【歴史散歩】幸田露伴『五重塔』のモデルの天王寺五重塔跡、徳川慶喜の墓
以前に歌舞伎で「五重塔」を見たときに宿題となっていた五重塔跡を、先日上野の東京文化会館に行くついでに、見学して参りました。地図は こちらです。
こちらがその五重塔跡です。以前にも書きましたが、幸田露伴の『五重塔』の題材は感応寺の五重塔ですが、その後感応寺は天王寺と名を変え、また敷地の大部分が谷中霊園となりました。五重塔は戊辰戦争や関東大震災を無事くぐり抜けましたが、1957年に放火心中事件により焼失し、現在はその跡だけが残っております。感応寺はその後天王寺と名を変え、また敷地の一部は谷中霊園となりました。五重塔跡も谷中霊園の一角にあります。
谷中霊園には多くの有名人が眠っているそうで、谷中霊園管理所で地図をくれるらしいのですが、時間が遅くて閉まっていました。案内板が出ていた徳川慶喜のお墓にだけ立ち寄りました。ちょっと変わった形です。 Wikipediaによれば、慶喜は明治天皇に感謝の意を表すために、葬式を仏式ではなく神式で行ったそうです。そのためお墓も徳川家の菩提寺の増上寺や寛永寺ではなく、谷中霊園に他の皇族と同じような円墳を建てたのだそうです。なにやら神仏分離と関係してそうですね。また現在は慶喜の墓は、谷中霊園の敷地内にありますが、寛永寺の管轄となっております。
とても暑い日だったので、猫もぐったりしておりました。
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