお久ではなく、尾上右近本人にしか見えなかったのですが??『文七元結』は善人ばかりが出て来て、めでたしめでたしで終わって、癒されますね。
 なんだか鹿の子と道明寺を食べたくなり、買って帰りました。


歌舞伎座・歌舞伎座さよなら公演
二月大歌舞伎
平成21年2月・昼の部

一、菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)
    加茂堤
    賀の祝
              桜丸    橋之助
              八重    福 助
             松王丸    染五郎
             梅王丸    松 緑
            斎世親王    高麗蔵
             苅屋姫    梅 枝
            三善清行    松 江
               春    扇 雀
              千代    芝 雀
             白太夫    左團次

二、京鹿子娘二人道成寺
  (きょうかのこむすめににんどうじょうじ)
    道行より鐘入りまで
           白拍子花子    玉三郎
           白拍子花子    菊之助

三、人情噺文七元結(にんじょうばなしぶんしちもっとい)
           左官長兵衛    菊五郎
            女房お兼    時 蔵
         和泉屋手代文七    菊之助
             娘お久  尾上右 近
         角海老手代藤助    團 蔵
          和泉屋清兵衛    三津五郎
            家主甚八    左團次
           鳶頭伊兵衛    吉右衛門
         角海老女房お駒    芝 翫

2009/02/12

【バレエ】ギエム姐さんの『ボレロ』首藤の『中国の不思議な役人』・東京バレエ団<ベジャール・ガラ>

 ギエムと首藤が二人とも出る日を狙って行ってきました。結果、とっても大満足で、いいものを観たなあ!という感じでした。
 まず、ギエムの『ボレロ』が予想通り最高!前回『ボレロ』を観たのは昨年来日したモーリス・ベジャール・バレエ団で(そのときのブログはこちら)、カトリーヌ・ズアナバールのソロでした。黒人系の彼女の『ボレロ』は、アフリカの部族の祝祭をイメージさせるものでした。今回のギエムは、アスリートのような鍛えぬかれた肉体を駆使した正確でキレのいいダイナミックな踊りで、祝祭性やエロスよりも、身体の美しさとパワーをストレートに見せてくれたように思います。ストレートの長髪も非常に効果的に使ってました。踊っている時の集中した表情と、カーテンコールのときのにこやかな笑顔の対照も素敵でした。
 そして首藤の『中国の不思議な役人』。実はぽん太は首藤のバレエを観るのは今回が初めてです。約1年前にマイムの小野寺修二の『空白に落ちた男』に出演しているのを観て(その時のブログはこちら)とても感動し、次は首藤のバレエを観たいと思っていたのですが、こんかい願いがかないました。生で観た須藤の踊りは、なんといっても表現力が優れています。ポーズが美しいとかジャンプが高いとかいう技術的なレベルを越えたところで、観る者の心に訴えかけてる力があります。『空白に落ちた男』などの他流試合の経験が、首藤の演劇性に磨きをかけたのでしょうか?
 全体としては、娘役の宮本祐宜がときどき素の男に戻ってしまったりし、妖艶さや倒錯的なアヤシさにはちと欠けていた気がします。
 『ギリシャの踊り』も悪くなし。後藤晴雄が魅力的でした。


モーリス・ベジャール追悼公演V / 東京バレエ団創立45周年記念公演II
東京バレエ団<ベジャール・ガラ> 
「ギリシャの踊り」「中国の不思議な役人」「ボレロ」

振付:モーリス・ベジャール  振付指導:ジル・ロマン、小林十市

「ギリシャの踊り」 音楽:ミキス・テオドラキス
I.イントロダクション 
II.パ・ド・ドゥ(二人の若者):高橋竜太-小笠原亮
III.娘たちの踊り 
IV.若者の踊り 
V.パ・ド・ドゥ:吉岡美佳-中島周
VI.ハサピコ:井脇幸江-木村和夫
VII.テーマとヴァリエーション 
ソロ:後藤晴雄
パ・ド・セット: 西村真由美、高木綾、佐伯知香、田中結子、福田ゆかり、川島麻実子、阪井麻美
VIII.フィナーレ: 全員

「中国の不思議な役人」 音楽:ベラ・バルトーク
無頼漢の首領:平野玲
第二の無頼漢―娘:宮本祐宜
ジークフリート: 柄本武尊
若い男:西村真由美
中国の役人:首藤康之

「ボレロ」 音楽:モーリス・ラヴェル
シルヴィ・ギエム
平野玲、松下裕次、長瀬直義、横内国弘

2009/02/11

【バレエの原作を読む(4)】『白鳥の湖』←ムゼーウス『奪われた面紗』??

 なんとか4回目を迎えたぽん太の「バレエの原作を読む」シリーズ。今回はクラシック・バレエの代表『白鳥の湖』です。

 Wikipediaを見ると「ドイツの作家ムゼウスによる童話『奪われたべール』を元に構想が練られ」たと書いてあります。ははは、楽勝です。『奪われた面紗ーーあるいはモンゴルフィエ風のお伽話』という題で邦訳が手に入ります[1]。め……面紗。読めません。なんだ「ヴェール」とルビがふってある。

 『白鳥の湖』の台本をうんぬんするには、このバレエの成立事情を押さえておく必要があります。初演は1877年、モスクワ・ボリショイ劇場バレエ団、台本はウラジミール・ペギチェフとワシリー・ゲルツァー、振付けはヴェンツェル・ライジンガー、音楽は言わずと知れたチャイコフスキーですね。この初演は大失敗だったという説や、そこそこの成功だったという説もあるようですが、約40回上演されたのち、1893年を最後にボリショイ劇場のレパートリーから消え、当時の振付けも廃れてしまいます。チャイコフスキーは1893年に急死しますが、1894年にプティパとイワーノフの振付けで、サンクト・ペテルブルクのマリインスキー劇場で全幕が再演されます。これが「蘇演版」とよばれるもので、その後の版はこの「蘇演版」が元になっています。鈴木晶氏のサイトに『白鳥の湖』台本対照表があり、初版の台本、チャイコフスキーが楽譜に書き込んだメモ、蘇演版台本、がアップされているので便利です。

 初版の台本を読んで興味深いのは、オデットが白鳥となったいわれが書かれていることです。

 オデットの母親は善良な妖精でしたが、父(オデットの祖父)のいいつけに従わずに騎士と恋に落ちて結婚し、オデットをもうけました。ところがこの騎士(オデットの父)は実はDVで、母親はさんざん痛めつけられたあげく死んでしまいます。父は再婚しましたが、新しく母となったのは邪悪な魔女で、オデットを憎んで殺そうとします。しかし祖父がオデットをかくまってくれました。祖父は娘(オデットの実母)のことを思って泣き続け、その涙で白鳥の湖ができました。祖父は湖の奥にオデットを隠しましたが、昼の間だけは白鳥に姿を変えて飛んだり遊んだりできるようにしました。

 オデットにそんな身の上話があったとは、ぽん太は初めて知りました。一方、蘇演版ではオデットは悪魔に呪いをかけられて、昼間は白鳥の姿に変えられてしまい、夜だけ人間に戻れるという設定です。またロットバルトにあたる登場人物は、初版では継母の魔女でしたが、蘇演版では悪魔とされています。舞踏会のシーンでは、初版ではジークフリートはオディールの美しさに魅かれて愛を誓ってしまいますが、蘇演版ではオデットとオディールが同一人物だと思って愛を誓うとされています。またラストシーンは、初版も蘇演版も王子とオデットが湖に沈んで死んでしまう点は同じですが、初版では王子の裏切りによって二人とも死んでしまうのですが、蘇演版では愛の力によって悪魔が打ち倒されます。
 で、鈴木晶氏の言うには、

 『白鳥の湖』の物語を着想したのは作曲者自身だろうと推測されるが、先にも触れたように、その材源はわからない。(……)
 いっぽう、日本の羽衣伝説に相当する、白鳥処女伝説・説話が各国にあり、チャイコフスキーの材源のひとつともいわれる。ドイツの作家ムーゼウスの童話「奪われたヴェール」もそうした説話を下敷きにしているが、『白鳥の湖』が白鳥処女伝説にもとづいているとは考えられない。([2]p.365-366)

とのこと。

 むむむ、ムーゼウスと『白鳥の湖』は関係なさそう。しかし、せっかくなので読んでみることにしました。

 さてあらすじ……。原作でないと知った今、あらすじをまとめる元気はありません。自分で読んどくれ。でも、けっこうおもしろいですよ。ギリシア神話や聖書や古典文学から様々な引用がしてあって、注を見ると「ふ〜ん」という感じですが、当時の読者は理解できたのでしょうか?また副題に出てくる「モンゴルフィエ」ですが、当時モンゴルフィエ兄弟が作成した熱気球の実験成功が大センセーションを巻き起こしていたそうで、白鳥と「空を飛ぶ」つながりで言及したものだそうです。

 ムーゼウス(Jhann Karl August Musäus, 1735-1787)は、同書の解説によれば、ドイツの啓蒙主義に関わった作家、文芸評論家だそうです。彼の名を世に広めたのは『ドイツ人の民話』(1782-1786)だそうで、そのなかに『奪われた面紗』が含まれています。グリム兄弟が民話を原型に近い形で採録・保存しようとしたのに対し、ムーゼウスは民話を素材にして創作を加えるという手法だったそうです。

 ちなみにムーゼウスはイェナ(Googleマップ)で生まれましたが、この地はやがてザクセン=ヴァイマル公家の領地となりました。1763年、彼はヴァイマル宮廷の小姓教育官となり、1769年にはヴァイマル古典語中高等学校(ギムナジウム)教授に任ぜられました。このころのヴァイマル宮廷といえば、1775年から1786年までゲーテが訪れていました。さらにレンツも1776年にゲーテを追ってヴァイマルにやってきましたが、まもなくゲーテによって追い出されたことは、以前の記事で触れたことがあります。

 

【参考文献】
[1] J.K.A.ムーゼウス『奪われた面紗』、『リューベツァールの物語―ドイツ人の民話』鈴木滿訳、国書刊行会、2003年に収録。
[2] 鈴木晶『バレエ誕生』新書館、2002年。

2009/02/10

【バレエ】奇抜で斬新でオシャレなモンテカルロ・バレエ団の『眠れる森の美女』

 バレエ初心者のぽん太は何の予備知識もなく、普通の『眠れる森の美女』を観るつもりだったので、幕が開いたトタンにその奇抜さにびっくり仰天。なんのこっちゃ。意味がわからん。
 休憩時間中にプログラムの「見本」を立ち読みしようと思ったら、な、な、なんと「見本」が無い。なぜだかプログラムは薄っぺらくて1部200円。それが飛ぶように売れています。う〜、やはりみんな意味がわからないんだ……。悔しいから購入するのはやめる。
 こちらのBunkamuraのサイトに詳しい解説が載っています。あらすじもあるよ。公演が終わったらリンク切れになるでしょうか?マイヨーというのは超有名な振付家だったのか……。ひょっとしたらこれまでガラ公演などで、知らずに彼の振付けを観たことがあるのかしら?
 セットも衣裳も斬新で美しく、カラフルだけど洗練されています。お姫様が風船に入って登場するシーンは息をのむ美しさ。発想力に脱帽です。振付けも現代風ながら前衛的というほどでもなく、肩肘を張らずに楽しむことができます。音楽の細かいニュアンスに、振付けがきめ細かく対応しているのには感心しました。
 第1幕は幼児番組のような雰囲気もありましたが、童話だから仕方ないか。一方第2幕は、お姫様がスカート脱がされてまわされてしまったりします。日曜日の昼ということでお嬢様連れの御家族も多かったようですが、お父さん・お母さんは気まずい沈黙、娘さんは意味が分からない振り、といったかんじでしょうか?第3幕は一転して官能的な大人の世界となり、マイヨーの引き出しの多さに驚愕。3分間(?)キスしっぱなしもすごかったです。
 音楽は残念ながら録音。でもマイヨーの振付けのおかげで、チャイコフスキーの音楽がハチャトゥリアンやストラヴィンスキーに通じるリズムや金管の激しさを持ち、とても現代的な響きを持っていることに初めて気がつきました。
 奇抜な衣裳と振付けなので、ダンサーのテクニックはぽん太にはまったくわからず。ただ王子役のクリス・ローランドはとっても表現力のあるダンサーだと思いました。

La Belle (美女)~眠れる森の美女~
2009年2月8日 Bunkamuraオーチャードホール
原作:シャルル・ペロー
音楽:P.I.チャイコフスキー
振付:ジャン=クリストフ・マイヨー
美術:エルネスト・ピニョン=エルネスト

ラ・ベル(オーロラ姫):ノエラニー・パンタスティコ
若者/王子:アシエ・ウリアゼレカ
リラの精:エイプリル・バール
女王(王子の母)/カラボス:ガエタン・モルロッティ
父王(王子の父):ジュリアン・バンシヨン
王(姫の父):ロドルフ・ルカス
王妃(姫の母):ナタリー・ノルドクイスト
3人の妖精:キャロライン・ローズ、エロディ・プーナ、サラ・ジェーン・メドレー
3人の護衛:ステファン・ブルゴン、ピョートル・ツボヴィクス、ジョアキム・スティヴンソン

2009/02/09

【オペラ】しばし不況を忘れる新国立の『こうもり』

 『こうもり』は昨年の7月に小澤征爾音楽塾で観てとても楽しかった演目。また新国立劇場オペラは、先日『蝶々夫人』で大感動したばかりなので、期待に胸が高まります。新国立劇場の過去の演目サイトはこちらです。
 アイゼンシュタインを歌ったクレンツレは、歌も演技も大満足。ロザリンデのナーデルマンは、美人でスタイルはいいものの、ちょっと声量に欠ける気が。雰囲気が軽めで、なんか御主人よりも浮気っぽそうな気がします。チャールダーシュもちと迫力不足でした。アデーレのオフェリア・サラは、声を自由自在にこ〜ろころと転がし、超音波のような叫び声をあげたりして好演でした。クールマンはタッパがあるせいもあって、冷酷なロシアの公爵を力強く演じていました。アルフレード役の大槻孝志のテノールが声量ある歌手に混ざって一歩も引かず。フロッシュのフランツ・スラーダ、とてもコミカルで面白かったです。「ショウチュ!」という言葉がまだ耳に残ってます。
 全体としては、ちょっと会話が間延びしている感じがしました。オケも、ヨハン・シュトラウスらしいナキというかネバリというかがなかった気がしましたが、あるいは席がオケから遠かったせいかもしれません。セットは絵本みたいでおもしろかったです。ただ、舞台の奥に円形の広いセットがあり、それを隠すように背景を作って手前のスペースで舞踏会の場面や刑務所の場面が演じられたので、なんだか狭っくるしかったし、奥の円形のセットも効果的に使われていたようには思えませんでした。
 とはいえ楽しくオシャレな舞台を満喫。不況なんか忘れて、みんなシャンパンを飲もうよ!……ってわけには行きませんよね。

『こうもり』
2009年2月1日、新国立劇場オペラ劇場
【作 曲】ヨハン・シュトラウスⅡ世
【台 本】カール・ハフナー/リヒャルト・ジュネー

【指 揮】アレクサンダー・ジョエル
【演 出】ハインツ・ツェドニク
【美 術・衣装】オラフ・ツォンベック
【振 付】マリア・ルイーズ・ヤスカ
【照 明】立田 雄士
【芸術監督】若杉 弘

【ガブリエル・フォン・アイゼンシュタイン】ヨハネス・マーティン・クレンツレ
【ロザリンデ】ノエミ・ナーデルマン
【フランク】ルッペルト・ベルクマン
【オルロフスキー公爵】エリザベート・クールマン
【アルフレード】大槻 孝志
【ファルケ博士】マルクス・ブリュック
【アデーレ】オフェリア・サラ
【ブリント博士】大久保 光哉
【フロッシュ】フランツ・スラーダ
【イーダ】平井香織

【合 唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京交響楽団

2009/02/08

【バレエの原作を読む(3)】『くるみ割り人形』←ホフマン『くるみ割り人形とネズミの王様』

 さて、ぽん太のバレエの原作を読むシリーズ。ちょっと飽きてきた感もありますが、3回目は『くるみ割り人形』です。初演は1892年にサンクトペテルブルグのマリインスキー劇場、脚本はマリウス・プティパ、振付けはレフ・イワノフ、音楽はもちろんチャイコフスキーです。
 Wikipediaなどを見てみると、E.T.A.ホフマンの『クルミ割り人形とネズミの王様』(Nußknacker und Mausekönig, 1816年)をアレクサンドル・デュマ・ペールが翻案したもの(Histoire d'un casse-noisette,1844年)が、原作のようです。
 なぜ振付けで超有名なプティパが脚本だけ担当し、振付けは別の人なのかという疑問が湧いて来ますが、鈴木晶先生によれば、制作段階ではプティパが振り付ける予定だったけど、プティパは台本を見て「こりゃダメだ」と思って仮病を使って家にこもり、仕方なく助手のイワノフが振り付けたのだそうな([2]p.125)。プティパはフランス人ですから、フランス語版を原作にしたことは理解できます。ただバレエの初演時からみると、ホフマンのドイツ語版は70〜80年前、アレクサンドル・デュマのフランス語版は約50年前の作品ですが、くるみ割りの話しは当時一般に有名だったのでしょうか?
 デュマ・ペール(1802-1870)はフランスの小説家で、『モンテ・クリスト伯』や『三銃士』などで有名ですね。オペラで有名な『椿姫』を書いた同名の息子(1824-1895)と区別するために、しばしばペール(父)を付けて呼ばれるそうです。
 デュマの『くるみ割り人形』の邦訳は、『くるみ割り人形』(小倉重夫訳、東京音楽社、1991年)と、『デュマが語るくるみ割り人形』(矢野正俊訳、貞松・浜田バレエ団、1991年)があるようですが、こちらのサイトを見ると小倉訳の方が、デュマの原文に近いような気がします。しかし残念ながら簡単にはぽん太の手に入りません。そのうち手に入ったらご報告したいと思います。
 ホフマンの『くるみ割り人形』に関しては、『人形(書物の王国)』(参考文献[1])に収録されているものがぽん太の手に入りましたが、岩波少年文庫もあるようです(『クルミわりとネズミの王さま』)。しかも値段が672円。訳はどうでしょう?河出文庫で、幻想文学が得意な種村季弘訳もあって興味を引きますが(『くるみ割り人形とねずみの王様 (河出文庫―種村季弘コレクション)』)、残念ながら品切れのようです。
 しかしホフマンといえば、Wikipediaを見てもわかるように、おどろおどろしい幻想文学で有名です。クリスマスの子供たちへの贈り物のようなバレエの『くるみ割り人形』と、幻想文学のホフマンは、ぽん太の頭の中ではちょっと結びつきません。
 実際に読んでみると、童話っぽい見せかけながらやはりおどろおどろしく、筋も錯綜していて複雑です。めんどくさそうですが、意を決してあらすじをご紹介することにいたしましょう。

 今日はシュタールバウム衛生顧問官一家のクリスマス・イブ。フリッツとマリーの兄妹も楽しみにしています。そこに上級裁判所顧問官のドロッセルマイヤーさんがやってきます。彼の風貌は、小柄でやせていて顔はしわだらけ、右目がなくて大きな眼帯をかけています。髪の毛が一本もないので、手の込んだガラス細工の真っ白なカツラをかぶっています(ぽん太注:これだけでおどろおどろしいですよね)。手先きが器用なドロッセルマイヤーさんの今年のプレゼントは、機械仕掛けで小さな人形たちが歩いたり踊ったりする小さなお城でした。しかしマリーが気に入ったのは不格好なくるみ割り人形でした。しかしフリッツが乱暴に扱ったので、くるみ割り人形は壊れてしまいます。
 さて楽しいクリスマスパーティーも終わって夜になりました。壁時計が十二時を打つと同時に、七つの頭を持つネズミの王様に率いられたネズミの大群が襲ってきます。するとどうしたことでしょう、くるみ割り人形が躍り出て、おもちゃの兵隊を率いて反撃を開始します。しかしネズミの大群にはかなわず、くるみ割り人形はネズミたちに包囲されます。あわやという時、マリーは靴を脱いでジョージ・ブッシュじゃなくってネズミの王様に向かって投げつけます。その瞬間、すべてが散り散りとなって消え失せてしまいます。
 マリーが目を覚ますと、そこはベッドの上でした。倒れたガラス戸棚の横に、散乱した人形に囲まれて、血を流して横たわっていたところをマリーは発見されたのでした。すべては夢だったのでしょうか?翌日の夕方、ドロッセルマイヤーさんが、修理したくるみ割り人形を持って見舞いに来ます。彼はマリーに長いながい「かたいくるみの童話」を語り始めます(以下、童話中童話のあらすじです)。

 王様と王妃様は、ピルリパート姫をとてもかわいがっておりました。その宮殿のかまどの下には、マウゼリンクス夫人が7匹の息子とともに宮廷を構えていました。あるとき王様は、マウゼリンクス夫人と子供たちが王様の好きなソーセージの脂身を食べてしまったことに腹を立て、時計師のドロッセルマイヤー(ぽん太注:童話のなかの話しなので、童話を語っている上級裁判所顧問官のドロッセルマイヤーとは別人です)に命じてねずみ取りを作らせ、7匹の息子や家来を捕まえて殺してしまいます。マウンゼリンクス夫人は王妃に向って、「ピルリパート姫がネズミにかみ殺されないように注意なさい」と捨て台詞を残して姿を消します。
 王様とお妃様は、マウゼリンクス夫人の復讐を恐れて、猫を使ってピルリパート姫を見張ります。しかしふと目を離したすきに、マウゼリンクス夫人が化けたネズミによって、姫の顔はまるでくるみ割り人形のようなブッサイクな顔に変えられてしまいました。王様はドロッセルマイヤー時計師に罪を押しつけ、「4週間以内に姫を元に戻す方法を見つけなければ処刑する」と言い渡しました。途方に暮れたドロッセルマイヤーは、親友の宮廷占星術師と相談し、ついに魔法を解く方法を見つけました。それには、クラカツークというとっても硬いクルミと、若い男の子が必要でした。ドロッセルマイヤーと占星術師は、クラカツーク・クルミを探しに旅に出ます。
 二人は15年間も旅を続けましたが、いまだにクラカツーク・クルミを見つけることはできません。彼らは思いついて、ニュルンベルクに住んでいる、ドロッセルマイヤー時計師の従兄弟のドロッセルマイヤー(ぽん太注:3人目のドロッセルマイヤーですね)に会いに行きます。すると偶然にも、従兄弟は見知らぬ男から買い取ったクラカツーク・クルミを持っていたのです。しかも従兄弟の息子のドロッセルマイヤー青年(ぽん太注:やれやれ、これで4人目のドロッセルマイヤーです)は、姫を魔法から解くための男の子にぴったりでした。
 王様とお妃様は、姫の魔法を解いたものに姫と王国を与えると宣言します。皆が見守るなか、ドロッセルマイヤー青年は見事にクラカツーク・クルミを割ってみせます。ピルリパート姫は、元どおりの天使のような美しい顔に戻ることができましあ。ところが喜びもつかのま、ドロッセルマイヤー青年が足元に現れたマウゼリンクス夫人をうっかり踏みつけると、今度は彼がブッサイクなくるみ割り人形に変身してしまいました。その姿を見た姫はびっくり仰天、王様とお妃様は約束を取り消し、ドロッセルマイヤー青年は時計師や占星術師とともに宮廷を追い出されてしまいます。でも占星術師が占ったところ、くるみ割り人形が、七つの頭を持つネズミに生まれ変わったマウゼリンクス夫人の息子を自らの手で倒し、その上で醜さにもかかわらず女性から愛されたら、魔法は解けることがわかりました。

 以上が上級裁判所顧問官ドロッセルマイヤーがマリーに語った「かたいくるみの童話」です。マリーには、目の前に居るドロッセルマイヤーさんが童話に出て来た時計師のドロッセルマイヤーであり、自分が見た戦いがくるみ割り人形が国と王位をかけた戦いだったことを理解します。
 その日から、夜ごとにネズミたちが攻撃を仕掛けてきます。ネズミの王様はマリーのお菓子を食い荒らしただけでなく、さらに大切な絵本や着物まで差し出すように要求します。おもちゃの兵隊が持っていたサーベルを身にまとったくるみ割り人形は、自らの手で見事ネズミの王様を討ち取ります。くるみ割り人形は、マリーを人形の国へと誘います。
 衣裳ダンスに掛かっているお父さんの毛皮の外套の袖を抜けるとそこは人形の国で、「キャンディー牧場」やら「アーモンドと干しぶどうの門」やら、見たこともない美しい世界が広がっています。マリーはくるみ割り人形に導かれて、キラキラ輝く不思議な光景のなかを都に向います。マリーの姿は、いつのまにか童話のピリルパート姫のように美しく変身しています。やがて到着したお城では、くるみ割り人形は王子として迎えられます。そこでマリーは夢のような時を過ごすのですが……。

 マリーが目を開けるとそこは自分の小さなベッドでした。マリーはくるみ割り人形やお城のことを話しますが、大人たちは、そして兄のフリッツも、「夢を見てたんだ」と言うばかりで信じようとしません。あのすばらしい冒険の話しをすることを禁じられたマリーは、みんなから「小さな空想家」と呼ばれるようになりました。その日もまたマリーは、空想にひたりながらくるみ割り人形に話しかけていましたが、うっかり彼女は椅子から落ちて気を失ってしまいます。母親に介抱されて目を開けると、なんと上級裁判所顧問官ドロッセルマイヤーの甥の少年が、ニュルンベルクから挨拶に来ているではないですか。ドロッセルマイヤー少年は、マリーと二人きりになると、自分がくるみ割り人形であったことを告白し、マリーに求婚します。マリーはもちろんこれを受けました。1年後にドロッセルマイヤー少年は金銀の馬車に乗ってマリーを迎えに来ました。そしてマリーは、不思議な人形の国の王妃となって、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。


 あ〜疲れた。ここでクイズです。マリーが人形の国に行ったのは、現実だったのでしょうか夢だったのでしょうか?答えは……。要約してしまうと、現実と非現実の錯綜や、おどろおどろしくグロテスクな部分が見えなくなってしまいます。例えば人形の国では、「一人の漁師が雑踏の中で一人のバラモン僧の頭を打ち落とし、大蒙古皇帝があやうく道化に突き倒されそうになった」りします。興味のある方は、ぜひご自身でお読みになって下さい。
 バレエの『くるみ割り人形』では、女の子の名前はマリーではなく、クララだったりマーシャだったりします。また女の子を子役が踊る場合もあれば、大人のダンサーが踊る場合もあります。人形の国も、それが現実なのか夢なのか、演出によってさまざまな解釈があるようです。このあたりは、たとえばこちらの北村正裕さんのサイトが詳しいです。このサイトでは、ホフマンの原作ではマリーがもらう人形の名がクララであると書いてありますが、ぽん太が読んだ本では「クリリーヒェン」となっております。ドイツ語の語尾「ヒェン」は、「ちっちゃな」とか「かわいい」という意味なので、「ちっちやなクララちゃん」という感じなのかもしれませんが、原文をあたっていないので定かではありません。

【参考文献】
[1] ホフマン『くるみ割り人形とネズミの王様』前川道介訳(『人形 (書物の王国)』国書刊行会、1997年に収録)。
[2] 鈴木晶『バレエの魔力』 講談社現代新書、講談社、2000年。


2009/02/01

【バレエの原作を読む(2)】『ジゼル』←ハイネ『ドイツ論』

 バレエの原作を読むシリーズ、2回目は『ジゼル』です。ぽん太には、レニングラード国立バレエのシェスタコワの『ジゼル』が印象に残っております。

 『ジゼル』の初演は1841年、パリオペラ座。台本は、テオフィール・ゴーチエと、『海賊』の台本も書いたヴェルノワ・ド・サン=ジョルジュ、音楽はアドルフ・アダン、振付けはジャン・コラリとジュール・ペローです。

 で、『ジゼル』の原作ですが、調べてみると、ハインリッヒ・ハイネの『ドイツ論』のようです。うれしいことに、岩波文庫に『精霊物語』という題で翻訳されています。『精霊物語』は、精霊にまつわるドイツのさまざまな伝説をまとめた本で、そのうちのひとつである「ヴィリス」の伝説から着想を得て、ゴーチエは『ジゼル』の台本を創ったのだそうです。ネットで『ジゼル』は「ハイネの詩」を元にして創られたと書いてあるサイトが見受けられますが、それは間違いということですね。該当部分はわずか1ページほどと短いので、引用いたしましょう([1]p.24-25)。

 オーストリアのある地方には、起源的にはスラブ系だが今のべた伝説とある種の類似点をもった伝説がある。

 それは、その地方で「ヴィリス」という名で知られている踊り子たちの幽霊伝説である。ヴィリスは結婚式をあげるまえに死んだ花嫁たちである。このかわいそうな若い女たちは墓のなかでじっと眠っていることができない。彼女たちは死せる心のなかに、死せる足に、生前自分で十分に満足させることができなかったあのダンスの楽しみが今なお生き続けている。そして夜なかに地上にあがってきて、大通りに群なして集まる。そんなところへでくわした若い男はあわれだ。彼はヴィリスたちと踊らなければならない。彼女らはその若い男に放縦な凶暴さでだきつく。そして彼は休むひまもあらばこそ、彼女らと踊りに踊りぬいてしまいには死んでしまう。婚礼の晴れ着に飾られて、頭には花の美しい冠とひらひらなびくリボンをつけて、指にはきらきら輝く指輪をはめて、ヴィリスたちはエルフェとおなじように月光をあびて踊る。彼女らの顔は雪のようにまっ白ではあるが、若々しくて美しい。そしてぞっとするような明るい声で笑い、冒涜的なまでに愛くるしい。そして神秘的な淫蕩さで、幸せを約束するようにうなずきかけてくる。この死せる酒神の巫女たちにさからうことはできない。

 人生の花咲くさなかに死んでいく花嫁をみた民衆は、青春と美がこんなに突然暗い破滅の手におちることに納得できなかった。それで、花嫁は手に入れるべくして入れられなかった喜びを、死んでからもさがしもとめるのだという信仰が容易に生まれたのである。

 あれあれ、『ジゼル』のアルブレヒトの裏切りや、ジゼルがウィリとなってもアルブレヒトを守ろうとする下りは、ヴィリスの伝説にはありませんね。さらにヴィリスは、「ぞっとするような明るい声で笑い、冒とく的なまでに愛くるしい。神秘的な淫蕩さで、幸せを約束するようにうなづきかけてくる」のだそうで、『ジゼル』のウィリの持つ、ひっそりとして悲しく慎ましやかな印象とはだいぶ違うようです。もっとも現在踊られている『ジゼル』は、プティパが改訂した振付けが基本ですから、初演当時のウィリとは違っている可能性もあります。

 岩波文庫には訳注がついているので、そちらも引用いたしましょう([1]p.170)。

ヴィーレン信仰はスラブ民族の神話のなかにひろくみられるもので、比類なく美しい女性の姿をしており、一度その姿を見たものは、人間の女性では満足できなくなるという。彼女らは水中、あるいは地上、空中に住むといわれ、翼をもっていて夜間に突然、人間のまえに姿をあらわす。そして人間に対して親切で、手助けをしてくれることもしばしばある。ハイネのこの記述は、テレーゼ・フォン・アルトナーの『ヴィリの踊り』(1822)による。

 ハイネの記述には元ネタがあるということですが、そこまで追いかけると道に迷いそうなので止めておきましょう。

 ハインリッヒ・ハイネ(Wikipediaはこちら)は有名なドイツの詩人ですね。メンデルスゾーンが作曲した「歌の翼」などのロマンチックな詩で有名です。ハイネは1797年にドイツでユダヤ人の家庭に生まれました。ベルルリン大学では大哲学者ヘーゲルに教わっております。大学卒業後、作家、ジャーナリストとして活動しますが、進歩的思想(つまり社会主義)に共感して政治批判や社会批判を行ったために、ドイツ当局から目をつけられ、1831年にフランスに亡命しました。ここでハイネは、ショパンやメンデルスゾーンなどの多くの芸術家や、マルクスなどの思想家と交流を持ちました。晩年のハイネは筋萎縮症に苦しめられたそうな。医者の端くれのぽん太は知りませんでした。1856年、パリで息を引き取ったそうです。

 『精霊物語』ですが、岩波文庫の解説によると、1835年、『ジゼル』の原作を含む冒頭部分が、『ドイツ論』の初版の第二巻にフランス語で発表されました。そして『精霊物語』全編は、ドイツ語では1837年に『サロン』第三巻で、フランス語では1855年の『ドイツ論』再版の第二巻で発表されたそうです。ゴーチエは1835年のフランス語版『ドイツ論』を読んだことになります。

 

 ググっているうちに、面白い論文を見つけました。小松博の「『ジゼル』とハイネ」[2]です。記事の末尾のリンクからダウンロードできます。小松博という方がどういう方なのか、無学なぽん太は存じ上げません。この論文のなかの、ぽん太が面白いと感じた部分を、いくつかお書きしましょう。

 ハイネ自身は、新聞に不定期に寄稿していたパリ事情の紹介記事のなかで、アダンが『ジゼル』につけた曲について、「かれの作品は、いつだってりっぱだし、それにフランス派の作曲家の中では、かれは傑出している」といいながらも、「はたしてこの音楽は、あのバレエの怪奇に満ちた内容にふさわしいといえるであろうか。作曲者のアダン氏は、民間伝説でいわれるように、森の木々を踊らせ、流れる滝を静止させてしまうような、そんな力を持ったダンスのメロディーを創りだすことができたであろうか」([2]p.39)と批判的な意見を述べています。

 『ジゼル』には、初演時は『ヴィリ』という副題が付けられていたようです。

 『ジゼル』の台本を中心となって書いたテオフィール・ゴーチエは、いわゆる脚本作家ではなく、画家から出発して文学に進み、当時は批評家としてジャーナリズムで活躍していたそうです。彼はバレリーナ、カルロッタ・グリジィの熱狂的なファンだったため、彼女を主役とするバレエを創ろうとしたのだそうです。ゴーチエ、Wikipediaにも出てますね。超有名な文学者のようです。ボードレールの『悪の華』は彼に献呈されているのだそうです。ううう、ゴーチエは青空文庫にもある……芥川龍之介や岡本綺堂が訳してる。こんど読んでみようっと。

 ハイネは、このグリジィについて、次のように書いています。「ここでカルロッタ・グリジィについてどうしてもひとことふれておきたい。……あるドイツ人作家の著述を借用して手際よくまとめられた脚本に次いで、『ヴィリ』というバレエに未曾有の人気をもたらしたのは、ほかでもないあのカルロッタ・グリジィなのである。それにしてもなんともすてきにかの女は踊ることだろう。……そして監修はかの女が君臨するはるかなる黄泉の国の中空に浮かぶ魔法の園へと、かの女とともに舞い昇るのだ。まことにかの女は、あの精霊たちの性格をそっくり備えているのだ。たえまなく踊りつづけて、そのあまりに激しい踊りのゆえに、多くの不思議な伝説が語られている、あの精霊たちの性格を」([2]p.51)。『ヴィリ』というのは『ジゼル』の副題だそうです。「あるドイツ人作家」というのはハイネ自身のことですね。ゴーチエだけでなく、ハイネもグリジィの踊りには惚れ込んでいたようです。

 初演から1週間ほどして、ゴーチエは『演劇新聞』で『ジゼル』の成功を報じ、この作品がハイネの著述にヒントを得たことを公表したそうです([2]p.57)。ということは初演時は、ハイネが原作だということは明記されてなかったんですね。『ジゼル』の成功によってハイネにバレエの脚本の執筆依頼が来たそうで、それによって『女神ディアナ』(1846)と『ファウスト博士』(1851)が創られたのだそうです。

 

 さらにもひとつ、鈴木晶先生の『バレエ誕生』[3]にも、『ジゼル』の成立事情が詳しく書かれていました。ぽん太が一方的にバレエの師と仰ぐ鈴木晶先生は、バレエ会場でときどきお見かけします。ブログ(音楽あり、注意!)もなかなか面白いです。

 ゴーチエがハイネから『ジゼル』の着想を得たことについて、ゴーチエはハイネ宛の書簡の形式をとった評論で、次のように書いているそうです([3]p.110)。

 親愛なるハインリッヒ・ハイネ、何週間か前のこと、私はあなたの見事な著書『ドイツ論』をぱらぱらとめくっていて、ある魅力的な箇所にふと目を留めた……。そこであなたが語っていたのは、身にまとう純白のドレスの裾がいつも水に濡れている空気の精エルフ、初夜の寝室の天井に繻子の小さな脚先を見せる水の精ニクス、雪のような肌をして過酷なワルツを踊りつづけるヴィリなど、ハルツの山やイルゼの川岸で、ドイツ特有の月明かりのなめらかま靄のなかで、あなたが出会ったあの魅惑的な幻の生きものについてだった。思わず私は声をあげて叫んだ、「そうだ、これを使って素敵なバレエがつくれるではないか!」。熱狂に突き動かされて、私は大きな上等の白紙を手にとり、上の方にきれいに整った筆跡で、『バレエ、ヴィリたち』と書いてみた。

 これを読むと、ゴーチエがヴィリだけでなく、他の伝説からもインスピレーションを得ていたことがわかります。

 ゴーチエは、ヴィリとなる娘を用意するために、ヴィクトル・ユゴーの『東方詩集』第三部の「幽霊」という詩([4]p.306-312)に基づいて、第一幕を書いたそうです。ゴーチエ自身が、次のように書いているそうです([3]p.116)。

 どこかの王侯の館に華麗な舞踏の間が見える。シャンデリアに灯火が入り、瓶には花々が生けられ、御馳走も並んだが、招かれた客はまだ到着していない。ヴィリたちは、水晶と金箔に燦然と輝くホールで踊る楽しさと、新たな仲間を増やしたい気持ちに引かれてしばしの間姿を見せる。ヴィリの女王は魔法の杖で床を叩いて、踊る娘たちの足にコントルダンスやワルツ、ガロップやマズルカへの飽くことのなき情熱を伝達する。殿方と貴婦人たちが到着すると、身軽い影のように娘たちは飛び去る。魔法にかかった床に駆り立てられ、また恋人が他の女性を誘うのを邪魔したい一心で夜を踊りあかしたジゼルは、あのスペインの乙女のように、明け方の冷気に気づいて驚く。すると皆には姿の見えない蒼白なヴィリの女王がジゼルの心臓に氷のような手を置くのだ。

 ユゴーの詩にはヴィリは出てきませんが、その他の点では大変似ています。しかしこの台本は劇的展開に欠けるため、バレエの台本作家としてすでに定評を得ていたヴェルノワ・ド・サン=ジョルジュが、第一幕を書き直したそうです。一方第二幕は、ほぼゴーチエの原案通りとなったそうです。とはいえ初演時の第二幕は、現在踊られているものとはだいぶ違っていたようで、ヴィリに惑わされそうになった村の若者を老人が救う場面や、トルコ・インド・フランス・ドイツの民族舞踊もあったそうです。また幕切れにはバティルドが現れ、アルブレヒトはバティルドに手を伸ばしながら、駆けつけた人々の腕のなかに倒れ込んだのだそうです。また、ジゼルやヴィリはワイヤーに吊られて宙を飛んだそうで、歌舞伎の宙乗りではありませんが、当時はこういった仕掛けが人気だったのだそうです。鈴木晶先生は、伝説ではヴィリは地中から現れるもので空を飛ばない存在であり、ここには『ラ・シルフィード』の影響が認められると述べておりますが、先の述べたように、空気の精エルフなど、『精霊物語』のヴィリ以外の精霊のイメージも重ね合わされているのではないかとぽん太は思います。

【参考文献】
[1] ハイネ『流刑の神々・精霊物語 』小沢俊夫訳、岩波書店、1980年。
[2] 小松博「『ジゼル』とハイネ」成城法学教養論集No.7, 1988, p35-59.
[3] 鈴木晶『バレエ誕生』新書館、2002年。
[4] ユゴー『詩集 (ヴィクトル・ユゴー文学館 第1巻)』潮出版社、2000年。

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