【演劇】寺山修司はもはや標本でしか観られないのか・美輪明宏の『毛皮のマリー』
ぽん太の「一度は見ておきたかった」シリーズ。先日の草刈民代に続いて今回は美輪明宏です。演目は寺山修司の『毛皮のマリー』。ぽん太は初めてです。劇団天井桟敷の3作目だそうで、初演は1967年(昭和42年)。このとき毛皮のマリーを演じたのが32歳の美輪明宏だったそうです。
さて今回の公演ですが、おん年●歳の美輪明宏が片乳だして大熱演。倒錯と退廃が入り交じる幻想的な舞台でした。セットもゴージャスで美しく、寺山独特の大正時代っぽい(?)セットもあれば、小人やほとんど全裸の若い男性のラインダンスなど、見せ物的雰囲気もいっぱい。新人の吉村卓也も美形、美少女の若松武史はとても上手でした。麿赤兒の下男もはまり役。
せっかくなので原作も読んでみました(『戯曲/毛皮のマリー』角川文庫、1976年)。寺山自身が再演ごとにかなりテキストや演出を変えているらしく、角川文庫に収録されているのは初演時のものだそうですが、今回の舞台の台本はほとんど初演時と同じようです。違うのは、第一に初演時は、ラインダンスを踊るのが都内のゲイバーから集めた女装のゲイたちだったこと。今回の舞台は若い男性のダンスでしたが、銀座に集う奥様方の趣味、あるいは美輪明宏自身の趣味に合わせていたのでしょうか、おじさんぽん太の好みではありませんでした。そしてもうひとつ違うのは部屋を飛び出して行った欣也が戻ってからのシーン。原作では、欣也は催眠術にかかったかのような人形みたいな様子で戻って来て、それにマリーがカツラをかぶせて少女のメイキャップをしていくという、官能的で耽美的な幕切れだったようです。今回の舞台では欣也は、破れた服を着て怪我をして戻ってきます。追って来たチンピラをマリーが刀を抜いて追い払い、チンピラは「化け物だ」と言って逃げて行きます。そしてマリーが「大丈夫?痛くない?」とか言いながら赤子に接するかのように欣也の傷の手当をする場面が長く続きます。美輪明宏のマリーは、ユングのいうグレートマザーであり、子供にしがみついて放そうとせず支配する母親です。
さて三つ目の違いですが、ぽん太にはこれが最も重要に思われるのです。寺山も美輪も社会に対して問いかけ、世間の常識に異議を申し立てるという点では共通しているのですが、寺山があくまでもアウトサイダー、弱者の立場から発言しているのに対し、美輪は高みから、全てを見通した者として教えをたれます。寺山は競馬の解説をし、ノゾキで捕まったりしましたが、美輪は真実を知る者、悟った者のとして人々に語りかけます。まさに美輪が出演している某有名番組のスタンスと同じです。今回の公演は銀座の劇場で行われ、観客も中高年の奥様方が多かったようですが、某番組の視聴者層と一致しているように思われました。幕がおりたとたんに興奮してスタンディングオベーションをしている奥様方を見て、ぽん太の頭には「信者」という言葉が思い浮かびました。
残念ながらぽん太は、寺山修司の存命中に彼の舞台を観ることができず、映画や本を通じで触れることしかできませんでした。彼の痕跡を追い求めて2006年には演劇実験室万有引力の『草迷宮』を観に行ったのですが、俳優たちはがんばって演じているものの、寺山修司独特の叙情感がちっとも伝わって来ませんでした。「私たちは『ある』のではなくて『なる』のであって……」とかいうセリフがあったのですが、これは寺山が熟読していたフランスの哲学者ドゥルーズの生成変化(devnir)のことだと思うのですが、その時の役者の顔を見てみると、そんなことは全く知らない様子で、偉大な寺山修司のわけがわからないけどありがたいお言葉を呪文のように唱えているだけに見えました。寺山修司がこの世を去ってもうすぐ26年となり、もはや私たちは寺山修司の標本しか見れないのかもしれません。
毛皮のマリー
LA MARIE-VISON2009
2009年4月23日・ルテアトル銀座 by PARCO
作 寺山修司
演出・美術 美輪明宏
<キャスト>
毛皮のマリー:美輪明宏
美少年・欣也:吉村卓也(新人)
下男・醜女(しこめ)のマリー:麿 赤兒
美少女・紋白:若松武史
名もない水夫:菊池隆則
下男2:日野利彦、マメ山田
鶏姦詩人:江上真悟、倉持一裕
ほか
最近のコメント