【東京考古学】浅野家と勝海舟にゆかりの赤坂の南部坂(付:千鳥ヶ淵の桜)
今年は桜が長く楽しめましたね。さくらが咲き始めてから気温の低い日が続きましたから。千鳥ヶ淵の桜は散り始めていましたが、まだまだ幻想的な美しさをたたえておりました。
桜の花びらがお堀の水面を多い、ピンクの絨毯となっていました。
さて、ぽん太とにゃん子はサントリーホールに行くついでに、南部坂を訪れました。3月の歌舞伎座で見た『元禄忠臣蔵』に、「南部坂雪の別れ」という段があり、みちくさをしたくなったのです。南部坂には浅野内匠頭の未亡人が住んでおり、大内蔵之介が討ち入りの直前に別れを告げに行くという名場面です。ここ(Yahoo!地図)が南部坂で、ちょうどアークヒルズの向かい側あたりになります。なぜ南部坂と呼ばれるかというと、氷川神社(Yahoo!地図、氷川神社公式サイト)のあたりに南部藩の中屋敷があったからだそうです。1656年(明暦2年)に南部と浅野は屋敷を交換し、南部屋敷は現代の有栖川公園あたりに移転したそうです。そのためここにも南部坂という名前が残っています(Yahoo!地図)。
さて、氷川神社のあたりにあった浅野家の屋敷ですが、実際は、1701年(元禄14年)の浅野内匠頭切腹の数日後に幕府に接収されてしまったそうで、討ち入りの前日に未亡人が住んでいたというのはフィクションのようです。
さて、この地に住んでいた有名人がもうひとりいます。それは勝海舟です。ここ(Yahooo!地図)にあるバーの敷地の片隅に、勝海舟邸跡の碑が立っています。勝海舟は1859年(安政6年)から1868年(明治元年)までここに住んでいました。この間に、1860年(安政7年)、勝は咸臨丸でアメリカを訪れました。また1862年(文久2年)に坂本龍馬が千葉重太郎とともに、あわよくば斬るつもりで勝海舟に面会したものの、話を聞くうちにすっかり感服して勝に弟子入りを申し出たのも、この屋敷です。
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