バレエの原作を読むシリーズ、2回目は『ジゼル』です。ぽん太には、レニングラード国立バレエのシェスタコワの『ジゼル』が印象に残っております。
『ジゼル』の初演は1841年、パリオペラ座。台本は、テオフィール・ゴーチエと、『海賊』の台本も書いたヴェルノワ・ド・サン=ジョルジュ、音楽はアドルフ・アダン、振付けはジャン・コラリとジュール・ペローです。
で、『ジゼル』の原作ですが、調べてみると、ハインリッヒ・ハイネの『ドイツ論』のようです。うれしいことに、岩波文庫に『精霊物語』という題で翻訳されています。『精霊物語』は、精霊にまつわるドイツのさまざまな伝説をまとめた本で、そのうちのひとつである「ヴィリス」の伝説から着想を得て、ゴーチエは『ジゼル』の台本を創ったのだそうです。ネットで『ジゼル』は「ハイネの詩」を元にして創られたと書いてあるサイトが見受けられますが、それは間違いということですね。該当部分はわずか1ページほどと短いので、引用いたしましょう([1]p.24-25)。
オーストリアのある地方には、起源的にはスラブ系だが今のべた伝説とある種の類似点をもった伝説がある。
それは、その地方で「ヴィリス」という名で知られている踊り子たちの幽霊伝説である。ヴィリスは結婚式をあげるまえに死んだ花嫁たちである。このかわいそうな若い女たちは墓のなかでじっと眠っていることができない。彼女たちは死せる心のなかに、死せる足に、生前自分で十分に満足させることができなかったあのダンスの楽しみが今なお生き続けている。そして夜なかに地上にあがってきて、大通りに群なして集まる。そんなところへでくわした若い男はあわれだ。彼はヴィリスたちと踊らなければならない。彼女らはその若い男に放縦な凶暴さでだきつく。そして彼は休むひまもあらばこそ、彼女らと踊りに踊りぬいてしまいには死んでしまう。婚礼の晴れ着に飾られて、頭には花の美しい冠とひらひらなびくリボンをつけて、指にはきらきら輝く指輪をはめて、ヴィリスたちはエルフェとおなじように月光をあびて踊る。彼女らの顔は雪のようにまっ白ではあるが、若々しくて美しい。そしてぞっとするような明るい声で笑い、冒涜的なまでに愛くるしい。そして神秘的な淫蕩さで、幸せを約束するようにうなずきかけてくる。この死せる酒神の巫女たちにさからうことはできない。
人生の花咲くさなかに死んでいく花嫁をみた民衆は、青春と美がこんなに突然暗い破滅の手におちることに納得できなかった。それで、花嫁は手に入れるべくして入れられなかった喜びを、死んでからもさがしもとめるのだという信仰が容易に生まれたのである。
あれあれ、『ジゼル』のアルブレヒトの裏切りや、ジゼルがウィリとなってもアルブレヒトを守ろうとする下りは、ヴィリスの伝説にはありませんね。さらにヴィリスは、「ぞっとするような明るい声で笑い、冒とく的なまでに愛くるしい。神秘的な淫蕩さで、幸せを約束するようにうなづきかけてくる」のだそうで、『ジゼル』のウィリの持つ、ひっそりとして悲しく慎ましやかな印象とはだいぶ違うようです。もっとも現在踊られている『ジゼル』は、プティパが改訂した振付けが基本ですから、初演当時のウィリとは違っている可能性もあります。
岩波文庫には訳注がついているので、そちらも引用いたしましょう([1]p.170)。
ヴィーレン信仰はスラブ民族の神話のなかにひろくみられるもので、比類なく美しい女性の姿をしており、一度その姿を見たものは、人間の女性では満足できなくなるという。彼女らは水中、あるいは地上、空中に住むといわれ、翼をもっていて夜間に突然、人間のまえに姿をあらわす。そして人間に対して親切で、手助けをしてくれることもしばしばある。ハイネのこの記述は、テレーゼ・フォン・アルトナーの『ヴィリの踊り』(1822)による。
ハイネの記述には元ネタがあるということですが、そこまで追いかけると道に迷いそうなので止めておきましょう。
ハインリッヒ・ハイネ(Wikipediaはこちら)は有名なドイツの詩人ですね。メンデルスゾーンが作曲した「歌の翼」などのロマンチックな詩で有名です。ハイネは1797年にドイツでユダヤ人の家庭に生まれました。ベルルリン大学では大哲学者ヘーゲルに教わっております。大学卒業後、作家、ジャーナリストとして活動しますが、進歩的思想(つまり社会主義)に共感して政治批判や社会批判を行ったために、ドイツ当局から目をつけられ、1831年にフランスに亡命しました。ここでハイネは、ショパンやメンデルスゾーンなどの多くの芸術家や、マルクスなどの思想家と交流を持ちました。晩年のハイネは筋萎縮症に苦しめられたそうな。医者の端くれのぽん太は知りませんでした。1856年、パリで息を引き取ったそうです。
『精霊物語』ですが、岩波文庫の解説によると、1835年、『ジゼル』の原作を含む冒頭部分が、『ドイツ論』の初版の第二巻にフランス語で発表されました。そして『精霊物語』全編は、ドイツ語では1837年に『サロン』第三巻で、フランス語では1855年の『ドイツ論』再版の第二巻で発表されたそうです。ゴーチエは1835年のフランス語版『ドイツ論』を読んだことになります。
ググっているうちに、面白い論文を見つけました。小松博の「『ジゼル』とハイネ」[2]です。記事の末尾のリンクからダウンロードできます。小松博という方がどういう方なのか、無学なぽん太は存じ上げません。この論文のなかの、ぽん太が面白いと感じた部分を、いくつかお書きしましょう。
ハイネ自身は、新聞に不定期に寄稿していたパリ事情の紹介記事のなかで、アダンが『ジゼル』につけた曲について、「かれの作品は、いつだってりっぱだし、それにフランス派の作曲家の中では、かれは傑出している」といいながらも、「はたしてこの音楽は、あのバレエの怪奇に満ちた内容にふさわしいといえるであろうか。作曲者のアダン氏は、民間伝説でいわれるように、森の木々を踊らせ、流れる滝を静止させてしまうような、そんな力を持ったダンスのメロディーを創りだすことができたであろうか」([2]p.39)と批判的な意見を述べています。
『ジゼル』には、初演時は『ヴィリ』という副題が付けられていたようです。
『ジゼル』の台本を中心となって書いたテオフィール・ゴーチエは、いわゆる脚本作家ではなく、画家から出発して文学に進み、当時は批評家としてジャーナリズムで活躍していたそうです。彼はバレリーナ、カルロッタ・グリジィの熱狂的なファンだったため、彼女を主役とするバレエを創ろうとしたのだそうです。ゴーチエ、Wikipediaにも出てますね。超有名な文学者のようです。ボードレールの『悪の華』は彼に献呈されているのだそうです。ううう、ゴーチエは青空文庫にもある……芥川龍之介や岡本綺堂が訳してる。こんど読んでみようっと。
ハイネは、このグリジィについて、次のように書いています。「ここでカルロッタ・グリジィについてどうしてもひとことふれておきたい。……あるドイツ人作家の著述を借用して手際よくまとめられた脚本に次いで、『ヴィリ』というバレエに未曾有の人気をもたらしたのは、ほかでもないあのカルロッタ・グリジィなのである。それにしてもなんともすてきにかの女は踊ることだろう。……そして監修はかの女が君臨するはるかなる黄泉の国の中空に浮かぶ魔法の園へと、かの女とともに舞い昇るのだ。まことにかの女は、あの精霊たちの性格をそっくり備えているのだ。たえまなく踊りつづけて、そのあまりに激しい踊りのゆえに、多くの不思議な伝説が語られている、あの精霊たちの性格を」([2]p.51)。『ヴィリ』というのは『ジゼル』の副題だそうです。「あるドイツ人作家」というのはハイネ自身のことですね。ゴーチエだけでなく、ハイネもグリジィの踊りには惚れ込んでいたようです。
初演から1週間ほどして、ゴーチエは『演劇新聞』で『ジゼル』の成功を報じ、この作品がハイネの著述にヒントを得たことを公表したそうです([2]p.57)。ということは初演時は、ハイネが原作だということは明記されてなかったんですね。『ジゼル』の成功によってハイネにバレエの脚本の執筆依頼が来たそうで、それによって『女神ディアナ』(1846)と『ファウスト博士』(1851)が創られたのだそうです。
さらにもひとつ、鈴木晶先生の『バレエ誕生』[3]にも、『ジゼル』の成立事情が詳しく書かれていました。ぽん太が一方的にバレエの師と仰ぐ鈴木晶先生は、バレエ会場でときどきお見かけします。ブログ(音楽あり、注意!)もなかなか面白いです。
ゴーチエがハイネから『ジゼル』の着想を得たことについて、ゴーチエはハイネ宛の書簡の形式をとった評論で、次のように書いているそうです([3]p.110)。
親愛なるハインリッヒ・ハイネ、何週間か前のこと、私はあなたの見事な著書『ドイツ論』をぱらぱらとめくっていて、ある魅力的な箇所にふと目を留めた……。そこであなたが語っていたのは、身にまとう純白のドレスの裾がいつも水に濡れている空気の精エルフ、初夜の寝室の天井に繻子の小さな脚先を見せる水の精ニクス、雪のような肌をして過酷なワルツを踊りつづけるヴィリなど、ハルツの山やイルゼの川岸で、ドイツ特有の月明かりのなめらかま靄のなかで、あなたが出会ったあの魅惑的な幻の生きものについてだった。思わず私は声をあげて叫んだ、「そうだ、これを使って素敵なバレエがつくれるではないか!」。熱狂に突き動かされて、私は大きな上等の白紙を手にとり、上の方にきれいに整った筆跡で、『バレエ、ヴィリたち』と書いてみた。
これを読むと、ゴーチエがヴィリだけでなく、他の伝説からもインスピレーションを得ていたことがわかります。
ゴーチエは、ヴィリとなる娘を用意するために、ヴィクトル・ユゴーの『東方詩集』第三部の「幽霊」という詩([4]p.306-312)に基づいて、第一幕を書いたそうです。ゴーチエ自身が、次のように書いているそうです([3]p.116)。
どこかの王侯の館に華麗な舞踏の間が見える。シャンデリアに灯火が入り、瓶には花々が生けられ、御馳走も並んだが、招かれた客はまだ到着していない。ヴィリたちは、水晶と金箔に燦然と輝くホールで踊る楽しさと、新たな仲間を増やしたい気持ちに引かれてしばしの間姿を見せる。ヴィリの女王は魔法の杖で床を叩いて、踊る娘たちの足にコントルダンスやワルツ、ガロップやマズルカへの飽くことのなき情熱を伝達する。殿方と貴婦人たちが到着すると、身軽い影のように娘たちは飛び去る。魔法にかかった床に駆り立てられ、また恋人が他の女性を誘うのを邪魔したい一心で夜を踊りあかしたジゼルは、あのスペインの乙女のように、明け方の冷気に気づいて驚く。すると皆には姿の見えない蒼白なヴィリの女王がジゼルの心臓に氷のような手を置くのだ。
ユゴーの詩にはヴィリは出てきませんが、その他の点では大変似ています。しかしこの台本は劇的展開に欠けるため、バレエの台本作家としてすでに定評を得ていたヴェルノワ・ド・サン=ジョルジュが、第一幕を書き直したそうです。一方第二幕は、ほぼゴーチエの原案通りとなったそうです。とはいえ初演時の第二幕は、現在踊られているものとはだいぶ違っていたようで、ヴィリに惑わされそうになった村の若者を老人が救う場面や、トルコ・インド・フランス・ドイツの民族舞踊もあったそうです。また幕切れにはバティルドが現れ、アルブレヒトはバティルドに手を伸ばしながら、駆けつけた人々の腕のなかに倒れ込んだのだそうです。また、ジゼルやヴィリはワイヤーに吊られて宙を飛んだそうで、歌舞伎の宙乗りではありませんが、当時はこういった仕掛けが人気だったのだそうです。鈴木晶先生は、伝説ではヴィリは地中から現れるもので空を飛ばない存在であり、ここには『ラ・シルフィード』の影響が認められると述べておりますが、先の述べたように、空気の精エルフなど、『精霊物語』のヴィリ以外の精霊のイメージも重ね合わされているのではないかとぽん太は思います。
【参考文献】
[1] ハイネ『流刑の神々・精霊物語 』小沢俊夫訳、岩波書店、1980年。
[2] 小松博「『ジゼル』とハイネ」成城法学教養論集No.7, 1988, p35-59.
[3] 鈴木晶『バレエ誕生』新書館、2002年。
[4] ユゴー『詩集 (ヴィクトル・ユゴー文学館 第1巻)』潮出版社、2000年。
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